不思議としるし

2005.8.14(SUN)
新城教会 滝元 順師

旧約聖書 ヨエル書 2 章 23 節〜 30 節
シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。あなたがたは、イスラエルの真中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。

 ハレルヤ!おはようございます。大変暑い日が続きますが、皆さんお元気にお過しでしょうか。子どもたちは夏休みの宿題は終わりましたか?

 私は今年、五十四歳になりますが、時々、小学校、中学校の頃の事を思い出します。私の中学生の頃は、クリスチャンホームの仲間が多くいました。この場所に、古い会堂があって、教会のバルコニーで皆寝泊まりをしていました。私もその中の一人でした。日曜日も、礼拝の始まる寸前まで、二階で寝ており、賛美が始まるとそっと服を着て降りるような生活をしていました。そして、私はいつも恐れていたことがありました。それは、夜中に顔に落書きされることがあったからです。ある人は、マジックで顔に眼鏡を書かれたり、ひげを書かれたり、口紅をべっとりと塗られたりしていました。礼拝が始まると、すぐに起きて礼拝に出て行かなければいけないので、服を着て顔も洗わないで、そのまま降りて行くのです。顔中、落書きされていても気づかず、普通の顔をして、礼拝に出た人がいました。それ以来、必ず、礼拝前には鏡を見る習慣がつきました。若いときから、イエス様を信じることができ、今日まで守られて、心から感謝しています。

 今日は、私たちの信じる神は「不思議としるし」をなさる神であることについて、学びたいと思います。

 私は牧師の息子として育ちましたが、ある意味で、情熱がなくとても冷たい男でした。皆から、「新城教会はどうなるのだろうか?」と心配されていました。しかし、一九九二年二月十三日に、愛知県民の森で祈っていた時、激しく聖霊様が私に訪れてくださいました。その時から、私は変えられました。

 クリスチャン生活とは、永遠のいのちをいただき天国行きになりますが、もう一段階、「聖霊によって変えられる」という体験が必要だと思います。それはある一時を通して起きることもありますし、徐々に変えられるときもあります。神様は、多様性を持ったお方なので、それぞれに合った方法で触れてくださいます。私の場合は、そのときから変えられた、と言っても良いかもしれません。

 また、教会に聖霊様が訪れてくださった時から、この教会も変えられました。私だけではなく、兄弟姉妹にも触れてくださり、それから「不思議としるし」が起こり始めました。当時から来られている方は、その過程を見て来たと思います。

 そのような中で、主がはっきりと与えてくださった御言葉が、ヨエル書二章二十三節から三十節でした。この御言葉は、聖霊が注がれた直後、弟子たちによって引用された箇所でもあります。

 使徒の働き二章十七節から十九節に、

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。』

 旧約聖書の時代、神の霊がとどまるのは、特定の人に特定の期間だけというものでした。預言者は、特定の期間、神の霊に支配されて神の言葉を語りました。しかし一般の人に神の霊がとどまることはありませんでした。イスラエル民族も、神の素晴らしい奇跡を見ても、その後、長く続きませんでした。元に戻って偶像礼拝をしてしまった悲しい歴史がありました。それは、聖霊が人々に常にとどまることがなかったからです。

 しかし、イエス様が十字架にかかられ、死んで三日目によみがえられてから、弟子たちに聖霊が注がれ、一つの預言が成就しました。それがヨエル書二章の御言葉でした。『その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。』

 すべての人が神の霊に満たされ、神の霊によって生きる時代が来るという約束の成就でした。

 そして、主は、『わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。』と語られました。「使徒の働き」には終わりがありません。今私たちは、使徒の時代を継続しているのです。ということは、神の霊はすべての人にとどまり、その証拠として、「不思議としるし」を現してくださるのです。

 毎週月曜日の夜、徹夜祈祷会を行っています。ぜひ祈祷会にお越しください。近頃は、小さなお子さんからお年寄りまで来られています。先週の祈祷会では、「不思議としるし」が起こされるようにと祈らされました。私たちは、この事に関して、もっと意識して祈る必要があると導かれました。特に、新城教会に、不思議としるしが起こるように、というテーマで、祈りが導かれました。

 一九九二年の二月に、新城教会に聖霊が注がれました。そのことを『主が立ち上がられた日』という本に書きました。県民の森で聖霊が注がれ、色々な奇跡が起こりましたが、続いて霊的戦いも起こり、意気消沈したこともありました。聖霊様が訪れてくださったのにもかかわらず、思ったように働きが進まないと、ある時たいへん落ち込みました。

