教会に託された使命

2007.10.7(SUN)
新城教会牧師 滝元 順師

新約聖書 エペソ人への手紙 3章7節〜11節
私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。二週間足らずで「ハワイリバイバルミッション」が始まります。私たちは大変慌ただしい毎日を過ごしていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
 私はこの二年間ほど、ほとんど風邪を引いたことがありませんでした。しかし、先週は少し風邪を引いてしまいました。ちょっと寒くなってきたので、風邪など引かれませんように祈ります。時々、風邪を引いたりして、熱が出たりすると、「健康って感謝だな!」と思います。普段あまり病気をしていないと、病人の痛みがわからないですが、たまにそのようなことがあると、感謝できることも素晴らしいと思います。

 「ハワイリバイバルミッション」のために、ぜひお祈りください。連日、色々な宣伝活動が現地では行われています。それが効果的に用いられるようにお祈りください。今日ハワイは土曜日ですが、明日はチラシ配布が行われるようです。ハワイでは日本のように、チラシをメールボックスに投げ込むのは違反となります。メールボックスは郵便屋さんしか扱ってはいけないのです。そこでどうしたら良いかと考え、「ドアノブチラシ掛け作戦」ということが行われるようになりました。チラシをドアノブにかけると、家に入るときに必ず見ます。主がそのようなアイディアをくださいました。
 今回のハワイリバイバルミッションも、「プレイズ出版」なくしてはできません。十五年前に甲子園ミッションを始めたとき、自分たちの手で印刷を手がけるようになりました。なぜならば、時間がない中で印刷物を造らなければならないので、信弘先生は素人でしたが、中古の印刷機を買ってきて、自分で印刷を始めました。それが徐々に発展し、今では多くの人が働いており、全国の教会関係の印刷物を一手に引き受けるようになりました。すべての印刷設備が整っているので、ハワイの方で、「こんなチラシを刷ってください」と頼まれたら、アイディアが出た次の日には印刷が始まっている勢いです。すごいと思います。特にハワイ側で印刷物を担当しているのは岡本泉ちゃんで、信弘先生の娘です。すぐにそれが具現化されます。
 このチラシを皆さんの家の扉に付けたら、ハワイミッションに行くことができなくても、ハワイミッションのために祈ることができます。ぜひお持ち帰りください。

 またラジオやテレビなど、色々な媒体を通して宣伝がなされていきますが、ぜひお祈りください。ハワイに行かれる方も行かれない方も、これを一つの働きとして受け取って、互いに支え合っていきたいと思います。
 ハワイは島々に囲まれています。リバイバルミッションは、オアフ島という二番目の島で行われます。ホノルルにあるワイキキシェルという会場で行うことになっています。会場には五千人程入ることができます。三日間、いっぱいにするのはなかなか大変かも知れませんが、主が行ってくださると信じています。

 何ヶ月か前にハワイに行った時、ある人が私の所に来てこう言われました。「順先生。私は不思議な夢を見ました。この夢を解き明かすことができますか?」
 金魚鉢に金魚がいっぱい入っており、金魚がどんどん増えて、最後には金魚が金魚鉢のガラスに引っ付き、溢れる夢を見たと言われました。そして、金魚鉢は三つあったそうです。
 それを聞いた私は、「それはハワイ・リバイバル・ミッションのことではないか」と思いました。私は会場を見ながら常々、金魚鉢のような格好をしている、ミッションのロゴマークを見ても、金魚が泳いでいるようなイメージに感じていました。その夢が預言的な夢であり、連日、人々で満たされると良いと思っています。ぜひお祈りください。

 ハワイという場所も、日本と同じように偶像礼拝が長く行われてきました。霊的な土壌は日本と全く変わらず、共有する部分が多くあります。ですから、日本で祈ることが、ハワイの勝利につながります。日本で祈っていても、確実にハワイの暗闇の土台を打ち破る祈りが出来ます。

