「神の時」に生きる

2005.10.9(SUN)
新城教会 滝元 順師

新約聖書 ヨハネの福音書 4 章 3 節〜 6 節
主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。

 ハレルヤ!今朝、皆さんと共に礼拝できますことを感謝します。今週私はとても忙しいので、ぜひお祈りください。火曜日から滋賀県において三日間奉仕をして、十五日から二十六日までアメリカに行きます。そして、日本人教会や神学校で奉仕をすることになっています。ぜひ、奉仕が祝福されるようお祈りください。私は、「霊的戦い」と言う分野で奉仕をしていますが、国を超え、民族を超えて戦いが広がることをお祈りください。

 クリスチャンになると、「神の時に生きる」人生に変えられます。今日ここにおられるひとりひとりは、神が定めた時の中に生かされています。聖書は、生きるためのマニュアルでもあります。イエス様は神でしたが、人の姿をとってこの地上に来てくださいました。そして、クリスチャンになったら、どのような人生になるのかを、あらかじめ、ご自分の人生を通して示してくださいました。

『主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。』

とあります。イエス様はユダヤ地方で働いていました。しかしそこから北に向かい、ガリラヤ地方へと向かわれました。私は今年二回、イスラエルに行きました。イスラエルに行くと、聖書の世界がよくわかります。聖書が現実のものとして、絵になってきます。イエス様は、「サマリヤを通っていかなければならなかった」とあります。それは、地理的にそのような背景もありましたが、それ以上に、「どうしてもサマリヤの町に行かなければならない」という促しを、神から受けておられたのです。サマリヤの町に着くと井戸がありました。そこはスカルという町に近い、かつてヤコブが掘った井戸でした。旅の疲れを覚えたイエス様は、井戸の側に腰をかけておられました。

 この記述を読むと、ほっとします。なぜなら、イエス様も私たちと同じように、疲れを覚え腰を下ろした時があったからです。

 時々私たちは、霊的にも、精神的にも、肉体的にも疲れを覚えることがあります。イエス様も疲れを体験してくださったのです。忙しいとなかなか休むことができません。しかしある意味で、日曜日に教会に来て一時間半、落ち着いて席に座ることは休みの上で大切なことかも知れません。案外落ち着いて座る事が少ない時代だからです。イエス様も疲れを覚えて座ったのです。しかしイエス様はただ、座ったわけではありませんでした。その時、イエス様は「神の時」を迎えていました。

 この町には一人の女性が住んでいました。イエス様が座っていたのは「六時」とありますが、これはユダヤ時間で「昼頃」に当たります。その時刻に一人の女が水を汲みに出て来ました。イスラエルは大変気候が厳しく、朝は凍えるように寒くても、日中は大変暑かったりします。人々は朝の涼しい時間に水を汲みに来ます。昼の暑いときに水を汲みに出て来る人はあまりいません。しかしこの女性は、そんな時刻に水を汲みに出てきたのです。この女性には少しわけありました。あまり皆の前に自分の姿をさらしたくないという、ある意味で、引きこもっているような女性でした。

 現在、日本において引きこもりという問題がクローズアップされています。一説によると、百万人程が引きこもって、人との関係を拒否していると言われます。まさにこの女性はそうだったと思います。

 しかしイエス様は、引きこもっていた女性と出会いました。そしてその女性のすべての素性を見抜きました。その結果、女性はイエス様が救い主であることを信じ、この女性を通してサマリヤに住む多くの人が、イエス様を主として信じる救いのわざに発展しました。

 ここから私たちは、イエス様の働きについて学ぶことができます。イエス様は悩み苦しんでいる人の側に、「自ら来てくださる」お方です。サマリヤの女性は、まさか、救い主が自分の生活のただ中に入って来られるとは、全く考えていなかったと思います。彼女はその昼も、普段通り、誰もいないはずの井戸に出かけていったことでしょう。一刻も早く家に水を持ってきて、閉じこもっていようという思いで井戸に水を汲みに行った事と思います。しかし、彼女が考えても見なかった、「救い主が井戸の傍らに腰掛けておられた」のです。

