「勝利の入城」
竹内正臣先生 特別講演記録

2006.11.12(SUN)
インターナショナル・バプテストチャーチ・タコマ 竹内正臣 師

新約聖書 ルカの福音書19章28節〜40節
これらのことを話して後、イエスは、さらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、言われた。「向こうの村に行きなさい。そこにはいると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」使いに出されたふたりが行って見ると、イエスが話されたとおりであった。彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」と彼らに言った。弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。そしてふたりは、それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、こう言った。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください。」と言った。イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

 ハレルヤ!イエス様に感謝します。一九九八年に滝元明先生が私たちの小さな群れに来てくださり、大きな励ましをいただいたことを今でも忘れません。
 また順先生にもお世話になり、私たちの教会でも、霊的戦いに目覚めた勇士たちが生まれ、教会が変えられていることを覚えて感謝します。また、岡本先生ご家族も私たちの教会に来てくださり、岩井さんご夫婦も私たちの教会に来てくださり、私たちは新城教会から、大きな恵みをいただいています。アメリカの名も知れない小さな教会であっても、イエス様が覚えてくださり、このように皆さんから祈られ、リバイバルの現場に立たされて今も興奮と驚きと感動でいっぱいです。
 昨日は県民の森に連れて行っていただき、『主が立ち上がられた日』の表紙の写真と同じ場所に行き、イエス様に感謝して祈ってきました。イエス様は少し私が思ったことを、その通りに実現してくださる、素晴らしい造り主であることを覚えて感謝しました。
 滝元明先生が一九九八年に我が家に来てくださいました。当時私は一九九六年に結婚し、子どもが生まれたばかりでしたが、明先生が子どもに祈ってくださった後で、チューをしてくださった時の写真が、我が家に残っています。それは「按手の祈りならぬ、アンチュの祈り」でした。私の長男が滝元先生のような伝道者になってくれることを祈り、確信しています。そのような祝福をいただいて、今日ここに立たされていることを、不思議なイエス様からの奇跡と確信し、感謝しています。ルカの福音書からともに御言葉を味わっていきたいと思います。

 今日のテキストとなる御言葉は、「勝利の入城」という大変有名な箇所です。この箇所には、素晴らしい勝利の戦略が込められています。しかもそれはこの世の勝利というのではなく、霊的世界においてイエス様が勝利をとられたことの大切な要素が込められています。
 この教会に来ると、イエス様が十字架で勝利された勝利が、そのまま生きているように思います。昨日は岡本先生が新城の町を案内してくださいましたが、どこに行ってもすでに勝利が与えられています。神社に行っても、どんなに歴史的に悲惨な場所においても、そこには十字架の勝利があります。教会だけではなく、町全体に勝利がとられています。その勝利がそれぞれの生活の中に、皆さんの人生の細やかな一つ一つの中に、職場や学校の中に前進しますように。
 今日の御言葉を通して「勝利の戦略」を受け取ってください。イエス様の勝利の入城における勝利の戦略は、まず、聖書の預言が実現しているということです。預言そのものです。ゼカリヤ書九章九節に、

『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。』

とあります。イエス様がこの世に来られるということが、五百年以上前に預言されていました。そして刻銘にイエス様の入城が預言がされています。聖書の御言葉は寸分疑うことなく、そのまま実現します。一度神様が言葉を出されると、その言葉は誰にも妨げられません。ここに勝利の大戦略があります。御言葉こそ、悪魔が指一本触れることはできません。主が「光よ、あれ」と言われたその日以来、神様が今日もその言葉を出され、それを聞いた信仰を通して、神様の言葉はことごとく実現します。イエス様はその預言の通りに勝利の入城をされました。まず神様が言われたとおりであったということです。これは神様の言葉です。神様の言葉には間違いがありません。それが実現して五百年後に起きています。五百年経とうが、千年経とうが、神様の言葉は確実に実現します。聖書の預言である神様の言葉は、この世におけるあらゆる悪の力・暗やみの力に対して打ち勝つもの、聖書が言う「御言葉の剣」です。神の言葉を私たちが信じる以上、悪魔は絶対にそれを変えることはできません。すべてを打ち貫き、歴史を打ち貫き、社会のどんな権力者も、どのような存在も打ち貫く、この御言葉の剣は、確実に実現するものです。そのようなことが、この勝利の入城において起きているのです。

