わたしについて来なさい。

2008.1.27(SUN)
新城教会牧師 滝元順師

新約聖書 マタイの福音書16章24節〜26節
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。今日はこうして、礼拝にて奉仕できますことを感謝します。皆さんのお祈りに支えられ、無事、ペルーから帰国でき感謝します。私の留守の間に色々なことがあり、皆様にご心配をかけ、また、お祈りいただいたことを感謝します。教会に関係する方々が亡くなられたり、たいへん慌ただしい週でした。
 私がペルーへ行く週の日曜日に、Oさんご夫妻が来られ、「お腹のあかちゃんのためにお祈りしてください。もしかしたら、赤ちゃんに障害があるかも知れない」と聞き、お祈りしました。しかし残念ながら、赤ちゃんはこの世に生を受けることなく、天に帰ったと聞き、心を痛めました。
 またHさんも天に帰って行かれました。長い間教育の世界で働かれ、博学な方でした。

 また、先週は、私の家内の父も天に帰って行きました。義父は長い間病んでいたので心配しておりましたが、我が家にとっても大きな悲しみでした。
 この地上に生を受けるならば、やがてこの地上から出て行かなければなりません。特に、身内が天に帰ることは辛いことです。家内の父の葬儀に際しては、皆さんにお世話になり、心から感謝します。
 生きている間、彼は教会にはあまり来ませんでしたが、今週からは、天国から新城教会の礼拝に出席していると思うと嬉しく思います。
 私はペルーに行く前夜、家内の父の所に行き、「お父さん、私は月曜日からペルーに行くよ。」と言うと、「ペルーか。わかった。気をつけて行けよ…」と言いました。しかしその夜、急に様態が悪くなり、危ない様態が続きました。私も出発するかどうか大変迷い、祈らされましたが、そんな中主は色々なことを示してくださり、心から感謝しました。

 今日お読みした聖書の箇所は、イエスさまが語られた言葉です。『人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』と語られました。
 人生、何がなくても、永遠のいのちさえ握っていれば大丈夫です。誰もが、この地上から出て行かなければならない日が来ます。しかし永遠のいのちさえ持っていれば、神の国で過ごすことができます。長い間、愛し合って、ともに生きて来た家族のメンバーがこの地上から去ることは大きな悲しみですが、やがて天において再会できるのは、大きな望みです。もう一度、生きているときと同じ、いやそれ以上の姿で、目と目を合わせて共に語り合うことができます。それは、イエス・キリストを信じることによって可能になると聖書は教えています。
 エペソ人への手紙二章四節から六節に、

『しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。』

とあります。生まれながらの人間は、悪魔の支配、罪の支配下にあり、死後永遠の滅びの場所、神から永遠に見放された場所に行かなければならないと聖書は教えています。それは大変恐ろしいことです。
 しかし、神は私たちを愛してくださり、もう一度生かしてくださったと教えています。それは、何か努力をしたり、善行や修行を積むことによるのではなく、ただ恵みによって一方的な神の憐れみによって、救い、生かしてくださったのです。ただ、イエス・キリストを見上げるだけで救われるのです。

 「心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」と聖書にありますが、私の義父も病床で、「イエスさま。私を救ってください。永遠のいのちを与えてください」と真剣に祈りました。その告白を主は聞いて下さり、今や、天の所に座らせてくださっています。
 天国もだいぶにぎやかになったのではないかと思われます。新城教会から、すでに多くの方々が天に帰って行きましたので、たぶん彼らにとって、日曜日の最大の関心事は新城教会の礼拝だと思います。天の所で、主の前に座って礼拝をしているに違いないと思います。
 やがて私たちもそこに加わり、互いに顔を見合わせることができます。

 神は憐れみ豊かなお方ですので、私たちの小さな行為さえも忘れません。マタイの福音書十章四十二節に、

『わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。』

とあります。私たちの周りには、はっきりとクリスチャンです、と信仰告白をしていない人たちが多くいるかも知れません。しかし、主を信じる者たちを助け、クリスチャンの行いを喜んでいる人たちは、「水一杯差し出すだけでも報いにもれることはない」と約束されています。

