福音を宣べ伝えよう!


2008.9.21(SUN)
新城教会牧師 滝元 順

新約聖書 マタイの福音書 28章16節〜20節
しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。今日このように、皆さんと共に礼拝を守ることができて感謝します。
 皆さんのお祈りに支えられ、九月八日に日本を発ってブラジルに行き、十九日に無事帰って来ることができました。日本とブラジルは時差が十二時間あるので、ブラジルだともうすぐ就寝時間です。メッセージ中に眠たくなってしまうかも知れません。しかし時差もありますが、元気に奉仕が出来ることを感謝します。
 私は五年ぶりにブラジルに行きましたが、今日は色々な証を含めて、お話をしたいと思います。

 イエスさまがよみがえられ、最初に弟子たちに命じられた言葉が、マタイの福音書二十八章十六節から二十節です。死からよみがえるなど、弟子たちには信じられないことだったと思います。実際にイエスさまに出会いながら、疑った人がいると聖書は記録しています。その時にイエスさまは、

『「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。』

 この言葉を語られたのは、イエスさまがよみがえられた後でした。イエスさまの公生涯はたいへん権威がありましたが、それはある意味で、「限定付き権威」でした。なぜなら、イエスさまの宣教の初めと終わりに、悪魔に関わられたからです。
 しかしよみがえられた時、「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威を受け取った」と宣言されました。完全な勝利を受け取られました。そして、「完全な勝利を勝ち取ったから、あなたがたは出て行って福音を宣べ伝えなさい」と語られました。

 現代のクリスチャンは、どのような権威で奉仕できるのかというと、それは、天においても地においても、「害するものは何もない」という、完全勝利で生きることができるのです。だから、あなたがたは恐れることなく、「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」そして、「バプテスマを授けなさい」と主は語られています。二十節に、

『また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』

 よみがえりのイエスさまが、この世が終わるまで、私たちと一緒にいてくださると約束しています。今日私たちは、すべての権威を受け取ったイエスさまとともに、歩むことができるのです。

 マタイ二十八章の場面が、マルコ十六章にもレポートされています。マルコ十六章十五節から二十節に、

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。』

 イエスさまは、十一人の弟子たちに向かい、大きな事を告げられました。それは、「全世界に出て行き、創られたすべてのものに福音を伝えなさい」という事でした。
 その後約二千年が経過していますが、見事に福音は全世界に宣べ伝えられています。弟子たちがイエスさまの命令を実行したゆえに、愛知県新城市の田舎でも、主を礼拝できるのです。
 弟子たちがこのみ言葉を受け取らなければ、今日、福音は私たちに届いていません。彼らが「全世界」という視点をもっていたゆえに、ここまで福音が届きました。

 ユダヤ人は閉鎖的社会に生きていた人たちでした。自分たちは選民だと信じていたので、自分たちだけが救われれば良いという、狭い考え方の中に生きていました。ですから、そんな弟子たちに向かって、「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と告げられた言葉は、現代のようなグローバル化した時代に生きる者たちとは、全く違う、重みのある言葉であったはずです。
 けれども彼らが、「全世界に福音を宣べ伝える」という視点を持ったゆえに、今日、私たちは、主を礼拝できる恵みに預かっているのです。

 私たちも、イエスさまが「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という言葉を厳粛に受け取らなければなりません。新城教会も、ただ新城だけに目を留めていてはいけないのです。「全世界に福音を宣べ伝える」という視点を持って、世界をターゲットとして祈り、とりなし、福音を伝える必要があるのです。

 マルコの福音書にあるような、「信じる者には次のようなしるしが伴う」という、生きて働く主のみ業を体験するには、何が必要でしょうか?
 何事も前提が狂うとうまくいきません。「全世界に福音を宣べ伝える」という前提をしっかりと置くときに、不思議としるしを持って、主は私たちをサポートしてくださると言うことだと思います。

 今回ブラジルで十日間近く奉仕させていただきました。明日からは関東で三日間ほど奉仕をし、すぐに韓国に行かなければなりません。私たちは田舎の教会ですが、ある意味で全世界をターゲットに奉仕させていただけることを感謝します。

