ニューイヤー・セレブレーション・ワーシップ

2005.1.1(Sat)
新城教会 滝元 順師

 ハレルヤ!新年、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。この二〇〇五年、イエス様を心から賛美して、一年を始めることができて素晴らしいです。今日は初めて教会に来られた方もおられるかも知れません。普段ならば、初詣に神社に行くのを取りやめて、教会に来られた方もいるかも知れません。神社に行って始めた一年と、教会に来て始めた一年を比べてみてください。そうしたら、その違いがよくわかると思います。年の初めに真の神の祝福を受けたら、絶対に祝福されます。今日ここに神の霊が満ちあふれています。今年は、素晴らしい一年であるようにお祈りします。

 教会とは、皆さんが一年間安全に生きるために、特に、霊的にサポートをする場所です。教会はそのために神が地上に与えた機能であると信じて、通ってください。必ず神は、皆さんの上に、祝福の天を開いて守り導いてくださると信じます。

 

 さて、二〇〇五年、私たちは明るい話題を見出したいと願いますが、なかなか見出すことができない現実があります。昨晩は私を除く六名の牧師たちが、ここで二〇〇五年に向けての御言葉を語ってくださいました。私はそれらをまとめて、今年神が導かれようとされている方向と、指針を示すべき役割があると思います。今日、私が語る御言葉が、単なる空想や思いつきではなく、神の知恵によって語れるようにぜひ、祈ってください。皆さんが神の御言葉に沿って歩むならば、必ず、結果が現されると信じます。

 昨晩、最初に御言葉を語ったのは「四元雅也副牧師」でした。二〇〇四年は色々なことがありました。日本にとっても色々なことが起こりました。そして全体的に、悲しいことや苦しいこと、これからどうしたら良いのかわからないようなことがたくさんありました。特に、「自然災害」というテーマがあったかも知れません。教会は、ゆりかごから墓場まで、赤ちゃんが生まれたら神の前に祝福を祈り、また、結婚式や葬儀もあります。ですから、教会で人生の四季を見ることができます。教会には社会と平行する、一つのコミュニティーがあります。教会にも社会と同じ時間が流れています。しかし教会の中を見ると、悲しいことがあったのも確かですが、全体を総じて見れば、社会とは歴然と違い喜びがあったと語りました。それを聞きながら、「本当にそうだ!」と思いました。色々なことがありますが、全体的に見れば教会の中には喜びと希望があります。なぜ同じように時間を過ごしながら、教会には喜びがあるのでしょうか。それは、「神が共におられる」からです。彼は、ローマ人への手紙十二章十一節から語りました。

 

『勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。』

 

 信仰的立場を失わないで歩み、立ち止まらずに前進し、新しいことに挑戦するようにと語りました。イエス様が、私たちに与えてくださった道をまっすぐに歩んでいくならば、今年は新しい挑戦も与えられ、新しい領域へと導いてくださいます。ですから、「勤勉で怠らずに主に仕える」ことが大切です。

 

 続いて「上條実牧師」が語った御言葉は、申命記一章六節から十一節です。

 

『私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。』

 

 出エジプトをしたイスラエルの民たちは、ホレブという有名なモーセの十戒を受け取ったシナイ山の麓に約一年間とどまっていました。その時に神から語られました。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ。」

 イスラエルは神の律法を受け取り、一年間とどまっていました。しかしこの時に神は、「もうあなたがたはこの山にとどまる必要はない。向きを変えて出発しなさい」と語られました。ホレブという地は目的地ではありませんでした。イスラエルの最終目的地は、カナンに入ることでした。

 私たちも、今年一年間、同じ場所にとどまるのではなく、前進しなければなりません。私たちは日本のリバイバルを求めています。日本には多くの問題があり、神から離れた生活の現実を、日々見ています。この日本がイエス・キリストによって変えられ、平和な国になるように、日本のリバイバルを祈っていかなければなりません。私たちは現状に満足するのではなく、リバイバルを目指して進まなければなりません。「あなたはそこにとどまっていてはいけない。向きを変えて更に進んで行きなさい」と語りました。

 そして申命記一章十一節では、「どうかあなたがたの父祖の神、主があなたがたを今の千倍に増やしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。」とあります。今年、神があなたに与えられる祝福は小さな祝福ではなく、千倍の祝福だと語りました。神の御言葉は真実です。信じたらその通りになります。今年は、神が私を千倍にまで祝福してくださいますように、という御言葉を受け取りたいと願います。

