「神の保証書を持っていますか?」
〜いと高き方の隠れ場に住む者たち〜

2006.7.30(SUN)
新城教会牧師 滝元 順師

旧約聖書 詩篇91篇1節〜13節
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。
主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。
あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。
千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。
あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。
それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。
わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。
あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。

 ハレルヤ!おはようございます。今日も皆さんと共に、礼拝が持てますことを、感謝します。
 今朝はアメリカのアイダホ州、ルイソンから「リバー・シティ・チャーチ」のロン先生が来てくださいました。ロン先生は、ジョー先生のお友達でもあり、今日本に来て、色々な教会を回って奉仕をしています。少しロン先生に挨拶をしていただきたいと思います。ロン先生と共に来られた、土屋くんが通訳をしてくださいますが、彼は、先日ジョー先生の車に乗ったそうです。その時に私が書いた、『クリスチャンって最高だ!』という本をもらったそうです。なぜなら、私の娘がジョー先生の車に、その本を忘れて行ったからです。
 ジョー先生が、「何だかわからないけど、これは順の書いた本だから読め」と言って、彼に与え読ませたそうです。彼は私の書いた本を読んで、イエス様を信じたそうです。そして今日は、一緒に新城教会に来てくださいました。

(ロン先生の挨拶)
 「リバー・シティ教会から、皆さんにご挨拶できることを、嬉しく思っています。これは聖霊様の導きだと思っています。去年五月に、私は妻と共にこの教会を訪れました。その時に、聖霊によって、私たちの心がこの教会につながっていくことを感じました。去年二回この教会に来ました。神様の力によって、私の心がつながっていくことを感じています。エペソ一章に、パウロは教会のために祈ることを教えています。神様の愛によって、教会のために祈ることを強調しています。一年間、皆さんのためにお祈りさせていただいています。私たちは、このような教会が日本を変えることを信じています。
 今朝、私は神様が皆さんを使って、日本全国を変えてくださることを信じたいと思います。今アイダホ州のルイソンから、日本に教会を建てていますが、日本から世界各地にクリスチャンが送られることを信じています。
 そして後の十年間の内に、色々な実りが、この教会から出てくることがよくわかります。この教会が、私たちのリバーシティ教会と良い関係を持つことができることを信じています。そして皆さんも、その一部となり、共に実りを楽しんで行きたいと思います。
 私たちの教会のメンバーは七百人ほどおり、九十パーセント以上が四十代以下の人たちです。そして高校生と大学生がたくさんいます。神様に信じたいことは、皆さんとコネクションを持ち、外国と日本と違う地域ですが、リバイバルを信じていきたいと思います。
 二日前にちょっとした事がありました。静岡で大学生に会いました。その人はルイソンにいて、今は夏休みなので、日本に帰っています。その時、私たちは三人でコーヒーを飲んでいました。彼女は、「私は決心をしました。クリスチャンになって、洗礼を受けたい」と言いました。私たちは一緒に祈り、近くに川があったので、そこで洗礼を授けました。このような事が次々に、もっと起こされることを信じています。
 そして新城教会が先駆者として、神様の油注ぎと力を解放していく教会であると信じています。ここで挨拶ができたことを感謝します。このような意味での成長を楽しみにしています。」(ここまでが挨拶)

 神様は時々不思議なことをされます。一冊の忘れた本から、このような繋がりと導きをしてくださいました。主は世界中にネットワークを持っておられ、神の民を結び合わせ、使おうとされます。
 私は今年の一月に南米コロンビアに行きました。そこに行くと、訪問した教会の牧師が、「先日、アメリカからチームが来て、病院伝道集会をしてたいへん良かった」と言われました。
 今朝、ロン先生と話していると、なんと、それはロン先生の教会から送られたチームでした。世界は狭いものだと思いました。それぞれに神は目を留めてくださり、素晴らしいことを行われます。今日ここにおられる方々は、誰一人として、偶然に来たのではありません。神の導きの中で来たのです。
 イエス・キリストを信じるときに、人生が素晴らしく変えられます。今日初めて教会に来られた方もおられるかも知れません。ある方は疲れて、やりきれない思いで教会に来たのかも知れません。しかしそんな方にも、神は恵みを与えてくださいます。
 今日は、「神の保証書を持っていますか?」というタイトルで学びます。私は機械物が好きでよく購入します。しかし、すぐに飽きると家族に怒られます。機械物には保証書が付いているのですが、私はそれをよく無くしてしまいます。私は何かを買うときには、「絶対に壊れるはずはない」という確信の元に買います。
 しかし案外、電化製品は簡単に壊れます。そんなとき保証書がないと、せっかく無料で修理してもらえるのが修理してもらえないで、使えなくなってしまうことがあります。

