在原 繁師 特別講演記録
〜主の声を聞く〜

2005.7.17(SUN)
在原 繁師

ヘブル人への手紙  11 章 6 節〜 13 節
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

 おはようございます。第三期のアルゼンチン宣教を終え、五年ぶりに帰ってきました。トータルで十七年半になりますが、このように新城教会に来ることができたことは大きな恵みであり、神様に感謝しています。私たちは三年半前から、ブラジル国境地に移りました。そこで開拓伝道と教会建設に従事しています。十五年間はパラグアイの国境地におり、パラグアイとミシオネスの両方の宣教を展開していきました。この期間、滝元先生ご夫妻、順牧師もお迎えすることができ、大きな励ましと力を受けました。また皆様には、お祈りと献金をいただき、助けられていることを感謝します。霊的な素晴らしい神の御言葉は、御霊によらなければ理解することができませんので、聖霊の豊かな臨在と導きを覚えて語りたいと思います。今日はヘブル人への手紙十一章の、アブラハムの信仰の生涯から「主の声を聞く」と言うことを語りたいと思います。

 十七年半にわたり、私たちは神様に仕えてきました。アルゼンチンのミシオネスでは、ちょうど日本からいうと九州辺りです。この新城を掘っていくと、コリエンテ州とエンテリオ州の中間に出ます。何もない野原です。それが新城の地の果てアルゼンチンの州です。私たちは一九八八年一月二十四日に、アルゼンチンに上陸しました。そして三ヶ月半ほど、ブエノスアイレスで準備をしました。現地への適応、また一度宣教地ミシオネス州、ブエノスアイレスから約千キロを北方に行きました。そこは、ブラジルとパラグアイの国境にある四国ほどの大きさのところです。そこで家を探しました。向こうの四月は秋風が吹く頃です。現地に行きました。しかしこの十七年間、そして日本における召し受けてからの四年間と合わせてトータル二十一年半は、一言で申し上げると「使徒行伝時代の再現と継続」でした。今も十字架の血潮は赤裸々に働くこと、また主の御霊の働きは顕著であり、今も主はまことに生きて働かれる真実なるお方であるということを、体験する連続でした。私たちの神は真実な生きたお方です。そのような神様の声に励まされ、神様の啓示を受けてアルゼンチンに行きました。

 やがて現地に行くときが来ました。押さなければ動かないような車に乗って、現地に向かいました。列車が鈍い音を立てて出発したときに、私の耳元に一つの言葉が浮かんできました。これは、ブエノスアイレスにいた婦人方が私に言った言葉でした。それは今でも忘れません。「先生、悪いことは申しませんのでお止めなさい」という言葉でした。彼女たちは私と家族を思って言った言葉です。「先生、このブエノスアイレスはパラグアイとミシオネスから逃げてきた人たちが多いではないですか。あそこは遅れていますよ。危険です。何よりもスペイン語と言うよりもガラニー語が強い。また夏は暑い。 ( 約四十五度の熱さす。パパイヤやマンゴーを食べ、背筋をまっすぐにすることによって涼しさを保つことができるという文化があります ) 三人のお子さんをだれが養うのですか。」と言うのです。しかしその言葉を振り切るようにして、私たちは現地に向かって列車に乗りました。私たちが列車に乗ったことは重要なことがありました。今から三年ほど前に、神様が私たちを奥地のサン・ファビエリに行くようにと召し出されました。十五年間住み慣れたポサダスの家は、私たちにとって愛着がありました。ポサダスもブエノス・アイレスも都会です。私の心の願いはやはり都会が良いです。日本は全国津々浦々都市国家です。どこに行っても電話、道路、すべてのものが備わっています。セブンイレブンもあります。ブエノス・アイレスにもポサダスにも、マクドナルドがありました。私たちは都市国日本から行ったので、ブエノス・アイレスもポサダスも良かったのです。しかし神様は、そのような日本と同じような所に遣わされることを目的とされませんでした。それは啓示によった神の言葉を以前から聞いていたからです。二〇〇二年に神様が私たちに、もっと奥地に行くようにと啓示されました。ミシオネスから奥に行き、ブラジル国境地の入り口となるような町がありました。そこはまだ道がないような所です。そこに行くように啓示を受けました。祈りました。神様の臨在を受けました。四十二キロ離れた近くにある教会に行くと、そこの牧師が、「私たちの教会では、今から五十年ほど前から、あのサン・ファビエルという奥地の町に開拓伝道しなければならない、ということで祈ってきました。しかし教会は小さく、貧しくその力がないので、ずっと三代の牧師によって祈ってきましたが、開拓することはできませんでした。」と言われました。その時に、サン・ファビエルに行くのは、私たちの使命であると確信し、その牧師とともに祈るようになりました。サン・ファビエルの町はわずか五千人の町です。

