みんなの願い「家族の幸せ」

2007.3.18(SUN)
新城教会牧師 滝元 順師

新約聖書 使徒の働き16章27節〜34節
目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

 ハレルヤ!今日は皆さんの前でメッセージを取り次ぐことができて、心から感謝します。昨日は上條麻輝兄と、愛美姉の結婚式が行われましたが、多くの方が来てくださり祝福されたことを感謝します。
 今週、私はロサンゼルスでの集会に行きます。「ミュージック・アーツ・リバイバル・ムーブメント」というセミナーがあります。この集りには、世界的に活躍されているクリスチャン・ミュージシャンが多く参加します。午前中は、有名なクリスチャン・ミュージシャンが音楽や賛美を教えてくださり、夜の集会では、私とジョー先生がメッセージを取り次ぎます。ぜひお祈りください。ロン・ブラウンさんやマキーダさん、カーク・ウェーラムさん、アルフィーさんなど、有名クリスチャンミュージシャンが集まる三日間のプログラムです。コンサートや聖会があります。私は霊的戦い分野でのメッセージを語ります。

 この度、『主が立ち上がられた日』の英語版が出版されました。アメリカでも、この本が用いられるように祈ってください。「ハワイ・リバイバル・ミッション」も順調に進んでいます。私の娘と岡本先生の娘が、朝から夜遅くまで、大変忙しく働いています。先週から、平岡先生がハワイに行って準備していますが、ぜひ続けてお祈りください。
 今週は、リバイバルムーブメントの後に、ハワイミッションの決起大会が、ロサンゼルス地区で行われます。日本のみならず、海外にまで導いてくださっています。
 しかし私は、世界のどこへ行ったとしても、霊的戦いの本拠地は、新城にあると思っています。本拠地で勝利できないのに、それを外に持ち出してもうまくいくはずがありません。ですから、この地が最前線だと信じて戦っています。

 リバイバルのための一つの条件は、「家族の幸せ」だと思います。「イエスさまを信じたて家族が幸せになった!」という体験がなければ、人々はイエスさまの所には来ません。イエスさまの所に来て幸せになったとわかれば、人々は教会に来ます。そのためには、教会が、神の国の現れを体験しなければなりません。特に今の時代、家庭が壊れていたり、問題が多い時代です。昨日も結婚式がありましたが、日本では結婚式が盛大に祝われます。特に中部地方の人たちが最も結婚式にお金を使うようです。
 しかし新城教会では、お金をあまり使わなくても結婚式ができます。葬式もそうです。結婚した二人が潤うようになっています。家族が祝福されるように設定されています。

 一般に結婚式は盛大に祝われますが、実際の結婚生活となると、うまくいきません。結婚とは、そもそも、それまで違う生活をしていた二人が、生活を共にするのですから大変です。そもそも、男性と女性が共に生活するのは大変なことです。女性は結婚したら、夫にぜひ変わって欲しいと願っているようですが、ほとんど夫は変わらないようです。もしも夫が変わったら、奥さんがよっぽど強いのかも知れません。
 男性は結婚すると、妻には絶対に変わって欲しくないと考えます。しかし妻はどんどん、秒単位で変わって行きます。外見も中身も変わります。女性が男性と幸せに暮らすためには、男性を理解しようと努力しなければなりません。けれども、男性が女性と幸せに暮らすためには、女性を理解してはいけないという言葉もあるようです。
 男性と女性では使っている言葉の意味が違うようです。統計によると、女性が一日に話す言葉の量は、男性の倍話すそうです。女性はよく話します。私の家内もよく話します。私が黙っていると、「どうして黙っているの?何か話してよ」と言います。
 ドイツの外国語辞書を出版している会社が、より円滑なコミュニケーションのために、男性の言葉の真意を訳す本を発売したそうです。それが売れているようです。お互いの理解向上のために出版したそうですが、買い物をしていて男性が、「それは似合わないよ…」と言ったら、「高すぎる」という意味だそうです。
 また、「それ、買いなよ…」と言ったら、「早く帰ろうよ」という意味だそうです。男性と女性は使う言葉の意味が違うので、なかなか難しい面があります。それでも、うまくやらなければなりません。
 男性は必要であれば、千円の物でも二千円払ってでも手に入れようとするのです。しかし女性は、二千円のものが千円になっていれば、いらなくても買ってしまうようです。
 しかし、そんなところにイエスさまが来てくださったら、うまくいきます。聖書は、「家族は幸せになります!」というメッセージを発信しています。

