福音を伝えるために 〜しるしの伴う宣教〜

2006.7.2(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

新約聖書 マルコの福音書16章15節〜20節
それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕

 ハレルヤ!皆さんおはようございます。皆さんと共に礼拝を守ることができることを、感謝します。
 新城教会の子どもたちは、『御言葉の剣』というカードをもらっています。子どもたちが毎日聖書を読み、お祈りする為のカードです。聖書を読んだり、祈るのが不得意と言われる方は、これをもらうと良いかも知れません。横に色々な祈りの課題やクイズもあります。

 さて、今日はマルコ十六章の御言葉を学びたいと思います。先々週は、「ことばをとり戻せ!」というタイトルでお話しし、また先週は、「愛のあるところに」というテーマでした。そして今日は、「福音を伝える」というテーマで学びます。これらは、私の中では関連性のあることです。
 まず、神のことばをとり戻し、その上に愛を加え、福音を伝えるのです。イエス様が天に帰られる直前、弟子たちに残された命令は、「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」でした。
 教会が誕生したのは、今から二千年ほど前のことです。弟子たちがその命令を忠実に実行したので、この片田舎、新城においても今朝、礼拝を守ることができています。その時、イエス様の弟子たちは少なく、ユダがイエス様を裏切ったこともあり、十一人しかいませんでした。けれども、「全世界に出て行って福音を伝えなさい」と言われた言葉を受け取り、さらには聖霊に満たされて、世界に出て行きました。その結果、私たちは救われ、このように主を礼拝できるのです。

 誰かが伝えてくれなければ、私たちは救われることができませんでした。ですから、私たちの使命は、個人や家族が祝福されることも大切ですが、最終的には、「宣教」に目を向ける必要があります。それも、日本だけではなく、世界に目を向けて伝道することについて教えられます。

 今日は午後から祈祷会があります。その中で、今度ペルーに宣教に行かれる下田先生がセミナーをしてくださいます。昨日は、インターナショナル集会でも語ってくださいましたが、ペルー宣教についての事前の調査と、心構えについて話されていました。とても良いメッセージでした。ぜひ、午後から期待してご参加下さい。
 今から少し、先生から証をしていただきたいと思います。下田先生は、「リバイバル聖書神学校」を卒業しペルーへの宣教の使命を受けました。
 新城教会でも、十数年前からインターナショナル・ミニストリーが行われています。その始まりはペルーから来られた方々でした。私たちも、誰かペルーで宣教したら良いと思っていましたが、下田先生ご夫妻が九月から行かれることになりました。

(下田先生の証)
 ハレルヤ!イエス様を賛美しましょう。
 私は下田と申します。三年ほど前に「リバイバル聖書神学校」を卒業しました。できの悪い学生で、同級生が皆、できが良かったので、劣等感がいつもありました。朝五時頃に起きて会堂に来ると、既に先輩が起きて祈っていました。私は負けてたまるかと思い、次の日は四時四十五分に起きると、また祈っている人がいるのです。
 そして翌日、四時に起きてくると誰もいないので、「勝った!」思って祈っていました。勝ち負けではないのですが、そんなどうしようもない神学生でした。また勉強の中で、「ダニエル書を開いてください」といわれ、聖書がなかなか開けず、どこにあるのかわかりませんでした。聖書を開いている内に、授業が進んでいき、聖書をめくっていると他の学生から、「下田はわからなくて捜している」と言われるのが嫌なので、ヨハネの福音書を開いて読んでいる振りをしているような、どうしようもない学生でした。しかしそんな私を、神様は憐れみによって、ペルーに遣わして下さることになりました。

 私は青森県で生まれました。リンゴと相撲取りの名産地が青森です。小さな頃から体が大きかったので、相撲をしていました。青森は、小学校に必ず土俵があり、近くに住んでいる相撲好きのおやじに、「下田くん、良い体つきしているね。ぜひ相撲をしてみないか。相撲をしたら何でも手に入るぞ。食べたい物も食べられるし、行きたいところにも行けるよ…」と言われました。相撲を始めて見ると、案外と私にあっていました。小学校三年生から、相撲を始めましたが、上級生に勝つのが嬉しくて、めり込んでいきました。