 また神様は、「語られてから事を行われ」ます。聖書の中に神様が語られてからことを行うという表現がなかったとしても、聖書の出来事は、必ず「語られてから」成されます。「光よあれ」と語られて光ができました。このように、神様がすべて言葉によって事を成されます。今日神様は、同じように言葉を語られます。そして人間の信じる信仰を通して、ことごとくこの世に実現していきます。神様は語られてから、事を行われます。
 私は時々妻に叱られます。やってから、後で言うからです。私の財布を見て、「どうしたの。なぜ言わないの。もうないじゃない…」と言います。ちょっと忘れていて、コンピューターを調べて、「どうしたの。これ?ちゃんと言ってから使ってください」と言われます。しかし神様は違います。語ってから行います。聞くのは誰でしょうか。それは私たちです。サタンはこれを恐れています。いったん神様が語られ、それを人間が聞いて信じようものならば、サタンはその神様の働きに、指一本触れることはできません。全くお手上げです。ですから信仰の言葉こそ、私たちの信仰生活にとって何者にも勝る、大きな戦略であり、武器であることを覚えなければなりません。

 そしてもっとすごいことがあります。神の言葉は「信仰の言葉」です。信仰によって受け取る言葉です。人間の理解力、人間の計算、人間の考えではこれを理解することはできません。御霊の言葉は御霊によってしか、わきまえられないとパウロが言ったように、この御言葉は、御霊によってしか理解されません。御霊によってしか理解されない以上、御霊以外の天使でさえ、もちろんサタンどもは絶対に、これを理解することができません。サタンもたくさん神様のすることを見ていて、神様の真似をします。しかし御言葉の深い理解は、彼らにはできません。もし、ルシファーや神様に反逆するような悪魔が、本当に神の言葉を知ることができたならば、恐れおおくも、神を離れることは絶対にできなかったはずです。
 アメリカでもカルトが多いです。彼らは、人を騙そうとしているのではありません。真剣に騙されているのです。教祖も騙そうと思ってカルトをしていたら騙せません。教祖も、真剣に騙されています。
 サタンも真剣に御言葉がわかっていません。「新世界訳」という、でたらめな訳をエホバの証人の人が書いていますが、彼らはそのようにしか、聖書を読むことができません。
 サタンは得することしか考えません。サタンは損ができません。イエス様は損ばかりです。罪がないのに、十字架にかかって死んでくださり、いつも与えてばかりです。サタンは計算高くて、人間の欲と同じようです。信頼することや信仰することができません。ですから聖書の言葉が正しくわかりません。
 ところが私たちは、聖書の御言葉を信仰によって受け取ることが大切です。信仰によって受け取ると言うことは、私たちが「なるほどわかった」と理論だったものではなく、本当に幼子のように受け取ることです。ここにいる子どもたちのように、御言葉を聞いているか聞いていないかわからないと思ってしまいますが、幼子のように信じてしまうことです。理由は抜きです。そうするならば、サタンはそれに関して、介入することができません。理屈抜きに信じるのです。

 時々私たちは理屈っぽいです。どうしてこんな「雌ロバの子の子ロバなのだろうか。」と考えます。雌ロバがいたら雌ロバに乗れば良いと思いませんか。ロバは小さな大きさです。そして子ロバはもっと小さいのです。イエス様が私くらいの背であったとしても、乗ることができません。賢い人はここで、「どうしてだろうか」と考えてしまいます。しかし、賢いか賢くないかは問題ではなく、信じることが大切です。ルカの福音書を見ると全く会話になっていません。

「向こうの村に行きなさい。そこにはいると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』

とあります。「そうですか」という人も言う人ですし、貸す方も貸す方だと思います。そして、

『使いに出されたふたりが行って見ると、イエスが話されたとおりであった。』

神の言葉は必ず実現します。

『彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」と彼らに言った。弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。』

