「目に見えない世界への確信」

2007.9.2(SUN)
新城教会牧師 滝元 順師

新約聖書 ヘブル人への手紙11章1節〜3節
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

 ハレルヤ!おはようございます。今日は礼拝でメッセージを語れますことを、心から感謝します。先週はリバイバル聖書神学校主催の「霊的戦いセミナー」がありました。私は今回、『霊的戦いと問題解決力』という本を出版しましたので、そのタイトルでセミナーを行いました。大勢の牧師先生や信徒の方々が全国から集まって下さいましたが、それに引き続き、今朝の礼拝にも参加して下さっている方々がおられます。全国の教会が心を一つにし、目に見えない敵と戦っていくならば、必ず、主のみ名の勝利がこの国に現されると信じます。偶然が重なって教会に来る人もあります。しかし、そのような中にも神の計画と出会いがあります。
 人の出会いとは不思議です。こんな小話がありました。

 「私の友だちは好きでもない人から、一ヶ月間、毎日お花を一輪ずつ贈られたそうです。その内、好きになったのかなあと思い聞いてみると、今付き合っているのは、毎日花を配達してくれた花屋のお兄さんだそうです。こんな出会いってあり?」

せっかく花を贈った人は可愛そうです。
 昨日、子どもたちが今朝の私のメッセージのために、真剣に祈ってくれました。それを見て感動したとある人が言われました。しかし、その祈りによく耳を澄ませると、こんな祈りだったそうです。
 「順先生のメッセージがあまり長くありませんように・・・」

 もう少々、ついでに小話を紹介すると、「家族で牛丼を食べて店から出ようと壁沿いにドアに向かって歩いていたら、八歳の息子が突然壁に向かって『あ〜っ』と声を出した。何をやっているんだと思ったら、「お客様の声をお聞かせください」と書いてあった。

 「僕の弟は面接官に、ジなんですかと聞かれた。緊張して、座り方が変だったかなあと首をかしげながらも丁寧に座り直して、「いえ、違います」と答えた。すると面接官は驚き、「えっ、ジなんじゃないのですか?」と聞いた。弟はムッとして「違いますよ。」と声を高くし、結局、面接は失敗に終わった。弟よ。おまえは次男だ!」

 毎週、日曜日に教会に来て、一週間の始まりに主を心から賛美し、ちょっぴりくだらないジョークを聞いて、さらには神のみ言葉を聞いて帰るならば、きっと素晴らしい一週間を過ごせると信じます。

 さて、今日は、「目に見えない世界への確信」というタイトルで学びます。ヘブル書十一章一節から三節には、信仰についての定義が書かれています。一般的に、信仰の定義は曖昧だと思います。しかし、聖書は信仰の定義を次のように教えています。

『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。』

 「信仰」とは、「目に見えない世界があることについて確信すること」です。
 第二コリント四章十八節に、

『私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。』

とあります。私たちの身の回りには、見える世界だけではなく、見えない世界が広がっています。天地宇宙を創られた神の世界があることを知識的に知り、それを確信し、確認することが信仰です。
 神が私たちのただ中におられることを信じておられますか。もしもそのことに目が開かれたら、人生は大きく変わります。
 現代社会の人々は、見える世界だけに目を留めて生活していますので、見えない世界について関心を持ちにくい環境があります。それらに関心を持っている人々は少ないかも知れません。「目に見えない世界がありますよ」と言うと、「あなたの精神は大丈夫ですか?」などと言われそうな風潮があります。しかし、神はおられ、見えない世界もあります。

