あなたに、良い知らせがあります!


2008.5.25(SUN)
新城教会牧師 滝元順師

イザヤ書61章1節〜3節
神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。

 ハレルヤ!皆さんと共に礼拝を守ることができ、心から感謝します。
 また、昨晩は素晴らしい「The Call」を開催することができ、感謝します。加藤カズさんをはじめとして、バンド・メンバーの方々がすばらしい演奏をしてくださいました。四百名もの方々が集められました。皆さんの祈りとご協力を心から感謝致します。
 「The Call」は、毎回、青年会が中心になって計画されています。この集会の素晴らしさは、単にコンサートだけでなく、何ヶ月も前から、開催地域のためにとりなし祈るプログラムがあることです。
 今回は小坂井町という小さな町で行われました。小坂井はあまりクリスチャンがいない地域です。偶像もたくさんあり、霊的戦いが強いところですが、青年会のメンバーが毎日のように出かけて行き、すべての領域をとりなし、チラシ配布などで案内をしました。昨日は四百名の方々が来られましたが、小坂井町から当日券だけでも、四十名程の方々が来られました。地域の方々に来ていただきたいと願っていましたので、主が祈りに答えてくださったと感謝しました。
 会場も大変良い雰囲気でした。私はみ言葉を語らせていただきましたが、自由に話すことができました。私は色々なところでメッセージを語らせていただきますが、それぞれの場所に雰囲気があります。語りやすい場所と、語りにくい場所があります。それは霊的戦いに負けているせいかも知れませんが、雰囲気をキャッチしながら語ります。昨日は本当に自由でした。
 特に昨晩のテーマは「福音」にありました。「福音」とはどのような意味があるでしょうか。イザヤ書61章1節に、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ』

 「福音」をわかりやすく訳し直すと、「良い知らせ」という意味です。それで今日のメッセージタイトルは、「あなたに良い知らせがあります!」と付けました。
 何年か前に、アメリカに行くために空港に行きました。カウンターに行き、チェックインしようとすると、こう言われました。「あなたに悪い知らせと、良い知らせがありますが、どちらを先に聞きたいですか?」「えっ?どちらも聞きたいです」と答えました。すると最初に、「あなたの席がありません。」と言われました。「えー?何で席がないのですか?」「でも、良い知らせがあります。エコノミーの場所がないので、ビジネスクラスにアップグレードさせていただきます」と言われました。私は「やったー!」と飛び上がりました。

 人生では、良い知らせを聞いたり、悪い知らせを聞いたりします。そんな繰り返しです。しかし、教会で告げられる情報は、「良い知らせ」です。今日は皆さんに、良い知らせがあります。
 教会に来たら、「どんな素晴らしい知らせがあるのだろうか」と、リラックスして神を待ち望んでください。教会は霊的温泉のような場所です。

 近ごろ私に孫が生まれました。息子の嫁さんが妊娠しているときに、私は家内に、「あんた、孫が生まれたらどんな風に変わる?」と聞いたら、「私はあまり変わらないと思うよ」と言っていました。
 しかし実際に孫が生まれたら、家内は完全に変わりました。毎日のように、「ミユウちゃ〜ん!・」と孫の名前を呼んでいます。実は私もそうですが。
 一人の人物の誕生が、これほどまで家族を支配するとは、私の想像を越えていました。そうしてみると、イエスさまがこの地上にお生まれになった事実は、どれほど人類にとって大きな祝福でしょうか。また、イエスさまが人生に来てくださったら、どれほど変わるでしょうか。

 カズさんがかつて自殺を決意して、ビルの屋上に立ったと言われましたが、今この瞬間にもビルの屋上に立っている人がいるかも知れません。先日の報道では、自殺者は三万数千人に登ると言われていました。一日に換算すると、約百人だそうです。それらの方々がイエスさまを信じるだけで命が助かるのです。福音はたいへん重要です。私たちは福音を伝えなければなりません。『イエス・キリスト以外に救いはない』と聖書は断言しています。この福音を届けることが出来るのは、クリスチャンだけです。

