ハレルヤ!主に新しい歌を歌え


2008.7.6(SUN)
新城教会副牧師 滝元開師

旧約聖書 詩篇149篇
ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。 イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。 踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。 主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。 聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。 彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。 それは国々に復讐し、国民を懲らすため、 また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。 また書きしるされたさばきを彼らの間で行なうため。それは、すべての聖徒の誉れである。ハレルヤ。

 ハレルヤ!主のみ名を賛美いたします。今日は約五十分もの間、礼拝の中で皆さんとともに賛美を献げることができ感謝いたします。賛美の中におられる主が、恵みをくださり、支えられ賛美できたことを心より感謝します。五十分間の賛美でお疲れになった方がおられますか?今から二十三年前の一九八五年に、新城教会では初めて十二時間の連鎖賛美大会が行われました。当時は大きな伝道集会の前に必ず十二時間の連鎖祈祷会をしていましたが、ある時、順牧師の提案から十二時間連鎖賛美に挑戦しました。十二時間どんなふうになるだろうかと思い、夏の暑い時でしたので、外にはアイスキャンディーを用意し、色々な準備をして開催しました。そして、参加された方はみな、主がここにおられること、そして、そこに聖霊様が力強く働いてくださっているのを感じました。翌年からは二十四時間賛美集会が始まり、それが何年か続いて行く中、あまりにも祝福が大きかったので、ある時は、四六時中歌おう!と、四十六時間連鎖賛美をしたり、さらにある時は、イエスさまが三日三晩の苦しみを受けて下さったのだからと、七十二時間連鎖賛美大会もしました。もちろん入れ替わり立ち替わりで行いましたが、奉仕者にソングリーダーと奏楽者が立てられ、特に、奏楽者は手がボロボロになる程に賛美しました。私は奏楽の奉仕中、夜中ふと気づくと寝ながら引いていたりもしていました。でも、とても楽しかったです。そして、今までの連鎖賛美大会の最長時間は、九十二時間でした。九十二年の新年に行いました。忘れることのできない激しい賛美体験でした。その頃ことを思うと五十分間で疲れてはいられませんね。これからも、さらに、力一杯主への賛美をささげ続けましょう。