 「順先生は落ち込むことがあるのですか?」と聞かれますが、私もそんな気分になったことがあります。一九九二年七月三十一日でしたが、名古屋で集会がありました。集会が始まるまで、少し時間があったので車を木陰に止め、休んでいました。その時、車の周りに不思議な風が吹いて来ました。始めは左側の木だけが揺れていましたが、ぴたりと止まり、今度は右側の木だけが、ざわざわと風になびきました。それが何度か続き、「変な風だな・・」と思っていました。

 そしてはっと空を見上げました。すると、その瞬間、雲の中から真っ白く光る十字架が出現しました。「十字架だ!」と思うと、すっと引っ込みました。私はそれを見て、目の錯覚に違いないと思いました。「最近は少し疲れているからなあ・・」と思い、違う方向を向いて、もう一度十字架が出現した場所を見ると、今度はその少し右下に、黄土色の十字架が出て、すぐに引っ込んでいきました。私は霊的体験が少ない方です。しかしその時初めて、雲の中から光る十字架を見ました。

 突然そんなことが起こると、案外驚いて、口をつぐんでしまうものです。そして誰にも何も話しませんでした。しかし帰り道で四元雅也先生が、「順先生、今日何か見たでしょう?」と言うのです。「なんでわかる?」と聞くと、「目が点になっていた」と言われました。

 それで私は、重い口を開きました。私は「イエス様が私の罪の身代わりとなって死んでくださった」ということは信じていますが、百パーセント完全に信じきっていない部分があったのかもしれません。しかし、私の目の前に十字架があらわされた時に、十字架の勝利を、完全に受け入れることができました。天にしるしが示されて、信じることができました。「見ずして信じる者は幸い」とありますが、神様は時々、私たちを励ますために、不思議としるしを現してくださいます。

 一九九五年に、マーチ・フォー・ジーザスという集会が行われました。それは町を賛美しながら廻るという集まりでした。多くの若者が、「天下にイエス・キリスト以外に救いはない」と書かれたのぼりを持ち、市内を廻って賛美しました。その時、賛美リードをしたのが滝元開先生でした。

 彼はその日の明け方、一つの賛美が頭に浮かんだそうです。それは、

この地は主のもの この地は主のもの

この地の真ん中に 十字架が立つ

という、フレーズだったそうです。彼はたくさんの賛美を作っています。しかしそれらは主が与えてくださったものです。主が与えてくださったものは、受け取ったらすぐに使うのが秘訣かも知れません。彼は、そのワンフレーズしかできていない賛美を皆に紹介し、賛美しながら街を廻りました。新城中を廻り賛美していました。最後に、教会の前の道路に差し掛かった時、宣教師のアドリアン先生が空を見上げて「あっ!」と叫びました。見上げると、新城全体を横断する、大きな雲の十字架がはっきりと出ていました。この中に、その光景を見た方々が多くおられます。私はその時、残念ながら見られませんでした。新城のど真ん中に、十字架が立つ日が来るということを、主が預言的に現してくださいました。東西方向に長く、南北に短い町全体を覆う巨大な十字架雲が出現したのです。それは自然現象の一貫でできるものだと言われるかも知れませんが、自然界も神がすべて支配されているので、それは私たちに対する励ましだと思います。天にしるしを現す、という御言葉の成就であると信じます。

 「天と地に不思議なしるしをあらわす」とありますが、天にしるしを現わされたら、必ず、地にも「しるし」が現されるのです。このことを信じましょう。

 イスラエルが偶像礼拝の罪に陥った時は、必ず、敵の勢力によって苦しめられました。ヨエル書二章二十五節に、

『いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。』

とあります。「いなご、ばった、食い荒らすいなご」は敵の勢力です。「わたしがあなたがたの間に送った」とありますが、神様は善なる方なので、決して悪いものを送る方ではありません。しかし人が罪を犯すことによって、敵の勢力が使われるのです。

 イスラエルが王政になる前に、「士師」と呼ばれる人たちが国を治めていた時代がありました。士師記十三章一節に、

『イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なったので、主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。』

