特権

2006.12.10(SUN)
新城教会牧師 滝元 明師

新約聖書 ヨハネの福音書 1章12節〜13節
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

 ハレルヤ!おはようございます。今日はロン・ブラウンさん、アルフィさんご夫妻の素晴らしい賛美と演奏を聴くことができ、感謝します。
 また久しぶりにここで話す機会が与えられて、感謝です。クリスチャンになることは素晴らしいです。私は素晴らしい演奏を聴くと、生まれ故郷のことを思い出します。私が生まれたのは、北設楽郡津具村のたった四軒しかない村の光景が思い出されます。あんな田舎から東京へ勉強に行き、イエス様を知ることができたことを感謝しています。
 私はクリスチャンになって、今年で五十七、八年になりますが、イエス様を信じたことを一度も後悔していません。昨日は豊橋で行われた、ロンさんたちのコンサートに行きました。その中で、クリスチャンになることは素晴らしいと考えていました。既にクリスチャン生活をされている方々は、そのように考えていると思います。
 聖書の中に『あなたがたを悪から立ち返らせて祝福に預からせるため』とあります。イエス様を信じることは、闇の力・サタンの力から解放され、光の道に歩むことです。イエス様を信じたら、素晴らしい幸せを持つことができます。クリスチャンになると、楽しいことがたくさんあり、色々な夢が叶えられます。

 昔、東京、千駄ヶ谷にある体育館でボップ・ピアスという説教者がアメリカから来られ、三十日間の集会がありました。先生のメッセージも素晴らしかったですが、アメリカからミュージシャンがたくさん来て、素晴らしい賛美をしました。それを聴いて感動しました。
 また、一九七六年には、「日本武道館」でビリー・グラハム先生が集会を行いました。二階席から下を見て、人々が流れるように会場に入っているのを見て感動して泣きました。こんなに多くの人が来て御言葉を聞くことができる、と感動しました。
 そこで私も、「日本武道館」を借りて集会をするという夢を持ちました。そして一九九八年にその夢が実現し、武道館で十日間の集会を行いました。その時に、ロン・ブラウンさんが初めて来てくださり、賛美をしてくださいました。千駄ヶ谷で見た夢が、今や叶っているのです。神様を信じることは素晴らしいと思います。信仰は続けることが大切であり、素晴らしい祝福を受けることができます。
 夕べ私は、演奏を聴きながら、バンドの中に、孫の堅志や頌もいるのを見て感動しました。今晩も、ぜひ、期待してお出かけ下さい。
 クリスチャンの生活は、そのまま行けば祝福されます。私は巡回伝道を開始して、五十年になります。日本中を廻りました。十九才の時にイエス様を信じて良かったと思います。

 時々私は、電車に乗り間違えることがあります。四国ミッション時に、メッセージをし、宿舎が岡山でしたので、そこに向かおうとしました。丸亀駅で三番線からの列車を待っていました。その時、家内に電話をしました。電話をしている中で、くるりと向きを変えて四番線方向を向いて話していました。すると列車が入ってきました。それで、その列車に飛び乗りました。乗ると、「次は終点高松です」と言われました。それは、岡山に行くのと反対の列車でした。間違えて乗ってしまったことを車掌さんに言い、事なきを得ましたが、一つ間違えると大変なことになります。
 以前、豊橋駅で列車の時間がギリギリでしたので、走ってホームに行きました。ホームに着いた途端、列車が出てしまいました。「しまった!列車が行ってしまった…」と思いました。しかし、ふと見ると、そこには「大阪方面」と書かれていました。「あっ、私は東京に行くのだった」と思い、よかったと思いました。

 人生も同じことで、どちらを選択するか、どちらに乗るかです。イエス様は光、サタンは闇です。イエス様を信じたら、幸せに生きることができますが、イエス様の道か、サタンの道か、どちらに乗るかを選択することが大切です。
 私は十九才の時にイエス様の道に乗ったために、ずっと乗り続けたので、幸せの道に乗り続けることができました。ですから、今日はぜひ、イエス様を信じて最後まで素晴らしい道に進んでいただきたいと願います。今日は「特権」というテーマで話します。特権とは、「特別な権利」です。