 弟子たちはそのままを言いました。少し賢い人であったら、「実は私たちの先生が…」といらないことを言うのです。会話になっていません。「主がお入り用なのです」と信じたままです。そうしたら貸してくれたというのです。そのままの会話ができたら、すごいです。しかし信仰によるならばできます。信仰は神の言葉を信じて、受け取って行うことです。信仰の言葉に対しては、サタンは一歩も近づくことができません。ですから、まさにサタンは全く皆さんが何を考えているのか、何をしようとしているのか読むことができません。 
 戦いをするときに、一番確実に勝てる方法は何かを考えたことがあるでしょうか。格闘技などをしておられる方は経験があるかも知れませんが、相手に手の内を知られないことです。もしくは、相手がわからないような戦法で戦う、相手に自分を知られないことです。
 しかし、もっと勝つ方法は「勝てる戦いだけ戦う」ことです。この世の中で勝負をする人は、皆、勝てる戦いにだけ戦うので、勝つことができるのです。そして神の言葉は絶対に変えられないということだけがあったら、勝てる戦いです。
 順先生がよく言われるように、「悪霊が原因ならば、必ず勝てる」ということです。この世の中では、悪霊が絡んでいる問題など、絶対に勝つことができません。警察、弁護士が関わっても、どうすることもできないので、新聞やニュースに色々なことが出てきます。本当に、どうすることもできないことが、この世にはたくさんあります。しかし絶対に勝てる道があります。それは、この世を支配する霊に対して、戦いを挑むことです。イエス様の御名によって、私たちは、確実に勝つことができます。確実に勝てる戦いが、御言葉による戦いであり、御言葉による戦いに対しては、敵は全く理解もできなければ、全く、手出しもできない状態であることを、覚えなければなりません。
 アメリカはイラクとの戦いで苦しんでいます。アメリカは、最強の軍事力を持っています。アメリカの軍事力の中で、最も強い武器は何でしょうか。核兵器、ミサイル、ミサイル防衛のような物でしょうか。アメリカの戦力の中で最も強いものは「情報戦」です。最も情報戦にたけているのは、イギリスとアメリカと言われていますが、情報収集能力、情報を集めて、勝てる戦いしかしません。だから勝つことができます。情報で決まります。
 サタンは頭が良いです。人間の知能よりも、何倍も優れた知能を持っています。天使の一種です。しかし彼らには弱点があります。さっぱりわからないというのです。全く手が出ない、読んでも読んでも、新世界訳やモルモン教典のような安っぽいものしか書けません。五百年経っても、なおも実現していくような神様の御言葉を彼らは用いることができません。もし皆さんが聖書の御言葉にいつも目を通し、理屈ではなく、「主がお入り用なのです。」と言われて、そのまま、「主がお入り用なのです」と言ってロバを借りてくる、この御言葉の信仰と実践によるのならば、私たちは確実に勝利をとることができます。

 また次に、イエス様は謙遜と柔和に満ちた方でした。謙遜なイエス様の入城でした。この勝利の入城、天地万物を造られた王の王がエルサレムという、ご自分の宮に勝利されて入城していく、戦いに勝って入城行進をまさか雌ロバの子の子ロバに乗って実現するとは、誰も想像し得ないことです。勝利入城であるならば、本来は白い馬や戦車や騎兵を連れていくのが普通ですが、イエス様は雌ロバの子の子ロバに乗って入城されました。そこにはイエス様の謙遜と愛の現れがありました。
 実はサタンにとって、もう一つ厄介なものがあります。それは愛であり、謙遜です。サタンは絶対に損ができません。得することしか考えていません。サタンは絶対に愛が理解できません。愛は、人のために損することであり、捧げることです。それをすると、サタンは皆さんの行動が読めなくなります。与え合う、赦し合うことによってサタンの精密なコンピューターは、クエスチョンマークだらけです。これで皆さんの行動が読めなくなり、誘導することができなくなります。そしてこの世を支配するものは働けなくなります。そこで聖霊様が、その中に介入してくださり、愛、犠牲、損すること、与えることを通して神様の恵みと祝福が、その場に注がれます。それがサタンに対する大きな打撃になっていきます。ですから、イエス様は愛と謙遜を持って入城されました。
 愛と謙遜にはもう一つのメリットがあります。また戦いに勝つ、もう一つの秘訣があります。それは「不戦勝」です。戦わなくても良いのです。この教会の皆さんは、打つべき敵を知っておられます。サタンから見ると、一番嫌らしい存在であり、嫌われる存在です。
 多くの人が、しなくも良いことをしている場合があります。人間は生きる時間が限られています。そしてサタンは、一生涯の間に救われなければ良い、福音のために働いてくれなければ良い、寝たきりのクリスチャンであることを願っているので、人々に、いらないことをさせます。それは人を憎むこと、争い合うこと、また自分の力や名誉のために人間が努力することです。
 人間が一生涯自分のために一生懸命努力し、自分のために銅像を建てたところで、神の国の前進には全くならないばかりか、サタンにしてみれば、そんなものは少しのお金や名誉を与えて、銅像を建てさせ、地獄で終わりです。このアイドリング戦法にかかってしまいます。人間は無駄なものにお金を使い、無駄なもに自分のエネルギーを使い込んでしまいます。
 もしここで、イエス様が本当に大きな白い馬に乗り、イエス様がすごい武具を身につけ、イエス様が何百もの戦車を連ねてエルサレムに入城されたらどうでしょうか。当然、ローマはそれに対抗してきます。肉のものには肉で対抗してきます。イエス様は戦わなくても良いものに対して、戦いをされませんでした。
 雌ロバの子の子ロバに乗ってくる、三十過ぎのお兄さんを、誰が相手にするでしょうか。当時エルサレムに新聞があったとしたら、新聞記事にもなりません。誰も相手にしません。ましてやイエス様が十字架にかかられるとき、ポンテオ・ピラトはイエス様に何の罪状書きも、つけることができませんでした。雌ロバの子の子ロバに乗って入城される以上、この世の人が、何の言葉を付け加えることができるでしょうか。

