オベド・アルバレス師特別講演記録


2008.10.19(SUN)
オベド・アルバレス師
(通訳:ペルー宣教師、下田祥之)

(下田祥之先生の証)
 皆さん、おはようございます。私は「リバイバル聖書神学校」を卒業した関係で、新城教会には何度も来させていただいているので、安堵感があります。今日この教会に来て、再び日本で力を得て、ペルーへ出かけて行くことを思い、感謝でいっぱいになりました。
 またいつもお祈りとサポートを感謝します。皆さんに支えられて、ペルーでの宣教生活を歩んでいます。それも、喜んで宣教しています。

 私が奉仕している地域は、貧しい「ヌエボ・パライソ」という地域です。何もないところです。舗装道路もなく、水も電気も十分ではありませんが、その分、やればやるだけ効果があるように思います。霊的な部分もあり、非常にやり甲斐のある働きです。ぜひ続けてお祈り下さい。
 私が行っている働きは、大きく分けて三つあります。一つは、ヌエボ・パライソでの働きです。この地名は「新天国」という意味がありますが、その名前とは裏腹に、何もない場所です。ワカというワリ文化の遺跡があります。ここで一年九ヶ月間を過ごし、近隣の家々に既に福音を宣べ伝え終わりました。現地のレデル先生とともに奉仕をしています。

 この町に行くきっかけとなったのは、レデル先生との出会いでした。レデル先生は、オベド先生の神学校を卒業されていますが、オベド先生の神学校で日本から宣教師が来たということで、歓迎会をしてくださいました。その時にレデル牧師が、一番初めに私の所に来て、「日本から来た宣教師の先生。一緒に奉仕しませんか」と誘ってくださいました。
 私はペルーに来たとき、初めに一緒にやろうと声をかけてくださる方と奉仕をしようと決めていました。一番初めに来たのが、レデル牧師でした。

 その後あちらこちらの教会を見ました。色々、お金のある教会からも話があったので誘惑でした。しかし一番初めがレデル先生でしたので、そこから始めました。それは、一番貧しいところでしたが、私にとって良かったです。
 ヌエボ・パライソに行かなければ、ワリ文化の遺跡とも出会うことはありませんでした。そこに行ったので、地域に遺跡があることがわかり、調べることになりました。ペルーはインカ帝国でしたが、それ以前のワリ文化について知り、当時ペルーを支配していた神々の神殿、「パチャカマック」に行ってとりなし、戦い祈ることができました。

 そして私が伝道で苦しくなったときに、順先生とフェルナンド先生が応援に来てくださいました。その時、子どもたちが皆、聖霊の油注ぎを受けました。
 その後、リバイバル聖書神学校を卒業され、牧会されている先生も来てくださいました。継続的に、子どもたちとともに、地域の解放を祈っています。

 私たちがペルーに行ったとき、教会堂はありませんでした。しかし、去年の十月から、教会員たちが煉瓦を毎日積み始め、教会堂建設が進みました。一日働いても給金は五百円ほどですが、皆が一日をささげ、仕事を休んで教会建設をしました。総合費用は、二十万円かかりました。二十万円と言っても、こちらの二十万円とは違いの大きなお金です。教会は、村で一番モダンな建物です。教会堂ができたときには、とても嬉しくて皆で食事をして祝いました。

 また二つめは、十四人の孤児たちのお手伝いをさせていただいています。ペルーは、離婚率が非常に高く、結婚はあまりしません。そして七割近くのカップルが別れます。
 ある姉妹が孤児の子どもたちを集めて、養っています。そのお手伝いをさせていただいています。食べ物を運んだり、福音的な映画を見せてみ言葉を伝え、将来は神様の働き人になりましょう、と教えています。
 子どもたちは貧しかったので、食べ物、お金をくれと受けることしか知りませんでしたが、今では、ネックレスを作り、町で売って働き、お金を稼ぐことを覚えています。

 また三つ目は未伝地域の開拓です。リマから四、五時間離れると、道路も何もないところがあり、三千メートルから四千メートルの高地に住む民族がいます。車にプロジェクターを積んで行き、伝道集会をします。「映画をしますよ」と言うと、電気も何もないところですので、皆が集まってきます。戦前の街頭映画のように映画を見せ、福音を伝えます。いつもたくさんの救われる方々が起こされます。そこにオベド先生の神学校を卒業された、現地の方々が入っていき、救われた人たちを牧会しています。