 昨日は私らしくなく、和みモードでみ言葉を語らせていただきました。いつもは対決モードで語ることが多いのですが、「神様は愛なるお方です」と話しました。「今日のメッセージで癒されました。音楽で癒されました」という感想が多かったようです。
 なぜ良かったかというと、演奏が良かった、メッセージが良かったという以上に、イエスさまがそこにおられたからです。福音を伝えるためにも、福音についてよく理解しなければなりません。
 今お読みした中に、「福音」について述べられています。イエスさまがこの地上に来てくださった目的について、『心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた』とあります。

 最近、問題が多発しています。問題の根源はどこにあるのかというと、心の傷が原因になっていると思います。心の傷は自分では見ることはできません。体の傷は見ることができますが、心の傷は見ることができません。しかし存在します。いじめたり、辛く当たる人が社会にいたら、必ずその人の内に何らかの傷があります。いじめっ子は、どの時代にもいましたが、今から考えても、何らかの傷がある人たちでした。傷ついていると、誰かに傷を付けてしまうのです。傷が癒されない限り、なかなか人生はうまくいきません。人間関係を築くこともできないし、前に進むこともできません。
 最近は政府も社会も一丸となって、心の癒しのために一生懸命働いています。日本は自殺が多いので、「自殺防止対策法」ができ、心のケアーが叫ばれています。精神医学の領域も発達し、精神分析も詳しくできるようになり、人間の精神構造が明らかになり、ある程度対処する方法がわかってきました。にも関わらず、なかなか自殺者の数は減らず、問題は減っていきません。心の傷の癒しは、何か特別な手法を使ったら癒されると考えているかも知れませんが、「福音、良き訪れ」の中に啓示されています。イエスさまが私たちの人生の中に来たら、心の傷は手法によるのではなく、方法論によるのではなく、イエス・キリストによっていやされるのです。

 イエス・キリストは十字架で、最も深い傷を負ってくださいました。「その打ち傷のゆえに癒された」と聖書は教えています。
 もしも心に傷が残っていると言われる方は、イエスさまに傷の癒しを願ったら良いのです。福音は無代価で用意されたものですので、「イエスさま。私に与えてください」と願い出たら、元々私たちは神によって創られた存在なので、修理してくださるのです。心の癒しは福音の中にあります。現代の重要なテーマだと思います。この役割を果たすことができるのは教会です。

 神様は六日間で天と地と海と、その中に住むすべての生き物を創造し、七日目に休まれたとあります。時々私たちは、心の癒しは、長い時間かかり、多くのプロセスを経て到達すると考えます。カウンセラーや心理学者のところに行くならば、「あなたは癒しの途上にありますよ。これから、長い道のりがあるかも知れませんが、一歩一歩、諦めないで頑張ってくださいね」と言われるかも知れません。
 しかし神様の働きは、本来、長く時間のかかるものではないのです。なぜならば、天と地と海と、その中に住むすべての生き物を、「たったの六日間」で創られたからです。

