「Living water!」 〜Jesus 最高!!〜

2005.6.26(SUN)
草加神召教会 天野弘昌牧師

新約聖書 ヨハネの福音書4章3節〜 18 節
主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」

 おはようございます。素晴らしい主の教会に、もう一度来させていただいたことを感謝します。ここには、ご家族が多く、お子さんたちが多く、将来有望な青年たちいることを感謝します。この教会こそ、日本をリードする、イニシアティブをとっている教会であると思っています。日本の教会の中で、これだけ素晴らしい教会が建てあげられていることは、日本において希望があると思います。ここに集まっている皆さんにとっては、これが教会だと単純に考えておられるかも知れませんが、私は日本全国の色々な教会に行かせていただくと、今は多くの教会が戦っています。そんな戦いの中にある教会が、やがてこのような教会になり、また更に、主が私たちに教えてくださり、聖書的な教会が次々と作られることを願うものです。

 ヨハネの福音書四章には、「生ける水」という言葉が書かれています。今日のメッセージに英語でタイトルを付けるならば、「 Living water! 」そして副題を付けるならば、「 Jesus 最高!!」と付けたいと思います。

 私はイエス様が大好きです。誠の神であるイエス・キリストこそが、私たちにいのちを与え、私たちを救うだけではなく、この地上の生活の中でも、豊かな祝福を与えてくださる方です。このイエス様を皆さんにご紹介するために、今日この礼拝がささげられていることは嬉しいです。

 私が今開拓、牧会伝道をしているところは、埼玉県草加市です。何人かの方が「そうか … 」と納得されていると思います。その町の有名なものは、草加せんべいです。私は埼玉県草加市に遣わされたときに、私はシティボーイ、アーバンボーイという所に生まれ育ったように思っています。私は埼玉県に遣わされるとき、少しがっかりしていました。しかしそここそ、もっとも素晴らしい場所になりますようにと願って行きました。そして私の恩師である牧師が「埼玉県の草加には川があるよ」と言ってくださいました。実は私たちが住んでいる東京には川がなく、海もないので水にあこがれていました。だから教会の名前を「リバーサイド・チャーチ」あるいは、「リバーサイド・チャペル」とつけました。私は川を見てからつければ良かったのですが、見る前につけたのがちょっと違っていました。行ってみると驚きました。川がすごく汚く、黒いのです。レバー色のような川でしたので、「レバーサイド」と名前を変えたいような場所でした。しかし今、私は感謝しています。「リバーサイド」とは、ちょうど生ける水が、川のごとく流れていく場所があると思いながら、エゼキエル書四十七章にある御言葉を思いました。「くるぶしでもなく、腰まででもない、泳げるほどの水が神殿から流れる所となる。」とあるように、リバーサイドチャペルで良かったと思います。

 私たちの教会から、いくつかの開拓伝道所ができました。岡山県津高に神様が導かれました。そこは元、お好み焼き屋でしたが、その場所は近くに川があります。ですからそこもリバーサイドという名前を付けました。このことは聖書的な神様のご摂理があるようにも思います。

 ヨハネの四章に、イエス・キリストがわざわざ、サマリヤという地を通って行かなければならなかったと書かれています。イエス・キリストは、目には見えませんが確かに生きておられ、「この新城を通っていかなければならなかった」と読み取っても良いと思います。一人一人の心をイエス様がノックしてくださり、今日特別に主イエス様が触れてくださり、そこを通ってくださると思ってください。

 そのサマリヤという所に、一人の女性がいました。その女性は問題を持っていました。渇いていました。特に人生に疲れ果てて、弱り果てているように覚えます。サマリヤの地は、ユダヤの地のように選ばれた場所ではなく、サマリヤは異邦人の町でした。イエス様がサマリヤの女に、「井戸の水をわたしにください」と言いました。おそらくイエス様も喉が渇いていたのかも知れません。しかし、聖書を読むと、女は心の内に渇きがあったのではないかと思います。