 ここに勝利の秘訣があります。私たちは無駄な戦いをしてはいけません。人は敵ではありません。人の命は限られています。この限られたいのちの間に、ひとりでも多くの人がイエスは主であると告白し、一人でも多くが神の国に入り、一人でも多くがイエス様のために仕えるのであれば、悪霊は心臓麻痺です。このように私たちは謙遜という素晴らしい武器を持っていることを、忘れてはいけません。イエス様は全くこの世の人々から考えられない戦略をとられました。ここに勝利の戦略があります。
 最近、アメリカの成長している教会の話を聞いたり、見に行ったりします。ただ人数が集まっているから、良いのではありません。素晴らしい働きをしている素晴らしいキリストの御からだには、共通点があります。それは、無駄なことは一切しないのです。霊的世界に対して働きを成していく教会です。そのような教会が実を結んでます。
 例えば、教会によっては、子どもたちからは全く献金を集めることができませんが、子どもたちを集めて一生懸命聖書教育をしているのです。そんなことをしたら、教会をどのように運営していくのかと言われます。ある人は、ロサンゼルスにホームレス専用のミニストリーを設けて、ホームレスの方々をケアーしています。どこからお金が出るのでしょうか。これらを人間の目から見たら、損をしている、全く無駄に見え、お金や力を得る方法もないような働きをしているような教会が、イエス様から祝福を受けています。
 新城教会では、毎週のように地域のためのとりなしに行くと聞きました。地域のとりなしをして、誰に福音を伝えているか、また誰に御言葉を語っているか、また地域の執り成しをして、どのように献金を集めるのか…と、人間的に考えると「あなたたちの趣味の世界ではないですか。またマニアックなクリスチャンです」と言われ兼ねないです。
 しかし霊界においては、イエス様に対して従順な行い、霊に対して私たちが直接働きかけていくことこそ、イエス様に喜ばれ、実を結ぶ働きであることを覚えなければなりません。ですから、私たちが人間的な考え方で勝利を得るとか、人間的な方法で徳や勝ちを得るという方向に心を使うならば、敵の策略にはまってしまいます。
 ゼカリヤ書九章九節に、

