私は奇跡を信じる

2008.2.10(SUN)
新城教会牧師 滝元明師

新約聖書 使徒の働き 4章24節〜31節
これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

 ハレルヤ!おはようございます。今朝このようにみ言葉を取り次がせていただけることを、感謝します。今週は素晴らしい時を迎えます。二月十三日は、県民の森で素晴らしい聖霊の注ぎがあった日です。今週、神が素晴らしいことを成してくださると期待しています。
 皆さんがいつも私のためにお祈り下さっていることを感謝します。先週、二月六日に病院に行きました。昨年、手術をした箇所を医者に診せました。すると完全に良くなっており、もうこれで終わりということで結着がついたことを感謝します。三十六年という長い間、放置しておいた脱腸の手術をしましたが、それが全て癒され、これから新しい力をいただいて出発したいと思っています。今後も覚えてお祈りいただけたら嬉しいです。

 今日は「私は奇跡を信じる」というテーマで学びます。「私は奇跡を信じる」
 皆さんも信じていると思います。信じたら神が栄光を現してくださいますので、期待したいと思います。
 使徒の働きを見ると、二章に聖霊が初めて降ったことが書かれています。また三章には、聖霊に満たされたペテロとヨハネが、美しの門に来た時のことが記されています。そこに生まれながら足の効かない、一人の男が運ばれてきました。その時にペテロは、「私を見なさい」と言いました。そしてペテロが、「金銀は私にはない。私にあるものをあげよう。ナザレのイエスの御名によって歩け!」と言ったときに、生まれてから一度も歩いたことがない人が即座に立ち上がって、踊り、歩いたという奇跡が記されています。
 弟子たちの伝道の強調点は、「あながたが十字架につけて殺したイエスが主であり、キリストであり、彼は死者の中からよみがえった。」という事でしたが、よみがえりを信じたくない人たちがペテロたちを捕まえて牢屋に入れたり、色々な問題がありました。
 しかし、そのような苦しみの中から、ペテロとヨハネは解放されました。そして、ペテロが語ったことは、「私たちは見たこと、聞いたことを語らずにいられない」と、彼は堂々と出てきました。その時に神の前に祈ったことが、使徒四章二十四節に書かれています。

『これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。』

とあります。

また、四章二十九節から三十一節に、

『主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。』

とあります。この時に弟子たちが祈ったことは、「み言葉を大胆に語らせてください」という祈りでした。私たちも聖霊に満たされて、大胆にイエスさまのみ言葉を伝えることができるように祈っていきましょう。
 そこで、「御手を伸ばしていやしを行わせてください」と祈りました。私たちはイエスさまがよみがえられて、生きておられるお方で、今も癒しを行うことができるお方であることを深く信じましょう。

 時々私たちは病気になることがあります。しかしパウロはこのように語っています。「私が艱難に遭ったのは、艱難の中にあった人たちを慰めるためである」とあります。
 病気になると、病気の方の気持ちがわかります。しかし私たちは、そのような人たちのために憐れみを持って、信仰を持って祈らなければなりません。彼らが祈ったことは、「主よ。御手を伸ばして癒しを行わせてください」という事でした。

 県民の森で聖霊が降ってから、今年で十六年になります。私がアメリカのある牧師先生に会うと、彼がこのように話されました。この新城教会での聖霊の訪れについて、順牧師が書いた『主が立ち上がられた日』という本があります。まだ読まれていない方は、お読み下さい。普通、リバイバルが始まったという話の本は、その人が亡くなってから書かれることが多いと言われます。しかし新城に起きたことは、起こったことをそのまま記してあるので素晴らしいと言われました。事実をそのまま表しています。
 今週は二月十三日に記念祈祷会があります。素晴らしいリバイバルが起こるように祈っていきましょう。そして、霊的戦いが今進んでおり、この教会は大変恵まれています。
 昨日は中高生の方々が素晴らしい賛美をし、恵まれていました。今日は、青年会が夜七時から二十四時間の賛美をするようです。青年たちも燃えています。彼らが真剣に祈り、賛美をすることに期待があります。歌って良い気持ちになるのではありません。期待はリバイバルが起こるようにです。新しい事が起こるように期待して賛美します。今週は期待しましょう。

 三番目に彼が祈ったことは、「イエスの御名によってしるしと不思議なわざを行わせてください。」でした。彼らが心を一つにして祈ったように、しるしと不思議なわざが起こされるようにです。新城教会に不思議なリバイバルの霊が注がれ、霊的戦いによって天の窓が開かれ、癒しが行われ、御名によってしるしと不思議なわざが行われることを祈っていきましょう。ヘブル十三章八節、

