いのちをかける者はだれか

2007.2.4(SUN)
新城教会牧師 滝元 明師

旧約聖書 エレミヤ書 30章18節〜22節
主はこう仰せられる。「見よ。わたしはヤコブの天幕の捕われ人を帰らせ、その住まいをあわれもう。町はその廃墟の上に建て直され、宮殿は、その定められている所に建つ。彼らの中から、感謝と、喜び笑う声がわき出る。わたしは人をふやして減らさず、彼らを尊くして、軽んじられないようにする。その子たちは昔のようになり、その会衆はわたしの前で堅く立てられる。わたしはこれを圧迫する者をみな罰する。その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。――主の御告げ。――あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」

 ハレルヤ!皆さんおはようございます。いつもお祈りいただいていますが、久しぶりに新城教会で礼拝を守ることができ、感謝します。今年は「ハワイ・リバイバルミッション」があり、ハワイのためにいよいよ第一歩を踏み出しました。一月十七日から二十八日まで、大阪地区でその為の決起大会を持ちました。皆さんの祈りに支えられて、今日も健康で立つことができて感謝です。
 来週は愛知県民の森において、「リバイバル拡大聖会」が行われます。二月十一日から十三日まで行われ、特に、十三日は一九九二年の二月十三日に県民の森で聖霊が注がれた記念日ですので、期待しましょう。そしてぜひ、拡大聖会にお越しください。

 今日は「いのちをかける者はだれか」というタイトルで、み言葉を学びます。今年はハワイ・リバイバルミッションがあるので、ミッションのために、ある意味でいのちをかけて働く決心をしています。
 一九九三年に甲子園で集会をしたときにも、いのちがけで働きました。正直言って、甲子園ミッションでリバイバルが起こったら、死んでも構わないという思いにもなっていました。こう語っていると平岡先生が、「先生。リバイバル起こって死んだらもったいないじゃないですか。」と言われました。今日まで、恵みによって生きながらわせてもらっています。エレミヤ書三十章二十一節に、

『その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。――主の御告げ。――』

とあります。私たちの人生は、色々なことにいのちをかけています。
 決起集会で大阪方面を廻っていて、あまりテレビや新聞を見るときがありませんでしたが、ある時に新聞を見ていました。大きな字で書かれているタイトルが目に入りました。それは中日の星野監督が、北京オリンピックのリーダーになったニュースでした。「星野、金(かね)しか欲しくない」と書いてありました。私はそれを見て、星野監督に失望しました。「金(かね)しか欲しくない」と書かれているのです。
 しかし、よく考えてみると、金(かね)ではなく、「金(きん)メダルしか欲しくない」という意味でした。オリンピックで「金」をとりたいということでした。
 私たちも人生の色々なことにいのちをかけます。イエスさまご自身が、「わたしに近づく者はだれなのか」と問いかけています。私たちは、色々なことのためにいのちをかけますが、まず、イエスさまを第一として、イエスさまにいのちをかけて生きなさいということです。「いのちをかける」ということについて考えます。

 一九七〇年から、田中政男先生とともに「日本リバイバルクルセード」を始めました。そこで約十年間ほど、避暑地伝道を行いました。毎年、八月に軽井沢で、「何とかして有名人たちに福音を伝えよう」という気持ちで集会を持ちました。
 一九七一年八月六日に田中先生が、非常に興奮して宿舎に来ました。「先生。見たよ!」と言うのです。「何を見たの?どうしたの。」と聞くと、「黒光りのすごい自動車を見たよ。その車の中に、佐藤栄作総理が乗っていた。目の前で見たよ…」と言うのです。そこで私は、「田中先生。すぐに電話しなさい。」と言いました。
 「どこへ?」と言うのです。「そりゃぁ、佐藤総理に電話するのだ」「なんで?」「会いたいから。会わせてくれと電話したらいい」と言いました。田中先生は従順なので、電話をしました。「日本リバイバルクルセードのこういう者です。ぜひ私たちは総理にお会いしたいと思いますので、会わせてください。」と言いました。すると秘書官が、「お断りします。総理は広島から帰ったばかりで、誰にも会わないことにしています。」と言いました。
 しかし田中先生は、「今、私たちはこういう働きをしていて、どこの県に行っても、県知事にお会いしたり、市長にお会いして表敬訪問していますから、総理にもお会いして本を差し上げたいと思います」と話しました。
 すると秘書官は良い方で、「そういうことでしたら、本だけでも持ってきてください。その時に手紙でも書いてくだされば良いです」と言われましたので、私はその時、初めて総理大臣に手紙を書きました。最初に箴言二十八章二節の言葉を書きました。