 今日お読みした聖書の箇所は、有名な一節です。このストーリーは、一つの家族が最悪の結果になる寸前に、何と、最も幸せな家族になったというストーリーです。
 使徒の働き十六章二十七節から、

『目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。』

 看守とは、囚人たちを見張るのが仕事です。看守にとって見張りは日常業務です。しかし目を覚ましたら、牢屋の扉が開いていたのです。これは一大事です。
 人生には、色々な事件が突然起こることがあります。先週テレビを見ていたら、演歌歌手の森進一が、「人生には色々な坂がございます。まずは上り坂、そしてもう一つは下り坂、もう一つの坂は、”まさか”でございます」と言っていました。
 人生、上り坂や下り坂があれば、「まさか」という坂もあります。看守が目にしたのは、まさしく「まさか」という事件でした。自分の責任として、囚人たちを牢屋に入れておかなければならないのに、寝ている間に扉が開いてしまったのです。彼は、囚人が全員逃げてしまったと思い込み、彼は責任感の強い男だったのでしょう、とっさに剣を抜いて自殺しようとしたとあります。
 これは今から二千年ほど前の出来事ですが、昔も今も、人間の心理や葛藤は変わりません。最近、学校でいじめや暴力があり、生徒の自殺があったりすると、校長先生が責任を取って自殺するという悲しい事件が時々あります。そこまで責任を取らなくても良いのに、と思いますが、この看守も剣を抜いて自殺しようとしました。
 日本では、自殺する人たちが多くなったので、昨年政府は、「自殺対策基本法」を成立させ、何とか自殺する人たちをくい止めようと、国家ぐるみでの対策が始まりました。

 自殺しようとした男に対して、パウロは何と叫んだのでしょうか。『そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。』とあります。

 これはパウロの叫び声と言うよりも、神様の叫び声です。もしも今、死にたいと考えている人がいたら、神様は「自害してはいけない!」と叫ばれるのです。牢の扉が開き、看守は囚人たちが逃げてしまったと思いました。しかし、皆、そこにいました。
 多くの人は、死んだら問題が解決すると思うのかも知れませんが、決して、それは解決になりません。神様は、精一杯この地上で生き抜くことを願われています。
 「私たちはみなここにいる」とありますが、これはある意味で、囚人が逃げなかったこと以上に、「周りに大勢、支えてくれる人たちがいる」という意味もあると思います。逃げなかった囚人たちは、看守の証人となったはずです。
 今日もしも、人生に行き詰まった人がおられたら、決して自害してはいけません。「私たちはみなここにいる」のです。神様もともにいてくださいますし、クリスチャンになると、素晴らしい友を得ることができます。今朝も、三百人以上がここに集まっていますが、クリスチャンになってからでも、上り坂や下り坂、まさかがあるかもしれませんが、皆、いっしょにいます。遠い親戚よりも、クリスチャンの仲間が祈ってくれ、心配してくれます。
 教会は毎日のように、良いことよりも悪い情報が入ります。誰かが病気になったとか、誰かが事故にあったなど、色々と悪い情報が入りますが、教会はそのことに対して、真剣に祈って戦います。ですから、一生を教会で過ごすことは素晴らしいです。イエスさまがとともにいてくださり、主を信じるすばらしい仲間がともにいるのです。

 看守は自害を取り止めましたが、その時、彼が語った言葉が記録されています。三十節から三十三節、

『そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』

 三十四節に、『全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』とありますが、『心から喜んだ』という言葉を他訳すると「狂喜した」、「大喜びした」という意味になります。自殺寸前の男が、イエスさまを信じたことにより、最後には大喜び、狂喜したというのです。これは大変化です。この短いストーリーから看守の家族に素晴らしいことが起こったのを読み取れます。それも、イエス・キリストを信じることから起こっています。
 日本は自殺大国で、多くの人が自ら命を絶っていきます。三万数千人という人々が一年間に自殺しているようです。しかし彼らがイエスさまを信じるならば、その人だけではなく、家族全員が「大喜び」するようになるのです。