 そもそも現代人は、見えない世界の恩恵を受けています。皆さんが持っている携帯電話は、目に見えない電磁波によって通信が可能になっています。今こうしている間にも、空間には無数の電波が飛んでいます。目に見えない世界の法則を使って、生活を豊かにしています。
 それ以上に、神がおられることを知る必要があります。それも私たちから遠くにではなく、見える世界のただ中におられることを知る必要があります。
 今、この礼拝の空間のただ中に、天地宇宙を創られた神、イエスさまがおられます。また毎日の生活のただ中にもおられます。この確信を持つならば、私たちの人生は変わってきます。礼拝を通し、私たちを愛し、守っていてくださる、完全に良い方であるイエスさまを感じたいと思います。
 ローマ人への手紙一章二十節に、

『神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。』

 神がおられるのを証明しているのは、自然界だと聖書は告げています。私たちの回りの自然はたいへん豊かです。日本は四季がはっきりしているので、これから秋に向けて最も美しい季節です。素晴らしい自然の変化を楽しむことが出来ます。

 今週、私はハワイに行きますが、ハワイに行くと日本とはまた違った自然があります。今年私は何度もハワイに行っていますが、ハワイ・リバイバル・ミッションのために行くので、あまり自然をじっくり見る機会がないのですが、移動中に海を見ると日本とは全く違った景色に感動します。

 さて話は変わりますが、今週のハワイの働きのために、ぜひお祈りください。私は、リバイバル聖書神学校の授業が火曜日の一限目から三限目まであり、三時限目が二時半に終わったらすぐに新城を出発して、空港へ向かいホノルルへ飛びます。そして、ホノルルに着いたらすぐにテレビ局に行って番組の収録があります。「TBN」というテレビ局での収録です。
 今年はテレビを通して福音を語る機会があり感謝しています。五月にはスペインでのテレビ放送を通して集会を行いましたが、今回は、ハワイにて出演することになっています。私の、『主が立ち上がられた日』という本を、ドリアさんが英訳してくれまして、現在、アメリカで販売されています。世界で一番大きなキリスト教テレビ局がTBNですが、ハワイ局のプロデューサーに本を差し上げたら読んでくださり、とても感動されたそうです。日本の片田舎、新城で一九九二年二月に起こった霊的戦いについて興味を持ち、ぜひ番組を作りたいということで私の出演が決まりました。ぜひ、うまく話すことができるように祈ってください。それによって、ハワイ・リバイバルミッションも変わってきますし、人々の救いにも関わると思います。

 また、日本時間で七日、金曜日にハワイの英語圏の牧師たちが集まってのミーティングがあります。アメリカ人教会関係のために、ジョー・ハイト先生が頑張ってくださっています。神が用意されている出会いはすごいと思います。
 全日本リバイバルミッションの働きは、人により頼んで行うのではなく、神の導きによって進んでいます。それらを見るだけで、目に見えない世界があり、神がともにおられることがよくわかります。
 先週は私の娘が新城に戻ってきて、皆さんに挨拶をしたそうですが、彼女たちはアメリカ人スタッフと共に奉仕をしています。私の娘と泉さんとジョー先生の娘のチェルシーさん、また、今度、ロン・ブラウンさんの娘さんも加わって奉仕をしています。黄色人種、白人、黒人と、全人種がそろって一致してチームを組んで奉仕しています。そのような構成は普通ではなかなか難しいことです。それも、こちらから頼んだのではなく、神様が一人ひとりに、「あなたはハワイに行き、今回のリバイバルミッションのために働きなさい」と語られ、神からの促しを受けて集まった者たちです。きっと十月は素晴らしい主の勝利を見ると信じています。十月にハワイに来られる方も、来ることができない方も、ぜひ、共にこの戦いに参加し、日本及び世界のリバイバルを祈っていきましょう。
 私たちのただ中に神が住んでおられます。そして、被造物を見るならば、神がおられることがわかると聖書は語っています。そのことを専門用語で「一般啓示」と呼びます。自然や天体の偉大さを見るならば、その背後に、それらを創造した神がおられることを理解できるのです。
 ローマ書一章二十節に、

『神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。』

とあります。素晴らしい自然を見たら、神はいないなどとは言えないのです。
 けれども、人間は愚かにも、天地宇宙を創った神を信じず、続くローマ一章二十二節から二十三節で述べられているように、

『彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。』

とあります。
 天地宇宙を創られた神がおられることを認めず、人を神としたり、鳥や獣、また、地を這うものなどを神としているのです。これが人類の最も大きな「勘違い」です。そして、この理解が狂うと、人類全体の方向性が狂うと教えています。
 日本の神々を見ると、そこには人が神となって祀られています。受験の神として「菅原道真」が天満宮に祀られています。またこの近くには、白鳥が神になっている「白鳥神社」もあります。豊川稲荷では「狐」が神となっています。「白蛇神社」やも架空の動物・「竜」が祀られていたりしています。これは実際、愚かなことです。
 天地宇宙を創られた神を認めるならば、人生は豊かになりますが、その前提が崩れると全てが崩れるのです。

 「ドミノ倒し」とは、最初のドミノがうまく倒れると次も倒れ、次から次へと崩れて行きます。しかし最初がうまく倒れないと、他は崩れません。
 人生も同じようです。人生ドミノの最初の一枚が倒れると、二枚目、三枚目、四枚目と倒れていきます。その最初の理解が神についての理解であり、人間や鳥、獣や這うものなどと勘違いしたら大変な倒れ方になるのです。
 最初の前提が狂うと次のドミノが倒れます。どんな領域が倒れるのかについて聖書は教えています。それが続くローマ一章二十四節から二十五節にあります。

『それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。』

 偶像礼拝の結果として倒れるのは、家族や人間関係が倒れます。その原点にあるのが「性的乱れ」だと聖書は教えています。「それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡された」とあります。
 不品行、姦淫などの性的罪が世界に満ちています。それで良い結果は生まれていません。一人の男性と一人の女性が結婚して正しい結婚生活に歩んでいるならば、家族も祝福され、子々孫々祝福を受けます。しかし、そのシステムが狂ったら、社会は大混乱します。さらに、この性的乱れがオーバーランしている現実を、世界や日本にも見ます。

 スペインに行きましたが、スペインの地下鉄やバスに乗った時、気持ちの悪いものを見ました。それは男と男、女と女が手をつないで歩いていたり、抱き合ってキスしていたりという姿です。スペインでは男と男、女と女が合法的に夫婦になれる異常な国です。この法律を作ったときの首相は同性愛者でした。それがスペインで最も大きな社会問題です。同性愛者が三割ほどいると言われます。ローマ書一章二十六節から二十七節に、

『こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。』

 今世界の驚異はエイズです。エイズにかかると悲惨です。若い人でも枯れるように死んで行きます。その姿はあまりにも悲惨です。その病気が同性愛から来ていると言われています。「罪の支払う報酬は死だ」とあります。世界中のドミノが倒れている状況が目の前にあります。家族の中に性的乱れがあると、それが代々受け継がれていきます。おじいさん、おばあさんが離婚すると両親、また息子娘たちも離婚していくのです。
 また両親が浮気をすると、息子、娘も浮気します。孫たちの代にも受け継がれます。信じられないような罪の連鎖があります。
 先日インターネットのニュースで、次のようなニュースを見つけました。

 「人間の性行動と遺伝的要因を明確に結びつけた初の調査が英国で行われた。十九才から八十三才の女性の双子一六〇〇組以上を対象に、過去の性的行動について実施した英セント・トマス病院研究者らの調査結果によると、『浮気をしたことがある』とした人のうち、『遺伝的要因による』と判断されたのは、四十一パーセントに昇り、この数字は、遺伝の影響でガンなどの病気を発症する割合より高かった。」

 なんと、浮気も遺伝的なものだというのです。このニュースを見て、見える世界だけではなく、見えない世界と人がつながっているのではないかと思いました。それが、天地宇宙を創った神を意識せずに、「手で作った神々」を拝むときそのような結果が現れるのです。家族も社会も壊れてしまいます。さらには、国も壊れてしまうと聖書は警告しています。

