歴史を作る者たち

2007.6.3(SUN)
新城教会牧師 滝元順師

旧約聖書 エレミヤ書1章1節〜8節
ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。それはさらに、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代にもあり、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚の時まであった。次のような主のことばが私にあった。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」

 ハレルヤ!皆さんおはようございます。久しぶりに新城教会で奉仕できることを、感謝します。皆さんのお祈りに支えられ、スペインでの働きも守られ、無事に帰ってくることができて感謝します。
 スペインから帰って早々、大変忙しい中にあり、先週はお二人の方が天に召され、一日の内に二つの葬儀がありました。主が一つ一つの働きを守り、導いてくださったことを感謝します。また先週の日曜日は、浜北教会で奉仕をさせていただき、大変素晴らしい集会を持つことができて感謝しています。
 スペインには、私と家内、そして通訳者としてフェルナンド先生夫妻が同行してくださいました。フェルナンド先生夫妻が同行してくださらなければ、私がいくら語っても通じません。しかし素晴らしいチームで、奉仕できて本当に幸せに思っています。新城教会でいつも共に働いている仲間と共に、海外で奉仕できることは感謝です。主がそのような機会を与えてくださったことを感謝します。
 フェルナンド先生夫妻は、私たちが日本へ帰ってからも、一週間程、スペインに残っていろいろな教会で奉仕しました。今から少し、フェルナンド先生夫妻に証をしていただきたいと思います。

(フェルナンド先生の証)
 ハレルヤ!皆さんに感謝します。皆さんのお祈りに支えられ、スペインで良い時を過ごせたことを感謝します。
 スペインで驚いたことの一つは、建築様式が南米とそっくりであったことです。「コロニアル様式」という方法で作ってある建物は、南米と風景がそっくりでした。なぜなら、スペイン人が南米を植民地にしたときに、彼らが町を作りましたが、文化や建物など全く同じものを持って行ったからです。良い事柄もスペインから南米に持ち込まれましたが、同時に、悪い事柄も多く持ち込まれました。
 例えば、「泥棒や偽り」などがスペインからもたらされました。なぜなら、南米にスペインから連れて来られた人たちの多くは、囚人たちや悪い人たちが多かったからです。ですから、スペインからもたらされた悪い文化が、特に、インターナショナル部会と悪い契約になっていると思ったので、それを断ち切る祈りをしてきました。
 またスペインでよく目に付いたことの一つは、「色々な宗教が融合している」ということです。代表的なものとして、イスラム教、ユダヤ教、カトリックなどの融合があります。

 現在スペインでは、プロテスタントのクリスチャン数は日本よりも少ないと言われています。日本よりも教会が少ないのです。そして、クリスチャンたちも、日本人クリスチャンのようにしっかりしたクリスチャンではありません。牧師たちも、聖書のことをあまり教えていないこともあり、しっかりとしたクリスチャンが少ないようです。スペイン人の生活で、とても目に付くのは、たばこやアルコールをよく飲むことです。また、一人五グラムまでは、マリファナを所持していても良いということが、法律で認められています。
 また、多くの同性愛問題があります。スペイン政府は、彼らの結婚を法的に認めています。町で男性同士が手をつないで歩いているのを見たり、また、女性同士がキスをしながら通り過ぎていくのを多く目にしました。ですから、スペインには祈りが必要です。

 また私たちは、ジプシーたちの教会に行きました。ジプシーの起源はインドにあると言われています。ジプシーの人々はスペイン人とは一緒にならず、彼らは彼らだけの文化で生活しています。彼らの教会にはスペイン人は一人もいません。
 その中の一つに私は行き、メッセージをする機会が与えられました。しかしながら私たちから見ると、おかしな事が礼拝の中にありました。賛美の中にはインドのスタイルがありました。それはヒンズー教の影響だと思います。祈りの時間は、電気を消して真っ暗にしました。暗やみの中に聖霊様が働いてくださるという考え方があるようです。
 けれども、ジプシーのクリスチャン人口は、スペイン全体のプロテスタント・クリスチャンの七十パーセントを占める、最も大きな教会です。ですからジプシーたちのクリスチャンのために祈らなければなりません。

