誰一人として滅びないために

2007.8.19(SUN)
新城教会牧師 滝元順師

新約聖書 ヨハネの福音書 3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。皆さんと共に礼拝を守ることができて感謝します。皆さんのお祈りに支えられ、私も忙しい中にありますが、守られていることを感謝します。今日も教会スタッフたちや新城教会の牧師たちが色々な場所で奉仕しています。ハワイ・リバイバルミッションの活動が行われていますが、皆さんのお祈りによって着実に前進していることを感謝します。
 大変暑い日が続いています。先週私はハワイにいましたが、日本の方がずっと暑いです。今週も十分に健康に注意し、主と共に歩んでいただきたいと思います。
 こんな小話がありました。

 「うちの母は暑いと氷でおでこを冷やします。先日も夜中にあまりにも暑かったために、暗やみの中をフラフラしながら台所へ。冷凍庫からあらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出しておでこに乗せて眠りました。翌朝目が覚めると、母の枕元には解凍されたイカが転がっていました。」

 今日は皆さんとともに「聖書の中の聖書」と言われる箇所から「誰一人として滅びないために」というタイトルで学びたいと思います。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

 「ひとり子」、「御子」とは「イエス・キリスト」のことです。イエスさまは「神」ですが、この地上に「人」として来てくださいました。それにはどんな意味があるでしょうか。

『御子イエスを信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』

 聖書は、「人間は皆罪人」という主張です。罪を多く犯すとか犯さないとか、少しは差があるかも知れませんが、生まれながらの人間は皆「罪人」です。
 赤ちゃんが生まれると、「可愛いね。罪も汚れもない顔をしている」と言います。しかししばらくすると、赤ちゃんにも罪の種が蒔かれているので、誰も教えないのに嘘をついたり、悪さをします。ローマ書三章十節から十二節に、

『それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」』

 「義人はいない。ひとりもいない」というのが聖書の主張です。どんなに正しそうに見える人がいたとしても、心の奥を見たら罪があり、罪人だと教えています。教会とは罪人の集まりと定義できます。牧師を含め、全員が罪人です。しかし神は罪人を救うためにこの地上にイエスさまを送ってくださいました。神は義なるお方であり、罪ある人間と一緒に住むことはできません。神は絶対的正義の中に住んでいるので、罪が少しでもあったら一緒に住むことができません。しかし、人間を罪から救うために、イエスさまはこの地上に来てくださいました。ヨハネ三章十七節から十八節には、

『神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。』

 主イエスキリストを信じる以前は、「既に裁かれている」と過去形で記されています。生まれながらの人間は、既に神のさばきを受けているとあります。そしてその行く末は「滅び」です。
 人類がどんなに努力してみても、滅びに向かっている現実に人々は不安を抱いています。現在、世界各地で戦争があり、どんなに戦争を止めようとしても止めることができません。先週はイラクにおいて、大きなテロがありました。報復に続く報復、悪の連鎖は止まることはなく、世界は滅びへと向かっています。ヨハネ八章三十四節には、

『イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。』

 「罪を行っている者は罪の奴隷」とあります。ある一つの事柄や悪い習慣に捕らえられて、どうにも抜け出すことが出来ない経験があるかもしれません。悪いとわかっていても、どうにもやめることができないのです。それは、すなわち奴隷状態です。しかしイエスさまがこの地上に来てくださったのは、そのような奴隷を解放するためであったというのです。
 先週私はハワイにいました。ハワイ・リバイバルミッションの働きが各方面に広がっています。一週間ほどいましたが、毎日忙しく活動させていただきました。今回のミッションは日本人だけではなく、日系人やアメリカ本土から渡ってきた英語圏の方々にも福音を伝えようとしています。現在、英語を話す教会に焦点を合わせて活動が進んでいます。ハワイには大きな教会があります。それはニュー・ホープという教会で約一万人以上が集まっています。自前の会堂はなく、日曜日は高校を借り切って礼拝をしています。パワフルな教会です。その教会に何とかミッションの案内をしたいと願っていましたが、大きな教会で色々とプログラムがあるので、なかなか難しいと思って祈っていました。
 しかし、ひょんな事から道が開かれました。その教会には多くの牧師がいますが、日系人牧師でロイ・ヤマモトという先生とティム・ケプラーが大変仲良くなり、また、私の友人のジョー・ハイト先生とも親しくなり、ロイ先生を通してその教会にも入ることができました。九月にはロン・ブラウンがその教会で五回のコンサートを行いミッションの案内が出来ることになりました。
 ロイ先生は罪の奴隷から救われたという大きな経験を持っている方です。先週私は彼と一緒に食事をしましたが、かつて彼は強度の麻薬中毒者で、何度も刑務所に送られ、最終的には刑務所から一生出ることができないほどの状況にまで陥ってしまいました。
 人間はどん底に行かなければ本気になって悔い改めることができません。彼はそんなどん底に陥り、そこでイエスさまに対して興味を持ったようです。牢屋の中で聖書を読み、イエスさまを信じたそうです。
 彼は一生を牢屋で過ごさなければならない不安の中で祈ったそうです。「神様。私を助けてください。牢屋から出ることができたら、あなたのために働きます。私の裁判の時にクリスチャン裁判官が与えられますように、そして証しが通じますように」と祈っていたそうです。

 すると彼の裁判の時、祈った通り、裁判官がクリスチャンだったそうです。それで彼がクリスチャンになって人生が変わったという証を聞いたそうです。それで刑は軽くされ、やがて彼は釈放されました。彼は牢屋の中の誓いを忘れずに教会に行くようになり、やがて牧師になりました。そしてニュー・ホープの牧師の一人に加えられました。
 しかし彼は自分の上司となった牧師を見てたいへん驚いたそうです。何と、自分の上司は、かつて自分の裁判の裁判長であったからです。何とその裁判官もイエスさまから、「あなたはもう裁判官を辞めて牧師になりなさい」と語られ、牧師になりました。そして現在、裁判長と元被告が同じ教会の牧師として働いています。ロイは体中入れ墨があるごつい男ですが、本当に優しい男です。私は、彼が日本に来たら新城教会に来てぜひ証してくださいとお願いしておきました。彼は特に牢屋に入っている人々に重荷を持っています。両親が逮捕されて牢屋に入っているような家庭の子どもたちを集めてミニストリーをしています。ティム・ケプラーも救われたのが麻薬中毒で捕らえられ、牢獄中でイエスさまを信じたという経歴があるので、彼らは互いに何も言わなくてもわかるみたいで、友だちになりました。

 罪を行う瞬間は楽しいかもしれませんが、やがて罪の奴隷となってどうにもならなくなります。そんな奴隷状態から助けることができるのは、イエスさま以外にありません。
 ガラテヤ人への手紙四章八節に、

『しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。』

 イエス・キリストを信じる以前は、神ではない神々の奴隷になっていたとあります。日本人は信心深くて神を信じているようですが、神々の奴隷となっているのではないでしょうか。日本の神々は、拝まなかったら祟るような神々、拝まなかったら苦しい目に遭わせる神々、救ってくれるどころか一度助けてらったら、それ以上の報酬を要求する神々です。人は神々の奴隷状態です。その正体は神ではなく、神の振りをした悪魔・悪霊どもです。生まれながらの人間は、神ではない神々の奴隷であるというのです。

