前に進め


2008.7.13(SUN)
新城教会牧師 上條実師

旧約聖書 出エジプト記 14章21節〜28節
そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。朝の見張りのころ、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱された。その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。それでエジプト人は言った。「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」このとき主はモーセに仰せられた。「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。

 ハレルヤ!今日皆さんの前でお話ができることを感謝します。イエスさまの恵みがいつも私たちのうちにあることを感謝します。皆さんにお伝えしておりますように、今週の土曜日から水曜日まで男性三十名、女性四十名。計七十名の方々が韓国から来られます。その間、聖会やセミナーなどを行いますので、皆さんもぜひご参加下さい。韓国の方が日本を愛し、日本のために祈る目的で来られます。ぜひその時が祝福されるように覚えてお祈り下さり、またご参加下さい。

 さて今日お読みしたみ言葉は、大変有名な箇所です。『モーセの十戒』や『プリンス・オブ・エジプト』という映画の中にも出てくる場面です。イスラエルは長い間エジプトの奴隷になっていました。出エジプト記十二章四十節から四十一節に

『イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は四百三十年であった。四百三十年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出た。』

なんと四三〇年もの間イスラエルの民はエジプトで過ごしていました。イスラエルはエジプトにて奴隷となっていました。何の自由もなく、大変な労働を嫁せられていました。そんな中、

『ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出た。』

とあります。ちょうど四三十年になったその日とあります。モーセが率いるイスラエルの民は、ちょうど四三〇年目になったその日に、エジプトから脱出する事ができました。そして今日読んでいただいた所は、後ろからはパロが率いるエジプト軍。そして前には紅海としう絶体絶命の場面で、神さまによって奇跡が現された場面です。聖書はすべて事実です。しかし私たちは聖書を物語を読むように読んでしまいます。しかし確かに今日読んだ箇所も実際にあった事実です。私たちは聖書を読むとき、ただの歴史書や道徳の言葉として読んではいけません。自分と自分の生活に当てはめて読むときに、神のことばは生きてきます。

『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』

聖書そのものがイエス・キリストです。私たちが聖書を人生のマニュアルとして生活していくときに、祝福を頂くことができます。私たちの生活は神の中で生きることができます。私たちの生活の中で神さまは働いてくださいます。四三〇年間イスラエルの民は奴隷にされていました。苦しみつつやっと解放の時が来ました。出エジプトをしました。私たちの人生もさまざまな苦しみがあります。ある方は悩みや重荷があり、苦しみや心配があり、早くそこから抜け出したい、どうしたらそこから抜け出すことができるのだろうかと考えています。ガソリン等が高くなり、経済的に苦しく、生活を切りつめて、やりくりしても経済的に苦しんでいる方もいらっしゃるかも知れません。また病気を持って早くこの病気がいやされて欲しいと思い祈ってはいるがなかなかいやされず、いやしどころか病状が悪化している方もいるかも知れません。また多くの方が対人関係で悩んでいます。愛し合って結婚した夫婦、何でも許し合い、ともに苦しみも乗り越えてきた夫婦であったのに、亀裂ができてしまい、愛せなくなります。信用できなくなります。また親は子どもに期待します。生まれたときから愛を持って育てて来ました。しかし子どもが年頃になると、さまざまな心配事がおこります。夜遅くに帰ってくると大丈夫かと心配したり、何か悪いことをしていないだろうか。また免許をとって運転し始めると、事故をおこしたしないだろうかと心配します。親は子どもを愛して心配しているにも関わらず、子どもは親に反抗します。今まで手塩にかけて育ててきた子どもたちがどんどん親から離れていっていきます。親子関係で多くの問題を持っています。また学校で子どもたちは大変で一生懸命戦っています。小さな子どもから中学生、高校生など子どもたちにも多くの問題があります。また会社でも問題があります。また精神的な病気で苦しでいる人が大勢います。様々な問題でこの愛する日本は、年間三万五千人が亡くなっています。みんなそこから抜け出したいのです。いやされたいのです。解決したいのです。しかしそこから抜け出すことができずにいます。

出エジプトも四百三十年間ずっととどまっていました。しかし神の時が来ました。四三〇年目についにイスラエルの民はエジプトから脱出することができました。出エジプト記十三章十七節から十八節に、

『さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた。』

とあります。また二十一節から二十二節に、

『主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。』

四三十年間奴隷生活したイスラエルの人たちがエジプトから解放されました。その時イスラエルの民は男だけで六十万人だとあります。ある意味で百万人とも二百万人ともいう大民族が一斉にエジプトから出て行きました。すごい様だったでしょう。大行列でした。そんな中よく統制がとれて進んでいったと思います。関東大震災の時にはデマが流れて大変なことになったと聞いています。情報化時代ではないときによくぞ二百万人の人々が大行列をなして進んでいけたと思います。先頭に神の人モーセがいました。一人が間違った情報を流したら、民はメチャクチャになってしまいます。しかし昼は雲の柱、夜は火の柱をあらわし、誰からでも見えるように神さまが先頭に立って導いてくださいました。その大きな目印があったからこそイスラエルの民は同じ方向に向かって進むことができました。またイスラエルの民は荒野を旅しました。荒野とは何もない場所です。荒れ果てている野、人けもなくて寂しい野原です。昼間はすごく温度が高くなりました。なぜそこに雲の柱を立たせたかについて注解書を見ると、灼熱の太陽を遮るために主が雲の柱を立てて下さったとありました。また火の柱とありますが、火の柱が立てられたのは、荒野には多くの獣がいます。夜行性の動物がいて被害に遭ってしまいます。しかし光でその軍隊、イスラエルの民を照らしたためにその動物からも守られたともありました。

私たちも同じです。私はぜこんな状況の中にいるのだろうか?どのように進んで行ったらよいのだろうと考えます。しかしあなたの神は生きています。あなたを今までも昼は雲の柱、夜は火の柱で導いてきました。あなたの人生の真ん中にイエス・キリストがおられ、いつもあなたを守ってくださっていることを信じて下さい。

またエジプトからイスラエルまで行くルートはいく通もの道があるようです。その中で一番近いのは、地中海に沿って北上する道だそうです。しかしそこを通るのはペリシテの国を通らなければなりませんでした。イスラエルの民はとりあえずの荷物を持って出エジプトをしました。戦いの道具はなく、丸腰の状態でした。そんな状況でペリシテと戦ったら必ず全滅します。だから神さまは一度一番近いルートを通ろうとしましたが、神が紅海を渡るルートに導きました。向きを変えて紅海に向かいました。

私たちはイエスさまを信じて生活するとき、問題が良い兆しに進んだかのように見えて、また引き戻されることがあります。どうしてだろう、なぜ戻ってしまったのか?今回の問題は解決されないのだろうかなど、神さまに対して不信仰や愚痴を語ってしまいます。しかしイスラエルの民に火の柱、雲の柱があったように、あなたにも神さまがともにいて下さり、神さまは今までの道とは違う、新たな道を計画されている。あなたの性格、状況、賜物など全てを考えて、あなたのためのプランを立てて実行に移して下さるお方です。あなたのためにプランだてして下さる神さまです。

イスラエルの民のために神さまご自身である火の柱、雲の柱を立てて下さいました。そして神さまはイスラエルの民を紅海に面した所に導きました。そのころエジプトの王パロはイスラエルの民を逃してしまったことを悔やみ、えり抜きの戦車六百などを整え、自らその軍隊を率いてイスラエルを追いました。イスラエルの民は後ろを見ると、パロが率いるエジプトの大軍勢。そして目の前は紅海。その間に挟まれてしまいました。八方ふさがり。最悪の状態でした。出エジプト記十四章十節から十三節に、

『パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。』

完全にあきらめています。エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのですと敗退、死を覚悟しました。「エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」と束縛されていた方が、まだましだと語ったのです。完全にイスラエルの民は恐れおののいています。その時に十三節で、

『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。』

と言われました。また出エジプト記十四章十四節から十五節に、

『主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。』

とあります。この十五節の箇所から今日の「前に進め」というタイトルを付けました。

今皆さんの中で八方ふさがりの方はいませんか?完全な敗北だと考えていらっしゃる方はいませんか?祈っても、霊的戦いをしても動かない。かえってもっと悪くなっている。またある方は悪習慣から解放されたいと思います。しかし悪習慣から解放されず、悪習慣を繰り返し、また悪魔に罪を訴えられて今まで以上に苦しいと思っておられる方はいませんか?神さまがいるにも関わらず、なぜこんなに大変なところを通らなければならないのだと思います。しかしぜひ神の語っていることばを聞いて下さい。