 神様が「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を伝えなさい」と言われ、その通りに、今、私の人生が導かれてペルーで奉仕しています。皆さんの祈りが私を動かし、また皆さんの祈りがペルーの人々を救いに導いています。どうぞ、これからもお祈り下さい。そして、ペルーの救いを覚え、共にイエスさまが来られる、再臨の日に備えていきましょう。

 今日はオベド先生をお迎えできることを嬉しく思います。オベド先生はいつも私を、「私のボディーガード」と言って、あちらこちらに連れて行ってくださいますが、実は、私は言葉も十分ではなく、文化も町のこともよくわからないので、オベド先生が私のボディガードをしているように思います。
 ペルーでとても良くしていただいています。オベド先生は、一人で千人の宣教師を五十ヶ国に遣わし、十七ヶ国に神学校を建てました。一番大きく成長した教会は、イギリス・ロンドンで五千人の教会になっています。
 またパリでは、千人のペルー人の現地の教会が生まれています。全世界で活躍されておられるオベド先生です。(ここまでが下田祥之師証)

 おはようございます。今日、喜びをもってこの場所に来ています。私は日本に来て、初めて自分の靴を使って講壇に立っています。日本に来て約二週間になりますが、あちらこちらの教会に行くと、靴を脱いでくださいと言われ、靴を使うことができませんでした。
 しかし今日は、下田先生が私に靴を使ってくださいと言いました。日本では靴は必要ないだろうと言いました。ここの教会は、靴が必要と言われました。そして私は今、喜んで自慢の靴を履いています。

 南米では、多くのリバイバルが起こっています。メキシコからチリまで、プロテスタント信仰が大きく成長しています。一時間に平均八〇〇名が救われています。
 一週間にどれだけの教会が生まれるのでしょうか。南米の人口は約六億人ですが、プロテスタントのクリスチャンは一億三千万人います。二十パーセント以上が、プロテスタントのクリスチャンです。一億三千万人のクリスチャンのうち、七十パーセントが十八才から二十五才の若者です。ですから、今、七千万人の若者たちが神様の働き者として、全世界に出て行く用意ができています。主に栄光がありますように。

 そして全世界に、南米の宣教師たちが出て行って、福音を伝えることは素晴らしいです。そしてその福音は、今、大統領をはじめとする、政治家たちにも届き始めています。
 私は幼いときに、ペルーで、ある国が宣教師を送ると、その国が祝福されると聞いて育ちました。そして、多くの宣教師たちを送りましたが、「なぜ私の国は貧しいのだろう」と思っていました。
 十六世紀、最も物価が高かった国をご存知ですか。それはペルーのリマでした。しかし、五年前の統計ですが、国の五十パーセント以上が、貧しい極貧地域に属しているのが、ペルー現状なのです。

 何なのでしょうか。「私はたくさん宣教師を送ったのに、なぜ、神様は国を祝福してくださらないのですか。私が全世界に宣教師を送っているのに、なぜですか。この現状は何なのですか。」と祈りました。

 すると、神様が三年前にあることをしてくださいました。ある日曜日朝、神の声を聞きました。「オベド。あなたは政治家たちに伝道しなさい。大統領と話しなさい」と言われました。
 「私ですか。どうやってそのことをするのですか。私は政治的な方面に伝道することはできません。」と言いました。
 しかし、月曜日、火曜日、水曜日…と毎日、神様からの語りかけを聞きました。

 すると、その後、大統領と話す機会が与えられました。私は大統領に、「なぜ、大統領就任式をプロテスタントでやらないのか」と話しました。
 いつも大統領の就任式は、カトリックのミサの中で、法王の前にひざまずき、カトリックの神父から按手を受けます。それから、大統領に就任します。

 しかしそのことを話すと、大統領は私に、「プロテスタントでやりましょう。この事によって、国に改革が起こります」と言われました。
 政治家たちは、独立記念日にカトリックのミサに行きますが、二〇〇六年には南米の歴史上初めて、大統領と大臣たちは、カトリックのミサには行かないで、プロテスタントの礼拝に来られました。その時の写真があります。
 私が前に出て、祈りを導きました。「政治家たちと教会を導きなさい」と言われました。そして大統領と大臣たちを通して、全国民を神にささげると約束しました。