(佐藤総理への手紙)

『国にそむきがあるときは、多くの首長たちがいる。しかし、分別と知識のあるひとりの人によって、それは長く安定する。』

 親愛なる佐藤首相。はじめてお手紙を出せることを非常に嬉しく思います。私の新城教会では、毎朝五時半からの早天祈祷会で、あなたのために祈っています。今まであなたが良い政治をして、長く働いてくださっていることを感謝します。益々、健康で神様に用いられますように。

と書きました。そして、門衛まで行って渡しました。本と手紙だけでも総理の手に渡ったことは素晴らしいと感謝し、田中先生と話していました。そして、次期総裁になる人にでも電話して本を渡そうと考えて、電話番号を探していました。すると宿舎に誰かから、電話がかかってきました。「滝元先生。電話です」と言うので、電話に出ると、「今朝、手紙と本を差し上げましたら、総理がそれを読んで感動して、ぜひあなたにお会いしたいと言っていますが、会っていただくことができますか」と、言われました。
 私はとても驚きました。「良いですよ。会いますよ」と言いました。一人では恥ずかしいので、田中先生とともに総理の別荘に行きました。別荘に入るとき、「祈りが聞かれた」と感謝しました。
 中に入ると秘書官が、「二十分くらい話しても良いですよ。」と言われました。総理が自分で戸を開けて、「どうぞ」と言われました。私は「総理。初めてお会いして光栄に思います。しかし今日私は、初めてとは思いません。毎日のように、あなたのためにお祈りしていますから、今日は友だちに出会ったような感じがしています。」と言うと、ニコリとされ、「おーっ、それでなきゃ駄目だ…」と言われました。そして色々な話をしました。中国代表権問題、沖縄返還問題、信仰の話など話しました。一時間二十分話しました。そして昼になったので帰ろうとしました。記念撮影をしました。私たちが歩いて帰ると言うと、車が用意されていました。佐藤総理に福音が伝えられました。
 そして次の年の一九七二年にも別荘へ招かれました。その年には、私と家内と田中先生と一時間ほど話したときに帰ろうとすると、「まだ時間があるからゆっくりしていくように」と言われ、一時間四十分程話しました。その時はすでに、総理大臣を辞めていました。しかし、彼がムッとした顔で言いました。
 「君たち。クリスチャンはどうして靖国神社法案に反対するのか?」と聞かれました。その言葉に続いて、「国家のために死んだ人たちを、国家が祀って何が悪いのかね。」と言われました。
 そこで私は答えました。「私たちクリスチャンは国家に敬意を払っていますので、死んだ方々の遺族に対して、経済的に保証することは大賛成です。しかし、靖国神社は宗教法人の神社です。憲法第二十条は信教の自由が保障されています。日本人には信じない自由、信じる自由があります。また儀式を行う自由と、行わない自由もあります。国家は一つの宗教団体に特権保護を加えてはならないという憲法です。また、国のために死んだ人は偉いですが、死んで神になることはありません。聖書を見ると、礼拝する対象は、天地を造られた唯一の真の神です。人間は尊敬したり、仕え合う対象ではありますが、拝む対象ではないのです。聖書を見ると、死者を礼拝することは、偶像礼拝の罪になるので反対します」と言いました。

 すると佐藤さんは、私の生涯で忘れられないことを言われました。「いいじゃないか。私はどこの神社に行っても、何が祀られているかと考えたことはない。神社の前ではただ手を合わせて、礼をするだけだ。だから君たちも靖国神社に行って、十字を切って帰ってくれば良いじゃないか」と言われました。
 私はそれを聞いて、「この人が総理大臣をした人か・・・」と思いました。それで、私は話しました。
 「信仰は、そんなものではないです。もっと奥深いものですよ。」と言いました。すると佐藤さんは、とても良い質問をされました。「じゃぁ、君、信仰とは何かね?」
 私は、「わかりやすく言うと、信仰とは、結婚生活と同じです」と言いました。エペソ書五章三十一節から三十三節に、

