My name is "Blessing".
〜あなたの名前は「祝福」です〜


2008.11.9(SUN)
新城教会牧師 滝元 順

旧約聖書 創世記12章1節〜3節
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。久しぶりに新城教会で奉仕ができますことを、心から感謝します。いつも私のためにお祈りいただき、元気に働くことができ感謝します。特に、韓国リバイバルミッションの働きが始まり、毎月のように韓国で奉仕させていただいています。準備が徐々に進められていることを感謝しています。主が私たちの教会を、この田舎だけに留まらず、世界宣教のために用いてくださっていることを、心から感謝します。

 この教会には、インターナショナル・ミニストリーがあり、大変活発に活動しています。先週の金曜日から、オーストラリアから先生をお招きし、毎晩、伝道会が行われています。毎晩多くの方が来られ、救われ、癒され、解放されています。
 今朝、この礼拝に講師である、エステバン先生が来られています。先生は、私と同じ二代目の牧師です。お父さんはチリ人ですが、先生はオーストラリアで生まれました。先生の教会には中南米の方々が多く集まられているそうです。
 
(エステバン先生の挨拶)
 おはようございます。神様の祝福がありますように。このように今朝、皆さんとともにいることは、私にとって特権であり祝福です。そして皆さんがイエス・キリストを賛美している姿を見るのは、私の喜びです。同じイエス様を私たちはオーストラリアでも賛美しています。日本で賛美しているイエス・キリストは全く同じ方です。神様は素晴らしい方です。オーストラリアの神様は、日本の神、そしてアメリカの神様でもあります。イエス・キリストはどこでも、変わることはありません。そして主は、この場所に今朝おられることを信じます。主はご自身の民の賛美の上に住まわれるお方です。このように皆さんにご挨拶ができる特権を感謝します。また、皆さんと、これらも、主にある交わりを続けていけたらと思っています。
 皆さんを神様が、この国で用いてくださいますように。神様はこの教会を用いてくださいます。新城に対して叫ぶ声として、日本に叫ぶ声として、また、全世界に対して用いてくださることを信じます。
 ですから、神様の祝福が皆さんにありますように。この時を感謝します。また皆さんにお会いできる時を楽しみにしています。(ここまでがエステバン先生の挨拶)

 最近私は、新城教会にいることが少ないのですが、この教会には色々なタイプの牧師がいて毎週素晴らしい礼拝がなされていることを心から感謝します。
 先週私は、韓国の教会で奉仕をしました。色々な教会を廻って韓国リバイバルミッションのご案内や、主からのメッセージを伝えることができて、心から感謝します。
 今年はじめに主は、「神の国は人手によらず、進んでいく」と示してくださいました。それは韓国リバイバルミッションをどうやって進めたら良いかわからず、祈っていたときでした。
 すると不思議に、今年七月にキム監督が率いる、七十名の方々が新城教会に来てくださいました。その関係から韓国で色々な働きができるようになりました。
 今、岡本信弘先生の娘の泉姉が、スタッフとして韓国に派遣されています。キム監督の事務所をお借りして、働きをしています。私の色々なスケジュールも、その事務所が責任を持ってくださり、韓国の兄弟姉妹も一緒に韓国中を廻っています。

 今回私は、韓国の色々な教会や祈祷院で奉仕しました。また、集会の合間には、とりなしの祈りにも出かけて行きました。韓国はクリスチャンも多いのですが、偶像もたくさんあります。
 ソウル郊外の山に行くと、そこは「ムダン」という占い師たちが集まる修行場となっていました。日本と韓国は元々、同じ民族です。しかし、歴史を見ると、悲しい歴史がたくさんあります。
 また、日本の偶像礼拝のほとんどは、朝鮮半島から渡ってきたものです。韓国の大きな町には必ず、「郷孝」と呼ばれる、地域の儒教の拠点があり、祖先崇拝をしています。そこでも、とりなして祈りました。日本の伊勢神宮とつながりが強い場所にもとりなしに行きました。

 話は変わりますが、Mくんのためにお祈りいただいて感謝です。彼はずいぶん良くなりました。彼の病気は病院で、十年に一度あるかないかと言われるような、重篤な病でした。しかし彼は今では、ご飯も自分で食べられるようになり、歩くことも出来るようになりました。ICUに入っていたとき、医療関係者は誰も彼がそこから出られるとは思っていなかったようです。
 しかし、皆さんの祈りによって、彼はここまで癒されました。一般的に、意識不明の状態が続くと、起きられるようになるまで、寝ていた時間の三倍ほどかかるようです。けれども彼は、三倍のスピードで回復していると言われたそうです。

 私たちの叫びを、主が聞いてくださいました。どんなことがあっても、諦めてはいけません。また教会が一つになって祈る祈りに、主は答えてくださいます。素晴らしい主のみ名をほめたたえます。イエス様は癒し主であり、生きておられます。イエス様は世界の主です!

