クリスマス・イルミネーション

2007.12.23(SUN)
新城教会牧師 滝元 順師

旧約聖書 イザヤ書9章1節〜4節
しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。あなたはその国民をふやし、その喜びをまし加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。

 ハレルヤ!メリークリスマス!イエスさまの誕生を心から賛美します。
 「メリークリスマス」とは「クリスマスおめでとうございます」という意味で使われていますが、「楽しいクリスマスを」という意味です。なぜクリスマスを楽しみにするのか・・。
 それは、イエスさまが私たちのために、救い主として生まれてくださったからです。クリスマスの意味は、「キリストを礼拝する」という意味です。この頃、「Xマス」と書かれており、「X」とは数学で未知数を表しますので、何かわけのわからないものを祝うような感覚があるように思います。しかしXとは、キリストのギリシャ語の頭文字です。「マス」とは礼拝という意味です。「キリストを礼拝する」という意味です。ゆえに、教会にとってクリスマスは特殊なことではありません。なぜなら毎週、私たちはクリスマスをやっているからです。毎日祈り、賛美していることは、キリストを礼拝する、すなわち、クリスマスに他なりません。

 十二月二十五日は、イエスさまの誕生日として、全世界で大々的に祝われています。けれども、イエスさまが十二月二十五日に生まれたとは、聖書のどこにも記されていません。
 四世紀頃、ローマは偶像に満ちており、十二月二十五日は冬至の祭りとして、太陽再生の日として、人々は太陽を神として拝んでいました。しかしローマがキリスト教を国教にしたことにより、皇帝が太陽礼拝の日を、キリストの誕生日に強制的に置き換えてしまいました。それ以来、十二月二十五日がイエスさまの誕生日のようになりました。
 この日はローマ帝国で長い間拝まれてきた、太陽神の祭りの日なのです。それをイエスさまの誕生の日に置き換えてしまったという、複雑な歴史があります。
 イエスさまは三六五日中、どこかに生まれてくださったことは確かです。また、イエスさまのお生まれの日については、計算できないわけではありません。なぜならば、色々な資料があるからです。イエスさまより六ヶ月前に生まれたバプテスマのヨハネの父はゼカリヤで、祭司をしていました。聖書を見ると、祭司職は十二組に分かれていて、ゼカリヤは第八組のアビヤの組と記されています。
 実は、エルサレムは紀元七十年八月五日にローマ帝国によって滅ぼされましたが、その時のことがユダヤ人の書物タルムードに記されていたり、またヨセフスという歴史家が記録しています。その日はちょうど安息日で、第一組の祭司が礼拝を司っていたと記録されています。そこから逆算して遡ると、イエスさまの誕生日がいつかわかるようです。その計算によると、「九月二十九日」に当たるそうです。
 他にも色々な計算方法があるので、多少の誤差があるようですが、だいたい九月〜十月になるようです。
 一九九三年、イギリスの天文学者が、その当時の星の動きをコンピューターで再現し、イエスさまが生まれたときに明るい星が出たと記録されていることから、九月十五日だと発表しています。
 九月から十月がイエスさまの本当の誕生日ではないかと推測されますが、今は十二月二十五日がイエスさまの誕生日として祝われています。

 クリスマスには赤子のイエスさまがいつも登場しますが、これはおかしなことです。イエスさまは今も生きておられるお方です。死からよみがえられ、今もここにおられるお方です。誕生日に、毎回、生まれたときの赤子の写真を持ってきて、「見てごらん。あなたが生まれたときの写真だよ…」と見せられたら、あまり気分の良い物ではありません。今生きているので、今を祝って欲しいと思います。イエスさまも同じだと思います。今生きているイエスさまを、心から礼拝したいです。

