新しい油注ぎ


2008.6.22(SUN)
新城教会牧師 滝元明師

旧約聖書 詩篇92篇1節〜15節
主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。不法を行なう者どもがみな、散らされるのです。しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。

 ハレルヤ!おはようございます。久しぶりにこの講壇に立つことができ、感謝します。今回、北海道に六月五日に出かけ十日間ほど集会をしました。その後兵庫県で二日間集会をし、そして東京のある神学校で奉仕をして約二週間ぶりに家に帰って来ました。皆さんがお祈り下さったことにより健康が支えられたことを感謝します。私は五十年ほど前から北海道へ伝道旅行に出かけています。なぜか北海道だけは、何回で何日行ったということを手帳に記入していました。今回で百十一回目でした。そして日数に換算すると、二年以上北海道で過ごした計算になります。今まで健康で奉仕ができた恵みを心から主に賛美します。さて今日のみことばは『主に感謝するのは、良いことです』という言葉から始まっていますが、今までイエスさまが守ってくださり、働くことができたことを感謝します。今年の四月には沖縄、五月は関西方面をロン・ブラウンさんとティム・ケプラーさんとともに、奉仕をしました。またこの六月は北海道と関西にてロン・ブラウンさんとマキーダさんとともに奉仕をしました。彼らは世界一流のミュージシャンです。大変素晴らしい奉仕をして下さいました。北海道の北見のある教会では「この教会が始まって以来、大勢の方が集まった」と言われました。また兵庫県での集会でも新しい方が大勢集まり「今日の集会に、八十二人の新来会者が来られた」と感謝しておられました。本当に感謝です。今年「滝元明ミニストリー」という集会を計画して行っていますが、今までに集まった方が、全部で四三九三名でした。そしてイエスさまを信じる決心をされた方が、二一七名ありました。感謝します。
今回北海道で二十年程ぶりに出かけて行った教会がありました。その教会は私が初めて北海道へ伝道に行った時に奉仕をした教会の一つで、その時の天幕集会にアルコール中毒の男性が来られました。一回目のメッセージは、「人生の土台がしっかりしなければならない。」二回目は「新しく生まれ変わらなければならない」とメッセージしました。彼はその時イエスさまを信じました。そしてなんと、その日にアルコール中毒から解放され、癒されたのです。その後彼は献身し、神学校に行き、やがてその教会で牧師をしました。そして晩年には、アルコール中毒の人のための更生施設を設立し、その所長として働かれていました。そしてその方は天に召されました。そしてその後教会で牧師している先生は、私が室蘭で天幕集会をしたときに、中学一年生でしたがイエスさまを信じ、牧師をされています。またある方は、「二十年前に先生が来られた集会で救われました」と言ってくださったり、「以前来られたとき祈っていただいて、アトピーが癒されました」など、多くの実を見ることができました。本当に感謝です。種を蒔き、主によって素晴らしい実を収穫させていただいたことを心から感謝します。
