ヴニアニ・ナカウヤサ師 特別講演記録

2005.12.4(SUN)
ヴニアニ・ナカウヤサ師

 感謝します。寒い所ですが、皆さんが暖かく歓迎してくださって感謝します。今年、私は日本に来るのは三回目です。三月、九月、そして今回です。来るたびに、へりくだりを覚えます。この美しい国で、すでに神様が色々なことを成してくださっていることを見ることができます。三月に来たときには、日本がどのような国であるかを試しに見に来ただけでした。アムステルダムとドイツで話をするために出かけ、途中で日本に寄りました。何人かの牧師先生にお会いしたことは光栄でした。そしてその時に、九月に来ることが決まりました。九月に来たときには、私たちにとって一番重要な意味を持った訪問でした。私の地域から、十三人が日本に来ました。その人々は国のトランスフォーメーションに関心を持つグループでした。日本の色々な県から来られた牧師先生方と交わりが持てて良かったです。

 そして今回このように、ここで話ができるようになりました。私は日本に三日間の滞在予定でした。しかし二週間になってしまいました。日本の至る所でセミナーが予定されています。日本の方々がリバイバルや、トランスフォーメーションに飢えていることの表れだと思います。

 三週間前に韓国からの宣教師と家族が、私の所に来ました。私はアメリカからちょうど帰ってきた時でした。その牧師が私に会いたいと言いました。言い訳をして会わないでおこうと思いました。しかし私の内部の声が「この人たちと会わなければならない」と言いました。そしてその方々と三日間を過ごしました。その時に私のミニストリーの新しい領域が開かれました。なぜならば、その方々がそのことについて飢えていたからです。そしてリバイバルが実際に起こっているところに連れて行ってほしいと頼まれました。午前一時、二時に色々な場所に行ったこともありました。そして彼らのためにも祈りました。自分の国のために百人ほどの方が悔い改めて祈りました。そしてこのように今語っている間も、二十四時間の祈りが続けられています。彼らは日本のために祈っています。そして今私たちは確信を持っています。日本の縄目が砕かれつつあります。日本で必ず、何かが起こります。そして、あなたが思い描くことができる最大の夢よりも、もっと超えたことを起こして下さいます。神様は、きっとあなたがたを驚かせます。なぜならば、神様は私たちをも動かされたからです。まさにそれが神様の成されることです。神様は私たちより、たくさんの驚きを持っています。主の御名を賛美します。今朝は、非常に単純な原理について話します。

 「トランスフォーメーション/変革」は神様の臨在を受け入れることです。つまり私たちが神様を招き入れることです。言い換えると、神様がいないならば、私たちは一日も生きることができないのです。神様の臨在を求めて、死にものぐるいになったら、皆で協力してそれを行います。そして皆が「神様来て下さい」と祈ります。

 私たちは常に、イエス様が二度目に来てくださる再臨を頭の中に入れておくべきです。しかし、ただ二度目にこられるイエス様を待ち望むのではなく、今、イエス様を待ち望むのです。天国に行ってしまえばもうイエス様と共にいます。ですから一番早い方法をとるか、一番長い方法をとるかです。今私たちが必要としていることは、今、神様がここに来られて、今、問題を解決していただくことです。今、神様が個人的に、また、社会の中で国のために変えようとされています。神様が必要としているのは、二度目にこられる時ではなく、今が必要です。イエス様が最初に来られた時は非常に重要でした。イエス様が最初に来られたこと、十字架で死んだことは御言葉の成就であり、非常に重要な意味を持っていました。

 実は、一つの国が神の元にひざまずくことは本当は簡単なことです。なぜならば、神が国を造られたからです。それには日本も含まれています。日本も島国の中の一部です。太平洋の中に造られた島国が、神様の所に来ることを期待しましょう。リバイバルの波が来ます。その波が日本に打ち付けます。日本を襲います。その時、日本は完璧に変えられます。神様の過激な方法で、この国が変えられます。トヨタの会社よりも遙かに大きなことが起こります。そしてトヨタが世界中に送られているように、日本人が世界中に送られます。私はトヨタ車に乗っています。今朝、初めてトヨタという名前の市があることを知りました。神様はあなたが考えていないような方法で、この国に訪れてくださいます。私はそう信じます。神様を誉めたたえましょう。

 九月に北海道に行きました。北海道でも色々な人が至るところから集まりました。そして、「土地を癒す」ということを始めました。今そこで色々なことが起こり始めています。単純なことを話したいと思います。マルコの福音書一章一節に、