 その町に行く決心をした時から、私の妻が病気になりました。三日間、四日間と私の妻は偏頭痛が治りません。転げ回るようにして苦しみ、どうして良いかわかりませんでした。医者に連れて行きました。すると医者は集中治療室に入れ、薬を投与し出しました。「どうでしょうか」と聞くと、医者は「こうしましたが、たぶん駄目ではないか」と言われました。そして私は非常に愕然とし、私の妻のことは、ほぼあきらめていました。すると、近くの牧師が祈りに来て、「パストール在原、これは霊的戦いだ。あなたがサン・ファビエルに行く決心をしたときに、これが起こった。これは霊的な戦いなので、祈って直そう。」と言って、みんなで連鎖祈祷を始めました。そして私の妻は癒されました。

 私たちが住んでいるミシオネスは、イスラエルや四国と同じくらいの大きさです。実はこの町のために立ち上がった牧師がたくさんいました。教団教派の壁を越えて、手を取り合おう、互いに非難や中傷をやめてこのミシオネスのリバイバルのために立ち上がろう、という牧師たちの評議会が約九年程前から始まりました。私もそのメンバーとして仕えさせてもらいました。ところが後でわかったことは、この八年間に渡り、評議会の牧師たちの五名が殉教しました。アリストゥロという場所で転落しているという事件、殺されたというよりも全部車の事故でした。しかしある時、四人目を過ぎたときに、この事故は単なる偶然ではなく、霊的な戦いであり悪魔のアタックであるということが段々、わかってきました。それで私たちは互いに愛し合い、組織的に祈り、また連鎖祈祷をして祈りによって十字架の下に守られていかなければならないという、結論に至り祈り出しました。私たちが神様のみこころを行うこと、また主のために立ち上がることとは格好よく見えます。しかし主のために立ち上がるということは、安易な道ではなく、風は逆に吹いてくるということを体験しました。三年前にサン・ファビエルに行こうという時、風は前から来ました。教会を建てようということで地主に会いました。その地主はクリスチャンの方でした。八年間サン・ファビエルに住んでいました。私たちが話しに行くと、その方が私たちを励ましました。「頑張ってください。でもね、あのサン・ファビエルの町には良いものは何もないです。余程力がないと勝てないですよ」と言って励ましてくれました。私たちは意気消沈しました。「何てことを言うのだ」と思いました。その時に人間的な思いでは、やはりポスアダスの方が良いかなあと思いました。また十八年前にブエノス・アイレスを去るときと同じような心境になったことを、思い出しました。

 どうして私たちは二つの声を振り切るようにして現地に行ったのでしょうか。サン・ファビエルに行き三年半が過ぎました。戦いは確かにありました。しかし神様はみわざを現してくださいました。しかしどうして逆風が吹いたのに、私たちは現地に赴いたのでしょうか。それには二つの理由がありました。一つは私が宣教師としての召しを受けたことでした。私は牧師、教師、伝道者として招かれたのではなく、主が私を召したのは、宣教師として行くべきであると召されたということです。日本において、神の声や預言がありました。その神の声と啓示は、私の職務である宣教師とは、現地の牧師や伝道師が入っていくことができない所に自ら入っていき、場所を整えて現地の人に渡すという仕事です。また宣教師は現地の人ができないことを行い、ある程度整えてから、現地の牧師に渡し、また次の所に行くこと、これが神様が与えられた啓示・神の声でした。ですから私はこの召しに忠実にありたい、神様が願われるところで生かして行きたいと思いました。