 けれども、私たちのホームベースは、あくまでも「新城」です。新城で勝利を取らなければ、決して世界に勝利を持ち出すことはできません。まずは本拠地が祝福されなければなりません。本拠地に主のみ業を見ることができなくて、どうして世界で奉仕できるでしょうか。心を一つにし、全世界という視点を持ちながら、新城のリバイバルを祈りつつ、また、与えられている使命を果たすことができるように、祈っていきたいと思います。

 私がブラジルに滞在している間に、素晴らしいニュースが飛び込んできました。それは奇跡のニュースでした。皆さんに祈っていただいていた、「Mくんが目を覚ました」というニュースでした。

 彼が病気になったときに、私はすぐに友人の小児科の医者に聞きました。彼はそのような患者を多く診ていたので、「Mくんの状態をどう思いますか?」と聞きました。
 彼は主治医とも話してくれて、「これは重篤な病気です。医学的な見地から言うと、なかなか回復は難しいです。もしも仮に生き延びたとしても、多くの障害が残るのが一般的です。」と言いました。
 「じゃあ、どうしたら良いのですか」と聞くと、「真剣に祈るしかないですね。」と言いました。私は病院で何とかならないものかと思いましたが、病院がだめなら、祈るしかないのです。
 また、ある人が私の所に来て言いました。「Mくんが亡くなったら、シャレにならないよ…。今まで真剣に戦ってきたのに…」と言いました。
 一方では医学的には駄目だと言うし、教会では彼が死んだらシャレにならないと言われるし、どうしたら良いのか…、もう牧師を辞めたいと思うほどでした。

 しかし皆さんに祈りを要請し、キリストの体が一つとなって祈りました。教会の祈りは闇を砕きます。
 昨日、私はMくんと出会ってきました。もちろん、彼はまだいくつかのハードルを乗り越えなければなりませんが、目を覚ましたのです。

 私が一ヶ月ほど前に見舞いに行ったとき、医者が、「Mくんから人工呼吸器を取ったら、自分で呼吸が出来ない。まだ心臓が持っているから生きているけど、どれだけ持つかわからない。輸血しないと心臓がへたってしまう。」と言いました。それを聞き、心がかなり暗くなりました。
 Mくんの状態が最も悪い日に、私はICUに入って祈りました。それはある意味、希望のない状況でした。
 しかし主は、Mくんを助けてくださいました。彼は五十日も意識不明で寝ていたので、筋力が落ちて、なかなか動きが悪いですが日々良くなっています。医者も「奇跡の生還です!」と言われました。
 教会が祈ったから、主が祈りを聞いて下さったのです。ですから、希望を失わないで主に頼っていきましょう。そして、「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」というみ言葉を受け取り、出て行くときに病人はいやされるのです。

 Mくんは目を覚まして、すぐに何をしたかというと、賛美をし始めたそうです。それが『全世界に出て行き』という賛美でした。

全世界に出て行き すべての造られた者に
福音 宣べ伝えよう 地の果てまで
民は叫ぶ 助けてくれと 
救いの道 求める叫び
民は叫ぶ 教えてくれと
聞こえてくる 地の果て果てから

 彼は病床で何度も、何度も、この賛美を繰り返して歌っていたそうです。中高生がよくやっている、「歌って、踊って、ビクトリー」という賛美大会を、ICUの中で一人でやっていたそうです。
 その時、「Mくんは全世界に出て行き、と歌っているけど、全世界ってどこなの?」と聞いたそうです。すると彼は、「ブラジル」と答えたそうです。

