天国への招待

2006.8.27(SUN)
新城教会牧師 滝元 明師

新約聖書 マタイの福音20章1節〜16節
天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」

 ハレルヤ!おはようございます。久しぶりにこの場所で御言葉を語れることを、感謝します。私はこれから四国ミッションのために忙しくなり、九月の日曜日は一度も新城にいません。しかし、この教会の牧師として、一度くらいは説教するようにということで、今日は機会が与えられたことを感謝します。
 今朝のメッセージは、私の家内から「あの時の説教はどう?」とアンコールがありました。それは、二〇〇二年に平岡先生の教会でしたメッセージです。「天国への招待」というタイトルで学びます。

『天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。』

とあります。朝早く、九時、十二時、三時、五時に雇われた人について書かれています。しかし、たった一時間しか働かない夕方の五時に来た人も、一デナリもらったとあります。
 一デナリとは一日の給金です。日本金にすると一万円くらいだと思います。朝早くからの人、九時に来た人、十二時に来た人、三時に来た人、五時に来た人も皆、一デナリをもらいました。この記事には色々な解釈があります。

 私の人生には色々な問題があります。悩むときに色々な人に相談します。両親に相談したり、友達や学校の先生など信用できる人に相談します。「この人はきっと良い答えをくれるだろう」と思って相談します。色々な問題が起こったときに、人に相談するのも良いですが、一番良い相談相手は教会の牧師です。色々な職業の人がおり頭の良い人もいますが、その中でも牧師は一番頭が良いです。なぜ頭が良いかというと、牧師は世界で最高に素晴らしい「神の御言葉」から回答をするからです。「自分の考えではなく、聖書にはこう書いてあるから…」と導きます。特にこの教会には、大勢の牧師がおりよく聖書を学んでいます。

 アメリカに世界の鉄鋼王と言われた、アンドリュー・カーネギーという人がいました。彼は事業をやって行き詰まると、牧師の所に行って相談しました。カーネギーさんは、一八三五年に生まれ、一九一四年に亡くなった人ですので、今から百年も前の人です。しかし彼は、世界の鉄鋼王と呼ばれ、アンドリュー・カーネギー救済基金やカーネギー教育振興財団などとあり、世界に貢献していた人です。彼は段々商売がうまくいき、大きくなると問題がありました。ある時には労働者がストライキをし、「労働賃金を上げよ」と要求しました。
 すると資本家たちは非常に怒り、「ストライキをする人々は首にせよ」などと言いました。社長であるカーネギーは悩みました。そこでマクミランという牧師の所に行き、相談しました。すると牧師は、「解決の方法は、家に帰ってマタイの福音書二十章一節から十六節を読みなさい」と勧めたそうです。そこでカーネギーは聖書を読みました。それで彼はわかりました。
 人を採用するときには試験があります。採用する人は一番優秀な人から採用します。その人は朝早くからの人です。また九時頃の人は少し、程度が落ちますが雇います。そして十二時頃、三時頃、五時頃です。
 五時頃の人は誰も雇ってくれる人がないのです。わかりやすく言うと、落ちこぼれです。しかし聖書は、そんな落ちこぼれの、五時から来た人も雇いました。そして監督に、後から来た人に給金を払うように言って支払うと、後から来てたった一時間しか働かなかった人が一デナリもらいました。そして三時に来た人も、一デナリ、十二時に来た人も一デナリ、九時に来た人も一デナリでした。すると朝早くから来た人は、早く来たからたくさんもらえるだろうと思っていると、彼らも一デナリでした。
 それで、主人に文句を言いました。すると主人は「あなたは朝早く来たときに、一デナリで働くことを約束しましたので、私は不正をしていないです。私としては遅く来た人にも同じように払ってあげたいのです。私が気前が良いから、ねたましく思うのか?」という感じです。