また今回東京の武蔵野市にある神学校で奉仕をしました。武蔵境という駅で降りたとき、ここに私の同郷の友だちがいると思い出しました。彼はその武蔵野市で医者として働いています。彼を思いだして電話をしました。すると彼は大変喜んでくれました。彼は「同級生はほとんど亡くなってしまった。今生きているのは、僕と君くらいだ」と言っていました。それを聞いて、少し寂しい思いがしましたが、私は今日まで生かされ、健康で、主の福音宣教のために、働らかせていただけることを感謝しました。私は東京でイエスさまを信じたとき、この救い主であるイエスさまに、全てを捨てて従っていこうと決心しました。当時将来、政治経済の学者になりたいと考えて学んでいました。しかしイエスさまを信じて「このイエスさまの福音を自分の郷里に帰って伝えたい」という強い思いが与えられ、今まで勉強してきた本全部を、今回の神学校の奉仕のために降り立った「武蔵境駅」の近くにある古本屋へ売りに行ったことを覚えています。それから今日まで、六十年近く守られて続け、主のために奉仕をし、多くの実を主が見せて下さっていることを感謝します。またこの六月で家内と結婚して五十八年目になります。全て主に栄光をお返しします。
今アメリカのフロリダに大きなリバイバルが起こっているようです。しかし日本にもリバイバルが来ると信じています。来年は韓国でリバイバルミッションを開く予定にしています。これまでは日本から韓国に、悪い物を輸出していました。しかし今度は福音を持って韓国にお返ししようと思います。昨年「ラブ・ソナタ」という集会を韓国のオンヌリ教会という教会が主催して、日本の各地で行われました。多額の費用をかけて伝道して下さいました。日本各地で集会が行われ、一番大きな集会は埼玉のアリーナで二万人ほどの人を集めて行われました。その主催した韓国のオンヌリ教会の牧師はハー牧師と言います。私は何年か前、ある方から依頼されてハワイで結婚式の司式をしました。。その時ハー先生の奥さまが出席されていました。そして私に「先生。主人のために祈ってください。私の主人はガンです。」と言われました。それ以来私は、ハー先生の健康のために祈っていました。そのハー先生は手術し、また人工透析をしているようです。そのハー先生は、今まで日本に対してあまり良い感情を持っていなかったそうです。しかし先生が主の前に出て祈っていると、「私は日本を愛している。これほどに愛していることがあなたはわからないか?私はあなたを日本に遣わすから日本で伝道しなさい」と言われたそうです。ハー先生は「神さま、私は人工透析をしていますし、何回か手術をした身です。無理です。」と祈ったそうです。しかし神さまは「わたしが遣わすから行きなさい」と言われ、自分の教会であるオンヌリ教会の人々に「私は日本に行くので祈ってください。日本のために祈ってください。」と言ったそうです。そしてそのための祈祷会が始まり、徐々に大きくなり何と四十日目にはある体育館を借りて、二万二千人韓国の方が集い日本のために祈って下さったそうです。そして「日本のために、一緒に伝道に行きましょう。神様が日本を愛しています」と呼びかけると、「私も日本に行きます」と五千人ほど自費で、日本に来日して伝道会に参加して下さったそうです。多額の費用と多くの人々を連れて日本のために、韓国の方々が集会を開催して下さいました。私たち日本のためにです。
今回私たち全日本リバイバルミッションの実行委員は先日五月二十九日、三十日と韓国に行き、来年の韓国リバイバルミッションについての説明会をしました。その後李浩文先生の教会で徹夜祈祷会を行いました。先生が「最近、韓国も経済的成長をしたのでクリスチャンが生ぬるくなり、徹夜祈祷会に来る人が少なくなった」と言われました。しかし、その祈祷会には千五百人程集まりました。そして真剣に来年の韓国リバイバルミッションのために祈って下さいました。韓国では日本の為に祈って下さっています。今度は私たちの教会も、日本も韓国のために祈り、韓国の救いのために働かなくてはいけないと感じます。そんな中で今回教えられたことは詩篇九十二篇十節から十一節に、

