ハワイのために今できることを

2007.10.14(SUN)
新城教会副牧師 四元雅也師

旧約聖書 イザヤ書59章17節〜20節
主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。主は彼らのしうちに応じて報い、その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、島々にも報復をする。そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」――主の御告げ。―

 ハレルヤ!今週はハワイリバイバルミッションの大切な本大会がある週ですが、この時に、久しぶりにこの場所で、み言葉を取り次ぐことができることを感謝します。
 朝晩めっきり涼しくなりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。風邪を引かないよう、お互いに体調管理に気をつけていきたいと思います。ハワイの方でも多くのスタッフが奉仕されていますが、今月初めにハワイに行った岡本司兄が、ハワイの地で風邪を引いたと聞きました。ハワイも朝晩涼しくなっているようですので、今週行かれる方は羽織るものを持って行かれると良いと思います。
 今日はイザヤ書から「ハワイのために今できることを」というタイトルで話します。今週は、十九日から二十一日までハワイリバイバルミッションが開催されます。多くの方が参加されることを聞いています。新城に残られる方は、ぜひお祈りください。最近、私の名字と同じ「四元」という名前のバス乗り場の写真をいただきました。四元という名前は珍しいので驚きました。鹿児島県にある四元町のバス停です。ちなみに、私の父の実家も鹿児島県にあります。この教会のメンバーで、鹿児島県出身のとあるご家族が、鹿児島県の自分の生まれた場所などに行って祈り、またその地のリバイバルのために、家族や親族の救いのために祈ってこられたそうです。そしてその途中、四元町を見つけて私のためにも祈ってくださったのです。とてもありがたいことです。このように、互いのために祈り合うことができるのは、クリスチャンに与えられた素晴らしい特権ですので、ぜひハワイに行かれない方は、ハワイに行かれる方のためにぜひ祈ってください。祈ることによって相互に祝福されると信じています。
 私は今から一ヶ月前の九月十七日から二十一日まで、ハワイに行かせていただきました。私は、ハワイミッションの本大会には行かず、日本でミッションの祝福を祈る者です。ハワイリバイバルミッションの働きが進められる中で、色々な報告や祈りの課題を聞いていますが、今回、順牧師のお心遣いで、『あなたも将来のために、リバイバルの現場を一度見てこい』ということで、とりなし祈るツアーに順牧師と一緒に連れて行っていただきました。彼の地で感じたことは、今回、ハワイリバイバルミッションが行われることが、神様のみこころにかなったことであると心底思いました。聞いて理解しているだけでなく、行って見たたことではじめてわかることがありました。その理由の一つは、ハワイという場所が、地理的に、民族的に、文化的に、霊的に東西のものが一つに融合している場所であるということです。霊的な部分については、あとで詳しくお話ししますが、ハワイの土地柄を考えると、住んでいる方で一番多いのは、アメリカ本土系の白人で24%ほどです。そして、次いで日系人が17%ほどであり、日本から明治時代頃から多くの方が入植して今も住んでおられます。そして先住民系のハワイ人が約七パーセントいるようです。ハワイに元々いた方よりも白人系、日系人が多いようです。そのような意味でも日本との関係がある地です。ハワイにおける一年の年中行事の中にも、日本の文化を紹介する祭りがあるようです。色々な文化がハワイの中に定着しています。そして毎年ハワイを訪れる人は、アメリカ本土からが五百二十五万人程です。ビジネスのためや観光客として訪れるようです。日本からは毎年百五十二万人ほどが訪れるようです。アメリカ国外からの訪問者としては日本が一番多いそうです。アメリカ人旅行者に次いで日本からの旅行者が多いということは、日本人がどれだけハワイに関心を持ち、行きたいと思っているかということです。ハワイはそのような場所です。そして、それ故にハワイの文化は、古くからの土着のものの上に、欧米のものが来たり、日本の文化が来たりして混ざり合っています。海を隔てていても、意外に近いのがハワイです。また、二番目の理由は、霊的戦いの歴史の中で、今がハワイの時だということです。新城教会、全日本リバイバルミッションの働きの中で、十五年前から霊的戦いが進められていますが、その中で、世界を貫いている悪魔の働きに対して戦いの扉が開かれ、とりなしの祈りが海外において成されるようになりました。そのような働きの中で、始めてリバイバルミッションが海外に出向いて行き、大会を行うことになりました。ハワイと日本の関係がわかっていたわけではありませんが、蓋を開けてみたら、霊的に日本と関係の深い土地であることがわかり、この大会が神の摂理にかなったことだと思います。そして、第三の理由として、一番目と二番目の理由をつなぐようなものですが、今まで日本各地で開催されてきたリバイバルミッションの中で、毎回アメリカからの助け人が送られました。ロン・ブラウン氏を初めとする多くの方が、このリバイバルをサポートするために来日してくださり、大会が開かれて来ました。そしてハワイにおいてはそれが更に深く前進し、より深くアメリカ人教会との関係が開かれてきました。というのは、アメリカ人教会に対して大会のアピールが成され、ハワイのアメリカ人教会の牧師やクリスチャンたちが、大会に来てくださることになりました。もしかしたら、日本人よりも多くのアメリカ人が、この大会には来られるかも知れません。そんな中で、アメリカ人メッセンジャーが立てられました。これまでのリバイバルミッションにはなかったことですが、立てられた、ジョー・ハイト先生とも、わたしたちは何十年来の関係です。私は長い間、アメリカのジョー・ハイト先生や、ヤキマの教会との関係が、なぜこんなにも長くとぎれることなく続けられて来たのだろうかと思っていました。お互いの行き来が盛んであったり、一緒に霊的戦いの祈りをしたりすることが、今まで続いてきましたが、ハワイリバイバルミッションが今回行われる中に、ジョー・ハイト先生が加わり、メッセンジャーとして働いてくださることにも、神様の大きな摂理を感じます。ですから、ハワイリバイバルミッションの働きが、素晴らしい神様の計画の中で現されたものであることを信じています。