 これを読みながら、カーネギーはわかりました。会社が段々悪くなると、労働者を首にします。会社がうまくいかない時には、人を首にしないといけません。できないから人から首にしようとします。
 しかしできが悪い人は、首にされると他所に行っても、なかなか生きる道がありません。ぶどう園の主人とは神様のことです。神様は、できの悪い人も面倒を見、また、優秀な人も面倒を見てあげるというのです。
 そこでカーネギーさんはみんなに話しました。皆は首になるだろうかと心配していました。すると、「皆さん。許してください。私は牧師のところに行き、マタイの福音書十六章一節から十六節を読んでわかりました。一番、首にしなければならないのは私です。赦してください」と言いました。
 みんなは驚いて、「社長さん、私たちこそ、仕事もしないでストライキを起こして、ごめんなさい」と言いました。
 「いや、私は、みんなに働いてもらいたい」と言い、みんなを受け入れて大切にしました。それからカーネギーの仕事は大きくなり、「世界の鉄鋼王」と呼ばれる人になりました。
 教会には、学歴がある方、学歴がない方、子どもたちと色々います。しかし神様は平等な方です。学歴のある方も、学歴がなくて気落ちしている方も、神様は同じように愛してくださいます。
 やがてカーネギーは年をとった時に、莫大な富を受けました。そしてその富を、色々な所に寄付し助けました。ある時に牧師のところにも行き、「先生、私が幸せになったのは先生に会って、話を聞いたからです。お世話になりました。心からこのお金を差し上げたいです。」と言いました。私はそれを見て驚きました。今から九十年前です。二百五十万ドルでした。一ドル百十六円ほどです。終戦直後は三六〇円です。今の価値で計算すると、二億九千万円から三億円です。

 イエス様は天に帰られる前、『聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』と言われました。
 朝早くとはユダヤ人のことだと思います。また、九時頃は福音がヨーロッパに回ったので、ヨーロッパのことだと思います。十二時頃は、私の解釈ではアメリカだと思います。そして三時頃は第三世界のアジア、アフリカだと思います。
 最近、中国ではクリスチャンが増えています。あまり増えているので、政治家たちが弾圧し、教会を焼き払ったりしています。
 しかし世界で一番クリスチャンが少ない午後五時頃とは、「日本」だと思います。何年経っても、クリスチャンが増えません。しかし、神様は公平な方なので、午後五時の人にも一デナリをあげたように、見たことのないリバイバルが来ると確信しています。神様にリバイバルへの期待の拍手をしましょう。

『天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。』

とあります。弟子たちが、イエス様の所に帰ってきて、「先生。イエス様の名前を使うと悪霊が出て行きました」と言いました。しかしイエス様は「悪霊が出て行くからと言って喜んではいけない。ただあなたの名前が天に記されていることを喜びなさい」と言われました。人間は有名になること、事業が成功すること、金儲けすること、子どもたちを立派に育てること、大きな家を建てることなどを考えます。

 しかし人生は七十年、八十年、九十年くらいで、いつか死んでしまいます。死んでしまったら、全部この地上において行くと思うと淋しいです。どんな有名人になっても、金持ちになっても、大きな家を建てても、子どもがたくさんいても、死んだら終わりです。

 しかし神様側から見ると、人生の目的とは、永遠をどこで過ごすかという選択の時間です。人生の一番大切な事は、天国に行くか地獄に行くかを決めることです。イエス様は『人は全世界を手に入れても、自分のいのちをなくしたら何の徳がありましょう』と言われました。この五十年、六十年、七十年の人生は、皆を天国に行くために招待しているのです。イエス様がかわりになって十字架にかかって死んで、「どんな罪でも赦してあげるから、救ってあげるから来なさい」と招かれています。神様が皆さんを招待しています。

 私も五十年ほど、色々なところを回って伝道してきました。私の伝道生涯を考えると、感動的なことがあります。私の伝道生涯で一番感動したのは、一九七一年の八月九日に軽井沢での集会中に電話が来たことです。それは、時の総理大臣、佐藤栄作さんからでした。「先生。総理があなたのお手紙を読んで、お会いしたいと言われていますが、会われますか。」と言われました。一人では恥ずかしいので、田中先生といっしょに行きました。佐藤総理は現職でした。その時私は一時間二十分話しました。そして次の年は家内も行き、一時間五十分ほど話しました。

 また一九八九年一月九日には、アメリカのボブ・スタンスから電報がきました。「あなたを大統領朝食祈祷会に招きたいので来てください」と書かれていました。ワシントンDCのヒルトンホテルで集まりがありました。