『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。』

とあります。これによってイエス・キリストが、天地万物を造られた王の王であり、主の主であることが、このみ言葉が実現されたことによって証明されます。
 イエス様は白い馬や戦車や武器によって、自分が王であることを証明したのではありません。「あなたの所に王が来られる」と五百年以上も前に語られた言葉によって、イエス・キリストこそ唯一の造り主、救い主、王の王であることが宣言されています。このような勝利の取り方が、イエス様の勝利の入城でした。王の王が来られる、本当の権威、救い、本当の支配者であることが、この勝利の入城によって証明されています。
 イエス・キリストの権威が霊的な方法で、御言葉によって証明されたことによって、イエス様が十字架にかかって勝利されるための準備が確実にできました。ここで私たちが勝利するための戦略として学ぶべき事があります。イエス様が王であることが、はっきりしています。イエス様が天地万物の造り主であり、救い主であることがはっきりしていることです。イエス様がこれから成そうとされていたことは、十字架の死と復活です。十字架の死と復活こそ、王の王がいけにえとなられたのですから、まさに罪から救うためのいけにえであり、私たちはイエス様の復活を約束され、しかもイエスの御名の権威をいただくことができることが、この勝利の入城によって証明されたことを覚えなければなりません。
 すなわち、私たちは勝利の入城によってわかることは、私たちが王のロイヤルファミリーの王族の権威が与えられていると言うことができます。私たちが王の権威を持って何をするのでしょうか。私たちは、救われて神の子とされ、王の権威によって、私たちは地上ではローマの人も馬鹿にされるような、また、この世でどのような生活をしていたとしても、皆さんは霊界によって、王の王であるイエス様から権威をいただき、このようにおいてイエス様によって統べ治める者になっていることを、忘れてはなりません。
 新城教会は遠くから見ると、白い壁が伸びて、辺りのどんな建物よりも立派です。ここにイエス様が来られる、イエス様の働きの教会があると町中に知らされています。しかし私の故郷の三重県松坂市や伊勢市に行くと、道の真ん中に鳥居があります。車に乗っていると、道を挟んであるのでくぐりたくもないのに、くぐってしまうのです。しかしそれらのものに対して、私たちはイエス・キリストこそ王であり、本当の支配者であると宣言し、世に顕していかなければなりません。私たちが霊的な戦いを進め、地域の執り成しをし、一人一人や家族の背後にあるものを見抜いて、イエスの御名によって宣言する働きが私たちに委ねられています。また私たちがイエスの御名によってする働きは、決定的には伝道です。
 私は時々アメリカで話していると、「竹内さん、そんな霊的戦いと言って眠れるライオンを起こさなくてもいいんじゃない?」と言われます。「それらを放っておいて、眠っている間に、たくさん人が救われれば良い」と言われます。
 しかしそれは全く聖書を誤解しています。伝道とは、どういうものでしょうか。人が救われるとどうなるのでしょうか。多くのクリスチャンは、人が救われると天国に行くことと言います。しかしそれだけではありません。マタイの福音書二十四章十四節に、

『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』

とあります。終わりの日が来るというのは、終わりの日によって、サタンは完全にさばかれます。そしてイエス様を信じる者にとっては、そこから永遠の世界が始まっていきます。神様は人間が十分世界に福音が伝え、世界の人々が全部救われ「もう良し」と言ってくださるとき、サタンに対して死刑の宣告が成されます。これでサタンの働きは終わりです。そうでなければ、サタンの働きを打ち砕き、サタンを捕虜にし、サタンの働きをこの地に押さえ込むことはできますが、究極的にサタンを地獄に落とすことはできません。
 しかし究極的にサタンを地獄に落とす唯一のことは、「伝道」です。人の魂が救われてしまったら、終わりが来るからです。
 ですから、逆に言うと、もしクリスチャンが、本当に眠ってしまい、クリスチャンが伝道を止めてしまうならば、天使は伝道しません。もしクリスチャンが伝道することを止めてしまったならば、クリスチャンはこの地上、この世でサタンの永遠の王国が続きます。なぜならば、「全世界に福音が宣べ伝えられて」終わりが来ると神様が言われているからです。
 神様の御言葉は変えられません。全世界に福音が宣べ伝えられて、すべての人が救われたと神様が決定された時に、世の終わりが来る以上、一人一人が救われるとサタンの寿命が縮まっていきます。私はサタンが嫌な思いをすること、サタンに憎まれることが大好きです。イエス様の権威を用いて、神の国のために救いを据えなければなりません。これが戦略です。人々は「ホサナ」と言ってイエス様を迎えたと書かれています。「ホサナ」という言葉は、「どうぞ救ってください」という言葉です。ここに単に賛美があるだけではなく、イエス様に対する願いや思いが込められている、賛美と祈りでした。新城教会は賛美と祈りに満ちあふれた教会です。悪魔が最も嫌がり、そしてイエス様が喜ばれています。賛美と祈りは、敵に対して打ち勝つ力があります。賛美と祈りこそ、サタンに対して大きな力があることを覚えていきましょう。
 困ったことがあって相談すると、「○○さん、祈っていますよ…」と言われます。未信者から見ると、社交的なことで「祈っているよ」と言われたと思われるかも知れませんが、霊的な世界で見ると、イエス様の御名によって祈っていただくという、こんなすごいことはありません。

 「祈りによって世界が変えられ」ます。イエス様が目には見えない、すべてを支配する王の王・主の主である以上、その主に聞かれるイエス様の御名による祈りこそ、すべてを変える力があります。祈りを持って益々勝利がありますように。お祈りします。


[バックナンバー]