ジョー・ハイト師特別講演記録
「教会に与えられた神のビジョンに歩もう!」

2006.4.23(SUN)
ヤキマバリーフェロシップ
ジョー・ハイト師

旧約聖書 創世記12章1節〜3節
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 ハレルヤ!お元気ですか。今日、私はそれほど元気ではないかも知れません。歯が痛いからです。薬を飲んで少し痛みが和らいでいます。
 順先生が飛行機の中で聖書を読んでいたのがきっかけで、私と出会うことになりました。飛行機の中で聖書を読んだことを後悔しているかも知れませんが。
 今日は私の他に、四人、ヤキマから来ました。ジェイソンさんは去年も来ました。彼は独身です。ヤキマの県のオフィスで働いています。新車で日本車を持っています。またウィルさんは四年前にここに来ました。また、パームさんとロビンさんも来ました。みんな新城教会が好きです。ヤキマの教会から、ここに来たことのある人たちが、皆さんによろしくと言っていました。そして皆さんも、ヤキマの教会にぜひ来てください。ヤキマの教会は新城の支店です。ヤキマに順先生の娘の里辺架ちゃんを送って下さっていることは、嬉しいです。
 私の息子ピアスは、フライフィッシングを練習しています。私も練習しました。そして私たちはとても漁が上手になりました。そして前回、順先生がヤキマに来たときに、先生にも釣りを教えました。しかし先生に釣りを教えるのは、うまくいきませんでした。息子は大きな鱒を釣り、私は大きな鮭を釣りました。しかし順先生は小さな魚でした。しかし彼は小さな魚を捕ってとても自慢していました。だから今回、日本に釣り道具を持ってきました。
 けれども、順先生は釣り以外に、とても上手なことがあります。祈りは素晴らしいです。先生のミニストリーをとても感謝しています。ここに来れて嬉しいです。私たちの教会は新城教会と日本のために祈っています。いつも皆さんのことを考えています。新城教会が私たちに霊的戦いについて教えて下さったことを、心から感謝しています。アメリカ人はあまり霊的、宗教的ではないので霊的なことを学ぶ必要があります。教えてくださって私たちを歓迎して下さっていることを、感謝しています。新城教会に立って話すことは少し恐いです。なぜならば、私が学んだことはすべて順先生から学んだことだからです。けれども、私にこのように話させてくださって感謝します。私はアメリカ人なので、日本人のように礼儀正しくありません。だからメッセージをしますが、気を悪くすることがあったらお許し下さい。

 今日は大きなビジョンを持つことについて話します。それは、大きな視野を持つことです。皆さんの人生は、この地上で生きる年月だけではありません。皆さんの人生は、仕事や子育てだけではありません。皆さんがイエス様に仕えているならば、あなたの人生は永遠において神と共にあります。聖書は生きることについて、結婚したり、食べることだけではないと教えています。人生とは、神に仕えることです。神様のために、人々に仕えることです。神様は私たちに仕事を与えられます。その仕事は、この土地から敵を排除することです。私たちはサタンに対して去るように告げるものです。そしてイエス様を招き入れるのです。
 「Zawameki10」のCDを聞きましたが、そういう意味で開先生の仕事はとても重要です。私たちは神様を称えて、神様を心に迎えることができます。私たちの土地に迎えることができます。だから私たちは色々な場所を訪れ、「サタンよ、ここから去れ!」と言い、その代わりに、「神様、来て下さい!」と言うことが必要です。神様は皆さんに、それぞれの仕事を与えています。ある人は学生、ある人は仕事と、色々なことをして神様を迎えるために置かれています。私たちがどこにいても神様は、あなたに対して大きな計画を持っておられます。ですから神様があなたに対して、皆さんにどのようなビジョンを持っているかを知ることが大切です。
 神様がおられなかったら、自分の人生や自分自身を狭く見てしまいます。神様が一緒にいるならば、永遠のいのちを見ることができます。創世記十二章一節から三節に、

