永遠のいのちを得るために

2005.10.23(SUN)
新城教会 滝元 明師

新約聖書 マタイの福音書  19 章 16 節〜 26 節
すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」

 ハレルヤ!おはようございます。これから聖書の御言葉を学びます。今日は「永遠のいのちを得るために」というタイトルで学びます。今から約二千年前に、イエス様がこの地上に来られましたが、その時に非常な金持ちの青年がイエス様の所に来てある質問をしました。

『「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」』

と質問しました。彼は永遠のいのちがあるということを信じていました。そこで永遠のいのちを得るために、どんなことをするべきかをイエス様に聞くと、

『なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。』

と言われました。本当に良い方は、神様以外にはないということです。また次に、

『もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」』

とあります。

 するとこの青年は、「そのようなことはみな、守っております。」と言いました。皆さんはどうでしょうか。この青年は、「これらのことはみな守っています。」と言い、「まだ足りないことがありますか」と言ったのです。イエス様は、この青年に質問に対して、

『「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」』

と言われました。この言葉を聞いた青年は、暗い顔をしてイエス様の側から去っていったとあります。この人は多くの財産を持っていたからだとあります。するとイエス様は、

『「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」』

と言われました。弟子たちは驚いて、「では、だれが神の国に入ることができますか。」と聞きました。するとイエス様は「人にはできないけれど、神にはできる」と言われました。金持ちが神の国に入るのは難しいと聞くと、それでは金持ちは神の国に入れないのかと思います。アメリカには金持ちのクリスチャンもいます。しかしイエス様は、「金持ちが神の国に入るくらいならば、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」と言われました。針の穴にらくだが通ることは絶対にできません。

 「針の穴」とは、イスラエルのある城壁に一番小さな門です。その門は「針の穴」と名付けています。「らくだが針の穴を通る」とは、荷物を持っては入れません。荷物を置いて立ったままでも入れません。荷物を置いて、ひざまずいてやっと入ることができるのです。だからイエス様は、「あなたが高ぶっていては駄目だよ。罪は悔い改めなくてはいけない」という意味でそのように言われたのです。

 彼が質問した、「先生、永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいでしょうか。」ということですが、「天国があるのか、地獄はあるのか」ということは、実に大きい問題です。しかし、聖書には、信じても信じなくても、「人間には一度死ぬことと、死後裁きを受けることが決まっている」とあります。人間はいつか死にます。

 先週、私の郷里である津具村に行って友人達に会いました。一人の女性が私に言いました。「今年、同窓会に出席できる男性は一人だけです。あとは皆、女性ばかりです。」と言いました。ということは、私の友達が大勢亡くなったということです。私は今七十六歳です。結核やガンで亡くなった人が多くいます。遠からず、私もいつかこの世を去らなくてはなりません。あと二十年か三十年か … と思っていますが、いつかわかりません。しかし問題は果たして天国があるかどうかということです。

 とても不思議に感ずることがあります。私がこの地上を出るまで、母の胎内の羊水という水の中で十ヶ月近く生きていたということです。とても信じられないことです。今だったら、水の中に十分いたら死んでしまいます。それが、胎内で十ヶ月、水の中に入っていたとは信じられません。赤ちゃんの時があり、いつかこの世を去って出て行くということを考えると、不思議なことです。

 昆虫について考えると、セミは不思議な昆虫です。卵を産み、幼虫になって出てきます。セミは土の中に六年間いて、地上にいる時間はわずかです。また、トンボの幼虫も最初はヤゴです。ヤゴは早くて二ヶ月、長いのは五〜六年水の中で生きています。そしてそのうちに皮を剥いでトンボになって舞い立っていきます。ヤゴの時には水がないと生きられませんが、トンボになると、水の中では生きられません。人間にもこの地上で生きる期間と、そこから出て、永遠のいのちへ繋がる天国があると教えています。ヘブル書二章十五節に、

『一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

とあります。イエス様を信じたら死の恐怖から解放され、自由になることができます。第一コリント六章九節から十節に、

『あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。』

とあります。今度十一月三日に「田中政男先生を忍ぶ会」が行われます。彼は鳳来町(今は新城市)で育ちました。十八歳の時にクリスチャンになり、静岡県浦川へ伝道に行きました。一九七〇年から「日本リバイバルクルセード」で、私と一緒に伝道活動をしました。田中先生が今年七月七日に天に召されましたが、私は田中先生とよく集会をしました。約三十五年間、田中先生が司会をし、私が説教をしていました。名古屋の市民会館で集会をしたり、「甲子園ミッション」や武道館での集会でも、田中先生が司会されました。

