神のみ声をどのように聞くか


2008.4.20(SUN)
新城教会牧師 滝元明師
新約聖書 使徒の働き8章26節〜40節
ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。

 ハレルヤ!おはようございます。皆さんにお祈りいただき、三月十日からハワイに行き、十五日に無事帰ってきました。ハワイでは昨年行われたハワイ・リバイバルミッションが素晴らしかったと、大変喜んで燃えていました。
 特に冬木先生の教会では、今年になってから、七名がバプテスマを受けられたそうです。もう一度、ハワイでリバイバルミッションを行ってください、という要請がありました。まだ日程は確定していませんが、二〇一〇年二月にハワイ・リバイバルミッションを行うことを予定しています。今度はコンベンションセンターを借りて、行なう計画をしています。

 また来年は、韓国でリバイバルミッションを行う計画をしていますので、ぜひお祈り下さい。大きなリバイバルが、この日本に訪れることを祈ってください。
 今回ハワイで、冬木先生が私夫婦と里辺架姉と泉姉を招待してくださり、ご馳走してくださいました。その会話の中で、冬木先生が、「私の娘がイエスさまのみ声を聞いて、日本に行ってきた」と話されていました。
 その中である人から、「先生、神のみ声を聞くとはどういう事ですか?」と質問をされました。私は、それに対して答えましたが、今朝は、「神のみ声をどのようにして聞くか」というテーマで学んでいきたいと思います。
 二十六節に、

『ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)』

とあります。サマリヤでリバイバルが起こり、ピリポという伝道者が用いられました。サマリヤでリバイバルが起こっている最中、主の使いが突然来て、ピリポに向かって語りました。「立って南に行き、エルサレムからガザに出る道に出なさい。」
 とても恵まれているときに、神様が、「立って南に行き、荒野に行きなさい」と語られました。「主の使い」と書かれていますが、時々、私たちに御使いが語ることがあります。

 彼がそこから立って出かけていくと、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた、エチオピヤ人の宦官が馬車に乗って荒野を走っていました。その時、『御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」』と語られました。
 ピリポが馬車の側に行ってみると、エチオピア人がイザヤ書を読んでいました。

『「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」』

 宦官がイザヤ書を読んでいるのを見て、ピリポは質問しました。「あなたは、今読んでいる言葉がわかりますか?」すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と答えました。
 神のみ言葉は、「導く人」が必要です。教会に礼拝に来ていますが、礼拝は神のみ言葉を聞くときです。この教会には、牧師たちがいますが、み言葉を語る時にはよく祈って、「主よ、今週はいったい何を話しましょうか。」と祈ります。今まで教会に行ったことがない人は、み言葉を理解出来ませんので、教会に行き、み言葉を聞くことにより、神の言葉がわかります。
 私も十九歳の時に初めて教会に行き、今まで知らなかったことがわかりました。ですから、礼拝に出ることは大切なことです。

 先週は悲しいことに、田中たず子姉が召されました。人の死には、神様の時があります。私はハワイに行っており、帰った次の日に田中姉が亡くなられました。順牧師が熊本に行く予定がありましたので、前夜式、葬式とも私が司式をしました。そして二十二日から私は沖縄に行くので、ちょうど予定が空いている時でした。いのちを握っているのは、神様です。神様が田中姉のためにちょうど良い時を準備してくださいました。
 葬儀の中で故人の思い出を、上條牧師が話しました。上條牧師は十九才の時から田中たず子姉と三十一年間、ずっと同じ家庭集会で交わりをしたそうです。三十一年間、ほとんど毎週、上條牧師が語るみ言葉を田中姉はいつも喜んで聞いてくれたそうです。
 「私にとって母親のような存在であり、子どもたちを、孫のように可愛がってくれた」と話していました。
 一年は五十一週ですから、一年間に五十回の家庭集会があったとしたら、一年間に一五〇〇回ほどの家庭集会に出られたということです。毎週のように家庭集会に出る事は素晴らしいです。毎週のように顔を合わせるので、親戚のようです。兄弟でも、毎週顔を合わせることはないかも知れません。ですから、家庭集会に出ることは大切です。家庭集会メンバーは自分の身内のようであり、田中姉が亡くなった時には、自分の家族が亡くなったように共に悲しみ、天に帰ったことについて感謝しました。

 み言葉を聞くことは非常に大切です。「導く人がなくては、どうしてわかりましょう」とあるように、神のみ言葉をよく聞いて下さい。ローマ人への手紙十章十七節に、

『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。』

とあります。聖書を見ると、聖霊様が近づいて来て、「行け」と語られ、馬車に乗り込んで、イエスさまのことを話し、「イエスさまは十字架にかかられました。イエスさまは素晴らしい方で、神の子でした。イエス・キリストこそが、世界が待っていた救い主です」などと話しました。するとエチオピアの宦官が主イエスを信じました。
 「彼が来るべきメシヤですか。この方が私たちのために死んだのですか。」と、彼は喜んで聞きました。そして、「私も信じます」と受け入れました。そこで彼は、「ここに川がありす。水があります。バプテスマを受けさせて下さい」と言いました。
 使徒の働き八章三十七節は、新改訳聖書では抜けているのですが、異本による挿入が欄外に記されています。