 お笑いの人気タレントの明石さんまという人がいます。彼がまだ駆け出しの頃、生活がままならなかった時に、コーヒー・ショップでアルバイトをしたそうです。アルバイトもまだ駆け出しで、あまり慣れていませんでした。そんな時にオーナーから頼まれて留守番をすることになりました。そこに一人の紳士風の男性が現れました。お客さんが椅子に座って、メニューを指さして、「ウィンナー・コーヒー・プリーズ」と言ったそうです。そこで彼は厨房に行き、コーヒーを入れました。お客さんがウィンナーコーヒーだと言うので、コーヒーを注ぎ、長細いものを冷蔵庫の中から出して来てコーヒーの中に入れてお客さんに出しました。「ウィンナーコーヒーをお持ちしました」すると、お客さんは、「良い香り … 」と言い、中に入っていた長細いものを食べては、飲み、食べては飲み … そして「おいしい!」と言って、お金を払って帰ったというのです。これは現実にあった話です。

 これは何を意味しているのでしょうか。明石さんまも、紳士風のお客さんも「ウィンナーコーヒーの実態を知らなかった」ということです。知らないことは怖いということです。知らないことは本当の意味で、怖い人生になります。大変な人生になります。

 実はサマリヤの女性も、イエス・キリストを知りませんでした。そのために、彼女は大変な生活でした。時にこの女性は真っ昼間の暑い盛りに、水を汲みに来たのですから、人目をはばかっていたのです。彼女は人の目を気にするような生活の空間を持っていたのです。この箇所を読んでいくとよくわかりますが、イエス様はその問題を取り扱っています。サマリヤの女の記事は、しばしば、カウンセリングの時に引用されます。サマリヤの女は非常に心傷ついていました。この日本を考えると、同じような現実が日常茶飯事にあるように感じます。昨日も、男兄弟同士で殺し合いがあったり、最近は夫婦、親子の間にそのような悲惨な問題が多発しています。また、現在、社会問題になっていることは、多くの青年たちが引きこもっており、「ニート」と呼ばれる人が増えています。それは結婚もせず、仕事にもつかないという人です。あまりにもそのような人が増えていますし、色々な問題があります。三万数千人が自殺をしたり、自殺サイトがあり、見ず知らずの人が一緒に、自殺をしてしまうという現実があります。

 また地域の中にも、色々な現実があります。とりわけ、依存していることがたくさんあります。薬物依存、アルコール依存、また性的依存、パチンコ・パチスロに依存してる人もいます。また最近では、ネット依存症というコンピューターがなくてはならない、というような人もいます。なぜそのようになってしまったのでしょうか。明確に聖書は言っています。それは、私たちが知らなければならない、本当の愛、イエス・キリストから流れ出る、本当の愛を知らなかったために、真の神様を知らないがため、多くの深刻な問題が起きていると思えます。皆さんの周りはいかがでしょうか。

 最近、私たちの教会に来ている、一人の男の子がいます。その男の子は、学校でいじめに遭いました。そのいじめは非常に狡猾でした。彼の学校は進学校の一貫教育で、彼はその学校に優秀な成績で入り、優秀な成績をおさめていました。それが原因なのか、友達からライバル視され、いじめられました。その結果、彼は登校拒否になってしまいました。彼のご両親は有能です。奥様は東大の名誉教授の家系した。またご主人は医学部を出られ病院を開業されている方です。しかし医学では治すことができない病気のために、彼らは追求していました。どこに行っても全く直りませんでした。そして教会に尋ねてきて、イエス様と出会い信じました。そして洗礼を受け、永遠のいのちの書に名が記されるだけではなく、その病も癒されてきました。今は奥様も、イエス様を信じるための聖書の学び会に来られ、もう間もなくイエス様を信じて素晴らしい家族になるということを、私たちは目の前に見ています。こんな事をしてくださる方は、誰でしょうか。それは、主イエス様です。その他、色々な問題を持っておられる方が、私たちの教会に来ます。今までは教会に寄りつかないような方がたくさん来られています。