 話は変わりますが、昨日インターネットでいろいろと調べていると、厚生労働省の研究で、「たばこと自殺について」という論文がありました。たばこをよく吸う人に、自殺が多いという論文でした。特に、一日四十本以上たばこを吸っている人は、吸わない人に比べて、自殺率が三十パーセントほど高いそうです。また、たばこがうつ病の原因ではないかとも言われています。ニコチンに依存することが、うつ病のリスクを高め、うつ病が自殺のリスクを高めるというのです。そして、たばこが大きな原因となっているだろうと推測されていました。
 日本でも、近頃では禁煙が叫ばれていますが、悪魔は人間にいらない、たばこや酒、麻薬などを与え、一時的にはよいかも知れませんが、結果として、暗やみの世界に引き込むのです。ですから、イエス様を信じて、たばこや酒、麻薬などから解放されることは大切です。もし今日、たばこから解放されていない人は、それが自殺やうつ病の原因になることも知り、主に解放を求めてください。

 看守が自殺を思いとどまったことにより、家族全員に祝福がもたらされました。もしも、この看守が自殺をしていたら、家族は悲しみと不幸のどん底を味わっていた事でしょう。
 看守は素晴らしい質問を、パウロとシラスに投げかけました。

 「先生方救われるためにはどうしたら良いですか」

 もしも今日、問題で苦しんでいる人がいたら、どんな問いを持つべきでしょうか。それは、「救われるためには、何をしたら良いですか?」という問いです。そして、その答えは、「主イエスを信じなさい!」です。「そうすれば、あなたもあなたの家族も幸せになる」のです。
 イエス・キリストを信じることは、個人だけに止まらず、「家族全体に祝福が来る」のです。

 先週、ある家で家庭集会をはじめて開催しました。ご家族全員が集まって、主を賛美し、祈りました。
 そのご家庭は、奥さんが一年半ほど前、涙を流しながら教会に来られましたが、何と、この一年間で、家族全員がイエスさまに出会うという事が起こりつつあるのです。家庭集会には、周りのクリスチャンたちも集まりました。私は「本当に良かった!」と思いました。もしもこの家庭がイエスさまに出会わなかったら、今頃、どんな状況になっていたのだろうかと思いました。

 しばらく前のことですが、この教会に、ある奥さんが泣きながら来られました。「我が家に、どうにも手に負えない息子がいます。この息子のために、力を貸していただけないでしょうか」と言われました。
 噂によると、その息子さんはこの近辺で一番危ないと言われる不良で、誰も近づくことができない恐いお兄ちゃんでした。眉毛を削り、すごい格好をして歩いている恐いお兄ちゃんでした。私はそれを教会のスタッフ会の中でスタッフたちに言いました。
 「あの家の奥さんが来て、息子のことで相談を受けたんだけど、誰かあの家を訪問しないか?」しかし普段は元気の良いスタッフたちが、一瞬シーンと静かになりました。
 そして皆の視線が、「お前は牧師だろう、まずは、お前が行けば良いではないか…」と訴えているような雰囲気でした。私としては、誰かが私の先に行き、私はその陰に隠れながら二番目が良い、と思っていました。誰が彼の首に鈴をつけるか、というような感じでした。
 私は常に、「イエスさまを信じたら何でもできます!」と話していましたので、しかたなく、重い腰を上げました。
 ある日、私は一人でそのお宅を訪問しました。すると奥さんが、私を喜んで迎えてくれました。息子は二階の部屋にいました。部屋の入り口のガラスが割れていて、そこからタバコの煙がもこもこと出ていました。それで「○○ちゃん、順さんが来てくれたよ…」と階下からお母さんが叫ぶと、上から声が聞こえました。
 「何!?巡査?俺は巡査は嫌いだ…!」という声が聞こえました。私は、「じゅんさん」ですが、最後の「ん」が聞こえなかったらしく、「じゅんさ」になっていました。私はビクビクして待っていました。
 するとやがて彼が出てきました。体は大きく、さらに太っていて、たいへん威圧感がありました。「彼とどうやって話そうか…」と思っていました。しかし頑張って、何とか話しました。しかし彼と話した中で、最後の言葉がたいへん印象的でした。 それは、
 「俺には連れはいっぱいるけど、友だちがいない…」
その時、「彼は強がっているけれど、本当は寂しいんだな」と思いました。
 案外この世の中は、連れはいても、友だちはいないという人が多いのかもしれません。彼は肩で風を切るような生活をし、連れを従えて華々しくやっているようでしたが、「友だちはいない」と言いました。それで私は、「彼の友だちにならなくては…」と思いました。
 それから彼と友だちになり、色々な事がありましたが、ついに彼はイエスさまを信じ、全く変えられました。そして今では彼の「家族全員がクリスチャン」になりました。
 彼は今ではすばらしいクリスチャン女性と結婚し、可愛い子どもが二人生まれ、すばらしい家庭がそこにはあります。彼の一家が、先週始まったばかりの家庭集会に来てくれ、自分の身に起こったことを証ししてくれました。