 昨日、私の息子が夕方インターネットを見ていました。「俺は、今日から億万長者になるかも知れない・・」などと、意味不明な事を言いながら見ていました。そしてしばらくしたら暗い顔をして、「全滅だ」と言って出てきました。それは、「年末ジャンボ宝くじ」の発表でした。実は、私も息子に付き合って三枚買っていましたが、全滅でした。一億円が当たったら教会に献金しようと思っていましたが…。しかし当たると人生が狂うので、当たらない方が良いと思います。あのような宝くじにかけてみても、むなしく全滅するのがほとんどです。しかし、イエス様にかけるならば、絶対に間違いありません。あなたの人生を、千倍にまで祝福することが可能です。

 

 三番目は「滝元開副牧師」が、ダニエル書三章二十五節を通して語りました。

 

『すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」』

 

 彼はこの御言葉をもらって、なかなか受け止めることができずに祈っていたそうです。しかし神からの言葉と確信して語りました。この御言葉の中に「四人が火の中を歩んでいる」とあります。シャデラクとメシャク、そしてアベデネゴは、真の神を礼拝していたので偶像礼拝をしませんでした。それゆえに彼らは捕らえられ、火に投げ込まれました。しかし火が彼らを焼き尽くすことはありませんでした。彼らを連れて行った人たちが焼け死んでしまったと記録されています。

 私も感じていることですが、もしかしたら、今年は火の中に投げ込まれるような試練が世界にあるのかも知れません。昨年について考えてみても、日本は多くの災害で苦しめられました。今週の日曜日に「神様は自然を通して語られる。地震などは神が人間を目覚めさせるために起こされることがあるので、目覚めなければならない。神の裁きの前に、私たちはとりなして祈らなければならない」と語りました。すると、スマトラ島沖で大地震があり、津波が起きて一瞬にして十数万人が飲み込まれてしまいました。私たちは更に、世界のために、破れ口に立ってとりなしていかなければなりません。毎年のように、日本に大きな地震が来ると言われます。昨年は新潟で大きな地震がありましたが、火のような試練を通過しなければならない年かも知れません。しかし、この御言葉の約束は、「火の中を縄を解かれている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。」とあります。

 これからどんな試練や苦しみがあったとしても、イエス様を信じる者たちは、「火の中でも縄を解かれて自由に歩むことができる」と語りました。そして「第四の者の姿は神々の子のようだ。」と外にいる人が言いました。これは旧約聖書に出てくるイエス様の姿ではないかとも言われます。私たちとともイエス様がいて下さるので、どんなことが起こっても、火の中を通過するような時にも、恐れることはないと語りました。

 

 第四番目に語った「滝元明牧師」は、 詩篇一一二篇二節から四節の御言葉を語りました。

 

『ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人は。彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。悪者はそれを見ていらだち、歯ぎしりして溶け去る。悪者の願いは滅びうせる。』

 

 「直ぐな者として生きる」というテーマで語りました。今年祝福される原則は聖書にあります。その原則は、直ぐな者として、正直者として神の前に真実に生きるならば、祝福されると教えています。偽りの中に生きるのではなく、直ぐな者として生きるならば、必ず、神はあなたを祝福されると語りました。偽りが多い時代の中にあっても、私たちは神の前で真実に純粋に生きていきましょう。そうする時に、必ず、神があなたを祝福してくださると教えています。

 時々私たちは嘘を言いたくなることがあります。そのような時に、嘘を言わないで真実に生きることが大切です。以前私は、交通違反で捕まりました。警察官に職業を質問された時、正直に牧師と言えば良かったのですが、会社員と言ってしまいました。その後、心が責められました。いつか取り消すことができるようにと思っていましたら、また捕まってしまいました。その時は正直に「牧師です」と答えました。「牧師さんならば、もっと注意して走ってください」と言われました。「牧師は忙しいのです。先を急いでいるのです。」と言いました。すると、「この先でも取り締まりをやっていますよ。」と教えてくれました。どんな小さな事でも、嘘を言わないようにしなければなりません。嘘を言うとずっと引きずります。小さな嘘でも神からの祝福を失うことになりますので、常に、真実に生きたいと願います。純粋に、きよい生活をするならば、神があなたと共におられると語りました。

 

 続いて「岡本信弘牧師」がヘブル十二章二十八節から語りました。

 

『こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。』

 

 信弘先生は牧師ですが、プレイズ出版の責任者でもあります。日本の教会の文書伝道を一手に引き受け、同時に一般の仕事も請け負いながら、さらに教会の仕事もこなしています。そしてすべての利益を神のためにささげています。そんな中、去年、ふっと気づいたことがあったそうです。

