神の招き

2005.9.25(SUN)
新城教会 滝元 明師

旧約聖書 イザヤ書二十六章十五節
主よ。あなたはこの国民を増し加え、増し加えて、この国民に栄光を現わし、この国のすべての境を広げられました。

 ハレルヤ!先週は「北関東リバイバルミッション」が行われ、新城からも大勢の方々が応援に来てくださり、心から感謝します。皆さんのお祈りによって、素晴らしいミッションが行われたことを感謝します。

『主よ。あなたはこの国民を増し加え、増し加えて、この国民に栄光を現わし、この国のすべての境を広げられました。』

 「北関東リバイバルミッション」の前に、集会のために祈ったときに、この御言葉が与えられました。『主よ。あなたはこの国民を増し加え、増し加えて、この国民に栄光を現わし、この国のすべての境を広げられました。』と記されていますので、きっと毎日人々が増し加えられ、良い集会ができると信じました。そして「境を広げられた」ということは、協力された教会が皆成長されることを信じました。家に帰ってから献金をしてくださった方々などに電話をしました。「先生良かったですね。恵まれました。賛美も霊的戦いセミナーも素晴らしかったです。」と言われました。今回はメッセージも賛美も素晴らしかったです。主の栄光を見ることができて感謝します。日曜日は、私を含む実行委員の牧師たちが、色々な教会に招かれて礼拝をしました。礼拝後は、二時三十分からコンサートが行われました。全期間で延べ三三〇〇人が集まりました。

 日曜夜の集会の前に、栃木の関根先生が来られ、「先生、今日の夜の集会は満員になりますね。」と言われました。しかし午後の集会が満席になり、皆は一度帰り、また出直して午後六時からの集会に集まるだろうかと心配しました。その時に一つの御言葉で励まされました。イザヤ書五十五章十一節に、

『そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』

 神様の言葉は、むなしく帰らないと教えられました。神様は必ず良いことをしてくださると信じました。その夜は有賀先生のメッセージで、たくさんの方が集まられ、決心されました。

 しかし今回はいささか、寂しく感じたことがありました。それは田中政男先生が最初の夜と日曜の夜にメッセージをする予定になっていたのですが、先生が天に召されたことでした。田中先生の代わりに、私と有賀先生がメッセージをしました。

 今回は北関東のために、とりなしの祈りが成されてきました。ある日、万年先生から話があると言われ、何人かの先生方が集まりました。「今回は霊的戦いと共に祈ってくださったので勝利しました」と言われました。初日の「ゴスペル・ランチョン」という集会は、食事をしながら演奏とメッセージの集会でした。そこに一八〇人が集まりました。始まる前から予約がいっぱいになって、家内に断りの連絡が入った程でした。その集会に、日光の市会議員が来られたようでした。日光のために祈ったからだと思います。また翌日の夜の集会にも来られ、今度は滝元を招きたいと言われていたようです。霊的戦いが日光に門を開いたと証されていました。皆さんのお祈りを、神様が聞き遂げてくださったことを、心から感謝しました。北関東のために引き続きお祈りください。今日これから御言葉を学びます。イザヤ書六十五章二節に、

『わたしは、反逆の民、自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、一日中、わたしの手を差し伸べた。』

とあります。「反逆の民」とは、神の招きを拒否している人です。自分の思いに従って良くない道に歩む者にも、神は一日中手を差し伸べたとあります。どんなに反抗していても、神様は一日中、「いらっしゃい」と招き続けてくださいます。

 自分のことを考えると、私がイエス様を信じたのは十九歳の時でした。戦時中はキリスト教はアメリカの宗教だとか、宣教師はスパイだとか聞かされており、また、宗教はアヘンだと言って反抗していました。しかしイエス様の愛により、私のような反抗した者をも救ってくださいました。今日まだ、イエス様を知らない方も、イエス様は招かれています。イエス様は愛を投げかけています。

