「主イエスの証人」


2008.11.23(SUN)
新城教会牧師 滝元 明

新約聖書 使徒の働き 1章8節
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

ハレルヤ!皆さんおはようございます。先週は、私たちのためにお祈りくださり、心から感謝します。中国から、無事帰ることができました。
この度は、何故、中国に行ったとか言いますと、今年の二月二十四日のリバイバル新聞に、中国で社内教会を開始した方の記事が掲載されていました。会社の中に教会があるのですが、この会社は、日本と取引があり、全社員、四百五十名のうち、毎週礼拝に出席している人数は百名で、その中にはもうすでに二十名のバプテスマを受けた方々がいらっしゃるそうです。
また、これからバプテスマを受けたいと願っている人々が、六十名〜七十名います。この記事を目にした時、私は心に感動を覚えました。社長の名前はKさんと奥様です。

なぜ私がこの記事に関心を抱いたかと申しますと、今から二十年ほど前の話になりますが、北海道でリバイバル聖会が行われた際、社長の奥様が来られました。この方は、結婚してご主人を亡くされた後、首の神経を病み、「あなたの病気は一生涯治りません」と医者にも見離され、失望のどん底に居るとき、北海道の友人から、リバイバル聖会の案内をされたそうです。
その手紙の中に、「癒しの賜物を持っている先生が来るから、祈ってもらったら必ず癒されるよ」と書いてあったそうです。その友人が、ホテル代も切符も買ってくれて招いてくれたそうです。北海道のススキノという場所で集会をしたのですが、その聖会の最終日に、祈りの時を持ちました。
その時に、その奥様の祈りをさせて頂きましたが、医者にも見離された病気が一瞬にして癒されました。彼女は癒されたので、その後、イスラエルに旅行にも行ったそうです。そこで、今のご主人に出会い結婚されました。

今から十数年前、私が家内と共に、台湾の台南という場所に集会にいったときに、赤ちゃんをおぶって私を迎えに来てくれたのが、この奥様でした。私と家内の顔を見るなり、「恋人を待つかのようにお待ちしておりました」と心から歓迎してくださいました。
そして、「先生、私を覚えていますか?」と質問されたのですが、私は忘れる賜物があるのか、忘れてしまっていました。すると彼女が、「北海道の聖会で、イエス様によって癒され、その後、主人と結婚し、今は台湾で工場を経営しています」とおっしゃいました。それから十数年後、台南から中国へ移り住んで会社を始めることになりました。

この社長さん夫妻が、なぜ会社内で教会を始めることになったのかというと、ある時、中国のリバイバルについて描いた「十字架」というDVDをもらったそうです。社長さんは、その中のある一つのストーリーに感動を覚えました。それは、瀋陽にあるレストラン経営の企業グループの六百人の社員全員がクリスチャンで、日曜日には集まって礼拝しているというものでした。

中国政府は、公でのキリスト教の宣教活動を認めていませんが、水面下で伝道が進み、多くの地下教会があります。現在、中国の人口は13億ですが、その内の約一割がクリスチャンになっているというレポートがあったそうです。一割ということは一億三千万ですから、丁度、日本の全人口くらいの人々がクリスチャンになっているということになります。これを見たKさんは、早速、会社を見に行き、自分の会社でも、同じように伝道しようと決意したそうです。
そして、昨年の九月に新しく工場を移転し、その中に五百人ほど収容できる教会堂を造りました。この証をリバイバル新聞で見た私は、ひどく感動を覚え、是非、その場所に行って、その働きを見たいと思うようになりました。

それで今年の二月、私の方から、社長さん宛てに手紙を書き、「素晴らしい証を聞き、是非この目で見たいと願いますが、宜しいですか」と知らせました。すると、喜んでお受けしてくださるというお返事を頂きました。
こうして、十一月の十四日から十七日まで、私と家内と孫の里辺架とともに、訪問することができました。会社に着くと、入り口に早速、「滝元明牧師、清子夫人、里辺架さん、歓迎」と大きな字で掲げてあり、本当に暖かいおもてなしを頂きました。

この旅に出発する前、私は、教会の牧師室で、中国での働きのことを祈っていました。すると、神様が一つの御言葉をくださいました。それは、マラキ書三章十節の御言葉でした。

『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる。―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』

この中で特別、『わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐ』という言葉が与えられました。
この時に、中国への働きの中で、神様があふれるばかりの祝福を与えてくださるという確信を頂き、出て行きました。今回の旅は、招かれたわけではなく、私たちのほうから押しかけのような形でしたので、旅費を自己負担して行きました。そうしましたら本当に祝福され、あふれるばかりの祝福を受けました。
 
