ジョー・ハイト師特別講演記録
「イゼベルの霊との戦い」

2005.5.15(SUN)
ヤキマ・バリーフェロシップ
ジョー・ハイト師

 おはようございます。新城教会に来れた名誉と特権に感謝します。今日は私の子どもを二人連れてきました。息子のピアスと娘のチェルシーです。間にもう一人、オースティンという娘がいます。家内も四年程前に新城教会に来ました。新城教会からもヤキマに来られましたので、友達がたくさんおり、皆さんによろしくと言っていました。私はアメリカで二つの教会を牧会しましたが、タコマの教会の人たちは今でも私のことを牧師と呼んでいます。ヤキマの教会が新城教会と交流が持てることを、心から感謝しています。私たちの教会のために祈ってくださったり、また、色々なことをしてくださっていることを感謝します。
 今日は過去一年間でヤキマにおいて経験したことから、メッセージしたいと願います。金曜日の神学校でもセミナーをしましたが、その中で、アメリカのクリスチャンは霊的な力をあまり強く信じていないと話しました。口では「信じている」というかも知れません。また行動でも見せるかも知れませんが、心の中でなかなか理解し難いようです。だから大きな問題があります。サタンはそこに砦を作っていますが、アメリカのクリスチャンは、そのようにサタンが働いていることを自覚していません。
 しかし今回来た人たちは、霊的な力を知っている人たちです。一緒に来たパティさんはとりなし手です。ブライアンは彼女の義理の息子ですが、教会で活発に活動しています。またジェイソンはあなたがヤキマに来たら、色々なところに車で連れて行ってくれます。またケイラブさんの祖先は、遠い昔モンゴル出身で、現在ヤキマに住んでいる「アメリカ先住民」です。私たちが霊的な力について話す時、彼は「アメリカ人は霊的力をわかっていないのですか?」と驚くくらいです。彼はシャーマニズムの中で育ったので、一般的アメリカ人よりも霊的なことをよく理解しています。彼はヤキマの先住民の中に存在しているシャーマニズムが、日本に存在するものと似ていると思うようです。だから今回彼に、日本の教会で何が起っているのかを見せたいと思って連れてきました。これから、こちらの教会ともっと強い関係を持って戦っていきたいと願っています。だからいろいろと教えてください。
 私たちの町の中で発見し始めている霊的な存在について話します。過去一年間、私たちの町に色々なことが起こり、祈ったり、戦ってきましたが、その霊が何であるのかを知りませんでした。しかし最近になって、それが「イゼベルの霊」であることを知りました。イゼベルの霊は、私たちが敵と戦うために与えられている権威を奪う力です。アメリカ人に対して、イザベルの霊は権威を握っている傾向があります。だからその霊のせいで、アメリカ人は霊的世界が見えなくなっています。神様はアメリカ人に敵と戦う権威を与えていますが、その霊のせいで、アメリカ人は権威を行使できないのです。そしてその霊は、男・女間に働きます。ただ単に、夫と妻という関係だけではなく、男性と女性との関係に働きます。私たちは、必ず、男性か女性のどちらかに属しています。創世記一章二十六節から二十七節に、

『神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。』

 神は人間を神のかたちに創造し、男性と女性とに創られました。私たちクリスチャンは、男性であっても、女性であっても、神の姿を現しています。アメリカには「ホモ・セクシャル」の問題があります。神が人間を男と女に創られました。男同士、女同士というのではありません。私たちが神の栄光を現そうとする時には、「男性と女性」というかたちでなければなりません。私たちはイエス・キリストのからだなので、神の栄光を反映すべきです。男性は女性とは違いますが、一緒になって神のイメージを反映します。神はすべての人を、神の栄光を示すために創られました。神は神が考えておられること、そして神の霊を反映するために私たちを創られました。私たちは男と女に創られ、神の能力や行われる方法を反映します。そしてサタンを打ち負かし、人々を解放するために創られています。男性は男性独自の特別な使命を神から与えられています。女性にも女性独自の使命があります。そして神のからだを通して、一緒になるならば一つのチームとして神様が働かれます。また一緒になることによって、神の権威がそこにあってサタンと戦うことができます。二十七節に、