 当時ユダヤ人とサマリヤ人には、隔たりがありました。かつてアッシリアにイスラエルが乗っ取られたときに、多くの人が奴隷として連れて行かれました。しかしサマリヤ地域の人々はアッシリア人と混血し、ユダヤ人としての純血を失ってしまったという過去がありました。やがてそれは民族的隔たりに発展しました。サマリヤ人はユダヤ人とは服装も違って、交わりをしませんでした。特に、サマリヤの女性がユダヤ人男性と話しをするようなことは、決してありませんでした。しかしイエス様は、サマリヤの女性に声を掛けられたのです。

 女性の人生の背景が、ヨハネ四章十三節から十八節にあります。

『イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」』

 実はイエス様がこの女性に話しかけたのは、「わたしに水を飲ませてください」という下りから始まり、会話はやがて「いのちの水」にまで発展したのです。しかしこの女性の受け取り方は、「二度と水を汲みに来なくても良い水をください」という、まったくかみ合わない受け答えをしています。この女性の受け答えから、彼女がどのような心境にあったのかがわかります。その時イエス様は、彼女のニーズを否定することなく、「その水が欲しかったら、あなたの主人を連れてきてください」と言われました。この女性の背景には、人生において様々な辛い経験があったことがわかります。彼女は、これまでに五回結婚し、その結婚は全て駄目になり、今は違う人と住んでいるという状況にありました。それは当時の一般社会、ユダヤ人社会、サマリヤ人社会から受け入れられない事でした。それで彼女は人目にさらされたくない、という心境にあったと思います。けれども、人生を失敗したと思われているこの女性のところに、イエス様自らが出向き話しかけ、彼女の持っている最も深い問題にメスを入れ、渇くことのない「いのちの水」を与えたばかりか、サマリヤに素晴らしい喜びをもたらす役割へと変えられました。

 ヨハネ四章三十九節から四十一節に、

『さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。』

 それまでこの女性は、引きこもっていて、誰かと話をするようなことなど、考えられない事でした。しかし救われたことにより、自分自身を人目にさらし、人々にイエス様のことを紹介し、サマリヤの多くの人を導いたのです。

 日本には、教会に対してのイメージがあります。教会に行く人たちは、何か社会でも品行方正な人々というような考え方があります。教会に来て、聖書を学んでみたいと思う人は、社会の中でも普段から良い人たちで、罪人が集うべきでないというような考え方があります。しかし、決してそうではないのです。イエス様の行動からも分かるように、イエス様が訪れてくださるのは、社会の中で、どうにもならないような、否定されるような人々です。イエス様は、「じょうぶな人には医者はいらない、いるのは病人です。わたしは罪人のために来た」と言われました。

 今日色々な問題によって、「私は、自分自身を受け入れることができない」とか、「私は受け入れられていない」という思いをもっているならば、そんな所にイエス様は自ら出向いて、「神の時」を提供してくださいます。

 同時にイエス様ご自身も、「サマリヤを通って行かなければならない」という促しを神から受けていたのです。

 クリスチャンになる前、人は「神の時」を迎えます。サマリヤの女と同じように、ある時、イエス様が近づいてくださり、生ける水を提供されるのです。そして、命の水を受けた者は、今度は誰かのためにイエス様を紹介する役割として、神の時に生かされるのです。

 私も毎日の生活が大変楽しみです。「今日はどんな神の時を迎えることができるだろうか・・」と、わくわくしています。

 皆さんも普段の生活のただ中で、神の時を体験していると思います。必ず、神はあなたの生活のただ中に「神の時」を現してくださいます。

 なぜか知らないけど、「あの道を通らなければならない、あの人に出会わなければならない、なぜか知らないけど、こうしなければならない・・」という思いを、神は与えてくださいます。その思いを大切にしなくてはならないのです。

 私は先週、ある人のことを偶然聞きました。その人はクリスチャンではないです。そして、その人が現在、重い病で入院していると聞きました。私は以前にその人と二回ほど話したことがありました。あまり長い時間ではありませんでしたが、良い交わりでした。