 今日私たちは、ある意味で、安息日と位置づけて礼拝をもっています。教会では日曜日は「七日目」という考えです。出エジプト記二十章八節から十一節に、

『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。』

 私たちは毎週、「あぁ、また一週間が始まってしまった。」と言います。しかし一週間七日制は、神が私たちに与えた法則です。
 先週の礼拝で、六日間を神様が働かれる日々として位置づけましょう、と話しました。皆さんにとって先週一週間は、どのような週であったでしょうか。
 先日私は博物館に、ある展示を見に行きました。それは、日本が中央構造線で仕切られているという、断層に関する展示でした。
 最近中国で大きな地震があり、断層が大きな話題になっています。元々日本は二分割されていた島で、それが隆起し連結し、今の日本列島の状態になったようです。豊川にそって中央構造線の断層があり、中央構造線が地表に出ている箇所もあります。それは全く種類の違う二つの岩石が結合しています。日本は全く違った二つの土台の上に乗っているようなものです。
 そこに行くならば、「すごい。これは数万年に一センチくらいずつ隆起して、今の状態にまでなったのだろう」と考えます。
 しかし私はそこに行ったとき、その考えを捨てなければならないと思いました。神の六日間の創造のわざの中で、二つの島をドッキングさせて、神は日本列島を創造されたはずだと思いました。
 だから私は後日、聖書を持って断層が見える場所に行きました。そこは人里離れた淋しい場所ですが、中央構造線の断層の前に立ち、創世記一章を朗読してきました。大変恵まれました。
 聖書を見ると、陸と海ができたのは第三日目です。だから私は中央構造線の前に立ち、「これは神が第三日目に創ったものだ!」と宣言してきました。
 天地創造は、誰も見た人はいません。それは神から啓示の領域なのです。神にとって時間は必要なく、短時間で何でもできるお方だと宣言してきました。
 悪魔は、この世界が何十億年もかかって進化したものだと言います。そして、「あなたの傷もそう簡単には治らない。」と言いますが、その騙し事に騙されてはいけません。神様が瞬間的に陸と海を分けられたならば、中央構造線を動かして日本が創造されたのも、その日の内に含まれます。被造物を見たら、神のわざを見ることができるとありますが、月曜日から土曜日までの六日間で、神がどんなに偉大なことをしてくださるかと期待して、待ち望んでください。
 そして七日目には、主を礼拝するために、神の創造の業を誉め讃えるために、集まるのです。その繰り返しが人生です。その法則の中に生きるならば、人生は日々新たにされます。
 「あぁ、また日曜日が来た。教会に行かなくてはならない。今日は雨だから、駐車場は最悪だ…。行きたくないなぁ」と思ったかも知れません。しかし神様は、七日目の安息日を祝福し、聖なる日としてくださいました。これは神様の休みの日です。

 しかし新約聖書を見ると、旧約聖書においては、安息日と位置づけられていますが、新約聖書になると、それは休みの日ではなくなります。
 イエスさまは安息日に病人を癒されました。そのことが律法学者たちの間で問題になりました。「イエスは何だ?安息日は何の仕事もしてはいけないはずなのに、病人を癒したではないか。けしからん!」と言いました。
 病人にとっては癒されることが一番です。しかし律法学者たちにとっては、病人が癒されることよりも、律法を守ることが重要でした。その時イエスさまが語られたのは、安息日は神のためではなく、人のためにあると語られました。ゆえに、「安息日でも、苦しんでいる人々のためにわたしは業を行う」とイエスさまは語られました。
 イエスさまは安息日にも、奇跡のわざを行ってくださる愛のお方です。このお方を礼拝するただ中で、素晴らしい奇跡のわざが現れるのです。

 「福音」とは、心の癒しと共に、『捕らわれ人には解放』とあります。福音とは何か。それは一言で言うと、「解放」です。
 昨日はゴスペル・ミュージックが演奏されました。ゴスペルとは、アメリカの黒人奴隷の間からわきあがった音楽です。
 奴隷はどのくらい辛いでしょうか。先週一週間、会社で働く中で、「辛かった、会社に行くのが嫌だ」と言われる方がいるかも知れません。会社で辛くて精神病になりそうなら、解放の方法があります。それは会社を辞めることです。辞めた途端にその束縛から解放されます。けれども、経済的な問題がその瞬間生じますが。会社に行くと自分がつぶれそうなら、家の玄関を出るのを止めれるだけで解放があります。
 しかし奴隷は、自分が止めたくても止めることができないのです。アメリカの黒人奴隷は、西アフリカから連れてこられ、アメリカの広大な大地で農作業などを強制されていました。横暴な主人に買い取られるなら、何の自由もありません。八方塞がりという言葉がありますが、正にそのようです。
 しかし彼らは、そのような中、唯一空いている天に向って祈り始めました。祈ると言っても、ひざまずいて祈る時間はないような人たちでした。だから祈りを歌に託し、「神様、助けてください。私の悩みを知ってください。助けてください。解放してください!」と歌いました。
 やがて彼らの祈りが聞かれ、解放の日が来ました。昨日まで、横暴な主人に捕らわれていた人たちが、次の日からは自由になり、どこにでも行くことができるようになったのです。自分の意思で自由に歩くことができるようになりました。束縛から解放されました。そこからゴスペル音楽が生まれました。