 これまでオワフ島での働きが中心でしたが、今回はマウイ島でも決起大会がありました。三代川先生ご夫妻が私たちを招いてくださいました。そこで英語部の方々も合同で集会をしました。ジョー先生が司会で、私がメッセージ、そしてロン・ブラウンのコンサートがありました。
 三代川ご夫妻がクリスチャンになったのは、十五年前の甲子園リバイバルミッションでした。それまでの彼は、なんと天理教の布教師でした。自分の家が布教場で多くの信者を集めていたそうです。彼は天理教の幹部として働いていました。
 しかし、娘がクリスチャンになったそうです。それでちょうど甲子園ミッションの時に、娘がこう言いました。「お母さん、お父さん、大阪の駅前にホテルを予約したのでぜひ私に会いに来て…」
 彼らは娘に会いに行くため、長野県から大阪に出ていったそうです。しかしそれは娘の策略でした。娘は甲子園ミッションに両親を参加させるために、ホテルをとりました。両親は「キリスト教の伝道会なんて冗談じゃあない…」と言いました。しかし、「キリスト教がどんな教えをしているのかを見ても良いのでは…」と、甲子園球場に出かけたそうです。
 甲子園ミッションに行かれた方々は体験されたと思いますが、神の臨在が溢れていました。最後の招きの時に聖霊様が強く働かれました。メッセージを聞いている中で奥さんはたいへん感動したそうです。
 「今まで私は天理教の神を信じてきたが、それは本当の神ではなく、イエスさまが本当の神様だ!」と瞬間的にわかったそうです。それで招きの時にスタジアムから駆け下り、十字架のステージに出て行ったそうです。そのときに聖霊の強い臨在に触れられたそうです。奥さんが前に出て行ってしまったので、布教師のご主人もしかたなくあとに付いていったそうです。それでついでに彼も信じてしまったそうです。

 彼は天理教の幹部でした。人助けのように見えても、内部はドロドロした人間関係と権力争いで、何が宗教か?と言うような疑問が多くあったそうです。彼はその日から、「もっとイエスさまについて知りたい」と思ったそうです。
 やがてご夫妻はハワイに渡り、神学校に行き今は牧師になっています。マウイ島の一つの教会の日本語部牧師として働いています。今回ご夫妻は、私たちを喜んで歓迎してくださいました。
 神のような振りをしていますが、一度入ったらすべてを奪い取る悪魔・悪霊ではなく、本物の神様に従ったら自由になるのです。彼らは今、熱心にイエス・キリストを伝える存在に変えられました。それを見て私は、「神様は誰一人として滅びることを望んでおられない・・・」と思いました。
 娘さんが両親を甲子園ミッションに誘ったことも、神の深い計画があったと思います。そしてイエスさまはどんなバックグラウンドがあっても、すべての人が永遠のいのちを持ち、救われることを願っておられるのです。

 マウイ島に早めに着いたので、少し島内をとりなして祈りました。私は娘から一つのことを聞いていました。娘はハワイの事務局で働いていますが、以前、マウイ島に行ったときに神社を見つけました。それが「マウイ神社」でした。ハワイは移民の歴史を持っており、ハワイがアメリカ領になる以前から日本は移民を送っていました。江戸時代の末期からでした。それと共に、日本人はたくさんの偶像を持ち込み、ハワイに多くの神社ができました。
 しかし真珠湾攻撃と共に太平洋戦争が始まったときに、アメリカは神社は日本の戦争の根源的イデオロギーだから全部壊しました。
 しかしマウイ島の一つの神社は壊せませんでした。なぜなら、女神主が社殿に立てこもり、「壊すときにはワシも一緒に殺せ」と籠城したからです。その神主のおばあちゃんはまだ生きています。今年で九十四才になります。まだその神社の宮司をしています。
 私の娘が前回、そのおばあちゃんに出会ったそうです。すると日本人が来たと言うことですごく喜び、色々なことを話して、なかなか帰してくれなかったそうです。
 九十四年間の人生を蕩々と語ってくれたそうです。彼女は、「私の人生は苦しみの連続で、今まで、良いことは何一つなかった」と話したそうです。
 彼女は日本の神々に真剣に頼り、籠城までして一つの神社を助けたのにも関わらず、人生は苦しいことばかりだったと言い、今は淋しく神社の片隅に住んでいます。九十四才なので、いつ死が来てもおかしくはありません。
 それで私の娘が、「お父さん。あそこに行って神主のおばあちゃんに伝道した方が良いよ。あまりにも可愛そうだよ。」
 日本の神々はおばあちゃんを救ってくれませんでした。死んだら悪魔の奴隷なので、地獄に行ってしまいます。生まれながらの人間は神々の奴隷、悪魔の奴隷ですから、死んだら悪魔の支配している国に行ってしまいます。
 使徒二十六章十七節から十八節に、

『わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

 「キリスト教の救いとは何ですか?」と聞かれたら、一言で言うと、「永遠のいのちです」という答えが返ってくるのが普通です。しかしそれは救いの結果であって、救いとは、救われなければならない環境があります。それが「サタンの支配下からの解放」です。
 「救いとは何か?」、悪魔の支配下からの救いです。暗やみから光り、サタンの支配下から神の支配下に移されることが、イエス・キリストの救いです。
 その結果、罪が赦され、天国にはいることができると教えています。逆を言えば、生まれながらの人間、罪を犯し続ける人間は、死ねば永遠の滅びです。神々の奴隷、悪霊の奴隷ならば、死んだらどこに行くでしょうか。永遠に悪魔に支配される国に行ってしまいます。
 私たちクリスチャンは何をしなければならないのか・・・。それは、「ひとりでも滅びないために」働かなければなりません。
 教会は何のためにあるのでしょうか。それは、ひとりも滅びないためにあります。一度救われた者たちは、一人も滅びないために、永遠の滅び地獄に行かないために、真剣にイエス・キリストを伝えなければなりません。そのような使命を持っています。
 マウイの九十四才の神主のおばちゃんが、日本の神々に仕えてきたけど、全く良いことがなかったと話したそうです。最後に私の娘に抱きついて真剣に「また来て下さい」と言ったそうです。神主とハグしたのは生まれて初めてだったと言っていましたが・・・。
「お父さん、マウイに着いたら、すぐにそこの神社に行ってよ」と言いました。それで私たちは最初にそこに行きました。私はおばあちゃんに、単刀直入に話しました。「イエスさまを信じたら、天国に行くことができるよ」そしておばあちゃんに、「私の後について一緒に祈りましょう」と言うと、「祈ります」と言われました。
 彼女は「あなたの祈りにあわせて、私は太鼓を叩きます。」と言いました。私は、「イエスさまに祈るのに太鼓なんかいらないよ」と言いました。
 「今まで苦しいことがあったかも知れないけれど、天国に行くことができるよ」と話しました。どこまで通じているのかわかりませんが、私たちと一緒に祈ったら、絶対に終わりの日にイエスさまが彼女を救ってくださると確信を持って祈りました。私とジョー先生、ロン・ブラウンも一緒に神主のおばあさんに手を置いて、祈りました。おばあちゃんが神道の神々の奴隷から救われるようにと祈りました。
 おばあちゃんはイエスさまの奴隷となったと信じます。やがて私たちが天国に行ったときに、このおばあちゃんが、「あの時に来てくれて、私のために祈ってくれたから私は危機一髪で天国に来ることができた」と喜んでくれると思います。これだけでも、ハワイ・リバイバルミッションを開催した価値があると思いました。

 一人の人が救われるだけでも、大きな価値があります。今回ハワイ・リバイバルミッションが行われる「ワイキキ・シェル」は、五千人も入ることができる大きな会場です。何とか多くの人々が集まるようにという思いもあり、色々と協力要請をしていますが、その時、主が一つのことを語ってくださいました。
 もちろん大勢集まることも大切ですが、神のみこころは「誰ひとりとして滅びないためにあなたがたは働きなさい」「人々が救われるために、あなたがたは働きなさい」と語ってくださいました。
 生まれながらの人々は永遠の滅びに行ってしまいます。イエスさまはそのようなサタンの支配から解放し、自由を得させるために地上に来てくださいました。コロサイ人への手紙一章十三節に、