 しかし先週の水曜日に、彼が入院していると聞きました。昨日の土曜日、私は、「その人の所に行かなければならない!」と強く思いました。けれども私には、たくさんのすべきことがあったので、どうしようかと迷っていました。

 案外、そのような時が人生の中にあります。「この仕事をしなくてはならないけれど、ある人の所にいかなければいけない・・。これは神からの思いかも知れないけど、後回しにしようか・・。」でも、何か、心に引っかかるのです。そんな時が神の時を迎えている瞬間かも知れません。

 私は忙しかったですが、その人の入院されている病院に一人で行きました。行くと、病室には誰もいませんでした。その人はベッドに落ち着いて寝ていることができなくて、畳の部屋に寝かされていました。私はそこでイエス様のことを話し、力一杯、祈ってきました。あまり意識がないようでしたが、彼に話しかけ、祈りました。

 すると、夕方、私に電話がありました。それは、その人が亡くなられたという知らせでした。「行って良かった!」と思いました。忙しいから月曜日にでもしようかと思っていましたが、もしもそうであったら、その人は人生の最後に、祈りを受けることはできませんでした。もしかしたら、永遠の滅びに行ってしまったかも知れません。私は何をさておいても、行って良かったと思いました。神に感謝の祈りをしました。「こんな者ですが、神の時のために使ってくださって感謝します!」と祈りました。

 時々神様は私たちの人生に、神の時を生きるように、神の時をより強く、より鮮明に示してくださる事があります。そんな時、色々忙しいかも知れませんが、神の時を最優先にすることが大切です。

 「サマリヤを通らなければならなかった」という記述は、ある注解書では、「イエス様がおられたところから、ガリラヤに行くにはサマリヤ経由の道もあったけれど、川沿いを行けばもっと近道だった、しかし、イエス様は、目的があってサマリヤを通って行かなければならなかった」と解説されていました。まさしくイエス様がサマリヤに行かなければ、この女性は救われることはできず、また、サマリヤの多くの人がイエス様について知る事はできませんでした。神の時が訪れていたのです。サマリヤで最も人々に受け入れられていない女性が、最も、神と人のために用いられたのです。

 教会に来たら、過去、どんな罪があっても、どんな背景があっても、関係はありません。イエス様は尊く用いてくださいます。

 先日、ある教会で奉仕しました。午前中の集会が終わり、一人で昼ご飯を食べていると、一人の男が無造作に部屋に入ってきました。スキンヘッドで、目つきがするどいおじさんでした。いきなり「先生!」と言って、私の目の前で何の説明もなしに、ズボンを脱ぎ始めました。すると足には竜の入れ墨が絡んでいました。「こんな者ですが救われますか?」と言われました。イエス様はどのような背景の人であっても、救われます。私はそのおじさんとお祈りをしました。彼はイエス様を信じ、喜んで午後の集会に出られました。午後の集会には奥さんも連れて来て、「先生。妻のためにも祈ってください」と言われました。神から見れば皆罪人であり、同時に神は一人ひとりを愛されています。私たちも、イエス様と同様に、神の時をつかんで歩むべき事を教えられます。

 イエス様がサマリヤで働かれた事によって、サマリヤに一つのことが起こされました。「異邦人の地」といわれる毛色が違う人々にも福音が伝えられる基礎が出来たのです。ユダヤ人はサマリヤ人を差別して「救われるはずがない」と思っていましたが、そこに福音の火がつきました。

 やがて聖霊の火は継続され、燃え続けたという事実を聖書から見ることができます。聖書は、時間的な経過を頭に入れながら、注意深く読んでいくと、興味深く理解できます。

 イエス様が十字架にかかられ、三日目によみがえられ、四十日後に天に帰られました。その十日後に聖霊が注がれ、弟子たちは聖霊の力を受けて伝道に出て行ったことが記されています。イエス様は、「エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして全世界に福音を伝えなさい」と語られましたが、弟子たちが聖霊を受けて外に出て行ったことにより、今、日本においても、このように主を礼拝できるようになりました。

