「空には虹が、街には花が」

2007.9.9(SUN)
新城教会副牧師 滝元 開師

 今日は皆さんとともに新城教会の歴史の中で初めて「賛美礼拝」を行うことが出来、多くの賛美を主にささげることができ心から感謝いたします。賛美の中に住んでおられる主が、私たちの思いを越えた中に既に働いてくださっていることを信じ、感謝します。

皆さんのお祈りに支えられてZawamekiの働きも支えられています。尊いささげ物と祈りの支援を強く感じています。また今週の木曜日からハワイリバイバルミッションの決起大会として、Zawamekiが出かけていきますので、ぜひ引き続きお祈りいただきたいと思います。今回ハワイへもう一度行くようにと主が導いてくださいましたが、経済的に不足を感じつつ、主が行けというのならば、必ず満たしてくださるという信仰を持ってチケットを購入しました。そして、いよいよチケットの支払いの前日に、あと数十万円が不足していました。しかし、その前日のZawameki新城大会において、主はその必要な分だけをピッタリと備えてくださいました。神様はハワイリバイバルミッションを確かに導いてくださっていること、そして、神様が「わたしが必要を満たし、そして、遣わすのだ」言っておられる、この現実を目の当たりにしたとき、神様を恐れるとともに、神様の働きを一つ一つしっかりと受け取って働かなくてはいけないと痛感しました。今回のハワイ訪問を通して、主のみこころを百パーセント行うことができるようにぜひお祈りいただきたいと思います。 

今日は「空には虹が、街には花が」というタイトルで学びます。

私たちの人生の中で、また、リバイバルの戦いにおいて、どうにもならないという状況下におかれることが時としてあります。ハワイの日本人教会で礼拝を守っているクリスチャン人口は五百名ほどですが、お年寄りが多いのです。白髪の方がたくさんいることを見ます。ハワイリバイバルミッションの会場のワイキキシェルは二千名以上、詰めると三千から五千名が入ることができ、そこをいっぱいにするのは人間的に見るならば勝ち目のない働きだと思います。そのような中でも神様がこの働き、戦いを進めてくださっていることを感謝します。第二歴代誌二十章十二節に、

『私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」』

これはヨシャパテ王が祈った祈りです。「私たちには力がありませんが、ただ私たちはあなたに目を注ぐのみです」とヨシャパテ王が祈ったように、私たちも今回の戦いを主に目を注いで前進していくことを心から願っています。またハワイという遠くの働きだけではなく、私たちの日々の生活の中でもどうしたら良いかわからない、これから先に進むことができないような問題、人間的には解決がつかないような問題の中で私たちがするべきことは、ただ神様に目を注ぎ続けることが大切だと思います。ハワイリバイバルミッションは、イエスさまご自身が進めてくださる主の戦いであることを信じます。二十章十六節から十七節に、

『あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。』

とあります。主がはっきりと語っておられるのは「この戦いはあなたの戦いではなく、わたし戦いだ。あなたはしっかり立って動かずにいなさい」と言われています。そして、「あなたがたとともにいる、主の救いを見よ」とあります。イエスさまがともにいるから「この戦いはわたしの戦いでわたしが勝利する」と約束してくださっていると信じています。