『神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。』

 男性と女性は異なっています。男は単純にできています。男性は女性に比べるとスイッチが一つです。しかし女性にはたくさんスイッチがあり、複雑にできていると思います。男性は指導者となって国を作り上げるものです。男は一つのことをするように創られており、それを行う時には力強いです。男性の脳は科学的に言うならば、元々は女性の脳ですが、「損傷を受けた女性の脳」のようなものと例えられます。生まれたばかりの赤ちゃんは、男でも女でも同じ脳です。しかし赤ちゃんが発達していく中で、神は男性の中に化学物質が出てくるように設計されました。そしてその化学物質が男性の脳をどんどん破壊していきます。それで男性の脳はある部分がつながっていないのです。それはサタンのせいではなく、神様の設計によるものです。男の脳は切れているところがあるので、恐いことが起きた時に逃げ出すことがありません。夫婦が歩いているところに、大男が襲ったとします。すると、女性は「助けて?」と言って逃げます。しかし男性はその大男と戦うのです。
 これは霊的に、私たちがどのように戦うべきかを示しているかのようです。順先生ご夫妻をもし、霊的大男が襲ったら、順先生はその大男を捕らえると思います。しかし享子先生は、その場を離れて神に祈り始めると思います。一緒になって一つのチームです。私たちはそのように創られています。第一テモテ二章八節から十節に、

『このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。』

 パウロが男性に勧めたことは、「互いに喧嘩をするのはやめなさい、そして神に向かって手を上げなさい、また敵と戦いなさい、神の王国を建設しなさい、なぜならば、男は戦士であり、王国を作り上げるものだ」と言うことでした。
 しかし時々男は自己中心的になり、自分自身の王国を作ろうとするのです。それによって互いが喧嘩し始めます。だから男性は互いの戦いをやめて、霊的な敵との戦いを始めなさいと勧めています。また女性には、神様があなたをこのように創られたので、その創り方を用いて、「他の男性の目を引くようなことはやめなさい」と勧めています。女性に霊的・情緒的に素晴らしい能力を与え、それは神を礼拝するために与えられています。そして聖霊様の働きに対して、大きな反応を示すように創られています。ですから、神様から与えられた力を使って、他の人の注意を自分に引こうとするのはやめなさいと言われています。その代わりに、神様に反応するようにその力を使うようにと教えています。
 しかし、イゼベルの霊は、男を自分に引きつけさせて男をコントロールしようとします。そして私たちの権威を奪おうとします。サタンは神が私たちを男と女に創られたことを知っており、男・女を引き離すことをします。サタンは男性、女性をそれぞれ滅ぼそうとします。そうすると、私たちは神様からの権威を失い、霊的な力を失ってしまいます。そして私たちは、キリスト教やイエス様は「自分たちだけのもの」であると考えてしまいます。それは自分たちが、ただ気分が良くなる為だけです。そして、神によって創られた男と女が、一緒になって敵と戦うという目的を忘れてしまいます。イザヤ書五十章十節から十一節に、

『あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。見よ。あなたがたはみな、火をともし、燃えさしを身に帯びている。あなたがたは自分たちの火のあかりを持ち、火をつけた燃えさしを持って歩くがよい。このことはわたしの手によってあなたがたに起こり、あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる。』