 今度の北関東のためには、「徳川家康」というテーマで祈りました。徳川家康の出身地は岡崎市です。天下を平定した織田信長も、豊臣秀吉も愛知県の生まれです。

 家康は一五四二年に生まれました。彼は天下を平定してから江戸に行き、江戸幕府を作りました。それは一六〇三年のことです。それからずっと彼は日本を支配し、一六一六年に七十三歳で死にました。私よりも若くして亡くなりました。私は今、七十六歳です。死ぬということは弱くなって死にます。彼はサタン的な影響を受けており、「俺は神だ」という考えでいました。彼は死後、静岡の久能山に葬られましたが、一年後に日光に改葬するようにと言いました。そして日光で、日本を支配すると言いました。それは呪術によることでした。彼は日光に改葬され、今でも日光東照宮の裏の小高いところに墓があります。彼は神として祀られていると言われます。しかし人間は神にはなれません。それは彼の妄想です。今年は「北関東リバイバルミッション」で、彼が日本にかけた呪術が解かれるように、イエス様の御名で祈ったことには大きな意味があったと思いました。今年は素晴らしい栄光を見ることができて感謝しました。

 日本の歴史を見ると、織田信長は少しキリスト教を保護しましたが、豊臣秀吉は二十六人のカトリック信徒を殺したり、この三人は全般的にはキリスト教(当時はローマ・カトリック)を弾圧をしました。キリスト教撲滅のために檀家制度を築き、色々なことをしました。しかし一八七三年に、キリスト教弾圧が解除されました。どんなに、キリスト教が嫌いだと言っていても、神はいつも門を開いてくださいます。愛してくださっています。日本においても、必ずリバイバルが来ると信じています。私がイエス様を信じたのは、十九歳の時でした。十七歳の時、東京に行き、十九歳の時にイエス様を信じました。信じてわかったことは、「イエス様を信じたら、永遠のいのちを持つ」ということでした。死の恐怖から解放されました。永遠のいのちとは、千年、一万年 … ということではなく、ずっと、永遠に神とともに生き、死も痛みも、悲しみも、叫びもない神の国に生きられること、やがて神が再臨されるときには、よみがえって主とともに歩むことができるということです。素晴らしい望みがあります。

 しかし信じなかったらどうなるでしょうか。信じる者がひとりも滅びることがなく、永遠のいのちを持つとあります。イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、いのちです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできない」と言われていますので、イエス様を信じなければ地獄に行ってしまいます。黙示録の中には、「火と硫黄の燃えた地獄の中で底知れない、うじが尽きないところで日夜苦しみ続ける」とあります。またイエス様は、「天地が滅んでもわたしの言葉は決して滅びることがない」と言われました。聖書が神の御言葉で、本当にその通りであったら大変なことです。

 私が救われて、初めに考えたことは、「私の父母はどこに行くのだろうか」ということでした。すでに答えが出ています。地獄に行ってしまったら大変だと思いました。私の郷里には教会がないから伝道に行こうと決意し、それまでの勉強をやめて一九五〇年三月十五日に伝道に入りました。私は約三年間鉱山で働きながら伝道しました。

 私の伝道で最初にイエス様を信じたのは、同級生の熊沢君と熊谷君でした。終戦直後一年間、私たちは津具村から田口まで、毎日往復二十四キロを歩きました。色々なビジョンを語り合い通いました。熊谷君は、「僕は日本一の酪農家になりたい」と言いました。また熊沢君は、「僕は農業技術者になりたい」と言いました。そして私もビジョンを持ち、東京に勉強に行きました。しかし信仰を持って帰った時に、熊沢君は青い顔をして、結核で寝ていました。私は東京で救われた証をし、「イエス様を信じてください」と話しました。するとイエス様を信じて、「先に天国に行っているから泣かないでよ。」と最後の言葉をお母さんに残して、天国に行きました。

 私は一年一ヶ月ほど金鉱山で働きました。それから八つ橋マンガン鉱山で働きました。そこには女性四人と男性三人が働いていました。私がそこに伝道に入ったことで、四人のうち三人がイエス様を信じました。三人のうち男子がもう一人信じました。昼には賛美歌を歌い、お祈りをして食事をしました。一人のご婦人が働いており、非常に暗い顔をされていました。その女性は吉川さんと言われ、結婚して間もなくご主人が亡くなり、一人の子どもを連れて家を出ました。非常に苦しいところを通って働いているうちに、彼女もイエス様を信じ、人生が変えられました。

 私が八つ橋マンガンに働いていたときに、特別に関心を持ったのは、亡くなった熊沢君のお兄さんでした。どうしても救われて欲しいと思い、伝道しました。「イエス様を信じたら天国に行けるよ。あなたの弟もイエス様を信じて天国に行ったよ。」と言いました。すると彼は、不敬虔でイエス様が大嫌いでした。「なに〜。イエス様、神様?俺は神なんて信じない。」と頑なでした。鉱山は二人ずつで働くときがあります。その時にはあまり反発せずにいます。彼とふたりで働いていると、彼は急に変な歌を歌い出すのです。私は、「そんな変な歌を歌うな。私が歌を教えてあげる。慈しみ深き … 。主我を愛す … 」と歌うと、彼も洗脳されて歌い出したことがありました。しかし彼は信仰に対して非常に堅かったです。