 最後に面白いことがあったので、そのことについて証したいと思います。色々な場所でとりなしの祈りをしました。「サン・イシドロ」という、カトリック教会で霊的戦いの祈りをしました。「サン・イシドロ」とは、首都マドリードのパトロンと呼ばれる、水と関係のある守り神とされています。祈っているときに、スペインの兄弟姉妹たちが教えてくれたのですが、スペインの王家が行事をすると、必ず雨が降ると言っていました。このことについても祈りました。

 順先生がテレビ出演をしていたときに、マドリードの町は嵐のような天候でした。そして、嵐の中心は、テレビ局のある町にありました。その時、七千個のいなずまが町に落ちました。テレビ放送は夕方七時から始まりましたが、ちょうど七時から数秒間、嵐の影響により放送が中断しました。嵐はその後、何日間か続きました。後でテレビのニュースを見ると、その雨は、「五〇〇年に一度程の大雨」であったそうです。
 私たちがとりなしの祈りを行った後、この事が起こりました。ですから、イシドロと呼ばれるスペインを支配している悪霊が、怒っているのではないかと思いました。

 しかしその他にも、色々な勝利の時であったと思います。順先生のテレビ出演により、大勢の人たちがテレビ局に電話をかけてきて応答しました。ヨーロッパ各国から電話がありました。多くの人が霊的戦いのメッセージにインパクトを受けました。それは、スペインで初めて霊的戦いについて語られたメッセージでした。皆さんのお祈りを感謝します。
(ここまでがフェルナンド副牧師夫妻の証)

 今語られたように、マドリードで、とりなしの祈りをしたときに、町のテーマの悪しき力が破られた証拠を主が見せてくださいました。私たちが語った霊的戦いのメッセージは、スペインでは初めての経験であったようです。皆さんの祈りによって支えられているのを、私はひしひしと感じながら、集会をすることができたことを、心から感謝します。

 今日は「歴史を作る者たち」というテーマで学びます。「歴史」とは、そもそも人類の過去の出来事の総称ですから、私たちは常に歴史を作りながら生きています。
 しかしながら、そのような中、イエス・キリストを信じる者は、神ご自身が天で計画された歴史を地に置くための働きが委ねられています。
 実に、今回のスペインの働きも、主から委ねられた「主の歴史」を、スペインに引き下ろすために、私たちを送ってくださったと実感する旅でした。私たちは天において神が計画された事柄を、この地上の歴史として引き下ろすために、働かなければなりません。
 同時に、私たちは過去の歴史についても学び、出来事を分析し、その中に法則を見出し、特に、聖書の法則と照らし合わせ、過去を反省し、新しい歴史を国に、世界に宣言する必要を強く感じさせられました。

 今回私は、スペインにおいて、「エレミヤ書一章」を主から語っていただいたように思いました。スペインはクリスチャン人口は大変少ないですが、クリスチャン・テレビ局はしっかりしており、全土に福音が伝達されています。日本もそうなることを願います。けれども、ローマ・カトリックの強い支配があり、カトリックは偶像礼拝と共にあるので、社会には多くの問題があることを見聞きしました。多くの人が悪しき力に支配されている現実を見ました。
 私たちは歴史を作る者として、世界に遣わされます。また日本においても、主が私たちを遣わされる場所があります。エレミヤ書一章五節に、

『「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」』

とあります。エレミヤには胎内に形造られる前から神の計画があり、彼は預言者として国々に遣わされることが決まっていたのです。
 エレミヤ書を読むと、大変興味深いです。エレミヤが生まれ、預言活動を始めた時代背景がわかります。一章二節に、

『アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。』

とあります。エレミヤが最初に神から語りかけを受け、預言活動を始めたのは、ユダ王国、ヨシヤの治世の第十三年でした。
 イスラエルは初めは単一王国でしたが、途中で「北イスラエル」と「南ユダ」とに分裂し、やがて北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、イスラエルの十部族は国もろとも消えてしまいます。北イスラエルの王たちは皆、悪王で、偶像礼拝をしていました。
 しかし南ユダは、北イスラエルが滅びてもなお、百三十年ながらえました。ユダには二十人の王が出ましたが、その内、八人ほどが神を信じる王でした。その中でもヒゼキヤ王は良い王さまでしたが、その次のマナセは極悪王で、偶像を多くユダに持ち込んだために国が荒れ果てました。そして、マナセの次には、アモン、次に即位した王が「ヨシヤ」でした。そのことについて、第二歴代誌三十四章に記されています。一節から四節に、

『ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった。彼の治世の第八年に、彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。人々は彼の面前で、バアルの祭壇を取りこわした。彼は、その上にあった香の台を切り倒し、アシェラ像と刻んだ像と鋳物の像を打ちこわし、粉々に砕いて、これらのいけにえをささげた者たちの墓の上にまき散らした。』

 ヨシヤは八才で王となり、三十一年間王でした。子どもで王となりました。普通では国を治めることは不可能です。しかし彼は、神に用いられました。彼の治世の八年、彼が十六歳の時に国をきよめ始めました。特に第十二年の時に、『ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。』とあります。
 治世の十二年とは、彼が二十歳の時になります。ユダの町々にあった多くの偶像をすべて壊し、国を神の元に立ち返らせる真の宗教改革を起こしました。そんなただ中で、一方で神は、若いエレミヤを選び出しました。

『アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。』

とあります。ユダにおいてヨシヤが偶像を壊し、国をきよめ始めたときに、神はもう一人の少年に目を留められました。それがエレミヤでした。これを見ると神の働きは、ただ一人だけに限定されるのではなく、キリストのからだ全体として働きが進むのを見ます。
 この教会にも多くの方がおられますが、神はひとりひとりに役割を与え、お互いの働きを通して新しい扉を開いてくださるのです。ヨシヤが国をきよめ始め、また一方では国々に預言を語るエレミヤを与えました。

 ヨシヤがユダを改革し国をきよめ、偶像を撤去して神の前に悔い改めの祈りをしました。その時に神からのみ言葉が来ました。第二歴代誌三十四章二十四節から二十五節に、

『主はこう仰せられる。見よ。わたしは、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。彼らがユダの王の前で読み上げた書物にしるされているすべてののろいをもたらす。彼らはわたしを捨て、ほかの神々に香をたき、彼らのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こすようにした。わたしの憤りはこの場所に注がれ、消えることがない。』

 ヨシヤは国をきよめました。その結果、民は偶像から離れました。普通ならば、神の前に出て、「私は偶像を撤去し、国をきよめました」と祈るならば、「よくやった!良い忠実なしもべだ。あなたを祝福してあげよう」と声を掛けてくださるのが当然だと思いますが、ヨシヤが聞いた言葉はそれとは正反対でした。・・・・・・『わたしの憤りがこの場所に注がれ、消えることがない』という、信じられない恐ろしい言葉を受け取ってしまいました。しかしこれが偶像礼拝の恐ろしさです。
 偶像礼拝の罪は世代を超えます。ヨシヤは良い王で国をきよめましたが、おじいさんマナセは極悪王でした。ということは、マナセやアモンという過去の王が行った偶像礼拝の罪の結果が、なんと、宗教改革をしたヨシヤの世代に降り注がれる寸前であったのです。この記述は、偶像礼拝の恐ろしさを現しています。

 けれども、この時、ヨシヤが今までの世代の代表として、国で行われた偶像礼拝を悔い改めたときに、何が起こったのでしょうか。二十七節に、

『あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。――主の御告げです――』

 彼が世代で犯された罪を悔い改めたことにより、「わざわいが止められた」という歴史を同時に見ることができます。
 私たちが歴史を作るためにすべきことは、個人の悔い改めだけでなく、世代を代表し、例えば、日本人として日本の罪を代表して悔い改めるときに、今まさにこの地にもたらされようとしているわざわいがとどめられ、国の歴史が変わるのです。
 今日、イエス・キリストを信じるとは、この地に対する責任があります。私たちは家族、家系の代表者として、今までの偶像礼拝の罪を悔い改め、それらがすべて打ち砕かれ、家族や家系の中にわざわいは起こらないという、勝利の一ページを歴史の中に加えるのです。

 ヨシヤの働きは、国全体にインパクトを与える大きな働きでした。そんなただ中に、エレミヤという預言者が出現し、更に広い意味で、神は周囲の国々に対して、働きを進められました。

 エレミヤに対して、「わたしはあなたを胎内に造る前からあなたを知り、聖別し、国々への預言者として定めていた」と語られたとき、彼は何と答えたのでしょうか。エレミヤ書一章六節から八節、

『そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」』

 彼は神からの偉大な計画を聞きましたが、自信がありませんでした。それで否定的な答えをしました。すると神は、「まだ若いと言うな」と言われました。
 時々私たちが神様のための働きをしようとするときに、「私はまだ不十分、まだ足りない」と、エレミヤのように答えてしまいがちですが、神は、「足りないと言うな、あなたを助けてあげるから」と語られます。
 特に今年は、神がこの教会の「若い世代」を立ち上がらせ、用いてくださると信じます。もちろん、それぞれの世代が用いられると思いますが、特に、働きは若者の手によって持ち運ばれるべきです。今まで歴史を見ても、その時代時代に、若者たちが用いられてきました。聖書を見ても、若者たちを主が用いようとされています。
 エレミヤは神の選びの言葉を聞きましたが、彼人身には、全く自信がありませんでした。九節から十節に、

『そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。」』

 しかしそんな彼の唇に、主は触れてくださいました。これは、エレミヤが聖霊の力を受けたことを現しています。そのとき、彼は上からの使命を受けました。「あなたは諸国の上に、引き抜き、引き倒し、滅ぼし、こわすという働きをします。同時に、建て、植えるという働きもする」と語られました。

 今回私は、スペインで神がこのみ言葉を与えてくださったと信じました。「私ではちょっと球不足で、ちょっと無理かも知れない・・・」と自身を失いかけていたときに、主が語りかけてくださいました。
 今回の奉仕では、家内が私のメッセージ内容を細かくチェックし、また、ひかるさんがフェルナンド先生のスペイン語通訳をチェックするという、二重のチェック体制がありました。
 第一夜のテレビ集会の時、私には自由があり、パワフルにメッセージを語れて良かったと思いました。すると、家内は暗い顔をしていました。
 私が、「今日は良かったでしょう。」と言うと、「良くなった…」と言うのです。人の評価と、自分の評価とではちょっと違います。とりあえず、自分が楽しければ良いと思っていたので、「スペインの皆さん!」と明るく楽しく語っていました。
 しかし家内は、「もう少し、霊的権威を持って語った方が良いよ…」とアドバイスしてくれました。
 それを聞いて、私は少し自信を失いました。外に出て、一人で歩きながら真剣に祈りました。その時に主が、「恐れてはいけない。あなたの口に言葉を与える」とみ言葉から語られ、「あなたはスペインで、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼす働きをする。しかし同時に、建て、植えるためにあなたをこの場所に遣わした」と語られたように感じました。そして、エレミヤ一章十一節から十四節のみ言葉が、私の心に留まりました。

『次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」再び、私に次のような主のことばがあった。「何を見ているのか。」そこで私は言った。「煮え立っているかまを見ています。それは北のほうからこちらに傾いています。」すると主は私に仰せられた。「わざわいが、北からこの地の全住民の上に、降りかかる。』

 エレミヤは何気なく、アーモンドの木を見ていました。すると神が、「エレミヤ。お前は今何を見てるのだ?」と聞きました。エレミヤが、「アーモンドの木を見ています」と答えると、神は、「よく見たものだ!」と言われました。

 今、皆さんは何を見ておられますか。私たちは色々な物を見ています。「新聞を読んでいる」、「テレビを見ている」、「人の顔を見ている」などと答えます。そのとき、神は言われます。「よく見たものだ!!」
 エレミヤが主に触れられたときに、普段見ているものの見方が変わりました。普段見ているものの意味が変わりました。
 アーモンドの木を見ていたという意味は、アーモンドは、長い冬が過ぎて最初に咲く花でした。これは、「長い束縛から解放される」という預言的意味がありました。
 また「アーモンド」という言葉の語源が、「見張り」という言葉から来ているので、「あなたは見張り人」という意味もありました。

 私たちが普段何気なく見ているテレビ、新聞、人々、風景など、普通に見ているようですが、神の歴史を置く者として、「神の視点でアーモンドを見る者になる」ことについて主は語ってくださいました。

 私は今回スペインに行き、珍しいものをたくさん見てウキウキしていました。しかし主は、「あなたはただの観光客のように町を見てはいけない。今、あなたは何を見ていますか?」そして、「あなたは、スペインにあるものの中で、良くないものは引き抜き、引き倒し、壊し、滅ぼすように働きなさい。そして、人々を建て上げ、神の国に植える働きをするように」と語ってくださいました。

 今週私たちは、色々なものを目にすると思いますが、エレミヤと同じように、神の視点で見るものになりたいと願います。神様から、「よく見たものだ!」とほめられますように。
 普段、私たちは色々な光景を目にします。先週もテレビを見ると、多くの事件が起こり、「何という国だ」と思いましたが、エレミヤが主に触れられた後、国を見ながらある時には、引き抜き、倒し、こわし、滅ぼし、また、ある時は建て、植える為に働く人に変えられました。これが、私たちのライフ・スタイルであるべきだと教えてくださいました。