 最近クリスマスが日本においても盛んです。日本では一年間に三度ほど宗教が変わると言われるくらいですが、最近ではクリスマス・イルミネーションが盛んになっています。クリスマスツリーにも色々な歴史がありますが、現在はイエスさまを礼拝するためのものです。ツリーにも明かりが灯っています。
 なぜイルミネーションが流行っているのでしょうか。どこまで行き着くのだろうかと思うほど、町が彩られています。最近も新城の夜をドライブすると、きれいに電飾されている家がいっぱいあります。
 今日、この集会が終わると私は東京に行きます。四月から東京集会を行っています。新城から東京に出かけて仕事や学校に行っている人が多いので、東京集会を月一で始めました。毎回二十名近くの方々が集まっています。今日はクリスマス集会なので、もっと多くの方々が集まると思います。きっと東京の町も電飾で彩られているのではないかと思います。仙台の町は、町全体が彩られているようです。

 しかし、電飾をしていて、本当の意味がわかっているのだろうかと思います。多分、わかっていないと思います。今日はそんな意味についても考え、この季節に電飾を見たときに、真の意味に心を留めたいと思います。
 イエスさまは貧しい家庭にお生まれになったと思います。イエスさまが誕生したのは、馬小屋でした。ちょうどその時、イエスさまを妊娠したマリヤは、いいなずけの夫であるヨセフに連れられて旅の途中でした。クリスマスはサンタクロースが有名になっています。しかし、クリスマスの本当の意味はサンタクロースでも、ヨセフでもなく、マリヤでもありません。イエスさまに真の意味があります。イエスさまの誕生は偶然ではなく、長い間の預言の実現でした。聖書は新約聖書と旧約聖書で一冊です。旧約聖書は、イエスさまが生まれる前に記された書物です。その中には、イエスさまのお生まれについての預言がたくさん記されています。そのことを知ると、イエスさまは生まれるべくして生まれたことがわかります。そして聖書の深さがわかります。
 イザヤ書九章一節から四節に、

『あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。』

と記されています。九章はイエスさまのお生まれを預言しています。なぜなら、この後に続く六節から七節は大変有名なイエスさま誕生についての預言だからです。

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。』

 前にも話しましたが、イザヤはイエスさまがお生まれになる七百年も前に活躍していた預言者でしたが、イエスさまの誕生をたくさん預言しています。今ここで読んだようにイエスさまがどのようなお方で、どのような目的で生まれてくださるのかが預言されています。
 『不思議な助言者、永遠の父、平和の君と呼ばれる』と記されています。イエスさまがお生まれになる七百年も前に、神が人となってこの地上に来てくださると預言されていました。

 更に聖書を見ていくと、色々なストーリーの中にも、救い主の誕生とその意味を表すような出来事が含まれていることに気づかされます。ここに、「ミデヤンの日」とありますが、ここにもイエスさま誕生に関わる預言的物語が隠されています。
 「ミデヤンの日」について調べてみると、士師記に、ミデヤン人とアマレク人がイスラエルの人たちを常に苦しめていたという記録を見出すことができます。紀元前千何百年、それはイザヤよりももっと古い時代のことです。士師記六章三節から六節に、

『イスラエル人が種を蒔くと、いつでもミデヤン人や、アマレク人や、東の人々が上って来て、イスラエル人を襲った。そしてイスラエル人に対して陣を敷き、その地の産物を荒らして、ガザに至るまで、イスラエルに羊や牛やろばのためのえささえも残さなかった。彼らが自分たちの家畜と天幕を持って上って来たからである。彼らはいなごの大群のようにしてやって来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。しかも、彼らは国を荒らすためにはいって来たのであった。それで、イスラエルはミデヤン人のために非常に弱くなっていった。すると、イスラエル人は主に叫び求めた。』

と記されています。この時代は、イスラエルに王制が敷かれる以前で、士師という人たちが国を治めていた時代でした。そして、この時代はイスラエルが非常に弱くなった時代でした。なぜなら、ミデヤン人、アマレク人が収穫が始まる直前、大切な時期に攻め込んできて、収穫物を全部奪い、家畜の餌も残らないほど荒したからです。