『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』

 二千年前のイエスさまも、今日も同じです。同じイエスさまですので、必ず素晴らしいことをしてくださると信じましょう。ヘブル十一章六節に、

『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。』

 私たちのクリスチャン生活は、信仰がなくては神に喜ばれることはできません。毎週礼拝に来て話を聞いていますが、それを信じることです。信仰を持ったら、神様が喜ばれます。神が生きておられること、しるしと不思議を行うことができる、奇跡を行うことができると信じましょう。私たちが本当に信仰を持ったら、素晴らしいことを見ることができます。ヘブル十一章三十三節から三十四節に、

『彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。』

とあります。本当に信じた人たちは、信仰によって国々を征服したとあります。私たちも信じなければなりません。今日本ではクリスチャンの数が少ないですが、信仰を持っていつか日本もクリスチャンの国になると信じることです。

 かつて中国は共産主義の国でした。戦争が終わってからクリスチャンは弾圧され、宣教師は全員追い出され、その時の宣教師たちは日本に来ました。中国は駄目だという考えがありました。共産主義なのでほとんどの偶像を壊しました。中国は望みがないかも知れないと思いましたが、望みのない国にまた門が開かれますようにと祈っていました。

 しかし今、中国は素晴らしいリバイバルが起こっています。クリスチャンが約一億人ほどいるであろうと言われています。共産党員は六千万人と言われています。それよりももっとクリスチャンの数が多くなっています。
 ですから、日本に今クリスチャンが少なくても、やがて日本がクリスチャンの国になる、新城はやがてクリスチャンがいっぱいになると信仰によって信じなければなりません。
 また皆さんの家庭に色々な問題があったとしても、神様の力を信じたら、解決のない問題はありません。信じましょう。あなたの中に奇跡を行ってくださるという、信仰を持って歩んでいきましょう。最近私は、恵まれたことがたくさんありました。

 先日、順牧師の説教で恵まれました。ペルーのワッチョという町に行ったことを聞きました。そこは十万人程の人口の町ですが、教会はたった三十しかないそうです。しかし、魔術を行う教会が二百あると言いわれました。その町のビクトル先生という方がお祈りしている中で、魔術によって悪霊の圧迫があまりにも強いため、「主よ。どうやって伝道したら良いですか」と祈ったときに、イエスさまが夢の中に現れて、「この町は霊的に大変なので、この町の悪霊を退治するために、アジアから一人の牧師を送ってあげるから待っていなさい。」と言われたそうです。

 それから間もなく、下田先生が遣わされ、霊的戦いの先生が来るということで、待っていたところに順牧師が行き、サタンから解放する祈りをしました。「魔法の泉」という場所に行ってとりなし、祈ったと言われました。神様はすごいです。

 東京で一九九八年に武道館で集会をしました。その時にスティーブ・ケイラー先生から聞いた話ということで、大川先生がメッセージされました。
 ある女性が悩んで自殺しようと思い、ピストルを頭に当て、撃とうと思っていたときにテレビを見ていると、ケニー・ダンプというテレビ伝道者が話しているのを耳にしたそうです。
 「イエスさまを信じなさい。救われます。」と語ったそうです。その時彼女は、「もしあの先生の話を聞いたら、自分は自殺しなくても救われるかも知れない。先生に会いたい」と思ったそうです。
 そうしたら目の前に電話番号が浮かびました。その人はその番号に電話しました。ケニー先生はその時、ある場所に行くために高速道路を走っていました。すると、子どもたちがお腹が空いたと言うので、レストランに入りました。
 レストランにはいると、みんなはご飯を食べましたが、先生は食べませんでした。食欲がなくて外を散歩をしていました。
 すると、目の前の公衆電話が鳴りました。ケニー・ダンプ先生がその公衆電話を取りました。「何ですか?」と言うと、「私はケニー・ダンプ先生と話したくて電話したんです。」と言いました。

 彼はとても驚いて、「それは、私です」と言いました。そして、その方が救われた証をしました。一人の魂が自殺をしようと思っている時に、目の前にある、公衆電話の電話番号が出てそれによってイエスさまがわかったことは奇跡です。こんな奇跡はありません。

 先週ある姉妹と話しました。その姉妹は今、家族が皆救われ、一緒に教会に来られています。彼女は高校生の時に何回か教会に来ていましたが、高校を卒業してからは、教会に来なくなり、イエスさまとは関係のない生活をしていました。
 しかしある時、新城教会の夢を見たそうです。私もその夢に出てきたそうです。ある時、お勝手仕事をしていると、目の前に、〇五三六二三四八〇〇というナンバーが出てきたそうです。「何の電話番号だろうか\\\」と思い電話をしてみると、新城教会でやっていた「希望のダイヤル」につながりました。感想やメッセージをお残し下さいというメッセージに対して話を聞きたいと残し、教会に来てイエスさまを信じたそうです。奇跡だと思われませんか?

