起きよ。光を放て!


2008.3.9(SUN)
新城教会牧師 滝元順師
旧約聖書 イザヤ書60章1節〜4節
起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。

 ハレルヤ!皆さんとともに主を礼拝できることを感謝します。今日は「起きよ。光を放て!」というタイトルで学びます。主がひとりひとりに語ってくださいますように。
 先週は「リバイバル聖書神学校」の卒業式が行われました。第十期生が卒業していきました。神学校ができて、十四年目を迎えようとしていますが、ここまで導かれたことを感謝します。一九九二年に主が訪れてくださり、同時に、甲子園ミッションを通して神学校のビジョンが与えられました。そして現在、数多くの卒業生たちが全国で働いていることを感謝します。4月から新しい年度が始まります。新入生が多く加えられますようにお祈り下さい。聖書を詳しく勉強されたい方は、神学校に入学されると良いと思います。

 今週の土曜日には青年会が主催する、「The Call]という集りがあります。ぜひお友達をお誘い下さい。今回の音楽ゲストは、私の息子が現在、東京でベーシストとして働いていますが、彼が共にライブ活動をしているメンバーたちです。素晴らしい演奏が聴けると思いますので、ぜひお越し下さい。

 また今週から、ジョー先生とトム先生、また、その回りで働かれている方々計四名が新城に来られます。トム先生はジョー先生が昔、副牧師として働いていた教会の主任牧師でした。この四名の方々は、去年のハワイリバイバルミッションのために一生懸命働いて下さいました。今回は日本のとりなしと共に、来週は、「日米合同霊的戦いセミナー」がバイリンガルで行われることになっています。日本では多くの宣教師たちが働いていますが、そのセミナーが良き助けとなるように願っています。
 来週はジョー先生が礼拝でメッセージを語ってくださり、午後はトム先生がリバイバル聖会で奉仕してくださいます。ぜひご期待下さい。

 春は節目の季節です。新しい領域に踏み出す方々も多くおられます。三月はそのような意味で、大変重要な月です。
 風邪を引いたり、花粉症になっている方もいます。春になると、「必ず」病気になる方、「必ず」花粉症という方が多くおられます。そのような悪いサイクルを打ち破って下さるように願っています。
 主の守りがなければ、私たちは一時も生きることはできません。先週は教会のスタッフの一人がインフルエンザになりました。その人と最後に仕事をしたのが私でした。「まずい、今度は私の番か?!」と心配して守りを祈りました。
 先日の礼拝で、「私はインフルエンザにかかったことがない」と言ったら、家内が、「そんなことをみんなの前で言うとインフルエンザになるよ…」と言いました。
 私は「それを言霊信仰と言って、日本の偶像礼拝の考えにつながるんだ」と話しましたが、実際は、少し寒気がしていました。けれども、今日は健康で立つことができて感謝しています。主は、インフルエンザのウィルスも打ち破ってくださいます。一人一人が癒され、元気になることを願います。また、先々週私は、韓国で四日間奉仕させていただきました。素晴らしい働きをさせていただきました。お祈りを感謝します。

 今日はイザヤ書六十章から学びます。一節から二節に、

『起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。』

 主は私たちに、「起きなさい!」と語られているように思います。朝、母親に、「起きなさい。起きなさい。朝ですよ。学校に行かなくちゃ…時間だよ」と起こされた経験があるかも知れません。それで、「あっ、こんな時間だ…」と、慌てて活動を開始します。
 同様に主は、「起きなさい。光を放ちなさい。あなたの上に栄光が輝いています。目を覚まして働きなさい!」と語られるのです。
 一週間前に私は、イザヤ書六十二章六節から九節のみ言葉を語りました。

『エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。』

 この箇所から、「見張り人になりましょう」と話しました。その時、神の国とは、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに三十倍、六十倍、百倍と前進していくものだと語りました。
 「エルサレム」とは「教会」を象徴しており、エルサレムの町は城壁が張り巡らされていて、夜になると住民は眠りにつきますが、誰かが見張り人として城壁の上から敵の侵入を見張り、防いでいます。そうすれば町は守られます。
 教会も同じです。「あなたが今日の見張り人です。城壁に登り、敵が侵入しないように見張っていなさい」と語られる瞬間があります。「時を逃さないでください」と話しましたが、皆さんに見張の使命を与えてくださったと信じます。私が韓国で働いていた週も、多くの方がとりなし祈ってくださいました。