 私たちの人生も、案外そのようなことがあるのではないでしょうか。「さあ、これからだ。これからが人生の本番だ」というただ中で、突如として敵が侵入し、荒らされるのを体験したかも知れません。
 イスラエルも、「さあ、これから収穫だ!」という時に、いつもミデヤン人たちが入ってきて、国をぐちゃぐちゃにしていました。それでイスラエルはどんどん弱くなっていきました。
 そのような中、彼らは神を呼び求めました。時々、これから人生本番というときに、色々な問題が起こり、弱まってしまう時があるかも知れません。しかしそんな時にこそ、主を叫び求めなければならないと教えられます。心の底から大きな声で、「主よ、助けてください」と叫び求めるとき、主は必ず答えてくださると教えています。

 その結果、ギデオンという一人の勇士が引き出され、ミデヤンと戦う精鋭たち三百人が集められたと士師記六章に記されています。
 この士師記六章を、イエスさまの誕生と重ねて読むと、聖書は奥深くなります。聖書は普通に読んでもなかなかわかりにくいです。しかし、旧約聖書を読む時に、どこにイエスさまがおられるのかを意識しながら、新約聖書的視点で読むとわかりやすいと思います。
 同時に背後に働く敵の力、ここでは「ミデヤン人やアマレク人」が出てきますが、敵の力が関わっています。

 私はもし時間があったら、もう一冊本を書きたいと願っています。それは「霊的戦いの視点による聖書の読み方」という本を書きたいと思っています。創世記から黙示録までを霊的戦いの視点で読んでいくと、わかりやすいと感じています。それがみこころならば、書くことができるようにお祈りください。
 案外、「聖書を読んでください」と言われ、読んでみてもわかりにくいところが多くあると思います。創世記はストーリー性があってわかりやすいですが、出エジプト記の後半になるとわかりにくくなり、レビ記になると、もう読むのをやめたい・・と思ってしまうほどです。
 しかし、それを霊的戦いの視点を持ち、救い主イエスさまを意識して読むと結構わかりやすいのです。聖書はもちろん歴史的背景をしっかりと捕らえて読むことが重要ですが、同時に、霊的視点を持って読むことが大切だと思います。士師記をそのような視点で見ると、真理が浮かび上がってくると思います。

 実は、イルミネーションは「光と闇」がテーマです。ここに飾ってあるイルミネーションを、光の中に置いても意味がありません。日中にイルミネーションをつけても、ただ、電気の無駄使いです。暗い中に置かれると、美しく輝きます。このイルミネーションには意味があります。光はイエスさまを現し、闇はこの世の中を現しています。今この世は暗いですが、闇は世の中を表しています。イルミネーションを町で見ますが、光は暗い世の中に生まれてくださったイエスさまを意味しているのです。

 同時に、闇とは「敵」という意味があります。ミデヤンやアマレクが苦しめていた時代のただ中に、ギデオンと三百人の勇士たちが突如現れたのと同じように、イエスさまが生まれたのは敵のただ中に、人々を解放するために生まれてくださったのです。敵によってくびきを置かれ、苦しめられていた奴隷たちを解放するために、イエスさまは来てくださいました。

 ミデヤンとアマレクの人たちによって苦められていた時、神がギデオンを引き出し、三百人の勇士を集め、いなごのような大軍のミデヤンとアマレクを、たった三百人で打ち破られたのです。
 この戦いに先立ち、神はギデオンをミデヤンの陣地のただ中に送り込まれました。そして敵の様子を偵察させました。そのことが、士師記七章十三節から十五節にあります。

『ギデオンがそこに行ってみると、ひとりの者が仲間に夢の話をしていた。ひとりが言うには、「私は今、夢を見た。見ると、大麦のパンのかたまりが一つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまではいり、それを打ったので、それは倒れた。ひっくり返って、天幕は倒れてしまった。」すると、その仲間は答えて言った。「それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣にほかならない。神が彼の手にミデヤンと、陣営全部を渡されたのだ。」ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝した。そして、イスラエルの陣営に戻って言った。「立て。主はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった。」』