 私の両親は学校の先生です。学校の先生の子どもは、できが良いか悪いかのどちらかです。私はできの悪い方で、「勉強しろ、勉強しろ」と言われるので、それが嫌で「誰が勉強するか。俺は俺の人生を生きる!」と言って一生懸命相撲をしました。中学・高校と進んでいき、段々ぐれて行きました。ズボンは広ければ広いほど格好良い、学生服は短ければ短いほど格好いい、眉毛は細ければ細いほど格好いい、そり込みは深ければ深いほど格好いいというものでした。そして一生懸命相撲をしていました。相撲の成績は良かったのですが、何回も警察に捕まるような生活をしていました。東京農大が、「ぜひ、うちの大学に来て相撲をしてくれないか」と言われて進みました。日本大学に続く二番目に相撲が強い大学の相撲部のキャプテンをしていました。一緒に胸合わせた力士は、中学生時代は、高見盛や若乃里が同郷でした。また栃東や雅山などとも、高校時代は練習を共にしました。私の二つ上のキャプテンは時津海と言い、前頭筆頭まで行きました。今は怪我をして十両に落ちてしまいました。また二つ下のキャプテンは霜取と言い、小結まで行きましたが今怪我をして十両にいます。私は、そのような環境で勉強していました。

 私は小学校三年で鉛筆の道を捨て、相撲で飯を食っていこうと決心しました。しかし大学四年の時に大きな転機が訪れました。国体の選手選考会に出ました。「こんな奴に負けるか…」と思いながら、右足を滑らせて膝を曲げたまま、後ろに倒れてしまいました。バチバチバチッという音がしました。膝にある前後二本のじん帯が切れてしまいました。そして膝と膝の間にある半月板も、ねじ切れてしまいました。そのまま救急車で運ばれました。診断の結果は聞きたくありませんでした。「下田さん、選手としての生活をあきらめなさい。百パーセントの回復はあり得ません。良くて七十パーセントです。」と言われました。悔しくて病院のベットで、枕に顔を付けて泣きました。「何のために俺は生きて来たのだろう…」と思いました。二十二歳の時でした。
 監督が病院に来て、「下田、大変だっただろう」と言ってくれるのを期待していたら、「何だお前。しょうがない試合で怪我しやがって…」と言うのです。大学の試合と、国体の試合は関係がないので、国体でいくら活躍しても大学には何の益にもならないのです。
 「何だお前、しょうがない試合で怪我しやがって…。もう使いものにならなくなっちまったじゃねぇか。ゴミくずと一緒じゃないか…」と言われました。悔しかったです。私は自分のためと思いながら、相撲をしていましたが、大学のため、監督のためと思って一生懸命やっていました。しかし結局、一生懸命していた相撲も、駄目になってしまいました。「これからどうやって飯を食っていくのだろうか…」と考えていました。

 私はこう見えても、学校の先生の免許を持っています。高校の農業と中学校の技術家庭科の二つの免許を持っています。相撲部では、一年生を「奴隷」と呼んでいます。四年生の時、一年生に、「お前ら授業に行け!」と言って単位を取らせ、先生の資格を取る試験は、カンニングでパスして、二つの免許を持っています。知識はありませんが、免許は持っていました。
 相撲が駄目になったので、農業で生きていこうと思いました。何も知識はありませんでしたが、畑で仕事をしてみようと思いました。しかし青森には帰りたくありませんでした。というのは、散々有名になってやるとか、故郷に錦を飾ってやるとか、今に見てろ…と言って出て行きましたので、失敗して帰るとバカにされるのが目に見えていました。それで、何か良い仕事はないかと、学生課に求人を探しに行きました。
 すると、求人の看板がありました。「学業優秀でやる気のある者求む!」という看板を見つけました。それは、アメリカのカルフォルニア・サンディエイゴの農場でした。見た瞬間に、「これだ!」と思い、大学卒業後、そこに行き働き始めました。

 私がしていた仕事は、ピックアップトラックの後ろに、メキシコ人十六人を乗せて十六個ある農場で、ボスからトランシーバーで、「十番の畑でにんじんを採れ」と言われると、英語で言われたのをスペイン語で伝え、にんじんを採りに行きます。終わると、また指示が出て、次は七番に行って苺を採れと言われ、メキシコ人と苺を採りました。英語とスペイン語を話すのはすごいと言われるかも知れませんが、私は全く勉強をしないで生きてきましたので、頭の中が全く空っぽで、たくさん入る余地があったのか、一生懸命勉強している内に、何とかコミュニケーションがとれるようになっていきました。