 ペリシテとは、イスラエルにとって、敵の勢力でした。イスラエルは偶像礼拝の罪によって、ペリシテに四十年間苦しめられました。しかし神は憐れみ深い方で、その後、イスラエルを助けるために、一人の指導者を起こされました。その人の名は「サムソン」です。サムソンの生まれに先立って、サムソンの父親、マノアの所に神の使いが遣わされました。彼の奥さんは不妊症で、子どもがありませんでした。しかし男の子が生まれるという預言を受けたのです。士師記十三章十七節から二十節に、

『そこで、マノアは主の使いに言った。「お名まえは何とおっしゃるのですか。あなたのおことばが実現しましたら、私たちは、あなたをほめたたえたいのです。」主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞こうとするのか。わたしの名は不思議という。」そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主にささげた。主はマノアとその妻が見ているところで、不思議なことをされた。炎が祭壇から天に向かって上ったとき、マノアとその妻の見ているところで、主の使いは祭壇の炎の中を上って行った。彼らは地にひれ伏した。』

 マノアに、「あなたに男の子が与えられます」と主の使いから、神の言葉が告げられました。その時マノアは、「あなたの名前は何という名前ですか」と聞きました。すると主の使いは、「わたしの名は不思議という」と答えました。

 神様の名前は「不思議」です。不妊の家族に男の子が生まれました。それは不思議であり、同時に一つの預言でした。やがて救い主として、イエス様がお生まれになるということでした。イエス様は処女マリヤから生まれました。不妊症で、子どもが生まれる可能性のないような所から、サムソンという男の子が生まれ、国を救ったのと同じように、処女マリヤからイエス様が生まれ、全人類を救うようになりました。

 イエス様はどのような働きをされたのでしょうか。使徒の働き二章二十二節に、

『イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。』

と記されています。イエス様は、人々の間で不思議なわざと、あかしの奇蹟を成されました。そのことによって、神が生きておられることが人々にわかりました。マノアに現れた主の使いが、「わたしの名は不思議」と言われましたが、その方が人の形をとってお生まれになりました。それがイエス様でした。

 やがてイエス様は十字架で死に、三日目によみがえられ、天に帰られました。それから十日後、今度は使徒たちの上に聖霊が下りました。その後、起こってきたことは、同じように、「不思議としるし」でした。そのことにより、神が生きておられることを人々は知ることができました。

 使徒の働き二章四十一節から四十三節に、

『そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。』

とあります。イエス様が行われたわざが、使徒たちの手によって継続されたことがわかります。

 本日の礼拝後、三名の方々がバプテスマを受けられます。しかし聖霊が注がれた後、初代教会では、一度に三千人がバプテスマを受けました。そこから比べたら、私たちは〇・一パーセントの祝福ですが、感謝です。どうやって、バプテスマを受けさせたのかと思います。三千人がバプテスマを受けるとはすごいことです。しかし、時代的背景についても考えると、さらにすごい事です。なぜならば、聖霊が注がれた日は、イエス様の十字架刑の五十三日後のことでした。エルサレムでイエス様は、それまで異端者扱いでした。民衆は、「十字架につけろ」と騒いでいたからです。しかし反対していたような人たち三千人が主を信じ、バプテスマを受けたのです。彼らはイエス様の名によって、すごい奇蹟が現されたのを見て、「この方は神以外の何者でもなかった」とはっきりわかったゆえに、変えられたと思います。そのようなわざが、日本において起こされることを、祈らなければなりません。

 初代教会には、不思議としるしがたくさんありましたが、そんな中でも特筆すべき大きな奇蹟がありました。それが、使徒の働き三章に書かれています。

 ペテロとヨハネが宮に入っていきました。すると門前に、一人の男が座って物乞いをしていました。その男はとても有名で、誰もが知っていました。しかしそんな誰もが知っている生まれつき足のなえた男性が、ペテロとヨハネの働きによっていやされたのです。男は、ペテロとヨハネが通りかかったのを見て、何かもらえると思って、「何か私にめぐんでください」と言いました。その時にペテロが言いました。三章六節から八節に、

『すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。』

 ペテロとヨハネによって、イエス様の名前で奇跡が起こりました。ペテロとヨハネにはすごい権威がありました。「私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って歩かせました。

 私に、同じように言われたら、どうだろうかと考えました。「金銀は私にはない、しかし他に何も、上げるものはない」と言って通り過ぎてしまうかも知れません。しかしペテロとヨハネには、イエス様の名前によってその人を歩かせる権威がありました。これはエルサレム中の評判になり、五千人が主を信じたと記録されています。そんな奇蹟が起こったときに、一方では、奇跡に対して怒った人々がいました。