 ギデオンはスパイとして入っていき、こっそりと彼らがどんなことを話しているのかを聞きました。
 するとミデヤン人の兵士が仲間の兵士に一つのことを話していました。
 「俺は夢を見た。それは大麦のパンのかたまり一つが、ミデヤン人の陣営に入ってきてぶつかり、天幕が倒れ、全部が打ち倒された」というものでした。
 すると仲間の兵士が言いました。「それはギデオンの剣に他ならない。私たちは彼らに征服されてしまうのだ」

 それをギデオンは側で聞きました。その時、ギデオンは信仰を持ちました。「神は必ず、ミデヤンを私たちの手に渡してくださる。私たちは勝利する」と確信を持って立ち上がりました。そして、最終的に、十二万人以上いたと言われる大軍を、たったの三百人で打ち破ったのです。

 実はこれはイエスさまの誕生を指差す、預言的事柄を含んでいます。前回私は、ダニエル書から話しました。人手によらずに切り出された石が転がってきて、像の足もとを打ち、すべてが粉々に砕け散ったと話しました。この人手によらずに切り出された石がイエスさまご自身であると話しました。
 ここでは、「大麦のパンのかたまり一つ」が転がってきてミデヤンの陣地を打ち、すべてをやっつけてしまったという、大麦のパンとは、ギデオンを指していますが、同時に、イエスさまを表しています。

 イエスさまの誕生は、敵陣のただ中に、敵の力を打ち破るためなのです。そして、ここからも、光はイエスさまご自身であり、闇は敵の勢力を表していることがわかります。イエスさまの誕生を通し、敵が打ち砕かれるのです。クリスマス・イルミネーションを見たら、光はイエスさまの誕生であり、闇はこの世を覆っている敵の力であり、彼らを打ち破るために、この地上に来てくださったイエス・キリストに心に留めることが大切です。

 イエスさまの誕生は、ルカの福音書に記録されています。ルカの福音書を見ながら、士師記を付き合わせて読むと、結構、共通点があることに気づかされます。ルカ二章八節から十六節に、

『さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。』

 羊飼いたちが夜、羊の番をしていました。十二月はイスラエルは寒いので、外で寝ることはないと言われています。ですからこれは温かい季節の出来事です。羊飼いたちは通常の業務で夜番をしていました。そんなただ中に主の使いが現れ、主の栄光が照らし、彼らはひどく恐れました。その時、主の使いは「恐れることはありません」と言いました。イエスさまの誕生の知らせは、まず羊飼いにもたらされました。
 イエスさまはなぜイスラエルに生まれたのだろうかと思います。日本でも良かったのではないかと思います。「きょう、ダビデの町で」とありますが、ダビデの町と言われてもわかりにくいです。イスラエルに行けばこの街だとわかりますが、もしも、「きょう東京で私たちのためにイエスさまがお生まれになりました」と言った方がわかりやすいです。
 しかし、イスラエルでイエスさまがお生まれになったのは、大きな意味があります。イスラエルという場所は、歴史的、地理的に大国と大陸に挟まれたところでした。一方はアフリカ、一方はユーラシア大陸でヨーロッパ、アジアとの接点があり、常にイスラエルは、大国によって踏みにじられ、周りの国々から苦しめられて来ました。何度も奴隷になったような悲しい歴史があり、虐げられた国民でした。
 また、羊飼いは遊牧民たちでした。遊牧民は、イスラエルの中にも定住する場所がなく、家もない人々でした。そんな人々にイエスさまのお生まれが知らされたのにも意味があります。これはある意味で、世界で一番虐げられ、苦しんでいる人の所に救いの知らせが最初に届いたのです。

 時々私たちも、「人生は最低だ。これ以下になることはない」という時があると思います。そんな時にこそ、イエスさまが私たちの所に訪れてくださいます。ですから、人生どんなときにも諦めてはいけないというメッセージが込められています。
 イエスさまの誕生は何千年も前から聖書の中で預言され、それも敵のただ中で苦しんでいる人たちの中に、救い主が生まれてくださると預言されていたのです。