『その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』

とあります。聖書が言っていることは、自分の土地を離れて神が選ばれた土地に移ることです。神様はアブラムに対して、「自分の民族・自分の土地を去ったら、あなたを新しい国民にする」と言われました。
 「日本人である」と言うことは、とても素晴らしいことだと思います。時々自分も「日本人だったら良いなあ」と思います。しかしほとんどの日本人が、私が日本人でないことを嬉しいと考えるかも知れません。私はアメリカ人で皆さんは日本人です。日本人であるとか、アメリカ人であると言いますが、もっと重要なことは皆、「神の王国の国民」であるということです。私たちは皆、新しい王国の出身です。だから皆つながっており、親戚のようです。だからまず、私たちがしなければならないことは、私たちが物理的なふるさとを離れて、神の国に入ることです。神の国が一番で日本は二番です。聖書はあなたが土地を去ったら、あなたを偉大な国民とすると約束されています。ただ、あなたがたが偉大になるのではなく、神様のために偉大なことができるのです。そのために、あなたは存在しています。ですから皆さんは、皆さんが住んでいる町、職場、学校でイエス様のように見るのです。
 私たちのヤキマにおける目標は、ちょうどこの箇所から出ています。私たちが神様にあって祝福されていることは、「他の人の祝福」になります。それが私たちのビジョンです。神様は皆さんを祝福されます。そうすると、皆さんが他の多くの人たちの祝福となります。それは創世記で、神様がアブラムに成された約束であり、私たちにされた約束でもあります。
 イエス様がユダヤ人の所に行った時、ユダヤ人たちはこのことを理解することができませんでした。ユダヤ人たちは、大きな過ちを犯しました。彼らは自分たちを祝福するためだけにメシヤが来ると思っていました。だからメシヤとは、ローマ帝国から救済してくれる軍隊的・政治的指導者だと思っていました。ですからユダヤ人たちは、イエス様を狭い視野で見ていました。それは「自分たちだけ」という狭い視野です。ユダヤ人たちだけが祝福されるというビジョンを持っていました。ユダヤ人たちは自分たちが他の多くの人たちの祝福になるという、もっと大きなビジョンを忘れてしまっていました。だからイエス様が救い主としてこの地上に来られたとき、ユダヤ人たちのビジョンはとても狭かったので、イエス様が王の王・主の主であることが見えませんでした。イエス様はどのような方であるのか、イエス様の本性が見えていませんでした。
 私たちはそれと同じ過ちを犯したくありません。私たちが自分の目だけでイエス様を見ることはしたくないです。また、自分自身の必要性だけでイエス様を見ることはしたくないです。私たちは、イエス様を神様の目を通して見たいです。ですから、私たちはイエス様をただ自分だけではなく、世界中を救い出してくださる方という見方で見たいのです。だから私たちは、狭いビジョンではなく、神様が持っておられる永遠のビジョンとして見たいです。
 順先生に私がとても感謝していることは、順先生がひとりの人のために祈るとき、例えばその人が「問題がある、病気がある」と言ったとき、順先生は「あなたの土地について、また、周りの人々について話してください」と言われます。なぜならば、あなたは周りの土地や人々と関係があるからです。そして土地が解放され、周りの人々が解放されるように祈るとあなたも解放され、癒されるのです。
 恐らく私は日本でこの御言葉を語る必要がないかも知れません。しかしアメリカでは、とても重要なメッセージです。なぜならば、アメリカ人は自分のことしか考えていないからです。アメリカ人は自分自身が住んでいる土地と関係があるとか、周りの人とつながりがあるという視点で物事を考えていません。アメリカでの一番大切な概念は、「個人」です。しかしそれは神の王国の考え方ではありません。たった一人について考えるとき、私たちのビジョンは狭いです。神様が私たち一人をどのように祝福されるのか、と考えると私たちのビジョンは狭いのです。私たちは神様に知らされる民族について考えるべきです。神様が支配される全体の土地について考えるべきです。だから私たちが、その土地においてどのように祝福があるのかを考えるべきです。アメリカでは、よく私たちは貧しいから、病気だから、他の人の証にはならないと言われます。だから自分自身がとても快適な生活を送り、自分自身たちが幸せになるまで、他の人に対する伝道や宣教はしないと言います。しかしイエス様は、「わたしのめぐみはあなたに十分である」と言われます。たとえあなたが病気でも、貧しくても、破産していても、「わたしはあなたを使うことができる」とイエス様は言われます。ですから大きなビジョンの中で、私たちを神様が使ってくださることは感謝です。エペソ三章十節に、

『これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、』

とあります。神様の計画の中で、個人ではなく教会が一つになり、神に関するすべてのことを土地、民族に対して伝えます。ですから教会が一つになることが大切です。だからヤキマ・バリー・フェロシップと新城教会が一つになることは大切です。
 六十年前、日本とアメリカは敵対していました。それは悪魔の計画でした。しかし現在私たちはつながっています。ですから、私たちの違いは区別がつきません。神様にとって私たちは同じように見えています。違いはありません。それが大切なことです。私たちがそのような形でつながっていれば、私たちはイエス様のように見えるのです。私たちが一緒になっているときは、出会う人に対して私たちはイエス様のように見えるのです。ですから、神様の大きな計画は、私たちが力を合わせてイエス様が成されたいことを行うのです。ですから、エペソ人への手紙には、敵の前でさえも私たちは神様の力を示すと教えています。私たちがイエス様のからだの一部として、力を寄せ合って一つになるときに、私たちは敵を打ち負かすことができます。私たちは霊的な権威と力を持っています。
 昨日の夜、インターナショナル礼拝で「聖霊様から力を受けること」、「神様を知ることによって権威を受ける」、「私たちは互いにつながることによって、神様を知ることができる」と学びました。エペソ人への手紙は、私たちが神様の中で一つになることによって神様が見えます。ですから、皆さんは個人として存在するのではありません。新城、ヤキマなど、クリスチャンとして一つになることが大切です。私たちは一つです。そして私たちは互いに祈り合います。そして集まって一緒に礼拝すること、また一緒に祈ること、そして、一緒に食べるのです。どうすればそれができるのでしょうか。使徒二章四十二節から四十七節に、

『そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。』

とあります。四十二節の英語の訳は、devoted(ディボーティド) という言葉が使われています。日本語の訳にはないですが、これは自分自身がその事に対してささげられているという意味です。ですから、ここに「堅く守り」とありますが、それがそのことに対して自分自身をすべてささげているということを意味しています。そして、その言葉はギリシャ語では、麻薬中毒やアルコール中毒という、「中毒」という同じ単語が使われています。ですから、私たちはイエス様と教会に対してに中毒であるべきだと教えています。一歩もそれなしに生きることができないという意味です。イエス様と教会がないと、自分は生きることができないという意味です。教えや指導者たちに中毒になっていることです。また皆が交わりに関しても中毒です。また一緒に聖餐する、お互いにつながっていることに対しても中毒になっているという意味です。四十四節の言葉は、

『信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。』

 「一緒にして」という言葉は、英語では、「in common」と言って「共有している、共通の」という意味です。そしてこの「common」という単語は、共有している、共通のという意味と同時に、「下品な」という言葉もあります。ですから、「聖ではない、汚れている」という意味なのです。それは、彼らの人生のどんな部分にも、他の人が触れ得るという意味です。聖なるものとは、触れることができないものという意味です。ですからこの場所で共有しているという意味は、きよめられていない、きれいではない、だから、「触れることができる」という意味なのです。ですから互いが触れることができるから、互いに気を配り合い、世話をしあうということに対して、中毒になるのです。
 だから皆は共に集まることに対して中毒だったのです。互いに祈り合うことに対して中毒であったのです。そして、共に神様を楽しむ、イエス様に対して一緒にいることが大切です。それは、単に一緒にいるから楽しいという意味ではなく、一緒にいることによってイエス様が一緒にいることができるからです。そうすることによって、イエス様がなさったことを私たちがすることができます。
 イエス様は天に帰られるときに、「わたしが去るときに、あなたがたは、わたしよりも偉大なことができる」と言いました。それは、どうしたらできるのでしょうか。それはイエス様が、私たちをイエス様のからだにしたからです。私たちを通して、イエス様が偉大なことをされます。それこそが神様の大きなビジョンです。小さなビジョンは、自分がしたいことをすることです。大きなビジョンは、イエス様がなさったことを、私たちがするということです。そして奇跡が起こります。リバイバルが起こります。敵が散らされます。ですから、主の祈りの中で「天に中におけるように、この地上においても…」と書いてあります。神様は、天国がこの地上にあることを望まれています。今ここにです。ですから私たちは、毎日を天国の中で送る生活のように、生活する必要があります。そうすることによって、神様がここにいることができるのです。ヨハネ二十章十九節に、

『その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」』

 私たちがつながれていて、イエス様のビジョンの中にあるときに、イエス様が一緒にいます。私たちが大きなビジョンを持っているときは、神様のビジョンの中にある大きな事が起きるのです。自分の小さなビジョンしか持っていなかったら恐ろしいです。神様が起こされようとされている素晴らしい機会を、私たちは逃してしまうのです。すると、自分の人生が駄目になってしまいます。ビジョンが良くない人の結果は、大変なことになります。
 詩篇二十九編に、「ビジョンのない人々は滅びる」とあります。だから、私たちは良いビジョンを持ちましょう。悪いビジョンや小さなビジョンを持っているときに、ボーリングの球がサッカーの球に見えるのかも知れません。私たちクリスチャンはビジョンという言葉を「視力」という言葉でも使います。サッカーの球が飛んできたら、ヘディングするために飛び上がります。そうすると、ボールが飛んできます。しかし、ボーリングの球が飛んできて、それをヘディングしようとしたならば、あなたの方が飛んでいくかも知れません。あまり良いことではありません。だから、大きなビジョンを持つ必要があります。だから神様が与えられる「永遠」というものによって、私たちは動かされるべきです。神様が見ていることを、私たちも見ることが大切です。ですから私たちが見ていることを見ていると、もしかしたら、それはボーリングの球かも知れません。ですから「そこにある」と思っているものを見るのではなく、本当にそこにあるものを見なければなりません。サッカーボールが飛んできたかと思ったが、実はボーリングの球だという危険なことが起こらないためです。しかし神様の目から見るならば、私たちは正しいものを見ることができます。永遠、神様のビジョンが私たちの人生を定義づけるときに、私たちが正しく見ることができます。
 毎朝起きたときに、自分自身に、「今日私は何を見るのか」と尋ねる必要があります。ピリピ人への手紙の中で、パウロが書いたことを考えなければならないと思います。「私の心の目を開いて下さい」と書いています。「大きい光」と書いてあります。正しものを見せて下さい。詩篇九十篇十二節に、

『それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。』

とあります。英語では、私たちに与えられた時間を最大限に利用できるように、という訳です。そして「私たちの行う全てのことを成功させて下さい」とあります。だから皆さんが自分自身の人生についての何らかの決定について考えるときに、自分自身ではなく、神様のビジョンで考えるべきです。皆さんは神様のビジョンのために造られています。そして皆さんは、いつもイエス様と一緒にいるようにと造られています。そしてイエス様に仕えるように、皆さんは造られています。ですから、神様に仕えているときに、皆さんは一番良い形で生きることができます。永遠のいのちに生きるようにと造られています。だから皆さんは、ただある仕事をするためではなく、永遠に生きるために、また神様からの使命を果たすために造られています。牧師や教会の指導者がいますが、自分自身に与えられている召しよりも重要な使命は他にありません。ここにおられる一人一人に、神様は重要な使命を与えられています。だから私たちは、その使命を果たさなければなりません。そして私たちに神様が与えているものは、私たちが想像する以上のものです。自分自身の肉の目だけで見ることはできません。自分の霊的な目で見ることが大切です。

 この新城教会の皆さんには、神は大きなビジョンを持っています。素晴らしいです。王国のビジョンを持っています。とても大切なことです。ですから今日このメッセージをしたことは、神様は皆さんを誉めておられます。皆さんは素晴らしいことをしています。だから止めないで下さい。皆さんが今なさっていることが、大きな違いを生み出しています。今、新城教会が日本を変えています。日本に関しての統計的な数字を見ると、日本にいるクリスチャンが増えています。あるアメリカの会社が、日本のクリスチャンについて調査をしました。甲子園ミッション以来、日本のクリスチャンが増えています。大きな違いを見出しています。アメリカにおいても、この教会は大きな違いを見出しています。コロンビアなど、他の場所でもです。新城教会は有名です。神様に対して最も有名です。お祈りしましょう。
 アメリカでは、時々、胸にて手を置くようにお願いします。心臓の上に、体の真ん中に。こうすることによって、神様に私の心に入ってくださいとお願いします。そして皆さん言ってください。「イエス様。私はあなたをすべて、また、あなたの王国をすべて私の心の中に欲しいです。」と言ってください。
 手を広げてすべてを受け取ることができるようにして祈りましょう。

「イエス様ありがとうございます。あなたの王国をこの教会に続けて注いでくださることを祈ります。そして、この教会の人々を使い、世界を変えてください。そしてあなたの王国をもっとたくさん受けることができるように広げてください。もっと大きな資産を、もっとあなたからの恵みを与えてください。そして霊的な武器、もっと大きなビジョン、大きな影響を与えてください。そしてあなたの王国のサイズまで、この教会を拡大してください。すべての人が祝福されますように。そして互いをつなぎ一つにしてください。そして一緒になってもっと強くしてください。そしてこの礼拝にいる、すべての人とその家族が祝福されますように。そして悪魔を追い出します。サタンのこの教会に対する計画はつぶされていることを宣言します。サタンはこの教会を止めることができないことを宣言します。この教会の中における王国は、敵に対して強すぎる力があります。これまで見たことがないことを起こして下さい。新しい方法を与えてください。日本を変えていく新しい方法を、この教会に与えてください。神様がともにいますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン」
 
 神様はこの教会を喜んでくださっています。新しいことがやって来ます。すごいことが起こされます。これまで見ることができなかった、すごいことが起こります。想像を絶することが起こります。大きな影響力を与えられます。そしてリバイバルについて考えが変えられるようなことが起こります。まだ、リバイバルに対してビジョンが小さいです。神様がもっと大きなビジョンを持つことができるように働いてくださいます。止まらないでください。満足しないでください。もっとたくさんの素晴らしいことが起こります。神様に祝福され、愛されている教会です。感謝します。牧師先生方は素晴らしいです。このような牧師先生がおられることは特権です。感謝します。


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