 今ではどうでしょうか。奴隷たちが作り出した音楽とは思えません。人々の心を潤し、勇気づけるものとなっています。
 昨日のアンケートの中で、「勇気が与えられました。人生が行き詰まっていましたが、力が与えられました。」と言う人が多くありました。黒人たちの音楽が、多くの人を解放しています。なぜそれほどに力があるのかというと、リズムやメロディーではなく、「神が彼らの祈りを聞いてくれた」という事実が、裏付けとしてそこにあるからです。事実とともに賛美が力強くされるがゆえに、主の霊が動きます。主の霊に触れることができるのです。今、日本ではゴスペル・ブームです。新城教会にも、ゴスペル・クワイヤー「ヘブンリーキングダム」があり、素晴らしい賛美を聞かせてくださっています。

 先週の金曜日にも、私は横浜でゴスペルクワイヤーの方々と共に集会を持ちました。そこにゴスペルをレポートし、情報を配信する仕事をしている人がいました。彼は、私に興味があって私の本も読まれていました。
 彼が、ゴスペル・クワイヤーに多くのノンクリスチャンが入ってくると言われました。それは、歌っている間に、霊的な手応えを感じるからだと分析していました。それは俗に言う、「霊感」を感じるからです。
 何かわからないけれど、歌っているときに人間以上の力と存在を感じるというのです。ここには何かがあるというのです。だから皆が来ると分析していました。それは、神の霊の働きです。黒人の方々も希望がない中、「神様、私を解放してください」と、祈り叫んだときに、神の霊が動いたのです。そして、今も神の霊は動いています。
 正にゴスペルは良い知らせで、解放です。自分では止めたくても、どうにもならない悪習慣、罪、様々なしがらみから、解放してくださるのです。

 「あなたに良い知らせがあります」あなたが今まで、どうにもならなかった領域から、福音はあなたを解放します。もしも皆さんの中で、奴隷状態だと言われる方がおられたら、福音に解決があります。「イエスさま。私を解放してください」と祈るならば、解放してくださいます。

 ゴスペルのレポートをされている方がこのように言われました。多くのノンクリスチャンたちがゴスペルを歌っていて、霊的手応えを感じるけれど、それがどういうものなのかについて、しっかりと説明出来ていない、しかし、私が書いた、『クリスチャンって最高だ!』『教会と問題解決力』を読んで、一般的霊体験と聖書のみ言葉に基づく霊体験にどのような差があるのか、相手が誰かについてよく解き明かしていて、私に興味を持ったと言ってくれました。
 解放とは、もちろん悪習慣からの解放であり、束縛からの解放ですが、根源は霊的力からの解放です。救いとは元々、暗闇から光に、サタンの支配下から神の支配下に移されることです。イエスさまはそのためにこの地上に来てくださいました。
 ですから、「捕らわれ人が解放され、囚人は釈放される」というのは、悪魔に捕らえられていた人たちが解放されるという意味です。これが良い知らせです。

 同時に、クリスチャンに対しては、「良い知らせ」が、もう一つの意味を持ちます。それは、『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え』と述べられています。
 イエスさまは地上に来られたときに、「完全な人」として来てくださいました。罪は犯されませんでしたが、私たちと変わりはありませんでした。しかしイエスさまは、父なる神様からの聖霊の油注ぎをいただいていました。油注ぎがあったことにより、あのような素晴らしい働きが出来たのです。

 「良い知らせとは」、「主を信じる者全てに、聖霊の油注ぎが与えられる」という事実です。マタイ七章七節から十一節に、

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』

 求めたら、良いものをくださるとあります。この「良いもの」とは、「聖霊の注ぎ」です。それが良い知らせなのです。
 パウロがエペソでクリスチャンたちに出会いました。大変熱心な人たちでした。そんな人たちに向かって、パウロは一つの質問をしました。その時、エペソのクリスチャンたちはパウロの質問に答えることができませんでした。
 使徒十九章一節から六節に、

『アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。』

 エペソの教会の弟子たちは、既にイエス・キリストの救いについて知っていました。しかし、聖霊の力については知りませでした。「あなたがたは信じたとき、聖霊を受けましたか?」と聞くと、「聖霊が与えられるとは、聞いたこともありませんでした。」と答えました。

 日本のクリスチャンはまじめで、一生懸命、主に仕えています。しかしなかなか思うように教会は成長しません。理由はどこにあるのでしょうか?

