長生きの秘訣

2006.5.7(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

新約聖書 エペソ人への手紙6章1節〜3節
子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

 ハレルヤ!おはようございます。今日は足もとの悪い中、集まっていただき、ご一緒に主を賛美し、礼拝できることを感謝します。
 昨日は二年前の中越地震で大きな被害を受けた長岡聖契教会の会堂が再建され、感謝な事に再建式が行われ、ゴスペルクワイヤー「ヘブンリーキングダム」が賛美しました。これからも引き続きお祈りください。
 先週はゴールデンウィークで、全国で教会関係の催しが多くありました。リバイバルミッションでは、「セミナー全国大会」を開催し、とても祝福されました。皆様はゴールデンウィークをどのように過ごされましたか。今週も色々な集会がありますので、ぜひお祈り下さい。今週は、「リバイバル聖書神学校」も行われます。また、豊橋では「アグロー」の全国大会も行われます。
 教会とはある意味、「長生き応援団」ではないかと思います。教会は、一度しかない人生を幸せに生きるために、神がこの地上に与えた一つの機能とも言えます。
 四月三日にピッツバーグ大学が発表した研究によると、教会に定期的に集っている人は、一・八年から三・一年の寿命延長効果があるとされていました。教会に来ると長生きできます。今日ここに多くのお年寄りがおられますが、たいへんお元気で、励まされます。
 同時に聖書の御言葉は、私たちがこの地上で幸せに、長生きするための秘訣についても教えています。

 先日あるホームページを見ていたら、「長生きの秘訣」について書かれていました。その条件は色々あるようです。一つは、水と空気の質が良いというのが重要な条件です。新城市は水も空気もきれいですから、教会での延命効果にプラス・アルファーです。特に郊外から教会に来られる方々は、毎週、綺麗な空気をたくさん吸って帰って下さい。
 また、「気候がやや厳しい」ということも条件らしいです。気候や住環境が良いのはあまり長生きに貢献しないようです。日本のように、四季がはっきりしていると自然に立ち向かう気持ちが起こるのか、元気になるようです。また、労働がやや厳しいのは長生きの条件です。仕事がかなり厳しいとまずいのですが、逆に、労働がゼロに近いと早死にするそうです。やや厳しいのが良いようです。
 またストレスが少ないことも条件です。教会に来て、長生きできるのは、日曜日にストレスがリセットされるからだとも言われます。しかし不思議なことに、ストレスが「ゼロ」というのは長生きにはプラスにならないそうです。「ストレスがない」というのは危ないのです。しかし、ストレスが多いというのも危ないです。適度なストレスは大切だそうです。また、大食をしないことも条件らしいです。いつもお腹がいっぱいと言われる人はよくないようです。空腹感は大切です。また美食をしないこと。特に肉中心な食生活はあまり良くないと書かれていました。
 私は数年前にアルゼンチンに行きました。私とフェルナンド先生と四元雅也先生と一緒に行きました。アルゼンチンは米の代わりに肉が出ます。小学校の給食に一人三百グラムの肉が出されるようです。日本では、百グラム単位で肉を売っていますが、向こうではキロ単位でないと売ってくれません。ですから、昼と夜は毎回肉料理でした。一日だけオフの日がありました。自由に町に出て食事をして良いというのです。それで私は出て行って、何を食べたでしょうか。私は肉を食べました。フェルナンド先生と雅也先生はあきれていましたが、主任牧師が食べるというので、一緒についてきました。私はアルゼンチンが二回目でしたが、以前から食べてみたい肉がありました。それは山羊肉でした。アルゼンチンでは、焼き肉レストランがあります。それも薪の周りに子ヤギが十字架にはりつけになってあぶられている、バーベキューです。私は戦後生まれで、食糧難の時代を生き抜いてきたので、生き物を見ると食べ物に見えてしまうのかも知れません。それが食べたくて、皆を引き連れて子ヤギバーベキューの店に行きました。
 美味しい物を食べて早死にするか、まずい物を食べて長生きするかは個人の選択ですが、何れにしても、食生活や環境で長生きできることも確かです。
 日本人はそもそも長生きの民族です。四月七日に世界保険機構(WHO)が二〇〇六年度版の「世界保健報告」を発表しました。それには、二〇〇四年の平均寿命が世界一長い国は日本でした。日本、モナコ、サンマリノが八十二才でトップでした。特に日本女性は世界中で一番長く生きるそうです。八十六才で単独トップです。今、世界一九二カ国中、日本など十六カ国の平均寿命が八十才以上になったと報告されていました。しかし一方、アフリカの二十六カ国とアフガニスタンの計二十七カ国は、五十才未満です。世界で最も平均寿命が短い国は、ジンバブエで三十六才です。乳児死亡率が高いようです。そのような国がある中で、日本が長寿国に仲間入りしていて嬉しいです。日本に生まれて良かったと思います。もしもアフリカに生まれていたならば、そんなに長く生きられなかったのかも知れません。
 日本も、大正十年から十四年の統計では、男が四十二才、女が四十三才なので大正時代に生きていなくて良かったと思います。私が生まれた昭和二十六年は、男が六十一才、女が六十五才でした。しかし今は寿命が延びてきています。とても感謝な事です。