『神の子イエス・キリストの福音のはじめ。』

とあります。神様が始めたいと思われるときに、始められるのは素晴らしいことです。神様がユニークで特別なことを始められるときに、私たちに何が必要でしょうか。創世記では神様がすべてを始められました。そして日本にも、神様は特別なことを始められます。そして皆さんは、神様が何かを始められるときに、自分自身もその一部とされることを願っておられます。また私もその一部にされたら本当に嬉しいです。私は人から話を聞かされる立場に立ちたくない人間です。そして私は神様がそこでなさっていることを、自分の目で見たいのです。自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の手で触れることができたら、その起こっていることは、本当のことだからです。奇跡が起きる時に、あなたはそこにいるのです。だから奇跡の中に入っていくときには、一歩外に出なくてはなりません。ほとんどの人は自分で足を出すのではなく、下がっていくのです。

 イエス様が水の上を歩かれた話があります。バプテスマのヨハネは首を切られました。そして次の日の夜、イエス様が水の上を歩いておられました。そしてボートの中には弟子たちがいました。段々波がひどくなって来ました。すると突然、どこからか歩いて来る人がいました。舟の中のいた弟子たちは、向こうから歩いて来た人間が、もしかしたら首を切るかも知れないと思っていました。しかしペテロはイエス様だとわかっていました。そしてペテロは言いました。「イエス様、私が水の上を歩けるようにしてください。私はあなたと一緒に行きたいです。」と言いました。しかしボートが揺れるのが恐かったのです。弟子たちはきっと、ペテロが水の上に飛び込もうとしているとき、ボートにしがみついていたと思います。ペテロが水の上を歩いたとき、彼は奇跡に向かって歩いていました。だから問題は、皆さんがペテロのように足を出して歩いていくか、あるいはボートにしがみついて「神様は素晴らしい。ペテロ頑張ってね」と言うかのどちらかです。ペテロは驚きました。自分は沈みませんでした。奇跡は私たちの一歩先にあります。一歩前の奇跡に向かって踏み出すか、ボートにとどまるかのどちらかです。だから単なる観客になるのはやめましょう。行動を起こしている人は、ほとんどいません。だから私たちは一歩踏み出して実際に触れる人間になりたいです。

 その日ペテロはあることを試しました。水の上を歩きました。ある人が私に言いました。私も歩いたことがあります。もしかしたら、私に、「日本ではみんな水の上を歩いている」と言われるかも知れません。「だから、水の上を歩くことは全く問題がありません」と。だれかが私に「水の上を歩いた」と言いました。それは、寒くて雪が降っていて池が凍っているときに、その上を歩いたのです。少なくても事実として、水の上を歩いたのです。しかしペテロは実際、水の上を歩いたのです。

 聖書に「はじめに」とあります。そして、

『預言者イザヤの書に、『預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』

とあります。私たちは、神様が来られる準備をするのです。イエス様の再臨のことではなく、再臨があることは当然です。天国に行くパスポートを持っていますか。もしそのパスポートを持っていなければ、今日発行できます。「主の道を用意し」とありますが、それはまさに、「トランスフォーメーション」です。そして今、この事は世界のキリスト教界において、最も注目されていることです。トランスフォーメーションは、どのようなことかについてお話しします。トランスフォーメーションは、「今この時点において神様が来られる道を用意すること」です。今社会や国に起こっていることを見ていると、自分の力で何をして良いかわからないのです。するべき手段は全部使い果たしました。神様がここに訪れられることが誰かの手によって決められるとしたら、社会全体で神様が日本に来てくださるようにと決めることです。

 昨日私はここに来て、新城にいますが、私がそのスケジュールに基づいて祈っているように、そのスケジュールで動くことです。イエス様が新城に訪れられるときには、どのよなスケジュールでしょうか。日本を訪れられる時に、イエス様のスケジュールはどのようになるのでしょうか。イエス様が訪れられるときには、きっと神様は予定表を持っておられます。きっと神様が持っておられると思います。

 皆さんはイエス様が訪れられた時の予定を持っておられますか。「いつでもどうぞ」と思われていますか。神様が来たいと思われるときに来てください、と思われていますか。神様に基づいて、一番良い時を選ばれると思っていますか。