 一九九八年七月六日に宮内庁から電話がありました。「七月二十三日午後二時から陛下が那須のご用邸でお会いしたいと言っています」と言われました。私は行ってお話をしました。

 考えてみてください。総理や大統領、天皇から招待されたら、あなたはどうするでしょうか。「仕事があります」「忙しいです」と言って断るでしょうか。何をおいても、招待されたら行きたいと思います。

 しかしまして大統領、総理、天皇よりももっと素晴らしい、王の王なる神から、「あなたを招待します。神の市民権を与えたいですから、ぜひいらっしゃってください」と言われたら、どうするでしょうか。断らないと思います。私も十九歳の時に招待されました。そして今日まで来ました。

 朝早く招待される人がいます。それは子どもだと思います。マタイの福音書九章十三節から十四節に、

『そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」』

とあります。日本中、色々な世界を回ってみて、クリスチャンになった人は、子どもの頃日曜学校に行っていた人が多いです。年を取っているからとか、若いからということも関係がありません。話を聞くことが大切です。とにかく話を聞いてみるのです。小さな頃に、両親に連れて来られて、話を聞きます。わかっているかどうかは別ですが、子どもたちは純粋にイエス様を信じます。
 今ここには小学生が六十名ほど来ています。なるべく、子どもたちを教会に連れてきてください。小さな頃に教会に来たら、大きくなってから失敗をしません。
 私は色々なところでクルセードやミッションをしています。二十七年前から、北海道リバイバル聖会をしています。そのすぐ後、九州でミッションをしています。色々な思い出があります。素晴らしい牧師先生がおり、良い説教をしてくださいました。その先生は亡くなる年までミッションに参加して下さいました。
 私は、「先生、お年になってもメッセージに来てくださってありがとうございます。イエス様のために働けて素晴らしいですね」と言いました。
 しかしその先生は面白い先生で、「それはなぁ、年を取ったことは悪いことではないがなぁ。私は心配していることもあるんだ。」と言われました。
 私は、「何を心配しているのですか」と聞くと、「年を取るとぼける心配があるんだ」と言われました。
 「先生。牧師がぼけることはないですよ。」と言うと、「いや。ぼけている人がたくさんいますよ」と言われました。
 九州で一人の女性の牧師がとても熱心に伝道されていましたが、急にぼけてしまったようです。ぼけて、毎朝起きると、経を読み出したと言うのです。ぼけると小さな頃の記憶に戻ります。この牧師は経を聞いて育ったのだと思います。
 私は、それを聞いて思いました。私も小さな頃、偶像礼拝をしたので、断ち切って祈らなくてはいけないと思いました。先週は、実家の方に行って、偶像礼拝の断ち切りの祈りをしてきました。
 その先生の魂は救われているので、天国に行かれたと思います。しかし、ぼけて良いこともあります。
 亡くなった田中政男先生と仙台でクルセードをしました。その時に、一人の学校の先生をされている娘さんが来て、「先生。母が救われるように祈ってください。今母は五二才ですが、ぼけてしまったのです。今入院しているけど、何を話してもわからないのです。何とかして、母が救われて天国に行けるように祈ってください。」と言われました。
 そこで病院に行きました。そして「お母さん。滝元先生が来たよ」と言うと、何の反応もありません。「お母さん、はじめまして滝元明です。」と言っても、何の反応もありませんでした。
 「母は小さな頃、日曜学校に行ってました」と娘さんが言われました。そこで、私は枕元で賛美歌を歌ってあげました。

 主われを愛す 主は強ければ
 わが弱くとも 恐れはあらじ
 我が主イエス 我が主イエス…

と賛美していると、急に表情が出てきました。そして涙を流していました。

 麗しき朝も 静かなる夜も
 食べ物 着物を
 くださる イエス様

と歌っていると、涙を流して泣いていました。記憶がよみがえってきました。「お母さん、イエス様を信じてください。どんな罪でも赦されて、イエス様を信じたら天国に行けますよ。信じますか」と言いました。「うん。」と言いました。ぼけたので、彼女は信じました。ですから、小さな頃から福音を伝えなければなりません。