 彼は意識不明でしたから、私がブラジルに行ったことなど知らないはずです。しかし彼が、「全世界に出て行き」と賛美しながら、ターゲットとなっていた国がブラジルでした。
 私がブラジルに行っていた事を彼に告げると、彼は目を丸くして、驚いていました。意識がないように見えても、そのような中でも、主は彼にとりなしの使命を与えておられたのです。
 彼の祈りがあって、私も支えられ、また、私たちが彼のために祈ることによって、彼も支えられたのです。そして、神の栄光を見せていただくことができました。
 これがキリストのからだの勝利です。時にはこのような戦いが教会にはありますが、それが悪くなるのも、良くなるのも、私たちに与えられた賜物を一致させるかどうかにかかっています。
 それらの戦いに完全勝利するなら、キリストのからだ全体が強められます。その勝利はキリストの体全体の勝利として適応され、全体の勝利が底上げされるのです。不思議としるしが、この教会に普通に起こる時代が来ることを期待しています。

 韓国リバイバルミッションのために、私たちは心を向けて働き始めています。その中で主は、「不思議としるしが伴う」と語られています。私たちは足もとだけを見ていてはいけません。全世界を見なければなりません。

 Mくんに昨日、「祈らなければならない課題はある?」と聞くと、彼は、「全世界」と答えました。聖霊様が彼に語りかけていると思いました。祈りが集結する時、不可能が可能になります。一時はどうなるかと、最悪のシナリオも用意しなければならないと考えていましたが、信仰を持って祈り続けたときに、第一段階をクリアーすることができました。
 彼が目が覚めても、もしかしたら知能が遅れているかも知れない、コミュニケーションができないかも知れないと言われていました。命が助かっても、そうなる可能性が大きいと言われました。
 しかしコミュニケーションには問題ありませんし、日々、からだも動き始めています。しかし、まだまだ祈りが必要です。ぜひとも気を緩めないで、最後の最後まで、祈り続けていただきたいと思います。

 「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」という前提を教会にしっかり据え、主の告げる手順に従って福音を宣べ伝えていくときに、しるしが伴うのです。
 どのような手順で福音を宣べ伝えたら良いのでしょうか。それがマルコ十六章に記されています。十七節から十八節に、

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』

 福音に伴うしるしが記されていますが、同時にそれは、私たちがどのように福音を宣べ伝えたら良いのかという、「手順」と条件です。
 イエスさまは「悪霊を追い出し」「新しいことばを語る」と語られました。「新しいことば」とは、賜物によることばも含みますが、福音を宣べ伝えるという文脈では、「福音」です。私たちが福音を伝えても、なかなか人々が福音を受け取らない原因はどこにあるのかということです。
 第二コリント四章一節から四節に、

『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

リビングバイブルでは、

『神様の良い知らせを伝えるという、このすばらしい務めに、私たちを任命してくださったのは、神様ご自身です。 それは、あわれみによるのです。 ですから、私たちは、決して落胆しません。信じさせるために、あれこれたくらむようなまねはしません。 だましたりは、したくないのです。 書かれてもいないことを、聖書の教えであるかのように思わせることも、決してしません。 そのような恥ずかしい方法は、絶対に用いません。 語る時には、神様の前に立って真実を語ります。 私たちを知っている人はみな、このことを認めてくれるはずです。もし私たちの宣べ伝える良い知らせが、だれかの目に隠されているとしたら、永遠の滅びに突っ走っている人に対してです。それは、この邪悪な世の神であるサタンのしわざです。 目隠しをさせて、その人の上に輝いている良い知らせの栄光が、見えないようにしているのです。 また、まことの神、キリスト様の栄光に関する、私たちのすばらしい証言を、理解できないようにしているのです。』

 私たちが福音を宣べ伝えても、人々に伝わらない原因は、「邪悪な世の神であるサタンの仕業だ」というのです。人々に覆いが掛けられているというのです。
 この場所に、大きな毛布を持ってきて被せたら、光は見えないし、互いに顔を見ることもできなくなってしまいます。
 もしもお互いに顔を見たいなら、覆いを取らなければなりません。光を見たかったら、覆いを取らなければなりません。