 私たちがクリスチャンになると、神は保証書を発行してくださいます。詩篇九十一篇の一節から十三節は、「守りの保証書」です。特に、詩篇九十一篇十節から十三節には素晴らしい保証があります。この箇所を、ぜひ自分のものとして、受け取ってください。神があなたに語っている箇所です。

『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』

 「あなた」という箇所を「わたし」に換えて読んでみてください。しかし、それには一つの条件があります。『いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。』とあります。「いと高き方の隠れ場に住む者」とありますが、これは、「イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる者」という条件です。
 この保証書を受け取り、人生に適応するためには、イエス・キリストが救い主であると受け入れることが必要です。それで「いと高き方の隠れ場に住む者」となります。まだイエス様を救い主としておられない方は、受け入れてみてください。人生が大きく変えられます。

 今の社会を見ると、崩壊がどうにも止まりません。滝壺に飲まれてしまいそうな状況にあります。これからの人生、そして世界は、どうなってしまうのだろうかと心配になります。日本も段々、住みにくくなっています。税金もどんどん上がっています。社会も暗くなっていく状況があります。その理由として、世界は暗やみの支配下にあるからと聖書は教えています。
 イエス・キリストを信じるとは、「暗やみの支配から光に、サタンの支配下から神の支配に移される」ことです。使徒二十六章十七節から十八節に、

『わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

とあります。生まれながらの人間は、サタンの支配下にあり、放っておくと滅びに向かっています。聖書は、滅びの道は広く、多くの人がその道に向かっていると教えています。放っておくと、そのままサタンの支配の中に落ち込んでしまうのです。現代は、列をなして滅びに向かっている現状かも知れません。これは世界が悪魔の支配下にあるからだと教えています。
 しかしイエス様を信じるならば、サタンの支配下から、神の支配下に移していただけるのです。これは大きなことです。イエス・キリストを信じるだけで、立場が変えられます。同時に、神の守りの保証書が、あなたの上に置かれるのです。

 多くの人が日本の神々が真実であるかのように、信じて仕えています。しかし日本の神々には望みはありません。いくら拝んでも、望みはなく、祝福もありません。一時は良いのかも知れませんが、また、わざわいがやってきます。しかしイエス・キリストのところに来ると、一発でその立場が逆転します。暗やみから光に、サタンの支配下から神の支配下に、移していただけるのです。素晴らしいことです。