 第二に、私たち家族が前進をするときに、何が必要かということです。私たちが前進を止めたら死ぬしかありません。前進しなければ窒息してしまいます。特にこちらの滝元明先生は外に行かないと前進しないという感覚の方です。伝道者です。滝元先生が前進しないで家に閉じこもっていたら、どうなってしまうでしょうか。死んだようになってしまいます。自分に与えられた賜物を生かすことができなくなってしまいます。私たちは前進することよって、自分の賜物を生かすことができます。前進することがどのようなことかを聖書的に見るならば、前進することは創造的な人生に生きることです。

 「創造」とは、創り出していくということです。「創造」とは何でしょうか。私は日本に帰ってきて経営学の本を読んでいました。化粧品会社の社長をされた方が書いています。「創造について。私たちの人生は創造的な人生で日々前進しなければならない。創造の創は、創世記の創と同じである。そして創世記の創は、絆創膏の創と同じである。」実は絆創膏の創は「傷つく」という意味です。そして「私たちがもし本当に創造的な前向きの人生を送らなければならないならば、傷つかなければならない。傷つくことなくして私たちは創造的な人生を送ることはできない」と書かれていました。私はそれを読みながら静かに考えました。創造的な生涯、アブラハムは「カルデヤの地から出なさい。あなたの父と母の地から出なさい。私はあなたに約束した神の国の霊的な祝福を与える」と言われました。アブラハムは、創造的な生活に入りました。創造的な生活には血と苦しみと涙があります。実際に私たちのクリスチャン生活を考えるときに、そう思います。たとえば、今から結婚しようと思われる方、愛していると言って結婚するのです。しかし人間は誰であっても、欠点や過去を持っています。その欠点だらけの二人が一緒になり、この二人が夫婦になることは創造的な事業です。今から結婚する方、愛しているだけでうまくいくと思ったら大間違いです。初めの二、三年は良いのですが、欠点だらけで為体の知れない人が同じ家にいることに気づきます。その二人が霊的一致、精神的一致、ビジョンの一致、そして互いに素晴らしい家庭を築いていくこと、そして子どもが生まれて霊的にも精神的にも、知的にもバランスのとれた素晴らしい器にしていくことは、並大抵なことではありません。それは創造的な生活です。滝元先生、上條先生は牧師です。牧師は、クリスチャンたちを作り上げる仕事です。一人が救われ、この方々を立派なクリスチャンとして育てます。霊的、精神的、知的にもバランスのとれた良い器、このクリスチャンたちを構成して神が喜ばれる、霊的な神の教会を創っていくのです。そしてこの神の教会が祝福され、そこからいのちの川が愛知県、全日本に流れ溢れるような素晴らしい祝福をもたらすような教会に形成していくことは、大変なプロジェクトです。私たちが何をすることにも、どんな分野においても創造的な生活をしようと願うならば、傷つくことなしに創造的な素晴らしい御わざを見ることはできません。私と同じ教会から出た親友の野木朗先生には、料理センス、着る物もセンスがあります。ある時私は、「この世の食べ物で最高の商品は何かねぇ。」と聞きました。

 すると彼はしばらく考えて、「在原さん。それはたった一つよ。カップヌードルですよ」と言うのです。カップヌードルはたった百円で買えます。「どうしてか?」というと、「冗談ではない。あれは完全な特許で味が保たれ、温度が保たれ最高の商品です。中の具とスープ、これの上に行く商品は未だにない」というのです。それを聞いたら、私は思い込む方なので、カップヌードルをよく食べるようになりました。私はある時、巡り巡ってビデオが送られてきました。するとカップヌードルについてのものでした。日新が大変な時代から作られ完成して商品化され大衆に浸透するまでの日清食品のプロジェクトを目指した者たちの血と涙と汗と苦労はすごいものでした。一つのプロジェクトを達成しようと思うときには、必ず痛みと苦しみ、血と涙が流されます。教えられました。