『「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。』

とあります。私は家内と結婚するのに、選択しました。結婚するときに、「女なら良い」というものではありません。愛し合うことができるか、信用できるか。知識はどうか、真実な人か、生活のことなど色々考えます。そして、「この人こそ私の妻にふさわしい」と申し込みます。そして二人は結婚します。『ふたりは一心同体となる』とあります。
 だから私は言いました。「これは私の妻」です。そして私の家内は、「これが私の夫です」と紹介します。「私の妻」「私の夫」と呼べるのは、世界中に何億という女性がいても、一人しかいません。私の妻、私の夫です。結婚したらいのちをかけ合うものです。

 今月は四国で決起集会をし、三月は沖縄に行き、四月は九州に行く予定です。九州の天草に行きます。天草はクリスチャンが大勢殉教した場所です。キリスト教の歴史は、殉教の歴史です。昔の話ですが、一月一日になると奉行は村人を集め、踏み絵を出してきました。それはイエスさまをマリヤが抱いている銅板です。そして「これを踏め」と言われます。木や銅板です。皆さんならばどうしますか。「踏めない」と言うと、「お前はクリスチャンだ」と言われ、殺されてしまいます。天草に行くと、千人塚があります。恐らく世界で一番多く殉教者を出しのは、日本だと言われます。なぜ殉教したかと言うと、「イエスさまが、私の神様です。だから私はイエスさま以外に礼拝しません。」と言うのです。
 私は家内と二人で住んでいます。時々夜、鍵をかけるのを忘れることがあります。私たちは夫婦なので一緒に寝ています。もし仮に悪い奴が入って来たらどうでしょうか。家内が寝ているところに、男が抱きついたとしたらどうでしょうか。私の家内が「キャー」と叫びます。その声を聞いて私が起きます。見ると、私の家内の上に誰かがいます。そうしたらどうしますか。私は牧師なので、すぐに考えることは、聖書が何んと教えているかを考えます。
 「あなたの敵を愛しなさい。」「あなたの敵のために祈りなさい。迫害する者のために祈りなさい。」「右の頬を打ったら左の頬を出しなさい。」
 そこで私が、「祝福しますよ。やるなら、やってちょうだい。」と言うでしょうか?私は、私の家内に対しては絶対にそんなことはさせません。私は自分の家内がそのような目にあったら、殺されても良いから妻を守ります。これが夫婦です。命をかけるのです。
 私は佐藤さんに話しました。「クリスチャンたちはイエスさまが自分の神なので、どんなに偶像を拝めと言われても、絶対に拝まないで貞操を守ったのです。だから殉教しました」と言うと、「わかった。それでわかった。」と言いました。そして最後に共に祈りました。私たちは椅子に座って祈っていましたが、祈り終わると、佐藤総理だけ直、立不動で立って祈っていました。
 彼がクリスチャンになったかはわかりませんが、彼は亡くなる前にある高官に、「私が死んだら、キリスト教式で葬儀をして欲しい」と言ったそうです。