 主は、暗闇のただ中に光を灯してくださるお方です。世界には暗い材料ばかりがあります。政治においても、経済においても、世界情勢においても、常に不安が漂っている今日この頃です。そのような中、主を信じる者たちに対して、「起きなさい。光を放ちなさい!」と語られるのです。見張り人の使命を忘れて眠り込むとき、敵の侵入が始まります。
 イザヤ書五十六章九節から十節に、

『野のすべての獣、林の中のすべての獣よ。 食べに来い。見張り人はみな目が見えず、知ることがない。 彼らはみな口のきけない犬、ほえることもできない。あえいで、横になり、眠りをむさぼる。』

 見張り人たちが眠りをむさぼっている間に、野の獣たちが出てきて、人々を食らうと警告しています。これは霊的領域についての警鐘です。
 私たちが見張り人として使命を果たさずに眠っていたら、野の獣たち、すなわち悪霊どもが食らいに来るのです。しかし教会が眠りこけず、常に城壁の上に立って見張りをしているならば、敵の力は及ぶことはないばかりか、イザヤ書六十章三節から四節にあるように、

『国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。』

 その光は全地に輝き、遠くに捕らわれていた人たちも解放されると教えています。その中で必要なことは、「起きあがって光を放つこと」です。

『見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。』とありますが、暗闇とは何でしょうか。
 第二コリント四章一節から四節に、

『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

 今日皆さんは礼拝に参加されていますが、「私は家族の中でたった一人のクリスチャンです」と言われる方がいると思います。教会に来るとき、家族の手前、来にくかったかも知れません。いくらイエスさまのことを話しても、なかなか耳を傾けてくれない地域に住んでいる人もいるかも知れません。
 今朝、何人かの方々とお話をしました。それは、「今年は組長になる。組長になると偶像の行事がたくさんあって、それをやらないと周りから迫害される」と言うのです。
 しかしそれはおかしな話です。組長とは行政機関の補助ですから、そんな中で宗教行事を行う方が憲法違反なのです。それはきっぱりと拒否することができます。
 「私はクリスチャンですので、偶像行事はやりません」とはっきり告げたら良いのです。「そんなことを言うと、あんたはここに住むことができないよ。伝統を崩す気か…」と圧力をかけることは犯罪です。

 何年か前に、この近くのクリスチャンたちが多く住む地域で、同じようなことがありました。しかしクリスチャンたちが一致団結し、「私たちは偶像の祭りには参加しません」というと、大きな騒ぎになったのです。しかし、信教の自由は憲法で保障されている権利なので、はっきりと、「祭りをやりたかったら、やりたい人たちだけで組織を立ち上げたらどうか」と提案しました。その事に関して、行政をも巻き込んで様々な論議が成され、最後には、祭りをやりたい人たちだけで新しい組織を作るという結論で決着が付きました。
 それで、祭りをやりたい人たちを募ると、とても少なかったそうです。みんなやりたくないけれど、やらないと村八分のような圧力があるのです。それはどこからの力が関わっているのかというと、

『そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

 福音を閉ざす原因は、「この世の神」にあると教えています。それは、「悪魔と悪霊どもの組織」が関わっているのです。
 先ほどの話に関しても、そこに住むクリスチャンたちが一致団結し、それが単なる地域住民の意思の問題ではなく、「霊的問題」として、何度もとりなしの祈祷会を開き、地域のために祈りました。地域を覆っている暗闇が手を引くように、また人々の目が開かれるように真剣に祈りました。
 主は見事に祈りに答えてくださり、クリスチャンたちは祭りに参加することはなく、やりたい人たちだけがお金を出してやるように、システムが変えられました。そこには人間的な戦いがあるように感じるかと思いますが、実は、目に見えない霊的戦いなのです。
 黒い雲が打ち破られない限り、家族においても、地域においても、国においても人々は福音に対して心を開かないのです。