 「たくさんの働きをしたが、本当にこの働きが神に喜ばれただろうか・・・」

 私たちは、今年も多くの仕事をしなければなりません。しかし、働きが神に喜ばれる働きでなければ、むなしいのです。

 先生の娘さんは、今、アメリカに留学しています。私の娘もアメリカに留学していますが、互いに結構近いところに住んでいます。二人は時々行き来しているようです。娘たちが新城教会にいた頃は、「しっかりとイエス様を信じているのだろうか・・・」と心配したこともありました。しかし二人がアメリカで会って「人生、何をしても、イエス様のために働かなければむなしいねぇ」と語り合っていたそうです。それを聞いた信弘先生は、たいへん感動し喜びました。

 本当にそうだと思います。色々な仕事がありますが、イエス様に喜んでいただける仕事をしなけばむなしいのです。どのような立場にあっても、「この働きは神に喜ばれているだろうか・・・」と常に祈りながら、「私の働きを通して、神の栄光を現すことができますように。」と祈ることが大切だと語りました。

 

 最後に「公畑フェルナンド副牧師」が、イザヤ書四十章三十一節から語りました。

 

『しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

 

 鷲という鳥は大変特徴のある鳥だそうです。鳥の中で一番高い岩山に巣をかけるそうです。そして、最も高いところに飛ぶことができるそうです。また、唯一、太陽に向かって飛ぶことができるサングラスのような目を持った鳥です。さらに、体の割に重いものを運ぶことができると言うのです。何と、それは体重の七十倍の荷物をつかんで飛ぶことができるのです。また鷲は、常に狩りをしており、新鮮な肉を食べているというのです。腐った肉は絶対に食べないそうです。そして、毎年羽根が生え替わります。それでも、時々疲れてしまうことがあるようです。そのときは外敵から狙われやすく、危ない状態です。鷲は力を失って泥の上を歩いているそうです。その時には生肉を食べず、腐った肉を食べてしまいます。そうなると鷲は死んでいくそうです。

 しかしそんな時、仲間の鷲が来て、弱っている鷲を元気づけるそうです。その上を旋回し、上から生肉を投げるそうです。それを弱った鷲が食べるならば元気づいて、また高いところに上っていくというのです。

 私たちクリスチャンはそれに似ていると言われました。常に高い所、神の光を見つめて神の力を得て、七十倍の力を発揮して人生を乗り越え、時には弱ることがありますが、教会は互いに助け合うところなので、弱った人がいれば仲間が飛んで行って生の肉である神の力を与え、もう一度飛び立つことができると語りました。

 日々私たちは主を求めていく姿勢について教えられました。どの御言葉をとっても、主が語られた言葉であると私は確信しました。これらを、二〇〇五年の指針として受け取っていきたいと願います。

 

 そして、これからは私自身に与えられた御言葉を分かち合いたいと思います。それはマタイの二十四章三節から十三節です。

 

『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。』

 

 イエス様の所に弟子たちが来ました。そして「世の終わりにはどんなことが起こるのですか」と聞きました。普通ならば、「これからは科学が進み、素晴らしい時代がやって来るよ」と言いたくなると思います。しかしイエス様は四節から八節、

 

『そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。』

 

 これはイエス様が二〇〇〇年前に語られた言葉ですが、現代社会と合わせてみると最近はこの通りになっているようです。戦争のことや戦争の噂を毎年のように聞いています。また、民族は民族、国は国に立ち向かっています。朝鮮半島も韓国と北朝鮮が戦っています。また世界中に内戦が起こっています。国は国に敵対し、方々に飢饉があります。世界でお腹いっぱい食べることができる人は、世界人口の三分の一に満たないそうです。人間はどこに生まれるかを自分で選択できません。日本に生まれたことを神に感謝しなければなりません。日本人で、昔から日本に住んでいたような人は一人もいません。ほとんどが中国や朝鮮半島から移動してきた、弥生系の人々です。私たちの祖先は朝鮮半島か中国に住んでいた者たちでしたが、ある日移動して定着したのです。もしも北朝鮮にでも定着していたら、今頃大変な中にあります。私たちの祖先が日本に来てくれて良かったと思います。