 先日私とジョー先生、そしてジョー先生の友人のトム先生とハワイ島の為のとりなしの祈りをしました。ハワイ島の西端の誰も来ないような場所に行って祈りました。
 そこには多くの石が積まれた、ハワイの神々を祀る「ヘイワウ」、神殿がありました。それもハワイ最古の神殿です。それが出来たのは、千年以上前のことですが、そこにある瓦礫のような石たちは南方の島、タヒチから運ばれたものだといわれています。タヒチからハワイ島まで、直線距離にして四千キロ以上あります。そんな遠方から、わざわざ石を運んで神殿を作ったそうです。その理由は、タヒチには霊的にパワフルな神殿があり、そこの石を持って来て神殿を造れば、同じ霊的環境になるという考え方でした。
 長い間ハワイで偶像礼拝が成されてきました。人間の一番根源にあるのは、霊的世界を最優先する考え方です。四千キロも離れたところから、わざわざ石を運ぶということは、相当、何らかの力や現実性がなければできません。
 日本でも石や木や金属を拝んでいますが、調べてみると、ハワイの神殿も日本の偶像礼拝の様式とほとんど同じです。北海道小樽近郊にある神殿跡地にも、同じような形式で石が積まれています。それは三五〇〇年前に縄文人たちが作ったと言われています。縄文人はハワイアンと同じ、南方系の海洋民族でした。ゆえに同じような偶像礼拝の形式を世界中にもたらしたと言えます。
 ハワイアンのシャーマン(霊能者)が石に描いたペトログリフという象形文字のようなものがあります。しかしそれは北海道でも発見されています。同じような意味合いだというのです。何千キロ、何万キロ離れていても、やっていたことは同じです。
 人類が行ってきた事柄は、真の神を礼拝するのではなく、神の振りをした悪霊を招く行為と施設を世界中に作ったことでした。日本もハワイも同じ霊的土台の上に建てられています。ということは、私たちがこの日本でサタンの力を打ち砕く祈りは、同時に、ハワイを揺り動かす祈りにもなります。また、ハワイで勝利がとられるならば、日本の土台も勝ち取られるのです。
 今日は午後からハワイのために祈る一時を持ちます。現在どんな働きが成されているのかについても現地より報告があります。

 今日は「教会に託された使命」について学びます。教会とは何か?についての教えを聖書から受け取り、この戦いに勝利していきたいと願っています。エペソ三章九節に、

『また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。』

 神は天地万物を創造されましたが、決していたずらに万物を創ったのではありません。私たちがこの地上に生きているのには、深い意味があります。あまり深い意味は考えていなくても、人生の中には奥義が隠されています。
 『万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義』があるとありますが、聖書は、『はじめに、神が天と地を創造した』と記されています。過去のある時点で、神は天と地を創造されたのです。そして二節からは、「地球」に視点が向けられ、創造の過程が記されています。

『地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。』

新共同訳では、『地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。』となっています。地球はかつては混沌としていた、無秩序であったというのです。
 私は大学生の時に物理学を勉強しました。今はほとんど覚えていませんが、その中に「熱力学の法則」というのがありました。第一法則は、熱エネルギーは変換されても和は一定という、エネルギー保存の法則です。暑いから部屋を涼しくしようといってエアコンを入れると、部屋が涼しくなりますが、一方、外では暑くなるのです。それらを足して二で割ると一定です。
 続いて熱力学の第二法則は、「エントロピーの法則」です。エントロピーとは無秩序という意味です。宇宙には無秩序状態はどんどん増していくという法則があります。
 皆さんの部屋も放っておくと、どんどん汚くなります。相当、エントロピーが増大した部屋に住んでいる方もいるかも知れません。今朝、家内から「少しは自分の部屋を片付けたら…」と言われました。かなりエントロピーが増大している部屋に私は住んでいます。人が手を加えない限り、どんどんと無秩序さは拡大していきます。元の状態に戻ることは決してありません。
 水の入ったコップがテーブルから落ちて粉々に割れることがあっても、粉々に割れた破片が回りに散らばった水を集めながらテーブルの上に戻るようなことはあり得ません。これを、「エントロピーの法則」と呼ぶそうです。

 一般的に一度壊れたら、決して戻らないというのが宇宙の法則です。そのような法則の中、神が地球を創造し、現在、宇宙が秩序だっているというのは、神がおられる証拠なのです。どんどん無秩序になっていく世界において、宇宙が厳然として秩序を保っているということは、秩序を保たれる神がおられ、混沌の中に秩序が生まれたというのが天地創造のストーリーです。エントロピーの法則の逆の作用です。