 私の義理の父も、一生懸命私たちの働きを助けてくれました。かつて、隣地が売りに出された事がありました。しかし、それは私たちにとって、手が出せない金額でした。彼は、「その土地を手に入れておいた方が良い」と、土地を買ってくれました。今私たちはその土地に住んでいます。あの時、彼が土地を買ってくれなかったら、私は今どこに住んでいるだろうかと思います。またこの教会もかなり変わったと思います。それは、冷や水一杯どころか、ペットボトル何万本分にも値する助けであったので、報いにもれているはずはありません。その他、彼は色々な場面で助けてくれました。

 天国へ行ったら、どのような人たちが入っているのかわかりません。神様は憐れみ深い方であることを、私たちは忘れてはなりません。ですから、私たちの使命として、常に種を蒔き続けなければなりません。
 今年、私が示されているみ言葉は、マルコの福音書四章二十六節から二十九節です。

『また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」』

とあります。種を蒔き続けていくならば、「地は人手によらずに実をならせる」とあります。私たちの努力や、私たちの働きというよりも、種さえ蒔けば、主が育ててくださり、収穫の時が来るのです。
 この教会も既に、この地に根ざして五十数年になりますが、種を蒔き続けてきました。それを育てて下さるのは主であり、やがて永遠の国において、私たちは収穫の全容を見ることができます。私は、マルコの福音書四章のみ言葉を、今年のテーマとして受け取っています。

 しかし聖書は、ある一つのみ言葉だけをピックアップするのではなく、その前後を大切にしなければなりません。文脈は大変重要です。マルコ四章の例えの次に出てくるのは、イエスさまが湖を渡って、向こう岸へ行かれたという記事です。
 福音書、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネは、互いに情報を共有しながら、補完し合っています。読み比べてみて、ある書には記されていても、ある書には記されていない情報もあります。しかしそれらを組み合わせると、更なる真理を見出すことができます。

 種まきのストーリーの後に、イエスさまが語られた言葉が、マタイ八章十八節から二十四節にあります。今回私はペルーに行くに当たり、祈っている中、主がこの言葉を私に語ってくださいました。マタイ八章十八節から二十四節に、

『さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。』

 イエスさまは十二人の弟子の他にも多くの弟子たちを集められました。一人一人に声を掛け、「わたしについてきなさい。」と語られました。弟子となる条件は、各人それぞれでしたが、一つ、共通する中心的なことがありました。それは、

『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』

 私たちは誰でも、恵みによって救われますが、主の弟子となって従うときには、「自分の十字架を負って主に従う、自分を捨てる」ことが要求されます。
 既に皆さんはこの日本において、クリスチャン生活がなかなか大変であるのを実感していると思います。異教文化の中で、クリスチャンであると宣言するには、大きな戦いがあります。そして、その人にしか負うことができない「十字架」、すなわち、「犠牲が伴う」ことを体験しておられるでしょう。そのことは、大変重要であると聖書は教えています。

『いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。』

とあります。時に私たちは、自分の信仰生活の中で、自分を捨てきれず、世の中と調子を合わせた方が都合が良い場合や、また、主から離れた生活の方が楽に見えるかも知れません。
 しかし、救われたならば、主から課せられた十字架を背負い、主についていくことが大切です。

 今回のペルー訪問は何ヶ月も前から準備され、途中、アメリカにも立ち寄ることになっていました。チケットもエコノミーなので、日程を変えることもできず、すべてのお金はすでに支払われていたので、なかなか難しい選択を迫られました。
 色々な思いが交錯作する中、私は真剣に祈りました。家内の家は仏教で、父もはっきりとしたクリスチャンではありません。私は常々、「ぜひ教会で葬式をやりましょう」と言っていましたので、義母もたいへん迷って、教会葬を検討してくれました。私もどのように選択したら良いのかわかりませんでしたが、祈りつつ出かけていきました。