『主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。』

主があなたがたのために戦われる。前進しなさいと言っています。私たちは「前進しなさい」と言われるのはわかります。聖書は知っています。しかし知っているだけで信じることができないのです。神さまに任せることができないのです。前進することができません。私たちの今までの状態は後退し、負けていたかも知れません。しかし今日、あなたが信じている神様のことをもう一度考えて下さい。奇跡の神です。私たちの神さまは敗北の神ではありません。「前進せよ」と言っています。前には紅海。そして後ろはエジプトの大軍。逃げることもできない状況下の中で不思議が始まりました。出エジプト記十四章二十一節に、

『そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。』

とあります。驚くべきことです。モーセが紅海に手を差しのばしたとき、あり得ないことですが、一晩中強い東風が吹き、目の前にある大海原。海を退かしたのです。強い東風によって海が真二つに分かれたのです。それも驚くことにかわいた地をイスラエルの民が渡ったとあります。今日のような良い天気が続くと、感謝な事に駐車場は良い状態なのですが、雨の日はぬかるみができ、タイヤがはまってしまうこともあります。日曜日に晴れても前日、もしくは前々日に雨が降ると水たまりができ、なかなか晴れの日が一日あっても乾くことは難しいときがあります。服にハネが上がっていたり、靴が汚れたりします。とにかく雨の日や乾いていない時は歩きにくく、車が踏み込んでしまうしまつです。しかし神は一晩中強い東風を吹かせ、海を分かれさせただけでなく、乾いた陸地をイスラエルの民に用意しました。海の底をです。水がわかれたと言うことも奇跡です。しかしさらにイスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行ったと言うのです。後ろから追っ手が来ました。彼らもその海の底をわたり始めました。しかしエジプトの陣営をかき乱された。とあります。そしてその戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされ、追いつけないようにされました。イスラエルの民が対岸に渡りきったとき、モーセが手を海の上に差し伸べました。すると海がもとの状態に戻ったとあります。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかったというのです。完全勝利です。海を渡っているときイスラエルの民は、いつエジプト軍に追いつかれるのだろうかと恐怖だった思います。しかしそのイスラエルの民の目の前で、水はもとに戻りました。今まで奴隷としてきた王。パロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。完全勝利を見せて下さいました。

今日私たちを助けてくださり、私たちに平安を与え、必要なものを与えて下さる神さまであるにもかかわらず、後ろばかりを見て立ち止まってしまいます。恐れています。後退してしまっています。十四章十五節に、

『主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。』

これはモーセに神が語ったことですが、今日皆さんにも語っています。なぜあなたは私に叫ぶのか。怖い。無理だ。しかし神はあなたに語ります。「前進しなさい」後ろを振り向かないで「前進しなさい。」あなたの神は確かに生きていて今も働き、私たちを祝福して下さる神さま。奮起して前進しなさい。諦めてしまっていたことがらをもう一度祈り始めて下さい。みことばを読み、みことばを信じて下さい。神は逃れる道、脱出の道を備えて下さるのです。ヘブル十三章八節に、

『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』

とあります。紅海を分けた神は私の神であり、今も生きておられる神です。あなたは神はどれくらい偉大ですか?聖書は、全知全能なる神だと書かれており、私たちも認めますが、いざ自分の生活では神さまが小さく、気休め程度の神さまになってしまっています。駄目だと諦めていませんか。今日苦しみや問題の中にある方、神さまは生きていることを信じて前進しましょう。祈りましょう。聖書を読みましょう。奉仕しましょう。集会に参加しましょう。あなたができることを一歩行動し始めて下さい。特別霊的戦いを意識して戦いましょう。前進する時に主が素晴らしい祝福を与えて下さいます。出エジプト記十四章十三節から十四節に、