 しかし、段々ストレスがたまっていきました。アメリカ人のボスは頭が良いので、いくらでも収量を上げようとして、一生懸命働かせようとするのですが、メキシコ人は隙があったら休みたいという人たちで、給料をもらったら次の日には来ません。仕事もなるべく休もうとするのです。一生懸命働かせようとするボスと、休もうとするメキシコ人たちの間に入り、ことばもスペイン語と英語なのでイライラして、ストレスがたまってきました。
 何か息抜きがないかと思うときに、好きな女の子ができました。一生懸命、その子にアタックしましたが、なかなか振り向いてもらえませんでした。しまいに彼女は、「私はクリスチャンです。私は中学生の時から、もう十年クリスチャンです。教会に行っていない、イエス様を信じていない人とは、個人的な付き合いをしたくはありません」と言われました。
 私は「やっぱり、宗教をやっている奴は頭がおかしいんだ」と思っていました。何とかアタックしようと思い、何度か話している内に、「一度くらい教会に行っても良いかなあ」と思いました。それで初めて教会に行きました。
 教会の玄関を目の前にして私は未信者でしたが、こう祈りました。「おい、神よ。お前がいるなら、俺を信じさせてみろや!」と祈って教会に初めて入りました。
 結局、私はそれから一週間後に、イエス様を信じることになりました。「イエス様。ごめんなさい。私は罪人でした」と色々なことを神様に悔い改めました。
 一番のきっかけは、教会に入ると、みんな立ったり座ったりして、礼拝をしています。私は一番後ろに座り、すぐに帰ろうと思っていました。「みんなよく洗脳されているなあ」と見ていました。そして牧師が出てきて話をされました。話を聞いても信徒の方は笑って聞いているのですが、私は全く面白いとは思いませんでした。
 「何が面白いのだろうか?やっぱり洗脳だ」と思いました。そして次には袋が回ってきて、みんなお金を入れています。「何だ。わからない話を聞いて、金もとられるのか…」と思い、二度と来るものかと思いました。
 そして帰ろうとすると、「兄弟。また来週も来て下さいね」と言って握手を求められました。「俺は、お前の兄弟ではねぇ」と思いながらも、何だかわからないまま、日本人は嘘をつくので、「来週また来てください」と言われて、「はい、また来ます」と言って帰ろうとすると、教会の入り口に本棚がありました。その中に『明日輝くためには』(平岡修治著)という薄い本が目に入りました。私は日本語に飢えていたので、それを貸して欲しいと言いました。先生は「良いですよ。その代わり、来週返してね」と言うのです。また来るということになります。私は返すつもりはなかったのですが、「わかりました。では持ってきます」と言いながら、借りて帰りました。

 朝六時から、夕方六時まで昼休憩を除くと十一時間働きます。その昼休みの間に、本を読み始めました。それが私を救いに導きました。最後の章で、平岡先生が一歳七ヶ月の志門(しもん)君を天国に返した証を読みました。
 「私は本当に悪い父親だった。子どもがおもちゃが好きであったが、おもちゃを買ってあげることができなかった。動物が好きだったけど、忙しくて動物園に連れて行ってやることもできなかった。私は悪い父親だった。子どもが死んでから、あれをしてやれば良かった。これをしてやれば良かったと私は思う。これを読んでいるあなた、イエス様のこともそうです。死んでから、信じておけば良かったというのでは遅いのです。すべての人は罪人で、罪のために死ななければならない。でも、私たちは救われる。今あなたが信じるなら、今日があなたの救いの日です」と書かれていました。
 自分が色々な罪をしてきたのはわかっていましたし、人を殴ったとか物を取ったと言うだけではなく、相撲の試合で自分の同級生が私より良い成績をとると、憎たらしく思い、人の幸せを素直に喜べない嫉妬や、妬みが心にあることがわかりました。そんなことを悔い改めて、クリスチャンになりました。
 「イエス様、私の心の中にお入り下さい」と祈りました。そして、イエス様が私と一緒にいて下さることがわかりました。私は罪の赦しが嬉しくて、「やったぁ!ハレルヤ」と叫び、次の日農場に行き、メキシコ人たちを片っ端から伝道しました。「お前も信じろ!」と言って、力づくで首をつかんで話していました。力の伝道です。それでもし、人が信じてくれるならば、順先生と一緒に首をつかんで歩きますが、人の心はそう変わらないものです。

 メキシコ人は、「俺らはカトリックだ。何をしても赦されるのだ。俺らは悪いことをしたら、神父の所に行ってお金を払って懺悔する。そうしたら何でも赦される。だから何をしても良いのだ。何だ。プロテスタントは、あれすれば、駄目、これすれば駄目…駄目、駄目、駄目の宗教ではないか。」というのです。
 アメリカの南にはメキシコがありますが、アメリカでは時給六百円ですが、メキシコは時給百円〜二百円です。アメリカで働いて、メキシコに遊びに行くのが一番良いのです。メキシコ人たちは、ストリップのあるような所に遊びに行こうと私を誘いました。私は、「イエス様が行って欲しくないと思っているから、私は行きたくなくなった」と言うと、「ほら、お前は騙されたのだ。駄目な宗教に入った。駄目な奴だ」と言われ、私は悔しくて、トウモロコシ畑に入って祈りました。
 「神様。なぜ福音が伝わらないのですか。ことばが足りなくてごめんなさい。神様、どうぞ、将来はスペイン語で伝道できるようにしてください」と祈りました。これが最初のスペイン語圏に対する祈りでした。

