息よ四方から吹いて来い!


2008.9.14(SUN)
新城教会牧師 上條 実

旧約聖書 エゼキエル書37章1節〜10節
主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真中に置かれた。そこには骨が満ちていた。主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。」私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中にはいった。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。

 ハレルヤ!今日皆さんとともにみ言葉を学ぶことができますことを感謝します。今滝元順牧師とフェルナンド先生はブラジルでご奉仕しています。一昨日のメールではある町で朝から牧師会があり、その牧師会始まって以来の多くの牧師先生方が集い、セミナーを行い大変祝福されたとのことです。その後街のために皆で、街を見わたせる山に出かけていきとりなしの祈りをささげたそうです。そして夜はリバイバル聖会と大変忙しいスケジュールをこなしているみたいです。今週土曜日に帰国します。是非それまで健康で、良き奉仕ができますようお祈りしましょう。また滝元明牧師も支えられています。九月二十日で七十九才になります。だいぶ年を取って来ましたが、毎日主のために奉仕が出来ることを感謝します。先週の金曜日に三島市で奉仕をし、次の日は車で移動して長野市まで行き、集会が終了後その夜に東京まで車で移動。そして本日の礼拝は東京の北区にて奉仕をしております。そして夜は別の都内にある教会で奉仕。そして明日新城に戻って来て、火曜日集会をしてその後も二十一日まで関東甲信越地区の色々な地に出かけて行き、奉仕をします。ぜひ守られるように、特別多くの方が救われるようにお祈り下さい。また滝元開副牧師とざわめきのチームも今日四国で奉仕し、明日まで集会があります。是非先生方のためにお祈り下さい。またいつも覚えてお祈りいただいていますMくんも少しずつ回復してきています。先週のこの礼拝時にお伝えしたときよりだいぶ回復しています。皆さんがお祈りで支えて下さっていますので、回復してきていることを心から感謝しています。先週Mくんのために祈っているときに、み言葉をいただきました。それはイザヤ書四十章一節から二節です。

『「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」』

ご家族はもちろん教会全体がMくんの病気に心を痛めました。しかし主は「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」と語って下さいました。そしてその労苦は終わり、「二倍のものを主の手から受けた」とあります。必ずいやされると同時に、これがただの病ではなく、Mくんにもご家族にも、また私たち教会にも二倍のものを与えてくださるという約束です。そんな中回復してきているとの連絡を頂き、主に感謝し、引き続き祈っていきたいと願っています。また来年五月に行われる韓国リバイバルミッションのテーマソングがで来ました。今回の韓国リバイバルミッションのみことばはエレミヤ書三十一章三節から四節です。