 私たちは日本のリバイバルのために戦い、祈ることは楽勝ではありません。ヘブル人への手紙十一章に様々な神の聖徒たちが出てきます。ここに出てくる人たちは創造的なみわざを成し、神の栄光を現した人々です。しかし彼らの生涯は楽勝ではありませんでした。逆境の中、血と汗と涙の苦しみの中で、神の声を聞きながら前進した人々であったということを忘れてはいけません。前進しようとする時に、何が必要でしょうか。

 私は一九八八年にアルゼンチンに行きました。その前の約四年間に渡り、神様から熾烈な訓練をされました。聖書にある神の聖徒たち、モーセ、アブラハム、ダビデ、パウロ、彼らは神の栄光を現すためには一つの行程を通らなければなりませんでした。それは己に絶望するということでした。己はなにものでもない、人間から良きものは何も出ない、すべての良きものは神からであるということを体得させられました。これを私は経験しました。その時の試練は大変なことでした。

 ある時、私の妻が夜中寝ているときに私の顔を触りました。私はとても驚いて起きると、妻は、「嫌だ。日に日に年をとっていく … 」と言うのです。私が召されてから髪が抜けて薄くなりました。私は四年間ですごい年をとりました。「主よ。なぜ」、なぜこんなことが起こるのだろうか。理不尽と思うことがたくさん起こりました。

 甲子園ミッションの前に、この新城教会で起こったことは正に理不尽であったと思います。自分の力に絶望した民が聖霊の力を受けたということです。神様は良きもので満たしてくださいます。御霊に満たされたときに、霊的世界が開かれるということだったと思います。私も同じでした。そのような中で私が前進するために、何が必要かを知りました。ある方は愛、ある方は力、ある方はお金と言われるかも知れません。そして私の場合は、「平安」でした。ヨハネの福音書の中で、弟子たちがユダヤ人を恐れて戸が閉めてあったと書いてあります。その時にイエス・キリストが来られました。「戸が閉めてあった」、「恐れていた」というのは最悪の状態です。

 今年、私が日本に帰ってくると、新しい言葉がありました。それは「ニート」という言葉でした。聞いてみると、「ニート」は勉強したくてもする気力がない。仕事をしなければならないと思っても勤労意欲がわかないというのです。完全に閉じこもってしまう人たちだと言われました。百万人ものそのような人がいるというのです。大変なカルチャーショックがありました。

 その時の弟子たちはまるでニートのようです。過去は罪責感だけです。「主よ」と言った方を裏切った。このお方を王だと思ったが王ではなく死んでしまった。罪責感と失望で希望は何もないのです。現在はどうでしょうか。絶望だらけで破壊が満ちています。未来は希望がない真っ暗闇です。これは神から離れた、神の御霊を受けない人とよく似ており、そのものです。そこでイエス・キリストが現れて、「平安があなたがたにあるように。」と言われました。そしてトマスが現れて信じませんでした。しかし、そこにキリストが現れました。「平安があなたがたにあるように。」と三回言われました。スペイン語で「 tenga la paz! 」と言うのです。「平安を受け取れ」、「平安をもて」というのです。イエス・キリストは、「わたしはあなたがたに、わたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与える平安はこの世のものとは異なる」と言われました。イエス・キリストが与える平安はこの世のものとは違うのです、一生懸命祈り、病が癒されたという平安、これも良いです。借金を返せたという平安、これも良いです。しかし神がくださる平安は逆境の嵐が来る、前から風が吹いてくる、涙の谷、死の谷、叫ぶような苦しみの中にあっても、決して奪われない、上からの平安です。これはどんな状況にあっても、私たちから取り去られるものではないのです。十七年半の私たちの宣教地における体験はこれでした。私は前進する時に戦いの中にあっても、神の平安があるならば、勝つことができると思いました。私が訓練期間で教えられたことはたった一つでした。マタイの福音書に「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」とイエス様が言われました。また「あなたがたはわたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすれば、魂に安らぎが来ます。」そしてその前にイエス様は「すべて疲れた人、重荷を負って苦労している人は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」「わたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすれば、魂に安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」とあります。