 最近できた教会は、元ホストクラブであった所にできました。ホストたちが、イエス様を信じて救われました。彼らはサマリヤの女ではありませんが、渇いていました。彼らは背が一八〇センチくらいあり、格好良いです。ゆえに、多くの女性を誘います。多くの人を誘って店が繁栄していましたが、やっているホストたちは、心がカラカラに渇いていました。どんなに頑張っていても、彼らの心の内は渇いており、何のために生きているのかわかりませんでした。お金を稼いでいても、自分の内面・心が満たされないことがよくわかっていました。彼らに伝道すると一人のホストがまず救われました。イエス様を信じました。すると彼は変わりました。元々とても気の小さな人が、とても元気で大胆になるほどに変わりました。その結果、ホストがホストに誘われ、多くの人が救われました。彼らはとても伝道が上手です。そして女性たちも大勢救われています。神様は、人生がマイナスであっても、マイナスをプラスにしてくださる方です。

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

 神様は良いことをしてくださいます。ギリシャ語だと、マイナスの人生にマイナスをかけてプラスにするという意味があります。生活の空間、個人的な状況を見るときにマイナスと思うことがあるかも知れません。しかし、イエス・キリストは、このマイナスを放っておかれません。マイナスを見ると、そのサマリヤにまでわざわざ行かなければならないという、非常なパッパッショネイトな、ラディカルな神の愛、それは大胆にその人を追い求め、イエス・キリストを伝えたいという、愛の持ち主は元々イエス様です。だからイエス様は、サマリヤの女の所に行きました。しかしサマリヤの女は、イエス様のことがよくわかりませんでした。それはイエス様の愛を邪魔する覆いがあったからです。それを取り除かなければなりませんでした。その質問について明確に書かれています。それはある意味では、この女性にとってつらい言葉でした。特に四章十六節の括弧の中に、

『「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」』

とあります。この女性にとって「夫」ということは大変な、隠しておきたい問題でした。ユダヤの歴史では、不倫をしたら石打ちの刑で殺されてしまいます。もし今日本にこの法律があったらどうでしょうか。どのくらいの方がお亡くなりになるのかわかりません。そのような罪を持っていました。それゆえに、イエス様は真の愛、イエスにおけるところの平和、喜び、人生の勝利を与えたかったのです。しかし、それを邪魔しているものをまず取り除かなければならない、その問題にメスを入れて大手術をしなければなりませんでした。その問題が夫の問題でした。イエス・キリストは、明確に、私たちのことをすべて知っておられる、全知全能の神です。四章十八節に、

とあります。もしも、皆さんの隠れたマイナスの要因が指摘されたらどうでしょうか。「あなたには、このような問題があります」と言われたら、穴があったら入りたいという大変な問題です。その問題を解決しない限り、真実なる真の神の愛がわかりません。その結果、この女性はうろたえたと思います。「この方はただの人ではない、ここでは預言者だ」と思うほどに、人知を越えた何らかの力ある方であるとわかりました。もしかしたら、この女は、将来的にサマリヤの地に大きな影響を与えるような、真のイエス・キリストを知ったゆえに、作りかえられるわざを受けたのではないかと思う箇所がたくさんあります。この女性は、イエス・キリストに出会ったために、大きな変革を得ました。彼女がどうにもならないという状況を、イエス・キリストはわずかな時間で変えてくださいました。

 私はこの記事を見るときに、日本にも一人一人にイエス様が訪れてくださり、その治療をしてくださるように願います。特に、神の愛に蓋をし、邪魔をしているものを取り除いてください。

