一つが二つにならないように

2007.7.8(SUN)
新城教会牧師 上條実師

新約聖書 エペソ人への手紙 2章14節〜16節
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

 ハレルヤ!今日も皆さんとともに礼拝を守ることができますことを感謝します。早いものでハワイリバイバルミッションも、来週の日曜日、ハワイのカリヒユニオンチャーチという所で「百日前決起大会」が行われます。その決起大会に滝元順先生、平岡修治先生がハワイに出かけ、ご奉仕します。覚えてお祈りくだされば幸いです。

 さて早速みことばを学んでいきたいと思いますが、今日この地域で「設楽原の決戦場まつり」というまつりが行われています。千五百七十五年。今から四百三十二年前。この新城という田舎町の小さな一つの川を境に天下分け目の戦いが行われました。連吾川という川に沿った場所で、連吾川を挟んで東に武田軍、西に織田と徳川の連合軍が激しい戦いをしました。武田軍は天下に誇る騎馬軍団、連合軍は自慢の鉄砲三千挺を最前線に配備しました。初めて鉄砲が決戦に用いられたと言うことで有名な戦いです。なんと武田軍の戦死者は一万余の人、連合軍の死傷者も六千人を下らなかったということです。これは驚くべき大惨事です。今の時代再度この日本におきたなら、大変なことです。私たちは平和を願っています。しかし時代が四百年たっていれば、このような大惨事を何とも思わないのでしょうか?この町で文化財として指定し、地域の人たちはもとより、公立の小学生や中学生たちが、昔の甲冑や鎧兜を作らせ、学校行事として戦いのまね、それも人殺しの再現をさせています。時が経てば良いのでしょうか?私は子ども達に大きな影響を与えてしまうのではと祈らされました。その時先ほど読んで頂いたみ言葉を思い出しました。

『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。』

とあります。イエスキリストは私たちの平和だと言っています。イエスさまが来られたのは、神の国を実現するためであり、隔ての壁を打ち壊すために来られたと教えています。イエスキリストが十字架にかかる前、弟子たちを呼び集めてメッセージをしました。そのことがヨハネによる福音書十七章十一節に書かれてあります。

『わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。』

『彼らが一つとなるためです』ということでした。またヨハネによる福音書十七章二十一節から二十三節には、このように書かれてあります。

『それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。』

イエスさまが十字架にかかる前、弟子たちに残したメッセージは、先ほども言ったように『一つになるように』ということです。繰り返して、『彼らが一つになるように。わたしと父が一つであるように、彼らが一つになることができますように』といっています。そして先ほど読んだみことばには、

『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。』

です。イエスさまはこの地上で壁をなくすために来てくださいました。しかし悪魔も生きており、この地上で私たちが一つになることを妬み、私たち人間の中に、多くの壁を作る働きをしてきました。悪魔はこの世の壁作り名人のようです。一つになることを嫌っています。以前の順牧師が詩篇一三三篇一節から三節のみ言葉

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』

から、一節の『見よ、兄弟たちが一つになって』とある「兄弟」とは、仲間、同国人、同居人、職人仲間など、血縁関係ではなく「一つのグループ」を意味していると語っていました。私たちが一つになっていくことが幸いなのは二節に、

『それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。』

アロンの上に流れた油とありますが、それは一つになるときに聖霊様の油注ぎが私たちにある。私たちが一つになっていくとき、私たちに全能の神であり、助け主である聖霊の力が私たちにのぞまれるのです。日本のリバイバル、またハワイや世界のリバイバルを求める私たちが、一つになるということはとても大きな祝福、勝利があると言っています。だから悪魔はどうにかして、壁をつくり、一つのものを二つにしようとします。