『主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。』

「おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。」とあります。建て直される。回復です。神さまは今この日本に、また教会に回復を与えて下さっていると思います。先ほど読んでいただいたエゼキエル書三十七章は今から約三千年ほど前の出来事です。BC千年頃、イスラエル王国ができました。しかしその後ご存じのようにイスラエル王国がダビデ王、ソロモン王の後、北イスラエルと南ユダの二つに分かれてしまいました。北イスラエルはアッシリアという国に滅ぼされ、また南ユダはバビロニアに滅ぼされてしまいました。エゼキエルは南ユダの人であり、バビロニアに連れて行かれて、補囚になった民の一人です。その捕囚先であるバビロンでエゼキエルは預言しています。捕囚されているところでエゼキエルは三十七章の預言をしています。この預言には二つ意味があるようです。一つは、バビロニアに連れて行かれた南ユダの人が、もう一度自分の国エルサレムに戻ることができるという預言。それが七十年後に成就し、イスラエルに帰ることができました。もう一つの預言は、今あるイスラエルという国は一九四八年に建国されました。イスラエルの国は再建されました。それまでイスラエルの民は、世界中に散らされていました。しかしなんと一九〇〇年ぶりにイスラエルが復興し、再建されたのです。この預言がエゼキエル三十七章に書かれてあります。二つとも成就しました。回復したのです。三千年ほど前のみ言葉が、今主によって回復して下さった。このみことばを今日語るように教えられ、今は「回復して下さる時」であると教えられています。Mくんの病気は先ほども言いましたが、家族にも私たちにも大変悲しい辛い出来事でした。しかし多くの兄姉を始め教会全体が彼のために祈り始めたとき、私は一つのことを思い出しました。それは一九九三年にあった甲子園リバイバルミッションの時です。知らない方もいらっしゃると思いますが、甲子園リバイバルミッションは一九九三年十一月五日から七日の三日間開催されました。あの阪神甲子園球場に三日間で延べ十二万四千人が集うという、日本人の手による伝道会としては日本の歴史に残るような集会を持つことができました。その準備時は決して順調ではありませんでした。と言うよりたとえならば日本のキリスト教会もこの新城教会も大嵐のような状態であったように思います。多くの反対があり、この教会にも多くの問題が吹き出て来た時でした。当時私たちは祈ってイエスさまに期待し求めていました。そんな中、よく語られることですがこの新城教会に霊的戦いを主が開いて下さいました。その霊的戦いが始まり、祈り始めたとき「これで勝利だ、すぐにリバイバルが来る!」と思いました。しかし現実は教会に分裂が起こり、教会が傷つき、苦しみました。なぜ今まで一生懸命祈り求めてきたのに、こんな出来事が起こるのだろうと思いました。しかし主は人間の力や方法ではなく、これは神に期待するしかないと教えられ、必死で祈り、必死で霊的戦いを行いました。その当時誰かが教会のある部屋でいつも祈っていました。自発的にと言うか、神さまに押し出されてひざまずき祈っていました。リバイバルミッションの企画として「十八万時間祈祷」というプログラムを全国に展開し、十マスあるはがきに、一時間祈ったら一マス塗りつぶし、全部塗りおえたら事務局に送り返して頂くというプログラムでしたが、日本中の方々、特にこの新城の方々が真剣に祈って下さいました。あれから十数年経ちました。お祈りはしています。しかしなにか必死さがなくなっていたように思います。昨年はハワイでリバイバルミッションがありましたが、出かけていくときには、ハワイにリバイバルが起きるようにとの願いを持って祈っていますが、どこか心の奥底に、自分を含め教会に観光気分が残っており、祈りや戦いがボカされていたのかなぁと思いました。しかし今回辛いことでしたが、Mくんが病気になって、自発的に兄姉たちが祈ろうと声を上げ、祈り始めたことは神様の現れであり、回復だと感じるのです。我が家でも子どもたちと一緒に食事をするときに、必ずMくんのために、またその他のご病気の方のためにお祈りするようになりました。私が時々祈り忘れると、息子が「Mくん、Mくん!」と言ってくれます。いつも彼のために祈っています。昨日子ども集会がありましたが、子どもたちもみんながMくんの事をとうして真剣に祈り始めました。また中高生たちも真剣に祈り始めました。先日もMくんの病の癒しを期待して中高生の集会で宣言し、祈り終わったとき「少しずつ回復してきた」というメールがきたと喜びながら興奮して息子が話してくれました。中高生たちが祈り始めました。まだ小さいかも知れませんが、少しずつ「祈りのムーブメント」が広がり始めている。先日も有志たちでMくんのために自発的に十二時間連鎖祈祷がなされ、祈りが回復しています。そんな中でエゼキエル書三十七章一節から三節に、

『主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真中に置かれた。そこには骨が満ちていた。主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」』

神はエゼキエルに干からびた骨がたくさんある谷間に連れて行きました。そして「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」と質問しました。「干からびた」ということは、人間は肉を持っており、その下に骨があります。昨日の子ども会ではもう少しリアルに話しましたが、腐敗してとなると言うことはすごい状況だと思います。私に神さまが質問したとすればすかさず「それは無理です」と言ってしまうと思います。しかしエゼキエルは、うまく回答をしています。それは「神、主よ。あなたがご存じです。」と語っています。しかし人間的には絶対無理なことです。しかし聖書を読むとき、主は生きていると私たちは信じています。四福音書を見てみると、イエスキリストは多くの病を癒したり、悪霊を追い出し、奇跡を起こした記事が記されています。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書は全部で三七七四節あるそうです。その中で四八四節。約十二パーセントがイエスキリストによって、人々を癒し、悪霊を追い出し、奇跡を起こした記事が書かれてあるそうです。信じてはいますが、生き返るかと言われると難しいと考え、期待できなくなってしまいます。しかし神はエゼキエルに奇跡を表しました。

『私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。』

なんと骨がつながり、筋、肉、皮膚が覆って人間の形になったと言うのです。皆さんは人間の骨は、大人でいくつあるかご存知ですか。調べて見ました。成人で約二〇六個、乳幼児では三百個位だそうです。段々大人になると、分かれたところが一つになって二百個ほどになるそうです。頭蓋骨だけで二十三個、腕は六十四個、足は六十二個、背骨は二十六個あるそうです。

『私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。』

とありますが、もし骨がつながったとしても、骨が満ちていた所ですから、そこには小さな人の骨もあれば、また大きな人の骨もあったと思います。骨がくっついたときに、手が一方が短くて一方が長かったと言うことが起きても不思議ではありません。人間の形にするために、その人の骨を集め、完全な人の形となるというのはとっても大変なことです。しかし主は人の形をつくりました。しかし息がありませんでした。死んでいたのです。その後よく読んでみると神はエゼキエルに「あなたが預言しなさい。」「あなたが宣言しなさい」と、エゼキエルに宣言させています。三十七章九節から十節、