 当時、ユダヤ教には「パリサイ派」と「サドカイ派」いう二つの派閥がありました。その中の、サドカイ派の指導者たちが怒りました。そしてペテロやヨハネなど、弟子たちを迫害しました。「なぜ、あの男を立ち上がらせるのだ。彼らを捕らえてしまえ」。

 なぜ、サドカイ人は奇跡に反対したのでしょうか。彼らには、自分たちの考え方があったからです。それは、「奇跡は起こらない、霊的な世界はない」という聖書解釈に立っていたからです。天使もいない、悪霊もいない、神の律法を守り解釈する事が全てだ、という考えに立っていたからです。これがサドカイ派の教えでした。しかしそんな教えに反して、目の前で奇跡が起こったのです。それで彼らは反対し始めました。

 人間はたいへん自分勝手です。普通なら、生まれつき歩けない人が歩き始めたら、嬉しい事です。その人の立場に立ったら、どんなに嬉しいでしょうか。しかし、自分たちの教えを揺るがされると、そんな奇跡を起こす奴らは捕らえてしまえ、と考えたのです。

 ある意味で、キリスト教界の中にも、パリサイ派やサドカイ派のような人々がいるのかも知れません。不思議としるしについて話すと、「それは聖書成立時代に終わってしまった。そんな事が現代に起こるはずがない」と言うのです。そして自分たちの主張を決してまげません。教会でいやされたとか、不思議なことが起こった聞くと、怒り出すのです。いやされた人の立場に立つならば、また、自分に置き換えて考えたら、それは喜ばしいことです。けれども、自分の主義主張のためには、人の幸せまでも止めてしまうのです。

 今もなお、神は働かれ、私たちに不思議としるしを与えてくださる、と信じることが大切です。サドカイ派の人たちによって、不思議としるしをとどめるような迫害がありました。しかしその時、弟子たちは祈りました。

 使徒四章二十九節から三十一節に、

『主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。

御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。』

 そんな迫害の中でも、「もっと不思議としるしが起こりますように。あなたの名によってわざを行わせてください。」と祈りました。その時、更に聖霊が注がれ、不思議としるしが広がっていったのです。

 私たちにも、このような祈りが必要です。日本には、多くの苦しんでいる人や悲しんでいる人々がいます。主は今も働いて、不思議としるしを成してくださると信じて、使徒たちの祈りを、私たちの祈りとしたいものです。

 「御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」と祈りたいと思います。今週も、主が不思議としるしをもって、私たちの所に来てくださいますように。

 しかし今日、教会で、不思議としるしが警戒されるのは、悪魔も同じように、不思議としるしを起こすからです。

 第二テサロニケ二章九節から十節に、

『不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。』

とあります。ここでは、サタンの働きによって、偽りの力によって、しるしと不思議が伴うので注意してください、と教えています。

 モーセによって、エジプトから民が引き出されたとき、エジプトの呪法師たちがモーセの不思議としるしに対抗してきました。モーセが自分が持っていた杖をパロの前に投げると、蛇になりました。再びモーセが杖をつかむと、また元の杖になりました。それを見たエジプトの呪法師たちは、自分の持っていた杖を投げました。すると同じように蛇になりました。

 続いてモーセが、杖でナイル川の水を叩きました。すると、水が血に変わりました。けれども、呪法師たちも同じようにナイル川を血にしました。エジプトの人たちは驚きました。不思議としるし合戦のようでした。

 モーセが手をあげて祈りました。すると、ナイル川から、蛙がたくさん這い上がってきました。するとエジプトの呪法師たちも同じように行いました。

 悪霊の領域からも、モーセと同じような不思議としるしを行ったのです。続けてモーセが杖でエジプトの大地を叩きました。すると埃が立ち、その埃からぶよの大群が出てきました。埃がぶよに変わったのです。その時、エジプトの呪法師たちは叫びました。出エジプト記八章十八節から十九節に、

『呪法師たちもぶよを出そうと、彼らの秘術を使って同じようにしたが、できなかった。ぶよは人や獣についた。そこで、呪法師たちはパロに、「これは神の指です。」と言った。しかしパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。』

 呪法師たちは、「これは神の指だ」と言いました。呪法師たちの奇跡には、トリックがありました。しかし埃がぶよになるのは、トリックの効かない「新しい創造」です。そのような奇跡は、彼らにはできませんでした。