 初めてペルー国民全体が、カトリックではなく、イエス・キリストにささげられました。この礼拝の後、ペルー大統領のホワイトハウスから、「前の大統領がたくさんの呪術者やシャーマンたちを呼んで、呪いをこの家に招いている。だからこの家を祈りによって綺麗にしてくれ」と私に言ってきました。
 それで私は、二十人の牧師たちをペルーの大統領官邸に行き、全ての部屋を祈りました。そして神は今、ペルーを祝福してくださっています。神様に栄光がありますように。

 今日皆さんにお伝えしたいことは、ある若い宣教師についてです。この宣教師は二十一世紀の宣教師のモデルとなる男です。
 この若者の名前は、「ヤコブ」と言います。ヤコブは一人の若者でした。家族の中では、二番目の子でした。二番目の子どもは家族の中で少し変わっています。ヤコブは、お腹の中にいるときから、問題を作って大変な子でした。ヤコブは教会を作る男でしたが、彼ははすべての民族に送られていきました。

 ヤコブは神様から、すべての祝福をいただいていました。しかし、それを信じることができずに、「神様。私にもっと強い確信を下さい」と祈りました。創世記二十八章二十節から二十二節に、

『それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」』

 ヤコブは出発する前、五つの契約を神様としました。ヤコブは石の枕で寝ました。やはり二番目は少し変わっています。どうしたら石を枕にして寝られるでしょう。
 この時の夢は、一つの大きな梯子が天から地に掛けられていました。そしてこの梯子を天使が上り下りしたとあります。

 天使が地から天に上ったということは、地で何をしていたのでしょうか。天使は、地にいるとき、地上にいて、私たちを守っているのです。神様に守っていただいたという経験をされた方がいますか。また天使たちが私たちを守っているという確信がありますか。
 もし天使の存在を信じなければ、私たちは多くの祝福を受けることができません。神様は私たちに天使を送り、祝福しておられます。
 ヤコブは「わかりました。私は神様の働き者として出て行きます」と言いました。しかしここには、五つのポイントがあります。

 一つめは、「神様、私とともにいてください。そうすれば、私は行きます。あなたがともにおられないなら、私は行きません」と言いました。
 「神様。私とともにいてください」というのは、どういう意味でしょうか。神様がともにいてくださるという、神様との関係は現実的なものなのです。
 朝神様と語り、昼神様と語り、夜神様と語る、正しく、お父さんと子どもの関係です。神様は私たちを抱きしめてくださる、暖かい父です。

 私には三人の子どもがいますが、ある夜、私は天を仰いで子どもたちを抱きしめました。強く抱きしめて、「私はあなたを愛している」と言いました。その時、私は神様の語りかけを聞きました。
 「オベド。あなたが子どもを愛しているように、私はあなたを愛している」と言われました。父との関係は現実のものです。
 ヤコブは、「あなたが行ってくださらなければ、行くことができない。私とともにいて下さい。あなたが行かないならば、私は行かない」と言いました。これがヤコブの一つめの祈りのポイントです。

 二十節は、「私が行くこの旅路で、私を守ってくださらなければ行きません」と祈りました。「あなたが守ってくださるならば、私は行く」と祈りました。
 皆さんの中で、神様の守りを体験し、問題の解決、癒しを受けた方はおられますか。神様は私たちを守ってくださいます。それがヤコブの祈りのポイントでした。

 私が神様の為の働きを始めたときは、十四才でした。十五才になったとき、私は主の働き人を宣教師として送り出すようになりました。十六歳の時、私は同じように若い働き人を連れて宣教旅行に行くようになりました。
 ランドローバーという車を借り、八人の若者たちを後ろに乗せ、私は車を運転し、アマゾンに出かけていきました。私はその時、運転免許証を持っていませんでした。私は隣の友だちに言いました。「頼む、寝ないでくれ。私に話しかけてくれ」と言い、旅に出かけました。
 雨が降ってきました。そして私の友だちはすぐに寝てしまいました。私も寝てしまいました。「I^_Y!」という音で、私は目を覚ましました。
 みんな目を覚まして、「どうしたんだ!!」と叫び始めました。私は車から出て、前を見ました。車のライトは付いていましたが、車の前に大きな岩があり、それにぶつかって車は止まっていました。