 神様はみこころにかなう祈りを、必ず聞き遂げてくださるので、その祈ったことがみこころにかなっていたということです。私に、中南米の人々に伝道したいという思いが与えられました。それで、二度と行くかと誓った教会にまた行きました。
 「また来たか。下田君。」と言われ、行くなり私は、牧師の首をつかんで「俺を牧師にしてくれ」と言いました。「下田君。放してくれ。牧師は成りたいから成れるものではないんだ…。神様がしなさいと声をかけてくれたら、従ってなれば良い。でも、君が働き人になりたいという思いは、神様が喜んでくれているから、その思いを忘れないでくれ。君は日本人なんだから、まず日本に帰って、日本の教会の現状を知りなさい」と言われ、私は日本に帰ってきました。

 帰ってくるときに牧師を通して語られた御言葉は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」という御言葉でした。「下田君。全世界に出て行って福音を宣べ伝えるのが、クリスチャンのすべきことだ。ぜひ、君もそのためにいきてくれ。」と言われ、日本に帰ってきました。そして教会生活を送った後、「リバイバル聖書神学校」に来させていただきました。

 神学校の三年生の時に、世界宣教会議がエジプトでありました。エジプトはイスラム教の国です。百五十カ国から、二千人のクリスチャンが集まり、イスラム圏で初めて開かれるキリスト教の会議でした。二〇〇二年十月のことでした。私はある方から、「下田さん。宣教師志望でしたよね。献金するから行ってみませんか。」と言われ、献金が来るとわかったので、「わかりました。」とイエス様に祈る前に返事をしてしまいました。献金が届いてから祈りました。「神様。行っても良いですか。」と祈ると、使徒の働きでパウロが目を打たれたときに、イエス様が現れて、「わたしはあなたが迫害しているイエスです」と言われ、パウロが、「私の目を開いてください」と言うと、イエス様は「あなたは黙ってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたのするべき事はそこで告げるから」と御言葉が与えられ、私は黙ってエジプトに行けばいいのだと思い、エジプトに行くことになりました。日本からは二百人参加する予定でしたが、実際は十五人しかいませんでした。

 エジプトに着くと、会場に集まってきたのは、日本の他にペルーだけでした。日本とペルーしか、宣教会議に参加しませんでした。私は勝手に、アルゼンチンに行こうと思っていました。アルゼンチンは、有名な宣教師がたくさんいるので、そういう宣教師の下で勉強し、私も何者かになろうと考えていました。「早く講壇に立たせろ。そうしたら世界中が私が何者であるかを知るだろう」思っていました。
 しかし神学校で三年訓練をし、卒業し、自分が何者であるかがわかってきて、講壇に立たせろという思いはなくなりました。そのような思いで、アルゼンチンの人と神様が会わせてくださると思っていたら、来ていたのは、日本とペルーだけでした。貧しい孤児院で働いているペルーの先生が、エジプト人の牧師の胸を叩いて泣いていました。「お金を返して…」と言っているのです。私は「悪い牧師にお金を取られたのかなあ」と思い、「どうしたのですか」とスペイン語で話しかけると、「あなたは日本人なのに、スペイン語がわかるんですか。ちょっと聞いてちょうだい。」と言って、証してくださったのがきっかけで、私はペルーに行くことを決意しました。

 彼女は、貧しい孤児院で働いていて、十四人のスタッフで四百二十八人の子どもを養っていると言いました。しかし給料は月二千円です。ペルーは平均月収は、一万五千円で一人で働いて食べて行くことができないので、両親と共働きで家賃を払い、光熱費、食費を払って全部なくなります。テレビや洗濯機を買う余裕はありません。一ヶ月働いても、二千円しか給料が出ないのです。それも、現物支給でキャラメルやチョコレートらしいのです。大変な所からきたと思いました。
 「私は本当に貧しかったので、世界宣教会議に行き、世界中のクリスチャンに祈ってもらい、ペルーの貧しさ、孤児院のひどさをアピールし、献金してもらおうという思いで来ました。」と言われました。お金を三十万円集めて来たと言われていました。「二千円の月給で、三十万円を集めた私の気持ちを、あなたはわからないでしょう。」と言われました。
 しかしエジプトに来ると、日本しか来ていないのです。「あなた日本人でしょう。金持ちだから、私の気持ちがわからないでしょう。」と言われました。神学生はギリギリの所の訓練を受けます。それでも、一日三食食べていましたし、献金をいただいて参加していました。多少貧しい気持ちはわかりますが、わかると言っても神学生の頃は今より二十キロ大きかったので、わかると言っても私の体がそれを否定します。
 「本当に私は悔しい。ペルーでは三十円あれば一キロリンゴが買える。三十円あれば一キロオレンジが買える。三十万円ドブに捨てたようなものだ。そのお金があったらどれだけ子どもたちに食べさせることができたか。服を買うことができたか。お金を返して…」と言っていました。

