あなたを勇士の剣とします!

2006.2.5(SUN)
新城教会 滝元 順師

旧約聖書 ゼカリヤ書 9 章 12 節〜 15 節
望みを持つ捕われ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと。わたしはユダを曲げてわたしの弓とし、これにエフライムをつがえたのだ。シオンよ。わたしはあなたの子らを奮い立たせる。ヤワンはあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣のようにする。主は彼らの上に現われ、その矢はいなずまのように放たれる。神である主は角笛を吹き鳴らし、南の暴風の中を進まれる。万軍の主が彼らをかばうので、彼らは石投げを使う者を滅ぼして踏みつけ、彼らの血をぶどう酒のように飲み、鉢のように、祭壇の四隅の角のように、満たされる。

 ハレルヤ!お祈りに支えられ、無事にコロンビアに行って参りました。コロンビアでは、今は夜八時になります。私たちは一月二十四日に日本を出て、二月三日、無事帰ることができました。お祈りによって支えられたことを感謝します。

 毎日忙しく主のために働かせていただいていることを感謝します。私はいつも予定を立てるときに、人間的予定ではなく、主に予定を立てていただきたいと願っています。人間的策略で予定を立てることもできますが、結果はあまり良いものではありません。しかし神の計画は、素晴らしい結果をもたらします。

 特に私たちのような牧師の働きは、目に見えない霊的な働きです。神の計画の中で仕事を進めていかなければ、働きは無駄骨、無駄足に終わってしまいます。ですから、私たちのために祈ってください。教会の働きは御霊による働きですので、神の計画が実現しなければ、空振りに終わってしまいます。

 今回コロンビアに行く話は、主の導きであったと信じ感謝しています。そのきっかけは、昨年ゴスペルクワイヤー、「ヘブンリー・キングダム」のアメリカツアーについて行ったことでした。すでに毎年同行していたので、今回は行かなくても良いだろうと思っていました。しかしちょうどアメリカに娘がいましたので、娘に会うのも良いかと思いながら出かけました。すると「サンデー・トゥギャザー」という集会がヤキマであり、ヘブンリーキングダムが賛美しました。それはヤキマの教会が一つとなって開催される集会でした。

 その集会に出ると、ルース・ルイバルというコロンビア人女性が講師に立っていました。それは『トランスフォーメーションT』の DVD で紹介されている、コロンビア、カリからのリバイバル・レポートでした。

 かつてカリはコロンビアで最も危険な町であり、麻薬取引グループがたくさんありました。それはただのグループではなく、軍隊化した重装備している勢力でした。彼らは麻薬で大きな利益を上げていました。そのため、町はぐちゃぐちゃになっていました。そんな中、街のクリスチャンたちが立ち上り、祈り始めたときに街が変えられたことをデータを示しながら話していました。

 私は五千人ほどの会衆の中の一聴衆でした。私はジョー先生と友達ですので、集会が終わってから講師と一緒に食事に行く機会が与えられました。けれども私はあまり英語ができないので、ただ顔つなぎになった程度でした。

 しかし日本に帰ると、ルース先生からメールが来ました。メールの内容は、「コロンビアに来て働きを手伝ってくれないか」というものでした。私は友人のジョー先生が行くなら、一緒に行っても良いと答えました。それで今回、私とフェルナンド先生と、ジョー先生というインターナショナル・チームでコロンビアに行くことになりました。

 今回、カリにおいて一週間ほど奉仕をしました。どのような集会になるのか、まったく予測はつきませんでしたが、皆さんのお祈りに支えられ、結果的にすばらしい旅となりました。

 アメリカのヒューストンを経由してカリに行きましたが、ヒューストンではロン・ブラウンさんと落ち合って、彼の生まれ故郷のとりなしに行きました。私たちのチケットは格安チケットで、ヒューストンで一泊することになっていて、とりなしの祈りが実現しました。ヒューストンの南西にある「ワートン」という町に行って一緒に祈りました。ロンさんと数年前に出会い、今回は一緒に故郷のために祈りました。主の不思議な導きを感謝しました。

 翌日、ジョー先生と空港で合流して、一路、コロンビアのカリに向かいました。日本からヒューストンまでは十二時間、ヒューストンからカリまでは五時間でした。私は南米に何回も行っていますが、コロンビアは初めてでした。私はどのような働きをしたら良いのかと、ずっと主に祈っていましたが、なかなか答えが与えられませんでした。先に準備をしても、それが現地で役に立つかどうかわからないので、会衆の前に立ってから語ることを教えてくださるように祈っていました。しかし、事前に、今回のテーマとなる御言葉をいただけるよう、祈りながら向かいました。