 けれども、人間の寿命は最初の人類、アダムが基準です。彼は何才まで生きたのでしょうか。
 創世記五章一節から五節に、

『これは、アダムの歴史の記録である。神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名をアダムと呼ばれた。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。』

 何と、彼は百三十才の時に子どもを生んだとあります。それも、自分にそっくりな子が生まれたというのです。そして、初めの人間の寿命は、「九三〇年」でした。それとくらべたら、八十代の方は、まだまだ青少年だと思います。初めの人間はここまで長生きしたのですから、神は人間を長生きするように創られたのだと思います。ですから、私たちが長生きすることは、神のみこころです。今日は、神様から「長生きの祝福」を受け取っていただきたいと思います。

 さて、聖書は長生きするための秘訣を教えています。私たちがその秘訣に心を留め、歩むときに、人生は守られ長生きできます。
 アダムは九三〇年生きましたが、その後一つのことがきっかけで人類の寿命が縮まりました。だから、現代においても、この点をしっかり押さえなければならないと思います。それは、創世記六章に記されています。六章一節から三節に、

『さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。』

 九三〇年ほどの寿命が、一二〇年という、約八分の一にまで縮んだのです。聖書の中に、難解な箇所がいくつかあります。創世記六章はその一つです。この箇所の解釈は考えさせられます。六章二節、