 今週、私たちのためにぜひ祈ってください。29日から私たちは韓国に行くことになっています。それは、来年、ソウルでリバイバルミッションを行うことになり、その準備のために行きます。三十日には、指導的な立場にある先生方をお招きし、昼食会をしながらリバイバルミッションの趣旨説明を行います。
 韓国はクリスチャン率が二十五パーセント程です。日本のプロテスタント人口は、国民の〇・二パーセント程と言われています。〇・二パーセントと比較し、二十五パーセントとは相当な開きがあります。あまりにも差が大きすぎます。ソウルに行き、夜になると、町には赤い十字架がたくさん現れます。教会だらけです。あるビルには、各階に教会があるようです。だからある人が礼拝に来て、座席に座ってから気づくと、自分の教会ではなく下の階の教会でした。それで、上の階の自分の教会に行く人もいるようです。

 今回、「キリスト教王国」と言われる韓国に、クリスチャン人口〇・二パーセントの子犬のような日本教会が挑戦します。「韓国の皆さん、一緒に伝道しませんか。韓国のリバイバルのために働きましょう」と呼びかけるのです。これまでのキリスト教の歴史の中で、あり得ないことです。普通なら、「お前たちの協力なんか必要ないよ。うちはこんなに祝福されているのだから」と言われてしまうかも知れません。

 しかし聖書の原則は、私たちの考えを超えたところにあるのです。私たちは日本のリバイバルを祈ってきましたが、日本が解く鍵は、日本には存在しないようです。それは海外に落ちています。
 日本人は皆、渡来人です。日本の諸宗教も、アジアから伝わってきたものです。仏教も韓国の百済から入ってきました。仏教が入ってきたときに、蘇我氏と物部氏が戦争しました。蘇我氏は、仏教を入れたいと願いましたが、物部氏は「国神の怒りに触れる」と言って戦ったのです。蘇我氏が勝利して仏教が日本に入りました。

 また、出雲大社に祀られているのは、「大国主」と呼ばれていますが、それはもともと「韓の神」と呼ばれる、韓国の神でした。韓の神とは、百済の皇室で拝まれていた神です。
 何年か前に、日本の天皇が一つの発言をし、日本ではちょっぴりしか取り上げられませんでしたが、韓国では大きな話題になったことがありました。
 それは、天皇が「自分の祖先の中に、百済の王室の血が混ざっている」という発言でした。実は、天皇家も元を辿っていけば、韓国にルーツがあります。それを天皇自らが認めたということで、韓国では話題になったのです。
 日本では天皇陵を発掘しません。それは考古学的研究の対象から外されています。なぜならば、発掘すると大陸とのつながりを表す、副葬品がたくさん出てきて天皇家のアイデンティティーに関わるからです。日本人のルーツは日本だという考えは誤りです。
 ということは、日本をつなぎ止めている綱の先は、中国や韓国、そして、アジアの諸国にあります。そして、その中でも朝鮮半島が大きな鍵を持っています。

 先週、儒教、道教について話しました。韓国はリバイバルで二十五パーセントがクリスチャンだからミッションは必要がないのではないかと思うかも知れませんが、韓国の福音化のために働くことは、気づくと自分たちが解放されるところにつながっています。
 普通ではなかなか理解できないことかも知れませんが、主の前に出るときに知らされます。また、聖書を読むときにそのことを知らされます。
 韓国において、日本が福音宣教のために労することは、自らを解放するための大変重要な鍵であると確信します。ですから、ぜひお祈り下さい。

 日本と韓国の間には壁があるように思います。日本人の七割、八割が朝鮮半島から来たことが明らかなのにも関わらず、そのようなことは教育の中では教えていません。日本人は独自の国民・文化を持っていると主張します。
 なぜそんな壁ができたのでしょうか。色々な歴史の中での要素がありますが、その背後に霊的理由があります。悪魔は韓国と日本の間に高い壁を作り、越えられないようにします。なぜなら、日本を解く鍵が韓国にあるからです。また韓国を更に自由にする鍵が日本にあるからです。その壁が取り除かれ、相互に手を取り合って、神の国拡大のために働き始めるならば、大いなるみ業が現されます。

