神「絶対者」

2005.5.22(SUN)
新城教会 四元 雅也副牧師

 ハレルヤ!この場所に十ヶ月ぶりに立つことができ感謝します。今日で五回目になります。今朝は3ヶ月前に脳腫瘍の手術を行い、立ち直ったエルベル兄が、賛美と証しをして下さいましたが、神様が生きておられることをこの目で見たような気持ちです。難しい手術で教会全体がお祈りしていましたが、神様は真実な方です。私たちの祈りに答えて下さいました。後遺症も見られない程に良くなられ感謝します。今朝、礼拝に来られた皆さんとご挨拶していると、4、5名の方に「先生。顔が堅いですね」と言われました。一年に一度のメッセージなので慣れずに、ドキドキしています。これは主の働きなので神様に委ねていれば大丈夫だと自分に言い聞かせながらも、なかなか緊張はほぐれないものです。しかし、御言葉を取り次がせていただくために、準備をしていると神様と自分の関係を見つめ直し、軌道修正させていただくことができますので感謝しています。またこの時が皆さんにとっても素晴らしい時となるようにと願っています。神様が「絶対者」であることについて学んでいきたいと思います。最近私の身の回りに起こされた色々な出来事の中で、神様が働いてくださり、私たちが信じている神様は絶対者であることを覚えました。その恵みの証しをご紹介しながら学びたいと思います。

 この2週間程、アメリカのヤキマからジョー先生をはじめ七名の方が新城教会に滞在してくださいました。今日は三名の方が帰国されます。訪問してくださったことを心から嬉しく思っています。先週の金曜日から順先生がジョー先生とともに沖縄に行かれていますが、その前には北海道に行かれて日本のリバイバルのために祈ってくださいました。新城に残られた五名の方もこの間に色々な所に行って祈っていただきました。私も彼らと一緒に火曜日は愛知万博に行き、世界の国々のためにお祈りしました。そして金曜日は東京に行き、日本の霊的な状態を象徴するいくつかの箇所に行ってとりなしの祈りをしました。本当の神ではない、昔の亡くなった人など偽りの神様を拝んでいる所に行き、この日本が解放されるようにと心を合わせて祈りました。ヤキマから来て下さった方も心を砕いて祈って下さいました。特に東京では英霊碑のある神社でアメリカと日本が過去戦争をしたということでアメリカ人の立場に立って日本の罪を自分の罪として祈ってくださいました。またジョー先生の娘のチェルシーさんは、コーヒーを入れるのが大変上手なのでリバイバル神学校のカフェで朏美枝姉にコーヒーの指導をしてくださいました。私も何回か飲みましたが、コーヒーが大変美味しくなりました。

 エペソの人への手紙四章四節から六節に、

『からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。』

とあります。ヤキマから来られた方々とともに祈っている中で、人々を束縛している悪魔の力・霊的な束縛は、日本だけではなく世界を貫いて働いているものだと思わされました。仏教は初めインドで起こり、中国を経ていく中で色々なものが取り込まれ、そして日本に伝来しました。それらは目に見える手で作った神々です。救いをもたらすことができない偽りの神です。今回、北海道や沖縄に行って祈られたことは、アメリカで人々の救いのために働き祈っている中で導き出されたことであり、悪魔の策略である偶像礼拝、降霊術は、実は世界各地に共通点が見られます。悪魔は日本の国を束縛するために色々な海外の力を取り込んで束縛しています。今回それらが打ち砕かれるためにアメリカから来た彼らが祈っています。ならば逆に、私たちは神にあって一つであり、同じ神様のため、リバイバル、魂の救いのために働くというビジョンが与えられていますから、ともに祈る時に、神様の働きは悪魔の働き以上に、国を超えて全世界に働いくださることを知ることができました。使徒の一章八節に、

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

とあります。イエス様はこの言葉を最後に天に昇って行かれました。そして初代教会が誕生しました。教会が誕生して以来、今日に至るまでの教会の営みの中で、神様の重要な至上命令として教会に与えられているのがこの御言葉です。この働きをイエス様のみこころに従って実行していくというのが私たちの使命です。イエス様は、すべての地域や国境を超えて全世界にまでという枠組みのない宣教の働きを天に昇られる前に遺言として残されました。それは、私たちが福音宣教することについて枠組みや国境があってはいけない、そしてすべての人に福音を宣べ伝えることが求められているということです。また私たちがそのような視点で働いていく時に、国を超えた領域で働いている悪しき力をも打ち砕いていくことができると教えられました。