『神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。』

とあります。イエス・キリストを信じるならば、暗やみの圧制、すなわちこの世の神々である悪魔・悪霊から解放され、イエスさまの支配に移してくださったと教えています。
 イエスさまを信じたら、救われます。イエスさまが私たちの罪の身代わりとなって死んでくださいましたので、罪があっても罪のない者として認められ、神の支配の中に生きることができるのです。

 私たちは時々、「あの人は罪人だけど、私は罪人ではない」と言うことがありますが、神の目から見たら一円を盗んでも、一億円を盗んでも泥棒にはかわりありません。皆救われなければならないのです。
 ある時、盗みの罪で捕らわれた主人を解放してもらうために、奥さんが市長の所に来て訴えました。

「市長さん。夫を刑務所から出してください。一日も早く戻って欲しいのです。」
市長:「ご主人の刑期はどれくらいですか。」
奥さん:「三十日です。」
市長:「何の罪で牢屋に入ったのですか。」
奥さん:「盗みです。パンを盗んだのです。」
市長:「パンを盗んで牢屋に入られたのですね。わざわざ来られたのはご家族にとって良いお父さんなのですね。」
奥さん「いいえ。いつも子どもたちを殴っては、ギャンブルばかりしています。」
市長:「では、奥さんにとっては良いご主人なのですね。だから早く釈放して欲しいのですね。」
奥さん:「いいえ。あちらこちらで浮気をしているしょうがない夫です。」
市長:「ではなぜ、早く戻ってきて欲しいのですか」
奥さん:「はい、家のパンがもうなくなったからです。」

人はすべて罪人です。第一テモテ二章四節に、

『神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。』

 神様は良いお方です。誰一人として滅びることなく、救われることを望まれています。人間には死の恐怖が共通してあります。死のことを考えると恐怖があります。「死後どうなるのだろうか」と考えます。
 なぜ死後の恐怖があるのかというと、死後の世界があるからです。死後、主を信じなければ、悪魔の国に行かなければなりません。
 ヘブル人への手紙二章十四節から十五節、

『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

 イエスさまの十字架と復活は、死の力を持つ悪魔を砕くためであったとあります。死の奴隷からの解放です。ですから、クリスチャンは基本的に、死を恐れる必要はありません。もちろん苦しい目にあって死にたくはありませんが、死を恐れる必要はありません。永遠の国にはいることができるゆえに、私たちは死の恐怖から解放されるのです。
 世界は混沌としており、誰が見ても、これから百年、二百年、三百年経ったらどういう世界になるだろうかと心配していると思います。もしも戦争で核爆弾が使われるならば、人類はこの地上に生息できない環境が生まれるだろうと言われています。
 日本は世界で最初の核被爆国となりました。ハワイの真珠湾に攻撃をしかけたことによって太平洋戦争が始まり、その終結は広島と長崎に原子爆弾が落とされ、瞬間的に多くの命が奪われ、その後も放射能被害で今に至るまで多くの人々の命が失われています。今の原爆や水爆は長崎、広島で使われた原爆よりも何百倍という威力のあるものです。そんなものが使われた日には、地球はどうなるのか、自ずと知れています。

 世界は終末に向かっています。聖書もそのように預言しています。この人類の歴史は永遠に続くものではなく、やがて終わる日が来ると預言しています。人間の力ではどうすることもできない、お手上げという日が来ます。
 そんな中に神自らが介入され、歴史をストップする日が来ると言われています。しかしこの預言は、今から二千年も前に人類に与えられたものです。二千年経った今でもこの世は続いています。
 聖書は世の終わりのことを告げているが、それはおとぎ話ではないか。脅かしではないかと言われます。しかし第二ペテロ三章八節から九節で、

『しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』

 神が今、現代社会を滅ぼされずにとって置かれる理由は、「誰も滅びないで救われて欲しいから」です。社会は罪にまみれているけど神は愛の中で、「早くわたしを信じて救われてください」と招いておられるのです。

『ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』

 神は愛なる方であり、一人の魂を救うために全力投球してくださるお方です。私たちは罪の奴隷、神々の奴隷となり破壊的人生でも諦めなくても良いのです。イエスさまはあなたを救うために、この地上に来てくださいました。誰一人として滅びることを望まれない素晴らしい愛なるお方です。
 
 ハワイで一日の仕事を終え、私とロンさんとジョー先生たちと一緒に夜、コーヒーを飲みに行きました。皆でコーヒーを飲みながらすわって話していました。
 ふっと見ると一人の見たことがある男がコーヒーを注文していました。
 私は何ヶ月か前、九州に行きました。ある教会でハワイから来た一人の青年と会いました。彼は彼女が日本に来たので、後を追って九州に来たと言うのです。「あなたはイエスさまを信じていますか」と聞くと、あまり信じていないような雰囲気でした。私は彼と話しました。最後に、彼のために人生が変えられますように、彼がイエスさまとともに歩むことができるように祈りました。そしてハワイ・リバイバルミッションがあるので、ぜひ来てくださいと案内して名刺を渡しました。

 なんと、今回、ホノルルの端にあるコーヒーショップで彼と偶然会ったのです。私は彼に声を掛けると、ビックリしていました。
 私たちがその場にコーヒーを飲みに行かなければ彼には出会いませんでした。ちょっとでも時間がずれたら、会わなかったと思います。神の導きは不思議だと思いました。

 聞いてみると、彼は六月に九州から帰ってきたと言いました。なんと彼は、聖書を脇に抱えていました。とても熱心なクリスチャンになっていました。彼は一人の女性と一緒にいました。私はハワイアンのおばさんだと思い込み、ずっと英語で話していると、途中で、「私は日本人です」と言われました。
 彼女はハワイに十年ほど住んでいて、毎日ハワイの日に当たっていてハワイ人のようになっていました。
 私は彼女に何気なく言いました。「私は今、ここで活動していますが、ハワイはパラダイスのように見えるけど、一歩は入ると地獄のような所がありますね。特に、日本人で日本にも帰ることができず、アメリカ本土にも英語が不十分で行くことができず、ハワイでどうにもならない状況の中、身動きがとれない人たちによく遭うんですよ。」と言いました。

 すると突然彼女は涙を流しはじめました。何と彼女は、正にそれに該当する人でした。彼女は色々なことをしてきましたが、何一つうまくいかず、苦しんでいました。「私は、今あなたが語ったとおりの人生です。」
 神が私の言葉を預言的に使ってくださったと思いました。そこですぐに私は、「イエスさまがあなたを救い出してくださいます。」と話しました。
 彼女はコーヒーハウスのテラスで「私の人生を壊してきた悪魔の力から私を解放してください。自由にしてください。イエスさまを信じます」と涙を流しながら祈っていました。
 彼女の名前も、どこの人かも全く知りませんが、私が九州で出会った男性が教会に連れて行ってくれると思います。今回、この人のためにも私は遣わされた、と思いました。

 クリスチャンの生活は、何をしていてもただ一つの目的です。誰一人として滅びないために存在しています。
 皆さんの周りにも、放っておいたら永遠の滅びに行ってしまう人がおられると思います。どうにもならない状況で苦しんでいる人がいたら、どんなときにも福音を伝えなければなりません。
 ハワイはパラダイスのように見えるかも知れませんが、中に入ったならば地獄のようです。神は誰一人滅びることを望まないので、日本人もアメリカ人も、国、民族、言葉を越えて福音を伝えるために私たちを送ってくださったと確信を持ちました。
 目的はただ一つ、誰一人として滅びないためにです。ヨハネ三章十六節に、

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

 神様はすべての人を愛されています。箸にも棒にもかからないと見える人物でさえ、神の目から見ると、「高価で尊い」のです。お祈りします。


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