あなたの重荷を主にゆだねよ

2006.1.15(SUN)
新城教会 滝元 明師

旧約聖書 詩篇55篇22節
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

 ハレルヤ!おはようございます。今日ここで御言葉を語ることができ、感謝します。私は一月七日に北海道に行きました。その前日は、この教会で中嶌さんの前夜式がありました。私は北海道に行ったので、残念ながら葬儀に出ることができませんでした。北海道では二十五年間続けられている、「北海道リバイバル聖会」が行われました。お祈りくださったので、無事つとめを終えて帰ることができて感謝です。
 私は中部国際空港発、二時五十分の飛行機に乗って北海道に向かっていました。札幌空港に着く頃、吹雪で着陸できるかがわからないというアナウンスがあったので、祈りました。すると再び、飛行機は名古屋に戻らなければならないというアナウンスがあり、帰ってきました。しかし日曜日は北海道で話をする予定があったので、真剣にお祈りしました。中部国際空港に着き、六番カウンターに行くと、札幌行きの飛行機があると言われ再び乗り込みました。すると風が止んでおり、無事降りることができました。素晴らしい時を持つことができ、感謝でした。北海道の先生方がとても喜んでくださいました。すべてを神様が守ってくださったこと、そして皆さんがお祈りしてくださったことを、心から感謝します。
 札幌も二十五年ぶりの豪雪だと言われましたが、火曜日に北海道から帰り、次の朝、東京の神学校で講義をしました。一日六時間の講義を三日間しました。
 先日は中嶌さんの葬儀がありましたが、彼のことを考えました。ちょうど二ヶ月ほど前に私と共に、イエス様を受け入れる祈りをし、機会ができた時にバプテスマを受けようとしていました。しかし彼は七十九才で亡くなりました。彼は奥さんと昼食を終え、しばらくして姿が見えないので探してみると、エレベーターの中で亡くなっていたようです。人生はわからないものです。明日は何があるかわかりません。私たちはイエス様を信じて、永遠の準備をすることが大切です。今日は、「あなたの重荷を主にゆだねよ」というタイトルで御言葉を学びます。

『あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。』

 将来を考えると、何があるのか、明日は喜びがあるのか、悲しみがあるのかわかりません。しかし色々、心配事でくよくよ悩まないで、神様に信頼してゆだねなさいと教えています。これはダビデ王が作った詩です。ダビデは若いときに、主人であるサウル王から追われて殺されそうになり、七年間逃げ回っていました。詩篇五十五篇に、

『私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。』

とあります。ダビデは、悲しみと苦しみの中で、「どんなに悩んでも仕方がない。それよりも重荷を主にゆだねよう」という詩を作りました。神様は、絶対に正しい方なので悪くはされません。皆さんも、色々な悩みがあるかも知れませんが、今日はイエス様に信頼してすべての重荷を主にゆだねてください。詩篇六十八篇十九節に、

『ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。』

とあります。私たちの人生には、色々な問題がありますが、神様があなたの重荷をいっしょに背負ってあげる、心配しなくても良いと教えています。「日々」とありますので、毎日です。明日は何があるのかわかりませんが、明日のことばかり心配をせずに、今日一日を真剣に生きることが大切です。一日を神様が心配して導いてくださいます。
 メッセージの準備をしながら、イエス様が一日一日助けてくださったことを感謝しました。
 私は十九才の時に東京でイエス様を信じました。そしてその一年後、どうしても、皆にこの素晴らしいイエス様を伝えたいと思いました。そして家に帰ると、両親がとても反対しました。「せっかく東京に勉強に出したのに、キリスト教に狂ってきた」と言われました。父親は、「勘当する」とよく言いました。私は開き直って「四人の兄たちが兵隊に行って皆無事帰ってきたので、一人ぐらい戦死したと思って勘当してください」と言うと、「バカ野郎。親がそんな簡単に諦めがつくと思うのか…。」と言われました。私はそれを聞いて、「思わなかったら、勘当などと言わなければいいのに…」と思いました。
 父は「お前がキリスト教に入ったので、恥ずかしくて村も歩けない」と言いました。当時私の父は、津具村の村長代理でした。「何が恥ずかしいのだ。私が殺人でもやって刑務所にでも入ったら、恥ずかしいかも知れないでしょうけど…。正しい生活をするようになって、何が恥ずかしいですか。僕は日本のために働きたいと思っているのに、お父さんは何が恥ずかしいのだ…」と言いました。ある日、母が泣きながら言いました。その時すでに私は婚約していましたが、結婚すると言うと、「明。頼むからキリスト教を止めてくれ。止めたらお前の結婚式に、タンスや着物をたくさん作るから…」と言いました。私は「いらん!」と答えました。父は資産家でした。私が何もいらないというと、悲しいと言いました。イエス様に頼っていくと言いました。「保証はあるのか?」と言われるので、私は「あるよ」と答えました。その時、マタイ六章二十五節から三十四節の御言葉を話しました。

『だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』

 「絶対に生活は神様が守ってくださる」と言いました。すると、母は「バカ、強情な奴だ…」とつぶやきました。ですから私が結婚するとき、両親は結婚式にも来ず、もらった物は布団のカバー一枚だけでした。しかし私を導いてくださった牧師が、「兄弟。絶対に乞食をするなよ。聖書に神の国とその義を求めたら、必要な物をくださると書いてるから、イエス様に頼っていけ。」と言いました。だから私は両親の所に、物乞いに行ったこともありません。もし物乞いをしたら、「それみろ。イエス様でも食わせないだろう」と言われるので、メンツにかけて、飢え死にしてもイエス様に信頼しようと思いました。それから五十六年になります。今日まで生きてきました。ですから私は、いつも食事の時に心から感謝の祈りをします。「今日も食べ物を下さって感謝です」と祈ります。マタイ六章二十五節から三十四節の御言葉をもう一度読みます。

『だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』

 「明日のことは心配するな、明日は明日が心配する」とあります。明日を創るのも神様であり、明日を導くのも神様です。ここまで導かれたことを、神様に感謝しています。
 田中先生の記念聖会で昔の写真を見ました。私の洋服がダブダブでした。それは宣教師からもらった古着でした。しかし今はたくさんの着物を持っています。ここまで導いてくださった事を感謝しました。またペテロ第一の手紙五章七節に、

『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』

とあります。今日この言葉を覚えてください。ピリピ人への手紙四章四節から六節に、

『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』

とあります。私たちは心配がきます。しかしその時には、神様に何でも願いなさいと教えています。七節に、

『そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』

 ですから、心配しないで、これからすべて神にゆだねましょう。生活の心配はたくさんあると思います。間もなく受験シーズンです。イエス様にゆだねて、お祈りしなければなりません。また経済的なこと、健康のことなど、色々心配事がありますが、イエス様におゆだねしたら祝福されます。
 先日、ある牧師がこのように語っていました。「私は小さな頃、急にお母さんがいなくなり、悲しくて泣いていました。しかし何日経っても帰ってこない。それは母が若い男と逃げてしまったからです。それから間もなく、父親が若い女を連れて家に入ってきました。そんなどん底の時に、イエス様が私のために十字架にかかって死なれたことを知りました。私は泣きながら人生をイエス様に明け渡しました。それから私は幸せになりました。そして今、神様のために働けるようになりました。」と話していました。
 また福沢先生は、「父は創価学会で大酒飲み。いつも母を殴り追い出し、私は父をナイフで刺して殺そうと思っていました。しかしイエス様にお会いしたときに、悔い改め、父も最後にはイエス様を信じて、天国に行きました」と語られています。
 本田弘慈先生は、「学校で購買のお金をごまかしたことが罪だとわかって、悔い改めました」と語られていました。色々な人生があります。私の両親はクリスチャンではありませんでしたが、夫婦喧嘩もせず、たばこも酒も飲まずまじめでした。私はきよらかに生きたいと思いますが、誘惑に負けてきよらかに生きることができない、何とかしてイエス様にお会いしてきよらかに生きたいと思いました。
 皆さん、信仰を持ってください。信仰を持ったら、素晴らしい人生を送ることができます。時々、悪を行う者に腹を立てる時もあります。しかし詩篇三十七篇一節から四節に、

『悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。』

『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』とあります。これは神様の約束です。六節から八節に、

『主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。』

とあります。腹を立てることをしないで神様に信頼してください。今年一年間、決めて下さい。忙しいかも知れませんが、まず、神を第一にして礼拝することをやってみてください。そして聖書の御言葉を実行してみてください。そうしたら祝福されます。
 私は三年ほど八橋マンガンで働きました。たいへん重労働でした。木馬を担いだり、一トンほどの鉱石を引き下ろしたり、夏は心臓が爆発するかも知れないと思うことがありました。石の仕事なので、当たって怪我をすることも多くありました。ある日、家内が私の傷ついた背中を見て泣き出しました。「イエス様。主人を早く鉱山から救い出して下さい。」と祈ってくれました。その時ふたりで御言葉を読みました。詩篇三十七書二十三節でした。

『人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。』

 当時は文語体でしたので「人の歩みはエホバによって定められる。その行く道をエホバ喜び給えり。」と書かれていました。人の歩みは神様によって定められ、主がその道を喜ばれると読んだときに、神がこの鉱山で働いているのを喜ばれるなら、私は一生涯ここで働けと言われるなら、この鉱山で働こうと決心しました。不思議なことに、その日から仕事が楽になりました。喜んで仕事ができました。感謝なことに共に働いていた三人がイエス様を信じました。ですから、苦しいと思ってもイエス様にゆだねて、神のみこころに生きたら必ず素晴らしい人生を生きることができます。イエス様に信頼しましょう。私たちは時々、色々なことを心配して気を遣います。伝道者の書五章十九節から二十節に、