『神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。』

 この箇所をある聖書は、「天使たちが人と結婚した」と訳しています。霊的な存在が人の子と結婚したとなっています。しかし聖書は新約聖書を含めて、全体理解が必要です。新約聖書を読むと、「アダムは神の子であった」と記されています。また、イエス様は、「御使いは結婚しない」と語っています。それらの情報をもとに、総合して言えることは、「神の子ら」とは「神を信じる者たち」という意味になります。私は、「アダムの直系」で、神についてよく知っている者たちを指していると思います。
 『神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。』とは、「結婚」が乱れてきたという意味だと思われます。
 既に結婚された方々は、どのような気持ちで結婚されたのでしょうか。男性ならば、数ある女性の中から「好きな女性を選んで」結婚したのだと思います。レストランに入って、メニューを見て選ぶように、好きな人を選んだと言うかも知れません。嫌いな女性と結婚する男性はいないので、やはり好きな女性を選んで結婚します。
 しかし本来、結婚とは、「神のみこころ」の中で導かれなければならないはずです。神様がみこころに沿って男女を合わせようとされます。けれども、みこころから外れた、人間側の好みによってのみなされる結婚が頻繁になり、人類の寿命が縮まったと考えられます。
 私たちがクリスチャンになると、最初の時点では、少しみこころから外れたような結婚に思えても、新約的概念が加えられるとき、それがみこころへと変えられるすばらしさがあります。結婚されている方は、あなたの相手は、「百パーセント神のみこころ」です。
 神のみこころから外れた結婚は良いものではありません。現在、日本では寺や神社で結婚式が行われたりしていますが、ある意味、それはみこころから外れた結婚となってしまいます。
 しかし、この記述は突き詰めていくと「性的な乱れ」につながっていると思われます。現在、世界は非常に性的に乱れていますが、人の数が増えて後、人類が陥った罪とは「性的乱れ」でした。増加した人類の間に、「不品行、姦淫」という罪が満ちあふれたことでした。その結果として、寿命が八分の一くらいにまで縮まってしまったと考えられます。
 私たちの周りにも、そのような罪を多く見かけるかも知れませんが、決してそれらに手を出してはいけません。もしも不品行、姦淫の罪が、寿命を八分の一に縮めるとわかれば、誰も罪に手出しはしないでしょう。
 現代社会には、多くの難病がありますが、私は、それらが不品行、姦淫といった罪に起因しているのではないかと考えています。科学で解明されているわけではありませんが、何かそのように感じます。それらの罪により、人の遺伝子配列が乱れ、新しい病気が多く発生しているのかも知れません。
 教会に来て知ることは、「性的な罪から離れなければならない」といういうことです。まだ結婚していない方々は、結婚するまで絶対に一線を越えてはいけません。また結婚したら自分の妻だけ、自分の夫だけという原則を守っていくならば、神は私たちを守り、人生を楽しませてくださるのです。人類の寿命を縮めた最初の罪について心に留め、戦っていかなければならないのです。

 それと共に、申命記十一章八節から九節に、

『あなたがたは、私が、きょう、あなたに命じるすべての命令を守りなさい。そうすれば、あなたがたは、強くなり、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地を所有することができ、また、主があなたがたの先祖たちに誓って、彼らとその子孫に与えると言われた地、乳と蜜の流れる国で、長生きすることができる。』

とあります。ここは、神の命令をしっかりと守るならば、長生きするという約束です。申命記十一章を読み進んでいくと、この約束について書かれています。十一章十六節に、

『気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。』

とあります。偶像礼拝は寿命を短くし、幸せな人生を破壊します。また申命記十一章二十六節から二十八節に、

『見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。』

とあります。神様が二つの道を用意されています。それが、祝福とのろいの道です。あなたに神が、「どちらかを選んでください」と言われたら、どちらを選びますか。誰も、のろいの道を選ぶ人はいないと思います。のろいの道、すなわち、寿命を縮める道とは、偶像礼拝です。私たちがイエス様を信じて、手で作った神々である偶像から離れることは、「祝福の道」であり、長生きと共に幸せに生きる秘訣なのです。
 日本は偶像で満ちた国です。五月には鯉のぼりがたくさん立てられます。五月の風物詩かのように、また、男児が生まれたら、鯉のぼりを立てなければ肩身の狭い思いをするような感があります。しかし、「鯉のぼり」とは「竜」を象徴しています。「鯉のぼり」とは「竜」、すなわち、「悪魔のシンボル」です。
 今日の午後、「油の注ぎ祈祷会」の中で一つのセミナーをします。それは、中国のハルピンのとりなしレポートです。先日、私の娘と日吉姉がハルピンにとりなしに行きました。そこで、竜の起源についても学びます。
 また、ハルピンはもと、満州と呼ばれ、日本ととても関わりの深い場所でした。戦時中、「七三一部隊」と呼ばれる部隊が、中国人やロシア人を対象に人体実験を行い、大きな問題となった場所でもあります。今回、その場所にも、とりなしに行ったそうです。日本語を口にできない程、雰囲気は重く、暗かったようです。なぜならば、そこで日本軍が、三千人と言っていますが、実際は、三万人とも、三十万人ともいう人々を犠牲にしたからです。何回棒で叩いたら人は死ぬのか、真空状態に人を入れたらどうなって死ぬのか、などを実験したというのです。日本は罪深いです。日本が犯した罪を悔い改め、日本がリバイバルされるように祈りたいと思います。そして、日本がアジアに出て行った原動力は「国家神道」と呼ばれる、「偶像礼拝」にありました。それは、アジア諸国の人々の寿命を縮め、また自分自身の寿命も縮めました。太平洋戦争で日本人は、三百万人近く死んだのです。偶像礼拝が原動力で、全体的に、どれだけの多くの人の寿命が縮まったのでしょうか。イエス・キリストを信じ、偶像礼拝から解放されることは素晴らしいです。偶像礼拝からの解放は、長生きの秘訣です。
 私は、毎日のように解放の祈りをさせていただいていますが、諸問題の根源は、偶像礼拝以外の何ものでもありません。人々を縛り上げ、苦しめ、寿命を縮め、幸せな人生を破壊する根源は偶像礼拝と共に働く、悪霊です。

