千代に至る祝福

2005.3.20(SUN)
新城教会 滝元 明師

旧約聖書 出エジプト記20章3節〜6節
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

 ハレルヤ!今日は「千代に至る祝福」というタイトルで学びます。私が書いた本に『千代に至る祝福』があります。この本は私が始めて書いた本です。オーストラリアから来たカレンという宣教師から、この本を書いて欲しいと言われました。本を書いている時に霊的な戦いを感じました。マルチン・ルターが宗教改革をする時に聖書を翻訳しました。その時に壁に悪霊が見えたので、インクをぶつけたという記録がありますが、この本を書く時にルターのような格闘がありました。偶像礼拝の罪ついて書いたのは、この本が初めてであるそうです。その前に橋本辰巳という人が、『仏教とキリスト教』という本を出されましたが、真っ向から偶像礼拝に関する本を書いたのは私が初めてでした。「偶像は砕きなさい、焼きなさい」と書きました。だからある意味で、この本は日本のキリスト教界に一番貢献した本だと言われています。もしまだお読みでない方がおられたら、お買い求めください。

 私は三月七日から九日まで、「日本リバイバル聖会」という集会に招かれました。それは韓国の先生たちが主催する聖会でした。とても良い集会でした。初めの日は日本の牧師たちが集まり、次の日は二十名程韓国の牧師たちが集まりました。そこに祈祷院のために献身されて働かれている方がおられました。私と同じ年の方で、立派なクリスチャンでした。集会中一緒に朝食をし、お交わりをしました。その方に「いつあなたはイエス様を信じられましたか?」と聞きました。すると、彼は、ずっと岐阜県で生活されていたと話されました。初めはたくさんのツグミを捕って生活していたと言われましたが、違法だと言われたので、やめて次にキジの養殖をするようになったそうです。

 ある時彼は、宗教に入ったそうです。それは「真の神を求める会」というものだったそうです。その会長は五十川金治という人で、全国に多くの信徒があったそうです。そこで真の神を求めていたそうです。ある時、彼が集会に行くと、玄関や家の中にあった、たくさんの偶像がないのです。五十川さんがいたので聞きました。「先生、神々はどうしたのですか。」すると、「もういらない。真の神がわかった。イエス・キリストを信じた。今日からは今までのものではなく、真の神様を信じるのだ。」と言ったそうです。そして、それには私との関係があったことがわかりました。

 一九七〇年に名古屋で十日間のリバイバルクルセードを行いました。それから数年後、私はドイツに行きました。ドイツに中日新聞の特派員で、五十川さんという方が奥様と一緒に来られていました。その方が私の集会に出られました。彼はクリスチャンでしたが、その集会後に、『千代に至る祝福』を買い自分の父親に送りました。そして父親は本を読み、わかったのです。それまで拝んでいるのは偶像だとわかり、全部捨てたそうです。そして私の所に手紙が来ました。「私はクリスチャンになりました。今までの信徒全員にこの本を差し上げたいので、五百冊送ってください」

 私は出版社から取り寄せて、送ったことがあります。その方はもう亡くなられましたが、それからしばらく、「日本リバイバルクルセード」をサポートしてくださいました。今回お会いした方も、その方を通してイエス様を信じられたそうです。それも、集団的にクリスチャンになったというのです。以前、私が仙台の教会に行った時に、このことを証しました。偶像から離れて五十川金治さんが救われて、多くの人がクリスチャンになったと話すと、一番前に座っていた長老さんが喜んで私の話を聞いていました。終わってから、「先生、実は私も真の神を求める会の信徒でした。私も『千代に至る祝福』を読んで救われました」と話してくださいました。その村でその宗教に入っていた三十人近い人が、一度に洗礼を受けたと言われていました。その後、五十川さんから、「今教会に行っている人が二百数十人いて、その内八十名が洗礼を受けた」という手紙が来ました。この本は聖書から『千代に至る祝福』というタイトルで書きましたが、本気になって神を求めて偶像礼拝から離れると、千代に至る祝福を受けることができます。私はこの本をもう一度読みました。はっきりと書いたと思いました。「偶像に妥協している教会には、イエス様はおられません。」と書いてありました。日本の教会は、「靖国神社反対」と言っています。田中先生がある教会を訪問した時に、信者の家に行きました。するとクリスチャンのおばあさんが、仏壇を拝んでいたそうです。しかしその方は靖国神社を反対している人でした。彼女は「牧師が仏壇だけは、拝んで良いと言われたので拝んでいます」と言ったそうです。

 今回、聖会に行くと、四国から来られた人がいました。彼女は色々な問題をかかえておられました。七年程前にクリスチャンになられた方でした。色々なことを話しました。「偶像があったら祝福されない。あなたの家に仏壇があったら捨てなさい」と言いました。すると彼女は怒って、「いや、絶対にそれはできません。そこには父が入っていますから。そうだったら私は信仰をやめます」と言うのです。私ははっきりと、偶像を捨てるように勧めました。偶像礼拝は祝福されません。偶像礼拝から離れたら、何があるのでしょうか。出エジプト記二十章三節からに、