『そこでピリポは言った。「もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。」すると彼は答えていった。「私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。」』

 今日は三人の子どもたちがバプテスマを受けます。「受けても差し支えありませんか。」と言うことに対して、「あなたが心の底から信じたら大丈夫です。」「はい、私はイエス・キリストが神の御子であると信じます」と言うならば、受けることができます。
 エチオピアの高官がバプテスマを受けて、水の中から上がった途端、ピリポはいませんでした。聖書を見ると、ピリポは、

『それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。』

とあります。こんな奇跡がありました。
 私がある注解書を読むと、「このバプテスマを受けた荒野のガザからアザトは三百キロくらいあった」とありました。今朝私は、地図を開いて調べました。ガザからアザトまでは、百キロあるかどうかです。

 今朝、順先生は熊本でメッセージしていますが、熊本での奉仕を終えると、すぐに飛行機に乗って東京に行き、東京で奉仕します。熊本から東京までは九百キロ程あります。夜は東京で宣教し、夜中に新城にまた帰ってくるという、今の時代は奇跡の時代です。
 田中姉はイエスさまを愛しており、一週間の間に火曜日は家庭集会、水曜日は礼拝、金曜日はシオンタイム、週四回教会に来られていました。教会漬けのような生活をされていました。立派なクリスチャンでした。

 またもう一つ、時々神様は耳を開かれます。心の耳を開いて下さいます。サムエル記第十九章十五節から十六節に、

『主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。「あすの今ごろ、わたしはひとりの人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救うであろう。民の叫びがわたしに届いたので、わたしは自分の民を見たからだ。」』

 預言者サムエルの耳が開かれました。時々神様が耳を開いて下さいます。
 神の声を聞いたことがありますか。ある無神論者が牧師に、「神なんかない。どこにいる。出してみよ。」と言いました。
 すると、牧師が、「そうですか。私は今、神様とお話したばかりですよ。」と言いました。神の声を聞く人たちは、神がいないということは信じられません。神様は耳を開いて下さいます。

 私の人生の中にも不思議なことがたくさんありました。私は鉱山の土方をし、一年間ほど豊橋の麻工場に勤めていました。毎日、麻の精製をしていました。ある日、機械の音で騒がしい中で、神が私の耳を開かれました。
 「今日あなたの家に宣教師の女中のさん、宮原さんが来ます。そして、そこの宣教師があなたに伝道に来て下さい、と頼むために来ます。あなたが伝道するようになると、今度は他の宣教師が頼んできて、やがてあなたは、日本中を廻って伝道するようになりますよ。」と、カチャカチャという機械の音を聞きながら、誰かが私に話すように語りかけました。
 「不思議な声を聞いた・・・」と思いながら、家に帰りました。

 「ただいま。今日、宮原さんという方が来なかった?」
 「来たよ」
 「宣教師が僕に伝道に来てくれるように頼まなかったか?」
 「その事で明日、豊川の駅で通訳者と一緒に待っているから、来てくれるようにと言ってたよ」

 次の日、私は豊川駅に行きました。すると、オーケ・レナンデル先生が通訳者を通してこう言いました。
 「あなたにお願いがあります。天幕集会をするので、メッセージをして下さい」
 私はすでに、神様の声を聞いていたので、「良いですよ。子ども会くらいならば、説教をしますよ」と言いました。
 すると、「いや。大人の集会です。説教して下さい」と言われました。
 「そうですか。一日くらいならば説教しますよ。」と言いました。
 「いや、十日間説教して下さい」と言われました。

 私は神の声を聞いたことを信じて、やることを決心しました。毎日、豊橋で働き、夜は天幕集会をしました。そこで何を話したのか覚えていませんが、たくさんの方が来られ、その集会で六十名ほどの方々が、イエスさまを受け入れる決心をされました。
 その時に岡崎から、ジョセフ・シメオンソン先生が来て、「先生。この集会が終わったら岡崎に来て説教して下さい」と言われました。
 そして岡崎に行くと、次に、豊橋にいたエスタ・スエンソン先生が、「うちでも話して下さい」といわれました。
 そしてその次には、磐田のリンデン先生が、「今度はうちで話して下さい…」と、毎週のように、私は仕事をしながら伝道集会をするようになりました。そして、日曜日は自分の教会で話していました。疲れて私は痩せてしまいました。