 暗闇の世界、悪魔の領域でも、時には不思議としるしが行われます。大体、新興宗教を調べてみると、ほとんどが不思議としるしの世界です。「あそこに行くと病気が治る」とか、不思議としるしが起こるというものばかりです。これは、悪霊の領域です。しかし新しく再生する、無から有が生じる神の奇跡とは、違うのです。エジプトの呪法師はこれは、「神の指だ」と言って、モーセの行った奇跡を認めざるを得ませんでした。

 教会においても、「これは神の指です!」と、誰もが認めるような神の奇跡が起こされるように祈りたいと思います。

 「新城教会で起こっていることは、他の新興宗教で起こっていることとは全く違う、あれこそ、神の指だ!!」と言われるような、不思議としるしが起こされるように祈らなければなりません。

 ルカの福音書十一章二十節に、

『しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。』

 悪霊が追い出されるとは、神の指以外にできないことです。「神の指」とは、「聖霊」とも訳されています。聖霊が来られるときに何が起こるのか、それは、悪霊が追い出され、この世の呪法師には決してできない、不思議としるしです。

 先週、私の心に、「不思議としるし」という言葉が巡っていました。それで祈っていました。かつて天に十字架を現わし、私たちを励ましてくださった主が、今度は、地において、誰もが「神の指だ」と認めるような奇蹟が起こされるようにと祈っていました。三千人、五千人がバプテスマを受けるような大リバイバルにつながったら素晴らしいです。苦しみと悲しみの中で、どうにもならなかった人たちが、「イエス様以外に救い主はない」とはっきり認めるような、主のわざが起こされるように、祈らなければなりません。

 今日はYさんご一家が、バプテスマを受けられます。近頃、彼らに起こった不思議としるしについて、少し話していただきたいと思います。

<Yさんご主人の証>

 「私の両親はクリスチャンで、小さな頃から教会に通い続けていました。聖書も読んでおり、通っていた教会や牧師、周りの方も素晴らしい方ばかりで、素敵な集まりだと思っていました。けれども私は、霊的なものを感じることが全くありませんでした。

 そんな中で大学に行くようになり、一人暮らしをするようになってからは、全く教会に行かなくなってしまいました。たまに実家に帰ると、だまされたと思って新城教会に来てみてよ、と言われていました。けれども、私には何も起こらないということで、拒否反応ではありませんが、二度と教会に通うことはないだろうと思っていました。自分には合わないと思っていました。社会で酒に溺れ、ギャンブルをするようになりました。そうこうしている内に、妻と結婚をしました。

 今回、教会に来る原因となったのは、家庭崩壊でした。今年一月頃から爆発寸前で、どうしてこんなことが起こるのだろうかと感じながら、仲直りをしては口論や喧嘩を続けていました。

 けれども、次第に、喧嘩どころか、私は妻の怒りの対象となっていました。一ヶ月前は、それがひどくなり、私に全ての怒りが向けられて爆発し、どうして自分がこんな思いになるのだろうか、どうしてこんな事になったのだろうか、私が何をしたのだろうか、と思うようになりました。今、妻の顔を見ていてもそれが信じられないのですが、怒りに満ちた顔でした。よく映画で見るような、ニュースで見るような光景に出くわしました。

 妻が怒りに震え、私をののしっていたときに、妻の怒りが私だけに止まらず、私の母に向きました。そして「母親と話させろ」と言いました。母は敬虔なクリスチャンなので、迷惑をかけたくないと思いました。しかし彼女はどうしても、母と話をさせるようにと言い、私をひどい剣幕でののしりました。それで、母と話す機会ができました。しかし彼女が母親と話した途端、それまですごい勢いでののしって、殺されるのではないかというひどい状態から、突然おとなしくなりました。母と話をし出した時から、どんどん気持ちが落ち着いてきました。そして私も一息つけるようになりました。母が妻に話をしてくれてから、順牧師がすぐに私の家に来てくださり、祈ってくださいました。どうしてこんな事になったのかを説明し、祈ってくださった直後に、平安が来ました。つい昨日まで、一時間程しか休まらず、私は家の片隅で小さくなり、土下座して妻に謝り続けているような状態でした。それが先生に祈っていただいただけで、元の妻に戻りました。口ではなかなか説明ができませんが、安らぎが私の家に訪れました。皆さんの祈りによって、今は仲良し夫婦に戻ることができました。