 教会というと、結婚式やクリスマスがよく知られています。そしてその価値観は違っています。若い人が教会を訪れるときに、多くの人が結婚式を目的にしています。

 私の教会には宣教師がたくさんいます。その宣教師は、結婚式をして稼いでいました。彼は日本語ができるのですが、なまりを持った日本語で結婚式をすると花嫁がとても感動するそうです。それで稼いでいました。また、教会にはクリスマスだけに来られる方がいます。私の教会で「ゴスペル・クリスマス」という集会をしました。すると、一六〇〇名のイエス・キリストを知らない方々が集まりました。そしてこの一六〇〇名の方々は、イエス様を知りたいから集まったというのではなく、クリスマスだから良いということで来られました。このような日本は悪いことではありません。良いきざしを感じますが、私がもっと言いたいことは、私たちは毎日の生活の中でクリスマスを味わえるというか、毎日めでたい正月を味わえる、毎日の生活の中でイエス様に出会うならば、最高の人生を送ることができます。私は体験しました。私自身だけではなく、私たちの教会に、そのような方がたくさんいます。「もう駄目だ、どん底だ」という、完全に断崖絶壁という人が、イエス様に出会い、「イエス様、最高!」とイエス様を賛美している方がいます。

 私の友人の中にこのような方がいます。彼は韓国人ですが、今日本人のための牧師をしている方です。韓国には、教会がたくさんあります。日本のネオンはパチンコ屋のネオンが多いですが、韓国に行くと十字架の赤いネオンです。どこに行っても十字架です。

 最近私たちの教会の近くに、野良猫軍団がおり、その一匹が教会の傍らにいます。この猫を皆でかわいがっていました。猫嫌いな人もいるので教会の中には入れず、いつも外でかわいがっていました。その猫は餌が食べたいときによく来ます。その猫ゆえに、素晴らしいことがありました。その猫が招いているかのように、猫ゆえに通りかかる多くの人が教会の人と話すようになりました。いろいろな人生の悩みを相談するのです。私たちの教会は夜遅くもやっています。そのために、音が少し外に出てしまうので色々なことを言われ、夜中に教会に電話が来ることもありました。しかし猫をかわいがっているということで、そのように訴えの電話をされていた人から、「教会の人はいい人ですね … 」と言われ、私にも挨拶をされるようになり、それ以来、騒音問題で一度も文句を言われなくなりました。私は、このように教会は毎日色々な人が悩みを相談し、いつも招かれる所だと思います。最近、私の教会の近くできた寿司屋に行くと、にこやかに大きな声で「いらっしゃいませ!」と言ってくださいます。私もそれが聞きたくて、忘れ物をした振りをしてまた入ったことがあります。教会もそのような場所でありたいです。毎日の生活の中で、このような苦しみを持った人が来ることは、非常に大切だと思います。

 この韓国の友達が私に、素晴らしい証をしてくださいました。韓国にいた頃、教会がたくさんあり熱心でした。キャンプに行ったそうです。彼は生涯を神のためにささげたいという思いでした。すごい神の愛で満たされて、情熱的でした。それで彼は献身し、バイブルスクールに行き、将来伝道師、牧師になりたいと招かれて来ました。その時に彼は祈りの中で神様に、「自分の身をささげます。あなたの行けと言われる所には、どこにでも行きます」と祈りました。神の愛に包まれて、神様の愛に押し出されて決心したそうです。その時に神様の御声を聞いたそうです。それは、「 Go to Japan! 」という言葉でした。

 その時に彼の内側が騒ぎました。彼は韓国人で、今問題になっているような、反日の教育を受けていました。しかしそれだけではなく、彼の幼い頃の記憶に戻されました。彼の父親は牧師でした。日本は恐ろしい侵略戦争をしました。戦時中に日本の憲兵が来て、「日本の信じるところの神をとるのか、あるいはキリストをとるか?」と問われました。すると多くの牧師は、「真の神イエス・キリストをとる」と言いました。その結果、殉教しました。彼の父親は彼の目の前で八つ裂きにされました。血を流して父親の悲鳴声を聞きながら、自分の内側に憎しみと憲兵に対する恨みを押し込めて、彼の内側は日本人を憎んでいました。彼のそんな辛い経験の中で、神様から「 Go to Japan! 」と言われました。