 ある意味で、エントロピーの法則は人生にも当てはまるものだと思います。人生も一度壊れると、ほとんど修復不可能となり、どんどん壊れていきます。これは宇宙の法則と同じであり、普通は絶対に元に戻らないのです。

 しかし、神がそこに来られると、その法則に反して、一度壊れたものが秩序立っていくというのが聖書の教えです。人生がメチャクチャになり、壊れて廃墟になってしまっても、神の手が加わるとそれが秩序立っていきます。どんなに乱雑になった部屋に住んでいる人でも、掃除人が手を加えると部屋は秩序立ちます。

 私の家内は私よりもずっと掃除が得意です。彼女が来たら、無秩序な私の部屋が秩序立っていきます。しかしそれも、しばらくの間だけで、再び無秩序状態になっていきます。
 私たちの人生も神が来てくださったら、無秩序状態から回復するのです。

 同時に天地宇宙が造られた根底的奥義についても記されています。エペソ三章九節から十一節に、

『また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。』

 神が万物を創造し、神の永遠の計画の中に隠されていた奥義は、「天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるため」とあります。これが創造の根源的奥義であり、神の永遠の計画なのです。
 どんどんと繁雑さを増していく背後に、「天にある支配と権威」が関わっています。「天にある支配と権威」とは、エペソ人への手紙には「悪魔を頭とした悪霊どもの組織」と教えており、それらが関わっているのです。悪魔と悪霊どもが関わるならば、物事はどんどん破壊されます。そんな世界に私たちは住んでいるのです。

 しかし神が教会を作った理由は、「天にある支配と権威とに対して、教会を通して神の豊かな知恵が示される」というのです。それは教会を通して、人生を廃墟化させる敵の力を打ち破るという目的が、根源に隠されているのです。

 私たちは教会に属していますが、教会の使命は、福音を述べ伝えるとともに、天にある支配と権威に対抗することです。

 「教会」とは読んで字のごとく、会衆を教えると書きます。言葉は誰かが元にあったイメージと意味合いを見ながら作られたものです。
 初め日本には教会はなかったですから、最初に教会を見た人が、「これか・・・。会衆を教えているから『教会』にしておこう」と決めたと思います。ですから今でも、教会という字を見れば人々はイメージを持ちます。それは、「教会とは教室のようなものだ…」

 それは先生が教壇に立って生徒に教えるような場所と考えます。しかし聖書の教会という意味は、会衆を教えるという意味とは全く違います。旧約聖書の中で教会の同義語は、「呼び出された者たちの群れ」という意味です。神が、「あなたちょっと来てください」と名指しで呼び出した者たちの群れなのです。

 太平洋戦争に行かれた方は経験があると思いますが、兵隊として呼び出されるときは赤紙が来たそうです。どんどん戦争が拡大して兵隊が足りなくなり、呼び出し葉書の赤紙が来ました。それが来たら、兵士として戦地に行かなければならないというサインでした。それは政府からの呼び出しでした。

 それとは違いますが、神から直接呼び出された者たちの群れが教会です。今日ここに三百人以上の方々が集まっていますが、ひとりひとり、神様から呼び出された兵士です。色々な状況の中で、教会に来られるようになったかも知れませんが、神が直接あなたに目を留めて、呼び出してくださったのです。色々な問題があって、偶然教会に来るようになった人もいますが、すべてが益となり、神があなたを呼び出してくださいました。呼び出されたのには、確実に意味があります。

 新約聖書で教会とは「エクレーシア」という言葉が使われています。「エクレーシア」は「議会」を意味しています。それはギリシャの議会を表します。しかしエクレーシアという議会は、宣戦布告をする最高決定機関であったようです。
 戦争が始まる前に、戦うか戦わないか、何をするか、どのような作戦にするのかなどと、戦いのための議会が「エクレーシア」と呼ばれていました。
 旧約聖書の「呼び出された者たちの群れ」と新約聖書の「エクレーシア」を結びつけて、「教会」という言葉がもつ真の意味と根源的な意味を知るときに、教会は単なる教室のような場所ではないことがわかります。ただ知識を得る場所ではなく、戦いのために呼び出された兵士たちの群れ、すなわち軍隊のような意味になります。それは人と戦うのではなく、『これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるため』とありますが、「教会を通して、目に見えない敵であるサタンとその一味を打ち砕く」のです。そのために神が教会を作った教えています。