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。』

とあります。このみことばは二〇〇一年、北海道にて与えられたみ言葉です。その時は十三日間、北海道を巡回伝道しました。ちょうどその時は「今度は大阪で四十日間伝道会をしたい」と夢を持っていました。しかし私は、多くの問題に直面して、実現できるかどうかを考えて、祈りつつヨエル書を読んでいました。そこには「断食」について書かれており、私はあまり断食したことがありませんが、神さまに促されて十三日間奉仕をしながら断食をしました。最終日、札幌にて雪が降る夜に祈っているとき、主から詩篇九十二篇の十節からのみ言葉が与えられました。

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。』

このみ言葉をイエスさまが私に語りかけてくださいました。すると間もなく平岡先生から「先生。四十日の集会をすることになりました。三十一日間は滝元先生とロン・ブラウンさんで集会をして、あと一週間は大きな集会をどこかでやりましょう」と連絡があり、確かに祈りが現実になったのです。

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。』

「角を高く上げる」とは、どういうことでしょうか。ある先生はこのみことばを「角とは権威だ」と話されました。「神さまの権威をあなたに与える」と話してくださいました。私にも神さまの権威を与えて下さるとこのみことばで語られました。フランスのルーブル美術館にはモーセの絵があります。そのモーセの絵には角が生えています。それはモーセに神様の権威を与えられたという象徴で角が生えているそうです。私はこのみことばが与えられてのち、和歌山県のある教会に行きました。するとそこの牧師夫人が、「先生。先生の頭に高く角が生えていますよ」と霊的な目で見て言って下さいました。私には全く見えませんが、私は嬉しく思いました。私たちは霊的な世界は目に見えないのでわからないことがあります。しかし霊的に目が開かれた人には、わかるみたいです。この五月に京都に行きました。ある教会に集会をお願いしていたのですが、二週間前に断られました。「うちの教会は少しゴタゴタがあるので、他の教会に集会をお願いしました。」と言われました。神様はすべてを益としてくださいます。急遽決まった教会で初めて集会をさせていただきました。そこは祈祷院でした。そして初めて会う先生でした。しかし感謝な事に急に決まった集会にも関わらず、七十名ほどが集まり、恵まれた集会を持ちました。私たちがその教会に伺うとその教会の牧師夫人が「二年前に預言が語られました。イエスさまがこう言われました。いつか滝元明が私たちの教会に来る。そして滝元明と一緒に食事をする」と言われたそうです。その事が今回実現しました。集会をさせていただき、終わってから京都の美味しい焼肉屋に連れて行ってくださり、会食の時を持たせていただきました。また北海道のある教会では、三百名が集まりました。入場料二千円でした。私が説教し、ロンブラウンさんとマキーダさんが奉仕しました。ロンさんが後ろから歩いて演奏してくると、皆立って拍手をしていました。そこの牧師先生がその教会の人たちに「滝元先生をよく見ていなさいよ。先生の目から時々火が出るから」と言ったそうです。何回か私の説教を聞いているときに、目から火が出たと言うのです。私にはまったく分かりません。しかし見える方は見えているようです。私も一度見てみたいと思います。また東京リバイバルミッションで説教していたときに、孫の里辺架が「おじいちゃん、おじいちゃんが説教していた時に天使がいたのが見えたよ。」と言いました。私は見えませんが確かに霊的な世界があります。皆さんも見えないかも知れませんが、確かにこのみことばにあるようにイエスさまを信じたら角が与えられます。皆さんにはイエスキリストの権威が与えられているのです。詩篇十八篇二節から三節に、

『主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。』

「救いの角」と書かれています。それは悪魔の支配からイエスさまの支配に移されたことです。イエスさまを信じることは、救いの角が与えられるということです。恐れる必要はありません。かつての闇の支配者であるサタンは打ち破られ、サタンの支配から今は全能の支配である、イエスさまの支配の中にあります。イエスさまの権威の中で私たちは生活できます。これは素晴らしい喜びです。詩篇七十五篇四節から五節に、

『わたしは、誇る者には、『誇るな。』と言い、悪者には、『角を上げるな。おまえたちの角を、高く上げるな。横柄な態度で語るな。』と言う。」』

とあります。高ぶりの民に敵対する人に、高ぶってはいけないと言っています。そしてクリスチャンの角は高く上げられていると記されています。素晴らしいことです。また詩篇一一二篇九節には、

『彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。』

とあります。私たちクリスチャンはイエスさまに救われ、神の子とされる権威が与えられ、サタンの支配から神の支配に移されています。「その角は栄光のうちに高く上げられる」この素晴らしい権威が与えられていることを信じなければなりません。詩篇一一二篇一節から三節に、

『ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。』

私たちがイエスさまに従ったら最初は貧しいかも知れませんが、あなたの子孫は必ずゆたかになるという約束です。また四節から六節に、

『主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人は。』

とあります。クリスチャンは、「彼は決して揺るがされることはない」とあるように、揺るがされることはないから大丈夫だと教えています。「正しい者はとこしえに覚えられる」と記されています。今朝この礼拝に来られている皆さんはすべて神様に覚えられています。このことを信じましょう。七節に、

『その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。』

とあります。クリスチャンでも時々悪い噂があります。どうしたら良いだろうかということがありますが、『彼は決して揺るがされない。正しい者はとこしえに覚えられる』とあります。イエスさまによって救いの角をいただいている私たちは、決して動揺させることはありません。信仰を持つことは大切です。時々皆さんの家庭に悪い知らせがあって、駄目だと思うことがあっても、主は私とともにおられるから大丈夫だと信じましょう。八節に、