 同時に、世の終わりの前兆として「地震がある」とイエスさまは語られました。地震は年を追う毎に多くなっています。地球は冷えていくので地震はなくなると考えるのが普通かも知れません。今、地震が頻繁に起こっていますが、これらはある意味で、世の終わりの前兆かも知れません。しかし聖書は、そのようなことは産みの苦しみの始まりだと告げています。聖書の原則に則って見るならば、今年も、戦争や地震が多い年かも知れません。私たちは、心を引き締めなければなりません。ビーチでバカンスを楽しんでいた人々が津波で瞬間的にさらわれたような事が、日本でも起こるかも知れません。私たちはそのようなことも考慮しながら、生きていかなければならない時代にあります。常に、祈り心で生きていかなければなりません。人間があまりにも罪を多く犯したので、自分ではとどめることができず、ついには神自らストップをかける日が来るのです。

 韓国から申賢均先生が来てくださって、この教会は変えられました。先生からリバイバルのビジョンをいただきました。申先生が今から三十年程前に韓国で祈っているときに、幻を見たそうです。それは突然、高い建物にひびが入り倒れるという幻でした。それを見て驚き、「これは一体何ですか!?」と神に聞いたそうです。すると「これは日本の東京です。日本が淫乱と偶像礼拝から離れないのならば、わたしは日本を地震によってさばく。その前に、私はあなたを日本に遣わすから、罪を指摘し悔い改めを迫りなさい」と語られたそうです。それからしばらくして申牧師は、私の父と田中先生に劇的に出会い、日本に来るようになりました。そして、毎年のように、そのメッセージを語っています。

 今日本はどうでしょうか。性的な汚れに満ちています。私の携帯電話にも、毎日のように変なメールが届きます。アドレスを変えなければいけません。どこからアドレスを入手するのか知りませんが、悪いメールがどんどん来ます。私はすぐにそれらを削除します。性的な領域が乱れていますが、それらにのってはいけません。聖書は、性的な乱れは国を滅ぼすと記しています。世界の文明が滅びた原因は色々ありますが、共通する理由として、国が性的に乱れた結果として滅びています。私たちは国のために祈らなければなりません。この国が汚れから解放されるように祈りましょう。

 また、手で作った神々を拝んではなりません。偶像礼拝は悪魔の進入路です。偶像礼拝から離れないならば、やがて神のさばきが来ます。アジア諸国に大きな災害が起こってるのは、もしかしたら、「淫乱と偶像礼拝」という大きなテーマによるものかも知れません。

 しかし災害を受けた人々が罪深いからというのではありません。これは全人類に対する警告です。ルカの十三章一節から五節に、

 

『ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」』

 

 色々な災害や事件を見て、「あの人たちは罪を犯したからだ」と思ってはいけません。それは人類全体に対する警告として受け止め、悔い改めなければなりません。神の前に悔い改めなければ、誰でも同じように滅ぼされます。私たちはこのような状況の中で、同胞の罪を自分自身の罪として悔い改めなければなりません。

 昨年から新城教会に与えられているテーマの一つは、「どん底」でした。イザヤ書四十四章二十三節に、

 

『天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから。地のどん底よ。喜び叫べ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。林とそのすべての木も。主がヤコブを贖い、イスラエルのうちに、その栄光を現されるからだ。』

 

 天が開かれるようにとはよく祈っています。しかし地の「どん底」についてはあまり祈っていませんでした。教会はどこにあるべきでしょうか。ある意味で教会は、地の「どん底」にあるべきです。

 昨年十二月三十日に「一日とりなし」の祈り会を行いました。それは、どん底に喜びと解放が訪れるようにというテーマでの祈りでした。周りには多くの「どん底」があります。これ以上どうしようもない、打つ手がないというどん底があります。病院でも絶対に助からない人たちが入院する「ホスピス」という病棟があります。

 昨年沖縄のあるホスピスに行きました。小さな病棟でしたが、「ここでは年間に三百人近くの患者さんが亡くなっていく」と言われました。そこにはチャップレンと呼ばれる牧師が三人程いて、死につつある人々の心のケアーしていました。そこはある意味でどん底です。だれも生きて帰ることはできないのです。もしもそこに助けがあったら、大きな喜びがわき上がります。もしも教会が、どん底で働くことができるならば、人々は光を得ることができます。

 また刑務所で死刑を待つ人々もいます。罪を犯したゆえに捕らえられて、死刑を待っていたり、社会のどん底で苦しんでいる人々も多くいます。そこに主の癒しと解放が訪れるように祈りました。