 五月にハワイに行ったときに、ハワイミッションは主の戦いだと強く感じたとともに、神様は確かにともにおられると確信しました。私たちがハワイに到着して二日目に二つの賛美のプログラムを持ちました。一つはダイヤモンドヘッドの頂上で賛美をするプログラム、もう一つはトローリーバスに乗ってワイキキの街に賛美を響かせようというものでした。まず朝六時にダイヤモンドヘッドの駐車場に集合し、十九名の方とともに山に登り賛美しました。その中で神様の深いご臨在がありました。ダイヤモンドヘッドの上は決して広い所ではありません。しかも世界中の観光客が来る場所なので広くない場所に私たちが上がって大声で賛美したらどういうことが起こるかと考えました。「せっかく私たちはここまで来たのに…うるさいなあ」と言われてもおかしくないと思いました。そんな心配をしながら上に登っていきました。その時イエスさまが私の耳にはっきりと「心配するな」と語ってくださいました。心配しなくても良いと信じ、山に上がっていきました。上にはすでに数人の人がいましたが、賛美をし始めると人がいなくなり、普通は、後からどんどん上に上がってくるのですが、上がってくる人もいませんでした。そこがすっぽりと主のご臨在に包まれた状態でした。眼下にはワイキキシェルが見え、山があり、そして、海が広がっていますが、四十分ほど歌い続けて最後から二曲目の時に、海から海にかかる大きな虹が見えました。イエスさまがここにいるという約束を確信しました。ハワイに住んで十年間宣教されている先生が「こんなにはっきりと見えた虹は初めてだ」と言われていました。神様が働いてくださり、素晴らしい主のご臨在とイエスさまの約束のしるしであるみ業を見ることができたことを感謝します。そして夕方はトローリーバスに乗ってワイキキの街を巡りました。その中でも主が共にいて下り、私たちが賛美をしていると多くの人が賛美の声に振り返りました。それと同時に運転手の方がとてもファンキーな方で賛美に合わせて鐘やクラクションを鳴らしながら進んでいくので、街の人は何事かと思って怪訝な顔で見ます。街の人や観光客が振り返えりますが、その顔が賛美をしている皆を見て「ワー」と笑顔に変わっていきました。その顔はワイキキの街にパアッ!パアッ!と花が咲いていくような姿でした。今回ハワイにおいて空には虹をもって「わたしはともにいる」ということを現してくださり、また街には、魂の救いの花が咲き乱れるという約束を見ることができて心から感謝します。二十一節に、

『それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」』

賛美をささげる中で神様のご臨在が現されるとともに敵の力を打ち砕いてくださることを信じて歌い続けていきたいと思います。ヨシャパテ王を率いる軍隊とアモン人、モアブ人、セイル山の人々という連合軍との戦いでしたが、現代に置き換えてみるともっとわかりやすいと思います。敵は戦車、またマシンガンを持った兵隊たちが攻めて来るところで、かたや私たちはギター一本かついで戦いの一番前で歌いながら進むようなものです。人間的な常識では到底考えられないような状況下で歌うのです。そんな時こそ神様は助けてくださると信じ切って賛美するのです。これこそ究極の賛美ではないかと思います。現代においても、完全な信仰を神様からいただき、神様を賛美し続けていくときに神様が働いてくださり、私たちの思いを越えて神様がみ業を行ってくださることを信じ、歌い続けて行きたいと心から願います。聖霊様の働きは私たちの目に見えない領域で、私たちの手が届かない領域で働いてくださるものだと思います。ヨハネの福音書三章八節に、

『風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」』

風はどこから来てどこに行くかわかりませんが、聖霊様の働きはそのようなものです。どうしてこんなことが起こったのだろうかというのが聖霊様の働きなので、そのことを主に期待しつつ、聖霊様の働きを歓迎しつつ進んでいきたいと願います。昨年のZawamekiの働きの中で一つのキーワードがありました。それは「どうしてか、わからないのですが…」というものでした。あちらこちらの集会でアンケートをいただくと、「どうしてかわかならいけど涙が出た」とか、「感動した」というアンケートを、クリスチャンではない方からたくさんいただきました。昨年の秋に関東地方のひとつ教会の集会にクリスチャンではない方が参加されていました。集会中その方は賛美を一緒に口ずさむことをせず、ただ見ておられました。集会が終わり彼女は『Zawameki10』のCDを買って行かれました。その方が残されたアンケート用紙を見ると、このように書かれていました。

「感動に心が震えました。どうしてかわからないのですが・・・・。」

とありました。実はその方が、一週間前の東京でのZawamekiの集会に来られました。終わってから私の所に来られ「覚えていますか」と言われました。感謝なことに覚えていたので、「覚えています」と話しました。すると彼女がこのように言われました。「私はうつ病でした。やっていたお店もたたんで何もできないでいました。でも、あの後『Zawameki10』を毎日聞きました。そうしたら段々元気になり、すっかり元気になってまた再び店を始めることができるようになりました。本当に感謝します」と伝えてくださいました。「最近元気が少なくなったので今日また来ました。また元気になりました」と言われていました。クリスチャンではない方なので「一人で勇気を振り絞って来ました」と言われていました。

