求めなさい。そうすれば与えられます。

2005.1.2(SUN)
新城教会 滝元 明師

新約聖書 マタイの福音書7章7節〜11節
『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』

 ハレルヤ!あけましておめでとうございます。昨年の暮れから新年にかけて、素晴らしい集会が行われ、恵まれました。 今年は新城教会にとって素晴らしい年であることを期待しましょう。
 新しい年は嬉しいこともありますが、寂しいと思うこともあります。昨年は、何人かの兄弟姉妹が天に帰っていきました。昨年の暮れには、松本晃兄や佐野つま姉が天に帰られました。毎年、佐野一家がおばあちゃんを連れてこられ、一緒にお祈りしたことが思い出されます。また、権田忠兄も天に召されました。他にも、去年は色々なことがありました。
 平松憲子姉のお母様が、少し前に召されたそうです。百一才であったそうです。また、時々私は、岡本正次兄も、礼拝の時に前列に座っていたので、思い出すことがあります。

 さて、今日はマタイの福音書七章七節から十一節を学びます。七節に、
 
『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』

と記されています。これは私が十九歳の時に教会に行って始めて覚えた御言葉です。「求めよ。さらば与えられん」という文語体で覚えました。ある時子どもが来て、「おじさん、与えられんじゃあ駄目だよ」と言いました。現代の言葉では、「与えられます。」です。これからどのようなことがあるかわかりませんが、これから私たちは神に求めていきたいと思います。「求めなさい。そうすれば与えられます。」これは約束です。イエス様がわかりやすく話されました。

『あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。』

 「お父さん、パンをちょうだい。」と言うと、お父さんが子どもに石をあげるようなことはありません。また、「魚を下さい」と言うと、蛇をあげるようなお父さんはいないと言われています。

『してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』

 「あなたがたは、悪い者であっても…」とありますが、どんな人間も正しい人はいません。しかし、あなたがた悪い者でも、自分の子がパンを下さいと言ったら必ず、パンをあげるでしょう。また、魚を下さいというと魚をあげるでしょうと言っています。天地を創られた父なる神様は良い方なので、求める者には必ず良いものをくださらないはずがないと言っています。天の父は良い方なので、信仰を持ちましょう。そうしたら、必ず、良いものを与えて下さいます。
 ルカの福音書十一章五節から十三節に、

『また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」』

 ここにはマタイの福音書七章と同じことが書かれています。夜中に友達が来て、「三つパンを貸して下さい」と言いましたが、「もう子どもが寝ているから迷惑かけないでください」と言いました。それでも「執拗に求めた」ので与えたとあります。「求める」というよりも、「あまりにもやかましいので与えた」とあります。今年は、私たちも、やかましく求めましょう。今年は求めることに対して、イエス様が必ず与えて下さると信じ祈っていきましょう。あくまでも頼み続けるならば、与えて下さると書かれています。また、「誰であっても」と書かれています。今日、初めて来られた方でも、信仰的に低くても、高くても、子どもでも、大人でも、誰でも、「求める者は受けることができる」とありますので、求めていきましょう。

『とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。』

 私は明日出発して、北海道に行きます。今回、二十五回目のリバイバル聖会です。また八日には九州に行きます。今回の北海道聖会には、韓国から申賢均先生が来られます。先生を通して、この教会に大きな影響が与えられました。私は彼が話した一つの話を覚えています。
 あるひとりの婦人が、「求めよ、そうすれば与えられます」という御言葉を聞いたそうです。その人は、貧しい婦人でした。だから神様に、「パンを下さい。野菜を下さい」と具体的に祈っていたそうです。それを聞いた牧師が、「あなた、いちいち細かく祈らないで、『お金をちょうだい』と神様に祈ったら良いではないですか。そうしたら、野菜も芋も買うことができるから…」と言いました。
 「どうして聖霊を下さらないはずがありましょうか」と記されているので、聖霊に満たされたら、あとはすべて与えられます。だから私たちは、聖霊に満たされることを求めなければなりません。「どうか、イエス様、聖霊を私に与えてください。」と求めましょう。そうしたら、すべてのことが解決できるので、ぜひ、求めて下さい。使徒の働き一章四節から五節に、

『彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」』

 これはイエス様が天に帰られる前に、約束されたことです。「間もなくあなたがたは聖霊のバプテスマを受けます」と言われました。力のないままではなく、聖霊の力を受けて出て行きなさいと語られました。そして二章一節から三節に、

『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。』

 ある意味でこの教会が変えられたのは、一九九三年に愛知県民の森で突然聖霊が注がれてからです。私も変えられました。私は山の上で祈りました。「これから甲子園ミッションです。力がありません。聖霊の力を与えて下さい。どうぞ、罪があったら悔い改めますので示して下さい。」と祈りました。
 その時主は、「あなたを中傷したり、裏切ったり、悪く言った人を心から赦しなさい。また、赦すだけではなく、祝福しなさい」と語られました。それで私は、一人ひとり名前をあげて、赦しと祝福を祈りました。その時に、聖霊様が触れてくださいました。そしてイエス様が声をかけてくださいました。「立ちなさい。さあ、行くのです。」と言われました。私は泣きながら、「イエス様。これから一緒に行ってください。」と祈りました。私は変えられました。赦すだけではなく、祝福しました。直接、神から語りかけを聞きました。そして、大きなみ業を見ることができました。人間的な力ではなく、聖霊の力が与えられることを求めて下さい。ホセア書六章三節に、

『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」』

 今年は切に、主を知ることを求めましょう。子どもたちも自分で、イエス様と出会うことができるように祈ってください。イエス様がわかるように祈ってください。イエス様は素晴らしいです。長く教会に来られている方も、主を求めましょう。この御言葉は、賛美になっています。

私たちは知ろう 主を知ることを切に追い求め
主は暁の光のように 確かに現れ

大雨のように 私たちの所に来て
後の雨のように 地を潤される

 イスラエルには砂漠があります。去年日本に降った程の雨が砂漠に降れば、世界は豊かになるでしょう。今年は砂漠に雨が降るように祈りましょう。ある意味で、日本は「霊的砂漠」ですが、この日本に雨が降り、リバイバルが来ることを祈りましょう。ある人は、心が砂漠のようかも知れません。しかし主を切に呼び求め、主を知ることを求めたら、潤されます。後の雨とは、春の雨です。前の雨は秋の雨です。イスラエルでは、秋に雨が降り、春の雨で多くの収穫があります。今年はイエス様に期待し、リバイバルが起こされることを切に求めていきましょう。イザヤ書五十九章十九節に、

『そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。』

 スマトラ沖大地震で十数万人が亡くなったと言われています。テレビで見るとすごい力です。考えることができない津波が来て、一瞬にして町が滅びてしまいました。それは自然界の力です。私たちは霊的な力を求めなければなりません。災難的な大きな津波や大雨ではなく、人を生かす聖霊の波が今年日本に押し寄せてくることを祈りましょう。日本から偶像が一掃され、罪がなくなり、新しい聖霊の波が来るように心から祈らなければなりません。この御言葉も賛美になっています。賛美しましょう。