 教会に来ると、見えない世界の法則を知ることができ、人生の前提をどこに置いたら良いのかを知ることが出来ます。その結果、崩壊した人生が回復していきます。
 教会に来るきっかけは、色々な問題や苦しみが多いですが、それが回復していきます。教会に来たときは、「私の生き方の選択は間違っていた。私の行動は間違っていた。私が生まれた環境が悪過ぎた」などと理由を言います。
 もちろんそのような要因もあるかも知れませんが、原因の根源にあるのは、見えない世界との関連性です。

 実は目に見えない世界には、私たちを創られたれ神の世界の他に、もう一つの世界があります。それは、目には見ませんが人を苦しめようと狙っている、悪魔とその一味、悪霊どもの世界があるのです。
 「信仰は目に見えないものを確信させるもの」とありますが、単に、神様だけをキャッチするだけでは不十分です。敵に関しての理解がないと人生は惨めになります。人生には見えない敵が存在するとはっきりわかったら、真の神がどれくらい素晴らしいかがよくわかります。
 第一ペテロ五章八節に、

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』

とあります。目には見えませんが、ライオンのような恐ろしい存在である悪魔が、「食うものはないか・・・」とウロウロしているのです。もしも、ドラえもんにでも頼んで、「目に見えない世界が見える眼鏡」でも出してもらったら、びっくりすると思います。
 「こんなに恐ろしい環境なのか!」と回りにいる敵を見て驚く事でしょう。家や社会にライオンが放し飼い状態です。
 そして、人々を苦しめるために悪魔が用いている道具が、何と、「手で作った神々」なのです。それを餌に、人を引き寄せ、霊的ライオンが人に食らいつくのです。

 今日は午後から「霊的戦いセミナー」を行います。今回、私が書いた本から、新しい情報をお伝えしたいと思います。なぜ、手で作った神々を拝んでしまうのかという原因についてお話したいと思います。
 それは、「物の中に霊が宿る」という考え方があるからです。携帯電話の中から声が出ても、誰一人中に人が住んでいるとは思いません。
 もしも、携帯電話を二千年くらい前の縄文時代や弥生時代に持ち込んでシステムが使えたらどうでしょうか。
 「みんな集まって、これをちょっと見てください」と携帯電話を差し出すと、「何だいこれは?綺麗なものだね」と言って触れると思います。すると、中から声が聞こえます。「俺に気軽に触るな!」
 「えっ?今声が出たぞ。誰か中に住んでいるのか?」
それで恐る恐る、「今声が出たけど、だれか中にお住まいですか。」と聞きます。
 すると「そうだ。俺は図体は小さいが結構強力な神だぞ。この物体の中に住んでいるんだ。俺の言うことを聞かないと、お前たちは大変なことになるぞ。俺の言うことを聞け!」と言います。
 「そんなバカな…。ちょっと、あなたが神である証拠を見せてくれますか?」
「よし、証拠を見せてやろう。明日の今頃、ここに嵐が来るから気をつけろ。嵐に巻き込まれて死ぬことがないようにしろよ。俺が明日の今頃、嵐を送るからなっ。」
 人々が天を見上げると、「嵐など来るはずがない。こんなに晴れていて…」と言います。しかし、携帯電話は嵐の前兆などの天気予報がわかります。
 翌日、小さな物体が予告したとおりの事が起こります。みんなは、「嵐だ!あいつが言ったとおりだ。あの物体は神に違いない。」と、嵐が過ぎ去ると多くの人たちが正装して携帯電話の回りに集まってきます。
 「お見それいたしました。あなたが言ったとおりでございました。あなたは私たちの神様です。これから守り神になってください」と、次の日から携帯電話を祭り上げ、「携帯電話大明神」ができるかも知れません。
 携帯電話から「腹が減ったから飯を持ってこい!」と声が出たら、人々はすぐに持って来るでしょう。また、「金を持って来い」と言えば金を持ってきます。携帯電話から出る声に人々は騙されてしまいます。
 しかし現代人で携帯電話の中に神が住んでいるとか、人が住んでいるなど考えている人は誰もいないはずです。「バカな。冗談を言うな。これは人の声を運ぶために使われる媒体にしか過ぎない」と言うでしょう。