『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』

と記されています。イエス様を信じるなら、心が淋しくなくなったとか、病が癒された、夫婦喧嘩をしないで仲良くなった、経済的に恵まれて素晴らしい生活ができるなど、すべて素晴らしいです。
 しかし、私が教会に行って、一番素晴らしいと思ったことは、「どんな罪も赦される」と聞いたことです。
 それで、「私のような罪人を救ってください。」と泣きながら、イエス様を信じました。罪が赦された時は大きな喜びがありました。そして、バプテスマを受けた時に、病が癒されたり、恵みがたくさんありました。今、イエス様を信じて伝道しています。ヨハネの福音書三章十六節に、

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

とあります。この御言葉を読んだときに、「やったー!すごい!!」と思いました。それまではいくら勉強しても、いつか死んだら終わり、有名になっても死んだら終わり、儲けても死んだら全部置いていかないといけない、・・・人生は虚しいと思いました。しかし、永遠のいのちが与えられるというのは、すごいことです。千年、一億年、一兆年ではなく、クリスチャンになると、この地上でいのちを終えても、天で永遠に生かされます。そしてイエス様が来られた時には、復活して永遠に生きることができるとあります。

 一九四九年二月二十日を私は忘れられません。ミセス穐近先生が私を導いてくださいました。ヨハネの福音書のはじめから、『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』
 言葉はイエス・キリストであり、イエス・キリストが初めにおられ、イエス・キリストがすべてのものを造られ、イエス・キリストは神です。イエス・キリストはこの地上に来られ、十字架にかかられて死なれ、死人の中から三日目によみがえってくださった。この方を救い主として受け入れた人は、神の子となる特権をお与えになったとあります。イエス様を受け入れるだけで、「神の子となる特権が与えられます」と話されました。
 「どうですか。信じてみませんか。」と言われ、「はい」とイエス様を受け入れました。聖書に『彼を受け入れた人々は、神の子となる特権をお与えになった』と書かれています。唯一の真の神を信じるだけでもいけません。神が送ってくださったひとり子である「イエス・キリスト」が救い主であり、罪のために十字架にかけられ、三日目によみがえってくださったと信じ、受け入れた人には、神の子となる特権が与えられるのです。

 先ほどアルフィさんの賛美の詩の中に、「最も低い身分でお生まれになった」とありました。イエス様は、ベツレヘムに最も低い身分、しかも、馬小屋にお生まれになって下さいました。王の王なる神様が、人類を救うためにこの地上に来られ、ベツレヘムの馬小屋に、最も低い身分でお生まれになられたのです。その方が十字架の救いを完成して、よみがえって下さり、信じる者には「神の子となる特権」が与えられるとあります。
 今日イエス様を信じている方には、神の子となる特権が与えられています。聖書には、最初の人・アダムとエバが罪を犯したことが書かれています。神の形に似せて造られたとあります。しかしイエス様について、マルコの一章一節には次のように書かれています。

『神の子イエス・キリストの福音のはじめ。』

とあります。イエス様は神の子と書かれています。同じようにイエス様を信じただけで、神の子となる特権を与えて下さるのです。
 特権とは、身分です。ロンさんもアルフィさんもアメリカ人です。アメリカの市民権を持っています。日本人がアメリカに行って、市民権を取得するのは難しいです。しかし私たちは生まれながら、日本人という市民権を持っています。市民権は素晴らしいですが、イエス様を信じて受け入れるだけで、神の子となる特権がある、市民権が与えられます。今日イエス様を信じている方には、特権が与えられていることを信じますか?「アーメン!」
 私も神の子、皆さんも神の子です。私たちは神の家族です。ガラテヤ三章二十六節から二十九節に、

『あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。』
 
とあります。イエス様を信じた人は、みな神の子であると記されています。バプテスマを受けることは、教会の会員になるというだけのことではありません。バプテスマについてコロサイ人への手紙二章十二節からに書かれています。

『あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』

と書かれています。バプテスマを受けることは、神の子となるしるしです。ガラテヤ書三章二十八節に、

『ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。』

とあります。神の子になることは、ユダヤ人、ギリシャ人、アメリカ人、中国人、日本人…という人種は関係がありません。また、奴隷、自由人という身分も関係ありません。男女も関係ありません。ただイエス様を信じるだけで、神の子どもとなる身分が与えられると教えています。イエス様を信じて、神の子どもになる身分を受けていると考えると、素晴らしいです。神の子となる身分とは、王様の子どものようです。外側ではわかりませんが、神の子であるという特権があります。ですから、少しの悩みや苦しみはたいしたことはありません。もっと素晴らしい永遠のいのち、神の子となる身分が与えられています。三章二十九節に、

『もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。』

 昔の日本は長男に、特別な権利がありました。お父さんが亡くなった時に、家を相続する権利がありました。相続権です。今は公平に分配しなければなりません。親の財産を受け継ぐ権威を受け取ることができます。私は亡くなっても、財産がないので息子たちに上げるものがありません。上げるのは信仰という財産があります。しかし、お父さんが財産家であったら、その財産を全部相続することができます。それまでは貧乏でしたが、親の財産が入ったと言われる人もいると思います。
 しかし私たちは、この地上のものではなく、神の相続人であり、私たちはやがて天国に行き、そこで天国の資産を相続することができると教えています。
 ペテロ第一の手紙一章三節から四節に、

『私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。』

とあります。クリスチャンになると、神の相続人だとあります。イエス様が死人の中から三日目によみがえってくださいました。初穂としてよみがえられたとあり、やがて、信じた人たちは復活するとあります。イエス様と同じ資産、天国を受け継ぐ相続人であると教えています。
 相続人になることは、すごいことです。今日、信仰を持ったら神の子です。私は相続人、私のお父さんは素晴らしい神様であり、「救い主はイエス様です」と信じるならば、人生に希望があります。ローマ八章十四節から十五節に、

『神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。』

とあります。「アバ父」とはお父さんと言うことです。
 今日私は、「お父さん、私はあなたの子どもですよ。今度、ハワイ・ミッションがあって、たくさんお金がいるけど、頼むよ。」とお祈りました。奴隷の霊ではないとあります。クリスチャンでも、いつも恐れてばかりいる人がいます。
 「罰が当たるかも知れない」、「こんな悪いことをしているから、さばきが来るかも知れない…」と言っています。しかし、そうではありません。神様の子であったら、「アバ父。お父さん!」とお祈りすることです。
 お祈りするときに、権利を主張して下さい。「私はイエス様を信じて、神の子となる特権をもらいました。相続人です。お父さん、あなたの子どもですよ。祈りに答えて下さい」と祈るならば、聞いて下さいます。信じることです。「アバ父」です。子どもが「お父さん!」と呼ぶ言葉です。十六節から十八節に、

『私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。』

とあります。今、苦しいことがある方がおられます。生まれた時から、身体的障害があったり、生まれたときから苦しみの中にあるという、悪い家庭や貧乏な家庭に生まれた人もいます。しかしそのようなことがあったとしても、後に現される栄光と比べたら、とるに足りないものと教えています。どんな苦しみにあっても、「私のお父さんは天地を造られた方。アバ父。私はその子どもです。必ず素晴らしいことが、私の生涯に起こる」と信仰を持つことが大切です。神の子ども、王の息子です。私の身分である、神の子である特権です。信仰を持ったら、素晴らしい生涯を持つことができます。
 ローマ人への手紙八章十五節に、

『あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。』

とあります。今は奴隷制度はありませんが、昔はありました。奴隷は束縛です。買い取られた主人から、辛い仕打ちを受けることも多かったのかも知れません。しかし未だに、奴隷のように生きている人もいます。ヘブル二章十五節に、