 この男性は、どのように反応したでしょうか。神様と問答し、格闘しました。「神様、私はどこにでも行きます。でも、ただ一つ、日本だけは勘弁してください。私は日本にだけは行きたくないです。なぜならば、あなたはご存知です。私の愛する牧師である父を、あの日本人が殺したのです」と神様に訴えました。しかし神様は彼に更に問いかけました。「わたしのためにどこにでも行くと言ったのだ。あなたの行くべき所は日本だ」とずっと迫られました。彼はそんな非常に辛い取り扱いの中で祈っていました。すると、神様の成されることは素晴らしいです。彼は祈りの中で、不思議な幻をみました。その幻はどのようなものでしょうか。

 彼の前に、ゴルゴダの丘で十字架にかかられているイエス様の場面が出てきたそうです。十字架にかかられて血を流し、肉を裂き、頭にはイバラの冠をかぶせられている姿を目の前にしました。なぜ、イエス様をこんなふうにひどい目に遭わせるのだ。ひどい!と当時のユダヤ人たちを責める思いでその現場にいたのです。

 ところが、そのイエス様がもう間もなく死ぬという苦しいとき、一人の男が十字架に向かって来て、イエス様を八つ裂きにしようしている姿を見ました。その時、彼は「なぜ、そんなことをするのだ」と思いました。そして、その八つ裂きにしようとしている男を赦すことができないと思いました。

 しかしその男が、矢庭に後ろを振り向きました。するとその男は、自分でした。「私はなんでイエス様を殺そうと矢を持っているのでしょうか。そんなはずはない。私はイエス様が大好きです。イエス様にいのちをかけようと決意しているのに。」

 すると、イエス様の細き御声を聞きました。「あなたは日本人を恨み、憎んでいるのはわたしに対してだ。わたしを恨んでわたしを殺そうという思いがあなたにはある。だからわたしは、この幻をあなたに与えた」と言われました。

 彼はその声を聞いたときに、自分の深い罪は、真の神イエス様への罪であると聖霊なる神によって教えられました。彼は涙して悔い改め、私はすべての人を愛さなければならないと書かれている聖書、そして、隣人を愛さなければならないと書かれている聖書の例外を作っている。日本人だけは … と思っていたが、それは目に見える兄弟を愛さずして、目に見えない方を愛することはできないということであったと、彼は悔い改めました。サマリヤの女にも、そんなことがあったのかも知れません。彼は悔い改めて「主よ赦してください。私は主のために何でもします」と決心しました。その時から、彼は日本人に対する憎しみも痛みも、また自分のマイナス的な苦みも、すべて変わってしまったというのです。イエス・キリストにはできるのです。私たちにはできないことがあります。しかし神にはできないことがありません。この人はその日から聖霊によって、日本人が大好きになりました。そして多くの韓国からの宣教師は韓国人伝道のために日本に来たが、自分は日本人のために教会を建てあげていくといって、素晴らしい働きをしています。

 イエス様にある時に、私たちは何でもできます。このサマリヤの女は、そんな経験をして生ける水を飲みました。いつまでも渇くことがない、生ける水を飲みました。いつまでも魂、心を渇かすことがないリビングウォーターを飲みたいと思いませんか。この朝、それを与えてくださるイエス様が皆さんに働いておられます。

 先日、私はかつて努めていたアメリカの銀行の同窓会の案内をもらいました。私は当時イエス様のことを直接言い伝えるよりも、銀行員としてたくさんのお金を稼いで教会に少しでも貢献したいと努めていた者でした。しかし神様にあって、先ほどの韓国の先生が日本に来られたように迫られました。「わたしのために何かしてくれないか」と言われました。私は神様を愛していました。何かをしたいと思っていました。だから私は銀行員として頑張ると自分に言い聞かせるように、神様の御声に恐れていました。そんな仲間たちからの案内でした。

 献身していなかったならば、私はもしかしたら、この地上にはいなかったかも知れません。なぜならば、私が勤めていた銀行はツインタワーの中にありました。九・一一事件。その中の一人の救出劇は、テレビでも放映されたように天使に導かれ、彼がクリスチャンであったゆえに助けられました。多くの私の友人は、何の不自由もない生活をしていました。家庭も問題がないわけではありませんが、ある程度の生活をしていました。しかしあの悲劇に出会いました。人生は何が起こるかわかりません。その中の多くの方イエス様を信じて、私の課は六十パーセントがクリスチャンでした。何人もの方が宣教師になられました。それは真実なる真のイエス様を求めて、身をささげてきたのです。