『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』

偶像を作ってはいけないし、拝んではいけません。また、それに仕えてもいけません。聖書に「わたしはねたむ神」とあります。これは素晴らしい表現です。「ねたむほど愛している」とあります。もしも奥さんが、他の男性に心を寄せたらご主人は嫌です。ちょうどそれと同じように、神様はねたむほど私たちを愛しているというのです。そして偶像礼拝をしていると、三代、四代ののろいがあります。また偶像礼拝から離れると、千代に至るまで祝福をすると聖書にあります。偶像から離れると、どんな祝福があるのでしょうか。

 第一に国家的な祝福があります。最近、フィジー島のリバイバルのDVDを見ました。その中で、「この国をイエス様におささげします」と宣言しています。またウガンダも内戦で荒れていた国でしたが、イエス様を信じて、「この国をイエス様におささげします」と祈っていました。日本もそうなったら素晴らしいです。現段階では、今の日本の総理大臣はこのようには言いませんが、私たちは総理大臣よりも大統領よりも、もっと上のイエス様にある権威を持っています。「日本は主のものです。日本をイエス様におささげします」と宣言しましょう。またそうなるように祈りましょう。あの国では犯罪が少なくなったと言われています。そのようになることを願います。

 今まで私は、約三十五カ国を旅しましたが、私が見るところでは、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドは良い国でした。スウェーデンは、もとは海賊の国でしたが、一人の王がイギリスに勉強に行き、イエス様を信じて帰ってきてこう言ったそうです。「皆さん。私たちが信じていた今までの神は、救う能力のないものでした。しかし救う力のある神を信じましょう」と言い、全部の偶像を焼いたそうです。スウェーデンは海賊の国でしたが、今は一番長く戦争をしていない国となりました。ノルウェーは今世界に一番多く宣教師を出しているとても良い国です。偶像がなく、教会がたくさんあります。私は家内とともにフィンランドに行ったことがあります。聖会があり、一週間に三万六千人が集まりました。これは祝福です。アメリカの国は悪いところもありますが、良いところもあります。清教徒たちが自由を求めてアメリカに渡りました。そして開拓しました。今は祝福された国となっています。

 私は一九七四年に初めてアメリカに行きましたが、素晴らしいと思いました。アメリカに行った時に、牧師先生が舟を出して釣りに連れて行ってくれました。これは贅沢ではなく、祝福されているからできることです。また、他の方の家を訪問しました。天国のような家だと思いました。アメリカは独立してから、短い間に祝福されたのは、ある意味で千代に至る祝福に預かったことです。クリスチャンになることは、ある意味で革命です。今まで偶像に仕えていた人が救われたことは、のろいから素晴らしい救いに預かったのです。これは革命です。今は貧乏でも必ず祝福されると信じましょう。歴代誌第二の十四章二節から六節に、

『アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行い、異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行わせた。さらに、彼はユダのすべての町々から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼の前に平安を保った。彼はユダに防備の町々を築いた。当時数年の間、その地は平安を保ち、主が彼に安息を与えられたので、彼に戦いをいどむ者はなかったからである。』

 歴代誌、列王記はイスラエルの歴史について書かれています。イスラエルは分裂しました。ダビデ王、ソロモン王がいました。ソロモンは祝福されましたが、大勢奥さんがいました。最後に、彼は奥さんに騙されて偶像を拝みました。せっかく主が素晴らしいイスラエル王国を作りましたが、二つに分かれてしまいした。十の部族が「イスラエル」の国となり、二つのベニヤミンとユダが「ユダ王国」を作りました。イスラエルの王、ヤロブアムは、十部族をもらいましたが、このままでは皆エルサレムに行ってしまうと思い、自分勝手にサマリヤに偶像を作ってそこで礼拝をしました。だから偶像礼拝をしたイスラエル王国には、一人も良い王様は出ていません。しかしユダ王国は小さい国で、悪い王も出ましたが、良い王も出ました。良い王は神を求めて偶像から離れた時に祝福され、偶像に戻ると敗北し、また立ち返って偶像を捨てるという繰り返しでした。聖書はある意味で歴史です。ある人は歴史をよく調べ、これを見習います。ユダ王国は偶像を捨てたので祝福されました。それを見て私たちもそうしようと思います。アサは偶像を捨て、熱心に求めたら安息があったと書かれています。安息は平安です。偶像礼拝には平安がありません。悪霊から来るものは恐れです。しかし主からのものは、安息であり平安です。偶像が取り除かれ、イエス様だけを自分の神としたら平安があります。第二歴代誌十七章四節から六節に、

『その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。そこで、主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。』