 ギデオンの勇士たちも、たった三百人でしたが、大軍に立ち向かって打ち砕いてしまいました。その時、ギデオンが何をしたのか、士師記七章に記されています。十九節から二十二節に、

『ギデオンと、彼といっしょにいた百人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ちこわした。三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「主の剣、ギデオンの剣だ。」と叫び、それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。』

 ギデオンの三百人の勇士たちは壷とたいまつを持って、夜中に十数万人いる敵の真ん中に侵入しました。そして最初に壷を割りました。その音を聞いて、眠っていたミデヤンの大軍は驚きました。そして次には角笛を吹き鳴らし、たいまつに火をつけました。暗闇の中に突如として角笛の音が響き渡り、光が照りました。
 その結果、敵は同時打ちを始め、たった三百人によって敵は全滅して、大勝利となりました。

 イエスさまの誕生は、社会で一番苦しんでいる、他国からも圧制を受けて過ごしている人々のただ中に、何と、天の軍勢の歌声とともに、光が強く照り輝き誕生が告げられました。ここには共通性があります。イエスさまのお生まれによって、敵が打ち破られたのです。ミデヤンの陣営に転がってきたパンは、イエスさまの誕生そのものを表しています。
 ヨハネの福音書六章五十一節に、

『わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」』

とあります。イエスさまは、『わたしがいのちのパンです』と言われました。ミデヤンの陣営にパンが転がってきた夢を兵士が見ましたが、それはイエスさまの誕生を意味しており、それも、超自然的な力で打ち破るために、来てくださったのです。
 救いとは何かについて、使徒の働き二十六章十七節から十八節に、

『わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

 イエスさまがこの地上に来てくださった目的は、人々を救うため、それは、「暗やみから光」に、「サタンの支配から神の支配に移すため」に来てくださったのです。
 私たちはかつて、暗闇のただ中に座していましたが、いのちのパンであるイエスさまが私たちの所に転がり込んできて、いのちを受けました。それは永遠のいのちであり、悪魔の力からの解放を意味します。
 今日ここにおられるひとりひとりは、既にいのちのパンであるイエスさまを食したゆえに、永遠のいのちが与えられています。

 今年は既にクリスマス集会がいくつも行われました。先週も大きな集会がいくつか行われました。その一つは、「レッツ・プレイズ」という中高生の集会でした。二百十名が来ました。ちょうどその日に人気テレビ番組があってちょっと少なかったようですが、しかし大勢集まりました。とても良い集会でした。
 私は色々な所でメッセージをさせていただきますが、一番大変な仕事はレッツ・プレイズです。中高生は案外、自分勝手で嫌なら出て行くし、無駄口を話してザワザワしている中で話さなければならないので、いつも戦いを感じます。
 しかし今年は、人々の心が柔らかくなるようにと祈っています。岩のような心が打ち破られ、肉のような心に変えられるようにと祈っています。そのテーマで、一ヶ月とりなしの祈りを継続してきましたが、人手によらず切り出された石が偽の救いの岩を砕き、人々の心が柔らかくなっているように感じます。水曜日には主日礼拝と共に、上原令子さんをお招きしてのコンサートがありました。

 また、忙しい中でしたが、合間を縫って色々なお宅に訪問しました。
 最近、ある方がこんなことを話されました。「父が高齢でいのちが危ないかも知れないから、ぜひ伝道して下さい」
 それを聞いて私は、伝道に行こうと思いました。しかし前々からの情報によると、その方のお父さんは、生涯の大半を諸宗教の研究に費やし、自ら新興宗教のようなものを編み出し、自らの神を祭る神社を作り出したような人物でした。バリ島に十年も住み、ヒンズー教の研究やUFOの研究もしている人でした。しかし近ごろ病気で、あまり調子が良くなく、あまり長くはないから伝道してくださいと言われました。