 話はさらにさかのぼりますが、一九八九年にはひとつ転機となる出来事が起きました。愛知県民の森で下條末記子先生が「私はいつの日か甲子園球場で日本人の手による伝道集会をしたい。」と言われました。それを真ともに受けた滝元明牧師が「私、やります!」と立ち上がりました。リバイバルは、そのリバイバルの引き金を引く人がいるようですが、それに撃たれてしまったのが私の父でした。それから激しい戦いが始まりました。その頃から新城教会で色々な霊的な現象が始まって来たような気がします。私たちの教会は、霊的な現象をあまり強調する教会ではなかったので、霊的なことを目にすることはあまりありませんでしたが、その頃から色々なことが起こり始めました。その年の終わりに新城文化会館でクリスマスコンサートが行われました。二百名程の教会員で千人以上を導くこととなり真剣になって祈り、そして、賛美して主を求めました。ある日の祈祷会の中で、順牧師が当時小学生だった息子の堅志君を、脇に抱え祈っていました。祈祷会中、順牧師が異言で祈っていると、彼は、何と異言の意味が理解出来たそうです。小学生の彼が突然、異言の解き明かしの賜物をいただくということが起ったのです。また、ヒートアップした賛美熱は、その年の夏からは毎月、二十四時間連鎖賛美をしました。神様の素晴らしいみ業が賛美と共に前進していくことを、みなが肌で感じていたと思います。でもその一方で毎月賛美していると、主に新しい歌を歌おうと言いながらも、なかなか新鮮な気持ちにならなくなってしまいました。そんな時でした。私の心に一つの聖書の言葉巡り始めました。『ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。』という詩篇149篇1節のみ言葉でした。私はその頃から一生懸命曲を作ろうとしていました。でも、新しい歌は一向にできませんでした。一九九0年になり、なかなかできないと思っていたある日のことでした。当時、二歳十一ヶ月の私の息子が、朝起きてきて突然こう言い出しました。「お父さん、ボクは作詞作曲したよ!」そして息子はひとつの歌を歌いはじめました。「イエスさまを信じれば天国に行ける!イエスさまを信じないと地獄に行っちゃうよ・・・♪(Zawameki5.5収録)」と歌い出したのです。不思議なことがあるものだと思いました。神様に新しい歌を与えてくださいと祈り出した時に、神様は息子の口に賛美をお与えになったのでした。当時私は青年会の担当をしており、青年の家庭集会を導いていました。息子を連れて集会の準備をしている時でした。彼が「お父さん、お父さんも歌を作ってよ!」と言いました。「よし!それじゃあ・・・」と、何気なく歌い出した歌が「愛します 私たちの救い主・・・♪(Zawameki2収録)」でした。作ろうとしたのではなく、与えられたという経験をしました。二曲目は車の運転中、豊川の高速道のガード下を通過する瞬間に与えられました。「ハレルヤ!よみがえられた主イエスに・・・・♪(Zawameki1収録)」という賛美でした。とても不思議でした。あたかも天から降ってきた物をチャッチするような体験でした。それは、メロディーが与えられそこに歌詞を付けるというのではなく、歌詞が与えられそこにメロディーを付けるというのでもなく、歌詞とメロディーが同時に降ってきました。瞬間の出来事でした。第一コリント一章二八節に、『この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。』というみ言葉がありますが、自他認める何もない者に、神様が与えてくさり、これは人手によらず神様の物であることがはっきりと解る出来事でした。そんなことからポツリポツリと賛美が降り始め、毎月の二十四時間で一曲ずつ紹介していくと、一年が終わるころには十二曲くらいになっているかなあと思っていたのですが、その年の終わりには、七〇曲程が与えられていました。さらに、ある時、家内が車で出かけて帰って来ると、「今、私の中で歌が巡っているの・・・・。」と言い出しました。最初私は半信半疑でした。そして歌い出した歌が「主の愛が今」でした。「主の愛が今あなたを包む・・・・♪」と、前半のパートが与えられていました。それまでになかった癒しの歌にとても新鮮なものを感じました。その歌を聞き、そして祈ると、すぐに後半のパートが私に与えられ、一つの賛美になりました。神様の不思議なみ業は賛美とともに現され続けていきました。

 九十二時間連鎖賛美集会は、賛美の中で「ゴー」という音が鳴り響いているような、聖霊さまの激しい訪れのある賛美集会でした。その集会中の出来事でした。当時教会の事務所が二階にあり、そこを五段程駆け上った時でした。「主は激しい流れのように・・・・♪(Zawameki1収録)」と賛美が与えられ、次の私のソングリードの時間には、すでに、会衆と共に「主は激しい流れのように」を賛美しました。イエスさまが賛美と共に激しく臨んでくださいました。

『ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。』

 主が下さった新しい賛美、この新しい歌とは何を意味していたのでしょうか。六節から八節に、

『彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。それは国々に復讐し、国民を懲らすため、また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。』

と記されています。与えられた賛美は、「剣」そのものでした。そしてその剣である賛美が、暗闇の力である悪しき業を打ち砕くためものであると教えられました。『鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。』とありますが、これは、地域の悪しきリーダーを縛るために賛美が与えられたことを意味しています。賛美は、私たちが主におささげする礼拝のためだけに用いられるものではなく、賛美の中に現される主のご臨在が、そこにある悪しき暗闇の支配を打ち破るものであると神様がはっきりと教えてくださいました。新城教会に与えてくださった「新しい歌」とは、暗闇の力を打ち破る剣であることをお教えくださり、そして、現在に至っています。私たちはもっともっと神様を賛美し、この地のリバイバルのために歌い続けて行かなければならないことを感じています。ですから、私たちがささげる賛美には、大きな力があると信じて賛美していかなければならないのです。

 明治時代には、天皇を頂点とした国作りが成され、日本国民は天皇の赤子であると言われました。そんな悪しき支配は、日本国民がそれぞれの地域に産まれると、その地域の神社の氏子になるという悪しき霊的システムが作られました。しかし、私たちはその中から救い出され、そして、贖われたのです。ですから、その支配から購われた私たちが主に賛美する時、その地域の闇だけではなく、日本全体を揺り動かされる程に、大きな力があるものであるとイエスさまが教えてくださいました。私たちがささげる賛美は、この国を変える大きな力であることを信じて賛美していくことが大切だと思います。 