 くびきとは何でしょうか。私の住んでいるサン・ファビエルには牛馬がいます。労働用の牛や馬は二頭一緒になっています。二頭をひとつにするために、くびきがはめられています。私はそれを見る度に、かわいそうだと思いました。放してあげたら良いのにと思います。野原で自由に駆けめぐる牛や馬と、労働用の牛や馬とどちらが良いですか。私たち人間の中にはもって生まれたものとして、自分の考えで考え、自分の考えで決断し、自分のやり方でやりたいです。そして人から言われたくないという自由に対する希望が絶望的なくらいあります。ところがそれは人間の考え方です。神の国はそうではありません。もしあなたがたが実を結び、勝利を得、平安を得たいのならば、わたしのくびきを負いなさいと教えています。二頭の牛がいます。右側の牛はイエス・キリスト、左側の牛はあなたや私。右の牛が右に行くならば、左の牛も右に行く。右の牛が止まったら、左の牛も止まるということです。イエスの心を私の心とする。私が行くのではない、右側のイエス様がおられるところに私が行くということです。あくまでも私はイエス様がおられるところにいるのです。私が語るのではありません。ヨハネの福音書を見るときに、わたしは神のみこころを行う、そして神が語ることを私が語るとあります。あくまでも、神様から受け取った御言葉を語ることだとイエス・キリストを通して、聖書が教えている神髄です。その時に豊かな安らぎが来ます。私たちがくびきを負う、そうしたら平安、安らぎ、力が来るのです。これは理論の世界ではなく、体験の世界です。私たちが自分の意志を捨て、野心を捨て、イエスの御心を第一にするときに平安がくるという体験の世界です。これはどうすることもできません。本人がくびきを負ってみなくてはわからないことです。私は日本にいるときにくびきを負うこと、従順の信仰、イエス様と共に歩む信仰教えられて、現地に行きました。この平安はいのちとなって流れ、私から去ることはありませんでした。

 滝元先生がアルゼンチンに来られました。個人的に話しました。甲子園ミッションの前に祈りの必要を感じて山に登られました。何かが足りないと思い、祈ったと言われました。一日、二日、三日目くらいに神様が静かに語られたといわれました。「あなたはあなたを迫害した、あなたのことを悪く言った人たちを赦しなさい」と言われました。先生は重みが来たというのです。やはり純粋な方です。あれだけのことをされたら、私は人間的には難しいと思います。すごい被害です。人間にとってやったことがないことをやったと言われるのは、大変なストレスがたまります。ところが先生に赦しなさいと迫られました。赦さない、神のみこころにないものをわたしは祝福できないというのです。そして赦しますと思いましたが、今度は赦すだけではない、悪く言った迫害する人たちの名前を挙げて祝福しなさいと言われました。ずいぶん苦闘がありましたが、先生は赦しなさい、祝福しますとひとりひとり名前を挙げて祈られました。そうしたらヨハネの福音書の御言葉が与えられ、「立ちなさい。さあ、行くのです」という言葉を持って泣きながら行ったというのです。先生は、赦すというイエス・キリストの願いに同意して、くびきを負いました。そしたら「立ちなさい。さあ、行くのです」とあります。これはスペイン語で「 levantemonos vamos! 」とあります。「立ちなさい。さあ、わたしが一緒に行くからです」という事になります。私たちがくびきを負うときに、神の臨在をもらいます。その時にイエス・キリストが、あなたを抱きかかえてくださいます。そしてあなたの生涯に責任を持ってくださるということです。またイエス・キリストは、その人にみわざを現されます。イエス様が共におられるからです。私は日本にいる間、従順の信仰のすばらしさを体得させられ、「主よ。あなたがいるところに私は行きます」という思いで十八年前にミシオネスに行きました。また三年前には、サン・ファビエルに行きました。