 日本の教会は今まで純粋なみ言葉の種を蒔こうと努力してきました。神学校においては正確なみ言葉の理解と、正しい聖書解釈の方法が教えられ、間違いのない純粋なみ言葉の種を用意してきました。
 しかし種がいくら純粋でも、種を蒔く土地がどのようになっているのか、全く関心がありませんでした。その土地が道ばたであっても、岩地であっても、茨であろうとも、かまわず種を蒔いていました。それでは実を結ぶはずがありません。

 主は、「あなたがたの種は純粋かも知れないけれど、まずは、種を蒔く土地を改良しなければならない」と語っておられます。
 私たちは十六年前から、土地が耕されるようにと祈り出しました。それは、諸国を覆っている黒雲がはね除けられ、光が届きますようにという、とりなしの祈りでした。多くの人たちが取りなし手として、主から呼び出され、日本のために祈ってきました。
 しかしもう一度、主が語っておられます。「起きなさい。光を放ちなさい。この地を覆っている暗闇に立ち向かい、黒雲が去るように祈りなさい」
 私たちが目覚めるとき、隠された財宝が現されると聖書は教えています。イザヤ書四十五章一節から三節、

『主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。』

 イザヤは預言をしました。それはやがて、クロスという人物によって、解放を行うという主からの言葉でした。ユダがバビロンに補囚され、苦しんでいる時、クロスという人物が目覚めて彼らを解放するという預言でした。
 バビロンの次にペルシャという国が出ました。そして、ペルシャの初代の王の名が、なんと「クロス」でした。彼はイザヤ書の中に自分の名前が記されていることを知って驚きました。
 彼は感動し、目覚めました。そしてイザヤの預言通り、ユダヤ人たちを解放し、自分の国に帰らせました。それがエズラ記に記されています。彼は目覚め、その使命を果たしました。

 私たちも主から与えられた使命に目覚めるときに、扉が開き、隠された財宝があなたのものになると告げられています。そのためには、目を覚まして起き上がらなければなりません。
 「起きなさい。そして光を放ちなさい。見張り人となりなさい。そうしたら、新しい扉が開かれ、隠された財宝を与えよう。」

 昨日、一人の方が私の所に来ました。「家にまだ偶像がありました。処分してください」
そのようなことはよくあります。それは、今まで神だと思って拝んでいた、手で作られた神々が神ではないことに目覚めるからです。
 日本人はなかなかそれがわかりません。考えてみれば、人が手で作った神々が助けてくれるはずがありません。ほとんどの人が手で作った物体を神として拝んでいます。しかし、ある時目が覚めます。
 「これは偶像だ。これに仕えていてはいけない」とわかります。そして偶像を捨てるとき、光が輝きます。偶像を捨てるだけで、問題が消えていくことを体験します。そのような体験をしたら、二度と偶像礼拝をしなくなります。この教会において、そのようなことが数多く起こっています。

 昨日、「もう家には偶像がないと思っていましたが、まだあったのです。ですから、捨てて下さい。」と言われました。
 私はそれを何気なく受け取って、一応中身を調べてみました。すると、ちょっと気になる物が入っていたのでよく調べました。そしてその方に聞きました。
 「あなたの経済状態は最近どうですか?」
 「春に子どもたちの学費を払わなくてはならないので、困っています。」
 私は言いました。「あなたに良い知らせがあります!」
 「えっ?それは何ですか?」
 「あなたに隠されていた財宝が見つかったのです!」
 すると、「何を言っているのですか?」というような顔をされました。

 さて、何が見つかったのでしょうか。私が受け取った偶像を調べると、その中に八個のメダルが入っていました。それは全て純金製でした。造幣局の保証書付きメダルでした。インターネットで調べてみると、八個で何と、百五十万円相当になることがわかりました。その人はゴミだと思って私に渡しましたが、なんと、純金製のメダルが入っていたのです。その人は「ハレルヤ!」と言って、それを持ち帰り売りに行きました。それで学費も、何もかも払えました。まさしく、隠された財宝が見つかったのです。それは彼女のおばあちゃんが、三十数年も前にくれたもので、押し入れの奥に入っていて、そんなものがあるとは家族の誰一人として気づかなかったそうです。
 しかし整理をしていたら出てきたそうで、偶像だから燃やしてもらおうと思ったそうです。けれども私が開けてみると、なんと、隠された財宝が入っていたのです。