 皆さんのお祈りに支えられ、Zawamekiの働きが守られ祝福されていることを心から感謝いたします。イエスさまが行く先々に、賛美の中にいてくださると強く感じています。二月には群馬県の教会を巡りました。そこで大きな祝福に出会いました。四つの集会をしましたが、それぞれの集会にクリスチャンではない方々が来られました。以前Zawamekiは、クリスチャンのための賛美というような位置づけがありました。しかし群馬の集会では、クリスチャンではない方が来られ、そこで主に触れられて変えられていく姿を見させていただきました。一つの小さな教会に行きました。信者の数が十名ほどでした。先生方は随分お年を召されている方でした。会場となったのは田舎の一つの会館でした。会館の中に入ると、ステージの横に今まで見たことがないような大きな和太鼓がありました。その地域の霊的コンディションはあまり良い所でないことを感じていました。その教会の牧師先生が集会前にこう言われました。「今回は、クリスチャンにはあまり連絡しませんでしたが、ノンクリスチャンに連絡をしました。」と言われました。大丈夫だろうかと心配になりました。午後七時からの集会でしたが、七時になっても、私たちメンバー四人とその先生方二人と、あと二、三名がおられるだけでした。しかし、七時十五分頃になると人々が集まり始め、会場いっぱいになりました。始めるに当たり牧師先生がお祈りするのですが、来られたみなさん目を開けて見ているのです。大半がノンクリスチャンの方々でした。そして賛美が始まりました。すると不思議なことが起こりました。クリスチャンではない彼らが大変喜んで手を叩いていました。携帯電話で写真を撮る人が出はじめました。そしてクリスチャンではない方が恐る恐る立ち上がって、なんと踊り出しました。さらに『主の愛が今』を歌うと多くの方が涙を流されていました。そして最後に『Dancing』を賛美すると、来られた方皆が踊りながら賛美していました。そして「今日はよかった。また来ます!」と言って喜んで帰られました。賛美の中に新しく主が動いておられることを見せていただきました。そして、次の日は礼拝でしたが、そこも小さな教会でクリスチャン五名、求道中の方が五名という教会でした。その教会は女性の牧師先生でした。先生のご主人は、「今日は五十名集めます。」と断言するように言われました。また大丈夫かなと思いました。教会の前には花が飾ってあり、開拓一周年記念の集会ということで、いつものZawamekiの集会とは違った雰囲気でした。時間が来ると、人は次から次へと訪れ、用意されていた五十の席がいっぱいになりました。来られた方も、普段Zawamekiの集会に来られている方々とは違う層の方々が多く来られました。○○会社の代表取締役という方が多く来られたのです。集会前、最初に始まったことは、名刺交換からでした。会社の社長さんや大学の学長さんも来られました。そして、礼拝の最初の挨拶は、その学長の挨拶から始まりました。またその他、貴婦人・マダムのような方も来られていました。一方私たちZawamekiは、さあ、どうしようかと思いつつも、できることはZawamekiの賛美を歌うことしかないからと、いつものように、力一杯、元気よく賛美をしました。すると驚くことに、皆さんが大変喜んでニコニコしながら賛美を始められました。そして、またも何人もの方が賛美の中で涙を流されていました。神様が働いておられました。そして最後に『Dancing』を賛美すると、後ろの方におられた若手の社長さんたちが何かサインをされていました。「立って歌いたい。」とのサインでした。それを受け、立ち上がって賛美するように促すと、皆さん立ち上がって、踊って賛美されていました。社長も学長も踊り出して賛美しました。神様が行く先々で新しいことをしてくださっていることを見ました。