 ある時、子ども会で田中先生が話しました。「君たち、天国があると思うか。地獄があると思うか?」と聞きました。小学校五〜六年生の男の子たちが、「天国なんかない、地獄なんかない!」と言いました。すると田中先生が話しました。「ナイチンゲールが看護婦さんになって、人々を愛して素晴らしい働きをして死んだけれど、ナイチンゲールは死んでどこに行ったと思う?」というと、皆、口々に「天国!」と言いました。また、一つの事件について話しました。「一人の男が東京の方で男の子を誘拐し、殺して墓に埋めて騙して身代金をたくさん取った。こんな男がいたが死んだらどこに行くと思う?」と聞くと、さっきまで天国も地獄もないと言っていた男の子が、「地獄!」と叫んだのです。「君たちは、さっきから、天国も地獄もないと言ったんじゃあないか」と言うと、子供たちは、「やっぱり、あると思う」と言いました。

 金持ちがイエス様に、「先生、どんな良いことをしたら、永遠のいのちを自分のものにすることができますか?」と質問しました。

 最近リバイバル新聞に、一つのアンケートがありました。アメリカ人の大半が良いことをしたら天国に行けると考えているとありました。良い人が天国に行けるのでしょうか?

 イエス様は「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。」と言われました。イエス様は、「すべての人は罪を犯した。義人はいない。ひとりもいない。」と言われました。神様から見ると正しい人間はありません。良いことをすることによって天国に行けるというのは、日本人の思想にもあります。

 随分昔、大阪のあるところで説教しました。終わってから夜行列車に乗りました。大阪から豊橋に来ました。おじいさんとおばあさんがたくさん電車に乗っていました。私は一人の方に声を掛けました。「おじいちゃん、どこに行きますか?」「わしらは、これから身延山に行くのだ。」と言いました。私は身延山と聞いてどんな宗教なのかわかります。

 「身延山に何をしにいくのか。」と聞きました。「日蓮様を拝みに行くのだ。」と言われました。私は「おじいさん、大変ですねぇ」と言いました。「何が大変だ?」というのです。「わざわざ、大阪から身延山に行かないと祈りが聞かれない神様を信じているようでは、駄目でしょう」と口を滑らせました。おじいさんは、ムカッとしていました。そしてそれから私は、一生懸命おじいさんに伝道しました。

 おじいさんは「知ってるか。日蓮様は素晴らしい方で、殺されそうになったときにも助かったし … 」と語っていました。私もよく話を聞いていました。彼は力を入れて話していました。そして私に、「おまえ、わかるか。人間は死んでもなくならないのだ、魂があるんだ。」と言いました。「おじいさん、私も死んでも人間に魂があることを知っているけど … 。おじいさんは人間の魂が死んだらどこに行くか知っていますか。」と聞きました。「魂か。死んだら墓場にいくんや。」と言っていました。「死んだら墓場に行くって、あんな汚い場所に住まなくてはいけないのですか。それは、嫌ですね。」と言うと、「いや、いや、それは違うよ。死ぬけど、また生まれ変わるんや。」と言いました。「本当に生まれ変わるの?」「ほんまや。」と言うのです。

 そして私は「おじいちゃんは人間になる前は何だったんですか。」と聞きました。「それは、俺は何だったかわからんけどなあ … 」と言いました。「おじいちゃん、何だったかわからんのになぜ生まれ変わったと言うのですか。」と聞きました。「いやいや、わかっている。私の近くに一人の拝み屋がいて、その人に拝んでもらったんだ。そうしたら人間になる前になんだったかわかった人がいる。」というのです。「その人は何だったんですか。」と聞きました。「その人は、人間になる前に赤犬だった」というのです。「どうしてそんなことがわかるんですか。」と聞くと、「その証拠がある」というのです。「首に赤いほくろがある。これが赤犬だった証拠だ」というのです。私は信じません。