『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救い

を見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。』

とあります。神はあなたに何か大変なことをしなさいというのではありません。「恐れてはいけない」とあります。あなたの問題を必ず主が解決してくださいます。悪しき力はおそれを私たちに与えてきます。現状を悪くして、恐れさせてきます。しかし私たちの神は勝利を与えてくださる方です。恐れないで下さい。そして諦めないでしっかり立ちなさいとあります。信仰に立ちましょう。神さまに頼り、神さまが私たちを救ってくださる。神さまが解決して下さるのですから信頼しましょう。『あなたがたのために行われる主の救いを見なさい』とあります。見なさいです。私たちはしっかりと立って見ていれば良いのです。そして十四節には『主があなたのために戦われる』とあります。「上條実、あなたが戦う」と書いてあるでしょうか。違います。「主があなたのために」、「主が私・上條実のために戦われる」と書かれています。あなたが苦労して戦うのではありません。霊的戦いと言うと、何か自分で悪魔、悪霊と取っ組み合いの戦いをして、投げ出さないと勝てないような思いを持ちます。それは大間違えです。軍の将である主があなたがたのために戦われるとあります。その後に『あなたがたは黙っていなければならない』と記しています。私たちは、どうなるのだろうかと見物していれば良いのです。当事者が見物者です。自分の問題なのに、「任せなさい。私が戦う!」と神さまが戦って下さるのです。私はコンピューターがなかなか覚えられません。トラブルがあると投げやりになって、もう辞め!とあきらめてしまいます。しかし必要なのでコンピューターの得意な方に「このトラブルを直して下さい」と依頼します。すると直してくれます。それと同じです。あなたが今トラブルがあって行き詰まっていたら、主が戦ってくださいます。主が解決を与えて下さいます。私たちは、恐れないで、しっかり立って、主の救いがどんなのであるか、主が戦って下さるのを黙ってみれば良いのです。出エジプト記十四章三十節から三十一節に、

『こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。』

とあります。全てのエジプト兵は海に飲み込まれました。そして今まで恐れていた、怖くてたまらなかったエジプト兵は全滅しました。私たちの神はきのうも今日も変わらない方です。あなたが信じている神は私たちとともにいて下さる方です。「インマヌエル」ともにおられる方です。詩篇一一九篇九節から十一節に、

『どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。』

とあります。私たちはみことばで道を照らしていただくことができます。道しるべをいただいています。道しるべ、主の威光である雲の柱、火の柱となってわたしたちを導いて下さいます。詩篇一一九篇一〇五節に、

『あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。』

暗いときみことばは、足のともしび。光です。み言葉を読みましょう。そしてイザヤ書四十章八節に、

『草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。』

とあります。時代は移り変わります。草は枯れます。綺麗に咲いていた花もしぼみます。しかし私たちの神のみ言葉は絶対に変わりません。一点一画変わらないみ言葉を土台にして下さい。私たちが子どもをしつける時、子どもが嘘をついても、自分に余裕があるときは「嘘も方便だから」と赦してしまいます。しかし自分に余裕がないと「なんでそんな嘘を言う!」と必要以上に怒ってしまいます。そんなことをしていれば子どもは混乱します。しかしみ言葉は世の光であり土台です。土台は動きません。この土台の中で人生をしっかりと教えて下さる神がいることを覚えてください。

『この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。』

とあります。聖書は変わることはありません。私たちが何をするときにも聖書によって知ること、解決することができることを覚えて下さい。神様は愛なる神です。ヨハネ三章十六節に、

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

あなたを愛します。どのぐらい愛しているでしょう。それはイザヤ書四十三章四節に、

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』

あなたを高価で尊い。あなたを愛しているとあります。第一ヨハネ四章九節に、

『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。』

とあります。あなたを愛して十字架にかかって滅んで下さり、三日目によみがえって下さいました。私たちの神は愛なる方です。今も生きておられます。今も変わらず、みことばにあることは必ず私たちにも同じように、生きて働いて下さいます。ぜひあなたもみことばを読み、祈り始めてください。祈り方を知らなくても「天のお父様」、「イエスさま」と祈り始めて下さい。「イエスさま。この問題を解決してください。アーメン」と祈ればよいのです。主が働いてくださいます。「恐れるな。しっかり立って主があなたのために戦われる」「あなたがたは黙ってみていなさい」と言われます。今日もう一度主を感謝しましょう。そして立ち止まっている方、諦めて問題に蓋を閉めてしまい駄目とあきらめている方、もう一度神さまを信じて「前に進みましょう」主が祝福を与えて下さいます。最後に今週韓国から七十名来られます。その韓国の方と交わりましょう。ともに祈りあいましょう。前進して、自分とは関係ないではなく、また私は交わりが苦手だからではなく、あなたが前進して、参加し交わるとき、神さまの働きを見せてくださいます。来年韓国リバイバルミッションがありますが、韓国のためにあなたが前進して祈り、交わるとき考えてもいなかった大いなる祝福を下さることを信じます。主が戦ってくださいます。「前に進みましょう」一言お祈りします。


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