ウジヤ王が死んだ年

2005.7.24(SUN)
新城教会 滝元 明師

旧約聖書 イザヤ書 6 章 1 節〜 8 節
ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

 ハレルヤ!久しぶりにこの礼拝で奉仕できることを感謝します。昨年は沖縄で集会があり、たくさん奉仕をさせていただきました。八十八日程、沖縄に行かせていただくことができました。今年は北関東で、毎週のように奉仕していますので、この教会で奉仕することが非常に少ないです。しかし今朝は奉仕できて感謝しています。昨日は、宇都宮でトラクト配布が行われました。新城から、三十名程の方々が行かれました。その帰りに、東京世田谷周辺に来たときに、大きな地震がありました。ちょうど自動車が停車したときでしたので、揺れているのがわかりました。標識なども揺れていました。「震度五」の地震でしたが、無事守られて帰ることができて感謝します。私たちの人生は、いつどんなことがあるかわかりませんが、いつまでも主に信頼していくことが大切です。今日は「ウジヤ王が死んだ日」というタイトルで学びます。

 先日七月七日は私にとって非常にショックな日でした。それは、田中先生が急に天に召されたからでした。連絡があったので、私は岡本牧師とともに浜松の病院に駆けつけました。先生は浦川で倒れたのですが、心筋梗塞で手当ができないということで、ヘリで浜松の病院に運ばれました。私が行くと、もう息が絶えていました。悲しみがありました。

 私にとって田中先生はある意味で、片腕のような人でした。救われて五十年、ずっと一緒に来て、一九七〇年からはリバイバル聖会を毎年一緒に開催していました。田中先生が司会をし、私がメッセージをしていました。聖書にダビデが愛していたヨナタンが亡くなったときに、悲しみの詩を作っていますが、私もそのような心境でした。私が前夜式と葬儀の司式をさせていただきました。しかし彼はこの地上のつとめを終えて、天に帰られました。行き先がわかっています。確実に天に帰られました。これは素晴らしいことです。

 私は葬儀の前日、宇都宮の近くにある教会で奉仕しました。その日のうち家に戻りました。私は帰る道で不思議な経験をしました。それは私の思いの中に、はっきりとした光景が浮かびました。聖書によると、天国は十二の門があり、その道は純金だと書かれています。田中先生が天国に入って、ガラスのような純金の道を歩き、その回りに多くの天の使いがラッパを吹き鳴らして、歓迎している光景でした。先生が堂々と歩いている姿を見ました。田中先生は確かに天に凱旋したと確信しました。

 私たちはいつ召されるかわかりませんが、行く場所がはっきりしていることは大切です。肉体は死んだが、魂は永遠に神の国に生きています。恐らく田中先生は、イエス様の前に立ち、イエス様のみ顔を見て「イエス様。日本にリバイバルを起こしてくださいよ」とお願いしていると思います。その祈りが答えられて、間もなく日本にリバイバルが来ると信じます。そのような中で、「ウジヤ王が死んだ年」というタイトルで学びます。

 ウジヤ王が死んだ年に、イザヤが幻を見ました。天が開かれたのです。「主を見た」と記されています。

 ウジヤ王が死んだ年とは何を意味しているのでしょうか。イザヤは宮廷中の預言者として活躍しました。ウジヤは立派な王でした。彼は十六歳で王になり、五十二歳で王位を退き、六十八歳で亡くなりました。田中先生がクリスチャンになったのは、十八歳でした。五十年間主に仕え、亡くなったのは六十八歳でした。ウジヤ王も偉大な働きをされた田中先生も、六十八歳で天に帰っていきました。田中先生のことを考えると、この教会もショックですが、浜北教会の方々はもっとショックだと思います。私が駆けつけると、お子さんやお孫さんたちが泣いていました。信者の方も私に、「先生。田中先生は生き返らないのですか」と言われました。田中先生の存在は、ある意味で日本中の人々に慕われていました。日本中から牧師たちが来られました。四国、九州、沖縄、北海道からも葬儀に来られ、悲しみを共にしました。ある意味で、霊的に慕っていた先生が亡くなったことは、穴が開いたようでした。先生が亡くなって、これから問題があるときにどうしたらいいだろうか・・・。