『神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中にはいった。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。』

エゼキエルを用いて、奇跡を表しました。神は人を使って奇跡を起こします。今日も同じです。人を用いて、働く神さまです。

 旧約聖書はヘブル語で書かれていますが、ヘブル語で霊を表すのは、「ルアハ」ということばだそうです。「ルアハ」とは風、いのち、息を持ち合わせた言葉です。モーセが紅海を渡るときに、強い風が吹いてきて、紅海を二つに分け、乾いた地となり二百万人というイスラエルの民が渡ったときに吹いた風も「ルアハ」が使われているそうです。息が四方から吹いてこいとありますが、神の力である風、いのちの息が吹いてきて、干からびてしまった骨。既に死んでひからびた骨がつながり、筋、体ができ、そこに神様の息「ルアハ」が入りました。神の息が吹きました。するとなんと生き返ったのです。回復です。死によって絶対動けないものが回復して動けるようになりました。、死んでしまった人が生き返ったのです。今日皆さんの中で、死んでしまった出来事。長いあいだもう駄目だと諦めてしまった出来事。病。問題。救い。人間関係。夫婦関係。親子関係などなど、どんなことでもあなたが、「息よ四方から吹いてこい」と宣言するとき、「ルアハ」である聖霊の風が吹き、回復させて下さるのです。先ほどもお話ししたようにMくんが回復してきたこと、韓国リバイバルミッションのみことばも「再びあなたは建て直される」ということばが与えられたこと。そして祈りのムーブメントがある今日この頃、日本に、この教会に「ルアハ」なる神の風、息を吹かせてもらいましょう。先週滝元順先生が語られたメッセージの中で「教会とはどういうものか」ということが話されていました。エペソ三章九節から十一節に、

『また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。』

神が万物を創られた奥義は教会を創ること、そして神が最も創りたかった場所は教会であったと語られていました。そのみことばを聞いた後、私は今日読んで頂いたこのエゼキエル書のみことばを教えられました。死んで干からびていたしまった骨が、聖霊様によって生きた人となったのです。エペソ一章二十二節から二十三節に、

『また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。』

またエペソ五章二十三節に、

『なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。』

とあります。また第一コリント十二章には「私たちは各器官」だと書かれています。イエスさまがかしらで、私たちは各器官です。私はこのエゼキエル書を読んで「息よ、四方から吹いてこい」と預言。「ルアハ」の風、息が吹くとき、今週は必ず教会に吹いて教会の各器官が生かされ、頭なるキリストとともに生きた各器官が与えられて、奇跡を見ることができると信じました。ですから今日死んでしまっている部分。今まで一生懸命祈っても聞かれなかったこと、回復されなかった所が、回復してきます。神様からの二倍の祝福を受けることができます。信じて「息よ四方から吹いてこい」と宣言しましょう。エゼキエル書三十七章九節には、

『そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」』

とあります。「この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ」とあります。どんな戦いがあってそこに埋められていたかわかりませんが、殺された骨でした。今日私たちは今まで、目に見えない所で働く暗闇の力によって、殺されてきました。解決できずにいた祈りの課題、病などがありました。しかし教会は神がかしらで私たちは各器官です。体が生きるならば、全て満たされます。いやされます。回復します。ですから、天にある支配と権威が打ち破られるように、悪魔・悪霊が活動している霊的空間を「ルアハ」なる風、息によって完全勝利を頂きましょう。「息よ四方から吹いてこい」とあなたが宣言すればよいのです。大胆に宣言し始めましょう。
甲子園ミッションの時には確かに聖霊の風が吹きました。延べ十二万四千人が集まりました。また多くの方が決心され、多くの方がそこで献身し、牧師になりました。またある方は甲子園球場に入っただけで持病が完全に癒されました。確かにあのときは甲子園球場に聖霊の風が吹きまくっていました。みことばには昨日も今日も同じ神だとあります。今日この礼拝の中にも「ルアハ」なる風、息が吹いています。その風、息に預言して宣言しましょう。殺されたところ、回復を願うところにみことばを宣言しましょう。霊的戦いというと、何か特別なことをするかのように考えている方もいるかもしれません。霊的戦いは真の神であるイエスキリストの十字架と救いを信じ、聖書に書かれてある暗闇の敵である悪魔、悪霊に対してみことばを自分の口で宣言するだけです。戦って下さるのはみことばである神ご自身です。私たちがエゼキエル書三十七章九節を宣言していくときに、私たちは勝利することができます。宣言するとき教会が生かされます。今もう一度、神にとって不可能はないことを信じましょう。今も生きて働く神が一生懸命祈っても動かなかった問題に対して私たちが教会をあげてからだが「息よ、四方から吹いてこい」と皆で宣言して祈り始め、祈りに皆が集中していくときに教会が生き返ってくると思います。
私は主のために働くようになって、ある意味大変ショックな言葉を言われたことがあります。その方は当たり前のことを言われたと思います。しかし私にとってはとても痛いことばでした。それは今から二十二年前になりますが、原因が全くわからない病気にかかりました。そした検査入院と言うことで東京のとある病院に入院しました。その後、原因が分からずじまいで、新城に帰ってきました。当時まだ青白い顔をし、痩せこけて、苦しみなが主のために働いていました。ある聖日の朝会堂の玄関で皆さんに挨拶をしていた時、ある方にこう言われました。「一生懸命祈ったけど癒されないねぇ。」と言われました。その時、「私は神の栄光を汚している。私はこのまま奉仕する資格がない。主は生きているのに、献身者が生きた神に答えてもらっていない。いやされていない。」と思ってしまいました。そして「主よ。このまま奉仕して良いのでしょうか」と苦しんだときがありました。そんな中でみことばによって励まされ、回復させてくださいました。しかしあの時は本当に自分は教会奉仕を辞めようと思いました。当時のことを思い出しながら、あの時の自分は死んでいた。しかし哀れみによって、息によって、聖霊によって回復したと感謝しています。「ルアハ」の風が私に吹き付け、いやされました。今日教会全体で「息よ、四方から吹いてこい」と宣言して祈りましょう。
そしてわたしは三十七章一節から十節までのみことばに迫力があるため、その後のみことばをしっかりと受け止めて読んでいませんでした。しかし今回ゆっくり読む中ですばらしいことを教えられました。それはエゼキエル書三十七章十六節から十七節に、

「人の子よ。一本の杖を取り、その上に、『ユダと、それにつくイスラエル人のために。』と書きしるせ。もう一本の杖を取り、その上に、『エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために。』と書きしるせ。

『その両方をつなぎ、一本の杖とし、あなたの手の中でこれを一つとせよ。』

二本の杖があり、「一方の杖はユダ、一方はイスラエルと書き、これを持って真ん中で一つにしなさい」と言われました。三十二章二十一節から二十二節に、

『彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く。わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で、一つの国とするとき、ひとりの王が彼ら全体の王となる。彼らはもはや二つの国とはならず、もはや決して二つの王国に分かれない。』

一つの国とする。二つの王国に分かれない。主はと語って下さっています。二十二節に、

『わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で、一つの国とするとき、ひとりの王が彼ら全体の王となる。彼らはもはや二つの国とはならず、もはや決して二つの王国に分かれない。』

今までお互いに死んで二つになり、どうしても一つになることができなかったところに「息よ、四方から吹いてこい」と宣言した時、二つが一つとなり、生かされました。今日本のクリスチャン人口は百万人と言われています。しかし礼拝出席しているクリスチャンは二十数万人とも言われています。一億三千万人の中のごくわずかです。しかし私たちはみことばによって必ず人々が救われることを願っています。今日私たちは「息よ、四方から吹いてこい」と戦って宣言して祈っていきましょう。今週の火曜日は滝元明ミニストリーがあります。滝元明牧師が伝道メッセージを語ります。またロン・ブラウンさんとイボンヌさんが来られて、世界最高の演奏と賛美を聴かせてくださいます。私たちは今まで誘った友人、いつも断られるからと諦めていませんか?ひからびた骨になっていませんか?しかし今日生きかえるときです。自分にはできないのではなく、エゼキエル書三十七章九節を宣言しましょう。その時、主は勝利を与えてくださいます。また私たちは病について一生懸命祈ります。しかし現実を見ると難しい、無理だとあきらめてしまいます。しかし今日その病気に対して宣言しましょう。癒されるように、回復されるように祈りましょう。また夫婦の問題、親子の問題、家族、親族の救いもあきらめていませんか?宣言するとき、死んでしまった出来事が、生かされるのです。

『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』

とあります。いやされ、回復されます。今日みことばを宣言しましょう。
来年は韓国リバイバルミッションです。韓国と日本の間には深い溝があります。ひからびた骨が散乱しています。しかしそれが一つになるように祈りましょう。また先週は北朝鮮において大きなニュースがありました。韓国と北朝鮮が一つになるように。北朝鮮と日本のために、二つが一つとなるようお祈りしましょう。またさらに他の死んだところが「ルアハ」によって生かされるように「息よ、四方から吹いてこい」と宣言しましょう。今日皆さんで今からエゼキエル書三十七章九節を宣言しましょう。

『そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」』

神を信じていきましょう。お祈りします。


[バックナンバー]