 今回スペインに行く前に、スペインの歴史について、少し関心を持ち学んでから行きました。すると、日本及び世界に対する、スペインからの影響は大きいと感じました。なぜ神様が私たちをスペインに送られるのか、初めは漠然としていましたが、エレミヤのように神の目でスペインを見るときに、霊的戦いはスペインからヨーロッパに攻め込まなければならないと感じました。
 先週の日曜日は、教会にとって大きな記念日でした。それは「ペンテコステの日」であったからです。イエスさまがよみがえられてから五十日目で、聖霊が注がれ、教会が誕生した日でした。
 その日以来、教会は破竹の勢いでエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして、全世界へと拡大していきました。四世紀頃までは、当時知られている国々をすべて福音化していきました。
 しかし、その後、段々と宣教にかげりが出てきました。ローマがキリスト教を国教としたとき、権力者がキリスト教をうまく利用しました。ローマは各国から人々が集まり、色々なものが融合している社会でした。特に、フン族に追われて侵入したゲルマン民族が持ち込んだ偶像礼拝や、エジプト、ギリシャの神々とも、教会は融合していきました。その結果出来上がったのが、「ローマ・カトリック教会」でした。
 ローマ・カトリックの問題点は、すべてを融合していく体質にあります。キリスト教は中心にありますが、その地にある偶像礼拝と融合し、一緒になって成り立っています。ですから、スペイン教会の中に偶像的な要素がたくさんあります。
 スペインの首都マドリードは、「イシドロ」という存在が守護神です。元々、マドリードには水源があり、「水神礼拝」をしていました。それをカトリック教会が受け入れ、街の守り神として取り込んだのです。だから本物の神ではなく、水神を拝んでいるのです。街の根拠がそこにありました。

 純粋な福音が広がってきたのが、四世紀ごろから偶像礼拝が教会に入り込んでしまいました。先程、国がきよめられるときに、神が新たな神の人を起こすと語りましたが、国が悪くなると、逆に、悪魔がある人物をピックアップすることがあります。
 六世紀にアラビア半島のメッカに、一人の男が生まれました。彼はやがてイスラム教の教祖となった人物、マホメットでした。
 彼は始めユダヤ教やキリスト教に興味を持ち接近しました。彼は商人として色々な所へ出向きましたが、ある時、彼は教会にいっぱい偶像があるのを見て、大きなショックを受けました。そして最終的には、アラーを絶対神とする「イスラム教」を作りました。そして、たった二十年で、アラビア半島を手中にし、北アフリカからスペインを経由してヨーロッパにまで攻め込みました。イベリア半島はあっという間にイスラム化してしまいました。ヨーロッパの中でイスラム化した国はスペインだけです。

 しかし、イスラム化したスペインでも、北部のバスク地方の人たちは、厳粛なローマ・カトリック教徒たちで、山間部ということもあってイスラム勢力の支配が及びませんでした。彼らはイスラム教徒たちを追い出すために軍隊を組織し、戦いはじめました。その戦いを「国土回復運動/レコンキスタ」と呼びます。そして、その戦いはなんと、「八百年間」も続きました。
 その間に、教会(ローマ・カトリック)が武力と一体になり、イスラムと戦うという構図ができ上がりました。
 やがてスペインはレコンキスタによってイスラムをイベリア半島から追い出したのです。だからスペイン北部の人たちは、国を救ったというプライドがあります。しかしその結果は、「宗教と武力が一つとなって、イスラムを追い出す」という構図が出来上がったのです。
 レコンキスタの成功により、スペインは大いに自信をつけました。また、スペインのイスラム教徒たちは科学的にたけていて、羅針盤や火薬を発明しました。スペインはそれらを利用して、ローマ・カトリック教会の庇護のもと、「大航海時代」が始まり、教皇に領地を献げる目的で大海原に出て行きました。
 その結果、スペインは「日の沈まない国」と言われ、世界中を手中に納め、南米全体を植民地化することに成功したのです。