 先日、私が全く知らないルートからメールが来ました。今回の韓国リバイバルミッションのことや、新城教会で起こった霊的戦い、聖霊様が訪れてくださった経緯などをレポートして欲しいと言われました。メール・インタビュー形式で、韓国の「New Wine」という出版社からでした。私は忙しくしているので、どうしようかと思いましたが、今後のためにもなるだろうと思い、少しがんばって資料を集めて書きました。インタビューの内容は、難しいものばかりでした。広範囲な質問がありました。
 私はA4用紙十枚くらいにまとめて、メールで送りました。その一部が記事になる位だろうと思っていました。写真を送って欲しと言われたので、写真も送りました。
 
 先々週韓国に行くと、「雑誌ができたのでお持ちします」と、電話がありました。その雑誌を手にすると、表紙に私の顔写真が大きく載っていて、中身も私が書いた記事のすべてが特集されていました。私はそのようになるとは、全く期待していませんでした。神様が事を行われるとき、人手によらず人々を感動させるものだと思いました。韓国リバイバルミッションをどうやって進めて良いのかわかりませんでしたが、主自ら立ち上がってくださり、宣伝活動をしてくださっています。また、主自らスケジュールを作ってくださって、働きを進めてくださっています。心から主のみ名をあがめます。また、皆さんのお祈りを心から感謝します。

 今日は創世記十二章のみ言葉から学びます。「あなたの名前は祝福です」というタイトルです。そして、“My name is blessing”私たちには、「祝福」という名前が付けられています。

 けれども、それは単なる祝福ではなく、「祝福された者には使命がある」ことも、同時に学びたいと願います。
 創世記十二章一節から三節は、神がアブラムに声が掛けられた箇所です。

 創世記一章から十一章までは、天地創造からバベルの塔で人々が散らされたことが簡潔に記されています。
 しかし十二章で突然、一人の男性アブラム(後にアブラハムと改名される)が選ばれ、彼が中心となってストーリーが展開していきます。それも一章から十一章までと同じくらいのボリュームが、この一人の男に費やされているのです。アブラハムは聖書の中で鍵の人物です。この鍵の人物、原点とも呼べる人物に語られた言葉は、私たちが学ぶべき大きな原則が隠されていると思います。
 創世記十二章一節から三節に、

『その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』

 聖書は旧約聖書から始まり、新約聖書にて結論があります。私たちは、新約聖書でどのような結論が出されているかについて着目し、旧約聖書のストーリーも新しい視点で眺める必要があります。
 アブラムに掛けられた言葉は、新約聖書ではどのように扱われているでしょうか。ガラテヤ人への手紙三章六節から九節にそれがあります。

『アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。』

 遠い昔、アブラハムという人物に神様が、「あなたの名前は祝福」、また、「あなたを通して祝福される」と言葉を掛けられました。遠い昔に語られたこの言葉は、やがて「信仰による人々、主を信じて義と認められた人々」へとつながり、それは、主を信じる人々に対する、代表的な言葉だということです。
 創世記とガラテヤ人への手紙に記されている言葉を照らし合わせてみると、「主を信じる者がアブラハム」と言えます。ですから、「あなたの名前は何ですか」と聞かれたら、「私はアブラハムです」と答えることができます。
 アブラハムに、「あなたの名前は祝福となる」、そして、「あなたによって皆が祝福される」と語られた言葉は、同時に、信仰によって私たちに対する言葉として、受け取ることができるのです。

 私たちは、祝福を受けた者であることを、まず知ることが大切です。最近は世界経済が悪くなり、どうなってしまうのかと不安があります。しかし、天地宇宙を創られた神の主権の中にあるならば、私たちは、どんな時代にあってもアブラハムの祝福の中で、生きることができるのです。