 彼の家は、ある意味で呪われているような家でした。友だちは結核で亡くなり、お姉さんも亡くなり、皆、結核でした。健康なのは彼だけでした。彼の悩みとは、結核の家系なので、結婚できないことでした。見合いをしようとしても、「こんな結核の家には行きたくない」と言われたそうです。職場の人たちも「彼の所に来るような嫁はないでしょう」というのです。彼はとても寂しい気持ちがありました。しかし私は、毎日のように、イエス様の話をしていました。

 ある日、彼の心が開かれました。彼は吉川さんと一緒に働いていました。彼女はクリスチャンでしたので、「あなたのために毎日祈ってるよ。」と言いました。彼は、「何だって。俺のために何を祈るだい?」すると彼女は、「あなたにお嫁さんが与えられるように、毎日祈っているよ」と言いました。その言葉で、彼はありがたく思いました。皆は絶対に嫁は来ないと言っているのに、「あなたに良いお嫁さんが来るように祈っているよ」と言うので、彼は涙を流して泣きました。「俺のために良い嫁さんがくるように祈ってくれてありがとう」と言いました。そして彼は家に帰って初めて祈りました。

 「明君が信じているイエス様。もし本当にいるのだったら、俺にも嫁っこをください。」と祈ったそうです。その時に「これが祈りか・・」と思ったそうです。

 それから一週間後、彼は嬉しい顔をしていました。「明君、嬉しいことがあった〜」というのです。「帰ったら、一人の人が嫁さんを世話してくれると言ったよ。」「だれ?」「おなじ村?」「そうだよ。」「僕より上、下?」「明君より一つ上の人。」と言いました。私が、「言ってみて。誰だん。」と言うと、「駄目になると相手に悪いから言わない。」と言いました。私は一日中一緒に働いているのでひらめきが来て、「役場の前の娘じゃない?」と聞きました。また、次の日に一緒に働いて聞きました。しかし彼は「絶対にいわん。」と言いました。しかし彼は一瞬、口にしてしまったので、わかってしまいました。感謝な事に、その人との話が出て一ヶ月後に彼は結婚しました。

 結婚式の夜、彼は奥さんになった人に、「俺は、あんたが好きで結婚したんじゃない。俺はイエス様にお祈りしたら、おまえが来てくれたんで、俺は感謝しているんだ。」と言いました。すると彼女は驚いて、「えっ?イエス様にお祈りしたの?」「うん、そうだよ。」「私、嬉しい。」と言うのです。そして彼女は奥の部屋から聖書を持ってきて、「私は聖書を持っている」と言いました。彼女は岡崎の紡績工場に働いていたときに、イエス様を信じたというのです。そしてこの山の中ではイエス様を信じている人は一人もないと思ったから、聖書を隠していたというのです。

 聖書には、「求めなさい。そうすれば、与えられます」と書かれています。この方が救われたのは、吉川さんの一言葉、「あなたのために毎日祈っているよ。」という言葉でした。

 吉川さんはそれから東京に出て、看護婦さんになり、ずっと音信がありませんでした。

 去年、私の所にある教会の牧師婦人から電話が来ました。ある人が介護の仕事をして、あるところを訪問したそうです。色々な話をしていたときに、出身地を聞いたそうです。愛知県の山の中というのです。具体的に聞くと、北設楽郡津具村だというのです。そこで「滝元明先生を知ってる?」と聞いたそうです。すると「知っている」というのです。それは吉川さんでした。彼女は喜んで信仰が復興しました。

 実は彼女の居所がわかり、昨日は、東京で行ったざわめきの集会に来られました。五十三年振りの再会でした。とても嬉しかったです。彼女には自閉症の子どもがありましたが、立派に成長して今は大工の頭領になっていると言われました。五十三年前、鉱山で働いていたことは無駄にはなりませんでした。

 話は戻りますが、翌年八つ橋の家を出るように言われ、新城の中学校の前のダンスホールを買いました。約四ヶ月ほど失業しましたが、それから豊橋の麻工場に働きながら伝道しました。