 インターナショナル部会が毎週土曜日に礼拝をもっています。先月、フェルナンド先生ご夫妻が2週間ほどアメリカに渡られていた期間があり、インターナショナル部会のメンバーで先生の責任を分担していました。私もその一部を担わせていただき、土曜日の礼拝でメッセージさせていただきました。集会後、ある姉妹が私の所に来られました。「自分の罪を告白したい、主人との関係があまり良くないけれど、その罪のゆえではないだろうか」と言われました。そして話しを進め祈りが導かれる中で、家系にブラジルの降霊術があることがわかりました。それはアフリカから入ってきた降霊術でそのために断ち切りの祈りをしました。ご主人とも一緒に祈ることを勧めましたが、奥さんの話では、ご主人はまだ祈る気にならいないようでした。ですから奥さんとだけお祈りしました。しかし、神様はそのことを通してインターナショナルの群れの中に解放の働きを広げてくださいました。次の週には、ご主人が祈って欲しいと言って、私の所に来て下さいました。話しを聞いていると、その方は日系人であり沖縄の出身の方でした。そしてユタという降霊術をしている霊能者の家系であることがわかりました。そのことについて断ち切りを祈りしました。そして最後にその夫婦と一緒に祈ることができました。それから数日後、その家族が教会に来る途中、奥さんにある女性の友人の顔が浮かび、どうしてもこの人の所に行かなくてはならないと思ったそうです。その方は以前教会に来られていましたが、いったんブラジルに帰られ、日本にもう一度来たときは教会から足が遠のいて、長い間来ていない状態でした。その友人の家に行ってみると、その方は泣きながら「もう死んでしまいたい」と言っていました。訪問した夫婦が「とにかく教会に来てください」と勧め教会に一緒に連れて来られました。そして私がその方のためにお祈りさせていただきました。すると、前の夫婦と同じように、その方にも家系に降霊術の問題があり、夫婦関係に問題がありました。そしてお祈りさせていただいたところ、また、次の週にその方のご主人が祈りを求められて教会に来られました。そして同じような解放が3週間ほどの間に大勢起きました。このことを考える時に、悪魔によって多くの方が縛られているのですが、ひとたびそれが解かれると、次から次へと解放の業が広がっていくことを見せていただきました。『エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで…』とあるように、福音宣教の業が拡大しているのを見ることができました。

 先週からアメリカから来られた方が日本で祈っていることを見る時に、私たちは未来のことがわからないので、彼らが来られて祈られたことが偶然かのように思いがちですが、神様の側では、永遠の時の流れの中で、今この時に必要な祈り手として兄弟姉妹を送って下さっていると思いました。そして悪魔の働きを打ち砕く働きをともにしていることを信じることができました。イエス様は福音を宣べ伝え、全世界に拡大することを願っておられます。現在飛行機などのインフラが発展し、インターネット環境をはじめとする情報網が整備されていることなど、私たちが世界的な視点で福音宣教する環境が、一昔前では考えられないほど備えられています。更に神様のみこころを実行する者でありたいと思います。

 四月の終わりからラジオ伝道がスタートしました。私と岡本司兄が担当し、毎週木曜の午後八時十分から三十分まで行っています。初めての試みで何もわからずに始まってしまったという感じもしていますが、毎週スタジオに行き、人々に何とかして良いかたちで神様についてお伝えしたいと思っています。今から、先週の放送を少し聞いていただきたいと思います。(五月十九日放送分の初めの対話部分を聞きました。新城教会のホームページ上で過去の放送を聞くことができます。 http://www.shinshiro-church.or.jp/ )