 偶像礼拝のカラクリも同じです。手で作った神々を拝むと霊感を感じます。神社や寺に行って拝んだり、仏壇で拝むと、「先祖がいるかも知れない・・・」という霊感に騙されて手を出します。しかし、その後ろには見えない獅子が隠れていて、飛びついて人生を引き裂きます。「物に霊が宿る」という考えが、騙しの根源です。そのような事を今日の午後は詳しく、色々な方面から学びたいと願っています。

 私たちの身の回りには、見えない世界が広がっています。私たちを創られた良い方、神がおられます。見えない世界の構造を理解することが信仰です。

 最近、物理学や天文学の世界に、大きな話題があります。先週、NHKテレビで「未来への提言」という番組をやっていました。その中で、一人の女性物理学者、「リサ・ランドール」という人物が紹介されていました。彼女の理論が現在、世界で大きく注目されています。もしかしたら、「アインシュタイン以後、最大の発見かも知れない」とも言われています。そして、彼女の理論が本当かどうかの検証が、今年の秋、スイスで行われるとNHKの特集でやっていました。興味がある方は本も出ていますので、読んでみてください。
 私たちが住んでいる空間は三次元空間に時間軸を加えたものです(それを四次元と呼んでいる)。立体の中に住んでいます。ゆえに、立体の中なら自由に旅することができます。私はハワイに行きますが、飛行機を使って空間を飛んでハワイに着陸することができます。
 しかし彼女の言うのには、私たちの生きている空間を超えた五次元の世界があり、さらには、五次元以上の世界があるかもしれないと言うのです。彼女は二〇〇六年のニューズ・ウィークの「キーパーソン」に選ばれました。
 それらは、今まではSFや宗教の世界であったのですが、科学の世界で証明されると言うのです。目に見える世界よりも高次元の空間が存在し、それも遠いところではなく、私たちの住むただ中にその空間があるというのです。宇宙とは五次元の空間中に、四次元空間がカーテンのようにぶら下がっているようなものと推測しています。そのように考えると、相対性理論では解明できない点もクリアーされるそうです。私たちは高次元空間については全く見えず、わからないのです。しかしそれは何も新しい理論ではなく、聖書が元々告げている世界です。

 平面に住んでいる人がいたとします。『フラットランド』という小説があるようですが、フラットランド人という、平面に付着しているような人たちがいたとしたら、そこに球が平面を突き抜けたとしても、人々は球が突き抜けたとは理解できないというのです。
 平面の人たちにはどのように映るのか、それは、初めは小さな円が出てきて、それが次第に大きくなり、また小さくなってプチンと消えるようにしか映らないのです。球体が降りてきたとはわからないのです。

 私たちの空間を越えた、見えない空間がありますが、私たちはその全容を理解することはできないのです。粒子と粒子を衝突させる実験の中で、バラバラになった素粒子を集めたら同じ量になるはずなのに、その一部が消える現象が起こるそうです。消えるとは、この宇宙から消えることを意味します。そこから研究が進み、高次元の次元が存在するという理論が全世界で注目されているのです。

 しかしそんな理論が出てこなくても、聖書は二千年も三千年も前から「目に見えない世界がある。人間を越えた世界が私たちのただ中にある」と教えています。私たちの目には見えませんが、神はおられ、また、敵である悪魔・悪霊たちもいます。それは遠いところではなく、私たちの空間のただ中に存在しているのです。
 イエスさまが、「神の国はあなたがたのただ中にある」と語られましたが、正に、聖書が告げているとおりです。
 また聖書は、やがて天体は焼け崩れ、消えてしまうという、世の終わりについて教えています。第二ペテロ三章十節に、

『しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。』

 「宇宙が焼け崩れて消えるとは、SFでもあるまいし…」と言うかも知れませんが、宇宙が五次元の中に浮いている幕のようなものならば、ちょうどカーテンに火がついて燃え落ちるのと同じように、四次元空間が消えてなくなることは十分にあり得るのです。聖書はその事をはっきりと告げています。

 イエスさまを信じるならば、立場が変えられます。エペソ人への手紙二章三節から六節に、

『私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――』

とあります。私たちの人生の前提が間違って、手で作った神々を拝むと、ドミノが崩れるように全て倒れます。
 しかし私たちがイエス・キリストを信じることによって、今まで犯したすべての罪が赦されるのです。これは私たちの努力や修行ではなく、すべて恵みであり、神からの一方的なプレゼントです。罪も「赦してあげる」と言われます。そればかりか、フィルムの逆回しのように倒れたドミノが全て立ち上がるのです。六節に、

『キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。』

とあります。神は次元をも創造し、それらを越えたお方です。そんな、すべてを貫いておられる、神の国の住人になると教えています。肉体は地上で過ごしているかも知れませんが、『ともに天の所に座らせてくださいました』ということは、霊は神の空間に生きているのです。
 ゆえに、クリスチャンはこの地上から出ることがあっても恐れません。なぜならば、命は神の国にありますので、神は私たちを永遠に責任を持ってくださいます。あなたはすでに天の所に座っており、神の国の住人であると教えています。

 目に見えない世界に対して、さらなる確信を持ってください。真の神・イエスさまがおられること、そして、人生を壊そうとしている獅子がうろついていること、そしてその原因が偶像礼拝であることを理解しましょう。今社会が大きなダメージを受けている根源は、本当の神様ではなく、手で作った神々を信じているゆえです。

 しかしイエスさまを信じて、目に見えない世界に対して正しい理解と確信を持つならば、人生はもう一度回復するというのが聖書の教えです。
 今週、見える世界だけに目を留めるのではなく、『見えるものは一時的で、見えないものはいつまでも続く』とありますので、目に見えない世界に関心を持ちましょう。私たちとともにイエスさまがおられます。次元を越えた偉大な神、イエスさまがともにいてくださることを覚えましょう。
 悪魔は色々な罪という餌をばらまき、そこに寄ってきた人間を食おうとしています。しかし悪魔のまいた餌から離れるならば、人生は喜びに満ちたものとなります。

 今日ひとりひとりに素晴らしい祝福がありますように。特に目に見えない世界にはっきりと確信を持って人生を歩むことができるよう、お祈りしましょう。
 これから聖餐式を持ちます。聖餐式はぶどうのジュースとパンの一片を食べる時間ですが、実は、目に見えない世界とのつながりがあります。これをみ言葉と神の霊によって行う時に、何と、イエスさまと一つになるのです。ともに天の所に座らせてくだるというみ言葉が実現します。今日は私たちの罪が赦され、きよくされ、決して獅子に食われることがないようにお祈りしたいと思います。もしも私たちの家系の中に、浮気の遺伝子があったら消えますように。家庭が壊されることがないように、神の勝利の人生を受け取ることができるように祈りましょう。

(告白の祈り)
「イエスさま。今、私たちはあなただけを神とします。私たちのただ中に、イエスさまがおられることを心から感謝します。背後に働いている、敵の力から完全な勝利を与えててください。かつての偶像礼拝によって受けている、悪い影響を打ち砕いてください。家族の中に問題が起こりませんように。家族や夫婦が壊されませんように守ってください。今まで倒れた人生を、すべて起き上がらせてください。神の計画の中に生きることができますように。神の国の中に生きることができますように。イエスさまのみ名によってお祈りします。アーメン」


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