 もし私が自分自身で、自分の予定を決められるならば、冬には日本に来ません。太陽が照っているときに来ます。今私は北極の近くに招かれています。「いつ来て欲しいですか?」と尋ねました。そして日程が決まりました。私は、「冬は止めてください。夏にしてください」と言いました。夏ならば太陽が暑いからです。彼らは「夏も冬も違いはない」と言われました。私はエスキモーではないから、雪の中に行くと死んでしまうと言いました。彼らは心から「神様は雪の中に木を育てられる」と信じています。すごい夢です。しかし神様がそうされると信じています。

 トランスフォーメーションの中で、教会が果たすべき役割があります。まず第一に、「神様の道を用意すること」です。神様が門を通ることができるように。私たちは神様から呼ばれているので、神様の中の立場において受動的になる必要はありません。聖なる道の中を一致して歩く必要があります。そして人々のための道を準備する必要があります。人々が歩いていくための、ハイウェイを作る必要があります。石を取り除く必要があります。そして基礎を築きます。それが教会の道です。なぜならば、教会という存在が、社会全体がトランスフォーメーションを受けるためのキーとなるからです。教会が社会のトランスフォーメーションのキーです。もしもドアに鍵がかかっていたら、あなたはドアを開けるための鍵が必要です。

 もう一度言います。もしも社会に鍵がかかっていたら、社会が福音に対しての鍵がかかっていたら、「教会がその鍵を開ける存在」になります。教会は社会を豊かにする鍵です。教会と教会の間、人と人との間の壁、教会と人の間の壁を壊すときに、トランスフォーメーションが起こります。この壁を壊し始める時、それはイエス様が私たちの町に訪れるための準備です。私たちは皆、町にイエス様が訪れることを必要としています。私たちは皆イエス様に対して、「イエス様。私の街に来てください」という必要があります。「これまで以上にあなたを必要としています」と。そして教会が国を導きます。教会が動くと国も動きます。もしかしたら、日本の中で教会は小さいので、大した役割はないと思っているかも知れません。しかし悪魔の言葉を信じないでください。日本の教会は大切です。この町に、この国にトランスフォーメーション、リバイバルをもたらす力を持っています。

 教会が国を弟子とするために働く役割について話します。トランスフォーメーションやリバイバルが社会に対して影響を及ぼす前に、まず「罪の悔い改め」から始めなければなりません。マルコの福音書一章で、バプテスマのヨハネが話しました。彼は非常にユニークな物事を行う方法を持っていました。彼の服はラクダの毛で、できていました。そして彼は蜂蜜とイナゴを食べていました。それは当時の普通の人の生活とは違いました。そして彼がその時にやってきた、新しい時代を始めました。彼は砂漠の中で説教していました。砂漠で説教すればもっと良い場所はないです。つまり砂漠は辺りを見回すと、何もなく、生命もないのです。しかしそこで福音が始まるべきです。彼は砂漠の中で説教していました。そしてそこで彼は、人々に対して神様の道について語り出しました。「神が来る道を整えなさい」と言いました。そして「悔い改めて神様の道を準備しなさい」と砂漠の中で説教されました。その時代は、マイクもPAもありませんでした。彼は肺の中から声を出して砂漠の中で語っていました。そして彼のメッセージは、ユダヤの隅々にまで届きました。そして四節では、罪の悔い改めとバプテスマの話をしています。また五節に、

『そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。』

とあります。ユダヤのすべての国が彼の所に来ました。それは全体に行き渡りました。そして「エルサレム全住民が彼の所に行き」とあります。これこそがリバイバルです。全ての人が、トランスフォーメーションに捕まりました。ポツリポツリではなく、全体に起こされました。ユダヤ全土とエルサレムの全ての人です。全部です。そして聖書の中では自分の罪を悔い改めて、ヨルダン川でバプテスマを受けたとあります。だから私たちはイエス様がこられるのを待ち望み、準備する必要があります。再臨の時を待つのではなく、神様は今ここに来たいのです。新城に来たいのです。日本に来たいのです。

 しかしそうするためには、私たちが神様を招く必要があります。聖書に、「わたしはドアのところに立ってノックしている」と言われます。イエス様が今、国や町のドアをノックされています。そしてその音を聞く人は、ドアを開けます。そこが開いたときに、私たちは一緒に神様とともに座ります。驚くべき事に、ユダヤの国全体とエルサレムの皆が自分の罪を悔い改めました。それこそが、神様が通られる道を整える働きです。その頃、イエスがこられました。皆が自分の罪を告白して、悔い改めていました。