 この教会では年が変わるときに、「ニューイヤー・キックオフ・ワーシップ」という名前で、新しい年に向けて指針となる預言的なメッセージを、牧師先生たちが代わる代わる話します。私は最近、二〇〇七年の始めに自分に与えられたみ言葉を読み返してみました。その中で、神様が与えてくださったみ言葉を確かに実現してくださったと思いました。私はその時のメッセージで、ヨシュア記の中から、イスラエルがカナンの地に入るため、神様がイスラエルの民に語られたみ言葉から話しました。
ヨシュア記一章九節に、
『わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。』

とあります。一九九二年二月に霊的戦いが新城教会に始まり、今年で十五年が経ちました。この間、新城教会の働きは一言で表現すると霊的戦いを推し進める歩みであったと言うことができます。悪魔がこの地の上に、また、人々に対して持っている束縛を打ち破っていくために祈りがされ、その祈りとともに働きが進められてきました。終始一貫してそのようなコンセプトの中で、働きが進められてきました。教会のスタッフたちも、それにどっぷりと浸かり、家庭集会などスタッフレベルでの奉仕の中でも、霊的戦いが進められてきたように思います。そして、そこから離れたくない、その一点に集中していきたいという思いがあると思います。そのような賜物を持って、リバイバルのために教会の働きが前進していますが、ここにおられる方々は、そのためにある意味で選ばれ、集められている一人一人です。誰かが「私は違う。そんなことは受け入れられない」と言ったところで、そのような信仰の中で教会が進められている以上、その働きの中に組み込まれているのです。そういう意味で、ここにおられる一人一人が、神様によって選ばれた戦いの勇士であると思います。そして、二〇〇三年頃から、とりなし祈る地域が日本国内に留まらず、海外に拡げられてきました。それは、私たちを取り巻いている様々な環境の中に、神様に反抗する悪しき勢力として存在するものは、日本独自のものではなく、多くが海外から流れ込んできたことを、神様によって教えられてきました。そのような中、世界各地でとりなしの祈りが進められてきました。私も、昨年暮れにインドネシアのバリ島に行かせていただきました。そこで、私たちが、今まで霊的戦いについて色々教えられてきたことの根元となるような悪魔の勢力が、バリ島にあったことを教えられました。バリ島には、二メートルごとに手で作った偶像があると言われていました。私はバリ島に行くまで、大げさに言っているのかと思っていましたが、実際に行ってみると本当でした。そこには手でこしらえた偶像が家々に祀られており、家々だけではなく、道路には道路の神、木には木の神、ありとあらゆる所に神と呼ばれる、本当の神ではない偶像が、至る所に存在していました。食べる物にも、ベッドの上にも、テレビの上、壁にまで偶像が満ちており、心の安まり場がない所でした。寝ても覚めてもそういう意味で戦いを意識せざるを得ないことを感じました。そんな中、とりなし祈っていくうちに考えさせられたことは、日本において、目に見える形で二メートルごとに偶像があるということはありませんが、多くの人が偶像礼拝から離れることをせず、一件の家の中には神棚があり、仏壇や氏神があり、その他色々な神と言われるものが、幾つも祭り上げられています。そして皆が偶像礼拝にふけっているという現実があります。それが家の外からは見えないので、私たちは町を歩いても偶像はないと思ってしまいますが、一つ壁を隔ると偶像があります。日本は表向きではなく、引っ込んだところに偶像がありますが、存在していることは確かです。ある意味私たちがそれに気付かずに生活していることは、バリにおいて目に見える形で、圧倒される程に偶像がたくさんある中で戦い感じていた事実を、日本ではある意味で麻痺させられて毎日生活しているのかも知れないと思わせられました。