 皆さんはいかがでしょうか。あなたの生活、職場、家庭、学校など、今多くの人が真のイエス様を知らないで、さまよい、渇いています。真理が見ない、光が見えないからです。まるで盲目になって目が見えない人が町を歩くような状況です。どこに本物があるのか求めています。このサマリヤの女は渇いていました。それゆえに、イエス様が遠回りして、サマリヤの女に出会い、彼女の人生、一番知られたくないところまで癒され、神の本来の計画のために用いられました。あなたの人生を振り返るときにどうでしょうか。本当はすっぽりと包まれたい愛が欲しいのに、そうではない、裏切られてしまう、しかし移り変わるものを求めていた、あるいは満たされないところを、何か別のもので満たそうとしていた。もしかしたら、何か別の宗教にはまり、時には偶像崇拝の中にあったかも知れません。また、中毒症状に陥るようなものに依存していたのかも知れない。一時は紛らされますが、また時を過ごすとむなしさとやるせない思いで、どうしたら良いかわからないというような方がいるかも知れません。今日イエス様は、あなたを無条件の愛で愛されています。今この社会では「あなたは愛されるために生まれた」という歌がはやっています。あなたの存在そのものを神はまるごと愛されておられ、何かができるからではなく、何かを持っているからと言うことではなく、あなたというかけがえのない存在、あなたはあなたでしかこの地上にはいない、また歴史の中でも、あなたはあなたしかいません。そんな方を今日イエス様は求められています。そして今日、あたなに本当の愛を注ぎ、サマリヤの女が変えられたように、あなたの人生を素晴らしいものに変えてくださいます。あなたと神様だけの関係の中で、心の中を探っていただきましょう。神様は十字架にかかられるほどに、あなたを命がけで愛されています。この方こそ、あなたの人生を保証してくださいます。決して失望に終わらせない方です。また、一人にして孤児にされない方です。いつも共にいてくださるのです。辛い時、悲しい時はイエス様が背に担ってくださって、歩んでくださるのです。イエス様を知ってからの人生、一度も裏切られることのない、いつも主が共にいてくださり、心を満たして祝福してくださったと、声を大にして証ができます。今日、私たちの人生を変えていただきたいと思われる方は、神様を信じましょう。この方に希望があります。この方こそ、私たちに将来を与えてくださいます。もしかして、今あなたは辛く、苦しいかも知れません。でも、大丈夫です。この教会はあなたのその生活を変えてくださる拠点となります。私の教会にも、人生の半分は大変でしたが、残りの半分は最高と言われる方がたくさんおられます。お祈りします。

「愛と恵みに満ちておられる天のお父様。この朝、イエス様がどれほど愛に満ちた情熱的な方であり、誰一人見捨てることのない、そのままでいて欲しくないから今日新城にあなたが来てくださり、一人ひとりの心のドアを叩いてくださったことを感謝します。正直に心を開き、裸になるときに誰もが結構惨めな生活であったり、むなしく、大変な中で自分でしっかりしなくてはと頑張っていますが、本当は力を緩めたら投げ出してしまいそうと言われるかも知れません。今朝、主イエス様が心のドアから入ってください。そして素晴らしい生活、人生、生涯へと変えられていくことを感謝します。今日がスタートであり、最高のスタートを切ることができるように。一歩一歩が素晴らしい人生になりますように。人生を導いてください。どうか正しい聖書的な学びをいただき、永遠のいのちに至るまで祝福された人生へと、この教会を通して導いてください。目には見えませんが、生きておられるイエス様が、共にいてくださって今日から一緒に歩むことができますように。イエス様がすべてのマイナスをプラスに変えてください。今日のこの日を感謝します。一人一人が素晴らしい生活、人間関係、職場、学校など、それぞれの立場で素晴らしく光に照らされたものになりますように。尊いイエス様のお名前によって、心から感謝してお祈りします。アーメン。」


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