 日本は来年、「プロテスタント宣教百五十周年」を迎えます。しかし宣教百五十周年とは言っても、クリスチャン人口はたったの「〇.二パーセント」です。礼拝に出席している国民の割合は、〇.二パーセントです。
 韓国に行くと、日本よりも宣教の歴史はずいぶん浅いです。しかし韓国は、二十五パーセントがクリスチャンだと言われます。今回ブラジルに行きましたが、ブラジルには現在、リバイバルが起こっています。カトリックではなく、福音派に属するクリスチャンが、三十五パーセントを越え、どんどん増えているようです。
 私は人口二十万人弱の町、「イタジャイ」で奉仕をしました。人口二十万程の街中に、少なく見積もっても、教会が二百はあると言われました。教会には多くの人たちが来るので、伝道は難しいとは思わないと牧師たちは口々に言いました。そして、「日本はどうですか」と聞かれました。
 「クリスチャン人口は〇.二パーセントです。」と言うと、「あなたたちは何をしているのですか?」と言われてしまいそうでした。どこに原因はあるのか…。

 私たちは色々なところに原因を見出そうとしています。「日本人は頭も心も頑固だから、なかなかクリスチャンにはならない」と言います。しかし本質はそうではありません。クリスチャンにならない、本物の光が見えない原因は、ただ一つ、「この世の神であるサタンの仕業」であり、「町に覆いが掛けられている」のです。
 覆いがあるままで、いくら宣教をしても、人々は福音に目を向けないのです。まずは覆いを取らなければなりません。覆いを取ってから福音を伝えなければ、いくら福音を伝えてみても効果は上がりません。百五十年、二百年と福音を伝えても、〇.二パーセント以上には増えないと思います。一番大切なことは、覆いを取ることです。

 これまでの日本宣教には、「覆いを取る」という視点がなかったと思います。今回、ブラジルに行ってこの話をしました。なぜならば、ブラジルはクリスチャンが増えていますが、社会はあまり変化していないからです。
 ある牧師が、「ブラジルは最高の所です。でも、一つを除いて最高です。それは、この国には犯罪が多過ぎる。」と言いました。犯罪があまりにも多く、みんな安心して暮らせないと言いました。
 クリスチャン人口が多くても、なぜ犯罪が多いのか…と思いました。それは、クリスチャンが多くても、教会が機能していないことを現しています。まだまだ町に覆いが掛けられているのです。いくら教会に人数が増えても、覆いを取るという意識を持って祈らなければ、最終的には悪魔に街を乗っ取られます。

 韓国も一時リバイバルでクリスチャン人口が爆発的に増えました。しかし、今、徐々にその率が下がっている状況です。サタンは巧妙に働きます。イエスさまはまず最初に、「悪霊を追い出しなさい」と語られました。それは、覆いを取り除きなさいということです。

 今回ブラジルに行くきっかけは、十年来の約束を果たすためでした。イラン人のご主人とブラジル人の奥さんの一家を訪問する為でした。この夫婦は離婚寸前でした。しかし彼らは新城教会に来て奇跡を体験しました。それは前回のメッセージで話しました。
 彼らがブラジルに帰国してから、フロリアノポリスから車で二時間ほどの、「イタジャイ」という町に住み着きました。色々あって、彼らはそこにたどり着きました。
 しかし今、彼らはその街で家を購入し、幸せに暮らしています。オランダに移住するかも知れないと言われましたが、彼にはまだブラジルに使命があるのではないかと思いました。彼はポルトガル語もよくできるようになり、ブラジル国籍もあります。新城教会で救われ、奇跡が起こり、彼の家族は助かりました。