 「あなたは何しに来たの?」と言われ、私は「黙ってダマスコ(エジプト)に行きなさいと言われて来ました。」と答えました。
 相撲していて駄目になったこと、農業で働いたこと、そして今は神学生で行くべき所を祈って、全世界に出て行きなさいと言われたので祈っている、と証しました。「あなたと私が出会ったのは、神様が合わせたのでしょう」と言われました。
 二〇〇二年十月はバリ島の爆破事件、ロシアのオペラハウスの占拠事件、イスラムテロが過激化して来たときでした。それで、百五十ヶ国中、一四八ヶ国がキャンセルし、参加しませんでした。「もしテロがなかったら、あなたはアルゼンチンの人と話をしていたかも知れない。でも、テロがあったから、私はあなたと話ができた。あなたが農場が働いたことがあるなら、ペルーに来てあなたがそのことをしてくれたら、子どもたちは一日一回しかご飯が食べれないのが、二回食べれるようになる…」と言うのです。
 私は幼稚園で働いたこともありました。それで、「幼稚園で働いたことがあるなら、そこで働いて、聖書を教えることもできるでしょう。ぜひ私たちのペルーの貧しい地域に来て、そのことをしてくれませんか。それがあなたに対する神様のみこころではないですか」と言われました。

 「あなたのするべきことは、そこで告げる」という言葉が響いてきました。「神様ペルーですか。」と尋ねました。新城教会の皆さんは、インターナショナル礼拝があるので、ペルーが近いと感じると思いますが、私は全くわかりませんでした。
 「行くなら行きますから、神様、しるしをください。」と祈り、エジプトから日本に着きました。

 成田に着くと、携帯が鳴りました。茨城県にある教会からの電話でした。「下田君、今どこにいる?」と聞くのです。成田についたことを告げると、「そのまま教会に来て話してくれないか」と言うのです。愛餐会の時に、「下田君。あなたのビジョンはありますか?」と聞かれました。「僕はエジプトでペルーに行くことに決めました。」と言うと、牧師夫人が「えっ!」と言って立ち上がり、「私の教会にペルーから来ている姉妹がいます。姉妹の結婚のために、三年半毎日祈ってきました」と言うのです。彼女は、情熱があってやる気があって、そういう宣教師が来るようにと毎日祈っていました。姉妹はずっと工場勤めしていますが、ペルーに帰って、貧しい子どもたちのために働こうと願っている姉妹でした。
 「下田さん、あなたは神様が送ってくれた人ではないですか。」と言われました。もちろんあちらは私がペルーに行くことを知りません。それで、結婚のために祈ってくださいと言われ、祈ると確信が与えられました。そして、ペルー人のお嫁さんをもらいました。黙って、エジプトに行きなさいと言われて、エジプトに行くと今度はペルーに行く道が与えられ、しるしをくださいと言われて、しるしをいただきました。

 私は逃げるわけには行かなくなり、神学校を卒業して、「宣教師訓練センター」に進み、結婚して、今ペルーに行く準備を家族でさせていただいています。九月の終わりか、十月の頭に出発することになりました。私は、行ったり来たりする宣教師ではなく、向こうに住んで活動するつもりで用意しています。新城の皆さんには、祈っていただき、このように導かれました。
 またペルーに導かれたときに、「そうだ、新城教会にはインターナショナル集会がある」と気付きました。それで、フェルナンド先生から色々なアドバイスをいただいて、行く準備をさせていただいています。神様が行くようにと言われるからには、日本人が向こうに行って働くことに大きな意味があると思いますので、私たち家族のためにもお祈り下さい。
 午後からは、少しとりなしや、ペルーのことについて証させていただきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。(ここまでが証)

 ぜひ、彼らの働きのために、祈ってあげてください。彼が救われて、神様の導きの中でペルーに行くことになったのは、人の計画ではなく、神の計画です。同様に、皆さんひとりひとりにも、神様は計画をお持ちです。
 また、教会には使命が与えられています。それが、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と言うことです。マルコの福音書十六章十七節から、

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』

 イエス様は、全世界に出て行って、福音を伝えなさいと言われた後、この言葉を語られました。これは、私たちが福音を伝えるとき、神がどのように働いてくださるかについて教えています。
 しかし同時に、これは、「どのようなプロセスで、福音を伝えていけば人々が救われるか」という「手順」を表していると思います。