 夜の九時頃、飛行機はカリ空港に到着しました。その時、一つの賛美が心に巡ってきました。それは、ざわめきの中の「勇士の剣」という賛美でした。ちょうど出かける前に、私は「賛美」についてメッセージをしました。朝起きたときに与えられる賛美は、一つのテーマです、と語りました。飛行機がカリに着陸するとき心に響いてきたのが、ゼカリヤ書九章の御言葉の賛美でした。

勇士の剣 主の手に握られた者よ

勇士の剣 今この地解き放て

とりでに帰れ 二倍の力受けよ

主の血潮受け 勇士よ奮い立て

その矢はいなずま 主は嵐の中を進まれる

その剣研ぎすませ あなたは勇士の剣

『望みを持つ捕われ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと。わたしはユダを曲げてわたしの弓とし、これにエフライムをつがえたのだ。シオンよ。わたしはあなたの子らを奮い立たせる。ヤワンはあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣のようにする。主は彼らの上に現われ、その矢はいなずまのように放たれる。神である主は角笛を吹き鳴らし、南の暴風の中を進まれる。万軍の主が彼らをかばうので、彼らは石投げを使う者を滅ぼして踏みつけ、彼らの血をぶどう酒のように飲み、鉢のように、祭壇の四隅の角のように、満たされる。』

  紀元前六世紀、ゼカリヤが預言した言葉が記されています。これはイエス様についての預言でした。たとえば、九章九節から十一節に、

『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。あなたについても、あなたとの契約の血によって、わたしはあなたの捕われ人を、水のない穴から解き放つ。』

 新約聖書マタイ二十一章一節から六節に、この預言の成就が記されています。

『それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。

「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。』

 イエス様がロバの子に乗って、エルサレムに入城することがすでに、ゼカリヤ書に預言されていました。

 その他にも、イエス様がユダヤ人に拒絶されること、また、銀貨三十で裏切られること、十字架で手足を刺し通されること、また、イエス様は罪の赦しを人々に与えることなどを、ゼカリヤは預言しています。

 イエス様の働きは、やがて弟子たちに託され、また、今日では教会に託されています。

 マルコの福音書十六章十五節から十八節に、

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』

 イエス様が地上で行われた働きは、悪霊を追い出し、病を癒し、御国の福音を宣べ伝えることでした。その働きは弟子たち、そして、教会に託されました。イエス様は「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」と語られました。

 今回、日本から世界に出て行き、コロンビアで福音を伝えることができました。ゼカリヤ書九章は、「わたしはあなたを勇士の剣のようにする」と述べられています。それはイエス様ご自身の事ですが、同時に、私たちにも与えられている言葉です。

 今回私たちを招いてくださったのは、「ルース・ルイバル」という先生です。先生は『 UNITY in the Spirit 』(御霊による一致)という本を出されていて、全世界で用いられている器です。先生はアメリカ人ですが、ボリビア人の伝道者と結婚し、今から三十数年前にコロンビア第二の都市カリに伝道に入りました。カリはコロンビアの太平洋側に位置し、標高千メートルの町です。ご主人と伝道に入ったとき、クリスチャン人口はたったの〇・一パーセントであったそうです。

 南米においては、カトリックからプロテスタント(プロテスタントとは反抗という意味なので、「エバンヘリコ/伝道的」という言葉が使われる)に変わることが救いです。南米のカトリックは偶像礼拝とともにあります。そこから解放されるのが救いです。

 現在、カリには新生したクリスチャンが十パーセントいるようです。現在街には、二百万人ほどの人々が住んでいますが、この四十年で教会は約百倍に成長した事になります。

 日本はどうでしょうか。約八千ほどの教会がありますが、一教会の礼拝出席は約三十人程度です。新城教会は恵みによって多くの方が集まっていますが、人口の〇・一パーセントから〇・二パーセントしか主を信じる人々を見出すことはできません。