 先日ある方が教会に来られました。その方は二年程、うつ病のようで、家の中に引きこもっていました。それで毎週のように、霊能者の所に行って祈祷してもらっていたそうです。その霊能者は気功師でした。
 私は、「イエス様を信じたら、悪魔の支配下から神の支配下に移されますから、あなたは元気になりますよ」と言いました。すると、「溺れる者は藁をもつかむ」というように、「私もイエス様を信じたいです!」と、簡単にイエス様を信じました。
 そして一緒に「私を救ってください。助けてください。」と祈りました。そして悪霊との関係を断ち切り、祈りました。
 しかし霊能者の所に、次週も予約があるというのです。それで私は、「もうそこには行かなくても良い」と言いました。けれどもその人はそこに行ったそうです。
 そうしたら霊能者が驚いたそうです。「なぜ、あなたはこんなにも良くなったのですか?今まで私が拝んでも、全く良くならなかったのに…」
「実は、私は教会に行って祈ってもらったら、一発で良くなったんです」と答えたそうです。
 するとその霊能者が驚いて、「教会では、どんな魔法を使うのか教えて欲しい」と言ったそうです。
 教会に魔法はありません。占い師は、その力を自分のものにしたいと思っているようです。私は、「ぜひ今度、その霊能者に、教会に来るように言ってください」と話しました。今度は占い師もイエス様を信じて、悪霊から解放されると信じています。
 イエス様を信じたら、暗やみの支配下から、神の支配下に移されるのは素晴らしい特権です。
 しかしある人は、「私は悪魔の支配など絶対に受けていない」と言うかもしれません。けれども、支配とは、それに気付かないのが本物の支配です。今日ここに来られている方々の九十パーセント以上は、日本人です。日本人は、現在も日本国政府の支配を受けています。「今朝起きたら、日本国政府の支配が強すぎて、頭がガンガンしていた」と言う人はいないと思います。別に何の変わりもありません。
 しかし日本人が日本国政府の支配を受けていると、はっきりとわかる時があります。それは、海外旅行をする時です。私も海外によく行きます。海外に行こうとするときに、チケットだけを持って行っても、国から出してくれません。パスポートを提出しないと、国から出ることもできず、相手国に入ることもできません。
 私たちが悪魔の支配下か、神の支配下かが、はっきりとわかる瞬間があります。それは国を出るときです。人生を終え、地上を去っていく日が必ず来ます。今年もすでに、この教会の関係者の方々が、八名ほど天に帰って行かれました。私も葬儀をよくさせていただきますが、誰も死から逃れることはできません。死んだ瞬間はどんなだろうか、とよく考えます。海外旅行のようかも知れません。自分の手に書類を持たされ、神の係官の前に並びます。その時、「世界では一度に多くの人が死ぬものだなあ」と気づくでしょう。隣近所の人々と、神の係官の前に出る前に話すのかも知れません。「あなたは何で死んだのですか?」
 ある人はガン、ある人は突然の交通事故、ある人は心臓病…と、色々理由はあると思います。やがて順番が来て、神の係官の前に出ます。書類を提出します。ちょうどパスポートを提出する時のように、係官はニコリともせず、上目遣いで書類を見るかも知れません。
 私が書類を提出すると、係官がこう言います。「滝元さん。良かったですねぇ。あなたは神の支配下にありましたよ。だからあなたは天国・神の国に入ることができますよ。」
 しかし、ある人が自分の書類を提出すると、神の係官の顔が曇ります。

係官:「あんたの書類は悪魔の支配下ですね。」
人:「えっ?それではどういう意味ですか。」
係官:「悪魔の支配ならば、今から悪魔の国に入国してもらわなければなりません。」
人:「それは何ですか。」
係官:「平たく言えば、地獄行きと言うことですね」
人:「えっ、そんな…冗談じゃないですよ、私は天国に行きたいです。行かせてください。さっきの人は天国に行ったじゃないですか。私よりも人相が悪かったですよ…」
係官:「人相の問題ではありません。あなたが地上でパスポートを、神の国行きに書き換えたかが問題です。」
人:「えっ?書き換えることができたのですか?」
係官:「生まれながらの人間は、皆、悪魔の国のパスポートですが、それを瞬間的に神の国行きに書き換えることができたのですよ。」
人:「えっ!そんな場所があるんですか?」
係官:「あなたはどこの国からここへ来ましたか?」
人:「私は日本からです」
係官:「日本か?日本には、書き換えの場所が少なかったから、可愛そうだったなぁ。でも、無いことはなかったよ。大通りから、一本入ったところに小さな場所があったはずだ。」
人:「それはどこですか?」
係官:「教会ですよ。教会に行ってイエス・キリストを信じたら、暗やみの支配から神の支配に、瞬間的に移してもらえたのに…残念だったな。ここまで来たら、もう書き換えの事務所がないんですよ…」

 そこまで行くと遅いです。渋柿から甘柿になる為には、甘柿に接ぎ木しなければならないようなもので、人間は生まれながら渋柿です。しかし甘柿である、イエス様を接ぎ木するなら、人生は甘くなります。
 イエス様を受け入れると同時に、保証書もついてきます。それは、『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。』
 「えやみ」とは、打撃、傷、病気、災害です。それらが近づかないのです。また「天幕」とは、住まい、人生、家族、家系もカバーしています。この保証書はすごいです。詩篇九十一編の七節から八節には、

『千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。』

とあります。これからどんな時代になるのかわかりません。ある時には、私の左側の千人倒れるかような大災害があるかも知れません。しかしあなたを守ると聖書は語っています。もちろん、自分だけが助かれば良いというのではありません。神は、この祝福を全員にくださると教えています。イエス様を信じる者には、皆同じように保証してくださるのです。信じるだけで、それがあなたのものになるので信じてください、というのが聖書のメッセージです。