 それは大役で、なかなか難しいと思いました。しかし今年は岩が砕かれるように祈っているから、きっと主が何とかしてくださるに違いないと信じ、祈って出かけて行きました。現地に着いてまずは真剣に祈ってから、その方のお父さんの病室に入って行きました。

 しばらく話してから、私が、「お父さんが一番大切にしているものは何ですか?」と聞くと、「私の大切なものは哲学です」と言われました。
 私は、「それはお父さん自身の持っている人生哲学ですか?」と聞くと、「はい、その通りです」と言われました。これはちょっと手強いと思いました。

 しかし私は、そのお父さんに単刀直入に言いました。「聖書の中でイエスさまが、『わたしは道であり、真理であり、いのちです』と言われましたよ。お父さんは今まで一生懸命真理を探究してきましたよね。」
 すると「そうだ。私は長年真理を探究してきたんだ」と言いました。
 私は、「その答えは、イエスさまですよ。」と話しました。すると、「えっ、そんなに具体的に神様がわかるのかい?」と言われました。「そうですよ。イエスさまが私たちの救い主です」と言うと、「じゃあ、イエスさまを信じさせてもらおうか」と言われました。
 私はどうなっているのだろうか・・と思いながら、「お父さん、UFOの件は大丈夫ですか」と聞くと、「UFOか。あれは情報の一つだ。関係ない。」と言いました。
 「では、お父さんが編み出した新興宗教はどうですか」と聞くと、「あれは関係ない。一つの情報だ。」というのです。
 「じゃあ、お父さんが始めた宗教の神々はどうですか」と言うと、「あんなものは関係ない。」というのです。
 すると娘さんが、「お父さんの観音像を持って行っていい?」と聞きました。
 すると、「それを俺の形見だと思ってもらっては困る」と言いました。
 私は空かさず、「そうですよ。イエスさまを信じたので、そんなものはもう意味ないのですよ。イエスさまとお祈りしたら、それだけで神様に通じるんですよ」と言いました。
 すると、「そうか。じゃあ、捨ててくれ」と言いました。そこでさっそく全部持ち出して捨てました。
 けれどもお父さんは少し忘れっぽい所があると聞いていたので、私はビデオを持って行きました。私は、「カメラの前で、イエスさまを信じます、と宣言してください」と言いました。するとお父さんは、「じゃあ、合図を出してくれ」と言いました。「一、二、三、スタート」と言うとカメラの前で、しっかりと、「私はイエスさまを信じます」と告白されました。私はしっかりとビデオに収めてきました。こんなに心が柔らかくて良いのだろうか・・と思うほどでした。

 これはまさしく、人手によらずに切り出された石がヒットしたというか、大麦のパンが転がってきたというか、敵の陣営が打ち砕かれたことに他ならないと思いました。心から主に感謝しました。

 中高生のレッツ・プレイズも皆、おとなしく真剣に聞いていました。光はイエスさま、闇は悪魔。悪魔の力に支配されていたら人生は幸せになれない、悪魔に打ち勝つ方法を知ったら、あなたたちの人生は幸せになると話しました。
 そして、そして最後は全員で、「イエスさまは神様です。」と宣言し、「悪魔をやっつけます。悪魔よ、出て行け!」と皆で戦いました。心が柔らかくなっています。これは敵の陣営が打ち砕かれた証拠です。

 先週は上條実先生が、ここでみ言葉を語りました。イザヤ書から語りました。神様は、「不思議な助言者、永遠の父、平和の君」と語りました。今まで悪魔に支配されていた、ただ中に大麦のパンが転がり込んでくると、そこに不思議としるしが起こされます。十二万人もの軍隊がいて、どうにもならない、動きがとれないただ中に、普通では考えられない奇跡が起きたのです。敵が同士討ちし、敵が絶えてしまったのです。

 私たちは信仰を持たなければなりません。先週もそのことが語られていました。子どもたちが八百人という信仰を持ったのにもかかわらず、上條先生が不信仰だったので、五百三十人しか集まらなかったと悔い改めていました。しかし五百三十人が集まったのはすごいです。奇跡です。