 ここで初めに、「わたしの名によって悪霊を追い出し」とあります。使徒二十六章十七節から十八節に、

『わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

 「救い」とは、暗やみから光に、「サタンの支配下から、神の支配下に移されること」と定義されています。
 私は牧師の息子に生まれ、牧師になりました。牧師になって一つ不得意なことがありました。それは誰かに伝道することでした。牧師で伝道が不得意なのは、致命傷です。八百屋で野菜を売るのが不得意なのと同じです。魚屋で魚が売れないというようなものです。
 私は、「伝道とは誰かを説得すること」と思っていました。私はあまり言葉もうまくないし、誰かを説得させるのは難しいと思っていました。伝道者は言葉がうまいです。平岡先生など、大変話しが上手です。私は、誰かを説得することが伝道だと思っていたので、「私には伝道は無理だ」と思っていました。しかし聖書によると、伝道とは説得ではなく、「暗やみから光りに、サタンの支配から神の支配に移すこと」というのです。
 その結果として、「罪が赦され」「御国を受け継ぐ」ことができると教えています。
 今日イエス様を信じているならば、自分で感じるか感じないかを問わず、サタンの支配下から神の支配下に移されているのです。

 時々、私たちは、誰かにイエス様のことを伝えても、なかなか信じてくれない、受け入れてくれないとがっかりすることがあります。そんなとき、「これは私の話し方が悪い…」と思います。証があまりなっていないと失望します。しかしそのような所に大きな理由はないと聖書は語っています。第二コリント四章一節から四節に、

『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

 誰かがイエス様を信じようとしないのは、「覆いがかけられている」というのです。リビングバイブルで三節から四節を見ると、

『もし私たちの宣べ伝える良い知らせが、だれかの目に隠されているとしたら、永遠の滅びに突っ走っている人に対してです。それは、この邪悪な世の神であるサタンのしわざです。 目隠しをさせて、その人の上に輝いている良い知らせの栄光が、見えないようにしているのです。 また、まことの神、キリスト様の栄光に関する、私たちのすばらしい証言を、理解できないようにしているのです。』

 誰かにイエス様のことを話しても、受け入れないとしたら、話し方が悪いのではなく、覆いが掛けられているというのです。ですから、覆いを取らなければならないと教えています。
 福音を伝える手順の最初は、「悪霊を追い出し」とあります。これは、「霊的覆いを取る」という意味です。福音を伝える前に、人々の上に掛けられている覆いを取り除くなら、福音の光が届くのです。
 マタイの福音書十二章二十八節から二十九節に、

『しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。強い人の家にはいって家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。』

 「略奪」とは、「サタンの支配から人々を解放する」という意味です。誰かが救われるために必要なことは、家を守っている強い人を縛り上げなければならないのです。そうでないと、略奪できないのです。誰かが救われるためには、覆いをかけている悪霊どもを打ち砕かなければなりません。最初に、悪霊を追い出す、すなわち、「霊的戦い」が必要であると教えています。
 イエス様がゲラサに行ったとき、湖を渡っていきました。そうしたら、大嵐が起こって危うく船は沈むところでした。しかしイエス様は、「黙れ、静まれ!」と湖を静め、やがてゲラサに上って行かれました。そして、悪霊に支配されている男を解放したという記事があります。

 イエス様がガリラヤ湖上で眠っておられたとありますが、昨日のインターナショナルの週報を見たら、こんな写真がありました。嵐の船の中で、「あと五分寝かせて…」
 イエス様は余裕があります。マルコ五章八節から十節に、

『それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからである。それで、「おまえの名は何か。」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。』

 レギオンは、「この地方から追い出さないでください!」とイエス様に願いました。 
 実は、七月のこの週は、新城教会にとっては記念すべき週です。それは、一九九二年七月のことでしたが、主がこの教会に訪れてくださり、一つのことを教えて下さったからです。
 新城教会がこの田舎で伝道を始めて、五十数年経ちますが、なかなか人々が救われず、教会が地域に言葉を発しても、なかなか言葉が通じませんでした。
 「なぜだろうか?」と考え祈ったときに、「この地域を支配している、レギオンに立ち向かい追い出すように!」と教えて下さいました。一九九二年七月九日に、突然、主が私たちに教えてくださいました。そんなことは一度も考えたことはありませんでした。けれども、「この地域を支配している、悪霊と戦いなさい!」と教えてくださいました。それは、「地域のためにとりなして祈る」ことでした。まさか、レギオンの力が新城を覆っているとは、全く考えてもみませんでした。しかしそのことを祈るようにと、強く印象付けてくださいました。
 その日から、押し出されるようにして、この地域のために祈るように導かれました。一九九二年七月九日を境に、大きな働きが始まっていきました。
 あれから十四年が経ちますが、その祈りは現在も続けられています。その結果、主は、教会に新しいことを始めてくださいました。
 九十二年当時から新城教会に来られている方々は、その前後がよくわかると思います。九十二年以前と、それ以降とは、大きく変わりました。地域のために祈り始めたとき、天が開かれたかのように、人々が教会に集まるようになりました。心を開いて、イエス様を受け入れるようになりました。
 私たちは、もっと、もっと、この地域を覆っている暗やみに対抗して祈らなければなりません。特に来週は、七月九日で、記念日ですので、朝六時から午後六時まで「十二時間とりなし」をしたいと思います。礼拝の時間も含まれますが、何しろ、この地域のために祈りたいと思います。

