あなたの病はいやされます

2007.9.23(SUN)
新城教会牧師 滝元 明師

旧約聖書 出エジプト記15章26節
そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 ハレルヤ!皆さんおはようございます。今日はここでメッセージさせていただけることを心から感謝しています。
 ハワイリバイバルミッションも近づいています。皆さんの祈りを心から感謝します。先週はそのために断食を皆さんにお願いしましたが、お祈りいただけましたでしょうか。中学一年生の子供も、三食毎朝食事をとらずに祈って学校に行ったと聞き、非常に励まされました。
 リバイバルミッションのほうに断食祈祷の登録がなされ、それを見たら、三日間断食すると言われる方がありました。私はその方々に電話をし、「断食ご苦労様です。大丈夫ですか」と話しました。九州のほうの牧師先生に、「先生、三日間断食されているようですが大丈夫ですか。」というと、「大丈夫ですよ。私はよくやりますので平気ですよ。一週間くらいでも良かったですが」と言われました。
 先日も、ハワイ勇士祈祷会があり、断食をされている方は手を挙げてくださいと言うと、ハワイでは半分くらいの方々が断食されていました。皆さんもぜひ祈ってください。今度のハワイリバイバルミッションに期待しています。よく準備されており、祈られているので、必ず、良い集会ができると信じています。今日が恐らく、ハワイミッション前の私の最後のメッセージ番になるのではと思います。私は十月九日にこちらを出て、十月二十三日くらいまで奉仕をする予定です。あちらに行き、色々な教会を回って祈り会などの集会をすることになっているので、ぜひお祈りください。
 この教会からも多くの方がハワイに行ってくださることになってます。今のところ新城教会から百数名が行ってくださることになっています。また、行かれない方々も、背後で真剣にお祈りください。今日は、ハワイミッションで私がメッセージをするつもりで、行かれない方々のためにメッセージをしますので、今日はハワイミッションに参加しているつもりで、聞いていただきたいと思います。私は色々な所で話していますので、どこで話したかわかりません。重複するところがあるかも知れませんが、ぜひ、み言葉を捕らえて帰っていただけたら幸いです。今日は、「あなたの病は癒されます」というタイトルで話します。

『そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」』

『わたしは主、あなたをいやす者である』、というみ言葉を、声に出して読んでみましょう。このみ言葉をハワイに行ったつもりでお読みください。この聖書のみ言葉は、神様の言葉です。本当に信じることができ、自分のものにすることができたら、素晴らしい祝福です。ここには条件が記されています。

『もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。』

とあります。これは神様が出エジプト記の中で、エジプトから解放された人たちに約束された言葉です。「わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。」とありますので、私たちも信仰を持って、『わたしは主、あなたをいやす者である』と信じましょう。

 『イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも同じです。』とあります。ハワイで主が臨んでくださり、現実に癒される人が多い集会となるように祈っています。奇跡が起こるように祈ってください。癒されることは多くの人の願いです。
 私は七ヶ月間ほど全国を回りながら、決起集会をしました。色々な所に行き、私は祈りながらメッセージの準備をしています。

 二〇〇四年に沖縄に行くと、その教会ではメッセージのタイトルを先に付けていました。だからそれに対して合わせなければなりません。そこでは、「起死回生の救い」とありました。わかりますか。「起死回生」起きる、死ぬ、回る、生きるということですが、これを辞書で調べると、「死のうとするところを生き返らせること」、死にかかっている人が生き返らせるような救いという意味です。
 今年七月十四日に、東北の久慈という所に行きました。そこにもメッセージタイトルが書いてありました。行くまでメッセージタイトルがわかりませんでした。それは、「スピリチャルの真髄、本当の心の癒し」というタイトルでした。私は知恵をいただいて話し、大変恵まれて多くの人がイエスさまを信じて救われました。

 癒されること、また私たちが健康であることは大切なことです。よくここで話されることですが、神様のみこころは私たちが健康であることです。ヨハネ第三の二節に、

『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』

とあります。今日病気の方はいますか。神様の願いはあなたが「健康であること」です。私の願いではなく、神様の方で健康を願っておられます。健康は神様のみこころです。私は今度ハワイに行きますが、健康で行けるように祈っています。