とあります。
 アメリカでは教会成長のための本が多くあります。色々なプログラムを行うことによって、たくさんの人が集まるという方法が書かれています。しかし神様が私たちの教会に対してしなさい、と語られたことは、アメリカの教会にとってあまり人気のないことでした。神様は私たちに、「どのような人間的方法にも頼るな」と言われました。あるいは新城教会の方法もそれと同じかも知れません。神様が私たちに語られたことは、「神の臨在が町に来るように祈りなさい」と言われました。神様が、「わたしがあなたの町に来る時には、武器や鎧をあなたがたに与えて、戦いの準備をさせます」と言われました。言い換えるならば、それは、「敵を打ち負かして神に栄光を帰せなさい」ということでした。敵を打ち負かして神に栄光をお返しするならば、人々は生まれ変わります。そしてその土地が解放されます。人々の鎖は解き放たれ、イエス様をたたえるようになります。
 ヤキマはりんごを育てている土地です。アメリカ人はヤキマを、りんごが育てられている土地としか見ていません。しかしその土地は、霊的戦いが行われ、神の栄光を獲得するところです。
 サタンとの戦いは、暗闇の中にあるように感じます。次に何が起こるのかわからないので、手探りで進んでいるようなものです。暗闇の中で、私たちがすべきことは、自分自身に火を灯すことではありません。自分自身のあり方で火を灯すことではありません。進んでいく一歩一歩の中で、神に信頼し、次に私たちが何をすべきかを「神に聞くこと」です。サタンを打ち負かし、神に栄光を帰することができるように、神の権威をいただくように祈ることが大切です。
 イゼベルの霊は、火を作るものです。イゼベルの霊はあなたに言います。「あなたはどこに進んでいるのか自分でわかっているでしょう。そちらに進んでいけば安全な道だとわかるでしょう」と言います。イゼベルの霊は、神の権威からあなたを外し、支配の霊をもってきます。イザベルの霊は男に語りかけ、女を操作し、また、女に語りかけて男を操作しようとするのです。そのようなことが起こる時、私たちは権威を失います。それが起こる時、私たちは男の支配や女の支配の中にあります。そうすると、私たちは、「人々が自分に何を与えてくれるか」ということに関心が行き始め、戦うことをやめてしまいます。そして、神に栄光を帰することができなくなります。私たちの教会に人々が来る時に、悲しんでいたり苦しんでいたりします。そして私たちはその方たちに、「どうされたのですか」と聞きます。その人たちは、「誰かのせいで私は不幸だ、そして欲しいものが手に入らない」と言います。しかしそれこそがイゼベルの霊です。そのことによって、自分自身が中心になっています。重要なのは、あなたではありません。あなたは神の栄光のために創られており、サタンと戦うために創られていることを忘れないでください。イゼベルの霊は、自己中心になるようにし、自分が幸せになるようにさせます。日本では、おそらくこんな問題はないと思います。アメリカのクリスチャンは問題があります。アメリカのクリスチャンの目的が、自分自身が幸せになり、祝福されることを求めることが多いのです。アメリカで書かれている多くの本の主題は、「どのようにすれば祝福されるか」です。しかし私たちのアメリカにおける使命は、「私たちは祝福されているので、周りにとっての祝福になろう」ということです。神様があなたを祝福しますから、あなたは他の人を祝福することができます。そして神があなたを祝福し、あなたは神に栄光を帰することができます。神様はあなたを祝福します。だから、あなたは敵と戦うことができます。そうすることによって、私たちは戦いの権威を持ちます。
 イゼベルの霊は、私たちから権威を奪い去ってしまい、自分自身が中心になるようにしてしまうものです。
 イゼベルについては、第一列王記に記されています。イゼベルはイスラエルではない国の出身で、偶像礼拝をしていました。彼女はイスラエルの王アハブの奥さんになりました。彼はあまり良い王様ではありませんでした。イゼベルは良い奥さんではなく、神を愛していませんでした。自分の夫である王と、イスラエルをコントロールすることがイゼベルの望みでした。だから当時、イスラエルにいたすべての預言者を殺そうとしました。そして、エリヤを脅かして殺そうと企みました。そして、ナボテという人を殺させて、彼の財産を自分の夫にささげさせました。最終的には預言者たちをも殺し、エリヤとの戦いになりました。しかし最後にはイゼベルは殺され、犬に食われました。イゼベルの霊は最後は死につながっています。
 イゼベルが私たちから、神の権威を取り除く方法が書かれています。私たちはこのことについて今、学び始めたところです。しかしこれは私たちの町と関係があり、重要なことです。権威を取り去るためにイゼベルが初めにする方法は、神以外のものを礼拝させることです。アメリカは日本程偶像がありません。しかしインディアンの拠点には偶像があります。また私たちの町には、阿弥陀寺という寺があり、シアトルには神社もあります。アメリカ人の礼拝する対象はお金です。神様の代わりにお金を礼拝しています。お金が自分の人生をコントロールすると考え、また、お金を持っていたら自分は他の人の人生もコントロールすることができると考えています。そのような物質的なものです。第一列王記十六章三十二節に、

『さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。』

イゼベルが来て偶像礼拝をすることが書かれています。偶像礼拝によって、人生の権威が取られます。
 二つ目のイゼベルの方法は教会の指導者を通して語られる、神の声が聞こえないようにします。イゼベルはイスラエルの、すべての預言者を殺そうとしました。またイゼベルは、エリヤのいのちを脅かしたとも書かれています。皆さんは、牧師や指導者のために祈ることが必要です。サタンが牧師を破壊しようとしていない瞬間はありません。物理的に殺そうとしているのかも知れませんし、また、評判を落とそうとしているのかも知れません。あるいは、牧師が自分には霊的力はないと信じさせようとしているのかも知れません。だからイゼベルは、神の代理として語ろうとしている人たちの影響力を落とそうとします。
 第三には、皆さんの霊的な遺産を失わせようとします。アハブはナボテの土地が欲しかったです。土地を持っていたナボテは、「これは私の遺産なので、あなたにあげることはできない」と言いました。アハブはナボテに断られたので悲しい思いをして、家に帰って来ました。アハブは、それをイゼベルに告げました。するとイゼベルは、「あなたは王様でしょう。私がその土地を取ってきましょう」と言いました。イゼベルは嘘をついて彼に罪をかぶせ殺しました。彼が殺された時、アハブがやってきて、ナボテの土地を取りました。
 ここにいる一人一人に、神様が与えられている影響力の領域があります。神がそのような領域を与えられ、その領域において他の人々を贖い出すようにされます。その領域の中で皆さんが勝利を治められるならば、それが永遠の世界に続きます。イゼベルの霊はそのようにして、神が皆さんに与えている領域において勝利を妨げようとします。そして神が皆さんを召して行うべき場所から取り除こうとします。
 第四は、天から与えられてる資源やたくさんのものを、教会や個人から奪おうとします。特に私がタコマにいた時に、三つのことが起こりました。クリスチャン同士が喧嘩をし、病気になり、お金がなくなりました。そして彼らは神がこの教会から去ってしまったと思い始めました。神はすべてのものを与えます。しかしイゼベルの霊は、「与えられていない」と信じさせるのです。
 また最後にイゼベルの霊がさせようとしていることは、私たち一人一人が他のクリスチャンの中から孤立していると思わせることです。一つの例は、教会の中で自分が傷つけられていると思わされるのです。そんな思いが来ると、教会で教えていることが自分には少し気にくわないと思い始めます。またこの教会では奉仕が多い、献金したくないと考えるようになります。また教会に来た時に、挨拶をしてくれなかったなどと言われるのです。
 新城は三万人の人口の中に二つの教会があると聞きましたが、私の町は八万人の人口で教会が百五十あります。ギターを普通に弾きますが、別の人は逆方向に弾くと思っているかも知れません。そんな理由で別の教会に行ってしまうかも知れません。ほんの少しの問題で、人々は教会を離れてしまいます。イゼベルは、私たちを分離させようとします。
 黙示録二章十八節から二十九節では、イゼベルの霊と戦うように教えています。イエス様が言われることは、皆さんの教会は素晴らしいですが、イゼベルの霊と戦っていない、教会からイゼベルの霊を排除するようにと教えています。どうしたらそれを排除することができるのでしょうか。五つのポイントがあります。