 私は以前、失敗した経験があります。あるクリスチャンのお嫁さんがひな人形を捨てたら、その中に、おばあちゃんがへそくりを隠していたことがありました。知らないでそれを焼いてしまったのです。それ以来、私は偶像の内部をすべて改めるようにしています。箱のまま捨てていたら、大変なことになってしまったからです。
 密かな隠されていた所に隠されていた財宝が与えられるというみ言葉は、本当だと思いました。神様はどこからでも、宝を引き出すことができるお方です。

 先々週、韓国に行きました。将来、韓国でリバイバルミッションが開けないものかと祈っていましたが、韓国側と話し合うために出かけて行きました。
 新城教会も一九七十年代の韓国のリバイバルのあおりを受け、皆、よく祈るようになりました。そんな中から韓国から多くの牧師が来られ、聖霊の火を灯して行きました。その路線上で私たちにも聖霊が注がれ、霊的戦いに導かれ、甲子園ミッションから十六年間、休むことなくリバイバルのための働きが続けられています。韓国がなかったならば、私たちは変えられなかったはずです。
 しかし今度は、日本側から韓国に福音を伝える使命があるのです。なぜでしょうか?

 昨年はハワイでリバイバルミッションが開かれました。ハワイは太平洋戦争の原点となった場所でもありました。そこから始まった戦いは、全世界に及び、日本人だけで三百万人、アジア全体では二千万人以上が亡くなりました。日本側からの悪いアプローチにより、多くの人々が殺されたのです。その根底には霊的問題がありました。それを回復するためには、日本側からの良いアプローチがどうしても必要なのです。その為には、霊的戦いの剣を持った日本教会から韓国に働きかけることが重要です。
 昨年はハワイでミッションを開催させていただきましたが、日本が霊的世界において負わなければならない最大の責任は、アジアの諸国に対してです。なぜならば、太平洋戦争を通して、アジア諸国に最も多くの被害を与えたからです。それには宗教的理由がありました。これを回復するためには、見ない世界の戦いに気づかされた人たちが、アジア諸国に対して良いアプローチ、すなわち、覆いをかけている暗雲を取り除く働きが必要なのです。この雲は、日本のみならず世界中を覆っているものです。その為には一人一人が目を覚まし、韓国を愛し、壁を作っている見えない敵を打ち破る必要があります。

 私は平岡先生とともに韓国に行き、話し合いを持ちました。そして私は今回、「今が時だ!」と確信しました。この時を逃したら、将来私たちは韓国において働くことができないと感じました。
 なぜならば、私の父の世代が、長い間韓国の先生方と交わりを持ってきましたが、その先生方は、日本語が話せる世代の人々でした。なぜならば、日本はかつて韓国を支配し、日本語教育を行ったからです。しかしその時中心的に働いていた先生方は亡くなられたり、引退されたりしています。申賢均先生も亡くなり、またチョン・ウンサン先生も昨年十二月に亡くなられたと聞きました。
 今、韓国では、私たちの知らない新しい世代の牧師たちが最前線で働き始めています。しかしそんな中、ある意味ただ一人だけ、金斗植という先生がおられます。もしも先生が亡くなったら、今まで築いてきた韓国との強いコネクションはなくなります。だから、先生が元気にされている間が時だと思いました。
 先生は三十年以上に渡り、私たちの働きに協力してくださり、裏方で重要な働きを担って下さいました。しかし彼ももうすぐ八十才になります。韓国のキリスト教界で長年にわたり活躍されている重要な先生ですから、色々なコネクションを持っておられます。
 私たちがソウルに着いた日、「順先生、迎えに行けなくてすみませんでした。今日は大統領の就任式に招かれ、出席していましたので、迎えに行くことができませんでした」と言われました。そして、「福田さんも来ていましたよ」と言われました。私は、「どこの福田さん\\\?」と思いましたが、よく考えたら、日本の福田首相でした。彼には色々なコネクションがあります。
 私たちは、「日本と韓国が協力して、韓国の宣教のために働きませんか?」と提案しました。すると先生は、即答で、「やりましょう!」と言われ、すぐに手帳を出して、「いつにしますか?」と言われました。
 「先生、ちょっと待って下さい。…まだ企画中の話ですから。」と言うと、「じゃあ、五月になったら韓国の有力な牧師たちを集めて説明会を開きましょう。日本から来てください。全員来ないと駄目ですよ」と言われました。
 それで五月三十日にソウルのホテルで「韓国リバイバルミッション」のための説明会が行われることになりました。韓国の牧師たちが集まり、日本側が説明を行うことになりました。それはまさに、神の時だと思いました。
 先生はまだまだお元気です。翌日、私は大きな教会で奉仕しましたが、先生が通訳をしてくださいました。