 ラジオ放送では、スタジオに女性のパーソナリティーの方がおられ、一緒になって番組を制作しています。その方はクリスチャンではありませんが、放送を通して神様はどんな方であるか、教会が楽しく良い所であると言うことを伝えようと、いろいろ気を回して番組の進行を手伝って下さいます。他にもディレクターやオペレータの方が協力して下さっています。ぜひラジオ番組のために祈って下さい。放送が五回過ぎましたが、まだ慣れないところがあります。また三人でトークをしているので時々かみ合わない時があります。話の腰を折り合ってしまうことやパーソナリティーの方とちぐはぐすることもあります。前半のトークはほとんどアドリブでやっているので、どこへ行ってしまうのだろうかと心配する時があります。しかし、神様に導かれて一人でも多くの方が、教会へ一度訪れてみたいと思われるようなものを作り上げていきたいと思います。一般的な人には、教会は得体の知れない場所というイメージが多いと思います。またクリスチャンだと聞くと、仏教徒や神道ですということに比べ、少々特殊な宗教に入っているように思われることがあると思います。しかしこの番組を通して一番願わされていることは、聞かれている方が、教会に行っている人がどんな人であるか。そして教会は楽しいところであり、神様について自然な印象を紹介することができたらと思います。ラジオ番組を制作するに当たり、ヨハネの福音書三章十六節の御言葉が与えられました。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

これは「聖書の中の聖書」と言われる言葉です。聖書は何千年もかかって、たくさんの人々が書いたものが一つになったものです。文字もたくさんあり、分厚いものですが、聖書に書かれていることを一言で表すならば、この御言葉であるというような重要な御言葉です。『神は、実に、そのひとり子をお与えくださったほどに、世を愛された。』とあります。「世」という中に私もあなたも含まれ、あなたがた一人一人を特別に愛してくださっていると神様だと、よく紹介されます。この「世」とは、すべての人が含まれますが、これは自分も含め罪にまみれて汚れている人々のことです。私たちが世間を見渡し、その中で起きている出来事を見る時、どうして人間がそんなことをするのだろうかと思い、信じられないような罪と汚れに満ちた事件がしばしばあります。それを目にする時、私たちは顔をしかめ目を逸らしたくなります。しかし、神様がこの世に対して与えられているものは愛です。もちろん神様は、罪は愛されません。罪を犯すことがない、絶対正義の御性質を持っている方が、私たちが信じている神様です。他に比較することができない唯一の義なる方です。しかし、その神様が世を愛されたということは、どういうことなのでしょうか。神様は私たち以上に罪を憎まれ、罪をごらんになったら顔を背け、お前たちを拒絶すると、絶対的な権威で葬り去ることができる方です。しかし神様はそのようにはされません。罪にまみれて汚れたこの世の私たちひとりひとりを愛して下さり、聖い神様ご自身が身代わりになって私たちの罪を背負って十字架の購いを下さいました。

『…それは、御子を信じる者が、滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

と記されています。愛の神様です。その愛は、人間同士の比較の中で生まれ、互いの間ににある愛ではなく、絶対的な愛です。私たちは、その愛をもってあなたがたもこの世に出て行き、手を差し伸べなければならないと教えられました。ラジオ番組ではクリスチャンではない方々と一緒になって放送しています。その中では、私たちが提供する色々なことを彼らの視点で見つめ、彼らの意見を持っておられます。そして打ち合わせをすると、助言もしてくださいます。この世の人々は、私たちとある意味で価値観や考え方が違います。しかし、その中に入っていき、世の中に電波を持って福音を伝えるとき、そのような愛をもって彼らと共に奉仕していきたいと教えられます。神様が全世界に出て行きなさい。エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、地の果てにまで…と言われる中に私たちはおり、その拡大する中でひとりひとりに役割があり、そして神様の愛でこの世を愛するようにと教えています。