 使徒の働き八章四節から八節に、

『他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。』

とあります。これはイエス様が天に帰られた「後」のことです。

 イエス様の弟子の一人、ピリポがサマリヤ地方に伝道に出かけたことが記録されています。サマリヤは以前、イエス様がスカルの町に近い井戸のところで女性に伝道し、多くの人たちがイエス様を信じた地方です。ここからも、継続的に聖霊が働かれていたことがわかります。最初にイエス様がサマリヤの町に聖霊の火をつけ、その後、聖霊の力を受けた弟子たちが同じ地域に遣わされました。

 サマリヤの町で、ピリポを通して素晴らしい業が起こされました。『汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。』とあります。サマリヤの町に不思議としるしが現されました。主は、神が生きていることを証明するために、不思議としるしを起こされます。『それでその町に大きな喜びが起こった』と記されています。

 私たちも今、リバイバルを祈っていますが、町に大きな喜びが起こるようなリバイバルを祈っていきたいと思います。

 先週、町が町としての安定性を保つためには、「地域住民が同じ体験を持つことが重要だ」と語りました。町は過去の共通した体験を通して、町として確立される部分があります。例えば、「広島」は過去に悲惨な体験があります。それは「原爆」です。また「神戸」というと、今では「震災」が住民の共通体験となりました。この辺りは一五七五年の「設楽原の戦い」であったり、また、豊川市は「海軍工廠の爆撃」という共通体験があります。そのほとんどが、悲惨な体験に基づいています。

 しかし私たちクリスチャンは、悲惨な体験に基づいて町ができるのではなく、神の力により、神を体験することによって町ができるように祈らなければなりません。サマリヤの町は、ピリポが来てリバイバルが起き、「町全体」が喜びに満ちあふれました。町が、神の霊によって満たされ、喜びの体験をしました。それが地域住民の共通体験となりました。

 十月一日に新城市が合併して広くなりました。しかし、お互いの心の中の地図は、まだまだ、書き換えられていないと思います。かつての鳳来町の人々は、新城市になったとしても、心の中の地図は依然として鳳来町です。新城市に住んでいる人々は、新城市が広がったという意識はあまりなく、心の中の地図は今まで通りの区分です。「三市町村が合併しての新城市」という境界線になるためには、かなりの時間がかかると思います。

 しかし三市町村共通の強い体験があれば、新しい新城市の境界線は、瞬間的に広がる事でしょう。新城市は今、地震で危ないと言われています。東海沖地震があったら、大きな被害があるかも知れないと言われています。合併後にそのような共通体験があったら困ります。主が町に訪れてくださり、ピリポがサマリヤの町に行ったときのように、喜び体験が基本となって町が確立するよう、祈りたいと思います。

 実は一つ嬉しい知らせがあります。今、「フィジー」という島にリバイバルが起こっています。その島にクーデターが起こり、望みがない島でしたが、神が訪れてくださり、人々が変えられ、自然界も回復したという DVD を先日見ました。

 十二月にフィジー島の牧師たちのリーダーで、リバイバルをリードされている先生が新城教会に来て、メッセージをしてくださることになりました。ぜひ楽しみにしてください(また、クリスマスコンサートも二日続けて行う話もあります)。

 フィジーに神の訪れを体験した人物から生で話を聞くことができます。

 また、もう一つお祈りしていただきたいことがあります。来年二月に、私は南米のコロンビアに行くことになりました。かつて、コロンビアの「カリ」という町に、リバイバルが起こりました。それは『トランスフォーメーションT』の中で紹介されています。「カリ」という町は、麻薬取引の悪い町でした。そのような中で、一人の牧師が暗殺されます。そんな悲惨な事件から、町中の牧師たちが変革を祈るようになりました。残念ながらその牧師は助からず、亡くなっていきました。しかしそんな悲しい事件から祈りの運動が起こり、リバイバルへと発展したことが『トランスフォーメーションT』に紹介されています。今その中心となった教会は、奥さんがやっています。