 かつてカリの町もそのようでした。麻薬取引の中心で、暴力と殺人に満ち、世界で一番悪い町になっていました。そのような中、クリスチャンたちは心を痛め、特に一九九五年、牧師たちが集まって祈り会をしたそうです。そして、町中のクリスチャンに祈りを布告しました。サッカースタジアムを借りて、大規模な祈祷会を計画しました。二千人ほど集まったら大成功だと考えていたそうです。しかし蓋を開けたら、二万人ほとが集まって街のために真剣に祈ったそうです。その年、三回程スタジアムを借りての街のための祈祷会を持ったそうです。第二回の集会には四万人が集まり、街の回復を祈ったそうです。すると毎日のように悪いニュースが飛び交っていましたが、大きな麻薬取引のグループが解体されていったというのです。そんな現状を見て、彼らはさらに祈るようになりました。祈りは社会や国を変えるための重要な鍵です。そしてもう一度、祈祷会を開催しました。すると六万人が集まりました。場外に常時一万五千人が溢れていたと言いました。祈りによって町が変えられ始めました。

 その時、祈祷会を中心的に導いたのがルース先生のご主人、フリオ先生でした。その集会では多くの人が救われ、癒され、解放されました。

 しかし一九九五年十二月、牧師たちが次の集会の準備をしている時に、フリオ先生がある教会の玄関先で暴漢に襲われ、撃ち殺されてしまいました。それはコロンビアで何日間もトップニュースになりました。その事件を通して、教会とクリスチャンは更に町のために祈ろうと心を一つにしたそうです。それから更にリバイバルの火が街に拡大しました。

 その時主が教えてくださったことは、「一致することが大きな力」であるということでした。町には多くの教会がありましたが、一致せずにバラバラで働いていたら効果はあがりません。しかし心を一つにして働くときに、大きな力になるということを主が教えてくださいました。

 今朝も、このように多くの兄弟姉妹が集められていますが、心一つとなって祈るときに困難な問題を打ち破ることができます。一人一人は主によって位置づけられており、一つになるときに、リバイバルのわざが拡大します。

 今、私は「リバイバルミッション」で働いていますが、これは日本の多くの教会が一つとなって、リバイバルのために祈る運動です。今年は四国でミッションが行われますので、ぜひお祈り下さい。

 カリにおいても「御霊による一致」について教えられ、ルース先生はご主人亡き後、町のためにずっと働いてきました。

 しかしその後も、事件は続きました。それは、ご主人が亡くなった後、町の中心的な牧師たち、それも四十代から五十代の働き盛りの牧師たちが、次から次へと死んでいったからです。ある牧師は銃弾に倒れ、ある者は病気、ある者は事故で死んで行ったそうです。すでに十人以上が亡くなったそうです。

 九五年のリバイバル開始から、約十年が経ちますが、多くの牧師がいのちを失ったのです。彼女はその事に心を痛め、最近真剣に祈ったそうです。「神様、私たちは心一つにして町のために祈ってきたのですが、一体、これはどういうことでしょうか?」

 町が変えられてきたことは確かですが、その後、暗闇の力が頭を持ち上げて町の状況が悪くなる様子もありました。

 今回コロンビアに行きましたが、私が今まで訪問した中で一番危ない国でした。私は色々な国に行くと、現地の人にすぐに聞くことがあります。それは、「ここでは何を注意すべきですか?」と聞くようにしています。国によっては文化的・習慣的にタブーがあります。たとえば、インドネシアでは左手で子どもの頭をなでてはいけないのです。日本人は子どもを見ると、良い子だと言いながら頭をなでます。しかし頭をなでることは、呪いを置く意味があり、イスラム諸国では左手は不浄の手と言われているので、大変なことになります。インドネシアで可愛い子どもがいたら、頬を引っ張るのが習慣です。

 今回コロンビアで注意することについて聞きました。すると、「誘拐」と言うのです。「特に日本人は注意してください」と言われました。日本人を見ると、金があると思って誘拐するというのです。事実、先生のお宅も高い塀と鉄条網で囲まれており、二十四時間警備がなされていました。夜も警備員がおり、ドーベルマンのような犬が放たれていました。家の周りは堀のようになっており、人が入ると犬が噛みつくように訓練されています。そして昼間は犬の訓練をしています。

 また多くの南米の町々は、たいてい夜になると陽気に外にイスを持ち出し、にぎやかな様子があります。しかしカリの町は夜、外に出ている人はあまり見かけませんでした。私たちが空港に到着すると、宿舎まで猛スピードで移動し、門戸を叩くと守衛が開けて入れてくれました。その夜、十時半頃休もうとすると、外で「パン、パン」という乾いた音がしました。初めは花火かと思いましたが、それは銃声でした。