 一人が変えられるときに、家族全員が救われるというのは本当です。彼の家族はクリスチャンになってからもう長いので、伝統があります。一時は良くなったけれど、また悪くなったというのではなく、彼の家庭はずっと良いことが続いています。イエスさまは一生涯、家族を守り導いてくださるのです。
 『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』という言葉は真実です。ですから今日、「まだ家族の中でクリスチャンがいない、私一人だけがクリスチャンだ」と言う人も期待してください。あなたがイエスさまを信じたことは、必ず、家族も救われるという約束付きです。

 さて、今日は一歩進んで、看守の家族が救われた背景についても学びたいと思います。まだ家族が救われていない方も、それにより祈りの視点がかわると思います。

 『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』という、大逆転勝利が起こった背景に、あることが起こっていました。それが使徒の働き十六章に記されています。
 「使徒の働き」をよく読むと、一つの状況が一つの勝利を産み出し、その環境が次の勝利を生み出していることがわかります。互いに事柄は関連性をもっており、次のストーリーにつながっています。
 看守の家族の救いは、ピリピという町で起こりました。使徒の働き十六章十一節から十三節に、パウロとシラスがピリピへ行ったことが記されています。

『そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。』

 ピリピはマケドニアの第一の町で、植民都市であったとあります。当時、その地域は、ローマ帝国の支配下にありましたので、ローマが植民都市としてピリピを支配していました。そんな場所に、パウロとシラスが行ったのです。
 ローマ帝国の背景には「ヘレニズム文化」が影響していました。その時代、東洋の宗教的世界観と、西洋の宗教的世界観が合体したという背景があり、特に、ギリシャ文化が世界中に大きな影響を与えた時代でした。それでピリピはギリシア風の町でした。その町に祀られていたのは、ギリシア神話の神々でした。看守が責任を取って自ら自殺しようとしましたが、日本でいう「腹切り、切腹」がありましたが、これは日本だけの特別なことではなく、昔からあったことです。
 ギリシャ神話の偶像に満ちた町に、パウロとシラスが伝道に行ったのです。

『私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。』

 どの国の人たちにも「祈りたい」という気持ちがあります。「今まで祈りたいと思ったことが一度もない」と言われる人はいないと思います。日本人は祈り心のある国民だと思います。私たちは、日本のような文化・習慣の中で、どこで伝道したら良いのかと考えますが、パウロとシラスが「祈り場」のある川岸に行って伝道したとあります。「祈り場」は伝道に良い場所なのです。
 当時、周辺の国々にもユダヤ教が伝わっていました。シナゴーグができる前に、ユダヤ教徒たちは野外で礼拝をしていました。そのような祈り場があったようです。パウロとシラスは、そこでイエス・キリストについて話しました。

 しかし川岸には、もう一つの祈り場があったようです。案外、宗教施設は川沿いにあるのが世界の常です。使徒の働き十六章十六節から十九節に、

『私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。』

 川沿いにはユダヤ教徒たちも集まって礼拝していましたが、「占いの霊に支配された若い女奴隷」がいたのです。「この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた者であった」とあります。日本でも占いがブームで、多くの人が占いに心をよせています。
 日本人はたいへん呪術的な国民性を持っています。家を建てるとき、子どもが生まれたとき、成人式など、すべて占いをします。これは二千年前も同じでした。「占いの霊に支配された女性」がパウロたちにつきまとってこう語ったのです。

『「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」』

 この女奴隷は、ある意味で、広告塔のような働きをしました。パウロたちははじめは、「彼女の言う通りだ」と思っていたかも知れません。しかしその内、あまりにもつきまとうので、うっとうしく感じたのでしょう。悪霊と対決したのです。
 「占いの霊」とは「悪霊」です。悪霊たちは、何が真理か、誰が真理を伝える者たちなのかを知っていました。そのように事実を知った上で攻撃を仕掛けるのです。