 彼は、「わかった。だから昔クリスチャンたちは殺されても、信仰を保ったんだね」と言いました。命をかけること、夫婦生活はいのちがけです。私はこの人だけ。この人のものということは、命をかけるということです。
 私の人生を振り返ってみても、いのちをかける時がありました。私は十九歳の時に東京でイエスさまを信じました。あまりに素晴らしく、イエスさまを信じたら天国に行ける、永遠のいのちを受けることができると確信しました。しかし、私の両親はクリスチャンではないし、郷里には教会がない。そこで帰って伝道する決心をしました。私の家は農家で、私は田口農林学校を出て、日本農業研究所に行きました。一年の研究生で終わる時、私は成績が良かったので、見込まれて職員になりました。それからは実験農場で働いていました。当時私は将来研究室に入り、学者になりたい、農業経営経済学を勉強したいという夢がありました。先生も私に目を留めてくださり、私が書いた論文も高く評価されました。
 しかし私が伝道者になって家に帰ろうと思っていると、西村先生という大学教授が来てこう言いました。「滝元君。君の勉強振りを今まで見てきたけど、君には素晴らしい才能があると思う。だから今年は実験農場で働いて、来年は僕の研究室に入ってくれ。必ず僕が責任を持つ。」と言われました。今までならば、将来学者になるという夢がありましたが、その時は既に、郷里の下津具に帰って伝道しようと考えているときに、どっちにしようかと揺れ動きました。
 学者になることや、研究者になることは悪いことではありません。しかし、私にとっての選択は、イエスさまのために伝道に出るか、東京に残るかという選択でした。私は先生に、「先生。声をかけていただいて嬉しいです。でも私はクリスチャンになりました。そしてこの素晴らしいイエスさまの福音を、自分の郷里に帰って伝道することにしましたので、せっかくのお言葉ですがお断りします。」と断りました。
 すると先生は「そうですか。残念です。しかし中国に私が行っていたときに、宣教師たちは農業を教えながら伝道していたので、滝元君も農業を教えながら伝道したら良いでしょう。」と言ってくださいました。
 これはある意味で選択です。先週、ここで順牧師がロケットを例えに、クリスチャンの土台がしっかりしていることが大切だと話しましたが、ある意味で、現在この教会でクリスチャンになっておられる方々は、昔、クリスチャンになった方々がいのちをかけたゆえにあります。昔は、クリスチャンになると、村八分にされました。いのちがけでした。この世をとるのか・・・。イエスさまにつくか、サタンの支配下につくかは、いのちをかけるのです。いのちをかけるとは、たとえ迫害があろうとも、どんなことがあっても、「イエスさまは私の神様」として仕えていくというのが、いのちをかけることです。

 私にとっていのちをかけたことは、もう一つあります。私がこちらに伝道に入るときに、私を導いてくださったミセス穐近が、「皆さんの郷里には教会がありますか。」と聞かれたことがあります。私は、「いいえ、ありません」と答えました。するとミセス穐近が、「じゃあ、郷里に帰って伝道すると良いですわね!」と言われました。その時私は、泣けて仕方がありませんでした。それで帰ろうと決めました。私は父親に、「私は伝道に帰ります」と言うと、父は「帰ったら勘当する!」と怒りました。しかし、「イエスさまが帰るように示してくれたので行きます」と言いました。
 下津具に帰ると、迫害が大きいと思って、下津具より手前の海老付近で伝道しようと考えていました。それでミセス穐近に相談しました。
 「先生。海老というところに行って仕事を探し、家を探して、あったら伝道に行きたいと思いますが・・・」と言いました。すると、ミセス穐近は勘違いして喜んでくれました。「良かったですね。行きなさい」と言われました。ミセス穐近は「家もあって、仕事もあったから、行く」と勘違いしていたのです。家があり、仕事があるのは、クリスチャンでなくてもできることです。しかし「よかったですね。」と言われたときに、創世記十二章一節から二節のみ言葉を思い出しました。

『その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。』

 ヘブル人への手紙十一章八節には、「どこへいくのか知らないで出て行った」と記されています。アブラハムは、偶像に仕える父の家から離れて、わたしの示す地に行きなさいと語られました。
 アブラハムは行くところを知らずに出て行ったとありますが、私が信じている神様はアブラハムが信じた神と同じです。だからアブラハムにできることは、私もできると考えます。私はよくこう祈ります。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、明の神様」と祈ります。そしてアブラハムにできたことは、私にもできると信仰を持って出ていきました。トランク一つ持って、一九五〇年三月十五日に伝道に出ました。仕送りの保証もありませんでしたが、イエスさまを信頼してアブラハムと同じように出て行ったことにより祝福してくださいました。