『実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。』

とあります。素晴らしい人生を送る人は、自分の生涯をくよくよ思わない人だとあります。小さいことを絶えず心配して過ごしても、一日中賛美して過ごしても、一日は一日です。一日中感謝しても、また怒っていても一日です。ですから、小さな事を心配しないでイエス様に任せなさいと教えています。「下には永遠の腕がある」という言葉があります。神様が生きておられると思います。
 私は結婚してから米もお金も何もない時がありました。その時、家内が着物を持って農家を廻って芋と交換してもらったことがありました。それを感謝して食べました。しかし次の日になると、芋がなくなりました。仕事も就職もないのです。芋を食べていると、私の兄が来て、「明。お前、石背負いの仕事があるけどやらないか」と言いました。石垣に積む石を業者に売る仕事です。それをやりました。そして帰るときに、日当をくれました。私は一日働いて、すぐに日当をくれるとは思わなかったので嬉しくて、帰り道で米を買って帰りました。歯車が一つ狂うと生きられない時代でしたが、今日まで与えてくださいました。
 私は家内に何も買ってあげれませんでした。子どもたちの服が買えず、家内の服で子ども服を作り着せました。ある日、家内の実家に行くと母が、「清子。お前にはお金を出して教育を受けさせたのに、こんな汚い格好をして恥ずかしい。だからもう二度と家には来ないでくれ」と言いました。それから私たちは実家に行けませんでした。家内の母は、子どもが生まれても、一度も手伝いに来ませんでした。しかし私たちは祝福され、この教会ができました。
 その時、家内の母が泣きました。「あんなに反対したのに、イエス様が祝福してくれた。私はこのままでは地獄に行ってしまう」と言って悔い改めました。そして、「清子と一緒に暮らしたい」と言ったので、「貧乏でも良かったら来て下さい」と言ったら、「ここには愛がある、平和がある、喜びがある」と言って、新城に引っ越してきて、二十年間一緒に過ごし、九十才で天国に帰って行きました。くよくよしなくても大丈夫です。「会社はどうなるか」「結婚したらどうなるか」「子どもがどうなるか」とくよくよしないで下さい。それよりも、イエス様を愛して、第一にしていけば、イエス様が祝福してくださいます。伝道者の書七章九節に、

『軽々しく心をいらだててはならない。いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。』

とあります。イライラする人がいますか。いらだっていると胸にとどまって病気になってしまいます。それよりも心配しないで、イエス様にゆだねてください。良い学校にはいるか悪い学校にはいるかと言うよりも、みこころの所に入れるようにゆだねて下さい。どんなに有名になっても、全部置いていきます。しかし一番大きなことは、天国に入ることです。イライラしないで、むしゃくしゃしないで生きることです。また伝道者の書七章二十一節から二十二節に、

『人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。あなた自身も他人を何度ものろったことを知っているからだ。』

とあります。人の言葉で傷つくことがあります。「隣の奥さんが…」「あの人がこう言った…」と、いちいち心に留めてはいけないと記されています。「あの人がああ言った…」と言いますが、聖書は、「あなた自身も他人を何度も呪ったことを知っている」とあります。自分が悪口を言われたと言っても、あなたも他人の悪口を言ったことがあるので、文句を言ってはいけないと教えています。大らかな気持ちで、心を尽くしてイエス様に信頼したら大丈夫です。今年は、天と地を創られた神に信頼しましょう。私を愛して十字架にかかられ、よみがえられたイエス様に心から信頼しましょう。毎日、「イエス様、今日もお願いします。」と、少しくらい人に悪口を言われてもお任せし、また少しくらい金がなくても、どんな時にもイエス様に信頼していきましょう。そうしたら、これから平安な生活をすることができます。
 いちいち、心いらだっている方はいますか。くよくよする人、心配な人、今日はイエス様にゆだねてみてください。

 先週、ある神学校に行き、何を話そうかと考えていました。すると「私の愛する日本のために」という本から霊的戦いについての講義してほしいと言われました。それで甲子園ミッションのDVDを持って行き、講義の中で見せました。とても恵まれました。準備の模様や、私がハーベストタイムで話しているところや甲子園ミッションの色々場面を見せました。田中政男先生が生き生きして司会をしていました。皆、若々しかったです。しかし、田中先生やソン・ミンヨン先生、また三橋先生など、その頃活躍されていた大勢の方々がすでに天に帰りました。私たちもいつどうなるかわかりませんが、くよくよしないでいきましょう。私が信じていることは、「死ぬまで生きる」と言うことです。とにかく、イエス様を信頼していきましょう。お祈りします。


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