 私たち夫婦の共通の知り合いのご家族があります。その奥さんが、今年二月の中旬に突然調子が悪くなりました。それは精神的な病と見られるものでした。私たちはそのことを聞いて祈っていましたが、何日間か後にその方の家を訪問しました。訪問してみると、家の雰囲気が違っていました。ちょうど奥さんが一生懸命仏壇を拝んでいるところでした。そして、ご主人は奥さんのことが心配で一時も目が離せずに、奥さんと一緒になって拝んでいました。仏壇が終わると隣の神棚の前で拝んでいました。私は彼らに語りかけましたが、見向きもしないので、少し離れたところでしばらくその姿を眺めていました。ひとしきり拝んだ後でその方々が気付いて振り向くと、「雅也くん、来てたの?悪いところを見られちゃったわね」と、とまどうように言いました。彼らは私たちがクリスチャンで偶像礼拝をしないことを知っていたので、このように言ったのです。私は、「どう?元気?ちょっと一緒に話さない?」と言って居間に入りました。話していると、やはりいつもと違うのです。そして、このことが彼女の精神的な問題ではなく、霊的な問題であることがわかってきました。というのは、その家は大家をしていますが、その時期はおじいさん、おばあさんの命日があり、彼女は「命日だから拝まなくては」と言っていました。そして、「そう言われたから…」というのです。彼女は目に見えない誰かにせき立てられて仏壇や神棚を熱心に拝んでいたのです。私は「本当の神様がそう言うなら良いけど、偽物もあるんだよ。そして偽物の声を聞くと悪いことになるよ。」と言いました。彼女は「雅也くん家はクリスチャンだから良いけど…私の家はこれだもの。」と手を合わせて自分の家の宗教が仏であることをアピールしました。そして何を聞いても、「鎮守の神社を拝まなければ、地の神様も拝まなくては…」と偶像礼拝にばかり気を向けるのです。私は、これは偶像の背後に働いている悪しき力があると思いました。しかしこちらの意見は受け入れてくれず、取りつくしまもありませんでしたので、最後に「あなたが、あなたに語りかけている声を正しく聞き分けることができるようにお祈りしても良い?」と聞きました。すると「いいよ」と言ってくれたので、その夫婦とともに手をつないでお祈りしました。それから三日間ほど彼女は調子が良くなり、私たちは感謝していましたが、その後また悪くなってしまいました。しかし、今度は状況が変わっていました。彼女は「雅也くんに会わないといけない。教会に連れて行って…」と言い出しました。そしてその夫婦と一緒に教会に行き、滝元順先生に祈っていただきました。話してみると、このような状態になったのは今回が最初ではなく、2回目であるということがわかりました。前回は、その方の実家近くの川の橋上で声が聞こえたというのです。それは早く亡くなられた彼女のお姉さんの命日で、墓参りの後帰る時に、橋の上で「川に飛び込んで死ね」という言葉を聞いたそうです。彼女はその言葉に恐怖を覚え、卒倒し、気がおかしくなり、入院してしまったそうです。その方の実家は、先ほどの外国人と同じ、霊媒師ユタのいる南の島でした。そしてやはり、彼女の家系にも霊媒師が存在していました。私たちはそのことを聞いて彼女のために断ち切りの祈りをしました。ちょうどその島にリバイバル神学校の卒業生が教会をしていたので、連絡を取り地域を祈って欲しいと要請しました。するとその先生が「私はなぜか最近その場所が気になっていて、つい最近祈りに行ったところでした。」と言われました。私たちは、ちょうど祈って下さったことによって今回の解放に導かれたことを思わされました。彼女は祈りを受けて涙され、最後は抱きつかんばかりに喜んで帰って行かれました。次の日には、ご主人も来られて一緒に祈りました。彼女の顔は昨日とは全く変えられてニコニコして来られました。彼女は死の恐怖に脅かされ、色々な偶像をもっていましたが、それらを「処分してください」と持ってこられました。ご主人は、表向きは信心深くないように見られましたが、毎年行われている設楽原の戦いの戦没者を供養する、「火おんどり」という祭りに青年団長として参加していました。死者を礼拝するという祭りです。「死」というテーマが家族の中にあり、彼女を死へ誘っていることがわかり、断ち切って祈りました。それから奥さんは全く解放され元気になられ、悪魔に脅かされることもなくなりました。そんなことが私の身近にありました。新城で彼女のために祈り、遠い南の島に電話をしたらそちらでも祈られていました。神様は地域を越え、時間を超えて働かれているのを見ることができました。神様は生きて働かれている方。日本の町々を見る時に、本当の神ではない偽りの神々が拝まれていますが、比べることができない唯一の絶対者なる神様はそれにも増して力強く働かれているのを見ることができます。私たちが神様に信頼し、聖書の御言葉を信じて祈って行っていく時に人々が解放されていきます。聖書の御言葉も神様の絶対的な言葉として何千年にわたって存在しています。

『草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。』

とありますが、神様は時間を超越して働いて下さいます。私たちが神様に信頼して人生を聖書の御言葉に従って歩む時、私たちは祝福されます。永遠に変わらないイエス様に基準を置いて生活していくことが大切だと思います。いつまでも変わらない神様をどこまでも信頼していきましょう。お祈りします。


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