 九時頃は、中学生か高校生くらいだと思います。平岡修治先生も私の伝道で高校生の時に救われました。アメリカに行った牧師で「私は中学生の時に、滝元先生の本を読んで今牧師になりました」と言われました。
 鹿児島の人で中村庄一さんという方がいます。一九四六年の話ですが、彼は頭が良い人で宣教師の通訳もしました。しかし彼は奇跡が大嫌いで、信じませんでした。
 けれども、昭和二十一年に海辺で散歩していたそうです。そこにウィスキーの瓶が流れ着きました。その中に字が書いてある物が入っていたそうです。蓋を開けて出してみました。
 すると英語で、「神の言葉を信ぜよ」と書いてありました。そして、「ウィスキーの瓶を受け取った方は手紙を下さい」と書いてあったそうです。
 彼は手紙を書きました。それで彼はクリスチャンになりました。ワシントン州のタコマの人でした。その瓶は、流してから四年半後に日本に流れ着きました。その先生はやがてタコマに行って、その方に出会い、アメリカ中に証し、今もご健在です。神様が招かれるときは色々な時があります。伝道者の書十二章一節に、

『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。』

とあります。中学生・高校生の時は大切です。
 十二時の人は、一番幸せな時です。雅歌二章十一節から十二節に、

『ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。』

とあります。花の季節は、十九才から二十才くらいです。まだ結婚されていない満開の時です。私も十九歳の時に教会に行きました。夜学に通っているときに、「君。君の顔を牧師に似合いそうな顔をしている」と言われました。朝起きてご飯を食べ、昼間は働き、夜は寝る…人生は何だろう。わからないという気持ちで教会に行ったときに、あまり素晴らしいので、「クリスチャンになろう。そしていのちをかけてする仕事が欲しい」と思いました。クリスチャンになった時、「私のために死んでくださった方のために、人生をかけよう」と思いました。それから五十数年が経ちますが、あれは十九歳の時でした。今日本には望みがあります。結婚式はどこで挙げる人が多いでしょうか。先日私は岡山県で全日空ホテルに泊まりました。ホテルにはチャペルがありました。今は教会で結婚式を挙げることが多いです。大阪や東京では六十パーセント教会で結婚式をするようです。だからやがてリバイバルが起こったときには、教会で結婚式をする人がたくさん来ると思います。

 また午後三時とは、どんな人でしょうか。結婚して、「君を骨まで愛するよ」「僕は君を必ず幸せにする」と言っていても、午後三時頃になると、いつの間にか愛がどこかに行ってしまい、夫婦喧嘩や浮気をします。子どもができて不登校や引きこもりになったり、商売が駄目になって倒産したなどという人がいます。午後三時の人は悩みが多い人です。悩みは家庭にたくさんあります。悩みが多いのは良くありませんが、ある意味、良いことです。「俺の力で幸せにする」「愛するよ。骨まで愛するよ…」しかしできません。「私の力で…」というのは駄目です。「このままではできない。どうしたら良いか。」という時に、神様の招きがあります。

 何年か前に、新潟の教会に行きました。そこに一人のご主人が来ました。その人は教会が嫌いでした。奥さんはクリスチャンでした。教会に誘っても、なかなか教会に来ませんでした。しかし私が来るというと、やっと来てくれたそうです。彼は工場で働いていました。しかし、何年か前に、不景気が来たときに、一生懸命働いていた同僚がリストラされました。いのちをかけて会社に働いていたのに、首にされるとはショックです。そのリストラにあった人は、首をつって死んでしまったそうです。その人は友達の保証人になっていたのですが、保証倒れになったり、色々な問題が起きてもう自殺したいと思ったそうです。
 しかしその時、「家内が言っているように、教会に行こう」と思ったそうです。その時に私は、「今日から信じたい人はお祈りしましょう」と言うと、彼が手を上げました。神様はすべてのことを益としてくださいます。午後三時は神様の招きの時です。問題のある方は駄目だと思ってはいけません。