 そんな時に、東京の宣教師が手紙をくれました。「あなたの評判を聞きました。うちに来て説教して下さい」
 東京から豊橋まで、帰ることができないから、私は信仰を持って、「これから百パーセント、イエスさまに生涯を任せます。」と祈り、あれから五十三年間、毎週のように日本中を廻りました。また、色々な世界を廻りました。
 ですから、時々神様の声が聞こえるときがあるので、その時には、神様の声を聞かなければなりません。

 またもう一つ神様の方法があります。ヨブ記三十三章十四節から十七節に、

『神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。夜の幻と、夢の中で、または深い眠りが人々を襲うとき、あるいは寝床の上でまどろむとき、そのとき、神はその人たちの耳を開き、このような恐ろしいかたちで彼らをおびえさせ、人にその悪いわざを取り除かせ、人間から高ぶりを離れさせる。』

とあります。神様は時々夢を見せます。神様から来る夢があります。しかし勝手に見る夢もあります。
 私は朝方、便所に行く夢を見て起きると、本当に便所に行きたいと思います。それは神様からの夢ではありません。しかし神から来る夢があります。
 創世記を見ると、ヨセフが夢を見ました。
 「おにいちゃん。夕べ素晴らしい夢を見たよ。畑で仕事をして麦を束ねていたら、真ん中に僕の束が立って、十一の束が廻ってきて僕にお辞儀をしました。」

 すると、お兄さんは、「俺たちがお前を拝むのか?偉そうなことを言って…」と言いました。
 そして彼はまた夢を見て、お父さんに言いました。「太陽と月、十一の星が僕を拝む夢を見ました。」と言いました。
 お父さんは、「太陽は私のことで、月はお母さん、十一の星は兄弟たち。私たちがお前を拝むというのか。偉そうなことを言うな」と言いました。
 お兄さんたちは彼を憎んで、最後にヨセフはエジプトへ売られてしまいました。

 けれども、この夢が実現する日が来ました。彼は十七才でエジプトに売られ、その後、三十才でパロの前に立ち、エジプトの大臣になりました。イスラエルに飢饉が七年間あって、次の年にお兄さんたちがエジプトへ買い物に来ました。

 その時、彼はエジプトの総理大臣でした。彼らは、「食べ物を分けて下さい」と言いました。見ると、すぐに自分の兄たちだとわかりました。しかし彼は、「お前たちはスパイだろう」と言いました。けれども最後には、お父さんも来て一緒に暮らしたことが書かれています。
 それは、十七才から十数年後経ったとき起こったことです。神様から来る夢は、やがて実現します。

 私はクリスチャンになって嬉しくて、よく路傍伝道について行きました。当時は車に乗ることは珍しくて、宣教師が運転するトレーラーに乗って路傍伝道をしました。「皆さん。私はイエスさまを信じました。」と話しました。すごく恵まれていました。
 次の日曜日に教会に行くと、斎藤清子という女性が私の所に来て、「あのね。ミセス穐近が路傍伝道に行ってもあまり実を結ばないから、日曜学校をやるようにと言われました。だから滝元さん、今度の日曜日に、一緒に日曜学校に行きましょう」と言われました。

 私は車に乗るのは好きでしたが、今度は西武線に乗って行くと言うのです。斎藤清子さんが、「滝元さん、賛美歌を持つ係をして下さい」と言われました。私の役は、賛美歌を持つことでした。賛美歌を持っているだけでは面白くないと思いました。それよりも、路傍伝道が良いと思いました。土曜日に青年会があり、そこに来た女の子が、「滝元さん、今度、池袋で路傍伝道があるから行かない?」と言いました。
 私は、「自動車に乗れる?」と聞きました。「自動車に乗っていくよ」と言われました。それで私は、路傍伝道の方へ行くことを決めました。私は、斎藤清子先生に断りました。

 「斎藤先生、今度の日曜日は、路傍伝道に行きますから、日曜学校の方をお断りします。」と言いました。
 すると斎藤清子先生は、「良いですよ。自由にして下さい」と言いました。その時、私はなぜか知りませんが、非常に重たい気持ちになりました。
 その夜、帰ってお祈りしました。「イエスさま。どちらに行くのが良いのか、教えてください」と祈りました。いくら祈ってもわかりませんでしたので、「イエスさま。これから寝ますから、夢を見せて下さい」と祈りました。

 すると私は夢を見ました。川があって、そこで魚を採っていました。私が網を仕掛け、上の方から斎藤清子先生が、ジャバジャバと魚を追って来て、網を上げると魚がたくさん捕れていました。
 その時神様が囁かれました。「斎藤さんと一緒に魚を採りなさい。たくさん取れますよ。」
 そして日曜日に斎藤清子さんに話しました。「今日は日曜学校に行きます。よろしくお願いします。」と言いました。