『一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

とあります。一生涯、死の恐怖の奴隷になっているというのです。いつも、死んだらどうなるか、死んだらどこに行くか。死んだら地獄か、と死の奴隷として縛られています。
 私はイエス様を信じる前、一生懸命勉強しても「いつかは死ぬ」という虚しさがありました。ある中学生が作文に書いていました。「一生懸命勉強しても、いつかは死ぬ。考えると恐怖でたまらない。死よ、去っていけ!」
 死から解放される道は、十字架にかかられて死に、死の力を打ち破られて、よみがえって下さったイエス様を信じることによって、死の恐怖から解放されて神の子となることです。ヨハネの八章三十四節に、

『イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。』

 亡くなられた田中政男先生が、説教の中で夏目漱石の話をよくしていました。漱石は、「我は自由を欲して自由を得たり。その自由は我を束縛した」と書きました。
 中学生くらいになると、一人前になりたいと思います。たばこを吸い出して大人になったと思っています。また「一杯やるか」と言って飲みます。また、万引きしたり、色々な悪いことをしている内に縛られます。
 二日ほど前にテレビを見ていました。佐賀の女子刑務所の特集でした。一人の人にインタビューをしていました。「なぜ、あなたは人を殺したのですか」と聞きました。その人は会社に行って、毎日上司からいじめを受け、六年間毎日のようにいじめられ、限界で自殺をしようと思ったそうです。それで、自殺するならば上司を道連れにしようと、包丁で殺したと言うのです。束縛されています。「憎らしい」という束縛です。奴隷になっています。殺して解決がついたかというと、今度は、刑務所で苦しんでいます。
 今週、滝元開先生夫妻が刑務所で賛美します。聖書には、あなたを自由にするために、イエス様が来られたとあります。人間を束縛する悪魔の力、罪の力をイエス様が十字架において打ち破り、死からよみがえってくださった、このイエス・キリストを信じるだけで自由にされ、罪から解放されます。

 私は今年で七十七歳になりました。十九歳の時にたばこを練習しましたが、教会に行ってイエス様を信じてからは、たばこも止め、酒を飲まなくても良くなりました。ある人に言わせると、「酒もたばこも飲めないのか」と言われますが、酒を飲まなくても良い自由、たばこを飲まなくて良い自由があります。罪に打ち勝つことができることは、何と素晴らしいことでしょうか。
 ガラテヤ書四章八節に、

『しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。』

とあります。「神々の奴隷」とあります。「神の子となる特権が与えられる」と語っていますが、日本の多くの人がなかなか受け取れません。「教会の話か、そんな神の子となったら素晴らしい、相続人になったら素晴らしい。だけど、家の宗教が…」と、案外、神々の奴隷になっています。
 イエス様を信じて目が開かれないと、偶像がわかりません。私は小さいときから、偶像礼拝をしました。一度として神社を拝んでも、罪だと考えたことはありませんでした。石の像を拝んだり、馬頭観音を拝んでいました。
 しかし戦争に負けたときに、目が開かれました。日本は神国で勝つと言っていたけど、「嘘だ…騙された」と思いました。そして、イエス様を信じたときに、神は唯一、イエス様以外に神はいないと信じました。解放されました。多くの方は色々な神々の奴隷になっています。その行き先は地獄です。地獄に行ってはいけません。
 「でも、仏壇は偶像ではないですよ」と言われる人がいますが、仏壇は、先祖とは関係ありません。仏壇が関係しているのは、仏壇屋だけです。いかにそれらを高く売るかということです。日本人が偶像である神々から解放されて自由になり、天国に連れて行ってくださる神様を信じることは、素晴らしいことです。ピリピ三章二十節から二十一節に、

『けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。』

とあります。
 神の言葉、聖書は絶対に間違いがありません。私たちの国籍は天にあるというのは素晴らしいです。日本人であっても、国籍は天にあります。やがてイエス様が来られる時のことが書かれています。二十一節に、

『キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。』

とあります。やがてイエス様が来られるときに、卑しい体が素晴らしい栄光の姿に変えられると教えています。今日、救い主イエス様を信じましょう。クリスマス、イエス様は、あなたを自由にするために来てくださいました。あなたに素晴らしい天国の市民権を与えるために来て下さいました。
 イエス様に、「私を救って下さい。私を神の子にしてください。自由にして下さい。」とお祈りして、心にお迎えしましょう。お祈りします。


[バックナンバー]