中国では、地下教会とよばれる教会が多くあります。宣教活動が国によって禁止されているため、個人の家でなされている「家の教会」と呼ばれる集会所が数多くあります。それが公安委員(中国の警察)の人間に見つかった場合、リーダーが連行され逮捕されます。特に、外国の人が来て説教していることが分かった場合、その説教者は真っ先に捕らえられ、パスポートを取られ牢屋に入れられることになります。釈放されるためには、多額のお金が必要となります。感謝なことに、私の宣教旅行は守られ、逮捕されることなく、無事に帰ってくることができました。
今日は特別に、一緒に行きました孫に、どんな集会だったのかということをレポートしてもらいたいと思います。

(ここから証)
ハレルヤ!お祈りありがとうございました。無事帰ってくることができました。今、おじいちゃんはさらっと話をしていましたけれども、実際にはすごく、波乱万丈な旅となりました。その模様を、映像とともにご紹介したいと思います。
私は、今回の旅に対して、すごく気軽な気持ちで構えていました。私は特に、記録係兼荷物持ちくらいの気持ちで出発しました。着いてみると、宣教師の先生がお迎えに来て下さいました。

日曜日には、会社内の教会で伝道集会をしました。四百五十名の社員のうち、四百名弱の方々が集いました。そこにも、時折、公安の人間が視察に来ることをしらされました。通訳をして下さった宣教師の先生が、「先生の説教中、公安の人間が入ってきたら、私がお知らせしますので」とおっしゃいました。それを聞いたとき、ただごとではないと感じ、絶対にそんなことにならないようにと、随分祈らされました。
説教が終わり、招きの時間には、会場にいるほとんどの参加者が、胸の上に手を置き、信仰告白の祈りをしていました。

午後からは、地下教会と呼ばれるような、家の教会に行きました。なぜ、地下教会という呼び方がされるのでしょうか。それは、共産党によるクリスチャン弾圧があり、公での伝道活動が許されないため、地下に隠れて礼拝している教会が多く存在するからです。地下教会と呼ばれるだけあって、私たちが訪れた家の教会も、本当に人目につきにくい場所にありました。道なき道を入っていくと、山の奥の誰も入ってこないような場所に、鉄の門とコンクリートの壁で仕切られた場所がありました。その門と通りぬけると、そこに家の教会がありました。この教会は二百五十の教会を束ねている本部として存在しているところでした。全部で七千人の信徒がこの教会に属しているそうです。それら二百五十の教会のリーダーの方々は、常に危険と隣り合わせで、いつ警察が来て、連行されてもおかしくない状況を覚悟して伝道されている方々ばかりだそうです。「命がけの伝道」をされている方々を前にし、本当に感動しました。
この本部には、神学校みたいなものが併設されており、そこでは六十人ほどの、二十歳前後の女の子達が住み込み、聖書を土台にした訓練を受けていました。訓練を受けた後、それぞれ地下教会に遣わされていくのだそうです。刑務所に入ることを何とも思っていない、たくましい若者のクリスチャン達ばかりでした。
もしも、これらの施設が、公安の人間に見つかった場合、どうなるのかと質問してみました。すると、まず、リーダー格の人たちは全員捕らえられて、刑務所に入れられて拷問を受けるのだそうです。リーダーの方々は、全てそれを承知で、伝道活動に励んでおり、刑務所に入れられても、ムチ打たれても、イエス様のことを伝えたいんだという意気込みで、伝道活動に燃えていらっしゃいました。命がけで伝道されている姿を見て、本当に驚かされました。

ありがとうございました。引き続き、御言葉を学んでいきたいと思います。

使徒の働き 一章八節
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

この度の通訳をしてくださった先生は、若い頃は暴走族に入り、ありとあらゆる悪いことをしていた少年時代だったそうです。高校もろくに行かず、卒業証書のみもらい、当然成績も悪かったようです。
しかし、どうゆうわけか、英語だけはよくできたのだそうです。先生の父親は、先生の少年時代、酒を飲み、博打をうち、奥さんを殴りつけ、家庭内暴力が耐えない、非常に悪い人だったのです。そんな父親を、少年時代から大人になるまで、どうにかして殺してやろうと思って生きていたそうです。父親を殺めるために生きていたと言っても過言ではないほど憎しみに満ちていたのです。