 アブラハムという人物が生まれなければ、また、彼が神に仕えなければ、イエス様の誕生も、どうなったかわかりません。マタイ一章一節から、イエス様の系図があります。

『アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。』

 アブラハムの祝福が、やがてイエス・キリストにつながっていきました。アブラハムはイエス様ご自身を表していた人物でもありました。アブラハムが祝福された条件に従うならば、私たちもその祝福を共有できると思います。

 まず、神は、アブラハムに、『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。』と語られました。
 彼が祝福を受けた第一の条件は、「神の声に従った」ことです。神の声に従うことが、後の大きな祝福につながったのです。日々の生活の中で、神の声に従い続けることがアブラハムの祝福を共有するために重要です。

 では、「父の家を出なさい」とは、どういう意味でしょうか。父の家を出なければ、祝福を受けることができないのでしょうか。親から勘当され、家出しなければならないのかと思うかもしれません。しかし、「父の家を出る」ということは、他の意味があるのです。

 韓国に行くと、日本と少し違う文化があります。だから、いつも楽しい体験をしながら色々なところを廻っています。韓国の教会に行くと、よくクリスチャン歯医者さんに出会います。そして、食事を食べる前に歯医者さんに来てくれと言われます。何をするのだろうかと思うと、「あなたの歯を検査し、歯垢を取ってあげる」と言い、歯の検査をしてくれます。それに合格すると食事をさせてくれるような時もあります。三日間ほど、冷たい物や熱い物を控えてくださいと言われますが、熱い辛い焼き肉などを食べさせてくれます。所変われば品変わるという面白さがあります。
 韓国では、結婚しても女性の姓は変わりません。韓国には、金さんとか李さんが多いのですが、金さんという男性と、李さんという女性が結婚しても姓は変わりません。日本では結婚すれば姓が変わります。
 先週は私にとっての記念日でした。それは結婚三十二周年記念でした。私の家内は、結婚する前は「今泉」という姓でしたが、「滝元」に変わりました。先週は二人でお祝いの食事に行きました。日本においては姓が変わりますが、韓国は別姓です。
 なぜなら、それは父の家を重んじるからです。金さんと聞けば、どこの人だかすぐにわかります。父の家がずっと受け継がれているのです。

 しかしなぜ苗字を変えないかというと、それには一つの目的があります。韓国は儒教の色彩が大変強い国ですが、夫婦別姓で父の家を継ぐことの最終的な目的は、「祖先崇拝」の為です。
 韓国には祖先崇拝が大変根強くあります。そして、その祖先崇拝から抜け出すには、大変厳しい社会的環境があります。クリスチャンと言っても、完全に祖先崇拝から手を切ることは、なかなか大変だと言われます。

 韓国の教会で私は、祖先崇拝は罪であり、それは祖先を呼んでいるのではないと話しました。
 人間は死んだら、空中にふわふわ浮いているのではありません。聖書にラザロと金持ちの話があります。それを読むと、人は死んだら、神の完全な管理下に入ることがわかります。主を信じない者は永遠の滅びに行き、主を信じる者は義と認められ、永遠のいのち、天国に行きます。
 滅びの場に行った金持ちは苦しみもだえ、何とかして自分の親族がこんな苦しい場所には来ないで欲しいということで、一生懸命死後の世界でアブラハムに頼んでいる場面がありますが、その祈りは何一つ答えられませんでした。
 自分の意思を生ける者たちの世界に伝えることもできず、また、ラザロをよみがえらせて親族に伝えてほしいとも頼みましたが、それもできないと言われ、「地上にいる預言者に聞くがよい」と言われました。

 死後の世界と生ける者の世界は、完全に隔離され、行き来はできないのです。空中をさまよってふわふわしていて、行くところがわからないのではありません。
 けれども、祖先崇拝は、先祖の霊が漂っているという前提で拝み事をします。日本は仏教と言っていますが、中身は先祖崇拝であり「儒教」です。なぜなら、日本の仏教は韓国の百済から伝わって来たからです。仏教というケースには入っていましたが、中身は儒教でした。だから、日本の祖先崇拝は儒教の影響です。

 「あなたの父の家から出なさい」というのは、家族が行っている偶像礼拝の文化の中から抜け出しなさいという意味があります。
 アブラハムの故郷は、カルデヤのウルでした。その地域について調べてみると、偶像礼拝が非常に強い地域でした。世界の宗教の基となっている世界観を調べてみると、根底に二つの世界観がどこでもあるようです。その一つは、「自然崇拝」、そしてもう一つが「祖先崇拝」だと言われています。
 カルデヤのウルにも、祖先崇拝があったと思われます。ですから、そこにあった偶像礼拝の文化から抜け出し、唯一の神である天の神を礼拝しなさいというのが、第一の条件です。それが、神からの命令でした。