 新城市が始まった原点と言うべき地域について調べると、教会から少し下ったところに「大宮」という地域があります。そこが新城地方で初めて人が住んだ所ではないか、と言われています。そこには「石座神社」がありますが、縄文時代から人々が住んでいた形跡があります。そして何らかの偶像礼拝が、当時から現在に至るまで継続されていた形跡があります。そこには、縄文遺跡と弥生遺跡もあります。
 石座神社は古い神社で、数百年の記録があるような場所です。主は、「その地域に行ってとりなして祈りなさい」と私たちに教えて下さいました。私はその地域に関してあまり関心がありませんでしたが、祈り始めました。すると主がそこに光を照らしてくださいました。その辺りは「設楽原の戦い」があった地でもあります。
 今日、嬉しいニュースがあります。今度の日曜日に、神社の近くの方がバプテスマを受けられます。それは、大宮の石座神社の目の前に住んでいるNさんのご主人です。これは一つの大きな勝利です。先週は、ご主人と一緒に霊的解放の祈りをしました。罪を悔い改め、一切の偶像礼拝のつながりを断ち切って祈りました。
 「この辺には何も良いことがない。」と言われていました。一生懸命、神道に仕えている所ですが、人々は大きな問題を抱え込んでいます。しかしそのような中に祈りが置かれるときに、福音の光が照り輝くのです。私たちも更に、その覆いを取るために地域を祈らなければなりません。
 
 続いて、「新しいことばを語り」とあります。
 二週間前に「ことばをとり戻せ!」というタイトルで学びましたが、人類が散らされた根源はバベルの塔でした。人類は一つのことばでコミュニケーションをしていましたが、以来、ことばがバラバラになったのです。けれども、ペンテコステの日に、今まで通じなかった人たちとコミュニケーションが回復されたと学びました。そして、聖霊の働きは、「言葉をとり戻す働き」であると話しました。
 実は、「ことばをとり戻す」とは、「福音を語る」ことです。それは「新しいことば」です。耳に覆いが掛けられていたら、言葉は通じません。しかし、覆いがとられてから語られる言葉は、人々にとって「新鮮なことば」となります。今まではイエス様について、福音についてもわからなかったのが、覆いが取られたことによって、「新しいことば」となり、人々は興奮して受け取るのです。それは聞く者たちにとって、「新鮮な言葉」であり、「希望の言葉」です。
 最近感謝なことは、教会に来られる方が、来たその日に、イエス様を救い主として、受け入ることです。
 昨晩、インターナショナル集会に出席しました。夜の十二時過ぎに帰ろうと思ったら、「順先生、来てください」と言われました。「日本人が来られているので話してください」と言われました。その方は、教会に初めて来られました。私は、救いは解放であると話しました。生まれながらの人は、悪魔に支配されていると話しました。
 すると、その人の目が輝きました。「私はイエス様を信じたい、祈ってください」と言われました。ほんの五分ほど話しただけでしたが、イエス様を信じました。今週はその方の霊的解放を祈ることになっています。
 五分で、どうして変えられるのだろうか、と思います。それは、覆いが取られた人々に投げかけられることばは、「新鮮なことば」だからです。

 次には「蛇をもつかみ…」とあります。それは「個人の解放」です。人間は霊、魂、肉の三つの領域からできています。第一テサロニケ五章二十三節に、

『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』

 人間は霊と魂と体の三つがひとつとなっている動物です。そんな人間に、悪魔はどのように手を伸ばしてくるのでしょうか。それは、人の霊、魂、肉体に手を伸ばしてきます。「蛇をつかみ出しなさい」とは、人の霊に対して、魂に対して、肉体に対して、手出しし、巻き付いている蛇を取り払いなさい、ということです。それは解放の働きです。
 一九九二年から教えられたことは、教会に新しい方が来られたら、霊と魂と肉体の三つの領域をしっかりと解放する祈りをしなさい、ということでした。解放の祈りを受けられたことがあると思いますが、それはパワフルな祈りです。それまで人をつかんでいた蛇の力が打ち破られ、「人」すなわち、霊と魂と体が解放されることでした。
 かつて私たちにはフラストレーションがありました。それは、ある人がイエス様を信じても、しばらくすると教会に来なくなってしまい、元の生活に戻ってしまうからでした。それどころか、教会の印象はすごく悪くなるのです。「私たちのやり方が悪いからだろうか…」とか、色々と反省しましたが、根本的な原因は蛇の束縛を打ち破っていないところにありました。
 霊的領域に手を伸ばす悪魔の力は「偶像礼拝」です。魂に直接的に作用するのは「憎しみ」です。また、肉体を通して作用するのは、「性的罪」です。それら三つの領域を解放する祈りが必要です。