 特に、今日は、この保証書がどうして有効になるかについて、学びたいと思います。九十一篇十節から十一節に、

『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。』

とあります。「まことに主は」というこの言葉の「まことに」は、「なぜなら」とも訳すことができます。「なぜなら」と訳すほうが、わかりやすいです。「わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。なぜなら主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。」となります。
 色々な病や打撃、災害や傷などから人生、家が守られる為に必要なのは、神が遣わされる天の軍勢・御使いたちです。
 イエス・キリストを信じるときに、霊的構図が変えられるのです。今まで私たちの周りを支配していたのは、暗やみの権威を持った悪魔とその手下たちでしたが、イエス様を信じると、暗やみの軍隊が去り、今度は、神の軍隊が来てあなたを守るというのです。
 今日あなたの周りに、神の軍隊、御使いたちが仕えていることを信じましょう。イエス様が子どもたちに、次のように語られました。マタイの福音書十八章十節に、

『あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。』

 ヘブル的世界観では、子どもたちは役に立たない者という考えがありました。日本では、電車に乗っていて子どもが乗って来ると、大人が席を譲ったりします。しかしヨーロッパに行くと、大人が入ってくると、子どもが立ちます。それは、「大人はお疲れ、子どもは元気」と考えるからです。子どもは働いてもおらず、生産性があるわけではなく、大人に休んでもらいましょう、という考え方です。そしてイスラエルにも同じような考え方があり、子どもたちは無駄な者という考え方がありました。だから子どもたちを小馬鹿にするような習慣がありました。
 しかしイエス様は、子どもたちを馬鹿にしてはいけない、と言われました。子どもたちには御使いたちがついている、だから見下げないようにしなさい、と言われました。

 今日も子どもたちがこの場にいます。先週は、「子どもキャンプ」がありました。多くの子どもたちが、キャンプに参加しました。今回は、私の生まれ故郷・津具村に遊びに行ったようです。新城教会の原点をとりなし祈ることも、キャンプの目的の一つであったそうです。私が生まれた家にも行って、祈ってくれたそうです。彼らが祈ってくれたことは、大きいと思います。しかしただ、とりなしの祈りだけではなく、遊びもたくさんあったようです。
 一般的に、子どもたちは大人と比べると、問題が少ないです。小学校の頃、悩んで眠れない日が続いていた、と言う人はいないと思います。しかし、大人は悩みが多くて眠れない時もあります。
 子どもたちには、明確な将来の目標があるわけではありません。しかし、ほがらかに生きています。けれども、段々大人になると、元気がなくなってきます。もちろん、それには色々な理由がありますが、その理由の一つに、小さな頃は神が御使いを送って守っています。しかし段々大きくなるにつれて、罪に手を出しはじめます。すると天の軍勢が一人去り、二人去り、三人去り、それと入れ違いに、暗やみの天使たちが侵入してきて段々元気を失うのではないかと思います。
 しかしイエス様を信じると、御使いが来て、あなたを支えると教えています。素晴らしい保証です。今日はあなたに光の軍勢がきて、あなたを守ります。教会に来て、抱えていた問題が解決したならば、目に見えない構造が変わった証拠です。サタンの支配が周りにあったのが打ち破られて、光の天使たちがあなたを守るようになったので、問題が少なくなったのです。

 以前の私は、御使いや天使について考えたこともありませんでした。天使は弱い存在だと考えていました。天使は森永キャラメルのキャラクターのように、裸で小さな羽根が付いているぐらいにしか、考えていませんでした。
 しかし、一九九二年七月に、神様が天の軍勢に関して教えてくださいました。「戦いは天の軍勢によって進められる。だから、天の軍勢を送って下さるように祈りなさい」と語って下さいました。
 天の軍勢とは、裸で小さな羽根のある蝶々のような存在ではなく、力強い剣をもった神の軍隊であることを教えてくださいました。それから、私の人生も変わりました。私の周りに天の軍勢を配備してくださっているという、確信に立つことができるようになりました。
 詩篇九十一篇は、天の軍勢によって、あなたを病、わざわい、傷、問題から守るという約束です。
 けれども、その裏を返せば、色々な問題は暗闇の軍勢である、悪魔と悪霊によってもたらされるということです。