 神は生きています。今日、どんなに神様がわからない方でも、あなたを神はご存知です。神は奇跡を行われる方です。私は奇跡を信じています。
 私は十九才の時、東京でイエスさまを信じ、二十歳の三月十五日に開拓伝道に入りました。家内と結婚し、十月から津具鉱山の鉱夫として働きました。その後、八橋マンガンで三年間土方生活をしました。私が十月に津具鉱山に入ったとき、私は滝元明という名前ですが、みんなは滝元明とは呼ばず、私のことを「イエスさま」と呼んでいました。

 「おい、イエスさま。お前、ここに入ったけどお前は来年の一月にならないと給料がもらえないぞ」と言われました。
 「なんで?」と聞くと、津具鉱山は約三ヶ月間給料が遅配になったと言いました。今日働いても、来年の正月にしか給料はもらえないと言いました。その時、貧しいときでしたので困りました。三ヶ月も給料がもらえないと食べていけないと思いました。そこで家に帰って、家内と共に祈りました。
 マタイの福音書十八章十九節に、

『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。』

とあります。素晴らしい約束があります。私は聖書に書かれているように、家内と一緒に心一つにして祈りました。
 「イエスさま。金を出してください。」と祈りました。鉱山に入ったときには、百人ほど働いていましたが、金が一ヶ月で三キロ出たらその鉱山は黒字になります。
 しかし一キロしか出ませんでした。その時の金の公定価格は、四十二万円でした。一キロ四十二万円です。それが三年間続き寂れた鉱山でした。

 その時、私は家内とともに真剣に祈りました。「イエスさま、金を出して下さい」と祈りました。祈ったその月、三年ぶりに三キロ金が出ました。
 偶然だと思いますか?次の月には、十一キロ出ました。大鉱脈にぶつかりました。新聞に大きく出ました。「津具鉱山、大鉱脈を発見」それから鉱山は景気が良く、毎月金が出ました。一九五〇年の十月に入り、一九五一年十一月までそこで働きました。三回もボーナスをもらいました。
 するとそこの社長がある時こう話しました。「皆さん、この鉱山でこんなに金がたくさん出たのは、山神様のおかげです」と言いました。その時、私は手をあげて言いました。「違います。私がイエスさまに祈りました。だからイエスさまが金を出してくれました」と言いました。鉱夫たちも、「イエスさまが来てから金が出た」と言いました。

 十一月に私は津具鉱山辞め、十二月に八橋マンガンに入りました。すると私がやめた月から、金がピタリと出なくなったのです。その次の年にはほとんど金が出なくなり、百人中、七十人がリストラされました。私が入った八橋マンガンに入れてくださいといったそうですが、誰も入れませんでした。私は奇跡を体験しました。創世記三十九章五節に、

『主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。』

とあります。「ヨセフゆえに」とあります。クリスチャンが入ったら、店が祝福されるべきです。皆さんが入った途端、つぶれたというのではいけません。私は神様が奇跡を現してくださることを信じています。
 私は鉱山の生活をした中で今考えると、このような教会堂ができ、一九九三年には甲子園で集会ができたことは奇跡しかないと思います。自分がやったことは何もありません。しかし、イエスさまが生きておられるので、奇跡が起こりました。

 甲子園ミッションに行かれた方は大勢いると思いますが、甲子園で奇跡を見ました。一九九三年十一月五、六、七日に行われました。最初は十月三十日から三日間行う予定でしたが、球場側の都合で十一月に変わりました。十一月は寒いです。ですから、皆が「南から熱い風を送って下さい。暖かい日になりますように」と祈りました。その時にハワイから来られた中野先生が一人一人に勧めをし、このように言われました。
 「皆さん。私は十月三十日に日本に来ました。雨が降り寒い日で、すぐにハワイに電話しました。日本は寒い、コートを持ってこい!」これが私の電話でした、と話されました。
 しかし十一月四日はぐっと温かくなり、気温は二十二度でした。今日この辺りは十度ほどです。また五日は二十一度、六日は二十一度、最終日は少し寒くなり、十七度でした。

 最後の日、皆が言います。「あの日奇跡を見た」
 天気予報は降水確率六十パーセント。あの日、事務局に電話が入りました。「こんなに雨でも集会をしますか。」甲子園球場の近くの福島区も堺も雨が降りました。
 「こんな雨でも集会をしますか。」と言われました。「いや。やりますよ。」
甲子園には降りませんでした。その夜、私が説教をするときにぽつぽつと雨が降り出しました。「イエスさま。あなたの集会です。雨は迷惑です。止ませてください」と祈りました。