 先週、私は西宮一麦教会で説教しました。現在、教会はたいへん恵まれています。今度は五百人はいる会堂を建てたいと言われていました。
 下條末紀子先生は名古屋一麦教会から送り出されました。松原先生が、「末紀子さん。来年は西宮に行ってもらうよ」と言われました。「はい。」と答えました。そして次の年に彼女は開拓に出かけました。私は仕事をしながらでしたが、一麦教会では仕事をしてはいけないのです。先生は六畳の部屋を借り、毎日キャベツばかりを食べていました。いのちがけでした。イエスさまだけに頼っていました。しかし今、あの教会はたいへん祝福されています。先生の話を聞いて感謝しました。
 先生が甲子園ミッションの幻を持ちました。甲子園ミッションをする前に、「私の教会から一千万円献金します。」と言われました。ある時になって、「先生。一千万円貯まりましたから、もっとたくさんささげます。」と言ってささげてくださいました。
 甲子園ミッションの後で、リバイバルミッションが赤字になりました。その時に先生は役員たちにこう言ったそうです。「甲子園ミッションで少し赤字が出たので、献金しましょう。」
 その時に教会で貯めていたお金が一千万円ありました。「それを全部ささげましょう。」と言ったそうです。
 その時私が嬉しかったことは、下條先生が「役員たちは誰一人として反対しないで、その全部をささげました」と言われました。
 あれから十四年が経ちましたが、教会があり、スタッフたちがおり、必要は備えられ、今教会は潤っていると言われました。神様には不真実はありません。いのちをかけて出て行ったら、祝福されます。神様が喜ばれていると思います。私は五百名入る素晴らしい会堂が、必ず与えられると信じています。「いのちをかけて従う者はいったいだれか」です。

 もう一つ、私の人生でいのちをかけたことがあります。私は津具鉱山で働き、八つ橋マンガンで働きました。八つ橋で伝道していたとき、分校があって毎週日曜日に、生徒百人近くのほとんどが集会に来ました。賛美をしたり、聖書の話をしました。それを見て村の人が誉めてくれました。村人から私の通称は、「イエスさま」でした。「イエスさま、素晴らしいねぇ」と言われました。村の人たちは八つ橋の子どもたち全員が日曜学校に行っているのを見ていました。
 しかし秋になるに連れて、心配がありました。私が住んでいる山の上に八幡神社があり、祭りがあるのです。「どうしようか・・・」と思いました。妥協するわけにもいけないので、逃れる道が与えられるようにと真剣に祈りました。私は色々なことを考えました。「イエスさま。祭りの日は大きな台風が来て、神社がつぶれますように」と祈りました。しかし考えてみると、神社がつぶれたら、私の家もつぶれてしまいます。そして祈りながら私は鉱山に行きました。クリスチャンになった人も何人かいました。私は、「逃れる道を与えてください」と祈っていました。
 その時、テモテ第二の手紙三章十二節のみ言葉が与えられました。

『おおよそキリストイエスにありて 敬虔をもて一生を過ごさんと欲する者は、迫害を受くべし』(文語体)

とあります。新改訳聖書には、『確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。』とあります。文語体では、「迫害を受けよ」という言葉になりますので、文語体の方が強いです。のがれるべき道は、「迫害を受けることだ」と教えられました。
 それで私は心に決めました。どんなに迫害されても、イエスさまに従っていこうと思いました。
 その夜、町会議員の人と町の人が家に来ました。「滝元さん。祭りが近づいて寄付金を集めています。ちょっと見てください。お隣の方はいくら。この家はいくら寄付してくれたのです。滝元さんは神社の下にいるから、もっとたくさん出してくれると思いますが、いくら出してくれますか。」と言われました。
 その時、私は、「お断りします。出せません。」と言いました。「えっ。なぜですか。」と聞かれました。「私は天と地を創られた、活ける真の神を伝えるためにここに来ています。この神社は戦争中に神風が吹くと言っていたけれど、何も起こせなかった偽りの神々であり、本当の神ではない。だから私はこういう偽りの神々に対して、寄付金を出すのはお断りします!」と言いました。
 「出せないのですか」「出せません」と言いました。すると、彼らは扉を強く閉めて出て行きました。村で会議をして、「滝元に寄付金を出させよ」と相談したそうでしたが、出せとは言いませんでした。

 しかし、その次の日から子どもたちが来なくなりました。親たちに先導されて、「アーメン、ソーメン、冷やソーメン」と言って、トイレに石を投げ込んだり、挨拶をしても挨拶をしてくれなくなりました。色々な悪口を言われました。しかし、私の心には喜びがありました。私はなぜ妥協しないか。真実に、この人たちを愛しているので、活ける真の神を伝えたいので妥協しないのです。
 新城教会がここまで来れたのは、妥協しなかったからだと思います。霊的戦いを頑張っている長男をはじめ、クリスチャンホームの子どもたちは、偶像を拝んだことはなく、酒も飲んだことがなく、たばこも飲んだこともありません。彼らは真実に仕えているので、聖霊の注ぎがありました。偶像に妥協していたら、恐らく祝福されませんでした。ある意味で、この教会はいのちをかけてイエスさまだけに仕え、この田舎に教会があることは、神の祝福です。