 六月は鹿児島と宮崎で賛美をしました。今回鹿児島に行った一つの大きな目的は、鹿児島にある『君が代』発祥神社で、執り成しの祈りをし、そこで賛美をするためでした。『君が代』は、日本の全国民が歌を通して、悪しき霊と契約を結んでしまう歌であると教えられています。ですから、『君が代』を通して結ばれた悪しき契約が打ち砕かれるように祈って賛美するために向かいました。『君が代』とは「日の丸の天照を仰いで、君と呼ばれる貴方様が千年も万年も生きながらえますように・・・」という歌です。そこでの祈りと賛美はとても祝福されました。日本人が『君が代』を歌ったことにより結んだ悪しき契約が断ち切られるようにお祈りし、そして、境内で四名が一曲ずつ踊りを持って賛美をし、大変祝福された時を持つことが出来ました。その後、夜の集会場へ向かいました。鹿児島では毎月賛美集会が行われているようで、その集会をZawamekiの集会としてくださり開催させてくださいました。夜の集会には三十名程の来られると聞いていたのですが、実際は、六十〜七十名が集まって来られ大変祝福されました。熱く燃やされた集会でした。鹿児島県は色々な意味で、かつて悪しき土台となってしまったことをお話しさせていただきました。『君が代』発祥の話の他、豊臣秀吉による「朝鮮出兵」が鹿児島県川内市の港からされていること、さらに、太平洋戦争ではゼロ戦が真珠湾に行ったことなどです。そのような中に働いた悪しき力が砕かれ、今度は主を賛美する場所に変えられるようにと、真剣に賛美し、祈りました。老いも若きも賛美していました。一番前で六十代の方がずっと飛び跳ねて賛美されていました。終わってから「○○先生、お祈りください」と言われると、その方が出てこられて開口一番こう言われました。「久しぶりに恵まれました!賛美の中で主に触れられて跳ねて賛美しました。でも六十になった私のもう一人の声が聞こえてきて、そんなに跳ねてはいかん。明日からの仕事ができなくなる・・・・、しかし、もう一人の自分は、もっと恵まれるために跳ねよう!と、その声に従うことができて、本当に恵まれました!」と証されていました。イエスさまご自身が鹿児島の地にも働いておられることを見ました。そして次の日は宮崎に行きました。宮崎も祝福されました。そこは三十の椅子を並べると一杯になってしまう会場でしたが、そこに八十名程の方が来られ、椅子を取り除いて四時間の賛美集会をしました。その中にはノンクリスチャンの方も来られていました。後からノンクリスチャンの方が出してくださったアンケートを見ると、「とっても楽しかった!新しい扉が開かれた気がしました!」と書かれていました。神様は賛美の中に働いておられたことをみさせていただいました。今回、鹿児島で十四才の少年がこんなアンケートを残してくださいました。

「今までメッセージをちゃんと聞けてなかったのに。先生の話はとても聞きやすかったです。イエスさまにまたもう一歩近づけたと思います。先生方は本当に神様と一緒にいるんだなあと感じました。僕はイエスさまを離れようとしていたけど、また元に戻れるようになりました。本当に良い機会になったと思います。本日は本当に時間を空けて来ていただきありがとうございました。先生方の音楽は最高でした。先生方の賛美はリバイバルを起こす最終兵器だと思います。先生がまた来てくれることを祈っております。」

(ここまでが十四才少年のアンケート)

「神様はここにおられるんだ!やっぱりイエスさまと歩いていこう!」というアンケートを見て、心が燃やされました。

 賛美の中に確かに主がおられる、そしてその賛美を通して神様が悪しき支配を打ち破る業をされようとしていることを信じ、もう一度新しい心で賛美をする者にさせていただきたいと思います。この日本、また新城を勝ち取るために、「イエスさま、あなたは最高です。あなたの素晴らしさをほめたたえます!」と心の底から、本気で主に賛美をするときに、主は臨在を現してくださり暗闇の力は打ち破られるのです。その恵みは測り知ることができない大きな祝福となることと信じています。「ハレルヤ!主に新しい歌を歌え!」と、み言葉とともに、新しい賛美をささげましたが、この賛美は剣であり、この剣を通して主は大きな主のみ業を始めておられます。それぞれの家庭の中で、学校で、職場で、社会の中で、どこに行っても、主のご臨在と勝利を信じて歌い続けていきたいと思います。私たちが歌うとき、この地が変えられ、またこの国が変えられ、またアジア及び全世界が変えられるのです。このことを受け取って賛美していきましょう。お祈りします。


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