 時々、私たちの人生も、誰かに頼ります。お父さんに頼ったら、お父さんが亡くなったとか、立派な先生が亡くなったとか、ある意味で、自分の頼っていた人が亡くなったり、地位が無くなる時があります。ある意味で頼っていたものが無くなると悲しいです。

『ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。』

とあります。私たちは、教会に来ていますが、主を見なければなりません。牧師を見ていると、素晴らしい牧師もいますが、素晴らしいと思っていても失敗したりします。素晴らしくても亡くなってしまうとがっかりします。しかし、教会では主を見ることです。クリスチャンでも、牧師や信徒を見ているとつまずきます。しかし主を見た人でつまずく人はいません。神様を見たら信仰がしっかりします。主を見ることは大切です。イザヤが主を見たときに、天使たちが賛美している姿を見ました。その時にイザヤが叫んだ言葉が五節にあります。

『そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」』

主を見たときに、「ああ、もう駄目だ」と自分自身がわかりました。イザヤ書を一章を見ると、

『主が語られるからだ。「子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」』

しかし主を見たときにわかったことは、「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者」と自分がわかりました。教会に来て、私たちが知るのは、「私は駄目だ、私の罪は赦されなければならない」と自分自身を知ることが大切なことです。今日まで、牧師をやってくると色々な問題がありました。色々な問題を見ますが、つまずいて信仰を止めようと思ったことはありません。どんな問題があっても、イエス様に目を向けていることです。

 私が初めて教会に行ったのは、一九四九年二月十三日でした。考えてみると、最初の日に主が私に触れられたと思います。

 ヨハネの福音書には、聖霊が来るときに、「罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」とあります。教会に来て、自分が罪人だとわかるのは素晴らしいです。それまでは人のことばかりです。「日本は間違っている。小泉さんは駄目だ … 」いつでも人を見て、人をさばくのです。しかしイエス様の所に行き、「ああ、駄目だ私は … 」と自分に目が開かれることは大切です。

 私が十九歳の時に初めて教会に入った日に、私は主にお会いしたと思います。なんだか知らないけれど、クリスチャンの目が綺麗で、顔も喜びに満たされており、初めて行ったのに自分は何て汚い人間なのだろうと思い、泣きたい気持ちでした。もし、友達がいなかったら、帰りに私は泣いていたと思いました。心の中で、「なんて私はこんなに汚いのだろう。そうだ … わかるまで教会に行こう。」と思いました。次の日に、私はイエス様を信じて、私の罪が赦されて、新しく生まれ変わることがわかりました。私自身が「主を見た」からだと思います。

 田中先生が初めて教会に来られたのは、十八歳の時でした。彼はすぐ近くにある製材で働いていました。そこの奥さんの見城さんが、「政男ちゃん。滝元さんの家に石臼があるから持ってきて」と言うのです。田中先生は材木を一生懸命運んでいました。そして田中先生はリアカーを持って来て、その大きな石臼を入れようとしました。それは重たくて、動かないのです。それで、「ちょとどけ、俺が入れてやる」と言って、私が石臼を持ち上げて、リアカーに乗せました。私は三年間、鉱山で石を扱っていたので、石を運ぶのには慣れていました。彼はとても驚きました。それから、彼は教会に来るようになりました。しかし田中先生は、金のことばかり考えていました。将来は日本一大きい材木問屋になろう、金持ちになろうと考えていました。見城さんが、「政男ちゃん。教会に行ってよ」と言うと、「俺は儲からん所には行かない」と言いました。すると奥さんが、「百円をあげるから」と言うのです。当時の百円は、二本立ての映画を見て、かき氷を三杯食べることができるくらいの価値でした。そこで彼は教会に来ました。説教が終わると、さっと帰ってしまいます。