 そして今日、家族でバプテスマを受けることができるようになりました。平安に今日を迎えることができました。不思議としるしが起こされました。とても感謝しています。」

 彼らは、もしかしたら、新聞のニュースに載る寸前であったのかも知れません。しかし、不思議としるしによって、主は一家を助けてくださいました。これは主の力です。今の時期は盆の時期です。特に死の力が働きます。仏教の経典ができたのは、釈迦が死んだ四百年後のことです。経典とは、釈迦の言葉ではなく、修行していた人たちが悪魔の声を聞いて、それを書き留めたものです。仏教の呪文は恐ろしいです。悪魔が教えた言葉を唱えているからです。Yさんの奥さんは、毎日のようにその呪文を唱えていました。しかしそれが敵の力だとわかりました。そして、それに対抗して主に祈り始めたのです。彼女の決断は早かったです。私が訪問した日、「仏壇を持っていってください」と言われました。私は仏壇を全部持ってきて、処分しました。次の日から、彼女は変えられました。仏教の呪文の言葉は、呪法師の言葉です。

 先週私は、仏教の各宗派の総本山に、霊的戦いと、取りなしの祈りを置かなければならないと感じました。それで手分けして全国の総本山に行き、とりなしの祈りをしました。そこで盆に働く死の力が打ち破られるようにと祈りました。

 私は、家内と共に、天台宗の総本山、比叡山・延暦寺に行きました。最澄によって始められた天台宗は、日本仏教の根源です。そこに働く悪霊の力が打ち破られ、教会に、不思議としるしが起こされるようにと祈りました。

 祈りが終わって帰る途中、高速道路は盆の帰省による交通渋滞で、疲れ果てていました。すると車中、家内の携帯電話が鳴りました。それは、新城教会に来られている一人の女性からでした。彼女は、二週間ほど前からお腹が張って、腰も痛かったようでした。それで検査をすると言っていました。

 その日、検査を受けると、「卵巣と卵管に大きな腫瘍ががあるので、すぐに専門病院に行って手術しなければならない」と言われたそうです。

 彼女はそのことを聞かされ、「足が震えて動けません。」と家内に電話があったのです。

 私もそれを聞いて愕然としました。その方は医学的知識がある人でした。自分も写真で腫瘍を確認したそうです。医者から紹介状をもって、大きな病院に行くことになったけれど、恐ろしくて気持ちがついていかないというのです。時間も遅くなっていましたが、彼女を教会に呼んで祈るように導かれました。

 彼女はおなかが腫れ、腰が痛くて座るにも座れないような大変な状態でした。それを見て、私はさらに絶望的になりました。どう祈って良いのかわかりませんでした。

 私は、本日のメッセージの題をすでに決めていました。そのタイトルは、「不思議としるし」でした。「もう、用意したメッセージはできない」と思いまいました。しかし信仰に立って祈りました。

 「神様助けてください。今日は全国で取りなしの祈りをしました。祈りの結果が、どのくらい天において現されているのかを見せてください。地にも結果を現してください!!」と祈りました。

 翌日彼女は、教会スタッフに付き添われて、病院に行きました。そして、診察を受けたのです。

 昼頃、スタッフから私に電話が来ました。「順先生。。」と暗い声で言うのです。その言葉を聞いたときに、「次に何を聞いても驚かないぞ」と覚悟を決めました。

 すると、「なかった!!」と言うのです。昨日まであった、腫瘍が全て消えていたのです。医者に紹介状を見せて検査を受けたのですが、「この医者は何を見て、こんな診断書を出したのでしょうかねぇ。信じられない。」と言ったそうです。

 神様は瞬間的に、彼女をいやしてくださいました。イエス様に心から感謝しました。神が素晴らしいことをしてくださいました。とても嬉しかったです。

 その週に、主が与えてくださったテーマ通りであったと思いました。これから主が、新しいことを起こされるので、サドカイ人のようにならないで信じてください、そして、神様に期待してくださいと教えています。

 イエス様は十人のらい病人をいやされました。しかし九人は喜んでそのまま帰ってしまいました。しかし一人だけ、イエス様の所にきて感謝しました。奇蹟を起こったときには、主に栄光を帰して感謝することが大切です。Yさんご一家も、危機的な状況から、神が救い出してくださったこと、病の女性もいやしてくださったことを、心から神に感謝しなければなりません。

 今から、聖餐式を行いたいと思います。イエス様が私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかってくださいました。そのことによって、不思議としるしという領域が私たちの手に託され、今も継続されています。心から感謝しましょう。今週は、主が働いてくださる週となるよう、お祈りします。


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