 今日はじめて教会に来られた方がおられるかもしれませんが、教会で礼拝している神様は、天地宇宙を創られた唯一の神です。その神様に、私たちクリスチャンは祈りをささげます。それは、イエス・キリストの名前によって祈ります。イエス・キリストの名前で祈るならば、天地宇宙を創られた神に祈りが届きます。なぜなら、イエス様が神であるからです。祖先や、他の神々の名前を使うと、神ではなく、祖先の振りをした、祖先の死に関わってきたような死の霊が出て来るのです。その結果、家族の中に、悲惨な問題が繰り返し起こってきます。日本においても、韓国においても、祖先崇拝は大変危険な行為なのです。

 先週韓国にいたときに、私の携帯電話がなりました。それはあるミッションスクールの、カウンセラーの牧師先生からでした。「ちょっと助けていただきたいことがあります。」と言われました。つい最近、ミッションスクールの高校で修学旅行があり、沖縄に行ったそうです。沖縄には色々な戦跡があります。戦跡を巡って、ひとつの洞窟に入ったそうです。しかし出てきた途端、三人が倒れたそうです。そして、わけのわからない言葉を叫びだし、狂ってしまったそうです。
 それですぐに病院に入院したそうです。少し落ち着いて、やっと家に移したそうです。三人は女子でしたが、男の声で変なことばかり言っているそうです。病院にかかってもなかなか、よくならなくて、どうにもならないと言われました。それで私に来て、助けて欲しいと言われるのです。
 カウンセラーの牧師先生が、「どういうことですかね。洞窟だったから何かの霊がいたのでしょうか」と言われました。しかし洞窟にはそれ以上の問題があります。
 沖縄では祖先崇拝が大変盛んです。特に洞窟は先祖の霊が住んでいると信じられ、長い間、ユタたちによって、祖先の霊と称する悪霊を呼ぶ行為が、何百年にも渡って行われて来た場所なのです。しかしそんなことは皆知りません。また、その場所は太平洋戦争のときに多くの犠牲者が出た場所にもなりました。ゆえに問題が起きた一番の原因は、祖先崇拝が根源にあると話しました。「順先生、来ることはできないですか」と言われましたが、韓国にいるので行けないと言いました。しかし、「誰でも祖先崇拝を悔い改めて祈ったら大丈夫です。解放を祈って差し上げてください」とお勧めしました。それ以降は電話がありませんので、きっとうまくいったと思います。

 「父の家を出る」ということは、勘当されることではなく、日本においては祖先崇拝などの偶像礼拝から離れ、「全能なる神様、唯一の神に従う」ことです。「そうすれば、あなたは祝福を受けることができる。あなたの名は祝福になる」のです。
 日本において偶像礼拝、祖先崇拝から離れるのはなかなか大変です。その理由を悪魔が一番よく知っています。偶像礼拝から離れ、真の神のところに行くならば、祝福を受け継ぐものになるからです。悪魔はどうしても祝福を受け継がせたくないのです。

 アブラハムは神の声を聞きました。カルデヤ人のウルは偶像礼拝に満ちており、がんじがらめになっている家柄であったはずです。しかし彼は、神の声を聞いて決断しました。偶像礼拝の家から出て、天地宇宙を創られた神に従って行きました。その結果として、彼は多くの祝福を受けました。

 アブラハムは甥のロトとともにカナンの地に住み着きました。その頃、彼らは経済的にも祝福され、多くの財産がありました。しかしロトの使用人とアブラハムの使用人との間に小競り合いが起こり、アブラハムはロトに言いました。
 「一緒にいるとうまくいかないから、それぞれ別れて住みましょう。あなたが良いと思う場所を選んでください」
 それでロトは周囲を見渡し、死海のほとりのソドムとゴモラが肥沃で草も青々としていましたので、そこを選びました。本来、叔父さんが先に選ぶはずですが、ロトは自分の考えで先に良さそうな地を選びました。彼は神によく祈ってから決めたのでしょうか。人間的な意思が強かったように思います。
 しかし自分が良いと思い選択した地に、問題が起こりました。その地の周辺はカナンの諸民族がひしめき合っていました。各民族の王が互いに権力争いをしていた地でした。そこにケドルラオメルという王が諸王を召集し、ソドムとゴモラの王たちを攻めました。そしてソドムとゴモラとロトの全財産、そしてロトの一族さえも捕え、連れ去ってしまいました。