 自分の罪を告白して悔い改める必要があります。本当に私たちの罪を悔い改めましょう。私たちは、「神様は物事をすることができない」という考え方を持っています。私たちは神様を小さくしてしまっています。神様は物事を行いたいのです。私たちのために私たちがまだ経験したことがないような方法、だから、自分自身のコントロールを超えたところで、どんどん物事がなされていきます。神様が皆さんの先頭を立って行われたら、すごいことが起こります。自分のリモコンではどうしようもないのです。

 日本では何でもリモコンで動きます。トイレもリモコンです。大阪のあるホテルの部屋に泊まりました。ドアが勝手に開きました。部屋の中に入ると勝手にドアが動き、カチャカチャいうのです。まるで自分が刑務所にいるかのようでした。夜目が覚めました。私の足が地面につきました。その瞬間、色々な電気がつき始めました。自分がトイレに行こうとすると、電気がつきました。電気さえ知っているのだと思いました。やりすぎだと思いました。

 しかし一つだけできないことがあります。神様をリモコンで動かすことです。できれば良いです。リモコンを使って神様を動かし、「日本に何月何日に来てください」とできたら素晴らしいです。

 しかし実はできるのです。「自分の罪の悔い改め」を通してできるのです。そうしたら神様が喜んできてくださいます。九節に、

『そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。』

「そのころ」とあります。神様は「時」という感覚を持っておられます。人々が罪を悔い改め、許しが与えられるのが時です。イエス様が来て、ヨハネがイエス様を見たときに人々はヨハネに「あなたが救い主ですか?」と聞きました。しかしヨハネは、「私は救い主ではない」と言いました。私は前を走っている人間に過ぎないと言いました。「私はイエス様の道を準備するために来た」と言いました。

 もしも、私がこの日本でできることがあるならば、こう言うことです。「イエス様が来られるための道を用意してください。」

 私は日本に来るのは三度目です。そして今、皆さんに語っていることは、「罪を悔い改めましょう。赦し合いましょう」ということです。そしてヨハネは、「私の後から来られる方がおられる。私よりはるかに強力で私よりも高い方です。私は、ひざまずいて靴のひもを解くこともできない」と言いました。その時にイエス様が来られ、イエス様がヨハネに言いました。

 「わたしにバプテスマを授けてほしい」ヨハネは本当に驚きました。「私があなたにバプテスマを授けるなんて。私はあなたのことがすごいと言ってきた人間なんです。そして私があなたにバプテスマを授けたら、人々は私を違う目で見るようになってしまいます」しかしイエス様は、「あなたがそうすることは良いことだ」と言われました。そしてこの方法を通して、神の義と神の権利が信じられます。

 なぜイエス様はバプテスマを受けられたのでしょうか。イエス様がこの地に来られたのは、観光に来られたのではありません。父なる神様がすべての滝や富士山のような美しいところを作られたのを見ました。創造物のすべてを見られて、イエス様は神様に向かって「すごいことをされましたね。」と言われたと思います。しかしイエス様は自分自身は、この地上に住んでいる人と同じ者であることを知らせようとされました。イエス様が受けられたバプテスマは、「同一化」、つまり「人と神が一緒になった」のがバプテスマでした。そしてイエス様がこのことを通して言われたのは、「本当に私は皆さんが大好きです。皆さんをケアーしています。皆さんの問題を一緒に解決したいのです。」

 人々は祈り、飢え、苦しんで泣いていました。そしてイエス様は、盲目を見たり、苦しんでいる人を見ました。イエス様は本当の神です。人間の中の人間です。イエス様はすべてを天に置いてきて、人間として来られ、自分の足で地を歩かれました。そしてイエス様はこの地上に来られて、皆に言いました。「私はあなたの問題を一緒に解決したいのです」

 そして今日、イエス様がこの町に訪れて、この町を歩かれたら、その時と何の違いがあるでしょうか。そして私たちの町をイエス様が歩かれたら、どれくらい大きな違いが生まれるのでしょう。そしてイエス様がこの町を歩まれたら、盲目で耳の聞こえない人の苦しみがすぐにわかります。そして「ダビデの子イエス様」と皆が叫び求めます。そしてイエス様が地上におられたときには、イエス様は苦しまれている人たちを絶対に無視されませんでした。だからこそ、トランスフォーメーションが可能です。だからこそ、トランスフォーメーションは起きるのです。なぜならば、イエス様は本当に生きている神の子だからです。そしてイエス様は実際に自分の足でこの地上を歩かれて今、神様とともにおられるからです。そして私たちが告白すると、イエス様は私たちを導く牧者となります。私たちは心からトランスフォーメーションに向けて叫ぶことができます。イエス様は自分の足でこの地上を歩かれました。彼は人間の体を持っていましたが、私たちの一人です。