 詩篇三十四篇十二節から十五節に、

『いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。』

 先週、私は、祈りに答えてくださる神というテーマで語りました。祈りが聞かれる為の秘訣は、案外、生活のただ中に転がっています。それは、『あなたの舌に悪を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな』とあります。私たちは時々、簡単に人の悪口を言ってしまいます。悪口がコミュニケーションの手段になっている人もいます。また、簡単に嘘を言ってしまいます。仏教的教えの中で「嘘も方便」というような教えがあり、簡単に嘘をつく体質が日本人にしみ込んでいます。悪口や偽りは幸せではなく、神様が祈りを聞いてくださらなくなると教えています。ですから、悪口を言わないようにしましょう。心の中には少しは批判的な部分があっても、それを口に出さないように、また偽りを言うことがないように注意しなければなりません。そうしたら、あなたは幸せになり、長生きし、神があなたの祈りを聞く、とあります。私たちは口の言葉に注意しなければならないと思います。人の悪口となると耳がダンボになってしまいます。「ざわめき10」の中にも「感謝せよ、賛美せよ」というタイトルの賛美があり、「あなたの舌に悪を言わせず 感謝と喜び口にするなら…」という賛美があります。
 また、箴言十四章二十九節から三十節に、

『怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。』

とあります。これをリビングバイブルで読むと、

『りこうな人は腹を立てれば損だとわかっているので、ぐっと感情を抑えます。心がおおらかだと長生きし、嫉妬深いと寿命を縮めます。』

とあります。嫉妬深い人は寿命が縮むとあります。いつも腹を立てて怒りやすい人はいけません。案外、争い事はちょっとしたことから始まります。「ごめん」と謝れば済むものを、「うるさい!」と反発すると、売られた喧嘩と買う喧嘩になってしまいます。その結果、喧嘩は大きくなります。
 私は若い頃、結構喧嘩っ早かったのですが、良いことはあまりありませんでした。ぐっと腹を治めるようになってから、平和になってきました。今週、ちょっとしたことがあっても、ぐっと押さえることが大切です。夫婦間においても、「ごめんね」と言えば済んでしまうことが、「何よ、その態度」「何んだ。その口の利き方は…」と突っ込むと喧嘩になってしまいます(ここで映像を見ました)。

 映像にもあったように、最初に隣の車のドアにぶつけた女性が謝っていたら、あのように大きな戦いにはならなかったと思います。
 ひとりの女性が「ちょっと。ドアが当たったんじゃあないの。少なくともすみませんと言うべきよ。」と言いました。しかし当てた方は、「いや、当たっていないよ…」と言いました。その上、「そんなに価値がある車じゃないのに。」言いました。すると相手は怒って、同じようにドアを車に当てました。そして、結果はご覧の通りでした。怒りはエスカレートするものです。初めに、「ごめんなさい」と言えば済むところが、それができなかったのです。
 今週は、ちょっとしたことがあったら、「ごめんなさい」とお互いに謝ることが大切です。精神衛生上、また健康にも関係があると思います。
 今日、皆さんと共に読んだ御言葉は、エペソ人への手紙六章一節から三節です。