 しかし、主の計画はそれだけに止まってはいませんでした。彼は私たちを大歓迎し、自分の家にシェフを迎え、ご馳走してくれました。彼は、「私は日本の新城教会で救われました。今度、新城教会から素晴らしい牧師が来るから、ぜひ、町中の牧師を集めてメッセージをさせてください」と、所属する教会の牧師にお願いしたようです。
 それで私は、フロリアノポリスとイタジャイの牧師会で奉仕できました。そこで、「町の覆いが取り除かれるように祈る」というテーマで語りました。牧師会の後に、山に登って街全体を見下ろしながら、街の牧師たちと共にとりなしの祈りをしました。フロリアノポリスでも、イタジャイでも、街の牧師たちが一同に集まって、街のためにとりなし祈ったことは、歴史上初めてであったそうです。皆で、街の土台を勝ち取る祈りをしました。
 イタジャイでは、日本から牧師が来るということで、今までで一番多くの牧師たちが集まったそうです。日本人見たさなのか、四十名ほどの牧師たちが集まりました。霊的戦いの話に共感し、山に登って町のために祈りました。山から街を見ていたら、変わったものが見えました。近づいて行くと、それは赤い鳥居でした。姉妹都市になっている日本の町がそれを贈呈したようでした。ですから、日本人がその町のためにとりなし祈ることは重要だと思いました。

 山から降りると、一人の牧師が、「市役所に行って祈ってください」と言われました。そこで市役所に行って祈りました。すると、「市長の部屋の前で祈ってください」と言われました。それで部屋の前に行くと、突然、市長が出てきて、「どうぞ中に入ってください」と言いました。それで部屋に入って祈らせていただくことが出来ました。
 彼はクリスチャンではありませんが、真剣に祈りを受けていました。彼は涙を流していました。
 その他にも、新城教会で救われ、帰国された方々がブラジルの色々な教会に根付いて頑張っています。私が行くというと、「ぜひ集会をして欲しい」と言われました。

 新城教会でクリスチャンになった女性が、家族に伝道しました。私が五年前にブラジルに行ったとき、家族はまだクリスチャンではありませんでした。しかし、五年間のうちに皆、クリスチャンになっていました。その家族が集ってといる教会に行ってみると、日の丸が掲げてあり、全員が日の丸の小旗を振って、私たちを歓迎してくれました。なにか天皇になったような気分で、複雑でした。

 この田舎で成された伝道が、ブラジル全土に広がっています。新城教会にインターナショナルの方々がおられることは、大変重要です。なぜならば、イエスさまの世界宣教命令が実現するからです。
 私は皆さんの代表として、ブラジルに行かせていただき、その様子をレポートさせていただいています。皆さんがいつも祈り、支えてくださっていることによって、世界宣教が前進しています。
 それゆえに、しるしが起こります。1992年に、街を支配している悪しき覆いが取り除かれるために働きなさい、と主が語ってくださいましたが、それが今や、世界に持ち出されています。
 このようなメッセージを語らせていただくと、世界の牧師たちは共感し、ぜひ一緒に祈ってくださいと言われます。それが神の計画であり、世界中で、主がこの手順で福音を伝えたいと願っておられると強く感じました。

 覆いが取り除かれて語られることばは、「新しいことば」に他なりません。まだ家族がクリスチャンではない方がおられるかも知れません。私の家族は頭が固く、心が固い、なかなかクリスチャンになりにくいと言いますが、そうではなく、覆いが掛けられているのです。
 ですから、覆いを取ることを真剣に扱わなければなりません。その覆いについて、具体的には、午後のサンデースクールで学びます。我が家でも、家内と娘がサンデースクールの講師になっているので、その準備のために、本を山積みにして勉強していました。覆いが何んであるのかを、具体的に見抜き、それにパンチを加えたら、覆いが取り除かれ、語ることばは新しいことばになります。
 その祈りをするようになってから、人々がイエス・キリストを早く理解するようになりました。それは覆いが取り除かれた証拠だと思います。

『悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』

 「蛇をつかみ出しなさい」とあります。これは、「個人的解放」を意味しています。悪魔は町に覆いを掛け、続いて人に巻き付いて動けなくします。町の覆いを取ったら、一人一人を蛇の縄目から解く、個人の解放が必要です。そうすれば、毒を飲んでも害を受けず、病人はいやされるという手順につながります。