 成田エクスプレスに乗っているときに、主が私に、一つのみ言葉を稲妻のように語ってくださいました。それで、私はペルー行きを確信しました。それは、私自身に語られたことなので、皆さんも同じ、という意味ではありません。
 マタイ八章二十一節から二十二節に、

『また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」』

という箇所が、私の耳に響いてきました。私はとても驚きました。そんなことは思ってもいませんでした。その語りかけを受け、大変でもペルーに出かけることが大切だと思いました。そしてもしも、教会で葬儀が決まったら、いつでも帰れるようにと準備し、出かけていきました。しかし大変迷いました。

 ある弟子は、「わたしについて来なさい」とイエスさまに語られ、父を葬ることをあきらめて、舟に乗り込みましたが、その後に起こったのは大暴風でした。舟は揺れに揺れ、あわや沈没しそうになったのです。

 ある意味、私もそのような状況でペルーに行きました。向こう岸、ガダラ人の地に着くような心境で出かけていきました。しかし今回、そのような戦いの中で出かけていきましたが、本当にペルーに行って良かったと思う旅でした。主が私をペルーへ導いてくださったと実感する旅でした。

 皆さんの祈りに支えられ、ペルーでの働きが守られ、祝福されたことをもう一度心から感謝します。日本でも色々な戦いがありましたが、共通する戦いとして、共に祈り続けることができたことを心から感謝します。
 今回ペルーに行って四キロのダイエットに成功しました。それは心労が重なったのと、十四時間の時差があり、集会が終わりホテルに帰って寝る時間になると、日本から義父の様態などの連絡が入って、あまり寝る時間がなかった為だと思います。これの体重をキープしたいと思っています。すべてのことが合い働き、益となります。

 いまから、どのようにペルーで主が働いて下さったのかについて、お話ししたいと思います。

 ペルーは南米の太平洋岸に位置する国です。古いものが残っており、インカの遺跡が多いことで有名です。最近は日本人観光客も多いです。日本から二十四時間ほどで着くことができます。首都リマは雨がほとんど降りません。ですから、砂漠のようなところですが、東側にアンデス山脈があるので、そこから水が流れ潤っています。街は整っており、日本にあるものは何でもあります。私は七年前にペルーに行きましたが、七年前と比べると大きく変わっていました。

 十六世紀にはスペインが侵入し、ペルーは長い間スペインの植民地でした。それで街には、スペイン様式があちらこちらに残っています。セントロという古い地域は、何百年も前に立てられた建物が保存されています。
 何年か前、日系人のフジモリ大統領が出たことにより、ペルーと日本の距離が大変近くなりました。また、フジモリ大統領に日本国籍があったために、国際間に色々な問題がありましたが、彼が日本に住んだことによって、ペルーと日本が大変親しくなった経緯もあります。

 また日系人移民も多く住んでいます。現在、下田先生夫妻が宣教師となり、ペルーで伝道されています。彼は「リバイバル聖書神学校」を卒業し、昨年からペルーで宣教師として働いています。奥さんはリリーさんで、ペルーの方です。
 彼はちょうどテロがあった年に、世界宣教会議でエジプトに行きました。その時、すべての国の人が会議出席をキャンセルしましたが、日本とペルーだけがエジプトに来ました。そこでペルーに対する宣教の思いを与えられたそうです。そして、やがて一生の伴侶となる奥さんと出会い、今は宣教師としてペルーで働いています。

 それもリマの町中ではなく、大変貧しい地域で働かれています。ペルーは首都リマに人々が集中して住んでおり、それが全てのように考えますが、ペルーは色々な国が寄り集まった多種多様な民族、文化が入り混ざった国です。
 ですから、現地の方も新城教会に来られているペルー人の方々も、ほとんど知らないような貧しい地域があります。そこで生まれるならば、その人はその地域で一生を過ごし、死んでいくと言われます。貧しく、何もないような所ですが、そのような場所で彼は伝道しています。なかなか日本人が入って伝道するのは困難なところです。しかし私たちは、そのような場所に出かけていきました。