 今年六月に、ヤキマで六千人〜七千人が集まる大きな集会がありました。その集会の講師が、ご主人を亡くされた奥様でした。リバイバルによって、どんな事が起こされたのか、町が変えられた実際のデータを示しながら、レポートしてくれました。犯罪率の低下や経済的上昇など、さまざまなデータを示しながら、レポートしてくださいました。

 集会の後、食事をしながら、その先生と交わりを持ちました。すると先日、その先生から私にメールが来ました。「ぜひ、カリにきて集会をしてください」と言われました。私もどうしようかと思いましたが、ヤキマのジョー先生と一緒に行くことになりました。スペイン語なので、フェルナンド先生も一緒に行っていただくことになりました。私もそこで、リバイバルを見せていただきたいと願っています。また、そこで奉仕ができることを光栄に思います。

 「サマリヤの町に大きな喜びが起こった」とは、素晴らしいレポートです。最初にイエス様がとった小さな行動が火種となりました。私たちは、時々、神様から示されて取る小さな行動は、あまり意味がないように感じます。しかし私たちは「神の時」にあり、時をつかむと、小さな種が大きく広がり、後には町全体が変わってしまう大きな出来事につながります。

 そして、「次の神の時」につながっていくことを、ピリポの記事から見ることができます。ピリポは、サマリヤにおいて、大きなリバイバルを体験し、喜びの渦の中にいました。そんな時、再び神がピリポに語りかけられました。使徒の働き八章二十六節から二十九節に、

『ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。』

 喜びが溢れている町で中心的に働いているピリポに、聖霊様が声をかけられました。「あなたは立ってガザに下る道に出なさい」

 人間の行動パターンで一番難しいのは、最高に幸せで居心地が良いところから、下方へと方向変換をさせられることです。人間が一番難しいのは、「視点変換」です。今まで慣らされていた環境から変わるには、なかなか力がいります。

 日本人は、日本で生活をしており、それが普通になっています。しかし海外に行くと、日本人の生活パターンが普通ではないことがわかります。日本には家に入ったら靴を脱ぐという習慣があります。それは日本人にとって、「床はきれい」という考えがあるからです。しかし他の国々には「床は汚い」という考え方があります。海外から日本に初めて来たお客さんに「靴を脱いでください」と言っても、なかなかできません。

 ある時、アメリカ人のおばあちゃんが私の家に来られました。「よくいらっしゃいました」と挨拶をすると、畳の上でも靴を履いていました。生活パターンは変わりません。

 国民性は「辛いもので変わる」と書かれている本を読んだことがあります。日本と韓国は民族的にも同じですが、性格はかなり違うと言われます。それを研究している人が、その原因は「辛いものにある」と言いました。日本の代表的な辛いものは、「わさび」です。わさびを食べると「辛い … う〜ん … 」と我慢し、うちにこもります。しかし韓国の辛さは唐辛子です。それは、「辛い!!」と言って、火を吐くように息を吐かないと食べることができません。世界中の代表格の辛さは、唐辛子です。だから明るい国々が多いというのです。しかし日本人だけがうちにこもりやすいのは、わさびのせいだそうです(信憑性はわかりませんが)。

 とにかく、幸せ絶頂から暗い所入っていくのは、だれでも嫌だと思います。海外に行って、一番嫌だと思うことは、衛生的レベルが変わることです。日本のトイレはどこに行ってもウォシュレットがあります。そのような所に暮らしている人たちは、海外に行くと暮らしにくいものがあります。

 何年か前にインドネシアに行きました。立派なデパートのトイレに入りました。そこには穴が開いているだけで、トイレットペーパーがありませんでした。まさかトイレットペーパーがないとは思わないので、どうしようかと思いました。見ると、桶があり水が入っていました。また、ひしゃくが置いてありました。右手にひしゃくを持って水をすくい、左手でおしりを自ら洗う全手動のウォシュレットです。そうなると、日本人は心が穏やかではなくなります。日本には素晴らしい文化的生活があり、感謝です。