 また、ある意味で、地域のどん底は火葬場かも知れません。そこでは体が焼かれ、永遠の別離の悲しみに満ちています。火葬場には笑いはなく、あるのはただ涙です。

 しかしイエス様を信じたら、よみがえるという、どん底の中にも希望があります。祈りを通して、社会には多くのどん底があることに気づかされました。教会がどん底で奉仕ができるように、どん底の人々に希望を与える場所となるようにと、祈りました。

 その日、私はひとりで東京に行って祈りました。皇居や、政府関係の建物を廻って祈りました。とても恵まれました。日本が変えられるように、解放されるようにと祈りました。最高裁判所前でも祈りました。最高裁判所もどん底だと思いました。最高裁判所の判決は変えられません。二度と上告できないのです。死刑と言われたら死刑です。「神様。ここにも光を投げ込んでください」と祈りました。

 また地理的にも一番低いところでも祈りたいと思いました。私は昔、測量士でした。全国の標高は、国会議事堂の前にある日本水準原点を基準に決められます。昔そこには大本営があり、戦争を指導した日本をどん底に陥れた場所でした。現在、そこに水準原点があります。それは、東京湾の平均潮位をゼロメートルとして、高さを引いて来ています。隅田川沿いの霊岸島(れいがんじま)という所に潮位観測所があります。そこが日本のゼロメートル地点です。私はその場所にも行って祈りました。日本で最も低いところから、一番高いと言われる富士山の頂上に至るまで、主が勝ち取ってくださるようにと祈りました。新城教会が常に、どん底で働く教会となるように、また、そこに希望の光を与える場所となるように祈りました。「新城教会」は、「新城どん底教会」にならなければなりません。教会は常に社会のどん底にあり、光を与える存在であることが、神の御心であると信じます。

 

 さて、このような危機的状態から人々を救う権威を持っているのが「教会」であると聖書は教えています。マタイの十六章十八節から十九節に、

 

『ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」』

 

 もしかしたら、二〇〇五年は大きな災害が日本に迫っているのかも知れません。しかし、教会に、それらをとどめる鍵があると教えています。もしもさばきが迫っていたとしても、教会が神と災害の間に立って、与えられた鍵を用いて祈るならば、さばきの計画を解いてくださるのです。先に救われた者たちには責任があります。教会とは共同体とともに個人です。一人ひとりに与えられた使命を、果たさなければなりません。エゼキエル書二十二章三十節から三十一節に、

 

『わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった。それで、わたしは彼らの上に憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを絶滅し、彼らの頭上に彼らの行いを返した。──神である主の御告げ──」』

 

 神は世界をさばくことを望まれません。しかし人間の罪のゆえに、災害やさばきが侵入する破れ口ができてしまいます。今日本には、多くの破れ口があります。そして神はその破れ口に立ち、修理する人々を探しています。今年一人ひとりが破れ口を修理する者としての使命を果たしていかなければなりません。

 そのためにも、今年の御言葉として受け取ったのが、黙示録二章七節です。ここは七つの教会に対して語られている言葉なので七回同じ言葉が出てきます。

 

『耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。』

 

 特に私は「御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」という言葉に心を捕らえられました。今年、私たちが必要としていることは、御霊が新城教会に対して語られることを、一つも落とすことなく聞けるように、また、語られたことを実行できるようにということです。

 この教会に対して主は使命を与えてくださっていると信じています。御霊は教会に語られます。「このような働きをしてください・・・」「御霊によって語られる言葉を聞いてください」と主が語られているように思います。教会とは、皆さん自身です。皆さんに主が語られます。その声を聞き逃さないようにしてください。ある意味で、私たちは緊張して、注意深く生活しなければならない時代を過ごしています。特に二〇〇五年は、そのような年かも知れません。御霊の声を聞く者でありたいと願います。

 今回、六人の先生方と私に与えられた御言葉を総合して、一つの文章にまとめました。御言葉を基本にして、預言的な言葉として語られていると思います。

 

「今与えられている働きを、立ち止まらずに拡大し続けなさい。目標は日本のリバイバルです。通過点で立ち止まってはいけません。今年世界は、火の試練を通過するかも知れません。しかし主はあなたを守り、その中であなたは完全な解放を受け、火の中を自由に歩き回ります。それは主が共におられるからです。直ぐな者として生活し、純粋に歩み、常に神が喜ばれることが何であるのかを求め、日々、主を待ち望み力を受けなさい。主のさばきを止める権威が与えられているのは、唯一教会です。教会は世界と地域の破れ口に立ち、あわれみを求めてとりなさなければなりません。それが教会の使命です。教会が使命を果たすために最も重要なことは、御霊が諸教会に語られることを聞くことです。そうすれば勝利を得るでしょう。」