『その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。』

新しい油注ぎが与えられたら、どんな敵をも恐れなくなると教えています。敵がなくなるということです。イエスさまより強いものはありません。信じていけば大丈夫です。また九節に、

『彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。』

とあります。私たちが心からイエスさまに信頼したら、必ず祝福を受けることができます。また詩篇九十二篇十二節から十三節に、

『正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。』

とあります。ナツメヤシの実はとても美味しいです。「カナンの地は乳と密が流れる地」と言われていますが、ある方は「密」とはナツメヤシの実だと解釈されている方がいます。素晴らしい祝福が、あなたの家庭に与えられると教えています。
新しい油注ぎ

旧約聖書 詩篇92篇1節〜15節

主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。不法を行なう者どもがみな、散らされるのです。しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。
 

 ハレルヤ!おはようございます。久しぶりにこの講壇に立つことができ、感謝します。今回、北海道に六月五日に出かけ十日間ほど集会をしました。その後兵庫県で二日間集会をし、そして東京のある神学校で奉仕をして約二週間ぶりに家に帰って来ました。皆さんがお祈り下さったことにより健康が支えられたことを感謝します。私は五十年ほど前から北海道へ伝道旅行に出かけています。なぜか北海道だけは、何回で何日行ったということを手帳に記入していました。今回で百十一回目でした。そして日数に換算すると、二年以上北海道で過ごした計算になります。今まで健康で奉仕ができた恵みを心から主に賛美します。さて今日のみことばは『主に感謝するのは、良いことです』という言葉から始まっていますが、今までイエスさまが守ってくださり、働くことができたことを感謝します。今年の四月には沖縄、五月は関西方面をロン・ブラウンさんとティム・ケプラーさんとともに、奉仕をしました。またこの六月は北海道と関西にてロン・ブラウンさんとマキーダさんとともに奉仕をしました。彼らは世界一流のミュージシャンです。大変素晴らしい奉仕をして下さいました。北海道の北見のある教会では「この教会が始まって以来、大勢の方が集まった」と言われました。また兵庫県での集会でも新しい方が大勢集まり「今日の集会に、八十二人の新来会者が来られた」と感謝しておられました。本当に感謝です。今年「滝元明ミニストリー」という集会を計画して行っていますが、今までに集まった方が、全部で四三九三名でした。そしてイエスさまを信じる決心をされた方が、二一七名ありました。感謝します。
今回北海道で二十年程ぶりに出かけて行った教会がありました。その教会は私が初めて北海道へ伝道に行った時に奉仕をした教会の一つで、その時の天幕集会にアルコール中毒の男性が来られました。一回目のメッセージは、「人生の土台がしっかりしなければならない。」二回目は「新しく生まれ変わらなければならない」とメッセージしました。彼はその時イエスさまを信じました。そしてなんと、その日にアルコール中毒から解放され、癒されたのです。その後彼は献身し、神学校に行き、やがてその教会で牧師をしました。そして晩年には、アルコール中毒の人のための更生施設を設立し、その所長として働かれていました。そしてその方は天に召されました。そしてその後教会で牧師している先生は、私が室蘭で天幕集会をしたときに、中学一年生でしたがイエスさまを信じ、牧師をされています。またある方は、「二十年前に先生が来られた集会で救われました」と言ってくださったり、「以前来られたとき祈っていただいて、アトピーが癒されました」など、多くの実を見ることができました。本当に感謝です。種を蒔き、主によって素晴らしい実を収穫させていただいたことを心から感謝します。