 有名な伝道者であるビリー・グラハムが「天使」という本を書きました。その中に、「すべての問題の背後に、暗やみの天使たち(悪魔・悪霊)が関わっている」と語っています。問題の背後には、暗やみの軍勢が関わっています。しかし、光の軍勢が遣わされるときに、それらが打ち破られます。

 しかし、詩篇九十一篇十一節と十二節の御言葉を、悪魔も引用しています。イエス様が四十日四十夜の断食の祈りを終えて、これから公生涯を始めようとする時に、サタンが来てイエス様に誘惑をしかけました。イエス様は神ご自身であり、また、神の子としての立場でこの地上に来られましたが、悪魔のアタックを受けられました。なぜでしょうか?
 それはイエス様が、人類の代表者であり、クリスチャンとしての代表者としてのポジションをも、お持ちであったからです。その為、悪魔の攻撃をも体験して下さったのです。マタイ四章六節に、

『「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」』

 悪魔は詩篇九十一篇の十一節と十二節だけをピックアップして、イエス様を訴えました。サタンは人であるイエス様に、どのような策略と共に誘惑を仕掛けたのでしょうか。
 悪魔はイエス様に、高いところから「身投げしろ」と言いました。これは自殺行為の促しです。今、日本では、年間三万五千人程が自殺していきます。これは合併前の新城市が、一年でなくなってしまう計算です。自殺の理由は、経済的なことや、精神的なことなど、色々あるかも知れませんが、ここでは悪魔が、「死ね」と語っているのです。イエス様に対してサタンが、「身を投げてみろ」と語ったのを見ると、悪魔こそ、死の力であり、自殺をそそのかす力であることを証明しています。
 もしも人生の中で、「死にたい」という思いが来ても、その思いに絶対に、負けてはいけません。それはあなた自身の思いではなく、サタンの声を聞いているからです。

 サタンはイエス様に、「身を投げてみなさい。御使いたちがあなたを支えると聖書に書いてあるから」と語っています。しかしイエス様は、「あなたの神である主を試みてはならない」と御言葉で対抗されました。
 なぜ、サタンがこの御言葉を引用したのでしょうか?そこには意味があります。私たちが身を置いている世界は、悪魔の支配下ですが、神を信じる者には「守りの保証」が与えられています。その保証とは、

『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』

 悪魔は、「身を投げてみろ。石にぶつかることがないように支えられる」と告げています。しかしこの御言葉の意味は、まったく違います。

『あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』

 神様は、私たちに天の軍勢を送り、守りを与えてくださるとともに、「私たちの足」を通して、暗やみの力を打ち砕いてくださると約束しているからです。
 『平和の神はあなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます』という約束もあります。またルカの福音書十章十九節では、

『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

とあります。神の守りは、天の軍勢を遣わされると同時に、私たちの足が石を踏むのでなく、「蛇やサソリを踏みつける」のです。私たちに害を与えるような、蛇やさそりを踏みつけることができるのです。石に足をぶつけて「痛い!」と傷を受けるのではなく、足が確実に敵をヒットするようにしてくださるという、約束の御言葉なのです。
 しかし悪魔は、この御言葉をねじ曲げ、「身を投げたら、天使があなたを支えます」と意味を変えて理解させようとしたのです。ここに悪魔の策略があります。

 私たちが主を信じるならば、天の軍勢が私たちの周りに遣わされ、支えられるばかりか、私たちの足で、獅子やさそり、蛇、すなわち悪魔の軍勢を踏みつけて、敵のあらゆる力に勝利する権威が授けられるのです。

 一年ほど前、『パッション』という映画が話題になりました。その映画は、イエス様が私たちの身代わりとなって、苦しみを受けて下さったという意味においては、重要な情報を提供していると思います。
 しかし、その映画を見た人たちは、だいたい「イエス様は人間に殺された」と思います。もちろん、私たちの罪の身代わりとなって、死なれたので、そのような理解も悪くはありません。
 しかしイエス様は、決して殺されたのではなく、自ら、十字架に進んで行かれ、自ら、いのちを捨てられたのです。ヨハネ十章十八節にてイエス様が語られています。