 今日何か油そそぎが足りない。深い臨在が来ないといわれる方がいるかも知れません。しかしその方は祈りが足りない、御言葉が足りないといわれるかも知れません。しかし究極的には、神様が与えてくださったイエス・キリストのくびきをおっているかどうかです。「わたしの十字架を負ってこないものはわたしにふさわしいものではない。わたしの弟子になりたいならば、あなたがたはわたしの十字架を負ってこなければならない。」これは苦難の道を歩むということではなく、「イエスのおられるところにいる」ということ、「イエスの考えを自分のものとする」、「イエスの語ることを私が語る」ことです。これがくびきの生涯であり、徹頭徹尾・従順の生涯です。

 私は決心して列車に乗りました。やがてエンテンリオ州からコリエント州、ちょうど新城を掘っていくと出るような所です。そこに列車が着きました。そこで一つの言葉がよぎりました。「この戦いに勝てるだろうか・・・」と言うことでした。その時に結論が出ました。勝てないのです。私は今から行くミシオネス、何がどこにあるかわかりません。私を迎えてくれて宣教地を案内してくれる人はいません。文化、習慣がわかりません。三人の子どもはどうしよう。スペイン語はできない。何もないすぐに私は勝てないという結論を出しました。アルゼンチンに行ってから、はじめて私は孤独感と絶望感に陥りました。窓の景色は過ぎていきました。何もない平原の真ん中でした。その時に私は祈りました。「主よ。何もできないですから … 」私たち人間は御霊に満たされて神の言葉を聞いて立っても、逆境に立つと弱いです。二つのことを経験します。セルフイメージが下がるのです。「私はだめな男だ。弱い」と思います。それならまだ良いのですが、神様のイメージが下がったら大変です。「聖書の御言葉は神の言葉というけれど、これは単なる宗教ではないか。神様が本当に生きて働かれるかなあ」というのではいけません。そのような状況になり、私は孤独になったときに、神様が御言葉を与えてくださいました。詩編一〇三篇です。

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』

 逆境の時に私たちは悪い方に考えるという性質を持っています。しかしその時にこの御言葉が与えられました。神様が私たちをどれほど愛してどれほど御わざを現してくださったかを思い出せと言うのです。良いことをも神の恵みを思い出すときに、私たちはもう一度信仰の原点に立ち返ることができます。弱いものでイスラエルと同じようで神様のみわざを体験しながらも、色々な問題が起こると、「エジプトに帰りたい。なぜ、モーセは私たちをここに導いたのだ。何もないではないか。」と不平不満ばかりです。今から二千年、三千年前の人間と、人間は何ら変わっていません。成長していません。しかし私は色々なことを思いました。