 また午後五時は人生の夕暮れです。二〜三日前に、私の家に組長さんが来ました。「滝元さん、九月十八日に敬老会があって公民館で、お祝い会があるので来てください」と言われました。私も今、人生の夕暮れです。どうしてだろうか。いつの間に年を取ったんだろうか。わからないのです。九月で七十七歳になります。
 私はよく新幹線に乗ります。乗るときには祈ります。「イエス様。私の隣に良い人が乗りますように。」と祈ります。何年か前に、東京駅から一人のご老人の方が座りました。この方は白い髭が生えたおじいさんでした。
 「どちらまで行かれますか」「豊橋です。豊橋から名鉄に乗り換えて挙母(豊田)まで行きます」と言われました。豊橋までは一緒でしたので、そこまでは一緒に話していました。
 「ところで、挙母まで何をしに行くのですか。」と聞くと、戦争が終わったときに挙母に飛行学校があって、教官をしていたというのです。戦争の話をし出して一時間以上話していました。ずっと私は感動しながら聞いていました。
 最後にこう言われました。「こういう話をすると、息子たちに嫌われるんだ」と言われました。そうだろうと思いました。そして私が、「ところで、私はキリスト教の牧師です。」と言いました。単刀直入に聞きました。
 「失礼ですが、私もお宅さんも人生の夕暮れです。いかがですか。行き先はもう決まりましたか」と言いました。
 すると「はぁ?」と言うのです。ということは、「私もあなたも人生はそんなに長くないので、どこに行くか決めないと行けないでしょう。決まりましたか?」と言いました。
 「家は仏で…」というのです。「そうですか。仏は駄目ですねぇ。あれは哲学で天国も地獄もないから駄目ですよ。」と言いました。それから私が色々イエス様のことを話しました。彼はよく聞いてくれました。
 「実は家の息子は、ロンドンで銀行の支店長をしており、一人はニューヨークで銀行の支店長をしており、二人ともクリスチャンです。」と言われました。
 「じゃあ、祈っているでしょう。」それからずっと話しました。最後に彼はこう言いました。
 「先生、これからでも間に合いますか」と言われました。「間に合いますとも。」私は名刺を差し上げて、「お手紙を下さい。本を送ります」と言いました。すぐに手紙をくれました。

 皆さんは行くところが決まっていますか。はっきりと決めなければなりません。
 二〇〇二年に大阪で四十日間集会をしました。八月六日に大阪弟子教会に行きました。昔はヤクザをしていた金沢先生の教会です。「先生。いらっしゃいませ!」と、生きが良い教会です。そこにTさんという方がいました。「先生。この人は私の兄貴分です。私がクリスチャンになったときに、大反対をした人です」と言われました。
 「バカ野郎。キリスト教の牧師になるな!戻れ!!」と言ったそうです。そして二、三年の間、何の連絡もありませんでした。
 しかし突然連絡が入ったそうです。「おい、金沢!俺だ。」「兄貴。どうした?」と言うと、「おれなぁ。今、七千万借金を作って、横浜から逃げて隠れているんだ。俺をかくまってくれんか。」と言いました。それで、かくまってあげました。しかし彼は、「兄貴。その代わり日曜日だけは教会に行ってくれ」と言いました。
 すると「行ってやる。でも、言っておくが、二年間は絶対に俺はクリスチャンにならんぞ。だから俺にクリスチャンになれって言うなよ。」と言ったそうです。私が行ったときにも、たくさんヤクザが集まっていました。
 その日私は真剣に語りました。「皆さん。聞いてください。一度死ぬことと、死んだ後さばきを受けることは決まっている!バクチを打ったり、女遊びをしたり、人を殴ったり、悪いことをしたら、地獄に落ちてさばかれる!!」と語りました。何も構わずに話しました。「しかしイエス様を信じたら救われる!」と話しました。
 するとTさんや、ヤクザの人々はガタガタ震えていました。「今日イエス様を信じたら救われる。信じる方は手を上げてください。手を上げた方は前に出て祈りましょう」と言いました。
 するとTさんは泣きながら、悔い改めて祈っていました。彼は悔い改めて信じました。その時、彼はお腹の調子が悪かったようで、イエス様を信じてから病院に入りました。診察した結果、末期ガンでした。「あなたのいのちは、一ヶ月あるかわかりません」と言われたそうです。目の前に死が来ました。彼は「俺は、イエス様を信じて救われた。死んでも天国に行ける。洗礼を受けたい」そして、彼は洗礼を受けました。
 Tさんは九月十三日に亡くなりました。私は八月六日に、その教会に行きました。自分が死ぬことはわかりませんでした。皆、自分の死はわかりません。準備は早くしなければなりません。