 

 まとめると、このようになると思います。今年、私たちは御霊の声を聞きたいと思います。

 個人的にも悪魔が私たちを狙っていることも確かです。敵のただ中にあることを知らなければなりません。悪魔が私たちを滅ぼそうとして、戦いを挑んでくるので個人的にも注意しなければならないと感じます。それはルカの福音書十一章十七節から十八節です。

 

『しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。』

 

 これはイエス様が語られた言葉です。特に、今年のテーマとして、心に響いているのが、「内輪もめ」です。内輪で争っているときに、神は働くことができません。特に、夫婦の間で、一番多く内輪もめが起こると思います。その時には自分が正しいとか、相手が悪いというのではなく、「こ

れが滅ぼすためのサタンの策略だ」ということを知ってください。国でも

内輪もめしたら荒れ廃れます。多くの国々に内戦が起こっています。最後に国も滅びます。勝利者はありません。内輪で争えばつぶれてしまいます。今年、「内輪もめ」という悪霊が働くかも知れません。なぜならば、国のリバイバルをつぶすためにです。私たちはそれに立ち向かっていかなければなりません。もしも皆さんの人間関係に内輪もめがあったり、兄弟姉妹の間に内輪もめがあったり、何らかの内輪もめテーマがあったら、それは悪魔の攻撃なので立ち向かわなければなりません。和解がなくてはなりません。回復がなくてはなりません。赦しがなくてはなりません。内輪もめテーマに勝利したら、必ず、主は勝利を与えてくださいます。

 年の初めに内輪もめがあると言われる方、悪魔が働いていると思われる方、夫婦関係、親子関係、様々な人間関係の中で守られるように、背後の悪魔の力を打ち砕いていきましょう。必ず、主があなたに勝利を与えて下さいます。教会の牧師やスタッフの中に、また兄弟姉妹との間に内輪もめがあったら、リバイバルが止められてしまいます。そのようなことがないようにお祈り下さい。

 

 今日は二〇〇五年に対して、神が語ってくださっていると信じる御言葉を学びました。私たちはこの国の破れ口に立って戦わなければなりません。そのためにも、まず内側に苦い思いやもめ事があったら、解放していただき、内輪もめが国を滅ぼすことがないように祈りましょう。今年一年間、神の霊によって導かれるように祈りましょう。

 

(祈り)

「ハレルヤ、天の父なる神様。今、御子イエス様のお名前で祈れることを感謝します。この二〇〇五年がどんな年になるのかわかりませんが、あなたが共にいて下さることを感謝します。火の中をくぐるような時があったとしても、主はともにいて下さることを感謝します。そのような中でも、自由に歩き回らせてくださるお方ですから感謝します。日々あなたを求めて、あなたと共に歩むことができますよう、助けてください。あなたは、この日本と世界をさばくことを決して願われていません。今破れ口に立つ者は誰かと叫ばれていると信じます。特に、教会に対して叫ばれていることを感謝します。教会の使命として、主から語られる声を一つとして聞き逃すことがないようにしてください。すべてを聞き取る耳を与えてください。「耳のある者は聞きなさい」とありますが、私たちにあなたの声を聞く力を与えてください。決して悪魔の声を聞くことがないように。

特に、内輪もめを起こして働きをとどめ、荒れ廃らせる悪魔の力を打ち砕いてください。家族や親子の人間関係を壊そうとする内輪もめの霊が打ち砕かれますように。完全に打ち破ってください。一人ひとりの中に平和がありますように。特に、今年、夫婦の間に平和、親子の間にも平和を与えてください。会社で上司との間にも平和を与えてください。平安を与えてください。また教会の兄弟姉妹との間にも平和を与えてください。すべての領域に平和を与えてください。内輪もめをさせる悪魔の力が打ち砕かれますように。この国が滅びないように。内輪もめで自らが滅びることがないように助けてください。私たちの内側にある苦い思いを取り除いてください。すべての罪を赦してください。今日は直ぐな心で主の前にでることができますように。今年、どんな時代が来ても、乗り切る力と神の霊を注いでください。天の軍勢を先に派遣して一人ひとりを支え、祝福してください。守ってください。個人的にもすべてを知っておられる主が導いてください。あなたの御手にすべてをお委ねします。あなたが支え、導いてください。すべての栄光をお返しし、尊きイエス様の御名によって祈ります。アーメン」

 主に期待していきましょう。ハレルヤ!!


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