『 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。』

 イエス様は、ご自分からいのちを捨てられ、自分から命を受け取られました。ゆえに神であるのです。決して殺されたのではない、人類の罪の身代わりに、自らの意志で、いのちを捨て、また、自ら得てくださったのです。この理解は、霊的戦いのために、重要な理解です。
 イエス様が十字架につく寸前、弟子たちは動揺しました。イエス様に「そんなことがあってはいけない」と言いました。その時にイエス様はこのように語られました。
 マタイの福音書二十六章五十三節から五十四節に、

『それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」』

 イエス様は十字架の直前に、「わたしは今この時点でも、天から十二軍団以上の軍勢を呼び下すことができる」と言われました。
 「軍団」という言葉は、ギリシャ語では「レギオン」です。「レギオン」という言葉がそのまま出てくるのは、マルコの五章です。イエス様がゲラサに行かれた時に、一人の男がレギオンに支配され、どうにもならない状況になっていたという記事です。
 「レギオン」とは一つの単位で、「一レギオン」は「六千人程の兵士たちの群れ」、すなわち、「軍団」を意味しています。一レギオンが、男の所に来て働いたら、人生が自分の人生ではなくなってしまったのです。そして、周りに大きな被害を与える人生に化してしまったのです。
 ある意味で、イエス・キリストを信じる前の人生は、暗やみのレギオンに支配されているような人生です。自分の人生であるようで、自分の人生ではないのです。しかしイエス様を信じる時に、それが変わります。イエス様が、「今でも十二軍団以上を、わたしの支配下に置くことができる」と言われました。
 イエス様は天使に支配されていたのではなく、「天使をご自分の支配下」に置いておられたのです。
 イエス・キリストを信じるときに、レギオンに支配されるのではなく、今度は、「光のレギオンを支配下に置く」ことができるのです。ヘブル書一章十四節に、

『御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。』

とあります。イエス様を信じると、光のレギオンが、私たちの支配下に入り、霊的支配構造が変わるのです。
 イエス様は、今でも十二軍団を呼び寄せることができる。しかし、そうしたら、十字架のプランさえ、変わってしまうと言われました。十二軍団を呼び下し、配下に置いたら、聖書に記されている預言さえ、実現できなくなってしまうと言われたのです。ゆえに、神のみこころを実現するためには、十二軍団を呼ぶことはできないと語られたのです。
 私たちが主を信じ、神から遣わされる天の軍勢である、光のレギオンが支配下に配備されるならば、悪魔の計画はとどまることが出来ないのです。
 光のレギオンが支配下につき、あなたに悪魔がもたらそうとするプランを、全部打ち砕くのです。
 さらに、あなたの足は、石ころを踏むのではなく、あなたを攻撃しようとする、悪魔の力を踏み砕く為に用いられます。あなたを、そのような存在として、用いてくださると教えています。ゆえに、あなたには、完璧な守りの保証書が添付されています。自信を持って人生を歩んでくださいと勧めています。

 最後に確認したいことは、私たちは、「いと高き隠れ場に住む者たち」であるということです。
 主が十二軍団以上の軍勢が遣わされたらどうでしょうか。悪魔の支配は完全に砕かれます。私はいつも祈っています。「この日本に、十二軍団以上の光のレギオンを送って下さい。そしてこの国にある、悪魔のプランが全く消え、主がこの国を支配してください!」と祈っています。これは私たちに保証されていることなので、この保証書を受け取りたいと願います。主を信じる者たちには、光の軍勢が遣わされ、その結果として詩篇九十一章十節に、

『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。』

 そんな素晴らしい人生を送ることができますように。またこの日本が暗やみの支配下に置かれるのではなく、光のレギオンが支配下について守る構図に変えていただきたいと願うのです。
 そのためには、イエス様を信じることが大切です。今日はイエス・キリストを自分の救い主としてしっかり信じてください。あなたのところに、光の軍勢が来て、あなたを支えています。そしてあなたの足は石ころをヒットするのではなく、悪魔の力を打ち破るために用いられます。あなたは、そのような勇士として立てられています。この御言葉を自分のものとして受け取りましょう。お祈りします。

(祈り)
「イエス様、今私はイエス様だけが、救い主であることを信じます。受け入れます。私を光の支配に移して下さい。私の人生を導いてください。私のパスポートを、神の国のパスポートに変えて下さい。私のところに、光の軍勢を遣わしてください。私を守り、支えますように。イエス様の名前を賛美して、お祈りします。アーメン。」


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