 私が奉仕したソウルの聖霊教会は五千人ほど入る巨大な教会でした。み言葉を語り、招きをし祈りました。韓国の方々は走って前に出てこられました。素晴らしい集会でした。主が勝利を与えてくださる手応えを感じる集会でした。
 さて、長崎県に属する「対馬」という島があります。その島の先端から、韓国第二の都市「釜山(プサン)」までは、たったの四十キロです。対馬には「釜山が見える丘公園」があります。日本人は対馬をあまり知りません。しかし釜山の人たちは、目の前に対馬を見ながら生活しています。そんなに日本と韓国は近い存在なのです。
 現在韓国は、国民の二十五パーセント以上がクリスチャンであると言われます。しかし七十五%はクリスチャンではありません。宣教の必要があります。この世代に成すべき事があります。それを強く迫られました。

 韓国に行くとき、私は一冊の本を書斎から持って出かけて行きました。私は出かけるときはいつも、暇な時間に読む為の本を持って行きます。けれども書斎に入り、「今から出かけますが、私が持っている本の中で、今回、読まなければならない本に目が留まりますように」と祈ります。その時、一冊の本が目にとまりました。それが「儒教」という本でした。
 飛行機の中やホテルその本を読みました。韓国はクリスチャンが二十五パーセントですが、韓国は儒教の国です。韓国は世界で唯一の儒教国家です。その本を韓国の社会を見ながら読むと、とてもよくわかりました。韓国の先生方との付き合い方など、文化を知っておかなければなかなか難しいのです。

 「儒教」とは、単なるシステムに過ぎないと言われるかも知れません。それは人々の生活の基準であると多くの人は考えます。しかし「儒教」についての本を読み、一つの大きな発見がありました。『見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。』とありますが、儒教は韓国のみならず、日本をも覆っている大きな暗闇であることに気づかされました。
 人類は元々、一つの場所で生活し、同じ言葉を話していましたが、「一つのこと」を始めたことにより散らされたのです。

『彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。』

 言葉が混乱させられ、全世界に散らされたのです。それが、「バベルの塔」のストーリーです。
 バベルの塔は、メソポタミア地方にあったと言われます。人類学、民俗学などの研究によると、人々はメソポタミア付近から東西北南へと移動したという証拠を見出すことができます。
 日本人は元々、渡来人です。どこからか、この地に移動してきた人たちです。そしてその原点は中東付近にあるのです。
 一つの大きなグループが東に向かって移動して行きました。メソポタミアからインド、そして、中国、朝鮮半島を経由し、日本に入ってきたグループがありました。それが「弥生人」と呼ばれる人たちです。それが日本に入ってきた最大のグループでした。
 そのような流れを調べると、日本古来の宗教など、何一つないことがわかります。神道や仏教などはみな、渡来人たちが持ち込んだ宗教です。特に日本においては仏教が根強いですが、仏教はインドでは根付かず、中国でも、韓国でも、本格的には根付きませんでした。しかしそれが完全に根付いた国が日本なのです。
 現在、仏教と言えば「葬式」と考えます。仏教の葬式は、細かい手順が決まっています。それが仏教そのもののように考えます。けれども、原始仏教を調べると、その中に、死者礼拝や先祖供養などは全く含まれていないことに気づかされます。では何処で、そのような考えと方法が加わったのでしょうか?