 ある日、みすぼらしい格好で仕事をしているおばさんが入って来ました。初めから泣いていました。「先生。救ってください。」彼女は泣きながらこう話ました。結婚して一年も経たないうちに、ご主人に嫌われて追い出されました。失望して自殺しようと思ったそうです。どこで死のうかと思い、川崎駅の付近をうろうろしている時に、美しい賛美歌を聴いたそうです。「だれでも重荷を負って苦労している人はわたしの所に来なさい。」と御言葉を聞きました。それで自殺するよりも教会に行こうと言って教会に行ったそうです。やがて彼女はクリスチャンになりました。毎週彼女は教会に通っていました。

 しかしある時、一人の男に出会いました。彼はクリスチャンではありませんでした。彼は彼女を見て、「俺はおまえが好きになった。結婚してくれ」と言ったそうです。そこで彼女の心が動きました。彼女は真剣に悩みました。この男と結婚したら信仰生活ができなくなる。信仰を取るか、男を取るか、を考えたそうです。彼女は考えました。「信仰は年を取ってからもできる。男はそう簡単には現れない。」と一時信仰を捨てて、男を取りました。それがすでに亡くなった三国卯吉さんです。彼は三島市、豊橋市を経て最後に新城市の臼子に住み、土方をしていました。私の人生の中で出会った人たちのうちで、彼ほど荒れた男はいなかったです。彼は短気でよく喧嘩をし、イライラすると、人をハンマーで殴ったりして、何回も警察の世話になったような人でした。酒やバクチ、女遊びなど、ありとあらゆる悪をやっていました。かつて新城では有名な男でした。奥さんの冨美子さんが教会に来て、泣きながら、「イエス様を捨てて惨めな結婚生活をしています。イエス様を信じて、もう一度やっていきたいです。」というのです。私はこれから教会に来るようにと言いました。そして彼女は仕事帰りに、前羽さんという奥さんを誘ってよく教会に来るようになりました。彼女はよく泣いていました。「お祈りしましょう」と言うと、「イエス様。三国を救ってください。地獄にやっちゃあ嫌よ … 」と泣いていました。だから私の息子たちは、彼女が来ると「おい、泣き女が来たぞ … 」と言っていました。

 ある日、彼女は泣きながら言いました。「私は卯吉と一緒にいても幸せになれない。だから離婚したい。でも離婚したら救われないで地獄に行く。だから離婚をするのはやめました。三国が救われるまで私は祈ることにしました」と言うのです。「あんたしか祈る人はいない。祈ったら救われるから祈りなさい」と言いました。しかし私は、心の中で、「あんな悪い男は救われないだろう・・・」と不信仰になりました。

 しかし彼女は真剣に泣いて祈っていました。ある日の彼女の祈りを、私は生涯忘れません。「イエス様。三国を救って。地獄にやっちゃあ嫌よ。イエス様、もし私が交通事故で先に死んだら、きっと彼は目が開かれてわかると思うから、交通事故にでも遭わせてください。」と泣きながら祈っていました。ご主人のために、愛を持って祈っていました。これだけ主人のために愛を持って祈ったら、救われると信じました。

 祈りが聞かれるときが来たのです。ある時、河合しげさん夫妻が同じ新城の臼子で救われました。そこで伝道集会をしました。卯吉さんが百姓仕事をしていると、「卯吉、今日はキリスト教の集会に行け」という声が聞こえたそうです。「誰だ?」と言って探すと、誰もいないのです。二回それがあり、その夜彼は集会に来ました。その晩の集会は、臼子の人でいっぱいでした。彼は座って最初に何をしたかというと、片目が義眼だったので、それを出しては入れるのです。とても印象に残っています。その日の説教で、私は熱烈に地獄の話をしました。

 「皆さん。聞きなさい。一度死ぬことと死んだ後、さばきを受けることが定まっている。罪を犯す者は地獄に行く。地獄とは、底知れない火と硫黄の燃えるところで、うじが尽きないところで、そこに入ったら出ることができない。バクチを打ったり、女遊びをしたり、泥棒をしたり、 … 地獄に行くぞ。」と話しました。私もその日、熱烈に働きましたが、イエス様も熱烈に働かれました。彼はその話を聞いて、恐くなって震え出しました。入れ歯を出したり入れたり、落ち着かなくなっているようでした。

 最後に、「聞いてください。どんなに悪い人も、イエス様が身代わりになって死んでくれた。イエス様を信じたら赦されない罪は一つもない。悔い改めたら救われます。いかがですか。今日イエス様を信じて救われたい人は手をあげなさい」と言いました。すると「おい、頼んだぞ。信じる」と三国さんは決心しました。