 下條先生が「甲子園でいつか集会をしたい。日本人の手によって日本人によってやりたい」と言われたことを受け止めて、私は一歩を踏み出しました。神様が言われることを信じて従うことは、神様を信頼することです。
 一九九六年に聖書を読んでいたときに、イエスさまが私に語りかけてくださいました。使徒の働き二十三章十一節に、

『その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。』

 特別イエスさまが私の目の前に立たれて語られたように感じました。エルサレムは私にとって甲子園、ローマは東京だとわかりました。そして、ミッションの実行委員会で話しました。私の仕事は夢を見ることです。「二年後には、東京でミッションをやりたい」と言いました。反対もされました。順牧師や田中先生も反対しました。十日間やりたいと言いました。「十日間。どこで?」「武道館でやりたいと思います。」と言いました。「貸してくれるわけがない」と言いました。信仰がある先生方も、このように言われました。「貸してくれるかどうかは、これから当たってみなくてはわからない」と言いました。「貸してくれるわけがないだろう」と皆は言いました。
 私は、実行委員会があるので今まで来れました。そして最後には、やってみることになりました。岡本先生が、武道館に行って交渉しました。今までに、武道館を十日間も貸したことがないと言われ、「とりあえず一週間なら大丈夫」と言われました。もしも一年前になって「三日間空いていたら貸す」と言われたそうです。
 私は祈りました。「三日間、天使を遣わして、他の人が入らないように守ってください。」と祈りました。一年前になって武道館に行きました。「どうですか。三日間空いていますか。」と聞くと、「お客さんは初めから十日間と申し込んだのではないですか」と言われました。
 武道館でやることは、なぜ心配でしょうか。武道館を一日借りるのに、三百三十万円かかります。十日間で三千三百万円。音響などを借りると一千万円。そしてゲストを招くと、もっとお金がかかります。しかし十日間借りることについて、信仰を持つかが問題でした。
 一九九八年に十日間、武道館でミッションができたことは、信仰をもってやろうとしたので、必要なものが全部満たされたのです。
 今度は、『あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。』と言われたように、日本でも証したようにハワイでも証しなければならないということで、ハワイで行うことになりました。

 今ハワイは一致しています。やることになりました。予算は七千万円くらいかかると予想しています。「銀も金もわたしのもの」と聖書に書かれていますので、皆さんの懐からではなく、イエスさまが懐から出してくださいます。武道館、そして今度はハワイです。信仰がいります。いのちをかけて行うのです。金が入らなくて赤字になったら、誰が責任を持つかということになります。しかし、主に信頼することです。ですから信仰を持っていのちをかけます。私もいのちをかけますが、皆さんにもお願いしたいです。日本の救い、リバイバルのためにいのちをかけてください。皆さんが伝道者になるようにとは言いません。皆さんは祈ってください。そして皆さんも支援してください。そしてぜひ、ハワイにも応援に来て下さい。

 色々な所に決起大会に行きました。一人の兄弟がこのように言われました。「私は結婚して三十年になりました。三月にその記念でハワイに行こうと計画していましたが、ミッションが十月にあるので三月を止めて、十月にハワイに行きます。」と言われました。また他の教会でも、「先生。ハワイに行きます」と言われました。また大勢の方が祈っていてくださいます。「いのちをかけて従う者はだれか」とあります。いのちをかけることは、悲愴なことではありません。

『「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。』

とありましたが、夫婦関係は辛くて辛くてではなく、愛によって楽しいものです。いのちをかけて愛し合うことは幸せです。イエスさまにいのちをかけたら、素晴らしい祝福があります。ですから、いのちをかけてイエスさまに従ってください。信仰を持って一歩踏み出し、祈りの勇士に加わってハワイのために祈り、この新城のためにも切に祈っていただきたいと心からお願いします。お祈りします。


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