 紀元前に中国で一つの宗教が現れました。それは孔子を中心とし、その弟子たちによって体系化された「儒教」でした。儒教は孔子がはじめたように思いますが、孔子は「古きを知って新しきを知る」という論語に代表されるように、古くからの宗教的環境を集大成したのに過ぎません。
 特に、孔子の周りには、先祖崇拝を専門的に扱う霊能者集団がいました。彼らは先祖供養や葬式の儀礼に関わるシャーマンたちでした。そして、孔子の母もその一人でした。その世界観を中心に、儒教は始まりました。

 儒教は「孝」という一文字に集約されます。私たちは何気なく、「親孝行」という言葉を使っていますが、親孝行の「孝」は、儒教の孝から来ています。「孝」とは、すべての営みが先祖崇拝と先祖供養に集約される考え方です。「親孝行」とは、子どもたちが親を敬う姿のように見えますが、それはすべて先祖供養に集約されるのです。「孝」とは、生きている両親を大切にするだけでは不完全なのです。先祖供養ができて、はじめて孝の概念が成り立つのです。
 「親孝行」とは、「先祖供養を行う」という意味です。日本人が仏教だと考えているのは、仏教の中心が葬式ならば、それは仏教ではなく、「儒教」なのです。

 私たちは仏教だと考えていましたが、「儒教」という大きな流れに気づかず、暗い雲に覆われていたのだと気づかせていただきました。
 これから儒教の黒雲が取り除かれるように、祈らなければなりません。韓国においても儒教の力が取り除かれるように祈らなければなりません。韓国は儒教の社会ですが、それは先祖崇拝に集約されています。

 日本の歴史を見ると、儒教が強い影響を与えていたことがわかります。
 江戸時代は三百年間にも渡り、戦争がなかった平和な時代だったと言われます。それは世界の歴史にも例を見ないと言われます。しかしそれは、幕府によって民衆が完璧に押さえ付けられ支配された封建的社会構造があったからです。
 江戸時代の国教は、朱子学を中心とする「儒教」でした。徳川幕府は儒教の外側の世界観、権力構造を強力に導入し、「士・農・工・商」というような封建的縦型社会を構築し、人々を圧迫したのです。ゆえに、大きなクーデターはなく、三百年も続きました。
 しかし明治維新では、それらを捨て、それまでの歴史を消し去ったのです。現実には、日本も中国も朝鮮半島も、儒教の暗い影が覆っています。

 先祖崇拝は、「先祖の振りをした、死の霊」を招くこと以外の何ものでもありません。人間は死んだらすぐに神の管理下に委ねられるのです。どこかにふわふわと浮いていたり、迷っているのではありません。先祖供養の時に呼び出される霊は、祖先の霊ではなく、「先祖の振りをした悪魔・悪霊」なのです。バベルの塔の行為はシャーマニズム、悪霊を引き降ろす行為でしたが、先祖供養とは先祖の振りをした悪霊を引き降ろす、シャーマニズムに他なりません。

 儒教の暗闇が打ち破られることにより、死の力が打ち破られることを期待します。「韓国リバイバルミッション」を通して、儒教の背後に隠れていた暗闇が打ち砕かれ、死の力打ち砕かれ、光が輝くように祈っています。

 「起きなさい。光は輝いています。とりなして祈りなさい。あなたの家族のために祈りなさい。地域のために祈りなさい」と主によって語られていると思います。
 キリストのからだの中に様々な能力を与え、見張り人としての役割を与えようとされています。

 今日は特に、先祖崇拝、仏教、神道とともに覆いをかけていた、「儒教」に対して皆で祈りたいと思います。韓国の人たちも、儒教がまさか中国の霊能者集団からもたらされたものとは知らないと思います。儒教はそもそも、「物言わぬ宗教」とも言われ、黙って深く潜行し、人々に覆いを掛けているのです。

 今回主がそのような領域に気づかせてくださり、とりなすように導いてくださいました。きっと隠された財宝を見つけさせてくださると信じます。
 「起きなさい。光を放ちなさい!」リバイバルのために働きましょう。
 お祈りします。


[バックナンバー]