 ブエノス・アイレスで神様から油のそそぎをいただき、大きな力をうけたことがありました。また日本にいた時に、私は苦労したことを話しましたが、基本的に私の宣教は神の声を聞いて神の預言を受け、啓示によりました。基本的な理念は、日本の祝福とリバイバルのためのアルゼンチン宣教であり、それゆえあなたはアルゼンチンに行くということです。この意味づけが後にわかっていきました。私は日本で準備していました。当時私の母教会は御殿場で田舎の教会でした。当時は四十名程で、私たち家族がアルゼンチンに遣わされるということは、経済的に考えても全く難しいと思っていました。教会は色々な問題があり、上がったり下がったりの連続ならばまだしも上がったり下がったり、下がったり … と降下し続けているようでした。私たち家族がアルゼンチンに行くのは難しいだろうと考えていました。宣教師訓練センターで訓練を受け、信仰による宣教、私はフリースミッションという働きでしたので給料制ではなく、主が与えてくださる資金の範囲内で、精一杯神のために仕えていくという宣教団体です。そして一切資金集めに走ってはいけないという団体でした。私はそこに託して立ち上がりました。一九八七年でした。ところが相手にしてくれませんでした。御殿場の教会の牧師だったと言っても、単立で実績も名前もないので相手にしてくれるはずがありません。ところが、十から十七くらいが初めに開かれ、初めの教会は、七人の教会、二番目の教会は四人の開拓伝道の家庭集会の教会という状態でなかなか資金も集まりませんでした。そんな中で私は段々疲れてきました。一番疲れたのは、神様から言葉をもらい預言がありましたが、その言葉と預言がなかなか成就しないことでした。祈っても祈っても答えが出ない。祈っても祈っても問題の解決が与えられないとよく言います。相次ぐ敗退に士気の低下はつきものと、今年の巨人軍のようです。負けに負けを重ねてやる気がなくなっていき、お客さんが来ないというような状況です。私も疲れて来ました。六月の上旬に私は関西に行きました。関西の神学校に行きました。そこを中心に近くの教会を回るために行きました。ところが逆境が激しくて霊、肉、魂が疲れてしまいました。肉体が疲れても希望があれば人間は力を受けます。奥さん方は、ご主人が残業で疲れ切って帰ってきたときに、奥さんが夜十一時でも十二時でも「あなた。お帰りなさい。ご苦労様。お風呂が沸いているわよ。」また娘が来て「パパ、お帰り」と言ったら残業の疲れが飛びます。 … と本に書いてありました。世界中の女性が一番力を受けるのは、料理をしているときに、後ろからご主人が行き、肩に手を置き「今日も料理をありがとう。君を愛しているよ」と言われると、もう死んでも良いと思うようです。しかし日本のご主人はやり切ることができません。ところが、人間の霊、肉、魂はつながっています。私は疲れ切ってバックをさげて関西聖書神学院に行きました。玄関の扉を押そうと思うと「引く」と書いてあるのです。そこに手を置いた瞬間に体がガタガタと崩れて、倒れ込んでしまいました。そこで私は祈りました。「主よ。もう私は前進できません。力をください。力をください」と二回祈りました。必死でした。汗を流していました。扉を引いて中に入ると学園長がおり、「在原先生。ちょうど良かった。いらっしゃい。明日から癒しのセミナーがあります。それに出て行きなさい。」と言われました。全部で五回のセミナーでした。オーストラリア人の神父が、イエス・キリストを信じました。そして彼は聖霊のバプテスマを受け、手を置いて祈ったら多くの人が癒され始めたので、カトリックの神父を止めて世界中を回ってセミナーを始め、癒しのミニストリーを始めたというのです。私が関西聖書学院に着いたときに、その方が巡り巡ってそこに来られました。同じ日でした。そこで私はセミナーから癒しの教えを受け、私の霊の目が開かれて祈っていただき、アルゼンチンに行って力が発揮されました。神の恵みの時でした。時が満ちていました。二日目のメッセージの時に、その方が、「今から祈ります。今日この中に力を求めている人がいます。その方は立ちなさい。出てきなさい。祈ってあげます。」と言われました。私は「私だ!」と思いました。私はその神学校の玄関で絶望の淵におり、苦しみの谷の中で祈ったのですから。立ち上がって前に行こうと思ったら、自分のことしか考えない聖書学校の生徒が皆前に来ました。人間は祝福を求めるときには自分のことしか考えません。一人二十秒から三十秒くらい祈り、四十分ほどが経ってやっと私の順番が来ました。その方が私の右側に立ち、大きな手が私の肩に置かれました。その時に明確に天の窓が開かれ、ドンとすごい力が来ました。そしてオーストラリアの先生が異言を語り出しました。緊張が走り出しました。そしてその先生が英語で解き明し始めました。私の左側にいた、窓野照子先生が、解き明かして言いました。「あなたを召したのはこのわたし、全能の神・主である。あなたを召したのは、このわたし全能の神・主である。あなたはこれからわたしのみ従って来なくてはならない。わたしを見上げなさい。必要のすべてはこのわたしが備える。あなたを通して、わたしはわたしの業とわたしの栄光を現そう。わたしに従って来なさい」と言われました。この預言は、その日から三年前に山中湖のキャンプ場で私を導いてくださったスウェーデンの宣教師を通して与えられた預言と同じでした。主の手は動き始めたこと、嬉しかったです。そしてドンとすごい力は何でしたでしょうか。私の疲れ切った霊、肉、魂に聖霊の油注ぎを受け、疲れが全部取り去られて新しく力を受けました。「主を待ち望む者は新しく力を受ける」力を受ける秘訣は、キリストに求めることでした。これを私は体験しました。