 Mくんの戦いは、彼のいやしだけではなく、日本、または世界に向けての霊的戦いであったと思います。彼が病気になったときに、主は私に、「まずは町を覆っている覆いを取り除く祈りをしなさい」と語られました。
 あの夜、私は一睡もすることができず、町のために真剣に祈りました。そして翌朝からはスタッフたちや色々な方々が、地域のとりなしの祈りをしてくれました。彼の為だけでなく、町全体に掛けられている覆いが取り除かれるように祈りました。そして次に、いやしのことばを宣言するために、蛇をつかみ出さなければなりません。
 病は家系的な霊的影響もあるので、Mくんの家系の束縛が砕かれるようにと祈りました。Mくんのいやしというテーマで、蛇の縄目が砕かれるように祈りました。ご主人の家系と奥さんの家系の両方をとりなし、祈らせていただきました。
 しかしご主人の実家は九州熊本にある天草です。遠いから、行くのは止めようと思いましたが、解放といやしがもしも一センチでも、二センチでも進むのならば、その場所にも行きたいと思いました。
 それで天草まで行って、M君の父方のおじいさんの実家の前で祈ってきました。実家の目の前には大きな神社がありました。色々なとりなしの祈りのテーマが導かれました。それは一冊の本が出来るくらい、色々な領域を祈らせていただきました。

 その中で、私は聖書の中に解放の鍵があることを体験しました。八月二十一日、Mくんの所に見舞いに行った時、先ほど話したように最悪の状況でした。本当にがっかりしました。少し麻酔薬を減らすと、再び全身のけいれんが始まり、止まらない状態でした。それを放っておけば、脳がどんどん破壊されるそうです。また、眠らせれば、けいれんは止まっても感染症で駄目になってしまうかも知れないという、危険な状態でした。私は、「主よ。どう祈ったら良いのか教えてください」と祈りました。

 蛇をつかみ出すために祈っている中で、聖書の中に、てんかんやけいれんがいやされた記事が多くあるのに気付かされました。マルコ九章二十節から二十五節に、Mくんと同じような症状の子どもをイエスさまがいやされた事が記録されています。

『そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。その子がイエスを見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」』

 イエスさまが祈られると、子どもはいやされたのです。この記述を読んで、「もしかしたら、このみ言葉にいやしの鍵があるかもしれない」と思いました。
 証を語る前に、病気がすべて悪霊から来ているように、誤解しないでいただきたいと思います。悪しき力は、私たちの背後から圧迫をかけます。病にはもちろん医学的な問題など色々な原因はあります。しかし、もっと病気を悪くしようと、圧迫をかける存在がいるのです。いやしは医学的治療からも来ますが、教会の使命として、霊的圧迫を取ることが医学的治療を効果的に行うためにも大切だと思います。
 今日、手話でみ言葉を聞かれている兄姉姉妹がおられます。彼らがいやされ解放されるように祈りたいです。しかしそれらが全て、悪霊的なものだと誤解しないでください。色々な要因があると思います。しかし人生にマイナス要因をもたらす背後には、必ず、敵の力が圧迫をかけています。その圧迫は取らなければなりません。

 聖書に出てくる少年は、今でいう「てんかん」の症状です。そのような病がすべて悪霊的な症状だとは思いません。しかしこの場合は、悪霊的力が強く関わっていたと理解できます。
 その時、イエスさまは、「てんかんの力を破る」という祈りをされたのではなく、「口を利かなくし、耳を聞こえなくしている霊よ。この子から出て行け」と祈りました。
 すると、その少年はいやされました。まさか、てんかんやけいれんという病気が、悪しき力に対抗することによっていやされるとは、なかなかつながらないと思います。
 しかも、「口を利かなくし、耳を聞こえなくしている霊よ。この子から出て行け」というテーマで祈って、てんかんがいやされるとは全く気づきません。

 しかしもしかしたら、ここにMくんのいやしの鍵があるかも知れないと私は思いました。

 すべての問題の根源に、偶像礼拝にあります。偶像礼拝があると、そこから悪魔の力が働き、色々な問題を引き起こします。けいれんを起こすような力が働いているとしたら、その根源には、必ず偶像礼拝があるはずです。
 私はこのみ言葉を受け取ってから、すぐに調べました。もしかしたら、聾唖の方々が特別祈願をしているような偶像があるかもしれない、もしかしたら、日本神話の中に、根源的ストーリーがあるかも知れないと思って調べてみました。