 次に、「毒を飲んでも決して害を受けない」とあります。私たちは、イエス様を信じても、住んでいる現場は毒で満ちている一般社会です。クリスチャンとして生きていくことが難しい社会に住んでいます。今日は、イエス様を信じた人たちばかりが集まっているから良いのですが、一歩外に出るならば、そこは毒が満ちた世界です。
 「毒を飲んでも害を受けず」とは、信仰を揺るがされることのないように、「聖霊の油注ぎ」であなたを守ってあげるということです。毒が満ちている社会の中でも生きて行ける、「聖霊の力」を与えてくださるのです。それで聖霊の力を求めるようになりました。

 最後は、「病人に手を置けば病人は癒される」とあります。イエス様の宣教には必ず、不思議としるしが伴いました。
 病人に手を置けば、病人は癒されるとあります。神は人類に、いくつかの癒しの道を提供してくださっています。手を切っても、自然に治るような力を人間に与えてくださいました。また、薬も下さいました。病院や医者も下さいました。
 しかし、そのような癒しの機能を総動員しても直らない病気や問題も、たくさん現代にはあります。そのような困難な問題が、イエス様によって解かれたら、どんなに素晴らしいでしょうか。
 イエス様はそのような働きを、ご自分の生涯の中でなされました。教会には病人に手を置けば、病人は癒されるという「超自然的法則」を与えてくださいました。

 それに到達するためには、まずは「地域を覆っている暗やみの力を打ち破り」「新しいことばである福音を語り」次に、「蛇を取り除き」、解毒剤として「聖霊の油注ぎ」をいただき、そして、「病人に手を置いたら病人は癒される」という領域に到達するのです。そのような手順を踏むようにと、マルコ十六章は教えていると思います。

 何年か前に、この教会に一人のペルー人女性が来られました。彼女は若い方でした。ある時、体調が悪くなって病院に行きました。すると彼女は泣きながら帰ってきました。顔が痛かったのでレントゲンを撮ってみると、骨と骨の間に腫瘍ができており、それを手術しなければならないという、知らせを聞いたからでした。私も医学書で調べてみました。大変な病気だと感じ祈りました。皆でその方のために祈りました。
 彼女に、解放の祈りがしていなかったことに気づきました。それで彼女の霊的領域について調査しました。彼女はペルーにおいて、色々なオカルトに関わっていました。特に、死者の霊を呼ぶ儀式に関わっていた人でした。彼女が日本に来たのも、墓場に行って死者の霊と称する存在を呼び出したときに、「日本に行けば良いことがある」と聞いて、来たのです。それは悪霊との関わりです。私たちは、暗やみの力から解放されるように、彼女のために祈りました。「彼女をいやしてあげてください。彼女が解放されますように」とお祈りしました。
 不思議なことが起こりました。彼女の病が完全に癒されました。レントゲンを撮ると、腫瘍が全く消えていました。それで手術は必要ではなくなりました。主の御名をあがめました。

 彼女の為に戦って祈ったときはすごかったです。彼女ではない人格があらわれました。男の声で、「うるさい!黙れ、黙れ!俺はこの女が嫌いだ。俺はこの女を殺してやるんだ!」と叫んでいました。しかしイエス様が勝利を与えてくださり、全て癒されました。

 三年ほど前、私はペルーに行きました。彼女と会いました。彼女の家にも行きました。彼女のお母さんは、オカルト的行為に家族を巻き込んだ人物でした。お母さんに出会ってイエス様のことを話しました。近頃、そのお母さんも、家族みんながクリスチャンになって教会に行っているということを聞きました。
 イエス様は超自然的な癒しを提供してくださるお方です。そんな宣教を私たちは繰り広げて行きたいです。聖書は、そのことを私たちに与えてくださると約束しています。

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。』

 新城教会の働きも、そのような働きでありたいと願います。今週、私たちはまず、地域のために祈りましょう。皆さんの家族を覆っている、黒い雲が取り除かれるように。光が差し込むように。新しいことばを語りますように。蛇をつかみ出し、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば病人は癒されるという、奇跡的な主のわざが進むよう、この週、祈ってください。

 今週は、何か新しい扉が開かれる週であることを、期待します。お祈りします。


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