 その方が「あのな。この人がこんど悪いことをやったらなあ、もう一回しか生まれ変わることしかできないんだ。」と言いました。「今度悪いことをしたら何に生まれ変わりますか。」と聞きました。すると「今度はイノシシや。」と言いました。イノシシになったら、撃たれたら終わりだと言いました。悲しい未来観を持っているのです。「おじいさん、ちょっと質問をしたいけど、悪いことをしたらイノシシに生まれ変わり、良いことをしたら何に生まれ変わるのですか。おじいさん、大切なことを聞きたいと思います。良い人とはどこからどこまでが良い人ですか。悪い人とはどこからどこまでが悪い人ですか」と聞きました。「いや〜。それがなかなか難しい。」「でも、おじいさん。はっきりしてもらわないと、どっちかわからないから聞きたい。」と言いました。そして私は、「十円盗んだ人と、百円盗んだ人と、千円盗んだ人と、一万円盗んだ人と、十万円盗んだ人、どの人が一番良い人でどの人が一番悪人ですか。」と質問しました。「そうやなあ。」と言いました。「おじいさん、十円盗んでも泥棒でしょう。」

 聖書の中には盗むなかれと書いてあります。いくらとは書いてありません。「十円でも一円でも、百円でも泥棒。「千円、一万円でも泥棒でしょう。じゃあ、おじいさんどの人が一番いい人でしょう。」と言うと、「そりゃあみんな悪い人やなあ」と言いました。聖書には「義人はいない、ひとりもいない。」と書いてあります。私たちはアダムの子孫ですが、人間の中に正しい人はいないと書いてあります。しかし私たちはどこに行きたいかを考えます。

 ある時にニコデモという政治家がイエス様の所に来ました。彼は道徳家で非常に尊敬されていたパリサイ人でした。イエス様の所に来て質問しました。「先生、あなたは神から来た先生だと知っています。もしあなたが神から来られた先生でなかったら、あなたがしているようなことは誰もできません。」と話したときに、イエス様ご自身が彼に答えました。

 「よくよくあなたに言っておくけど、人は誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と答えました。彼はとても驚いて言いました。「私はこんなおじいさんですが、もう一度お母さんのお腹に入って、もう一度出てくることはできますか。」と言いました。するとイエス様は、「まことに、あなたに告げます。人は水と御霊によって生まれなければ神の国にはいることはできない」と言われました。彼の宗教はユダヤ教で、立派な人でした。多くの人から尊敬されており、議員でしたが、段々年を取って「いつかは死ぬ。自分の道徳で神の国に入ることができるのか」と悩んでいました。イエス様が来られて、素晴らしい奇跡をしたときに、恐らく、「この方こそ私たちが待ち望んでいたメシヤかも知れない。救い主かも知れない」と思い、イエス様に聞いたのです。「どうしたら天国に行けるか・・」

 これを聞きたかったのです。イエス様は心を見られていました。そして「新しく生まれなければ神の国を見ることはできない。水と御霊によって生まれなければ神の国に入ることはできない」と言われました。

 毎日のニュースは暗いことばかりです。毎日、「悪かったです。許してください。」と多くの指導者が謝っています。警察官や教師がセクハラで逮捕されたとか、色々な事件があります。しかし聖書は新しく生まれなければ、神の国を見ることができないと記されています。生まれながらの人間は肉です。新しく生まれ変わることは、イエス様を信じて聖霊によって生まれなければ、本当に良い人間になることができないと教えています。

 その時に、ニコデモは、「先生。どうしてそんなことがあるのですか。」と言いました。イエス様は「あなたはユダヤ人の教師でありながら、そんなことがわからないのか。風は自分の好むところに吹く。どこに吹いてどこに行くのかわからないだろう。人の子はモーセが荒野で蛇を上げたように、わたしも木にかけられなければならない。」と言われました。