 それから半年近く経ったとき、私は自分の郷里に伝道に行くことを決めました。伝道に行くには助け人が必要だと思ったときに、私の心に誰がふさわしいかと思い、斎藤清子さんを選びました。それが当時斎藤清子、現在の家内、滝元清子です。
 家内は当時、日本女子大の先生をしており、年上でした。しかし夢を見て、みこころだと信じました。
 時々夢を見るときがありますが、神様から来た夢であるかを吟味して下さい。

 またもう一つは、霊の目が開かれることです。第二列王記六章十五節から十六節に、

『神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。』

 アラムの王は預言者エリシャが何でも当ててしまうので、エリシャを捕まえるために彼を包囲しました。それを見たエリシャの僕は、「ご主人様、どうしましょう」と言うと、「心配ない。私たちとともにいる者は、彼らよりも多い。神様、目を開いて下さい」と祈りました。
 霊的な目が開かれ、見ると、たくさんの兵士と軍勢、火の車が見えました。そして勝利がありました。

 新城教会に霊的戦いが開かれていますが、それは甲子園ミッションの時からです。今働いている岡本司兄や、孫の堅志、また小学生たちの霊的な目が開かれました。とりなしの祈りをしていると、突然、天使が現れてやっつけて行ったのが見えた、と彼らが言っていました。
 今の子どもたちは、霊的な目が開かれていて、「み言葉が与えられている?」と聞くと、皆わかると思います。霊的な目が開かれています。私たち大人も、霊的な目が開かれるように祈らなければなりません。

 直接主が私たちに語られる時があります。神のみ言葉や誰かの預言を通して、神が語られますが、直接、語られることがあります。
 「神様。私にも、直接教えて下さい。声を聞かせて下さい」と祈ってみたら良いです。

 私が伝道に出て、行き詰まって、旅館で、「イエスさま。親も兄弟も私を見捨てましたが、イエスさまも私を見捨てられますか」と祈って泣いていたら、大きな声で、「我、さらに汝を去らじ、汝を捨てじ」と、初めて神の声を聞きました。
 私はビックリして、「イエスさまですか。イエスさまが話されたのならば、聖書のどこに書かれているか教えてください。」と言いました。
 すると「ヘブル書十三章を開け」と言われました。聖書を開くと、そのみ言葉が書かれていました。これは旧約聖書でヨシュアに対して主が語った言葉です。

 一九九三年に甲子園ミッションを行う前に激しい戦いがありました。この教会からたくさんの人が出ていったり、色々な反対の声がありました。
 甲子園ミッション前に、一九九三年十一月三日、私は愛知県民の森の山の上で、真剣に祈りました。
 「イエスさま。力を下さい。何を語るべきでしょうか。悪いことがあったら、何でも悔い改めますから、どうか教えてください」と祈りました。
 聖霊様が、「あなたを妨害したり、罵った人、また裏切った人を、心の底から赦しなさい。赦すだけではなく、その人を祝福しなさい」と語られました。
 その時、皆の名前を出して、「赦します。あの人たちに災いがくだらないようにお願いします。」と、最後の一人まで祈りました。
 すると私にすごい神様からの力が来ました。そして、直接イエスさまが、「立ちなさい。さあ、行くのです。」と語られました。
 「イエスさま。甲子園に行きます。いっしょに行ってください」と泣きながら、山を下りました。イエスさまが聖書のみ言葉を告げてくれました。それがマタイ二十六章四十六節のみ言葉でした。

『立ちなさい。さあ、行くのです。』

 礼拝の時にも臨在の中で、主が囁かれる時があります。何か問題を持って来て、どうしたら良いでしょうかと牧師に相談することも良いですが、直接神様に聞いてみて下さい。声を掛けてくださいます。臨在の中で語りかけて下さいます。
 一九九八年に武道館集会を行う二年前に、朝、主の前に出たときに主が語られ、

『その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」』と言われました。

 聖書を読んだときに、臨在が来て主が語られたことがわかりました。「あなたは甲子園でやったように、東京でもやりなさい」と、主が語られました。

 また使徒十九章二十一節に、

『これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。』

 あなたはこれからエルサレムに行って、その後でローマに行ってあかしするようにと言われています。
 その後の箇所を見ると、預言する者たちが「エルサレムに上らないで下さい。上ったら縛られて牢屋に入れられます。」他の人も、「あなたはきっと牢屋に入れられます。」と言いました。
 するとパウロは、「何を泣いて私をくじこうとしているのか、私はイエスさまのためなら、死ぬことすら覚悟している」と言いました。パウロには、御霊の示しがありました。

 あなたにも御霊は示されます。人生の中に、必ず神が語りかけて下さいます。祈って下さい。今日もイエスさまがおられますので、いつでもみ声に聞いて歩みましょう。何か問題があったら、イエスさまに聞いて下さい。聖餐式の中でも、賛美の中でも神様が語りかけて下さいます。お祈りしましょう。


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