 人生で良く見えても、神の声に従って決めないと、後で何が起こるかわかりません。ロトは人間的な判断をしたゆえに、そんな目に遭いました。しかし、その時、アブラハムはどんな行動をとったのでしょうか。創世記十四章十四節から十六節に、

『アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。』

 アブラハムは神から祝福を受けていました。しかしこの事件が起こったとき、アブラハムは三百十八人のしもべと共に、ロトとソドムとゴモラ王たちの持ち物を奪ったケドルラオメルを追跡したのです。放っておいたのではなく、親戚のロトが捕えられたのを聞いて、すぐにアブラハムは自分の周りの者たちを召集し、危険を顧みずにケドルラオメルの軍隊を追跡しました。そして、夜になってその軍隊に襲いかかり、ロトの一族と財産、ソドムとゴモラの王たちの持ち物全てを取り返しました。アブラハムが受けた祝福は、奪われたものを取り返すために用いられたのです。

 アブラハムが奪われたものを取り戻して帰ってきたとき、一つのことが起こりました。十四章十七節から二十節に、

『こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。』

 聖書は、よく読むと面白いです。ここには、ソドムの王が、「自分の持ち物を取り戻してくれてありがとう」と出迎えました。それは当然のことです。しかしそれと共に、シャレムの王、メルキゼデクがパンとぶどう酒を持って出てきたとあります。そして彼はアブラハムを祝福しました。

『祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。』

 すると、アブラハムはすべてのものの十分の一を、メルキゼデクに差しあげています。なぜこんなことをするのだろうかと思います。実はこれが旧約聖書中に表わされている、やがて来られるイエス様の影なのです。
 新約聖書にメルキゼデクについて記されています。へブル七章一節から七節に、

『このメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。またアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。レビの子らの中で祭司職を受ける者たちは、自分もアブラハムの子孫でありながら、民から、すなわち彼らの兄弟たちから、十分の一を徴集するようにと、律法の中で命じられています。ところが、レビ族の系図にない者が、アブラハムから十分の一を取って、約束を受けた人を祝福したのです。いうまでもなく、下位の者が上位の者から祝福されるのです。』

 メルキゼデクは、旧約聖書でイエス様ご自身を表す人物であったと記されています。アブラハムはクリスチャンを表していると話しましたが、メルキゼデクはイエス様を表しています。アブラハムがメルキゼデクにとった態度は、即ち、クリスチャンとイエス様との関係に結びつきます。

 私たちはイエス様のために何をしたら良いのでしょうか。私たちは祝福だけ受け取って、何事もなく生きていきたいと願います。
 しかし神がクリスチャンを祝福する真の理由は、与えられた祝福を用いて、奪われたものを危険を顧みずに取り戻すことなのです。そして取り戻してきたら、イエス様が喜んで迎えてくださり、さらに祝福してくださいます。取り戻して来たものの十分の一をささげることは、神を心から礼拝するという意味につながります。私たちとイエス様との関係を、アブラハムとメルキゼデクの関係の中で教えています。

 私たち、教会は何をしたら良いのでしょうか。「クリスチャンは祝福された者です。祝福を受けましょう」というメッセージで終わってはいけません。もちろん神様は祝福してくださいますが、祝福される者たちには役割があります。アブラハムが祝福を受けていなかったら、敵に渡ったものを取り戻す力はありませんでした。
 彼は資産のすべてを投げ打って、ロトとソドムとゴモラの人たちが奪われたものを、敵の手から取り戻すために使いました。その後、神が再度アブラハムに語りかけています。創世記十五章一節に、

『これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」』

 奪われたものを取り戻しに行くのは恐ろしいと思うかもしれませんが、神が「あなたの盾はこのわたしです」と語られました。天地宇宙を創られた神自らが盾となってくださるのです。敵に捕らわれたものを取り戻して帰って来た時に語られた言葉は、以前以上の言葉でした。それは、『あなたの受ける報いは非常に大きい』