 イスラエル民族は、四百三十年間エジプトで奴隷生活をしました。しかしそこから解放されたのです。しかし荒野で生活するうちに、嫌になってつぶやきました。「エジプトにいたらスイカが食べれたし、ニラもにんにくも食べれた。ここには何もないではないか … こんな所に連れてきて … この荒野で俺たちを殺す気か … 」と言いました。それを聞いた神様は怒りを発し、火の蛇を出し蛇は彼らに食いつきました。大勢の人が死にました。そして彼らは自分の罪がわかりました。「私たちはつぶやいて失敗しました。神様に悪かったことを赦してくださるように祈ってくれ。」と言いました。その時にモーセは「憐れみ深い神様。失敗しました。つぶやいたことを赦してください。みんな苦しんでいます。助けてください」と祈りました。その時、神様は「モーセ、あなたは青銅で蛇を作り、竿の上に掛けなさい。そして皆の見える所に建てなさい。誰でもこの青銅の蛇を見た者は誰でも救われると言いなさい。」と言いました。そこでモーセは神様が言われたとおりに青銅で蛇を作り、竿の上にかけ、「皆さん。悪いことをしたが神が皆さんを救われようとしている。どうしたら救われるか。この竿の上にかけられた青銅の蛇を見なさい。」と言いました。すると今まさに死のうとしていた人が苦しみの中で青銅の蛇を見ました。その時に聖書は、「見た者は皆救われた」と記されています。

 皆さんでしたらどうしますか。理屈っぽい人は、「何だって、青銅の蛇を見た人は救われる?非科学的なことは信じない。」というかも知れません。

 日本の神が「百万円出したら救ってあげる。」と言ったらどうでしょうか。ある金持ちがニコニコして「本当にですか。百万円出します。」「子よ。しっかりしなさい。罪は赦されました。」と言われて救われます。貧乏人の所に行き、「百万円出したら救われると神様がおっしゃったよ。」と言います。「えっ?百万?」顔が暗くなって「ちょっと安くできませんか。」「何?おまえいくら持っている?」「私は全財産集めて十二万円くらいしかない。」と言います。「駄目。金持ちしか救われない。」と言ったら矛盾します。

 ある人が死にかかっているときに神様が、「おい、良いことをしたら救われる」と言われたら、死にかかっているのに何の良いことができるでしょうか。何も良いことはできません。

 モーセが荒野で蛇を上げた意味は、「見上げた者は救われる」のです。イエス様は「人の子もモーセが荒野で蛇を上げたように、上げられなければならない」と語られました。「木にかけられたものはのろわれる」と聖書にありますが、イエス様は最後にいばらの冠をかぶせられて、十字架に掛けられて死なれました。イエス様は何のために死なれたのでしょうか。イエス様は神の子です。神の子が人間の罪を赦すために、人間の罪の身代わりとなって死んでくださいました。葬られて地獄の刑罰を受けて死者の中からよみがえってくださいました。ですから今救われる道は難しくはありません。イエス様が私のために死んでくださった、過去にどんな罪があっても、今日イエス様を見上げたら救われ、永遠のいのちを持つことができるのです。

 先日私は東京の方に招かれました。それは、ある牧師夫妻が、奥様と自分は死ぬときが近づいたから生前葬をやって欲しいというのです。それで私はそこに行きました。親戚たちを招き、ごちそうを食べました。そこで私は話をしました。私の隣に立派な社長が来ていて、その奥さんがこう話しました。

 「先生、私はクリスチャンではないですが、実は私の妹が知恵遅れで三歳以上にはなりませんでした。惨めな人生を送りました。歩くこともできず、学校に行くこともできない。五十七歳になって三十キロ近くの体重になって、やせ衰えて死ぬと言うときに、私は悲しくて、妹は死ぬ・・こんな苦しみをして死んでしまう。しかも地獄に行ってしまったら大変だ。何とかして妹に天国に行ってもらいたい。天国はキリスト教しかないから、牧師先生に、妹をクリスチャンにして、天国に連れて言ってくださいとお願いしました。」と言いました。

 妹は教会に行くことができないので、毎回牧師が家に来てくれて、絵を見せて握手をしていつもお祈りしてくれたそうです。そして何回もの訪問を続け、イエス様の絵を見せて、「イエス様はあなたのために死んでくださったんですよ。信じるだけで救われます。イエス様は死んでよみがえられました。永遠のいのちを持つことができます。信じますか?」というと、三歳位の知能の妹が、「アーメン。信じる」と言ったそうです。そして姉であるその奥さんの手に抱かれて、最後に息を引き取っていったと言われました。

 どうしたら永遠のいのちを持つことができるのでしょうか?今、多くの人が命の問題を考えています。クリスチャンの方は伝道しましょう。まだ天国に行ける確信がない方は、イエス様を見上げましょう。神様の義、イエス様が死んでくださったことを信じることによって救われます。お祈りしましょう。


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