 ペルーは古いものと新しいものが同居しているような場所です。首都リマの真ん中に、プレ・インカと呼ばれる千何百年も前の遺跡が残っています。それは広大なものです。パチャカマックという場所にもとりなしに行きました。これは千何百年にも渡り、太陽礼拝がなされていた場所です。そこには十五基ものピラミッドがあります。バベルの塔から人々が散らされながら、悪霊を呼ぶ行為を続け、ペルーにまで来たことがわかります。日本も天照という太陽神を拝んでいますが、ペルーも同じように、「ソル」という太陽を拝んでいました。
 そんな遺跡のただ中に、貧しい地域は広がっています。「ワチパ」という地域にも、プレ・インカ時代のピラミッドがあります。考古学的に重要な所ですが、国の予算がないので放置され、その上に貧しい家々が建っている現状です。そこには病院もなく、井戸もありません。しかし給水車が来ます。フジモリ政権の時、電気だけは引かれました。子どもたちが大変多い地域です。特にこの街では、十四才から十六才で女の子は子どもを生みます。ですから子どもたちが多いのです。

 ですからペルーの社会には出てこない人たちが多いのです。一般のペルー人も、このことについては、あまり知りません。しかし下田先生は、週二回、現地の牧師と協力して、伝道を展開しています。現地の牧師にも会いましたが、貧しさ度合いの最高値を十とするならば、この地域は九だと言っていました。
 その中にある教会で、二日間奉仕させていただきました。子どもたちが道ばたで大勢遊んでいました。日本には、「引きこもり」という問題がありますが、「そんな問題はここにありますか」と聞くと、「そんなことはあり得ない」と言われました。

 一月はペルーは夏です。この地域は元々、山の方から下りて来たインカ系の人たちが一つの集落を作った場所でした。そこで私の霊的センサーが働きました。ワチパの教会の後ろには崩れた大きなピラミッドがあり、麓は現地の人たちの墓場です。こんな悲惨な状況の中、どんなふうに奉仕したら良いのだろうかと主に求めました。
 その時、主が一つのことを教えて下さいました。その町では、女の子が十四才から十六才になると子どもを産み、そこで一生を終えるような社会です。一日働いても、給金は五百円以下です。そんな貧しいところでは、牧師も教会だけでは生活できないので、自ら近くの煉瓦工場で働きながら伝道に励んでいます。彼は十年間そこで働いていますが、そんなに多くの実を結んではいません。
 私は「主よ。この場所で何をしたら良いのですか。」と祈りながら集会を導きました。主が始めに語ってくださったことは、「まず、子どもたちに聖霊の油注ぎを祈りなさい。彼らの、霊的な目が開かれるように祈ってあげなさい」と言うことでした。
 私は集会が始まる前、講壇に立って言いました。「今、通りに出て行き、子どもたちを皆、連れてきてください。」
 それで、道ばたで遊んでいる子どもたちや、教会に出入りしている子どもたちを集めて、彼らのために祈りました。特に、彼らの霊の目が開かれ、この場所を支配しているのが悪霊であると、はっきりとわかるように祈りました。その祈りはたいへんパワフルで素晴らしかったです。子どもたちに聖霊が注がれ、全員が聖霊によって倒れてしまいました。
 その後、彼らは立ち上がり、霊的戦いのためにみことばの剣を受けるように祈りました。すると、彼らの霊の目が開かれ、口々に、「剣が見える」またある子は、「炎がある」と言いました。

 私は子どもたちに、「その剣と炎を、この土地を支配している悪霊どもの方に向けなさい」と言うと、子どもたちは一斉に、「あそこに悪霊がいる!」と、ピラミッドと墓場の方向を向きました。
 実に、その村の人々は毎日のように、そのピラミッドの頂上に、白い馬に乗って剣を持った幽霊を見るそうです。皆、恐がってピラミッドの上には登りません。しかし私たちは、ピラミッドの頂上に登り、その土地が癒され、人々が解放されるようにと祈りました。
 福音の種を蒔き、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶためには、土地が「良い地」に改良されない限り、それは起こらないのです。