 どん底のような、八方塞がりのような状況があっても、信仰を捨ててはいけません。神様はミデヤンの日のように、絶対不可能に見えることでも、可能に変えることができます。

 教会であまり積極的に話せないこともあります。なぜならば、プライバシーに関わることや、そのことが知れると色々と具合が悪いこともあるからです。自宅が他の宗教の教会をしていたり、他宗教の中心から来ている方もおられるからです。ギデオンのように、敵陣営の中に潜り込んでいる方々も教会に来ています。「この人がそうです」と紹介できないのが歯がゆいですが、イエスさまは、ギデオンのような勇士を、この教会に与えてくださっています。皆さんもぜひお祈り下さい。家全体が勝ち取られるように、祈ってください。

 そのような関係の人で、修験道に強く関わっていた人がいます。しかし家には良いことはありませんでした。私は彼に、「偶像礼拝は一番大きな問題です。」と言いました。その家族は子どもの問題で何年も苦しんでいました。一時も休みはありませんでした。やがて、イエス・キリストを信じ、持っていた修験道のアイテムを全部捨てました。そして時々、新城教会に来られるようになりました。
 しかし彼が去年の冬に私の所に来てこう言いました。「私はちかごろ体調が悪くて病院に行きました。そうしたら重大な病気が発見されました。それは前立腺ガンでした。それも命があと一年位と言われました」と言いました。
 私はそれを聞いてがっかりしました。他宗教のただ中にあった人が、大変な中からイエスさまを信じ、その後発覚したのがその病気でした。多分、クリスチャンになる前から病気はあったと思いますが、すでに末期で手の施しようがないと言われたそうです。これからどうなるのだろうかと思いました。

 しかし、これは敵の陣営に対して主が戦われることだから、諦めてはいけないと思いました。それで教会スタッフに伝え、そのために真剣にとりなし、祈ってきました。修験道の本部にもとりなしに行きました。悪しき力が打ち砕かれるように祈りました。
 すると、あと一年しかないと言われたのが、徐々に病状が安定してきました。そして去年一年間は守られました。数値も良くなりました。そして今年になってさらに良くなって、ガンが消えてしまいました。しかし医者は、「初めはあったから、治療が必要だ」というのがずっと続いていました。

 しかし、先々週、私の所に電話がかかってきました。「先生。素晴らしい報告があります。」「何ですか?」と聞くと、「もう病院に来なくても良いと言われました。もう何もないから治療もいらないと言われました」と話されました。
 二年前に末期だと言われたのが、いやされたのです。治療の必要がないと宣言してくれたそうです。本当に感謝だと思いました。
 敵の陣営のただ中で主が働いてくださる時に、そのような奇跡が起こります。
 イエスさまが生まれてくださったことは、敵の陣営の中に生ける石として、生けるパンとして生まれてくださったのです。それがクリスマス・イルミネーションの真の意味です。

 イエスさまは生きて働いてくださるお方です。色々な問題を抱えている方がいるかも知れませんが、どんな状況でも神は最善を成してくださいます。不思議としるしを行ってくださるお方です。その方に私たちは期待していきたいと思います。

 ミデヤンの日のように、またダニエルの日のように、主は大いなるみ業を敵陣のただ中に現すために来てくださいました。これがクリスマスの本当の意味です。
 クリスマス・イルミネーションが輝いていますが、悪魔の力が打ち砕かれ、人々が救われ解放されるように、お祈りしましょう。

 今日は聖餐式をし、パンを食べますが、いのちのパンであるイエスさまご自身を表しています。イエスさまご自身が、『わたしはいのちのパンです。わたしは天から下ってきた生きるパンです』と言われました。
 今日イエスさまが私たちのただ中に、それも敵陣のただ中に来てくださったことを感謝し、人生のただ中に勝利が拡大することを信じます。一言お祈りします。


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