 すると、日本神話の中に、天皇の息子が長い間口が利けずにいて悩んでいると、ある夜、女神が立ち、「私を祀ってくれないから、この子がこうなっている。私を祀ってくれたら、その子は口が利けるようになる」と天皇に告げたという言うストーリーがありました。
 そこで天皇は占い師たちを総動員し、その女神を捜し当て、神社を建て、女神が告げた場所にも、もう一つの神社を建てて祀ったというのです。そんな伝説がありました。

 誤解しないでいただきたいのですが、日本神話はすべて作り話です。しかし、そのような架空のストーリーを拠り所とし、そのテーマで偶像礼拝がなされるとしたら、そこには口を利けなくし、耳を利けなくする悪しき軍団が働くはずです。
 このような神話に基づい祈願がなされている、神社や偶像があるのか調べてみると、意外に近い場所にそれはありました。それが日本全国で唯一、愛知県内と岐阜県にありました。

 それで、すぐにその場所こにとりなしの祈りに行きました。蛇をつかみ出す祈りをしました。その場所から働く、敵の力が打ち破られるようにと祈りました。

 その日、Mくんのお父さんがMくんの所に行って、このみ言葉を耳元で宣言しました。「口を利けなくし、耳を聞こえなくする霊、私はお前に命じる。ここから出て行け!」と、全く意識のないMくんの耳元で宣言しました。
 するとMくんは突然、お父さんの手を握りしめ、そのまま両手を上げ、「ハレルヤ」をしたそうです。
 お父さんはそれを見て、びっくりしました。それまでは、どん底状態でしたが、一筋の光を見たのです。
 彼がその晩、私に送ってきたメールには、「その子の父は叫んで言った。信じます。不信仰な私をお助けください」とマルコ9章のみことばが引用されていました。

 家族は不信仰になっていましたが、その時にいやしを信じました。不思議なことに、それ以来、Mくんが回復に向かって動き始めたのです。そして、先ほど紹介したように、具体的な形で彼は立ち上がったのです。

 『蛇をもつかみ』とありますが、聖書に記述されている内容が、日本に対応して働いている現実を見抜かなければなりません。
 また、『毒を飲んでも害を受けず』とあります。薬はある意味で毒です。薬によって、良くもなるし、悪くもなります。その領域についてもとりなし、祈らなければならないと教えられました。

 そして『病人に手を置けば、病人はいやされる』とあります。神が人類に与えた医学的知識と、教会に与えられた霊的知識が一致するなら、不可能と見えるような事柄も可能になり、主の栄光を見ることができます。

 『全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。』とあります。「全世界」という視点を持って、私たちが悪魔に立ち向かっていくならば、いやしが起こり、宣教が進むと、イエスさまはよみがえりの時点で語られたのです。

 韓国リバイバルミッションを通して、一番近くて遠い国に対しての戦いに挑もうとしています。その為には更に一致し、主のみ言葉を求め、聖霊を求め、いやしを求めましょう。主は、み業が世界に進むように願っておられると思います。

 この「口を利けなくし、耳を聞こえなくする」という偶像礼拝は、調べてみると、それは朝鮮半島からもたらされた偶像でした。Mくんの戦いも、韓国リバイバルミッションの戦いだと思いました。完全勝利をいただきたいと願います。ぜひ、引き続きお祈り下さい。キリストのからだ全体に主は情報をくださいます。

 Mくんが五十日間意識不明で寝ている間にも、『全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』と主は語っておられ、彼は「ブラジル」の為にとりなしていました。
 同じように、病気の中にある方にも、神の計画があります。また、問題の中で苦しんでいる方にも、神の計画があります。どんな状況においても、果たさなければならない使命があります。その使命が一つになるとき、今まで動かなかった領域が動き始め、神の国は前進します。
 今週も神の国が力強く訪れるように、一人一人に与えられている使命を果たすことができるように、お祈りしたいと思います。


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