 さて、イエスさまは種まきの例えを話された後、ゲラサの地に行かれました。そして、ゲラサの地を支配している、「レギオン」を打ち砕かれたのです。その結果が、マタイ八章二十八節から二十九節に書かれています。

『それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」』

 悪霊に支配されていた男たちがイエスさまを出迎え、悪しき力は打ち砕かれました。それは土地が改良されたことを意味します。その結果として、マルコ五章二十節に、

『そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。』

とあります。男たちがレギオンから解放されたことにより、ゲラサだけではなく、「デカポリス」、「十の町」全体に福音は拡大し、人手によらず実を結んだという記事を見ることが出来ます。
 種まきの例えの実践編を、ガダラ人の地において見るのです。

 実際、今回私が訪れた地もそのような地域でした。人々は暗闇の中に座っている現実でした。しかし、それはただ単に経済的、政治的、ライフスタイルの違いから来ているのではなく、その地の貧困と混乱は、その背後に働いているレギオンが原因しているのです。それに気づかない以上、その地域が解放されることはないと、主が教えてくださいました。
 そして特に、解放の鍵となるのが、その土地に生まれ、その地に住む「子どもたち」であると教えてくださいました。その子どもたちのために祈ることができました。

 貧しい地域内では、なかなか食事ができません。また水も飲めません。私たちには対応できないウィルスが多くあり、すぐに下痢をしてしまいます。
 下田先生は一度コレラにかかったそうです。しかし彼はコレラだとは知りませんでした。熱が長く続き、十日間ほどたって病院に行くと、「あなたはコレラです」と言われ、驚いたと言われていました。
 私たちに食事を出してくれましたが、食べたらやられてしまうと思い、私は、「日本人は夜十時を過ぎるとご飯を食べないの…」と言い一切食べませんでした。けれども、下田先生たちは、この土地のバイ菌になれていると言って、たくさん食べていました。すると次の日、四十度くらいの熱で倒れ、大変なことになりました。
 奥さんが「コレラの時と同じ症状だ」と言われるので驚き、これも戦いだと思い、四十度の熱で倒れている彼の所に行き真剣に祈りました。本当に霊的戦いだと感じました。しかし、祈りが終わると三十七度五分に熱が下がり、病院に行き点滴を受けると元気になり、それから一緒に働きました。主が助けてくださいました。

 先週日曜日は、新城教会でクリスチャンになり、ペルーに戻られた兄弟姉妹が集まっての帰国者礼拝をしました。三十人ほどが集まり、とても良い集会でした。皆が口々に、「ぜひ新城教会をこっちにも作ってください」と言われました。しかしみんな現地の教会に通っています。ある人は二百キロ、三百キロと、車を走らせて来てくださいました。集会後は皆で昼食をしました。

 帰国者集会を終えて、午後からはリマから百五十キロほど離れた、「ワッチョ」という街に出かけました。海岸線に沿って広がる砂漠の真ん中を車は走っていきました。そこも少し貧しい地域でした。十万人ほどの人々が住んでいる街ですが、教会は三十程あります。しかしそれ以上に、魔術師たちの教会が二百程あると言われました。テレビや新聞でも魔術の宣伝がよくあるそうです。
 「悪魔との契約百パーセント保証します」などという広告が出るそうです。その街のほとんどの人が、色々な形で魔術に関わっています。魔術で固められているような街です。年間一度は魔法使いたちの大集会が、街のスタジアムであると言われました。千人以上の魔術師たちが一同に集まって、悪霊のリバイバル集会をするそうです。
 また、そこには「魔法の泉」という湖があり、毎週火曜日、夜中の十二時から徹夜祈祷会があるようです。そこでは小動物などのいけにえを捧げるそうです。