 クリスマスの日に、教会で証し会をしていました。「私は救われて嬉しいです。私の人生は救われて変えられました。」とみんなが証をしていました。彼はクリスチャンではなく、一番後ろに座っていました。その時私は、「田中さん、あなたも何か言いたいことはないですか。」と言うと、彼は前に出て来て、泣きながら、「皆さんの話を聞いたら、僕には喜びがないです。イエス様のことがわかりません。祈ってください」と語りました。その時に彼は、「主を見た」と思います。「自分は惨めだ。クリスチャンが持っている喜びがない」と思いました。次の年の四月に、彼はバプテスマを受けました。その翌日からずっと路傍伝道をし、イエス様のために走り続けました。燃えていました。一九七〇年からはリバイバルクルセードを始め、甲子園ミッションから召される日まで、一緒に働きました。彼はこの地上のつとめを終えて、天に帰りましたが、彼は「主を見た」のです。

 今日教会に来て、「私は罪人だ。私の罪を何とかしていただきたい」と思われる方には、望みがあります。

 私が東京にいたときに、ある方が教会に行ったけれど、たばこが止められませんでした。奥さんが、「止めなさい」と言っても、なかなか止められないのです。ある時に、たばこが切れ火鉢の灰の中にある小さなたばこを探し出し、火をつけて吸い出しました。その時に彼は急に悲しくなりました。彼はたばこの奴隷になっていたのです。「捨てたような物まで吸わなければならないなんて、俺は何て惨めなのだろうか。」と泣いていたようです。「神様、私はたばこの奴隷です。自分の力ではどうにもなりません」と祈り、泣きながら寝てしまったそうです。次の朝、奥さんに「おはよう」と言うと、彼の顔は変わっていました。主が触れられました。それからきよめられました。

 東京に、原田千穂子さんという学校の先生がいました。穐近先生の奥さんは彼女に話しました。「イエス様があなたの罪のために死んでくださいました。わかりますか。」すると彼女は、「私のためになんか、死んでもらう必要はないわ … 。私は悪いことはしていないし。だから私のためになんか、死んでくれなくても良いです。イエス様はいりません」と言いました。すると、「そんなことがわからない人は、もう教会に来なくても良いです」と言いました。それですごくショックを受けて帰られました。

 ある時千穂子さんは学校で、金持ちの子どもが悪いことをしたのでしかりました。すると校長が来て、「あんた、あの家の子にあんな怒り方をしてはいけません。」と注意しました。すると千穂子先生は、「何を言っているんですか。あんな家の子 … 」と言いました。すると校長が、「あんな家の子とは何ですか。」と言って怒ったそうです。それで彼女は悲しくなって泣き出しました。彼女が悲しくなったわけは、「あんな」と批判している自分の悪い気持ちに気づいたからでした。

 その日、彼女は神の前に出ました。「神様、聖書の中に人を見て馬鹿者と言ったらさばきを受けると書いてあるし、情欲を見て女を見たら姦淫したと書いてあるし … 神様。人間にはそんなことはできないではないですか」と言ったそうです。するとイエス様が、「できないから私を信じるんだよ」と言われました。その時から彼女は変えられました。学校の先生を辞めてから、設楽町田口で素晴らしい働きをしました。彼女は自分がわかったのです。

 聖書の中で一番正しい人は、旧約聖書にある「ヨブ」でした。ヨブには大勢の子どもがあり、財産があり、恵まれた素晴らしい人でした。

 ある時、神様の所に天の使いが集まりました。そこに、堕落した天使・悪魔が来ました。神様が、「おまえはどこから来たのか」と言うと、「はい、世界中を回ってきました。」と言いました。すると神様が、「わたしのしもべヨブのような正しい人は見たことがないだろう」と言いました。すると悪魔は、「神様。あれは当然でしょう。あれだけ財産を与え、子どもを与え、恵みを与えたら誰だって神を恐れるでしょう。神様、あの財産を全部とってごらん。それから持ち物を全部とってごらん。きっとあなたをのろうに違いないでしょう。」と言いました。すると神様は「財産には手をつけても良いけど、ヨブには手をつけないように … 」と言いました。悪魔は出て行きました。

 大勢の子どもたちが宴会をして、楽しんでいた時に悪魔は大風を送り、家をつぶし、子どもたちは死んでしまいました。また盗賊が来て何千頭もあった羊などの家畜を全部盗って行きました。しもべが来て、「大変です。子どもたちが皆亡くなりました。財産をとられました」と言いました。すると彼は神の前にひざまずき、「主が与え、主がとられた。主の御名はほむべきかな。」と言いました。