 「非常に」という言葉が使われています。「非常に」という言葉は、「この上ない」とも訳せます。それは、「最高の祝福」という意味になります。

 私たちが神様に仕え、敵に立ち向かう働きをする時に、神が私たちの盾となってくださり、そこで与えられる祝福は「非常に大きい」のです。

 また創世記二十二章十五節から十八節でもアブラハムに主は語られています。これは、イサクをささげるという試練の後ですが、ここもイエス・キリストとのかかわりがあります。

『それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」』

 アブラハムに主は、「あなたの子孫は敵の門を勝ち取る」と語られました。これはイエス様誕生の預言でもあります。イエス様はこの地上に来られて、見えない敵に立ち向かうことをされました。アブラハムの祝福はイエス様につながり、イエス様の十字架と復活によって、教会が生み出され、世界宣教が始まりました。
 教会にはどのような使命があるのでしょうか。マタイの福音書十六章十八節から十九節に、

『ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」』

 教会に与えられた使命とは、ハデスの門を勝ち取る使命です。多くの人が滅びに向かっています。それは悪魔の奴隷となって、ロトの家族のように滅びに向かっているのです。教会はそれに追いつき、悪魔に奪われたものを取り戻して、イエス様のところに戻す、そんな働きが祝福された者たちの使命であるのです。

 このストーリーは、アブラハムと甥のロトという構図の中で展開しています。甥とは親戚関係を表す言葉です。
 私は韓国リバイバルミッションを通して、このみ言葉が心に響いています。私たち日本が祝福を受けたら、アブラハムとして、甥ロト、韓国のために働かなければなりません。日本と韓国、中国、アジアの民族は、元々、兄弟関係、親戚関係です。アジアの諸国の人たちは敵に連れ去れられています。日本教会はそれを見過ごしていてはいけません。与えられた祝福を総動員し、敵に奪われた兄弟たち親戚を、敵の力を打ち破って取り戻す働きをしなければなりません。

 また韓国から言えば、韓国がアブラハム、日本がロトという関係です。その立場で逆に日本に奉仕しするのです。それが行われるときに、イエス様が心から喜んで、パンとぶどう酒をもって出迎えてくださいます。
 これは聖餐式をも表しています。イエス様の十字架の血潮と、その勝利をもって答えてくださり、「あなたの受ける祝福はさらに大きい」と語られます。

 与えられた資産を総動員して、敵に立ち向かっていくこと、これが私たちクリスチャン、教会に課せられた使命です。今私たちは神様からの使命を受け取り、特に、韓国のために奉仕することを示されています。私たちはアブラハムとして、祝福された者として、兄弟関係にある朝鮮半島に住む方々のために祈り、とりなし、働いていくことが必要です。韓国教会はすでにそのことに気づかれ、アブラハムとなって日本のために奉仕してくださっていますが、今度は日本がそのことに気付かなければなりません。そして、かつて日本が苦しみを与えたアジア諸国に、今度は神の軍隊として、展開しなければならないと教えられています。

 人手によらず神が働いておられるのを見るとき、私たちは少し緊張します。神はこんな田舎の教会にもそのような使命を与えておられる、聖書に書かれていることは真実であると気づかされるからです。それを厳粛に捕らえて、神からの使命を果さなければなりません。それが結果的に私たちにとって、最大の祝福となるのです。

 あなたの名前は祝福です。神様はあなたに、大きな祝福を与えてくださっています。あなたの家族、親族、そして、周りに敵に奪われている人たちがいると思います。まだイエス様を知らない多くの人たちがいます。また、ある人の人生を見るならば、敵に奪われている人たちが多くいるかもしれません。悲惨な人生を送っている人たちがいるのかもしれません。
 私たちは祝福された者たちですが、救いを自分のものだけにしてはなりません。イエス様が望んでおられることを厳粛に受け止め、皆さんも親族ロトのために、また周りの人たちのために働いていただきたいと思います。
 また大きな視野では、国を超えるところにおいても、働きを進めていきたいと願います。主がともにいてくださること、私たちの盾となってくださっていることに感謝しましょう。

 またイエス様の十字架と復活によって与えられた祝福を、もう一度確認しましょう。メルキゼデクがパンとぶどう酒を持って祝福したことは、聖餐式を連想させます。今日は、パンとぶどうのジュースをいただきますが、イエス様に心から感謝し、「私をアブラハムとしてください。私を祝福し、奪われたものを取り返すために用いてください」と祈りましょう。


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