 そんなたいへんな環境の中、ビクトルという牧師が伝道していました。ある時、魔術の強い圧迫に対して、どうしたらよいのか苦しんで祈ったそうです。「主よ。どうやって伝道したらいいのですか。教えてください」と祈りました。

 するとある晩、夢を見たそうです。夢の中にイエスさまが現れ、「この街は魔術で大変なので、この街の悪霊を退治するために、アジアから一人の牧師を送ってあげるから、待っていなさい」と語られたそうです。彼は、アジア人との関わりは全くなく、そんなことがあり得るのだろうかと思ったそうです。

 しばらくすると、下田先生来て、「今度、日本から滝元順という先生が来るから、集会をしませんか」と言われたそうです。その時、「これだ!」と思ったそうです。
 私もとても嬉しかったです。アジアから送られた牧師が私ならば、嬉しいと思いました。しかし、アジアには多くの人が住んでいるので、私とは限りませんが・・・。しかし、最初にその教会を訪れたアジア人牧師は私でした。
 その教会での集会は大変祝福されました。けれども最初、集会はとても重く感じました。会衆の中に、一人全く表情を変えないおばさんがいました。変わった人だと思い、わざわざビデオを取り出して、その人をズームアップして撮りました。
 後から聞いてみると、その人は魔女でした。息子が教会に行くようになり、霊能者をやっている自分のお母さんを連れて来ていたのです。
 その母親は集会の中で、悪霊的なとりなしをしているような感じでした。けれども、集会の最後には聖霊が注がれて、皆が踊り出し、魔女のおばさんも最後には一緒になって踊っていました。

 私は彼女のために祈って上げようと思い、彼女を呼びました。いやがっていましたが、私のところに連れてこられました。私は、「あなたは霊的に敏感なところがあるでしょう。その能力を悪魔に使われていたら、人生は破壊されますよ」と話しました。すると彼女は、「魔術をやっていても良いことは何もない」と認めました。
 私は、「イエスさまを信じ、聖霊様を感じるようになったら人生は変わりますよ」と薦めました。そして、悪霊とのつながりを断ち切る祈りをしました。主は彼女に触れてくださり、倒れてしまいました。

 翌日、「魔法の泉」という場所に、とりなしの祈りに行きました。そこには、魔女の息子さんがついて来ました。私は彼に、「魔女の息子として、この地が解放されるように祈りなさい」と言いました。すると彼に祈りの油が注がれ、真剣にその地が解放されるようにと祈り、それはたいへん印象的な光景でした。
 それを見て、元々この地の人々は、聖霊の力に触れられるならば、霊的戦いの器であることがわかりました。霊能者たちは、毎週、魔法の泉の後ろにある山上で生け贄を捧げたりしているようですが、その場所で、私たちは聖餐式をして、心から主のみ名を賛美をしました。

 その後、私たちは食事に行きました。モルモットとウサギがご馳走でした。食生活がやや違うようでしたが、楽しかったです。
 色々な戦いの中で、主は大きな勝利を見せて下さいました。

 時々主に従うことに困難を覚え、向こう岸に行くことをためらう時がありますが、主が「わたしについて来なさい」と語ってくださるならば、私たちは従う必要があります。

『「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』

 「自分を捨て、自分の十字架を負い、わたしについて来なさい」とあります。それぞれに、神からの使命があり、イエスさまはひとり一人に、「わたしについて来なさい」と語られます。そこには、自分自身が背負うべき十字架、払うべき犠牲があるかも知れません。しかし主に従っていくならば、必ず、大いなる勝利を与えてくださると信じます。

 私の義理の父の最期の言葉は、「気をつけて行ってこい」でしたが、きっと天国でこの戦いに参加し、「順。お前はこんな仕事をしていたのか!」と初めて、私の現実の姿に接して、面食らっていたのではないかと思います。しかし、真剣に天で祈ってくれてたのではないかと実感しました。

 私たちは主の弟子として、これからも歩み続けていきたいと思います。皆さんのお祈りを心から感謝します。一言お祈りします。


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