 先日、私が関西の方に行くと、一人の方に会いました。その方は、その祈りを聞いてびっくりしたそうです。「困ったなあ。あんな祈りをして、雨が降ったらどうなるのだろうか」と心配したと言われました。
 しかし、どうだったでしょうか。最後まで雨は降りませんでした。甲子園の上だけ青空でした。集会が終わり、濡れてはいけない物を全部片付け、十一時頃になって雨が降り出しました。奇跡です。

 ですから、私たちは信じましょう。しるしと不思議を行わせてください、死んだ神ではなく、よみがえりの神です。信仰を持ちましょう。
 私は今、ヨシュア記十章十二節と十三節のみ言葉を信じています。

『主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。』

 約束の地、カナンにイスラエル人が入り、エモリ人と戦ったときに、彼らは大声で祈りました。『「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」』
 こんな祈りをしたのは歴史が始まって以来、ヨシュアだけです。「日よ。ギブオンの上で動くな!」というのは、わかりやすく言うと、「太陽よ。止まれ、動くな!!」ということです。
 前にも後にも一度だけ、神様が彼の祈りが聞かれ、その日、太陽が一日止まって、勝利したと教えています。私はこの言葉が大好きで、この言葉を自分のものとし、奇跡を信じています。

 また今年私のためにも覚えてお祈り下さい。私は今年、日本にリバイバルが来ると信仰を持っています。去年は「ハワイ・リバイバルミッション」があり、決起集会をしました。日本国内は百余りの教会を廻りました。今年四月は沖縄に中村裕二先生が来られてコンサートの集会をします。コンサートだけではなく、滝元明ミニストリーで伝道集会をします。コンサートは好きですが、なかなかコンサートだけでは実が残りません。だから滝元明ミニストリーということで、伝道集会を中心に行います。
 五月は大阪方面、六月は北海道で十日間やります。ロン・ブラウンさん、マキーダさんが来られます。七月は九州で行います。レビがコンサートをします。レビは新城教会のメンバーです。彼らは皆、アメリカに渡って音楽の勉強をしています。
 九月は長野県、十月は北関東を廻ることにしています。何とかして、リバイバルが起こることを願っています。しかし年齢の事を考えると、私の年齢は年を取っているのか、若いのかわかりません。私は今年七十九才になります。人間的に考えると、「七十九才で年だから駄目です」と言うかも知れません。

 しかし今年私は、「イエスさま、リバイバルが日本に来るまでは死にません」と心に決めました。よろしくお願いします。私はなかなかくたばりません。「日よ。ギブオンの上で動くな!月よ。アエロンの谷で」
 今年の内にリバイバルが来て、来年死ぬかも知れません。また来なかったら十年先まで生きるかはわかりません。ヨシュア記十四章六節から十三節に、

『ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである。』と言いました。今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。』

 ヨシュアとカレブは約束の地に入りました。彼らは信じ通しました。主の力を信じました。後の人たちは、人が大きい、城壁が大きすぎる、私たちの子どもたちが餌食になると言いましたが、そうではなく、神の言われたことはなると信じた人がカナンの地に入ることができました。

 私たちの世界は信仰の世界です。「信仰がなくては神に喜ばれることはできません」とあります。神がモーセに約束したとき、四十才でした。今は八十五才です、と語っています。あの時の力と今も変わらないと言いました。私はそういう真似はできませんが、今も変わらないことがあります。
 今朝五時に起きて教会で祈りました。今日まで来る事ができたことは恵みでしたし、うちに燃えている聖霊の火、福音を伝えるという情熱は変わりません。「日本にリバイバルが来るまで、主よ。生かしてください」と祈っています。「日よ、ギブオンの上で動くな」という祈りを聞かれた神様は、必ず祈りに答えてくださることを信じましょう。

 駄目だと思わないでください。失望しないでください。年だとか、何もできないと思わないで下さい。信仰を持ったら必ず神様が祝福してくださいます。詩篇二章八節に、

『わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。』

 日本が与えられるように、これから神がしるしと奇跡を行い、癒しを行い、悪霊を追い出し、家族を解放してくださることを信じましょう。ルカの福音書一章三十七節に、

『神にとって不可能なことは一つもありません。』

 「私は奇跡を信じます。」
 リバイバルが来ることを信じましょう。神にとって不可能はありません。今病気でも神は癒すことができます。その神様が今ここにおられるので、信仰を持って祈りましょう。これは皆さんへの言葉です。イエスさまの奇跡を信じてください。信仰を持って前進しましょう。


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