 実はピリポも、喜びの溢れる町から、寂しい荒野へ行かされました。それを聞いたときピリポは、「なぜ私のようなリバイバルの中心人物が、ガザみたいな荒野に行かなければならないのか・・」と思った事でしょう。しかしそれが「神の時」でした。

 そこに、エチオピアの女王カンダケの宦官がいました。彼は異邦人でしたが、主を信じていました。彼はユダヤ人と同じように、エルサレムにまで遠い道を旅して、主を礼拝しに来ていました。しかし彼はユダヤ人ではないので、真の神を信じながらも、教えてくれる人もいなかったので、御言葉を理解できませんでした。彼は馬車の上で、預言者イザヤの書を手にとって読んでいました。イエス様の十字架の目的が預言されている箇所を読んでいましたが、意味がわからずにいました。その時に、ピリポが遣わされたのです。神様は細かい配慮のある方です。エチオピアから、主を求めて遠い道を旅し、ある意味で、ちょっと虚しく帰る途中に、リバイバルの喜びで沸き返っている町のピリポをサマリヤから遣わし、彼を救いに導きました。ピリポは神のみ声に従い、神の時を捕まえたことによって、聖書に記載されるような奇跡を体験したのです。

 時々私たちも、少し自分の利益に反するような示しを受ける時もあるかも知れません。しかしそんな中に、神のすごいみ業が隠されているのを見るのです。

 ガザで宦官がクリスチャンになり、エチオピアに帰ったことには、大きな意味がありました。今、アフリカの多くの国がクリスチャンです。今アフリカではリバイバルが起こっています。その根底の火種は「宦官の救い」にあったのかも知れません。私たちも常に、神の時に対応するものになりたいと願います。私たちクリスチャンは、生活のただ中に神の時を迎える特権を持っています。

 ピリポの行動を見ると、神の時を迎えるときに、目に見えない世界での動きがあったのがわかります。使徒八章二十六節に、

『ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)』

とあります。彼に語りかけた根源は神ご自身ですが、ここでは「主の使い」と記されています。主を信じるものには、神の時に対応するために、助けの存在が遣わされています。それが御使いです。私たちの周りに目には見えませんが、常に「主の使い」が配備されています。民数記二十章十六節に、

『そこで、私たちが主に叫ぶと、主は私たちの声を聞いて、ひとりの御使いを遣わし、私たちをエジプトから連れ出されました。今、私たちはあなたの領土の境にある町、カデシュにおります。』

とあります。モーセが百万人以上という人たちを、エジプトの圧政から連れ出しました。モーセがイスラエルの民を引き出したように思いますが、なんと、彼の所に天使が遣わされていました。ひとりの御使いだけで、民をエジプトから引き出す強力な助っ人となったのです。今日、皆さんに同じ強い天の軍勢が遣わされています。

 ヘブル人への手紙一章十四節に、

『御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。』

 私たちには常に、天の軍勢の護衛があります。主を信じる者のためには、神の時に対応するために、御使いを遣わし導いてくださいます。自分の意志ではなかなか神の声に聞き従うことができないけれど、御使いが「ピリポ、立ってガザに行く道に出なさい」と語って助けたのです。

 ピリポの行動の背後に、「聖霊様」と「御使い」、それを聞いて動いた「ピリポ」が存在したことを覚えます。私たちも常に、神の時に対応するために、聖霊様の支配を必要とし、また、御使いが私たちと共に行動する中で、神の業が現されていくことを聖書から見ることができます。

 今週もきっと、神の時を備えてくださいます。「あなたは、このような選択をしなさい。あの人に伝えなさい。」と、ある時には、少し自分の利益に反するようなこともあるかも知れません。しかし、イエス様が従われたように、ピリポが従ったように、私たちも従う時に、素晴らしい神の栄光を見ることができると信じます。

 主を信じる者は、すでに神の時に生きています。注意深く、神の時に対応する者になっていきたいと願います。今週、皆さんに神の時が現され、神のみ業が伴いますように。それが大きく、広がっていくことを祈ります。一言お祈りします。


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