 昨日私の孫たちが、私の誕生祝いをしてくれました。ケーキに七、八と書いてお祝いしてくれました。ハワイから孫の契が、「おじいちゃん、誕生日おめでとう!ハッピーバースデートゥーユー♪」と歌ってくれました。とても嬉しかったです。私は七十八才になりました。七十八才は年寄りか若いかどちらかと思いますが、若いと思ってはいますが、正直、そんなに若くはないので、上からの力が必要だと思います。

『日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。』

というみ言葉が、私は大好きです。ヨシュアがエモリ人とカナンの地で戦ったときに、彼は神によって大勝利しました。その時、彼が、「日よ。ギブオンの上で動くな!」と祈りました。日とは太陽です。「太陽よ。動くな。月よ。動くな」と命じたとあります。
 神様はその祈りを受け入れて一日中、太陽は動かなかったとあります。これは歴史上にあったことですが、すごいことです。太陽に向かって、「日よ。動くな」と祈って、そうなったということは、私にもできると思います。

 「私の健康よ、動くな」と祈ることができるかも知れません。神様は健康を守ってくださいと祈ることができます。私は神様からのみ言葉を握っています。
 二〇〇二年十一月に北海道に行きました。その時は十三日間断食し、真剣に祈り、関西でリバイバルミッションを四十日間行うべきかどうかという時に、み言葉が与えられました。そのみ言葉を鮮明に覚えています。十一月の終わりで、雪がたくさん降った日でした。詩篇九十二篇十節です。

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。』

 私は感謝しました。「角」とは「権威」のことですが、神様が権威を与えて、新しい油を注いでくださると信じました。また詩篇九十二章十四節に、

『彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。』

とあります。このみ言葉をいただいたときに、「やったー!」と思いました。ですから私は七十八才まで健康で来れたことは感謝です。
 健康は大切なことです。私が台湾に行ったときに、私の通訳をしてくださった先生は、非常に元気な方でした。「先生。健康の秘訣は何ですか。教えてください」と言うと、その先生は中国ではこう言われるそうです。
 「快食、快眠、快便です」と言われました。「快食」とはよく食べること、「快眠」とはよく眠ること。「快便」とは通じがあることです。皆さんの中でよく食べることができない、眠ることができない、排便ができないということは、少し問題があると思います。しかし私は今日まで健康で来ることができたことを感謝しています。去年は脱腸の手術をして少し入院しましたが、今まで伝道生涯五十三年間、走り続けました。これも神様の恵みだと思います。

 先週は大阪の教会で説教しました。午後の時間に敬老の日で、老人たちだけが集まり、お祝いがありました。「最後に滝元先生。質問があります。今日まで健康で来れた秘訣を教えてください」と言われました。私はこう答えました。「よく眠ることです」と、答えました。私が若いときから決めていることは、夜はどんなに遅くても十一時半までには寝ること。朝は五時に起きることです。色々な所で集会があって十一時半を過ぎると延長しますが、眠ることに注意します。だから今日まで健康でした。また一番の大きなことは、イエスさまを信じたおかげで、今日まで健康で来ることができました。十九歳の時からです。十九歳の時にイエスさまを信じて、たばこを止め、酒も止めました。そのおかげで今日まで来ることができました。
 また、私が病気にならないために必要なことは、あまり心配をしないことです。くよくよ悩んでいると病気になります。だから心配しないことです。ペテロ第一の手紙五章七節に、

『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』

とあります。他の箇所に、

『あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』

とあります。思い煩いとは、分を越えています。あれをどうするか、これをどうするか…何年後はどうするか…などと心配します。しかし、「一日の苦労は一日に十分ある」から、心配事は委ねなさい。神様の方であなたのことを心配している、と聖書が教えています。ですから、心配事を委ねましょう。また、自分を知恵ある者と思わないことです。箴言三章七節からに、

『自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。』

とあります。時々、「俺は神がなくてもやっていける。」と思うかも知れませんが、間違いです。とにかく、「主を恐れなさい。悪から離れて生活しなさい。そうしたら、体を健康にし、あなたの骨に元気をつける」と記されています。

 また、もう一つは、病気になりやすい人は、怒りっぽい人です。箴言十四章三十節に、

『穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。』

とあります。すぐにカッとなる人がいます。先日私は、郷里に行ってきました。私の先輩は喧嘩をして負けてくると、父親が、「バカ野郎。死ぬまでやれ!負けて帰ってくるな…」と言ったそうです。その人はよく喧嘩して怖い人でした。その人は就職してから、喧嘩して、友だちを殴り殺し、自殺していまいました。
 もう一人よく知っている人で、彼もよく喧嘩をしていました。彼は佐久間ダムの工事の時に人から殺され、ダムのコンクリートの中に詰め込まれました。もう一人、私の友だちでよく怒った人がいました。彼は病気で動けなくなっています。

『穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。』

とあります。しかし健康の秘訣は箴言十七章二十二節に、

『陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。』

とあります。教会に来ると陽気です。賛美して心を躍らせています。教会に来たら健康になります。しかし病んでいる方、現実的に病気の方もいます。ヨハネの福音書五章五節から八節に、

『そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」』

とあります。
 エルサレムにベテスダという池があります。そこに病気の人が伏せっていたと書かれております。日本の聖書には、三節と四節が訳されていません。そこに時々、天使が降りてきて水をかき混ぜますが、その時に水の中に入ると癒されたそうです。
 三十八年間病気の人がいましたが、皆が早く入ってしまうので入ることができませんでしたが、いつか望みが来ると思っていました。そこにイエスさまが来てこう質問しました。
 「良くなりたいか。」と言われました。今日病気の方は、「良くなりたいか」と聞かれたら、「良くなりたいです」と答えると思います。そしてイエスさまが、「起きて床を取り上げて歩きなさい」と言われました。するとすぐ癒されたとあります。
 ですから私たちは集会に出て、信仰を持たなければなりません。『わたしは主であって、いやす者である』と聞いたら、「今日は、先生なかなか良い説教しているなあ」と思われる方、また、「祈りが足りないなあ」と思われる方もいるかも知れません。また「先生、同じような話をしているなあ」と思われる方もいるかも知れませんが、それはどうでも良いのです。
 『わたしは主であって、あなたをいやす者である』というみ言葉が語られたら、捕まえなければなりません。そうしたら、あなたのものになります。肉体的な病気は、日本の医学はとても進んでいますので、医者によって直ることができたり、自然に治ることがあります。

 しかし、心の病気はなかなか難しいところがあります。心の病気になる人は気が小さい人が多いです。私の兄は亡くなりましたが、ある時私に電話があり、「明。家の系統は皆、気が小さいから気をつけろよ」と言われたことがあります。私の兄弟、家系は皆、気が小さいです。気が小さいというのは、案外まじめです。また精神的に、病気になる確率が高いのです。
 しかし感謝なことに、私もイエスさまを信じたおかげで、気が小さいけど、大きな強いイエスさまに信頼したから、今日まで来ることができたことは感謝なことです。
 詩篇一四七篇三節に、

『主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。』

とあります。今日私は祈っています。「精神的に病の人が癒されますように」と祈っています。イエスさまには不可能はありませんので、新城中の精神的な病を持っている人々が、皆教会に来て癒されたら素晴らしいです。信仰を持っていきましょう。

 また最近は、家庭が病んでいます。病院に行って、「先生。家庭が病気です。診察してください」と言われても、診察ができません。家庭の病気でもひどい病気があります。最近、十六才の娘が警察官のお父さんの首を切ったり、火をつけて殺してしまったりとか大変です。しかしお金があってもなくても、病気の家があります。家庭は親によりますので、親がしっかりしなければなりません。
 聖書には、『妻たる者よ。夫に従いなさい。夫たる者よ。キリストに従いなさい」とあります。お父さんがしっかりしなければなりません。しっかりとイエスさまを信じたら、家庭が祝福されます。ですから、良い家庭を持ちましょう。色々な問題があります。結婚しても、長い間には色々な問題があります。特に家庭に問題がある人は、不倫やギャンブルなどがあり、離婚もあります。価値観の違いがあります。

 ある教会に行くと、ある娘に出会いました。彼女は結婚していました。子どもがいたので、「久しぶり、元気?」と言うと、その娘が、「私、離婚した」というのです。「なぜ離婚したの?」と聞くと、「価値観が違うのです」と言われました。
 その家で綺麗な自動車を買い、運転していたそうです。ある時に、奥さんが運転していたら、運転を誤って電柱にぶつけてしまいました。車がグシャグシャなってしまいました。そういう時は悲しいです。そこで夫に電話をしました。「あなた、事故を起こしちゃったの。来て、助けて!」と言うと、ご主人が来て最初に言ったことは、「バカ野郎。こんなに良い車を駄目にして…」と、奥さんを殴ったそうです。ご主人は奥さんと、自動車のどちらに価値を付けたと思いますか。自動車はまた買うことができます。それを、「バカ野郎。」と言うのです。ある人は物に重きを置き過ぎて、奥さんを大切にしない人がいます。ですから、「こんな男とは一緒にいることができない」と思ったようです。