『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし』

クリスチャンは愛しあい、喜びあい、祝福しあうことができるという、すばらしいクリスチャンの交わりがあるにもかかわらず、知らないうちに悪魔は、私たちに巧みに壁を作ってくることを覚えてください。エペソの手紙二章十四節の「二つのものを一つにしてくださる」というみ言葉の剣をもって、今日私たちは壁を打ち砕きましょう。二つにさせられ、神さまから祝福を頂くことができなくなっているのなら、一つにさせていただき、祝福を取り戻しましょう。

では私たちがどのようにその壁を打ち砕いていくべきか、またどのような所に悪魔が壁を作っているかを学びましょう。まず第一番目は自分自身との隔ての壁があるのではないかと思いました。自分自身の壁というのは、二〇〇六年では問題や健康問題など様々な理由で、自らの命を絶っていく自殺者が三万人以上もいます。何か自分が失敗してしまったとき、何て自分は駄目な人間だろうと考えます。失敗するとそれが尾を引いて、くよくよと考えてしまいます。仕事をされている方々は、仕事の業績や成績などで「自分はこの程度の人間だ」と決めつけてしまわないでしょうか。セールスマンの方はノルマが課せられ、達成しないと、会社で厳しくしかられ、大変苦しんでいらっしゃいます。そして気持ちが落ち込んでしまいます。ある方は仕事からのプレッシャーに苦しみ、鬱病になる方も多い時代です。自分は駄目だ。自分はできないと決めつけてしまいます。この間、ある方にあなたの長所と短所は何ですかと尋ねられました。まず自分は短所を考えました。たくさん出てきました。しかし長所を考えると出てこずに考え込んでしまいました。そんなことを考えると自分が立っているポジションは自信がないところに立っていることに気が付かされました。皆さんは自分のことが好きですか。昨日ほさなクラブ(子どもの集会)で「自分のことが好きですか」と聞くと、あまり手をあげる子どもがいませんでした。「自分のことが嫌いな人」というと子どもたちでさえ手をあげたのです。あなたは自分のことが好きですか?先ほどお読みした聖書には「二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし」と読みました。二つのものを一つにする神様です。自分自身との隔ての壁を悪魔は、作成します。私たちは神様によって一つになるというみ言葉をいただいているにも関わらず、悪魔は私たちの心の中に壁を作ります。よく滝元順牧師を通して「私たちは神の製品ではなく作品である。」と聞きます。製品は同じ物を大量生産します。しかし作品は一つしかありません。ましてや神様は私たちを最高の作品として作ってくださったのです。私たちは神様に愛されていると言われながら、私には何ができるのだろうか、たまものを下さると聖書は教えており、各器官であって、どんな器官もその役割があるとわかっていながら、自分は何もできない。神にために何も働くことができない。自分なんか神に愛されていないというポジションに立ってしまいます。今日その自分自身のうちにある壁を打ち砕だき、二つのものを一つにしていただきたいと思います。イエスさまがあなたをどんなに愛してくださっているでしょうか?私たちは神の製品ではなく作品です。イエスさまが私を手塩にかけてくださって愛してくださいました。目的をもってつくって下さいました。私がどんな言葉を皆さんに伝えても何も慰めを与えることができません。ですから今日一点一画変わることのないことば。神さまのみ言葉によって、神さまがあなたのことを思っていらっしゃるのか、あなたをどのような思いで助け、共にいて下さるかを知って下さい。まず旧約聖書のイザヤ書四十三章四節です。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』

とあります。イエス・キリストから見てあなたは愛されています。それも高価で尊く、「あなたのためならば、国民全員を投げ出してでも、あなただけを助ける。」とあります。あなたはどの民よりも愛されている。大切だと思っている。どの民よりも必要な人だと考えて下さっているというのです。またヨハネ十四章十六節には、

『わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。』

とあります。あなたのために助けて下さる神が、いつまでも、ともに、永遠にいて下さると書いてあります。また申命記三十一章六節には、

『強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。』

私の神はどこにいるのかと思うような状況の中にあっても、どんな嵐の中にあっても「強くありなさい、雄々しくありなさい。恐れてはいけない。おののいてはいけない」と言って下さり、「あなたの神」と語っています。だから私なら「上條実の神さま」があなたとともに進んで下さる。そしてあなたを見放さず、あなたを見捨てない。といって下さっています。どんなことをあなたがしてしまっても、思ってしまっても、語ってしまっても、あなたを見放さず、見捨てない神さまだということです。そして第一コリント十五章三節から四節に、

『私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと』

とあります。これは福音です。あなたのためにイエス・キリストは神の位を捨て、この地上に来てくださいました。そしてあなたのおかした罪のために十字架にかかって苦しみを受け、葬られ、三日目によみがえってくださいました。あなたのために十字架にかかられたのです。私たちは自分自身は神によって祝福される。神様に愛されるとみ言葉でお分かり頂いたと思います。あなたのことを一番愛して下さっています。しかし自分自身から壁を悪魔の策略によって作成してしまいます。そして自分は駄目だというポジションに立ってしまうのです。そのため神と交わることができず、神からの最高の祝福を頂けるにもかかわらい、悪魔に奪い取られてしまっています。聖書のみ言葉はわかっているのです。しかしみことばが信じれなくなっています。今日神様のみ言葉であるエペソの二章のみことば、

『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。』

このみことばで宣言し、隔ての壁を打ち砕きましょう。私たちは劣等感で悩んでしまいます。ちょっとしたことで私たちはもう駄目だと考えてしまいがちです。しかし今日、あなたのために命を捨ててくださった神を信じて、壁を打ち砕き、祝福を頂きましょう。あなたのために、すべてを投げ出し、愛し、助け、心配して下さる神様が、あなたたとともにおられることを信じて下さい。あなたのポジションは神の側にあります。神さまと一つです。

そして第二番目は敵に対しての隔ての壁があるのではないでしょうか?エペソ人への手紙当時は、ユダヤ人と異邦人の間は非常に仲が悪く、互いに交わることさえできない関係でした。ユダヤ人は特別意識、選民意識がありました。ユダヤ人以外の人は異邦人。いつもお互いに敵意を持つているような状態でした。この両者が仲直りをして平和になるなどということは、普通の常識では考えられなかったのです。ところがそのあり得ないことをイエス・キリストはなさって下さったのです。その敵意という隔ての壁を打ち砕いてくださいました。とうてい和解はあり得ない、平和はあり得ないと思われるようなところに、和解と平和が生まれたのです。私が今年のみことばとして与えられた詩篇五十八篇十節から十一節に、

『正しい者は、復讐を見て喜び、その足を、悪者の血で洗おう。こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」』

今年の私のテーマは「復讐と報い」でした。今まで悪魔に取られていた部分。私たちがもらえるはずの祝福がもらえなかった部分。その部分に今年は復讐し、悪しき力を打ち砕き、神さまからの報いをいただくという約束のみ言葉をいただきました。今回みことばを語るために準備しているとき、再度このみ言葉を読み直しました。そしてこのみことばから私が描いていた思いが、間違っていたことに気付きました。それは交わることができないものが一つになるということみことばですが、二つになった原因を考えて、私が人に対して非難しているところがあることに気ずかされました。相手に対して言われたことをまだ根に持ち、今度は復讐の時だ。今年は相手が悔い改める年だと考えていました。そして復讐と報いは相手が変わり、和解する時だ。自分が優勢になることを描いていました。素晴らしい祝福を受けた人を見ると、妬んでしまう。また自分が傷付けたことは、簡単に忘れてしまっています。しかし人から傷付けられたことは忘れもしません。いつまでも根に持っているのです。いつか復讐したい。そんな思いで「復讐を今年与えてください」と祈っていた部分がありました。しかしマタイによる福音書五章四十四節から四十八節に、

『しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。』

「自分の敵を愛しなさい」と教えられました。向こうが悔い改め、赦してくれと和解のことばを言ってくる事を考えてきました。しかしそうではなくどんな相手であろうとも、まず「自分が敵を愛すること」そして「迫害する者のために祈りなさい」と言うことです。「隣人を自分自身のように愛しなさい」というみことばもあります。ですから、今まで敵対していた人がいたとしても、あなたがまず赦すことです。あなたが赦しの祈りができなければ、何も変わりません。あなたがその人を赦し、愛するとき、はじめて壁が崩れていく。自分が変わるとき、壁が崩れるのです。自分が相手より、上に立っているような状況では、絶対に壁は崩れません。自分は差し置いて、相手ばかりを責め、憎んでいます。ですから、自分の中に作られた隔ての壁、自分が持っていた憎しみを主にあって打ち砕く祈りをする必要があると気づかされました。その人を愛していくことが神の祝福であり、壁を砕く秘訣です。またみことばにあるように、主は多くのものを一つにしてくださいました。まず夫婦は一つです。一心同体です。しかし悪魔は夫婦の中に分裂を入れてきます。「病むときもどんなときでも一生涯あなたを愛し合います。」と結婚式で宣誓しながら、知らないうちに敵対しています。壁ができてしまいます。「何を言っても無駄だ」「あの人は変わらない」とあきらめ壁を作ってしまっています。あきらめから、ある時は憎しみに変わります。そして自分の伴侶以外の人が素晴らしく見え、心が動き、家庭が壊れていきます。また教会は各器官だとみことばで教えています。教会は神さまがかしらであり、私たちは各器官だとみことばにあります。教会は体であり一つです。しかし兄姉の中に壁が作られてしまいます。他の兄姉に対して、愛がなくなります。関心がなくなるのです。誰が病気しようが、問題によって苦しもうが自分さえよければ良いとなってきます。おなじ体の一部が痛んでも、気がつかない。体が麻痺してしまっています。自分が同じような症状であれば大変な病気であり、苦しむ深刻な事態です。しかし教会、兄姉となると、全く無関心という危機的状況です。その壁が悪魔に作られていることを知り、「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし」とあるみことばの剣で隔ての壁を打ち壊していきましょう。また親子関係、家族関係の中に壁が作られてしまい、憎しみ合います。そのように本来神が定めた法則の中で、一つにならなければならないものが、悪しき力によって破壊され、二つになり隔ての壁があるならば、今日神の権威よって打ち砕き一つにして頂きましょう。

最後に学びたいもう一つのことは、神様に対して隔ての壁が作られていませんでしょうか?今日午後は設楽原のためにウォーキングとりなしをします。みんなでこの地域を歩き、この地域がいやされるように、新城の祝福のために歩きつつお祈りする時を持ちます。しかし皆さんはこんな気持ちがないでしょうか?それは「自分が祈って何が変わるのだろう」という思いはありませんでしょうか?自分が祈っても何ら変わらない。ましてや国が変わるように祈らなければならないというと、私のような者が祈ったってなんにもならないと逆の信仰、確信をしっかり持ってしまいます。もうまもなくすると参議院選挙があります。今度はどこの政党が議席をのばすだろうか?誰が当選するのだろうか?と私たちは分析します。あなたはこの国の政治のためにお祈りしていますでしょうか?全能の神を信じているのにもかかわらず、自分がこの国のために祈っても、言い方がおかしいかも知れませんが、なんの足しにもならない。変わらないと隔ての壁を作ってしまいます。この国のために祈らなくてはなりません。今学校のことを例にとっても、子ども達が安全に学校へ行けなくなってしまいました。先週水曜日豊橋市にある小学校のために、その地域の祝福のためにお祈りに来て下さいという要請を受けました。先週学校の近くに刃物を持った人がウロウロしているという情報がありました。そのためその学校では、残っている児童を体育館に集めたそうです。そのために祈りに来てほしいと言うことで、ちょうど家庭集会があるので、その後行きますと言って計画していました。その水曜日の家庭集会中でした。その日、その同じ地域で中学生が暴行されたという事件があったとメールが届きました。その為その地域のために祈りに行きましたが、今安心して子どもたちを学校に送り出すことすらできなくなりました。昔はテレビの出来事で、そのような事件は特別で、まれな事件でした。ましてや自分たちの地域では全く関係ないと思っていました。しかし今私たちの地域でそのようなことがおきても不思議ではない日本になってしまいました。政府は教育基本法を国会で通し、その中で「愛国心と郷土を愛する態度を養う」「伝統文化を尊重し」とうたっています。「愛国心とは、神道を愛することであり、この神道の中心的な最高祭司こそ天皇であり、つまり我が国の郷土は、天皇を中心とした神の国であり、それを愛する教育をせよ」という考え方が含まれているというのです。 子ども達が、学校が今危ないのです。そのために祈らなくてはなりません。地域の学校、子ども達のために。また教育基本法などで悪しき力が働かないように、祈らなくてはなりません。しかし私が祈っても国は変わらない。私たちの祈りはそんな大きいことを祈っても答えられるはずがないと、祈りの中に壁を入れて来ます。しかし、力ある神によってその壁をとっていただきたいと思います。ヤコブの手紙五章にエリヤについて書かれています。ヤコブ五章十七節から十八節に、

『エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。』

エリヤは、私たちと同じような人でしたがとあります。エリヤは素晴らしい預言者でした。エリヤと自分を比べると雲泥の差。エリヤは神に愛された預言者であるが、私は何もできない小さな者。エリヤは特別な人だと思っていませんか?しかしみことばは、「エリヤは私たちと同じような人でしたが」とわざわざ書いてあります。他にも聖書は、「えこひいきのない神」だと書いてあります。思い違いをしないでください。今日私たちは愛されています。よくこの礼拝でも語られるみことばですが「私たちは神の製品ではなく、神の作品」です。神にいのちを与えていただき、すべての国民を犠牲にしてでもあなた一人を愛する神さまがあなたの神であることを信じて下さい。あなたを世界で一番愛してくださっている神さま。その特権を与えて下さったお方が、必ず祈りにたいして答えをくださることを信じて下さい。エリヤの記事が旧約聖書の第一列王記十八章前後に書かれています。時はアハブ王の時代の出来事です。アハブ王とは最悪の王だと記されています。今までの王の中でこれ以上悪い王はないと書かれています。またアハブの奥さんはイゼベルという女です。そんなアハブ王対してエリヤは戦いました。雨が降らないようにと祈ったときに、三年六ヶ月雨が降らなくなりました。国は大変困ったと思います。今九州地区で大雨が降っています。しかし少し前の報道では、今年も四国では水不足だと言っておりました。水はなくてはならないものです。水は命にかかわる問題です。このイスラエルも雨が降らず、水が大変不足していた時期でした。そんな中でアハブ王が信仰していた、バアルという神の預言者とエリヤが大胆に戦っています。第一列王記十八章三十二節から三十五節に、

『その石で彼は主の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ。」と命じた。ついで「それを二度せよ。」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ。」と言ったので、彼らは三度そうした。水は祭壇の回りに流れ出した。彼はみぞにも水を満たした。』