 占いの霊に支配された女奴隷がつきまとって来たので、パウロが「イエス・キリストの名によって、占いの霊よ出て行け!」と言うと、即座にその霊は女から出て行ったとあります。
 イエスさまのみ名は素晴らしいです。イエスさまのみ名を使うと、占いの霊は完全に去ってしまいました。その結果、主人には儲ける望みがなくなった記されています。「占いが悪霊によって成されていた」のがよくわかります。

 日本にもたくさんの占いがありますが、これは悪霊による仕業です。ですからその言葉を聞いてはいけません。彼らのまことしやかな言葉に耳を傾けてはいけません。
 パウロたちは、まともなことを彼女から語られたのです。「この人たちは真理を宣べ伝えている神のしもべである」
 パウロとシラスは結果的に、占い師の言葉に心を開いたのです。つきまとっても、追い払いわなかったということは、何よりもそれを現しています。
 なぜならば、彼女の言葉が当たっていたからです。「この女は、俺たちのことを知らないくせに、よくわかっているな」と、少しは彼女の言うことに心を開いたことでしょう。最終的には、悪霊を追い出しましたが、彼女の言葉に少なからず心を開いたパウロとシラスが受け取った結果は、あまりよいものではありませんでした。主人に訴えられ、牢獄に入れられてしまいました。

 これは、「いくら占いが当たるとしても、心を開いてはいけない」と教えていると思います。占い師はあなたの事を当てるかもしれません。しかし、それに心を開くと、悪霊の声に耳を傾けることになり、結果が悪いのです。

 更に、この箇所から、家族の救いにつながる内容をも見ることができます。
「占いの霊」という言葉は、原語では、「プニューマ・ピュトン」となっています。「プニューマ」とは、ギリシャ語で「霊」です。そして「ピュトン」とは、ギリシア神話に出てくる神の名の一つです。
 ギリシャに、世界のへそと言われる町がありました。それは、「デルフォイ」という町でした。そこには、ギリシャ神話の神である「アポロン」を祀る神殿がありました。神殿には巫女たちがおり、彼女たちは「ピュトンの霊」によって占いをしていました。それで、「ピュトンの霊」とは「占いの霊」という意味になったのです。
 歴史を見ると、王たちはアポロンの神殿に行き、神託によって、戦争をするべきか、やめるべきかを聞いていたことがわかります。それはアポロンの神殿において、ピュトンの霊を呼び出して行われました。

 ギリシャ化したピリピにも、同じ神殿がありました。ギリシャ化した町には、ギリシャと同じ神殿が造られたのです。川岸にアポロンの神殿が建っていて、占い館がありました。
 そこで働いていたのが、ピュトンの霊に支配されていた女奴隷でした。パウロがピュトンの霊を打ち砕いたときに、女奴隷は占いができなくなりました。しかし、パウロとシラスは捕まえられて牢屋に入れられてしまいました。
 ピュトンの霊と戦ったとき、勝利したように見えましたが、その結果はよくありませんでした。このような記述を見て、時々、「あまり霊的戦いをしない方が良い。危ない。パウロとシラスを見てごらん。占い霊を追い出した後、結果が悪かったではないか。」という意見も出ます。
 しかし、背景をよく調べると、なぜ、このような事件が起こったのかよくわかります。女奴隷はアポロンの神殿で仕えていました。アポロン神殿は、アポロン神が最も大きな権威を持っており、その下で、ピュトンという霊が働いていました。悪魔・悪霊どもは組織だっています。軍隊の組織のように、子分もいれば、親分もいます。パウロは、どこから戦いをはじめたかというと、ピュトンと呼ばれる子分と戦いました。その結果、牢屋に入れられてしまいました。その後、二十五節から二十六節に続きがあります。

『真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。』

 パウロとシラスが牢屋に入れられ、明日は処刑されるかも知れないという中で、彼らは鎖につながれながらも、夜中に賛美と祈りをしていました。そして、他の囚人たちも聞き入っていました。「明日は処刑されるかも知れないのに、彼らは元気が良い…」と思っていたのかも知れません。
 すると突然、地震が起こり、獄舎の土台が揺れ動き、すべての扉が開き、つながれていた鎖も取れてしまいました。その後、看守の家族が救われたストーリーにつながっています。