 あなたは戦いのために呼び出されました。それも目に見えない霊的な戦いのために呼び出されました。このことが神が万物を造り、最もやりたかった計画であったとわかります。

 今回ハワイに出向いて、このような働きをしています。新城教会は正に、戦いのための教会です。この二週間、教会では色々な動きがあります。私は今週、ハワイに出かけていき、大会が終わるまで向こうにいます。ですから二週間ほど、教会を留守にします。
 しかし三週間目にはこちらに戻ってきます。戦争の時も、軍隊が最前線に出向き、戦いが終わると基地に戻ってきます。同じように、この二週間は、神の軍隊として最前線に行く人もいるし、後方で助ける人もいます。それらすべてが神の戦いのためにあります。

 私は何年か前、沖縄のある教会で奉仕しました。それは米軍の基地に関係する教会から招きを受け、米兵ばかりが来ている教会で話しました。
 その時、泊めていただいたところは嘉手納基地という、アジアで一番大きな空軍基地の中のゲストハウスでした。物々しい警戒の中にゲストハウスがあり、特別な通行許可書をもらい数日間を過ごしましたが、少し緊張しました。外に出歩いて良いのか、悪いのか複雑でした。

 しかし基地に入るとビックリしました。中は基地といっても一つの都市です。中には病院もあれば、学校も三つくらいあり、スーパーマーケット、マクドナルド、レストラン、遊ぶところもありました。本当に充実していました。基地から外に出なくても、すべてが備わっていました。
 教会に行くと、そこに来ている人たちは軍服を着ていました。軍服を着ている人の前でのメッセージはとても緊張しました。集会が終わってから、体の大きな黒人兵士とお話ししました。私は彼を見て、イラクかどこかに行って戦っている人ではないだろうかと思いました。「あなたは軍隊でどんな仕事をしていますか。」と聞きました。
 私はてっきり、空軍のパイロットか前線で戦っている人だろうと思って尋ねました。すると彼は、「私は兵隊たちの食事を用意するために、キッチンで人参を切っています」と答えました。彼は軍服で身を固めていましたが、彼の仕事は、前線に出て行く兵士のための食事を作る専門係の人でした。ある人は、基地の病院で働いている人、子どもたちの学校で働いている人たちもいました。

 基地の中には色々な要素がありますが、基地全体の目的は、敵をやっつけるためにあるのです。

 同様に、教会はどのような目的として存在するのか…。
教会には色々な機能があります。聖書を忠実に教える係もあります。また賛美の係もあり、礼拝が終わったら、毎週、美味しいカレーが用意されています。カレーも放っておいてできるものではありません。誰かが作ってくれています。教会だからといって、夜中にイエスさまが造ってくれるわけではありません。誰かが奉仕して、カレーを作らなければ、あのようなおいしいカレーはできません。
 教会には色々な要素がありますが、教会の一番中心的な役割は、『万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示される』とあるのです。

 教会を通してのみ、目に見えない敵は打ち砕かれるのです。そのために、私たちは呼び集められたのです。ですから、それぞれの役割に従って、あなたがたは戦いなさいというのが聖書の教えです。

 この二、三週間は、新城教会は臨戦態勢であり、ハワイ前線で戦う人もいれば、後方で祈ったり、とりなしたりと支援する係もあると思います。しかし、ひとりひとりに、神は役割を託されています。

 そもそも聖書は、創世記から黙示録まで、人類は敵と戦うために創造され、教会は敵と戦うためにあると教えています。
 聖書を見ると、人類の歴史はサタンとの戦いから始まり、戦いで集結すると教えています。創世記三章十四節から十五節に、

『神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」』

とあります。これは「蛇と女」というテーマです。十五節に、

『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。』

とあります。「女」とは最終的に、「キリストの花嫁である教会」を現しています。最後に、『おまえは彼のかかとにかみつく』とあります。女を受けていれば、「彼女のかかとにかみつく」と言っても良いと思いますが、「彼」と男性になっています。
 これはイエスさまの十字架を現しています。イエスさまが十字架によって、サタンのかしらを踏み砕いてくださったゆえに、教会は勝利者になると預言されています。だから私たちは、完全勝利の中で戦うことができるのです。
 イエスさまの十字架を最初に預言された箇所であろうと言われますが、「蛇と女」の間に敵対関係があると教えています。
 教会が悪魔と敵対関係にあるというのは、聖書が初めから告げていることです。そして聖書の最後、黙示録にも記されています。黙示録十二章十七節に、

『すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。』

 創世記には「蛇」と表現されていますが、世の終わりに際しては「竜」と表現されています。年を経て、蛇が竜に成長したかのようです。「女の子孫の残りの者」とあります。聖書は面白いです。創世記と黙示録は全く時代背景も違うし、書いた人も違いますが、韻を踏んでいます。結論がここにあります。

『イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。』

 『イエスのあかしを保っている者たち』とは、「クリスチャンであり、教会」です。悪魔が一番敵視しているのは「教会」です。
 皆さんは今日どこにおられますか。教会にいます。大変なところです。竜が一番狙っているのは教会です。悪魔が「この野郎。つぶしてやる!」と敵対し、憤っている場所なのです。

 最近、日本全国の教会で一つの調査がなされています。日本には八千程の教会がありますが、教会の状態はどうかという調査が成されています。今週の「クリスチャン新聞」にその中間報告が載っていました。その中の一つの問いに、「教会に閉塞感があるかないか」というものでした。

 閉塞感を感じている教会がどのくらいあるか、という調査でした。その調査の中で、解答を寄せた半分ほどの教会が、「これからどうしたら良いかわからない、手の打ちようがない」という解答であったそうです。調査が進んだら、さらに数字は増えるのではないかと言われています。

 日本の教会は大変です。なぜならば、社会にはエントロピーが増大し、無秩序さが増大する中、教会が直面している問題は大きいからです。どうしたら良いのかわからないというのです。

 先日ある教会から牧師夫妻が私の所に来て、話を聞いて下さいと言われました。「もう私たちは牧師を止めようと思います。複雑な問題に対応しても疲れるだけで、こんなことをしていたら私の家族も全員駄目になってしまう」と言われました。
 実際に持ち込まれる問題は、政府が一丸となって対策しようとしても動かない問題ばかりです。問題がただ単なる「人間的な問題」だと思っていると、対応できません。教会がどのような場所に建てられているかというと、「敵の面前」なのです。悪魔の軍隊の面前に立っているのが教会である、と聖書は教えています。マタイ十六章十八節に、

『ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』

とあります。「ハデス」とは悪魔の住処です。その直前に教会は立っている、それゆえに、私たちは魂をギリギリの場面でも救い出すことができるのです。
 人は一度死ぬことと、死んだ後、さばきがあることが決まっているとあります。人間は死ぬことは怖いです。死後何があるのかと不安に思います。人間は神様によって造られているので、死後の世界を感じ取っています。私たちが罪の中に生きて、やがて死んでしまうならば、永遠の滅びです。しかし私たちが救われるチャンスは、息が切れてこの地上から出て行く寸前まであるのです。その理由は、教会がハデスの門前にあるがゆえに、滅びに行くぎりぎりの人たちを救い出すことができるのです。

 教会とは、戦いのために呼び出された者たちの群れなので、そのことを知って教会が立ち上がるならば、「教会は宇宙で一番強い存在」として君臨できる、しかし私たちがそのことに気付かなければ、ある意味で、教会は敵に一番狙われている場所なのです。

 教会に来るのは、ピクニックに来るのではありません。戦いのただ中にあることが認識されるならば、私たちは敵の力を打ち砕き、何者も立ちはだかることはできないと教えています。絶大な権威によって、サタンの軍隊を打ち破ることができます。
 しかし、教会が戦いに目覚めないと、教会には閉塞感があり、どうすることもできません。けれとも、一度戦いに目が開かれたら、教会は変わります。

 私は牧師夫妻にこのように話しました。教会は敵と戦う最前線基地であり、真の敵が誰かに気付いて戦い始めたら勝利が来ると話しました。神妙な顔をして聞いていました。もうどうすることもできないから、順先生が言われることを教会帰ってやってみます、と言って帰って行かれました。