 そして、先月ハワイに行きましたが、ハワイにおいても、土着の偶像礼拝が行われています。先々週の礼拝メッセージの中で、滝元順牧師が写真を用いて説明されていましたが、石が神の霊を引き下ろす装置として、古来から今に至るまで、ハワイにおける偶像礼拝の重要な場所として受け継がれ、人々に拝まれていると報告されていました。そして、続いて日本のとある場所の写真が紹介されて、驚いたことに、そこにもハワイと同じような形式で石が置かれており、そこに壁画のような絵が描かれており、ハワイと同じような形で昔の人々が拝んでいるということがわかりました。日本とハワイはそのような意味でも別視されるような所ではなく、悪魔が同様の霊的な砦を築いて、人々を縛っている現実があることがわかります。今は日本全国で秋の祭礼が行われています。新城市内においても一番古くから人が住み、本当の神ではない偶像が拝まれている所が石座(いわくら)神社ですが、そこも大きな石が存在し、その石に注連縄が巻かれてその石を拝んでいます。縄文時代かずっと拝まれ続けていると言われます。ある意味で伝統のある祭りが、今なお新城の町の中で続いています。ハワイにおける偶像礼拝の様式と似通っています。そして私たちは先に救われた者として、悪魔から人々を引き離し、神様をわからなくしているものから解き放つために召し出された者です。先週のメッセージで黙示録十二章十七節からみ言葉が語られていました。

『すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。』

この箇所から悪魔が一番敵対視し、つけ狙っている存在はクリスチャンであり、教会であると語られていました。聖書は『神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たち』と戦うために竜が出て行ったと書かれているように、私たちの周りには竜のような悪魔が私たちを脅かそうと、つけ狙っていることも、み言葉からわかります。私たちは意識するかしないかに関わらず、霊的戦いに組み込まれたものであることを互いに覚えていきたいと思います。これは、クリスチャンに与えられた使命のようなもので、神様が私たちにこの地を牛じる暗闇の支配者たちに、祈りによって戦いを挑むように、祈りによって悪しきものに立ち向かっていくようにと、願っておられることを教えています。また、霊的戦いは、クリスチャンに与えられている一つの特権であると思います。それは、新城教会の今までの働きを見ていくと、霊的戦いとともにあって神様の前で暗闇の力が打ち破られ、人々が解き放たれるようにと祈り続け、その祈りを通して、色々な人々が教会の門をくぐり、イエス様の尊いみ救いの中に入れられてきたことからわかります。今年もハワイでとりなしの祈りが成され、また、ハワイというテーマで色々な祈りが捧げられ、祈りの手が挙げられてきましたが、その中で、神様のわざがたくさん現されてきたと思います。最近救われた方々も、そのような祈りを通して勝ち取られ、救われた方があります。毎年神様が戦いによる勝利の実を見せてくださっています。そして兄姉姉妹一人一人の信仰の歩みの中にも、祈っていくことで初めて開かれ、神様のわざを見せていただくことが数多くあると思います。そのように思うときに、霊的戦いはどうしてもやらなければならないものですが、しかし、進めていくならば神様の勝利が現されていくものであると思います。だから十五年間決して止まることなく祈りがささげられてきました。そして今週はハワイリバイバルミッションが行われますが、今週ハワイのために祈るべき領域があると思います。ハワイの地に多くの人々が詰めかけて福音に接することができるように、そして彼を縛っている暗闇の力が打ち破られるようにと祈っていきたいと思います。ヨシュア記一章九節に、

『わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」』

イスラエルの民が神様から約束された地『カナン』を占領するために、これから入っていくにあたって、神様が励ましの言葉として与えられたみ言葉です。この時、私たちがハワイという『カナンの地』に攻め込む勇士とされていきたいと思います。それはハワイに行くか行かないかということではなく、一人ひとりがそのような意識をもって今週歩んでいきたいと思います。『カナンの地』に入った人々は訓練を受けた歴戦の勇士たちばかりではありませんでした。子どもやお年寄り、健康な人もいれば病人も、女性もいたと思います。全員がヨルダン川を越えてカナンに入り、その地を占領していきました。ハワイリバイバルミッションにおいても新城教会の皆が一丸となって戦っていきたいと思います。その中で勝利が現されていくことを信じていきたいと思います。また、ヨシュアが率いるイスラエルの民は、カナンの地を攻め取るための戦いをしていきますが、それは、カナンの地に住んでいた先住民たちが、異邦の習わしと偶像礼拝、そして様々な罪において汚れきっていた、そして罪の目盛りが満ちて満ちあふれるような状態にったからです。そのような中で、イスラエルの民が、地をきよめるという神様からの使命を負わされて、カナンの地に攻め込んでいきました。罪によって汚れた民がその地において滅ぼされ、神の民として選ばれたイスラエルがカナンの地に入っていきました。そしてイスラエルの民によって、カナンの地がきよめられていったという経緯があります。それと同様に、霊的戦いの祈りの目的は、悪魔に牛耳られ、苦しめられ、押さえつけられていた人を、神様のものとして取り戻す働きです。それは「解放」と言っていますが、解放のわざが伴うものが霊的戦いです。必ず良い実をもたらすものでなければなりません。私の身近にいるある方が、まだクリスチャンではなく、悪魔によって牛耳られ、様々な問題の中に苦しんでいたとします。そして私がその人のためにとりなしの祈りをし、「神様、この方を助けてあげてください。悪しき力、罪の力から解放されますように」と祈ったとします。しかし、それと同時にその方に何も声も掛けず、教会にお誘いもしなかったら、その方がどうして救われたら良いか、どうやって解放されたら良いかもわからずに、教会に来ることもなく、その状態が全く変わることがなかったとします。そうしたら私がささげた祈りは、その人に効果を及ぼさず、結果としてその方の人生が変化することがなく、ずっとそのままの状態で苦しみながら生きていったとしたら、そこでささげた祈りは、結果的に意味のないものであったというしかありません。ちょうどイスラエル人がカナンの地に攻め込んで行き、戦いには勝利したけど、民たちがその地に住むことをしなかったようなものです。そこから出て行ってしまうなら、地が荒れ果てたままで残されてしまいます。霊的戦いは、解放が起こされることによって真価が試されるということができると思います。極端な話ですが、解放のわざが伴わない霊的戦いは戦場で空砲を撃つようなものです。それで一瞬敵がたじろいでも『なんだ、弾が入っていないじゃないか』と言うことになり、敵を撃退することは出来ず、敵地を占領することもできないことになります。そこで、必要となってくるのは、『福音』を宣べ伝えていくことです。私たちがとりなしの祈りとともに、その人に必要な神のみ言葉を提供していく、そして、その方の心が開かれて、神様の所に来るように導いてあげることが、霊的戦いではないかと思います。今年新城教会では様々な福音を語る機会が与えられました。私も、五月には新城文化会館でのゴスペルクワイヤーのコンサートで、四百人程が集まる伝道の機会があり、また八月にはThe Callという集会が行われ、T青年会の兄姉と共に福音を宣べ伝えるチャンスがありました。この働きを通して、福音を宣べ伝えることによって、教会に本来的な一致が与えられ、結果として信仰の勝利へとつながることができると強く教えられました。私たちは神様のみ言葉を宣べ伝えなければなりません。The Callの中で教えられたみ言葉がピリピ書一章二十七節から二十八節です。

『ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。』

 

ここで福音を語っていくときに、その人達は一致して立つことができると記されています。そして、どんな事があっても反対者たちに驚かされることはないとあります。暗闇の支配者・悪魔に対して勝利することができる、彼らにとってはそれが滅びのしるしだということは、悪魔にとってはそれが滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしだと教えています。ですから、祈りと共に福音を語ることが、大きな勝利の秘訣であるということを強く教えられました。福音とは何かということを少しだけ話したいと思います。第一コリント十五章一節から七節に、

『兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。』

とあります。三節から五節に、

『私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。』

とあります。キリスト教が提供している「救い」についてはっきりと記されている箇所です。「最も大切なこととして‥」とありますが、キリスト教の黎明期に最も用いられた使徒パウロという人物が言った言葉です。イエス・キリストによってパウロが最も大切なこととして伝えたかったことは、キリストが、聖書の示すとおりに罪のために死なれたということ、そして葬られて、聖書に従って三日目によみがえって、弟子たちを中心とした様々な人に現れたことだ、と言っています。イエスさまが、私たちの罪のために死に、葬られたということまでは説明が付きますが、よみがえられたと宣言しているところが一番のミソです。二節を見ると、

『また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。』

とあります。救われることは、罪が赦されて永遠のいのちに入ることができるということです。誰もなし得なかった『よみがえり』は奇跡ですが、これが本当に起こった、みんなに伝えたいのはこれだ、と大胆に宣言しているところが重要です。第一コリント十五章十四節に、

『そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。』

復活されたということが一番大切であり、もしも、これが嘘であったとしたら私たちが信じているイエス・キリストを信じる信仰は実質のない、空しいものであると言っています。では、イエス様の復活は事実かどうかと言うことが問題です。イエス様の復活は、果たして事実なのでしょうか?事実です。聖書は、イエス様がよみがえられたことが、歴史的な事実であると、高らかに宣言しています。キリスト教は嘘ではなく、真実が語られている聖書のみ言葉に基づいて成り立っています。イエス様がよみがえられてから、最初にケパに現れたとあります。ケパは十二弟子の一人で、いつもイエス様の身近にいたペテロです。ペテロや他の弟子たちにもイエス様が現れたとあります。そして、ある時は五百人以上の人に同時に現れて、ご自分がよみがえられたことを証し、よみがえりのイエス様に出会った人たちは、よみがえりの生き証人となり、教会を建て上げていきました。第一コリントの十五章のみ言葉は、私が調べた資料によると、イエス様の十字架刑の後、二年後には、クリスチャンの間にこの言葉が暗唱されていたというのです。イエス様の十字家刑に立ち会った人のほとんどが、健在で生きている時代です。もちろん、イエス様を十字架に付けたユダヤ人も、ローマ兵たちも生きていました。またイエス様の十字家刑を目撃した多くの人も生きていました。イエス・キリストが死んだ現場に立ち会った人が、生きている時代です。イエス様の弟子たちも、もちろんイエス様が十字架で亡くなられたことを見ていました。目撃した人たちが生きている社会の中で、ある時、公然と弟子たちが、「実はイエス・キリストはよみがえられたんだ」と宣言しています。そして聞いた人々は「死んだはずではないか」と驚きます。しかし、私たちは見たと彼らは宣言します。彼らは社会的には何の影響力ももっていない人たちでしたが、大胆に言いました。そしてイエス様や弟子たちがいた当時のイスラエルの国の中で、最高権威を持っていたのは、ユダヤ議会でしたが、その議員たちから呼び出され、「イエスの名によって語ってはならない」と命じられました。しかし、彼らはその時に「私たちは自分の目で見たことを言わないでおれない。神様がイエスさまをよみがえらされたのだから、黙っていることができない、神に従うよりも人に従うことは正しいことではない」と反論しました。そして、その大胆な告白の中でイエス・キリストの救いが広がっていきます。そして始まって間もないキリスト教会の中で、救われた多くの人々にこの言葉が暗唱されていきました。そして、それに対してユダヤ人議会や、当時の世界を治めていたローマは、それをもみ消そうとしましたが、もみ消すことができませんでした。それはイエスさまの墓に遺体がなかったからです。遺体を墓から引き出して「ほら、イエスの遺体はここにある。お前たちクリスチャンが言っていることは偽証だ」と言うことができなかったのです。だから彼らは脅しで口封じをしようとし、イエス様の墓から遺体がなくなったことを説明するために、イエス様が甦るまでの3日間、墓を警備していた番兵たちに、「寝ていたうちに弟子たちが来て遺体を盗んで行った」と言うように、口車を合わせて偽りを吹聴するようにし向けました。イエスさまと行動を共にした弟子たちは、イエス様が十字架でなくなられた時、自分たちまでも捕らえられることを恐れて、人目を避けて潜伏し、イエス様の弟子を止めて自分の仕事に戻ろうと思っていた者も多くいたようです。「イエス」というリーダーがいなくなってからしばらくは、弟子たちは全く力がない弱々しい感じでした。ほんの数日後の彼らは、立場をガラリと変え、どんな権威によって脅されても、いのちがけで死の力にさらされながらも語り続けていきました。そのような変化をもたらせたのは、よみがえりのイエス様に出会ったこと以外にありません。よみがえりのイエス様に直に出会ったから彼らは確信を持って、イエス様がよみがえった、私たちは生き証人で他にも生き証人がいるんだ、だからその人たちに話を聞いて下さいと言わないばかりに、第一コリント十五章では、ケパに現れた、ヤコブにも現れた、聞きたかったら彼らに聞いてご覧よ…とイエス様のよみがえりについて証言しています。このよみがえりによって、私たちの罪を赦し、イエス様が死の力を打ち砕きよみがえられたように、私たちを死へと、破壊へとつないでいる罪の鎖が解かれて、私たちは永遠のいのちを持ち、天国に入る希望を持つことができます。これが、キリスト教が私たちに教えている救いの教えです。イエス様が死の力を打ち破られたように、私たちも死の力に勝利し、神と共に永遠に生きることができることを覚えてください。そしてこの救いを、イエス様が私たちに「全世界に出て行き、福音を宣べ伝えなさい。そして、私の福音を信じる者には、私がともにいて様々なしるしと不思議を持って働いてあげます。イエスの名前で悪霊を追い出し、蛇をもつかみ、毒を飲んでも害を受けず、病人に手を置けば病人は癒されます。と語られ、信じて働く弟子たちとともにイエスさまはみ言葉に伴うしるしと奇跡をもってみ言葉を確かなものとしたと語られています。私たちは初代教会のクリスチャンたちが「私たちは見た」と語っているイエス様の救いを大胆に語る者となっていきたいと思います。ハワイミッションに向けても私たちは祈り、そして福音を宣べ伝えていくことが私たちに与えられている使命だと教えられています。ハワイミッションに向けてそのように働いていきたいと思います。今年多くの集会や各地で持たれたとりなしの祈りもハワイミッションを踏まえたものが多くありました。また色々な伝道集会もハワイを意識して行ったものがたくさんありました。また日本中、世界中からハワイミッションのために祈りの手があげられ、十九日から二十一日までの三日間に祈りが集中しています。そのような中で日本とアメリカのクリスチャンたちが協力してイエスさまを伝えるという、今年のリバイバルの中核となるテーマを一緒に担っていきたいと思います。イザヤ書五十九章十九節に、

『そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。』

とあります。これは先日私がハワイに行き祈る中で、太平洋沿岸の国々に対して、中心にあるハワイリバイバルミッションを通してリバイバルのみ業が起こされると、預言的に受け止めたみ言葉です。ハワイを中心に、太平洋の東にも西にも主の激しい風が吹いていき、主の激しい息が吹きまくって悪魔の仕業を打ち砕き、そして、人々が苦しみの束縛から解放されていくことを信じていきたいと思います。
 「ハワイミッションに向けて私たちができること」というテーマで話しましたが、私たちができることは難しいことではなく、祈ること、福音を宣べ伝えることです。ハワイに行かれる方も行かれない方も、今週私たちがハワイのためにできることを主に聞き、それぞれの領域において、自分が成す事を神様に聞いていきたいと思います。最近のハワイミッションの動向を見て、十五年前に行われた甲子園リバイバルミッションの時と似ていると思います。それは、甲子園ミッションの準備期間中から、教会、リバイバルミッション、そして、プレイズ出版にも多くの「リバイバルのために働きたい」という若者たちが名乗りを上げました。「働かせて欲しい!」という声が上がり、ボランティアスタッフが数十人にも及んだ時代がありました。今、ハワイにも二十数名のスタッフが詰めかけていると聞き、ハワイミッションのためにボランティアで良いから働きたい、という思いが与えられています。甲子園ミッションの時には、日本において霊的戦いの扉が開かれ、後の福音宣教に大きな影響をもたらされました。またそこで働いたスタッフたちは、今も日本のリバイバルの前進を担っている勇士たちばかりです。ハワイにおいては、世界に向けて霊的戦いが開かれ、リバイバルの働きが前進するように信じていきましょう。そして、その中で皆さんが用いられるように、互いのためにお祈りしていきたいと思います。


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