『子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。』

とあります。子どもたちは「主にあって両親に従いなさい」とあります。お父さんとお母さんの言うことをしっかりと聞くことが大切です。
 しかしここには「主にあって…」とあるので、お父さんとお母さんが「教会に行くな」とか、「イエス様を信じるのを止めろ」「偶像を拝め」と言ったら、それは違います。「主にあって両親に従う」ことを勧めています。そうしたら、幸せに、地上で長生きできると教えています。

 実は日本でも両親を大切にするという考え方があります。しかしそれは、儒教的な考えから出たものです。日本人がもともと持っている「両親を大切にする」という考えを整理する必要があります。儒教は陰・陽で一つのセットになっています。両親を大切にするとは、先祖崇拝がセットとしてついています。先祖崇拝がセットとなった両親を大切にせよという教えです。これは全く聖書の考え方とは違います。聖書は、「生きている両親を大切にしてください」と教えています。亡くなったら、天に帰っているので神がすべてを管理されているので心配はいりません。拝むことにより行くところに行く、というのは全く偽りであり、生きている両親を大切にすることが重要だと教えています。
 エペソ六章は、十二節の霊的戦いの御言葉につながります。

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

とあります。パウロは人生の晩年、霊的戦いという大きな真理をつかみました。彼が元気に歩んでいる時には気付きませんでした。しかし晩年になって、時間がたくさんある中、自分の人生を振り返りました。「エペソで大変な問題があった。ピリピで大きな事件があった…。あれは、あの人たちが悪かったからだ…」と思っていたときに、神様が語られたのです。「そうではない。その背後には、悪魔と悪霊が働いていたのだ」
 それで、彼は諸教会に手紙を書きました。エペソ人への手紙一章からは六章に至るまでは、霊的戦いに入るための条件について教えています。特に、五章、六章を読むと、「夫は妻を愛し、妻は夫に従い、子どもたちは両親に従う」という、互いのコミュニケーションの正常化が霊的戦いに勝利する秘訣であると教えています。それは、結果的に神の教えに従うことであり、悪魔が逃げ去っていくのです。ヤコブ四章七節に、

『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』

とあります。私たちが両親に従うこと、妻を愛すること、夫に従うことなどの聖書の教えは、神の教えに従うことであり、結果的に悪魔に立ち向かうことができ、悪魔は私たちから逃げ去ります。ヨハネ十章十節に、

『盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。』

とあります。「羊」とは私たちの事です。私たちが「いのちを得て」それを「豊かに持つ」、すなわち、長生きのために必要なことは、「盗人である悪魔の力から解放される」ことであると教えています。悪魔が来るのは、「ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするため」とあります。
 長生きの秘訣は、「霊的戦いに気付く」ことが重要です。私たちが長生きするためには、人生の良きものを盗もうとする悪魔に立ち向かうことです。そのためには神に従うこと、神の教えの中に生きていくことだと教えています。

 今日、長生きの秘訣を学びましたが、整理すると、不品行、姦淫という「性的な罪」、「偶像礼拝」、もう一つは、悪口、偽り、怒りという「人間関係」について話しました。そして、「霊的戦いに勝利すること」です。これは第一テサロニケ五章二十三節の御言葉に集約されます。

『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』

 不品行と姦淫は「肉体」的なことであり、また偶像礼拝は「霊的」なこと、怒りや憎しみは心と「魂」に属することです。また、「守られる」とは、悪しき存在から守られることを意味します。

 聖書は、「あなたがたの霊、魂、からだが完全に守られますように」と勧めています。霊、魂、肉体の三つの領域に関心を持ち、その領域が健康ならば、長生きできます。一般的な社会においては、霊、魂、肉体という三つの領域の健康を考えることができません。しかし教会は、そのすべての領域に関心を持つことができます。また特に、一番おろそかになりがちな「霊的な領域」において、強力なサポートを与えます。今日ひとりひとりが霊、肉、魂のすべてが健康で長生きできますように。一度しかない人生が、ただ長く生きるだけではなく、「人生が楽しかった、本当に良かった」と感謝できる人生でありたいと願います。今日ひとりひとりに、長生きの祝福があることをお祈ります。


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