 神様が、「それみろ。ヨブは全然呪わないではないか。」と言いました。するとまた悪魔が「それは神様、子どもが亡くなっても財産がなくなっても、ヨブは元気でしょう。自分が元気なら、神をのろいません。健康をとってみなさい。きっとのろうでしょう。」と言うのです。そこで神様は、「いのちには手を触れないように」と言いました。するとヨブは体中にできものができ、かきむしりました。ヨブの奥さんはあまり良い人ではなく、「あなたはいつまで神を恐れるのだ。神を呪って死んでしまいなさい」というのです。するとヨブは、「そう言ってはいけない。私は幸いを受けたのだから、わざわいも受けなければならないのだ」と言って、何の悪口も言いませんでした。彼は苦しんでいました。体にウジがわいたそうです。友達は変わり果てた彼の姿に驚いて、七日間泣いたとあります。そして、色々な言葉が書かれています。友達は「ヨブ、あなたは正しいと思っているが、正しい人がこんな目に遭うことはないよ。正しいといっているが、実は悪いことをしているでしょう。」と責め立てました。ヨブは、「何もしていない。私は正しい。私は目と契約を結んで、乙女に色目を使ったこともないし、隣人の妻に手を出したこともない。もし私がそんなことをしたら、私の奥さんと他の人と寝てもかまわない。私は貧しい人を助けたし … 」と正しい訴えをしました。友達は、「おまえはそんなことはない。罪人だ」と訴えました。しかし最後に、主が彼に現れました。彼は主を見たのです。その時に彼は、ヨブ記四十二章五節から六節に、

『私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。』

と言いました。ヨブは絶対者である神を見たときに、「私は罪人だ」とわかりました。その時、神様が言われたことは、ヨブ記四十二章十節に、

『ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。』

とあります。ヨブは友達に対して、自分が苦しんでいるときに訴えられたので、友達に対する憎しみがありました。時々、そうなると思います。人から言われると憎しみがあります。その時に神様は、「友人のために祈りなさい」と言いました。ヨブは、「神様。私は見舞いに来てくれた友人を、憎んだことを赦してください」と悔い改めました。「神様。友人を祝福してください」と祈りました。その時に、神様は彼を祝福され、持ち物を倍にされました。

 私が神に会うときに、何が必要でしょうか。友達を憎んだままで、神に会うことはできません。憎んだままで、神に祝福されることはできません。赦すだけではなく、祝福することです。今日神様にお会いしたい方は、赦せない人が一人でもいたら、「赦します。祝福します」と祈ってください。「あの人は百パーセント悪い。私が正しい。」と言われるかも知れません。しかし祝福することです。その時に祝福されます。

 ルカの福音書五章にシモン・ペテロがイエス様にお会いしたことが書かれています。イエス様がガリラヤ湖のほとりで、あまり大勢人々が来たので、シモンから船を借りて説教しました。その後で、「少しこぎ出して漁をしなさい」と言われました。彼は漁のプロです。「先生。私たちは一晩中働きましたが、何も捕れませんでした。」と言いました。普通ならばイエス様に、「私はプロの漁師です」というかも知れません。しかしシモン・ペテロは、「先生、あなたが言うなら、やってみましょう」とこぎ出して、網をうちました。すると、多くの魚が捕れて網が破れそうになったとあります。その時に、ヤコブやヨハネたちに助けを求めました。すると二艘の船が沈みそうになったとあります。その時、シモン・ペテロはひざまずいて、「先生。離れてください。罪深い人間です。」と言いました。彼がイエス様とお会いしたときに、自分が罪深い人間だとわかりました。するとイエス様は、「心配しなくても良い。これからあなたを人間を捕る漁師にしてあげます」と言いました。神様に用いられた人物は、自分がわかった人です。パウロはテモテ第一の手紙一章十五節に、

『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。』

とあります。パウロは律法的にも、完全な生活をしていました。しかし彼がイエス様を知ったときに、『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」』と言いました。自分は正しいと思っていますが、絶対者である神の前に出るときに、「ああ、私はなんと汚れているか」とわかりました。