 少し前にメールが来ました。「敵についてはっきりとわかってから、教会が変わってきました。今まで落ち込んでどうにもならなかったのが、喜びに溢れて奉仕することができるようになった」とメールをくださいました。
 教会は世界、宇宙で唯一の力ある場所ですので、そのことに気付けば、主は大きな勝利を与えてくださいます。
 今年神様から与えられたテーマの一つ、出エジプト記二十二章七節に、

『金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け、それがその人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。』

とあります。これは旧約聖書の『盗んではならない』という規定の中の一つです。
 私たちは人のものを盗むことをしてはいけません。この頃は、万引きが多いようです。泥棒は霊的要素があります。悪魔とは、そもそも「盗み、殺し、滅ぼす者」とあります。悪魔の性格そのものが「盗む」という性格です。ですから、私たちが悪魔の性格をトレースすると、結局、悪しき力の束縛をもらいます。小さな盗みでも注意しなければなりません。「このくらいは良いだろう…」と誰かのものを盗むと、それは悪魔の性格を周到しているので、悪魔の束縛を受けます。真の泥棒は「サタンとその一味」なのです。出エジプト記二十二章七節に、『金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け、それがその人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。』とあります。盗人が見つかったら、泥棒は二倍にして返すことが聖書の決まりです。この旧約聖書の規定では、泥棒は単なる泥棒ですが、これが新約聖書になると霊的要素が加わり、泥棒は単なる泥棒ではなく、悪魔とその一味であることがわかります。

 もしも教会が、真の泥棒は誰か、人々の良きものを盗むのは誰かについてはっきりとわかったら、何と、二倍にして取り戻すことができると教えています。私たちの教会は、そのところに目を開いて下さいました。人生の良きものを盗むのは人ではなく、悪魔・悪霊どもだということ発見できたら、奪われたものを二倍にして取り戻すことができるのです。

 一般的には、一度崩れ始めたらならば、どんどん崩れてしまいますが、教会が立ち上がるならば二倍にして取り戻し、立て直すことができる、そのために教会は働かなければならないと教えています。

 今私たちは教会に属していますが、一人一人は神様から呼び出された主の勇士であり、兵士です。そして個人も教会です。教会の最小単位は、一人ひとり「個人」です。ということは、皆さんが遣わされている職場、学校など、それぞれ属している環境が、皆さんの最前線です。そこで福音を伝え、背後に働いている敵の力を打ち破る祈りをすることが、教会の使命です。このように日曜日に集まるグループはもちろん教会ですが、これは本当の教会の姿ではありません。

 本当の教会とは、皆さんそのものであり、最前線は皆さんの一番関心のある場所にあるのです。ある方は仕事の現場、学生ならば学校、主婦で母をしていれば子どもたちに関心があります。そこが最前線です。それが単なる目に見える環境だと思わないでください。その背後に働いて、人生を壊す敵の力を打ち破っていく、それが兵士たちの使命です。
 どうやって打ち破るのでしょうか。それは、魂を救い出す「宣教」と共に、敵の力が打ち砕かれるのです。また、とりなしの祈りと共に、背後の敵の力が見破られ、打ち破られていきます。

 それぞれに主が託された遣わされた場所において、教会としての使命を果たさなければならないことを教えています。自分自身が教会であり、教会はどこにあるのかと言われたら、皆さんの最も関心がある領域のただ中に、最前線があることを覚えて下さい。そこでとりなして祈って下さい。

 同時に、集められた群れの関心事も最前線です。それが今はハワイです。ハワイのためにも、ぜひ祈っていただきたいと思います。その時に、敵の力が打ち破られ、神がかつて失った栄光を取り戻すことができるのです。
 この教会に託してくださっている使命を、私たちは一つも落とすことなく、実現していきたいと願っています。二週間ほど留守をしますが、戦争が終わったら、兵士たちが帰還するのと同じように、三週間目には元気に戻ってくることができると信じています。
 そしてどのような主の勝利があったのかを見聞きし、喜びを共有したいと思います。ぜひ皆さんとともに、この戦いを進めていきたいと願います。
 それとともにご自分が今関わっている最前線を意識して、そこが教会であり、そこに戦いがあることをよく覚え、戦いに勝利していきましょう。

 教会本部は皆さんの最前線の戦いをサポートするサポーターに過ぎません。戦いをしっかりとサポートできるように、祈っていきたいと思います。お祈りします。


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