 石の後ろに回ると、なんと、その石の後ろは、三百メートル程の断崖でした。誰が私を救ったのでしょうか。誰が私を守ったのでしょうか。その時に乗っていた八人の仲間は、現在、皆、神様の働きをする者となっています。
 ヤコブは「あなたが守ってくださるならば、私は行きます」と言いました。「あなたが守ってくださらなければ、私は行かない」と言いました。ヤコブも神様に感謝しています。

 私はある未伝地域に、教会を建てようと願っていました。六人の若いリーダーを連れてアンデスの山脈の方に行きました。そこには小さな教会がありました。その教会の牧師に、「先生、どこに未伝地域がありますか。」と尋ねました。
 現地の牧師は「あっちに行け。山の上に未伝地域があるから」と言われました。それで、私は馬を連れて、朝六時にそこを出ました。
 その村に着いたのは、夕方六時でした。そこに着くと、村の住人を呼び集め、村長も呼んで礼拝をしようとしました。皆が神様を賛美し、エコーのように山々に響く美しい夜でした。

 私はその時、聖書を持ってどこから話をしようかと、メッセージの準備をしていました。私は切り株の上に登り、集まった人々に聖書の福音を語りました。
 私が聖書の話をしているときに、背の低い若い男がいました。私が聖書の話をし続けていると、彼は私の方を指さしました。続けて話していると、再び、私を指さしました。
 メッセージの最後に、「誰か、イエスさまを信じますか」と叫びました。すると皆が神の前に出て、泣きながら主を信じました。しかしこの一人の男だけは、いつまでも指を指しています。祈り終わったときに、私はその若者に近づきました。
 「どうしたんだ?」と言いました。すると彼は、「あなたは何かを持っている。あなたは何かを持っている。何なんだそれは。なぜならば、あなたが話しているときに、あなたが祈っているときに、あなたの後ろに、大きな天使がいるのを見たんだ。」と言いました。神様に栄光がありますように。

 私たちもこのように祈ります。「神様、あなたが守ってくださらなければ、私は行きません。あなたがもし、神様の働きに出て行くならば、私を守ってください」それが私たちの保険です。聖霊様はあなたがたとともにおられます。

 第三のポイントとして、ヤコブは神様に祈りました。「神様。私にパンと着る着物を下さい。そうすれば、私は行きます」と言いました。
 ヤコブは南米人のようです。南米人はたくさん食べます。ヤコブは、「神様。パンを下さい。私はパン屋をやります。神様。私に着物をください。私は着物屋をします」とは言いませんでした。
 「パンを下さい。私は食べるのです。」「着物を下さい。私が着ます」と言いました。ヤコブは給料を下さい。お金をくださいとは祈りませんでした。
 ヤコブは信仰の宣教師でした。二十一世紀の宣教師は、信仰によって出て行かなければなりません。この教会から、神様の働き人を送り出すならば、信仰を持って送り出さなければなりません。

 「私は新しい教会を建てたいので、何かを払ってください」ということはありません。ヤコブは給料を下さいという働き人ではありませんでした。彼は神様から与えられた使命を忠実に果たしました。
 なぜ彼は神様に仕えたのでしょうか。それは、神が彼を愛していることを知っていたからです。私たちも神様に愛されたら、神様に仕えるのです。ここに二つのポイントがあります。第一に、「神の働き人の必要は、天地創造の初めの時に神様が支払ってくださっています。」
 神様は既にすべての必要を払ってくださっています。そしてあとは神に従っていく人たちを待っているのです。神様は、すべての必要を払ってくださいました。しかしある人はその必要を取ってしまいます。