とあります。バアルの預言者四五〇人との戦いで、どちらの神が本物なのか戦う戦いでした。祭壇の上に雄牛をのせ、そこに祈りをとおして、祭壇に火を下す神が本物の神だと戦いしました。始めバアルの預言者たちが祈りました。しかし火が降ってきません。それを見たエリヤは「バアルの神は寝ているのではないか」「旅立っているのではないのか」と大胆に戦いを挑みました。結局火は降らず、エリヤの番になりました。先ほどのみことばのように牛を祭壇にのせ、その周りを溝を掘らせました。そして祭壇に四つのかめに水を見たし、祭壇に水をかけました。それを一度ならず三度して、その上溝にも水を満たしたとあります。この戦いはカルメル山という山でされました。そこは眺めが良い所です。イスラエル旅行でカルメル山に行ったことがありますが、とても眺めの良いところであり、遠くには地中海が見えました。エリヤは祭壇に水をかけなさいと言いました。当時干ばつで水が少ないとき、普通なら、地中海から海水を持ってきてかければ良いと思います。しかし原語では真水と書かれているそうです。三年六ヶ月雨が降っておらず、飲料水に困り、水は貴重品でした。誰もが必要としている時、真水を合計十二のかめに水を満たし、それを全部祭壇にかけました。そして溝にも水を満たしたのです。もしここで火が降らなければ、エリヤは四五〇人のバアルに仕えた預言者たち、またアハブ王や国民に殺されるのではないかと思います。しかし彼は堂々と行いました。そしてエリヤは祈りました。すると第一列王記十八章三十八節に、

『すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。』

とあります。主が火を下しました。全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまったとあります。太平洋戦争の時、広島や長崎に原子爆弾が投下されました。一瞬にして焼け野原となりになりました。あの原子爆弾は摂氏八三〇〇度だったとある本に記されていました。その本の中で、石の周りは焦げたが、石の中は焼かれなかったとありました。またちりまでは焼かれなかったとありました。しかしこの三十八節には、

『すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。』

主の火は完全です。あのものすごい破壊力があり、摂氏八三〇〇度もある原子爆弾よりも、もっとすごい火が振ってきてました。主がエリヤの祈りに答えてくださいました。そしてその後、四十一節から四十五節に

『それから、エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」そこで、アハブは飲み食いするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません。」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています。」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。』

とあります。エリヤが雨が降らないようにと祈ったときに、三年六ヶ月雨が降りませんでした。そして今度は雨が降るように祈りました。空に一つの雲もない、全く雨すら降る様子もなかったのですが七度目若い者が見に行くと、「人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言いました。その手のひらサイズの雲が出たときに、エリヤはアハブ王に「大雨に閉じこめられないうちに、車を整えて下って行きなさい。」と言っています。最悪である一国の王アハブに、逃げろと言っています。やがて激しい大雨が降ってきた。エリヤは祈ると答えられることを信じていました。あなたの神はエリヤの神です。

『エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。』

エリヤは、私たちと同じような人でしたとあります。私たちは神の作品です。神に愛されています。生きていると信じていながら、悪魔は神と私たちとの間に、壁を作ります。あなたの祈りは聞かれない。祈っても無理だと壁を見せます。しかしその壁を打ち砕きましょう。今日どんな状況があっても、手ほどの雲だけを見たにもかかわらず、まだ実際に降っていなくても信仰を持って行動しました。最悪の王も恐れず、大胆に祈りました。信じました。今日あなたがイエスキリストに信じて祈る時、エリヤと同様、あなたの祈りで国を変えることができます。あなたがいくら小さな祈りと考えていても、あなたの神は完全です。私たちが祈る時に口にするイエス・キリストという名前には救いがあり、勝利があり、祈りを答えてくださる権威があります。「エリヤは私たちと同じような人であった」エリヤの祈りで、大雨を降らせたように、日本のリバイバル、ハワイリバイバルミッションのリバイバルと勝利、またこの日本という国のために祈るとき、どんなにかすごいことを神さまがして下さるか期待しましょう。隔ての壁を砕きましょう。不信仰という壁を砕きましょう。あなたの神はエリヤの神と信じましょう。愛されています。あなたがみ言葉の剣を信じて、あなたが知らずに置かれた壁を、イエスキリストによって崩していただき、再度祈りましょう。大雨の音が聞こえます。今までどんなに祈っても答えられない問題も、大雨の音がします。国をも動かすことができる力。できないことのない神さまを信じて祈っていきましょう。お祈りします。


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