 この看守の家族が救われるきっかけになったのは、占いの霊に支配されていた女奴隷の解放から始まっています。
 この戦いは、ピュトンの霊から始まったのですが、まだ、アポロンとの戦いが残っていたのです。さらにアポロンは「音楽神」でした。
 今日私たちは音楽をもって、主を礼拝しましたが、アポロンは音楽を通して悪魔と交流させる働きをしている悪霊でした。ピリピの町は、占いの霊というよりも、アポロンと呼ばれる霊によって支配されていたのです。
 パウロとシラスはそにに気づいたのか、知らなかったのかわかりませんが、結果的に、獄中で賛美し、音楽神アポロンに対抗したのです。
 なぜなら、詩篇一四九篇では、「床の上の賛美は両刃の剣」だと教えているからです。パウロとシラスが牢屋の床の上で賛美したとき、町を支配するアポロンが打ち破られたのです。それを象徴するかのように、牢獄の土台を揺り動かす地震が起こり、獄の扉が開き、鎖が落ちたのは、町を支配している暗やみの力が破られた預言的現れでした。そして、町の看守の一家が救われました。
 ここから、家族の救いのために、町をとりなして祈らなければならないことがわかります。

 日本にも同じような構図があります。ピリピの町にはアポロンの神殿がありましたが、アポロンの本拠地は、ギリシアのデルフォイでした。
 日本はどうでしょうか。神社にも寺にも、本部があり支部があります(例えば、伊勢神宮はアマテラスを祀っていますが、どこの町にも神明社というアマテラスを祀る神社がある)。同じ構造です。そしてその神社や寺の背後で、占い師が暗躍し家族を押さえています。

 使徒の働き十六章から、町に対するとりなしの大切さを学べます。同時に、個人の解放も重要だと知らされます。

 クリスチャンたちの霊の目が開かれ、町のためにとりなし祈り始めると、町を支配する悪魔の力が打ち砕かれ、霊的な牢獄の扉が開きます。その時、家族が救われます。
 家族の救いのために町のために、とりなし祈ることが大切です。町を支配する悪魔の力が打ち砕かれるように祈りましょう。そうしたら牢獄が開き素晴らしい勝利を見ることができます。

 今日ここにおられる一人一人に、神が願っておられることは、「家族の幸せ」です。しかし悪魔は、家族を不幸に陥れ、牢獄に投げ込み、鎖で縛り、監視するような構図ができるのです。
 敵の力が砕かれるために必要なことは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」です。なぜなら、救いは暗やみから光に、サタンの支配下から神様の支配下に移されることであり、悪魔の力から解放され、家に平和が戻ってきます。

 色々な問題が起こる原因は、家族の後ろに町を支配する悪霊が働いているからです。町に住む人々を不幸にし、家族をどん底に落とそうとする悪魔の、最低最悪の計画書があります。しかしイエスさまを信じると、神様の最高の計画が実現します。
 看守の家族には、悪魔の最低最悪のシナリオがありました。しかし不幸のどん底に落とされる寸前に、パウロとシラスが悪霊に勝利を得ていたゆえに、家族一同、大喜びになったのです。全家族が神を信じ、狂喜するというハッピーエンドとなりました。
 今日私たちも、家族が大喜びする状況に変えられると、信仰によって受け取りましょう。

『彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。』

 「信じてバプテスマを受ける者は救われる」とありますが、バプテスマは大切です。バプテスマを決断しましょう。家族の救いのために祈りましょう。また、家族の救いのために、町を支配している敵の力が打ち破られるように祈りましょう。

(告白の祈り)
「イエスさま。今私はイエスさまだけが、私の神であり、救い主であることを信じ、宣言します。私の家族全員を救って下さることを、心から感謝します。家族を救いから遠ざけている、暗やみの力を完全に打ち砕いてください。私が住んでいる町を牛耳っている、敵の力、占いの力を完全に打ち砕いてください。かつて、占いに心を寄せたことを赦してください。その為に牢屋の中に入れられたならば、完全にそのつながりを断ち切ってください。今日は完全な勝利が我が家に訪れますように。家族全員が幸せになりますように。勝利を受け取ることができますように。大喜びに変えてください。イエスさまの御名を通して祈りをささげます。アーメン。」


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