 韓国がリバイバルに向かっていった鍵は、「聖霊の油注ぎ」です。聖霊様を求めたことによって教会は大きく前進しました。私たちも更に、聖霊の油注ぎを求める必要があります。救いはイエス・キリストを信じる時、無代価で与えられものです。
 しかし、聖霊の油注ぎは、与えられた使命の原動力として位置づけられ、私たちが求めることによって与えられると教えています。

 私たちが求めるならば、油注がれ、それは最高に良い知らせとなります。
 『求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』
 良いものとは、聖霊の油注ぎを意味します。一九九二年に新城教会に聖霊の油が注がれました。あの日から教会は変えられました。

 しかし私たちはそれで満足するのではなく、もう一歩進んで求め、探し、叩き続ける必要があります。特に、韓国リバイバルミッションのためには、さらなる聖霊の油注ぎが必要です。
 なぜならば、韓国の教会は既に聖霊の力について知っています。韓国の教会は日本が聖霊の働きについてよく知らないから、「日本から何の良いものが出よう」という意識があると思います。そこで奉仕させていただくためには、韓国の方々が体験された以上の聖霊の油注ぎによって奉仕する必要があります。

 一九九二年二月十三日に聖霊が注がれ、色々な人に聖霊が注がれました。パウロがエペソで、「彼らの上に手を置いたときに手を置いた時、彼らは異言を語ったり、預言を語ったりした」とありますが、その時、異言や預言の賜物をいただいた時期がありました。その頃、将来に対して全く先が見えていませんでした。教会はゴタゴタしていて、力なく、どうにもならない状況でした。
 そんな困難なときに、主がある人に語られました。「やがてあなたがたは、かつて日本が傷付けた国々・アジアの諸国へ霊的解放の剣を持って出て行くようになる」
 その時私はあまり理解できませんでした。こんなに弱っているのにも関わらず、霊的戦いも自分たちの周りだけで精一杯なのに、他の人たちのために何ができるのかだろうかと思いました。
 しかしあれから十六年が経ちました。あのときに語られた預言が成就しているのではないでしょうか。
 昨年はハワイリバイバルミッションが行われましたが、ハワイは太平洋戦争が始まった原点でした。この場所から霊的戦いの艦載機が、悪霊どもをやっつける為に良い爆弾を携えて出撃して行きました。
 そして来年は、豊臣秀吉の時代から傷付けている朝鮮半島に対して、霊的戦いの剣と福音の爆弾を持って出て行こうとしています。

 先週両親と私の娘が、台湾で奉仕しました。それは将来、台湾でリバイバルミッションを開催するための話し合いのためでした。その結果、台南というところで、ぜひリバイバルミッションを開催してほしいと依頼されました。
 十一月に現地に行って話をすることになっています。台湾に、韓国に霊的戦いの剣が向けられています。
 それはあの時に語られた預言の成就です。私たちは預言に向かって努力したわけではありません。色々な条件が重なって、気づいたらそうなっていました。神様の働きはそのようなものだと思います。私たちは良い知らせを全世界に伝える使命があります。

 イエスさまが天に帰られる前に、『全世界に出て行き、すべての造られた人々に福音を宣べ伝えなさい。・・・わたしは世の終わりまであなたとともにいます。』と語られました。ですから、私たちはここでとどまっていてはいけません。新城教会が市内に、その周辺に影響を与えるだけの教会ではなく、全世界に出て行って福音を伝える教会にまで、成長させていただきたいと願います。
 その為には聖霊の油注ぎが必要です。また主からの使命がなくては、実行できません。そのように導くのが、聖霊の油そそぎです。これこそ私たちにとって良い知らせです。
家族に、地域に、また世界に福音を伝える為に、聖霊の油注ぎを求めて歩んでいきたいと願います。一言祈ります。


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