 また第二に、「神様の働き人は、お金が足らなくて死ぬことは決してありません。」しかしもしその働き人が死ぬことがあるならば、それは、お金に欲を出したときです。

 私たちはフランスで教会を開拓しています。お金はなくてです。私たちはラテン音楽のチームとともに行きました。ポンピ・ドゥという広場に行きました。賛美をしながら、路傍伝道しました。私はどこで寝るのか、どこで食べるのかわかりませんでしたが、信仰によって出て行きました。
 賛美をしていると、一人の紳士が近づいて来て、「おい。お前たちはどのレストランで昼ご飯を食べるのだ」と言いました。
 「私は何も持っていません」と言いました。すると彼は、「では、私がお昼ご飯に招待します」と言いました。
 私は「兄弟たち、今日はお昼ご飯を食べられるぞ」と言いました。すると、紳士がまた言いました。
 「どこのホテルに泊まるんだ」と言いました。「ホテルはありません。泊まる所はありません」と言いました。

 彼は誰かご存知ですか。彼は救世軍のキャプテンでした。彼は建物を持っており、私たちは三ヶ月そこで生活しました。彼が食べ物と寝るところを用意してくださいました。
 そして今、私たちはフランスで大きな教会を持っています。パリである場所を買い、一番大きな教会を持っています。

 神様は必ず働き人の必要を備えてくださいます。二十一世紀の働き人は、信仰によって働きを進めるのです。
 ペテロとヨハネは、ある会堂から出たとき、ある人がお金を下さいと言いました。彼らはポケットを捜し、「私には金銀はない。」と言いました。「しかし、私にあるものをあげよう。」と言いました。

 彼らは何を持っていたでしょう。それはイエス・キリストです。神の権威を持っていました。これを持っていることが、神様の働き人にとって大切です。ヤコブは神の権威を持って働きに出て行きました。

 第四のポイントについて、ヤコブは、「神様私が無事に帰ることができれば、私は行きます。」と言いました。
 「無事」という言葉の中には、「救い、癒し」という意味も含まれています。皆さんは健康ですか。ヤコブは神様に祈りました。

 神様の働き人は、自分自身の健康が祝福され、病の人に手を置けば癒されるという、権威を持っています。
 そして父の家に帰るという、保険を神様からいただいていました。

 私たちも働いて主の家に、「必ず帰る」と祈るならば、神様が、必ず守ってくださり、決して悪いままで終わることはありません。神様に栄光がありますように。無事に主の家に帰ることができます。
 喜んで皆さんも出て行ってください。神様が必ず皆さんを約束の場所・主の家に帰らせてくださいます。

 そして第五番目のポイントについて、ヤコブは言いました。「もし、このことを全部私にくださるならば、私はあなたに十分の一をささげます」と言いました。
 初めにヤコブが十分の一を献げ、「神様受け取ってください」とは言いませんでした。
 「神様。全部の祝福、全部の約束を私に下さい。」これが一つの秘密です。

 皆さんも多くの祝福を受けて、その後、十分の一をささげるのです。五つのポイントがありました。もし皆さんが神様の働き人ととして出て行くなら、この五つの祈りが非常に重要なものとなります。神様に栄光がありますように。神様の祝福がありますように。

 二〇一〇年に、とても大きな事が日本で行われます。
 スコットランドのエジンバラという所で、一九一〇年、初めてのプロテスタントの世界会議が開かれました。その時に集まった人たちは、皆アメリカ人やヨーロッパ人など、背が高い白人が多かったです。アジア人、アフリカ人、南米人はだれ一人いませんでした。アメリカ人だけでした。

 一九一〇年から、百年が経とうとしています。現在、宣教師の多くはアフリカ人、アジア人、南米人と言われる有色人種に変わりました。そのような人たちは、全世界の宣教師の七五パーセントを占めています。宣教師たちが全世界から集まり、どこで百周年を祝おうかと話し合った結果、それを日本で行うことになりました。私たちは日本をその開催地として選びました。神様がこの日本を祝福しようと願われています。私たち南米人も、喜んでその会議のための準備をしています。この会議には、二百ヶ国以上の働き人が集まることを予定しています。ですから、このことを覚えてお祈り下さい。皆さんの祈りが必要です。
 今世界中の多くのクリスチャンたちがこの集会のために祈っています。この会議で二〇一〇年からの伝道について話し合われます。一つだけ知っているのは、イエスさまがすぐに来られるということです。神様の祝福がありますように。


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