 また、その一派は日本にも来ました。彼らが日本に来たことにより、「伴天連追放令」が出され、豊臣秀吉、徳川家康、後に続く徳川幕府は、キリシタン追放に躍起となりました。そのために日本は二百数十年に渡り、鎖国をしました。幕府は日本にキリスト教(ローマ・カトリック)が入らないために鎖国をしたのです。
 しかし鎖国がなかったら、もしかしたら、日本はスペインやポルトガルに占領され、今頃私たちはスペイン語かポルトガル語を話しているかも知れません。
 鎖国時代、「寺請制度や五人組」という、クリスチャン監視制度ができ、やがて鎖国が解けたときには、カトリックであっても、プロテスタントであっても、日本人の体質に「キリスト教は嫌い。追い出せ」という考えが定着してしまいました。それは、日本において起った歴史でしたが、遠いイベリア半島で起こったレコンキスタの完成による影響でした。
 中南米は現在、ほとんどがスペイン語、ブラジルはポルトガル語です。そして現在、世界はテロの恐怖と、イスラム原理主義者との戦いの中にあります。それは、キリスト教徒とイスラム教徒の戦いとして、位置づけられています。それは、元をただせばスペインの「レコンキスタ」に根があると思います。そこで、宗教と武力が一体となり、それも、キリスト教徒たちがイスラムを追い出すために、武力によって戦うという構図となって続いています。その後起こった十字軍遠征も、その影響下で組織されたように思います。

 一つの事柄が、次の悪しきことを生み出し、世界中に悪の連鎖による歴史が形作られていくという現実を見るときに、私たちは単に、「それは過去の歴史だから関係ない」という態度をとるのではなく、それらを霊的問題として、ある時は引き抜き、倒し、こわし、滅ぼすというように、とりなしの祈りをその領域に置かなければならないのです。そして、主に従う者たちの祈りにより、新しい歴史が立ち上がるのです。

 そのための一端として、今回、主は私たちをスペインに遣わしてくださったと信じています。クリスチャンとして、主に選ばれた者たちは、「あなたは何を見ていますか」と語られたときに、単にアーモンドの枝を見るのではなく、「主のみこころ」、すなわち、主が成して欲しいと願われていることをキャッチし、祈りの中で、悪しき霊的力を引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、打ち砕き、神の国を建て直す働きをする必要があると、強く思わされました。

 今週も色々なものを目にすると思いますが、あなたは神の歴史を作る者として、任命されています。普段のように物事を見るのではなく、神ご自身が願っておられる働きのために、物事を見ることができるように祈りたいと思います。

 今回スペインに行くことになったのは、ホルヘさんという昔、新城教会に来られていた方の働きによりました。彼は今、スペインで牧師をしています。一人の息子さんが病気でスペインで治療を受けています。彼らのためにもぜひお祈りください。クリスチャンは少ないですが、スペイン人たちはレコンキスタ気質があるのか、大変情熱的で熱心です。主にリバイバルを真剣に祈っていました。

 今回、私たちがスペインで奉仕したことを、スペインの方々はとても喜んでくださいました。これまでも毎月、テレビで聖会をし、多くの有名な説教者たちが来たそうです。しかし、テレビ局の社長が、最後に私たちの奉仕について、このようにコメントしてくださいました。

 「今までここに来た先生方はスペインのことを勉強せずに来て、自分の感じたことを一方的に語って帰っていきました。そして、その集会はショーのようでした。
 しかし今回、あなたたちはスペインについてよく学び、真剣に私たちの国のためにとりなしてくれました。集会はショーではなく、そこには強いインパクトと奥深さを感じました。大変感動しました。これから毎年、最低一度は来てください!」と言われました。
 もしかしたら、来年も行くことになるかもしれません。それが主のみ心ならば、行くでしょう。

 私たちは、ただの観光ではなく、主の目で現地を見て祈らなくてはならないと思いました。私たちがスペインにおいて、北部のバスク地方に行きたいと言いました。するとテレビ局がスポンサーとなって、北部に行くことができました(マドリードから飛行機で1時間ぐらいかかります)。
 彼らは初め、「日本から来たから、牛追いや闘牛を見たいのだろう」と思っていたそうです。しかし、私たちはそれらには一切関心はなく、とりなしの祈りに行きました。
 私たちが北部のある霊的拠点から、テレビ局の社長に電話すると、「先生たちは観光に行ったのではないのですか」と言われました。彼らは大変驚いていました。

 今週私たちは、神の歴史を地上にもたらす者として、主の目を持って働いていきたいと願います。


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