 ですから、皆さんの人生で本当に祝福されたかったら、人の悪いことを見るよりも、神の前に自分の悪を認めることです。そして赦してもらうことが、幸せの第一歩です。イザヤは「駄目だ。私の唇は汚れている」と言いました。

 私たち人間の一番汚れている部分は、「唇」だと思います。今日も賛美しました。「イエス様は素晴らしい … 」と賛美しました。しかし神を賛美した同じ唇で、今度は人をそしります。唇は汚れています。「私の唇は汚れている」と自分の汚れがわかることは、大切です。「あの人はああ言った」というのではありません。その時に、何が起こったのでしょうか。天の使いが祭壇の片側から燃える炭火を持って来て、彼の唇に触れたとあります。

 イエス様が十字架につけられて、よみがえられて四十日の間ご自身を現されて、天に帰りました。その十日後に、聖霊が下りました。聖霊が下ったときに、激しい響きが起こり、火のようなものが弟子たちに臨んだとあります。それは聖霊の火です。弟子たちを神様が用いるために何をしたのでしょうか。まず、聖霊の火によってきよめられました。私たちも、聖霊の火によってきよめられなければなりません。イザヤが、「あなたの罪は赦されました」と聞いたとき、「わたしは誰を遣わそうか」という声をも聞きました。

 神様は、きっとこの礼拝の中で、田中先生が用いられたように、誰かを使いたいと願っておられます。誰を使うでしょうか。学歴のある人、金のある人ではなく、あってもなくても構いません。「自分が罪人だとわかった人」です。「私は汚れています。私は罪人です」と言われる人に、神は目を留められます。

 「誰を遣わそうか」と言われる時、今日はあなたに対する神の問いかけとして聞いてください。その時イザヤは、「はい。主よ。ここに私がいます」と言いました。皆さんも自分の人生を神様に明け渡してください。必ず用いられます。田中先生は用いられました。非常に優しく、愛のある人でした。私と一緒に五十年、クルセードを始めてからは三十五年働きました。

 ある時軽井沢で、先生が私に「佐藤総理が自動車に乗っていったよ。」と言いました。私は、「そうか。すぐに電話をしなさい」「えっ、どこに?」「総理の所だよ。」「何で?」「会いたいからって電話して。」「俺が?」「そうだよ … 」というと、彼は大胆に電話をしたのです。すると、「誰にもお会いしないことにしている。」と言われました。「でも私たちは、クルセードをするときに、知事などに出会ってお祈りしたり、本を贈っています。」と言いました。「そういうことでしたら、本だけでも持ってきてください」と言われました。そこで、私の書いた本を届けました。一筆手紙を添えました。「親愛なる、佐藤首相。初めてお手紙を書きますが、新城教会では毎朝、あなたのためにお祈りしています。長く神のために用いられてください。」と書きました。

 翌日、電話がかかってきました。それは佐藤総理からでした。「あなたのお手紙を見て、ぜひお会いしたいと言われています。会いに来てください」と言われました。田中先生と一緒に行きました。「総理、初めてお会いできて嬉しいです。毎日お祈りしていますから、友達に会っているかのようです。」というと、喜んでくださいました。二十分と言われていましたが、一時間二十分も話しました。

 すると「明日の十一時に来てください」と言われました。それでお会いすることが出来ました。

 ご夫妻は、私と田中先生をたいへん気に入ってくれました。そして、毎年招いてくださり、十数回お会いしました。田中先生は方言丸出しで、話していました。ご夫妻から、「この交わりを長く続けてもらいたい」と言われました。心砕かれた者を、神は祝福してくださいます。

 これから教会に来たら、まず、主を見てください。主を見たらつまずきません。イエス様ほど愛のある方はありません。私の代わりに死なれたお方です。また復活され、天においても地においても、すべての権威を持っておられます。この方を信じたら、幸せな生活ができます。「私は罪人だ」とへりくだって歩みましょう。妬みや憎しみの心を認めて、心から悔い改めるならば、変えられます。これまで人を責めていましたが、「私が悪いです」と気付いたならば、悔い改めましょう。今日から、祝福を受けることができます。一言お祈りします。


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