 賛美の中で聖霊様ご自身が働いてくださいます。私たちはただ主に目を向けて「神様あなたを礼拝します。あなたを賛美します。主に感謝せよその恵みはとこしえまで・・・・」と賛美する中で、私たちの思いを越えた中に主は働かれ、私たちの中にある問題の背後に潜む暗闇の力を神様ご自身のご臨在によって打ち砕く業を成してくださることを信じて歌い続けていきたいと思います。ハワイリバイバルミッションまであと四十日ですが、これからの一日一日の中に、また本大会の中でも「どうしてかわからないけど、神様が働いてくださった」というみ業を期待していきたいと思います。そこには、花が咲き乱れるような魂の救いのみ業がハワイの地に現されることを信じます。また私たちの生活のただ中に、少し萎れてしまったような領域にも新しい祝福の花が咲き乱れるようなことが起こされていくことを信じ、皆さんも今まで以上に賛美をささげていただければと心から願います。第二歴代誌二十章二十二節から二十四節に、

『彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。アモン人とモアブ人はセイル山の住民に立ち向かい、これを聖絶し、根絶やしにしたが、セイルの住民を全滅させると、互いに力を出して滅ぼし合った。ユダが荒野に面した物見の塔に上ってその大軍のほうを見渡すと、なんと、死体が野にころがっている。のがれた者はひとりもない。』

とあります。戦いの真っ直中で賛美をささげた結果、主が働いてくださり、「逃れた者が一人もいない。根絶やしにする主の勝利」がその地に現されたというみ言葉の約束を信じて歌い続けていきたいと思います。

 私と家内で刑務所でのコンサートをするために皆さんにはお祈りいただいていますが、その中にもイエスさまが働き初めてくださり、魂の救いのみ業が、花のつぼみのように少しずつ開き始めいることを見せていただいています。コンサートが終わると、必ず一人の受刑者が私たちの前に立って感謝状を読んでくださいます。以前行ったときに私たちは「主の愛が今」をスペイン語で歌いました。それで私たちがスペイン語ができるのだろうかと思ったのか、「今日はどうもありがとうございました。スペイン語で少しご挨拶をさせていただきます。・・・・今日のコンサートが大変良かったです」と言われ、その方の中にもイエスさまの愛のつぼみがふくらみ始めたことを見ることができました。また度々受刑者の方々が手紙をいただくようになりました。その手紙の一部を少し紹介いたします。

この度、当刑務所にて音楽慰問に来てくださりありがとうございます。

前日から雨が続き音楽設備等の準備もいろいろと大変だったと思いますが、私たち受刑者のためにお時間を作ってくださり心から感謝いたします。

お二人の唄う歌の詞は、われわれ受刑者の心の奥になんともいえない部分に“グッ”と打ちつけるものがあります。受刑者全員が同じ気持ちではないかと思いますが犯罪を犯して刑務所に来ている自分たちは、人を傷つけそして自分自身の心を自ら傷つけてきました。刑務所の中には、やむにやまれず罪を犯す人もいます。自分の心の弱さや誘惑に負けてしまい罪を犯す人もいます。ほんの一瞬の心の迷いが罪につながりその結果、自分が犯した罪によって刑務所へ来てしまったことで、今までの社会生活の中で自分が作り上げてきた社会的地位や信用、友人や恋人を失い、そしてなによりも今後、社会で生活していく自信を失ってしまいました。

そんな心境で受刑生活をしている中でお二人の唄う歌を聞いてとても勇気づけられ夢や希望を持つことができました。「どうせ俺は犯罪者だ!」と自分の心の奥底にある気持ちに対して家族でも友人でもないお二人が、手を差しのべてくださったことで、この受刑生活の中で今後社会生活をしていく上でどのようにすればいいのか前向きに考えることができ目標を持つことが出来ました。

受刑生活を終え社会生活という大海原へ出て行くとき、不安や心配ごとがたくさんあります。犯罪者というレッテルを張られ世間からは冷たい目で見られるとは思いますが、世の中そんな人ばかりでないと信じ、お二人から貰った勇気と自分自身を信じて、そして少しだけ神様に支えてもらい努力していきたいと思います。お二人のご好意、心から感謝致します。本当にありがとうございました。二〇〇七年六月 被収容者より」

 神様がこの日本の最も深いところに訪れてくださり、救いの花を咲かせ始めてくださっている姿を見て心から感謝しています。日本のリバイバル、世界のリバイバルのために、イエスさまがひとりひとりの心に訪れ、その心の闇を打ち砕き、そこに主の祝福の花を咲かることを始めようとしておられます。さらに主を賛美しましょう。賛美の中にある祝福をもっと体験して前進していく者でありたいと願います。


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