また今回東京の武蔵野市にある神学校で奉仕をしました。武蔵境という駅で降りたとき、ここに私の同郷の友だちがいると思い出しました。彼はその武蔵野市で医者として働いています。彼を思いだして電話をしました。すると彼は大変喜んでくれました。彼は「同級生はほとんど亡くなってしまった。今生きているのは、僕と君くらいだ」と言っていました。それを聞いて、少し寂しい思いがしましたが、私は今日まで生かされ、健康で、主の福音宣教のために、働らかせていただけることを感謝しました。私は東京でイエスさまを信じたとき、この救い主であるイエスさまに、全てを捨てて従っていこうと決心しました。当時将来、政治経済の学者になりたいと考えて学んでいました。しかしイエスさまを信じて「このイエスさまの福音を自分の郷里に帰って伝えたい」という強い思いが与えられ、今まで勉強してきた本全部を、今回の神学校の奉仕のために降り立った「武蔵境駅」の近くにある古本屋へ売りに行ったことを覚えています。それから今日まで、六十年近く守られて続け、主のために奉仕をし、多くの実を主が見せて下さっていることを感謝します。またこの六月で家内と結婚して五十八年目になります。全て主に栄光をお返しします。
今アメリカのフロリダに大きなリバイバルが起こっているようです。しかし日本にもリバイバルが来ると信じています。来年は韓国でリバイバルミッションを開く予定にしています。これまでは日本から韓国に、悪い物を輸出していました。しかし今度は福音を持って韓国にお返ししようと思います。昨年「ラブ・ソナタ」という集会を韓国のオンヌリ教会という教会が主催して、日本の各地で行われました。多額の費用をかけて伝道して下さいました。日本各地で集会が行われ、一番大きな集会は埼玉のアリーナで二万人ほどの人を集めて行われました。その主催した韓国のオンヌリ教会の牧師はハー牧師と言います。私は何年か前、ある方から依頼されてハワイで結婚式の司式をしました。。その時ハー先生の奥さまが出席されていました。そして私に「先生。主人のために祈ってください。私の主人はガンです。」と言われました。それ以来私は、ハー先生の健康のために祈っていました。そのハー先生は手術し、また人工透析をしているようです。そのハー先生は、今まで日本に対してあまり良い感情を持っていなかったそうです。しかし先生が主の前に出て祈っていると、「私は日本を愛している。これほどに愛していることがあなたはわからないか?私はあなたを日本に遣わすから日本で伝道しなさい」と言われたそうです。ハー先生は「神さま、私は人工透析をしていますし、何回か手術をした身です。無理です。」と祈ったそうです。しかし神さまは「わたしが遣わすから行きなさい」と言われ、自分の教会であるオンヌリ教会の人々に「私は日本に行くので祈ってください。日本のために祈ってください。」と言ったそうです。そしてそのための祈祷会が始まり、徐々に大きくなり何と四十日目にはある体育館を借りて、二万二千人韓国の方が集い日本のために祈って下さったそうです。そして「日本のために、一緒に伝道に行きましょう。神様が日本を愛しています」と呼びかけると、「私も日本に行きます」と五千人ほど自費で、日本に来日して伝道会に参加して下さったそうです。多額の費用と多くの人々を連れて日本のために、韓国の方々が集会を開催して下さいました。私たち日本のためにです。
今回私たち全日本リバイバルミッションの実行委員は先日五月二十九日、三十日と韓国に行き、来年の韓国リバイバルミッションについての説明会をしました。その後李浩文先生の教会で徹夜祈祷会を行いました。先生が「最近、韓国も経済的成長をしたのでクリスチャンが生ぬるくなり、徹夜祈祷会に来る人が少なくなった」と言われました。しかし、その祈祷会には千五百人程集まりました。そして真剣に来年の韓国リバイバルミッションのために祈って下さいました。韓国では日本の為に祈って下さっています。今度は私たちの教会も、日本も韓国のために祈り、韓国の救いのために働かなくてはいけないと感じます。そんな中で今回教えられたことは詩篇九十二篇十節から十一節に、

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。』

とあります。このみことばは二〇〇一年、北海道にて与えられたみ言葉です。その時は十三日間、北海道を巡回伝道しました。ちょうどその時は「今度は大阪で四十日間伝道会をしたい」と夢を持っていました。しかし私は、多くの問題に直面して、実現できるかどうかを考えて、祈りつつヨエル書を読んでいました。そこには「断食」について書かれており、私はあまり断食したことがありませんが、神さまに促されて十三日間奉仕をしながら断食をしました。最終日、札幌にて雪が降る夜に祈っているとき、主から詩篇九十二篇の十節からのみ言葉が与えられました。