 しかし彼は信じても品性が悪かったです。彼は教会に来ても、たばこも酒もやめられませんでした。奥さんが、「たばこをやめなさい」と言いました。「文句言うな。イエス様だって一本や二本くらい文句は言わん。」というのです。「飲んでいても、俺が教会に来ているんだから … 」というのです。

 しかし彼は、ある日曜日にこう言いました。「皆さん。私はこんど誕生日なので、それを境にたばこをやめます」と言いました。そして次の日曜日、彼は教会に来ました。すると玄関で彼は子どもと喧嘩をしているのです。「バカ野郎!」と言って殴り合っているのです。誰と喧嘩しているのかと思うと、私の長男とでした。彼は小学校一年生ぐらいでした。絶対にたばこをやめると言ったにもかかわらず、彼がたばこを吸っていたので、「三国、おまえこの間誕生日の時にたばこやめると言ったじゃないか。嘘つき!」と言って、殴り合っているのです。礼拝が終わって外に出ると、またたばこを吸っているのです。しかし神様は素晴らしい方で、彼を愛していました。

 ある夜、彼は夢を見ました。広い道を歩いていると、地震が起こり地面が割れたそうです。すると割れた地下から一本の手がニュッと出てきて、彼の足が捕み離さないのです。そして、「おまえみたいな悪い奴は地獄に連れて行く」と言って手を放さなかったそうです。彼は、「助けて〜。イエス様、もう酒もたばこもやめます。地獄だけは連れて行かないで。お願いします。助けて〜」と夢の中で叫んでいるのです。奥さんが目を覚ますと、彼がジタバタしているので、「あなた何やってるの。」と言いました。目覚めた彼は、「夢か。地獄じゃなくて良かった。夢か〜」と言っていたのです。その日から、酒もたばこもピタリとやめました。酒やたばこを飲む人は、天国行きが危ないかも知れないから、悔い改めた方が良いかもしれません。それから彼は変えられました。町の中を路傍伝道するようになりました。偶像に関しても、妥協しなくなりました。

 やがて彼は人生を終えて天国に帰りました。奥さんの冨美子さんは寂しくなって、「先生、私も三国の行った天国に行きたい」と言いました。やがて奥さんも天国に帰って行きました。聖書には、「反抗する民のために終日愛の手を差し伸べた」とあります。どんなにイエス様がきらいでも、イエス様は最後まで「帰っておいで」と言うのです。

 聖書に、放蕩息子の話があります。ある人に二人の息子があり、お父さんは二人に財産を分けました。すると弟は財産を持って遠い国に行きました。彼は遠くの国に行き、放蕩生活をして財産を全部使い果たし、豚飼いの家に雇われて、豚の食べるイナゴ豆で腹を満たしました。そこで彼は、人生に行き詰まって考えました。「今私はここで飢え死のうとしている。しかしお父さんの家には、腹一杯食べている雇い人が大勢いる。私は天に対して罪を犯し、またお父さんに対して罪を犯した・・」と考えました。そして死ぬより、お父さんの所に帰ろう、そして雇い人として使ってもらおうと考え、彼は遠い道を帰って行きました。十九節から二十一節に、

『もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。』

とあります。遠くに家が見え、お父さんは遠くから見つけて「あの乞食は私の息子だ」と走り寄って口づけしました。すると弟息子は、『もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。』』

息子がこのように言うと、お父さんは、

『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』

と書かれています。神様の愛はどんなに離れている人をも、待っています。見つけて走ってきたとあります。弟の心が見えたのです。今日神様は私たちを愛されています。ローマ人への手紙五章六節から八節に、

『私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』

とあります。素晴らしいことです。私たちが神に反抗しているときにも、イエス様は「地獄に行ってはいけない」と言われ、代わりに罪を背負って死んでくださいました。神様が「帰っておいで、いらっしゃい」と言われます。「はい。行きます」と返事するだけで、救われることができます。長引かせてはいけません、聖書は、「今は救いの日、今が恵みの時」と書いてあります。悪魔は「救いは明日で言い」と言います。明日になるとまた「次で良い」と言い、最後には滅びます。ここにおられる方が皆救われて、天国に行くことができるようにお祈りしましょう。

『わたしは、反逆の民、自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、一日中、わたしの手を差し伸べた。』

一言お祈りします。


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