 しかし本当は互いに主を恐れて、イエスさまを信じて解決しなければなりません。家庭が回復されなければ行けません。教会に来てクリスチャンになった人、この教会は幸せな人が多いです。

 また家庭の中には、経済的な病気もあります。今度、ハワイミッションがあり、行ける人と行けない人がいます。「なぜ行けないの?」と聞くと、「お金がない」と言われる方が多いです。私が色々な所に行き、「行きたい人は手をあげてください」と言うと、なかなか手が上がりません。金があるかないかとすぐに考えますが、金は関係なく行きたい人は手をあげてくださいと言うと、手が上がりました。しかしお金がないという人がたくさんいます。
 しかし聖書には、『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』とあるので、経済的にも信仰を持たなければなりません。
 先週の日曜日に、ゴスペルサパーがありました。その前の週に、四元雅也先生が私にこう言われました。「滝元先生、ゴスペルサパーでメッセージしてくださいませんか?」と言われました。しかし私は、「駄目です。今度の日曜は、大阪で説教をします」と断りました。
 しかし午後二時に大阪の教会での集会が終わったので、すぐに帰ってくると、五時半に教会に着きました。ですから、ゴスペルサパーに出ることができました。その時の雅也先生のメッセージはすごかったです。
 ある方が、新城教会は素晴らしいと言われていました。牧師がいなくても、副牧師先生が良い説教をしていると言われました。とても良い説教でした。その時に雅也先生が、「神は愛です」と話されました。
 イエスさまは一方的な愛で愛してくださいますが、この世の中の偶像は愛ではない。取引のある愛だと話されました。拝んだら良くするし、拝まなかったら罰を当てる神だと話されました。
 その中で面白い話をしていました。日本の神の中に、「恵比寿」という神がありますが、恵比寿神社がありその隣に「貧乏神」が祀られていました。そうしたら、恵比寿の方には大勢の人々が来て一生懸命拝みますが、貧乏神の所にはだれ一人来ないのです。
 貧乏神は悲しくなって恵比寿に相談したそうです。「どうしてこっちには来ないのか・・・」と恵比寿に相談したそうです。
 すると恵比寿が良い知恵をくれました。それは何でしょうか。その神社の前に立て看板を出したそうです。「もしも、皆様方が私のところにお越しくださらなければ、私の方から、あなたの家に出張させていただきます。」
 すると、貧乏神が来ては困るので早速、皆が神社に来て拝むようになったそうです。

 しかし、聖書はイエスさまを信じたら、あなたがたを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせるとあります。本気でイエスさまを信じたら、必要が与えられます。マラキ書三章十節に、

『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』

とあります。収入の十分の一をささげたら、祝福されるとあります。やってみてください。十分の一をイエスさまにお返しするのです。必ず祝福されるとあります。皆さんの家庭が経済的な病気から解放されることができます。

 また病気の中にはサタンから来る病気があります。恐れや憎しみ、呪い、束縛、不品行など悪霊が入れる病気があります。悪霊から来る病気に対しては、悪霊に立ち向かわなければなりません。
 私は色々な教会の先生に電話します。「ハワイミッションに行かせていただきます」と沖縄の先生から電話が来ました。その先生の奥さんの出身は宮古島です。人口四万人の島ですが、その島にはノロやユタ(霊能者)がいて、小さな宮古島の中に拝所と呼ばれる場所が九百箇所以上あるようです。
 そしてその家のおばあさんはノロであったそうです。空中を飛んだり、様々なことをするようです。先生のお母さんもユタでした。
 しかしその家には悩みがあったそうです。先生の四人の兄弟、皆が変な死に方をしたようです。自殺や交通事故、ガンなどでした。なぜでしょう。こんなに神様に仕えているのに…と思っていました。それは、神の振りをした悪魔でした。それがわかり、イエスさまを信じて今は素晴らしい牧師になりました。私たちの健康の秘訣は、偶像礼拝から離れることです。
 出エジプト記二十三章二十四節から二十五節に、

『あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。』

とあります。信仰を持ちましょう。この教会は幸いに偶像を憎んでいます。健康が与えられます。偶像礼拝から離れることは大切です。

 日本の教会を回ると、教会が病気にかかっています。多くの人が教会から出て行ったとか、病気にかかっています。教会の中に憎しみや分裂、争いがあるのはよくありません。教会が癒されることが大切です。
 一九九二年二月十三日にここに聖霊が注がれました。そして同じ年の九月に、多くの人がこの教会から出ていきました。しかしある意味で、この教会は癒されました。霊的戦いによって癒されたこともありますが、私にとってもう一つのことがありました。
 甲子園リバイバルミッションの前に、県民の森に行き、十日間断食をして祈りました。その前に、「主よ。どんな罪でも悔い改めますから、教えてください。罪があったら赦してください。力が足りません」と祈ったときに、イエスさまが私に言われたことは、「教会から出ていった人、分裂を起こした人、反逆した人、色々と悪い噂を言った人、引きずり出した人たち、悪口を言った人たち、全部の人を心から赦しなさい。また赦すだけではなく、祝福しなさい。」と語られました。
 その時私は、一人一人の名前をあげて祈りました。赦すだけではなく、姉妹たち兄弟たちが病気にならないように祝福してください、と祈りました。
 そして最後の時に、「この人を赦します。祝福します」と祈った時に、私に力が注がれました。その時にイエスさまが大きな声で、「立ちなさい。さあ、行くのです。」と語られました。
 私は泣きながら山を下りました。赦した、祝福したことがこの教会の祝福です。皆さんの人生の中でも、赦さなかったら祝福はできません。ですから心から赦しましょう。

 また、国家も病気になります。今日本は病気だと思います。毎日殺人があります。昔はありませんでしたが、今は毎日のようにあります。これは大変な病気です。性的にも乱れています。また最近は、警察官でも罪を犯します。一番信用しなくてはならない人たちですが、罪を犯しています。また社会保険庁の上の人が着服したとか、罪だらけです。
 世界は沈没の寸前にあります。レビ記十八章二十五節に、

『このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。』

とあります。スマトラ沖の大地震でジャワ島に津波が来たことをテレビで見ました。飲み込まれていく姿を見ました。
 最近日本も災害が多いです。最近台風がありましたが、東北の人が私たちは七十年生きていますが、こんなことは今までありませんと言われました。すごいハリケーンが来るとか、地震があったりします。
 聖書には、『罪のために吐き出す』とあります。ですから、私たちは日本が神様の前に国家の罪を悔い改めるように、祈らなければなりません。今日は自民党総裁選ですが、予測では福田さんが勝利すると言われています。指導者たちのために祈らなければなりません。特に私たちは国家のために祈る必要があります。
 第二歴代誌七章十三節から十四節に、

『もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』

 日本の祝福はクリスチャンにかかっています。本当に国のために祈ることができるのは、クリスチャンです。ですから聖書には、「わたしの名を呼び求めているわたしの民」とあります。イエスさまを信じている民が、自らへりくだって国家のために赦しを祈ること、そして地を癒してくださいと主の顔を真剣に悔い改めて祈るなら、『「わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』とあります。特に祈ってください。日本ほどクリスチャンが少ない国はありません。それはある意味で、教会が祝福されていないからです。真剣に先祖たちが偶像礼拝をした罪を悔い改めて、日本に癒しが来て、日本にリバイバルが来るように真剣にお祈りましょう。癒しの根源はイエスさまです。イエスさまが癒すことができます。今日病める方の希望はイエスさまです。イザヤ書五十三章四節から五節に、

『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』

「彼」とは誰でしょうか。「彼」とはイエスさまです。二千年前に人となってくださった神のみ子・イエスさまです。だからこう読むと良いです。

『まことに、イエス(彼)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。イエス(彼)は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、イエス(彼)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。イエス(彼)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、イエス(彼)の打ち傷によって、私たちはいやされた。』

 イエスさまの打ち傷によって私は癒された。今日イエス様を信じますか。「アーメン!」信じる人は今日病気が癒されることを信じましょう。

 心配事のある人、良くなりたいかという質問に対して良くなりたいという方は、信仰を持ってください。また心が病んでいる方、また家庭が病気の方、経済的な病気になっている方、サタンから来る病気、恐れ、憎しみ、不品行がある方も信仰を持って祈りましょう。
 また国家のため、教会のためにもお祈りしましょう。大きな声で「イエスさま、良くなりたいです。癒してください」と祈りましょう。


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