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。』

このみ言葉をイエスさまが私に語りかけてくださいました。すると間もなく平岡先生から「先生。四十日の集会をすることになりました。三十一日間は滝元先生とロン・ブラウンさんで集会をして、あと一週間は大きな集会をどこかでやりましょう」と連絡があり、確かに祈りが現実になったのです。

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。』

「角を高く上げる」とは、どういうことでしょうか。ある先生はこのみことばを「角とは権威だ」と話されました。「神さまの権威をあなたに与える」と話してくださいました。私にも神さまの権威を与えて下さるとこのみことばで語られました。フランスのルーブル美術館にはモーセの絵があります。そのモーセの絵には角が生えています。それはモーセに神様の権威を与えられたという象徴で角が生えているそうです。私はこのみことばが与えられてのち、和歌山県のある教会に行きました。するとそこの牧師夫人が、「先生。先生の頭に高く角が生えていますよ」と霊的な目で見て言って下さいました。私には全く見えませんが、私は嬉しく思いました。私たちは霊的な世界は目に見えないのでわからないことがあります。しかし霊的に目が開かれた人には、わかるみたいです。この五月に京都に行きました。ある教会に集会をお願いしていたのですが、二週間前に断られました。「うちの教会は少しゴタゴタがあるので、他の教会に集会をお願いしました。」と言われました。神様はすべてを益としてくださいます。急遽決まった教会で初めて集会をさせていただきました。そこは祈祷院でした。そして初めて会う先生でした。しかし感謝な事に急に決まった集会にも関わらず、七十名ほどが集まり、恵まれた集会を持ちました。私たちがその教会に伺うとその教会の牧師夫人が「二年前に預言が語られました。イエスさまがこう言われました。いつか滝元明が私たちの教会に来る。そして滝元明と一緒に食事をする」と言われたそうです。その事が今回実現しました。集会をさせていただき、終わってから京都の美味しい焼肉屋に連れて行ってくださり、会食の時を持たせていただきました。また北海道のある教会では、三百名が集まりました。入場料二千円でした。私が説教し、ロンブラウンさんとマキーダさんが奉仕しました。ロンさんが後ろから歩いて演奏してくると、皆立って拍手をしていました。そこの牧師先生がその教会の人たちに「滝元先生をよく見ていなさいよ。先生の目から時々火が出るから」と言ったそうです。何回か私の説教を聞いているときに、目から火が出たと言うのです。私にはまったく分かりません。しかし見える方は見えているようです。私も一度見てみたいと思います。また東京リバイバルミッションで説教していたときに、孫の里辺架が「おじいちゃん、おじいちゃんが説教していた時に天使がいたのが見えたよ。」と言いました。私は見えませんが確かに霊的な世界があります。皆さんも見えないかも知れませんが、確かにこのみことばにあるようにイエスさまを信じたら角が与えられます。皆さんにはイエスキリストの権威が与えられているのです。詩篇十八篇二節から三節に、

『主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。』

「救いの角」と書かれています。それは悪魔の支配からイエスさまの支配に移されたことです。イエスさまを信じることは、救いの角が与えられるということです。恐れる必要はありません。かつての闇の支配者であるサタンは打ち破られ、サタンの支配から今は全能の支配である、イエスさまの支配の中にあります。イエスさまの権威の中で私たちは生活できます。これは素晴らしい喜びです。詩篇七十五篇四節から五節に、

『わたしは、誇る者には、『誇るな。』と言い、悪者には、『角を上げるな。おまえたちの角を、高く上げるな。横柄な態度で語るな。』と言う。」』

とあります。高ぶりの民に敵対する人に、高ぶってはいけないと言っています。そしてクリスチャンの角は高く上げられていると記されています。素晴らしいことです。また詩篇一一二篇九節には、

『彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。』

とあります。私たちクリスチャンはイエスさまに救われ、神の子とされる権威が与えられ、サタンの支配から神の支配に移されています。「その角は栄光のうちに高く上げられる」この素晴らしい権威が与えられていることを信じなければなりません。詩篇一一二篇一節から三節に、

『ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。』

私たちがイエスさまに従ったら最初は貧しいかも知れませんが、あなたの子孫は必ずゆたかになるという約束です。また四節から六節に、

『主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人は。』

とあります。クリスチャンは、「彼は決して揺るがされることはない」とあるように、揺るがされることはないから大丈夫だと教えています。「正しい者はとこしえに覚えられる」と記されています。今朝この礼拝に来られている皆さんはすべて神様に覚えられています。このことを信じましょう。七節に、

『その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。』

とあります。クリスチャンでも時々悪い噂があります。どうしたら良いだろうかということがありますが、『彼は決して揺るがされない。正しい者はとこしえに覚えられる』とあります。イエスさまによって救いの角をいただいている私たちは、決して動揺させることはありません。信仰を持つことは大切です。時々皆さんの家庭に悪い知らせがあって、駄目だと思うことがあっても、主は私とともにおられるから大丈夫だと信じましょう。八節に、

『その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。』

新しい油注ぎが与えられたら、どんな敵をも恐れなくなると教えています。敵がなくなるということです。イエスさまより強いものはありません。信じていけば大丈夫です。また九節に、

『彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。』

とあります。私たちが心からイエスさまに信頼したら、必ず祝福を受けることができます。また詩篇九十二篇十二節から十三節に、

『正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。』

とあります。ナツメヤシの実はとても美味しいです。「カナンの地は乳と密が流れる地」と言われていますが、ある方は「密」とはナツメヤシの実だと解釈されている方がいます。素晴らしい祝福が、あなたの家庭に与えられると教えています。

『彼らは主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。』

とありますので、イエスさまに信頼したら必ず皆さんの人生が祝福されると信じましょう。また十四節から十五節は、

『彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。』

年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。とあります。私は十九才で救われました。ロンさんが演奏する歌で「もし、あなたがいなかったら」という歌があります。今頃あの方は麻薬で落ちるところまで落ちていたと言われます。「四年間吸ってどん底に落ち、私の妻はロンは死んだか生きているか、何をしているかわからない。しかし、私は救われた」と証ししています。今彼は解放されて、十七年になると言っています。もしイエスさまに出会っていなかったら、今頃ホームレスになっているか、死んでいるかどうなっているかわからないと歌われています。私ももし十九才でイエスさまを信じていなかったら、今頃どうなっているかと思います。救われたので酒やたばこ、罪から解放されて、今日まで働くことができました。素晴らしい恵みです。私はこれから何年間生きれるかわかりませんが、『みずみずしく、おい茂っていましょう』とありますので、みずみずしく生い茂って福音を伝えたいと思います。イザヤ書四十章二十八節から三十一節に、

『あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

信じますか。主を待ち望みましょう。そうしたらこれから健康で素晴らしい歩みができます。今日一人一人に素晴らしい神様の祝福があり、主の角を高く上げることができるように、そして家庭が祝福されるようにお祈りしましょう。お祈りします。

『彼らは主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。』

とありますので、イエスさまに信頼したら必ず皆さんの人生が祝福されると信じましょう。また十四節から十五節は、

『彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。』

年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。とあります。私は十九才で救われました。ロンさんが演奏する歌で「もし、あなたがいなかったら」という歌があります。今頃あの方は麻薬で落ちるところまで落ちていたと言われます。「四年間吸ってどん底に落ち、私の妻はロンは死んだか生きているか、何をしているかわからない。しかし、私は救われた」と証ししています。今彼は解放されて、十七年になると言っています。もしイエスさまに出会っていなかったら、今頃ホームレスになっているか、死んでいるかどうなっているかわからないと歌われています。私ももし十九才でイエスさまを信じていなかったら、今頃どうなっているかと思います。救われたので酒やたばこ、罪から解放されて、今日まで働くことができました。素晴らしい恵みです。私はこれから何年間生きれるかわかりませんが、『みずみずしく、おい茂っていましょう』とありますので、みずみずしく生い茂って福音を伝えたいと思います。イザヤ書四十章二十八節から三十一節に、

『あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

信じますか。主を待ち望みましょう。そうしたらこれから健康で素晴らしい歩みができます。今日一人一人に素晴らしい神様の祝福があり、主の角を高く上げることができるように、そして家庭が祝福されるようにお祈りしましょう。お祈りします。


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