 先日、「霊的戦いセミナー」がありました。前橋からJさんご夫妻が来られました。私の家に来られ、「前橋からここは遠い。こんなに遠い…。先生。こんなに遠いのに家まで、母の救いのために来てくれてありがとうございました」と言われました。
 今から数年ほど前、三月の月曜日の朝、Jさんから電話がありました。「先生。母が危篤です。だけど母はクリスチャンではないです。弟たちも反対でクリスチャンにならないです。だけど母がクリスチャンになるまで健康であるように祈ってください」と言うのです。そして私はお祈りしました。祈ってから受話器を置こうとすると、「先生、お願いがあります。今日に祈りに来てくれませんか。」と言われました。
 「えっ?」来てくださいと言われても…原稿を書かなくてはいけないし…、金がないし…困ったなあと思いました。しかし、祈ってみました。受話器を下ろした途端、思い浮かびました。

 かつて豊川にリンデンという宣教師がいました。よく私を招いてくれました。ある時に、リンデン先生が泣き出しました。
 「滝元先生。僕は宣教師になっても、どうしても忘れられない悲しみがある。思い出すと苦しくて仕方がない。」と言って、泣いているのです。
 「先生。どうしたんですか」と言いました。リンデン先生は、スウェーデンの田舎で悪い青年で、あまり悪かったので村中の人が祈ったそうです。「リンデンを救ってください」と祈っていました。
 すると彼は救われて伝道師になりました。彼が救われて、あちらこちらを回っていると、ある夜、イエス様が彼に語りかけました。
 「リンデン。今すぐ、かつてあなたが付き合っていた、悪い女のところに行って、イエス様の話をしなさい。」と言われました。
 リンデン先生は、「いいえ、神様。あの女だけには一生涯会いたくありません。お断りします。」と言いました。
 しかしもう一度声がありました。「リンデン。あの女性の所に行って今話しなさい。」と言われました。「いいえ、神様。私はあの女だけには生涯再び、会いたくありません。」そして次の朝が来ました。
 一人の人がやってきて、「彼女は今朝死んだ」と言ったそうです。彼女は死ぬ前に泣き叫んだそうです。「誰か。助けて!地獄に行きたくない。救いの道を教えてよ!!」と泣きながら叫んでいたそうです。
 その時にリンデンさんに神が語ったそうです。あの時のことを思うと悲しくて仕方がないと言われました。

 私はすぐに思いました。「行こう!」と思いました。すぐ電話をとり「行くよ。」と言いました。それから出かけて行きました。ご主人と娘さんと迎えに来て話しました。Jさんが、「先生が来ておばあちゃんのために祈ってあげる」と言いました。「あんた夢でも見てるんでしょう。」「本当に今日来てくれる」そして私が行きました。「おばあちゃん、イエス様を信じる以外に天国に行く道はないです。どうですか。信じますか。」と言うと、「はい。信じさせていただきます。」と信じました。お祈りして、さあ帰ろうと思うと、「先生。おばあちゃんに洗礼を受けさせてください。」と言われました。いつ召されるかわからないと思いました。しかし他の教会の方なので、気になりましたが、後から先生に断っておくことを伝えて洗礼をしました。
 そして帰ろうと病院を出ると、綺麗な虹が出ていました。神様が祝福してくださったことを確信しました。その夜、おばあちゃんにイエス様が現れてくれました。そこで反対する息子たちを集めて、「お母さんはクリスチャンになったよ。もう直らない。必ず死ぬ。しかしお母さんがクリスチャンになったから、家族の関係が切れるわけではない。お母さんは先に天国に行っているよ。」と言ってほんのしばらくの間で、天国に帰って行きました。だからJさんご夫妻は私に恩を感じられています。

 あなたが伝道しなければ救われない人がいます。これは五時の招きです。年老いた人には何とか福音を伝えてください。イエス様を信じる以外に救いの道、天国への道はありませんので信じましょう。

 まだ天国に行く確信がない方は、今日は信じる決心をして素晴らしい神様の市民権をいただきましょう。お祈りします。


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