 イゼベルが神以外のものを礼拝するようにと言ったら、神だけを礼拝してください。自分自身でも教会でも、毎日、神だけを礼拝してください。レビ記には神様に犠牲のいけにえをささげなさいと記されています。その犠牲の一つは「オーラ」と言います。それは「全てのもの」という意味です。良いところ、悪いところ、醜いところ、臭いところも全部です。神の前にすべてをささげて礼拝をすることです。ローマ書十二章には、自分自身を生きたいけにえとしてささげなさい、それこそが礼拝であると書かれています。礼拝をすることは、イエス様を自分の主にすること、そして神に栄光をお帰しすることです。
 第二は、イゼベルの霊が教会の指導者を沈黙させようとする時、私たちは教会の指導者たちを支えなければなりません。彼らが言うことに耳を傾け、尊敬しなければなりません。そして指導者の傍らに立ち、ともに戦わなければなりません。イゼベルの霊は天から与えられるべきものを奪おうとします。それに対抗して、お互いの賜物やそれぞれのミニストリーに対して従わなければなりません。ということは、一人一人が神様のためのミニストリーを行うべき才能が与えられているからです。それぞれが神から与えられた、違った賜物を認めなければなりません。だからこの教会の中で、こちらの人があちらの人よりも重要と言うことはできません。
 私の友人ジョン・ドーソンは素晴らしい祈りをされます。多くの場所でその祈りを聞いたことがあります。彼が祈る時、このように祈ります。「この人が、神様から得るものの境界線まで歩くことができますように。」と視覚的に祈られます。神様がその方に対して準備しておられる、全てのものを手に入れることができるようにと祈られます。イゼベルの霊が神様から与えられるものをコントロールする時に、逆に私たちは心を広くもたなければなりません。イゼベルはアハブをコントロールすることができました。なぜならば、アハブ本人が自己中心的であり、他人の土地を欲しがっていたからです。その自己中心的なところが彼自身がコントロールされる一つの扉になってしまいました。アハブは、イスラエルの王でしたので、神の国家を建設してサタンと戦わなければならないというゴールを、それによって見失ってしまいました。彼は自分の権威を自分が欲しいものを手に入れるために用いてしまいました。。私たちは自己中心的で人のもの欲しいというのではなく、寛大な気持ちにならなければなりません。自分がもっていないものでさえも、人に与えるという気持ちにならなければなりません。
 エリヤがバアルの預言者と戦った時、神はエリヤに水を注ぐように語られました。なぜだろうかと思います。この箇所の前には、その土地にが干ばつであったと記されています。だから実は水がありませんでした。「水」と言われた時、少ししかあげれないと思ったかも知れません。しかしエリヤは水に関して寛大でした。とにかく水をいっぱいもってくるようにと言いました。エリヤは気前よくあったことによって、イゼベルのどん欲の霊と戦うことができました。
 イゼベルの霊があなたを他のクリスチャンから孤立させようとする時、自分自身はそこにいて神様の声を聞くのです。さらに私たちは、互いの声を聞かなければなりません。私たちは時々、真実を聞きたくないことがあります。ただ自分が聞きたいと思っていることを聞きたいと願います。アハブはイスラエルの中で、「自分に語りかける預言者はいるか?」と聞きました。しかしアハブは、一人の預言者が生き残っている事を知っていましたが、その人の言葉は聞きたくない、その人が自分に対して語る預言は良いことが一つもないからと言っています。それこそがイゼベルの霊です。私たちは自分自身に厳しいことを言う人から離れようとします。しかし私たちは、キリストのからだの中で一つになっていなければなりません。そうしなければ自分自身を守れません。だから私たちは、お互い同士に対して自分を従わせなければなりません。
 私たちの教会にイゼベルの霊が影響を与えていることがわかったら、戦い始めることができます。そしてイゼベルの霊は破壊されます。敵を打ち負かすために神が与える権威をいただきましょう。

(祈り)
「イエス様、ありがとうございます。神様、あなたは新城教会に多くの資産を与えておられます。敵に対する権威を与えられました。日本を変えるために、日本の人々を解放するために、世界を変えるために、あなたはこの教会を使っておられます。あなたの祝福、力、素晴らしいものが注がれるように祈ります。イゼベルの霊から守ってください。その霊を打ち負かすことができますように。そのための特別な武器を与えて下さい。そしてそのために世界的な力を与えてください。この教会があなたが与えれられている境界線にまで、進むことができますように。そしてあなたがこの教会に約束されている、全てのことが実現されますように。この教会が想像している以上に、神の祝福が注がれますように。更に多くのものを与えてください。この教会はあなたに対して忠実であることを知っています。この教会を信頼し、主がすべてを与えてください。イエス様の名前で祝福してください。アーメン。」


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