 「昨晩聞こえたのは、銃声ですか」と聞くと、「そうですよ」と当たり前のような顔をして答えました。「あんなのは普通です。昔と比べたら良くなりましたから … 」と言われました。それは試し撃ちではなく、人に向けて発砲されているというのです。銃声が聞こえるときには、誰かが傷つくか死んでいるのです。私たちが泊まった場所は、中流階級の人たちが住んでいる地域でした。しかしその反対側は谷で、越えると危ない地域が広がっていました。私は外務省のホームページを調べていきましたが、「シロエ地区には絶対に入らないでください。当局の人たちも入れません」と書かれていました。私たちの泊まった家の前がシロエ地区でした。毎晩そこから銃声が聞こえました。ですから外出するのもままならない状況でした。私たちは教会の中での奉仕が多かったので、教会の中にとどまっていました。到着後三日間、外に出ることができませんでした。外にとりなしに出かけたいと思っても、なかなか行くことができませんでした。外出するときにはボディーガードが付きました。体格の良いおじさんがついてくれました。彼は元マフィアで、「 M19 」というテロリストの構成員でしたが、クリスチャンになったそうです。外に出るときには、時計を取らないと危ないと言われました。

 日本は平和なので感謝しなければなりません。自由に動くことができますが、その国の人たちには私たちのような自由がありません。

 街にリバイバルが起きましたが、真剣に祈ったそうです。「神様。どういう事ですか。牧師たちが多く亡くなり、原因はどこにあるのでしょう?」と祈った時に、主からの声を聞いたそうです。「それは悪魔の働きだ。悪魔の働きに対して戦わなければ、決して勝利できない!」という声でした。

 それで昨年、私と出会ったことを思い出し、私にメールを出したそうです。先週土曜日はカリの議事堂で、街にある教会の牧師会が開かれました。私はそこでメッセージをしました。初め彼らは教会が一致して働くならばリバイバルはどんどん広がっていくと考えていました。しかし、「一致したら次に何をすべきか」についてはっきりしていなかったのです。

 そして主は、敵の力に立ち向かわない限り、本当の勝利はないと語りかけたのです。エペソ三章九節から十一節に、

『また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。』

 神が万物を創造した奥義とは、教会を造り、教会を通して天にある支配と権威に立ち向かわせることでした。「天にある支配と権威」とは、「悪魔とその勢力悪霊ども」です。その勢力に立ち向かわせるために教会を造った、それが創造の奥義であり、神の計画なのです。

 私たちには一人一人、賜物が与えられており、それぞれ勇士の剣としての役割がありますが一人では働くことができません。それぞれが互いに一つになるときにキリストの体である教会が完成します。エペソ一章二十三節に、

『教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。』

 教会はかしらがイエス様であり、各器官であるクリスチャンたちによって構成されています。そして、「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」とあるように、イエス様が血液のように、どこでも、満ちておられると教えています。私たちが一つになり教会が形成されたら、今度は、「敵に対して立ち向かう」ように教えています。

 カリにおいて主は、まず、御霊による一致という中で教会を一つにし、街全体にキリストの体である教会を建てあげたのです。そしてそれが完成したときに、一つのわざが起こされました。けれどもその後、「敵に立ち向かう」という教会の一番中心的な役割にはっきりと気付かなかったらしいのです。それで、牧師たちの間に悲惨なことが次々と起こったのかもしれません。

 私たちも日本においてリバイバルを準備していますが、今回、その中で絶対に落としてはならないことを学んだような気がしました。

 何のために一致するのでしょうか。何のために教会があるのでしょうか。それは町、国を支配する敵の力に立ち向かうためであり、一人一人が剣となって見えない敵と戦う為なのです。ヨハネの十四章十二節から十三節に、

『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。』

とあります。イエス様が天に帰られる前に一つの約束を与えてくださいました。

『わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。』

 私たちは主の手に、「勇士の剣」として握られています。主は、私たちを通して、イエス様が行われたよりも、さらに大きなわざを行おうと準備されています。ここに集められた一人一人を、「勇士の剣」とすると語られています。心を一つにして、日本を支配する暗闇の力に立ち向かっていかなければならないのです。

 神様は「最高の計画」を私たちに対して持っておられます。しかし悪魔は、私たちに対して「最悪の計画」を持っています。悪魔が持っている計画は、「最悪の計画」です。

 私たちは案外、神様の最高の計画については語りますが、悪魔が持っている最悪の計画についてはあまり意識しません。しかし教会が一つとなって敵の力に立ち向かっていくとき、悪魔が持っている「最悪のプラン」は打ち砕かれ、その結果として主は私たちに勝利を与えてくださるのです。

 ゼカリヤ書九章九節から十一節には、平和は「戦いの勝利の結果」として与えられると教えています。勇士の剣として用いられるよう、お祈りしましょう。


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