主は激しい流れのように 来られる
その中で 主の息が吹きまくっている
主は激しい流れのように 来られる
そこには 聖霊の風が吹く

なびけ風になびけ 聖霊の風に
放て光を放て 主の栄光を

日本のリバイバルをイメージして賛美してみましょう。日本にリバイバルが来ることを信じましょう。詩篇二篇八節に、

『わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。』

 文語体では「われに求めよ。さらば、汝に諸々の国をゆずりとして与え、地の果ても汝のものとして与えん」とあります。これはイエス様の預言でもあります。
 日本は「地の果て」です。信仰を持って、日本が主のものとなるように「主よ、日本を与えてください」と祈ることが大切です。ジョン・ノックスは、「私にこの地を与えよ。さらば命を取ってください」と祈りました。その結果、スコットランドにリバイバルが来たと言われます。自分のためにも祈ることも必要ですが、日本を愛して祈らなければなりません。日本を愛して、人々の救いを祈らなければなりません。さばきではなく、リバイバルが来るように。
 「主よ、日本を与えてください」と祈ったことがありますか。私はこの御言葉を通して祈ったことがあります。「主よ。日本を哀れんでください。イエス様、日本を与えて下さい」と真剣に祈ったことがあります。私はその時の祈りが聞かれていると信じています。日本が与えられたと信じています。まだまだ、日本が全てクリスチャンになったわけではありませんが、イエス様は祈りを聞いてくださいました。
 私は、五十年程巡回伝道をしていますが、一九七〇年に「日本リバイバルクルセード」を始めました。そして一九九三年には「全日本リバイバルミッション」が起こされ、甲子園ミッションを行いました。これもイエス様の摂理だと思います。クルセードは伝道集会ばかりですが、ミッションは幅が広いです。私は、ここに来てイエス様との交わりの中で考えました。全日本リバイバルミッションになって、イエス様が与えてくださったことはとても多いです。リバイバルミッションの目的はリバイバルが起こされるように、人々が救われるようにです。甲子園ミッションの時に有賀先生が、「私たちはいつか聖書神学校を建てます。」と言いました。それから十数年が経ち、神学校ができ、校舎ができ、今では百名以上の方々が卒業されて各地に遣わされています。これは祈りの答えだと思います。
 また今、私の五男が賛美をしましたが、「ざわめき」の働きをしています。「ざわめき」は全国で歌われています。色々な教会から招かれてざわめきの集会をしています。これはミッションという名前の中で、神が開かれた道だと思います。また、出版も祝福されています。プレイズ出版があることは神から出たことだと思います。
 岡本先生が献身したときに、やることがないので自分で勉強して印刷をしていました。週報や教会ニュースを作っていました。私は先生に、「将来は四色機くらい入れなきゃ駄目だぞ」と言いました。その時岡本先生は、「先生。四色機はいくらぐらいか知っているの?」「もちろん、知っているよ。一億円位すると思うよ。」と言いました。当時はたいへん高かったです。しかし岡本先生は、「とんでもない。そんなことはできない」とは言いませんでした。一番良い印刷物を作らなければならないと、イエス様のために幻を持ちました。現在、プレイズ出版はとても祝福されています。甲子園ミッションの時に二色機を買いました。二色機は二回印刷すると四色のフルカラーを刷ることができます。カラーで機関誌を出しているのは贅沢ですが、ここに機械があるからできます。今、プレイズ出版には四色機が入っています。最近は良い印刷機が入り、裏表同時に印刷できます。デザイナーもいます。素晴らしいものがあります。教会の中で印刷所を持っている教会は、韓国にも少ないと言われました。これも、「日本を与えてください」という祈りの答えだと思います。
 また、全国的なとりなしの祈りが行われています。次男がSIR(戦略的とりなしと調査)を始めて、日本のために霊的戦いをしています。またここでは、霊的戦いや解放の祈りが進められています。考えてみると、それらはすべてイエス様が成された素晴らしい働きです。また、「ミッション」という名前があるので、新潟で地震があった時にも、すぐに義援金を集めて人々を助けることができました。また音響も、ここほど良い音響設備があるところも少ないです。日本でも一番の音響エンジニアの木下兄が救われたことも素晴らしいことです。主は、「日本を与えてください」という祈りを聞いてくださり、日本の伝道への道が開かれたと思います。だから今年は、信仰を持ってください。「主よ、日本を与えてください。」と祈ってください。小さな事ではなく、もっと大きく主に求めて下さい。もっと私の人生を費やしてみようという若者が出てきたら素晴らしいです。生涯日本のために、日本を愛して命をかけて「日本を変えてください」と求める人が出るように祈りましょう。
 第一歴代誌四章九節から十節に、

『ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」と言って、彼にヤベツという名をつけた。ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。』

 ヤベツという名前は、問題のある家庭に生まれたので「ヤベツ」と名付けられました。しかし十節にヤベツが祈っています。

『「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。』

とあります。今年、求めるからには、共に求めていきましょう。「私を大いに祝福してください」と求めましょう。クリスチャン生活で、上がったり下がったりするのではなく、豊かに祝福されることができるよう、信仰を持ちましょう。
 今年、三月二十五日と二十六日は浜北教会の復活祭に招かれています。何十年も前になりますが、新城教会から田中先生が浦川に伝道に行きました。しかし浦川は段々過疎になったので、浜北に出て行きました。そして、彼は浜北で家庭集会を始めました。それで浜北に教会を建てようと思い、八十坪の土地を見つけ、百万円程の契約金を払いました。
 ちょうどその時、韓国からチョン先生が来られたので、「先生。ここに教会を建てますので、お祈りしてください。祝福されるように祈ってください。お願いします。」と言いました。するとチョン先生は首を横に振りました。「駄目だ。そのためには祈らない。」と言いました。「なぜですか。」と田中先生は聞きました。すると「考えてみなさい。たった八十坪で祝福された教会が本当にできるとでも思うのですか。」と言いました。「でも先生、日本には土地が多くありません。」と言うと、「ここにたくさんの土地があるじゃあないですか。」「ここは人の土地です。」と言うと、「いや、土地は神様が造ったものではないですか。あなたは不信仰だ。悔い改めなさい。」と言われたそうです。「でも、祈ってください。」「いや、祈らない。」と言ったそうです。大した牧師です。田中先生は、韓国のチョン先生に対する抵抗感も覚えましたが、言われてから考えたそうです。
 そして、祈ってくれたことは、「田中先生に信仰が与えられるように」ということでした。
 田中先生は八十坪土地購入を断りました。結局、手付け金の百万円は駄目になりました。しかし、その後さらに広い土地が与えられ、現在、浜北教会には土地が「四千坪」あります。イエス様は素晴らしいです。不信仰な人はつまらないところで祝福を求めますが、ヤベツのように「大いに祝福してください」と求めてください。私の家庭が大いに祝福されるように、地境が広げられるようにと祈りましょう。
 雅也先生が今年も四十数名が受洗し、その前の年にも四十数名受洗したので、この調子で増やされていくと教会に入れなくなるという話しをしていました。しかしそのままではなく、主に、「地境を広げてください」と信仰を持って祈ってください。「難しい」と言うのではなく、ヤベツの祈りを聞かれた主は、私たちの祈りをも聞いてくださいます。
 箴言三十章七節から九節に、

『二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。』

 さて、大きな事を求めることも大切ですが、このように祈ることも大切です。この祈りはとても地味な祈りです。「真実な生活ができるように。必要なものを与えてください。あまり貧乏になると卑しくなって人の物を盗んだりして御名を汚すので、そのようなことがないように。また、あまり金持ちにもしないで下さい。必要なもので養ってください。あまり金持ちになると、神などいらないと言うようになると困りますから…必要なもので養ってください。」と祈っています。
 今朝、私はここで祈りました。「イエス様。死ぬまで貞潔を守り生きることができますように。真実な生活ができますように。」と祈りました。浮き立った大きな事ばかりではなく、毎日の中での地道な祈りも必要です。学生も、良い学校に入りたい人はよく祈ってください。将来、この教会の中から、日本を動かすような政治家も出ることが必要です。誰か日本の総理大臣になるような夢を持つことが必要です。またいつか新城に、クリスチャン市長が誕生することが必要です。生まれつきどんな境遇の人でも、神の計画がありますので失望せず、「神様。今年恵んでください。何よりもましてイエス様を愛することができるように。」と祈っていきましょう。

『求めなさい。そうすれば与えられます。』

 それぞれの求めをお祈りしていきましょう。日本のリバイバルを求めましょう。お祈りします。


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