 それから三ヶ月が過ぎ、もう一度その聖書学校に行きました。スウェーデンからフレード・スンベリ先生夫妻が来られました。奥様は交通事故に遭われて松葉杖をついておられました。私は先生の所に行き、「先生、どうか祈ってください。アルゼンチンにもうすぐ行くことができると思います」と言いました。すると先生が「良いよ」と言われました。先生は在学中によく私を鍛えてくれました。皆の前で「在原くん、あなたはこういう欠点がある」と告発してくれました。恥を受けながら自我を見せられました。また時々、「在原さん、ヒュー、ヒュー」と口笛を吹いて私を呼ぶのです。「私は犬ではない」という顔をすると、「あなたはまだ自我が強い」と言うのです。そして彼は「良いよ。祈ってあげるよ」と言われました。そしてご夫妻で祈り始めました。私が少し祈り、スンベリ先生が「主よ。この兄弟が今からアルゼンチンに … 」と言い始めると、静かな奥様が異言を語り出しました。すると先生が私の肩を叩いて「主が語っておられるから聞きなさい」というのです。しばらくすると、英語で語り始めました。すると「あなたを召したのは、このわたし主である。あなたはこれからわたしのみ見上げて信仰もって前進しなくてはならない。必要のすべてはわたしが備えた。あなたを通してわたしはわたしの業とわたしの栄光を現そう。わたしのみ信頼して前進せよ」と言われました。どこかで聞いたことがある言葉でした。三ヶ月前、三年前に聞いた予言と同じでした。その時に私は、神は真実なお方だと思いました。ヘブル人への手紙十一章にアブラハムの妻であるサラは約束してくださった方を真実な方と考えました。私たちはキリスト教をやっているのではありません。私が信じる神は、私たちを愛し、私たちに責任を持ち、現実の生活の中で導いてくださり、約束を守られる真実なお方です。私は三回目の予言を聞いたときに、私の召しは自分の野心や思い込みではなく、天からの召しである、これは神から来たと確信しました。そして力を受けました。私は嬉しくなって急いで自分の教会に戻りました。中国地方のいくつかの教会を回る前に、ひざまずいて祈りました。言葉を出す前に今度は主が私に語られました。主はこう言われました。「日本での戦いは終わりました」と言われました。私は感じたのではなく、確かに聞きました。その時に緊張のゆえに目の前にあった大きな岩がガラガラと崩れ始めました。神様は癒しの賜物、御霊に満たされることは使徒行伝と共に終わってしまったという牧師や教会が日本には結構あります。しかしそんなことはありません。主は変わらない方です。

 私はその日に何か起こったと思い、静岡県にいた私の妻に話しました。妻はこう言いました。「ジャイカ国際事業団から電話があり、私たち家族のアルゼンチン入国の許可が降りたという知らせがありました。来年の一月二十三日に私たちはアルゼンチン入国のために飛行機に乗ることができる。またそれだけではなく、私たちに永住権が与えられ、永住権が与えられた人には、日本政府から百パーセント渡航費が支給されることがわかりました。」というのです。素晴らしいことでした。「日本での戦いは終わった」「アルゼンチンの門が開いた」というのと同じ日です。これをどのように説明するのでしょうか。神様は私が悩み苦しんでいる中でも、私を知っておられた。神様は私に対してご計画をもっておられました。そして時が満ちたときに、「あなたの戦いが終わった。立ちなさい。さあ、わたしが行こう」と言うのです。「イエス・キリストはきのうも、きょうも、いつまでも変わらない。」神の御言葉は「天地は滅びます。しかしわたしの言葉は永遠に立つ。」神様は私たちが十字架を負い、くびきを負うときに私たちの人生に責任を持ってくださいます。神様は私たちがくびきを追うときに深くご臨在くださり、私たちの足となり、手となり導いてくださる真実なお方です。キリストは、今も生きて働いておられます。二千年前と何ら変わらない生ける神です。お祈りします。


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