 イエス様はもしかしたら、日本人かもしれません。そして今イエス様は父なる神様の右に座っておられます。なぜ私は「イエス様が日本人であるかも知れない」といったのでしょうか。なぜなら、みなさんがイエス様に日本語で祈ると、理解されるからです。イエス様はすべての言語を理解できるのです。すごいです。だから私はトランスフォーメーションがここで起こることは可能だと言うのです。トランスフォーメーションは起こります。リバイバルは可能です。町全体が神様に顔を向けることができる、国全体も神様に向かうことができるのです。神様が造られたからです。土地も、国も神様によって造られました。しかし悪魔は、「私が日本を所有している」と言いうのです。悪魔は何も作りませんでした。小さな蟻さえも作っていません。何も作っていないのです。神様がすべてを創られたのです。そして神様がその中に目的を持っておられます。礼拝が大好きです。そしてこの教会の礼拝は素晴らしいです。今朝私は、何かをしているという気持ちがしました。立ったり座ったりしているのです。あっちに行ったり来たりしているのです。なぜならば、自分が興奮しているからです。皆さんも興奮しているでしょう。日本人はとても恥ずかしがりです。三回日本に来たのでよくわかります。しかし神様の臨在を感じています。今日の午後は「イエス様がここに来られたら何が起こるか」について話したいと思います。何が起こるのでしょう。私は今朝イエス様に話しました。「私は今日ここに招かれました。しかし私ではなく、ここに必要なのはあなたです。」と祈りました。今朝、「私に神様をコントロールできるリモコンがあったら良いなあ」と思いました。「イエス様。今朝、あなたは新城です!」と。

 神様に拍手を捧げましょう。お祈りします。

「天の神様。心から感謝します。あなたが大きな違いを生み出してくださるからです。私たちの教会で、生活、個人的な違いで満たしてくださる神。私たちがあなたを迎えられること。私たちの心の中にあなたに来てくださることを求めました。あなたは私たちと個人的に付き合ってくださるお方です。あなたを愛します。感謝します。私たちの救い主であることを。そして私たちを一緒に歩かせてくださること感謝します。そして私たちはこれからずっとあなたに感謝をささげることができます。私たちは様々な賛美をします。そしてあなたの素晴らしさに感謝を捧げます。あなたのような方は、この世にいません。今日、すべての心、すべての人生に触れてください。年をとった人から若い人にまで、聖霊様が触れてくださることを願います。私たちの心の中に、今リバイバルを下さい。聖霊様、どうか私たちをコントロールしてください。聖霊様、動いてください。そして私たちはこの一週間を捧げます。私たちは、あなたの言葉を語ります。私たちがあなたの言葉を話すことができますように。どうかすべての人生が影響され、触れられますように。私たちの心の中に飢え渇きを作り出してください。そして私たちをへりくだらせてください。祈らせてください。そしてあなたに向かわせてください。私たちの弱さから目をそらせてください。あなたは天から私たちに答えてくださる方です。私たちの罪を赦してください。そして私たちの土地を愛されています。どうか神のリバイバルの火を持って訪れてください。リバイバルをもって訪れてください。ここにいるすべての人に触れてください。聖霊様の力と油そそぎを与えてください。そしてイエス様の名前によって祈らせてください。全ての縄目から解放され、あなたを礼拝することができますように。そしてあなたの前で豊かにしてください。祈りながらあなたの信仰を与えてください。どうか心の中を歌で満たしてください。あなたなしでは生きることができないという、歌で満たしてください。この土地、この国をいやしてください。そしてこの国の人々、教会をいやしてください。聖霊様、来てください。すべての人に触れてください。飢えている人を満たしてください。乾いている人、義に飢え乾いている人を満たしてください。心を満たしてください。どうかここから出て行くとき、入ってきた時の罪が一つもありませんように。また病気の人が癒されますように。心からの祈りを与えてください。聖霊様来てください。イエス様の名前で祈ります。あなたがこの国に解放を与えてください。そして自由を与えてください。リバイバルの火を与えてください。満たしてください。解放してください。イエス様の御名よって祈ります。アーメン」

ハレルヤ!神様の祝福がありますように。


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