とあります。これはアサの子ヨシャパテの時代の記述です。ヨシャパテはイスラエルの国の偶像に習わず、父からの教えを受け、偶像を徹底的に砕いたので祝福されました。またウジヤ王やヒゼキヤ王も真剣に主を求めたことが書かれています。その時に国が祝福されました。

 いつか日本の総理大臣がクリスチャンになるように祈っていきましょう。いつか新城市長もクリスチャンになるように祈りましょう。

 第二には、偶像から離れ真の神を信じると、健康が与えられます。皆さんは今日健康ですか?ある方は花粉症、また腰が痛い、手が痛いと言われます。これは肉体的な病気です。健康が与えられるというのは肉体的にも健康が与えれます。しかし病気は心の病気など色々あります。家庭が病んでいる時もあります。出エジプト記二十三章二十四節から二十五節に、

『あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。』

とあります。病気が癒されるためには、いくつかの方法があります。自然に癒されることがあります。医学もあります。医学が進歩したことも、ある意味で神様の祝福です。また超自然的な癒しがあります。イエス様は癒してくださいます。偶像を捨てたら、あなたがたの間から病気をのぞき去ろうとあります。偶像を除くと神様は祝福してくださいます。

 また第三は、経済的な祝福も与えてくださいます。マタイ六章三十一節から三十三節に、

『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

これは神様の約束です。まず第一に神の国と神の義を求めると祝福してくださるというのです。また申命記二十八章二節から四節に、

『あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。』

偶像から離れたらすべてが祝福されるという神様の約束です。申命記二十八章五節から八節に、

『あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。』

 「千代に至る祝福」の中に経済的な祝福もあります。この教会も代を重ねていき偶像礼拝から離れていくならば、何代かの後に素晴らしい祝福が来ると思います。年越しの時に四元雅也先生が、この教会の成長について話されました。このまま教会が成長すると、教会に入りきれなくなると語られていました。ある意味でこの教会が田舎にあって祝福されてきたことは、偶像と戦ってきたからだと思います。だからしっかりと偶像から離れていきましょう。ヨシュア記一章五節から六節に、

『あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。』

またヨシュア記一章九節に、

『わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」』

 「千代に至る祝福」の第四番目は、神がどこにでも一緒にいてくださることです。イエス様が一緒にいてくださることは祝福です。だから今週も神様がともにおられ祝福を与えてくださることを信じましょう。マタイの福音書二十八章二十節に、

『また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」』

こんな祝福はありません。この人生の中に何があってもなくても、いつもイエス様がおられます。金がなくても、地位がなくても、権力がなくても、イエス様がおられたら大丈夫です。信じていきましょう。

 また第五番目にのろいから解放されます。ガラテヤ人への手紙三章十三節から十四節に、

『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。』

とあります。イエス様は十字架にかけられましたが、「木にかけられる者はのろわれる」とあります。「偶像礼拝は三代、四代ののろい」と書かれていますが、イエス様がその呪いを受けてくださり、私たちを解放してくださいました。私の家も偶像礼拝がありました。私は信心深く、何にでも頭を下げたことを覚えています。石の像などを拝みました。しかし解放してくださいました。

 東京に勉強に行く時に、仏壇の前で祈ったことを覚えています。山中鹿之助が言った言葉。「我に七難八苦を与えたまえ…」と拝んで出て行きましたが、その呪いからも解放され、今は自由にされています。今日皆さんの家庭は、偶像から離れて祝福されています。ヘブル人への手紙二章十四節から十五節に、

『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

 第六番目は、死の恐れからの解放です。死に対する恐れがある方がいますか?死ぬことは怖くない。クリスチャンは行くところがわかっているので怖くありません。私はイエス様を信じた時に、信じる者は滅びることなく、永遠のいのちを持つことを知り、嬉しくなりました。サタンと死の力を打ち砕いてくださったことは、死の恐怖からの解放です。死の力を持っているサタンが打ち砕かれたので、今私たちは死に対して、またサタンに対して怖くはありません。

 そして第七番目は黙示録七章十三節から十六節に、

『長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。』

とあります。天国の一番素晴らしいことは、飢えることも渇くこともないということです。七章十七節に、

『なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」』

とあります。涙のない国は素晴らしいです。いつの日か天国で一緒に過ごします。「地上でつなぐならば、天でもつながれる」とあります。天国に行ったら新城教会の人は一緒に住んでいるかも知れません。一番素晴らしいことは、涙がないことです。この地上には涙があります。悲しみ、飢え、渇きもなく、炎熱も打つことがない、これが永遠に続くのです。その祝福があるというのです。そしてイエス様は再び来られる時には、復活に預かることができ、よみがえりのからだになるとあります。少しは戦いがあっても、「千代に至る祝福」をいただくことを信じましょう。また日本から偶像がなくなり、祝福されるようにお祈りしましょう。お祈りします。


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