しかし、ある時、市場で働いていると、突然、聖霊に触れられ、聖霊のバプテスマを受けたのです。瞬間的にイエス様が救い主であることを知り、それまで一日三箱吸っていたタバコがぴったりと要らなくなり、喜びで満たされたのです。聖霊の満たしというのは力強いものです。
その次の日に、初めて教会へ行き、すぐにバプテスマを受け、一ヵ月後には献身したのだそうです。救われ、父親を殺そうと思っていたことが罪だと知り、父親に電話をして謝まりました。そして、そのお父さんは、息子の伝道で、今ではクリスチャンになったのです。
先生は、全ての悪から解放されて、やがて召しを受けて中国へ渡り、学校へ入ったそうです。クラスメイトは、優秀な人たちばかりで、東大、京大級の大学卒の人たちばかりでした。

ダニエル書の一章十七節に、『神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。』とあります。
この箇所は、四人の少年が、神様を信じて、上から十倍の智恵が与えられたことが書いてあるところです。先生は、この箇所を読んで、自分には学歴はないけれど、この少年たちのように十倍の智恵を下さいと神様に祈ったそうです。
すると、不思議と智恵が与えられ、大切な試験で、非常に優秀な多くの生徒達を凌いで、一番になったのです。断トツ一位だったことに周りの生徒達は驚いて、「東大ですか、京大ですか。どこの大学で勉強したのですか。」と皆が質問してきたそうです。
先生は、「僕は高校もろくに行っていない中卒です。」と言うと、皆不思議がり、よくできる理由を聞きたがりました。
すると先生は、「イエス様を信じて、祈ったら智恵が与えられて、それが一番になれた理由なのです。」と皆の前で証をしたそうです。
それからというもの、生徒達が、人生の相談事をしに先生の部屋を訪れるようになり、多くの相談を受けるようになりました。難しい問題ばかりを相談され、分からなかったので、とにかく聖書がどう教えているかに徹して、聖書からの解決策をアドバイスしました。すると、その噂が広がって、聖書からの福音を聞くため、ひっきりなしに生徒達が訪れるようになったとのことでした。そして今では、宣教師として、非常に危険な場所への伝道にも物怖じせずに出て行き、イエス様を信じて、命がけで伝道なさっています。

今回は、この素晴らしい先生と行動を共にし、多くの素晴らしい証を聞くことができ、心から感謝しました。今特に、中国の河南省という場所がリバイバルされており、クリスチャン人口が非常に多いのだそうです。そして、多くのクリスチャンが投獄された経験があり、牧師達に「あなたはどこの神学校ですか」と聞くと、多くの場合「私の神学校は刑務所です。」と、こんな答えが帰ってくるそうです。また、「あなたの先生はどなたですか」と聞くと、「公安員です」と答え、「教材は?」の問いには、「ムチと電気棒です」との答えが返ってくるのです。
彼らは、福音のために、死ぬことも恐れず伝道しているのです。聖霊に満たされると、力を受け、神の証人となるのです。私たちも、日本においても、イエス様の証人となるために、聖霊に満たされることはとても重要です。
使徒の働きの四章十二節〜十三節

『この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。』

とあります。聖霊に満たされるとは、どういうことでしょうか。まず一つは、「大胆に伝道した」とあるように、人間が変わります。皆さんの中には、気が小さくて、なかなか証ができない方もおられるかもしれません。
しかし、聖霊に満たされると、大胆に伝道することができるようになります。すごいことです。ペテロとヨハネは、伝道して、逮捕され、刑務所に入れられ、ムチ打たれたり、と様々な経験をしましたが、その中でも、彼らは喜んで伝道し続けました。
これからの日本のリバイバルには何が必要でしょうか。もちろん、祈ってリバイバルを求めるこれも必要です。しかし、クリスチャンが大胆に証しなければ、リバイバルは起きないのです。今日は午後からトラクト配布がありますので、忙しいかもしれませんが、捧げてなるべく大勢の方が参加し、イエス様の福音をはずかしがらずに、大胆に伝えて頂きたいと思います。
また、使徒の働き四章十八節から二十節には、

『そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」』

聖霊に満たされたら、どんなに迫害があったとしても、しっかり立って証することができるようになります。
中国のリバイバルは、クリスチャン達が命がけで伝道していることが大きなことだと感じます。
ある一人の女性の話ですが、彼女が伝道をすると多くの人がクリスチャンになるということで、捕らえられ刑務所に入れられたそうです。すると刑務所で伝道を始め、囚人達が皆クリスチャンになりました。しかしどうしても、福音を伝えられない場所がありました。それは、病気の囚人達のみを集めた、隔離された空間でした。そこにどうしても福音を伝えたいと考えた彼女は、イエス様に「私を病気にして、そこで苦しむ人々の中に入れて下さい」と祈ったそうです。すると、祈りが聞かれ、病気の囚人達の中に送り込まれたのだそうです。そこで願い通り、大胆に福音を述べ伝え、病院内の囚人が皆クリスチャンになったのです。

聖霊に満たされると、この世で一番素晴らしい福音を述べ伝えずにはいられなくなります。恥ずかしがっていてはいけません。大胆に伝道すると、素晴らしい祝福にあずかることができます。
これは中国だけの話ではなく、日本でも同じことです。この新城教会が今恵まれているのは、初期のクリスチャン達が、迫害にあいながらも戦ったからだと思います。今、神学校が建っているところに、昔、製材所がありましたが、そのご主人は、クリスチャンになるやいなや、一切偶像礼拝との縁を断ち切り、神社費も出さない、神社の掃除も断るようになりました。
すると、この村は騒然となり、村内に、ある通達が出されました。それは、「戸主だけを集めた集会」の召集でした。そこでご主人は吊るし上げられ、信仰ゆえに、村中の人々からの迫害にあいました。キリスト教を外国の宗教と呼び、非難されました。しかし、よく考えてみると、仏教も外国の宗教です。
彼は、「あなたがたの拝んでいる神様は誰で、ご神体は何ですか」と村人に質問しました。すると、村人は誰一人、答えられなかったとのことです。

O家も、今とても祝福されていますが、過去には大きな迫害に会いました。お父さんとお母さんがクリスチャンになると、親戚中の人たちが集まって、キリスト教をやめろと、散々な目にあわされました。しかし、それでもお母さんは、泣きながら信仰を貫くことを伝え、偶像から離れました。
この教会の歴史には、初期の人々が命がけで戦ったという過去があります。私と家内が結婚した時には、私の家族と家内の家族が協定を結んで、私と家内がキリスト教をやめるまでは絶対に助けないことにしよう、という約束がなされました。その後はやはり、一切助けてはくれませんでした。
家内の母親は、家内が八人もの子供を産んだにも関わらず、一度もお産の手伝いに来ませんでした。そんな義母でしたが、感謝なことに、彼女もイエス様を信じました。最後には、教会で共に住みたいとまで言い、二十年も共に住みました。最後には、本当に心から喜んで天国に帰っていきました。迫害の中にあっても、真実に生きるというのは、非常に大切なことです。

最近のことですが、プレイズ出版から一つの本が出版されました。それは、『感謝の鈴なり』という本です。これは岩井家のことを綴った本ですが、岩井家というのは、私の一番末の娘と結婚した岩井寛兄のお父さんの家系です。この本を読んで、私は何度も読み返すほど感動しました。寛兄のお父さんは、Kさんと言います。彼は六人兄弟ですが、彼以外の男の兄弟は皆、牧師になりました。彼のお父さんの名は、恭三さんと言い、またそのお父さんは明治の終わり頃にクリスチャンになられた方です。
この方の家系は、神官の家系でしたので、クリスチャンになったとき、非常な迫害にあったそうです。そこで、その方は、畑の中で一生懸命祈りました。すると、神様が「人に従うよりは、神に従うべきなり」と声をかけてくださったそうです。その時に、どんな状況にあろうとも、信仰を守り通そうと決心したのです。

当時、礼拝堂で礼拝していると、村人達が来ては、便所の肥やしを投げつけたり、ヘビをはなしたりと、色々な嫌がらせを受けたそうです。そんな中でも信仰を守り通しました。その方の奥さんは、村人に何度も聖書を焼かれ、身を川の中に投げ落とされ、ひどい迫害を受けました。しかし、それでも、イエス様を信じ続け、やがて結婚し、二人は最後まで信仰を守り通したという歴史が描かれています。
この方の素晴らしいことは、六人の子供達を皆、クリスチャンに導き、またその子供達へと信仰が継承されていることです。私の孫に当たる契は、クリスチャン五代目になります。イエス様を第一としたことによって、家系が祝福されたことを見ることができます。
日本では、先祖を大切にしますが、死んだ人をいくら拝んでも、良いものは出てきません。しかし、私たちの使命は、自分が救われ、家族が救われ、子供達が救われ、そのまた子供の孫達が救われることです。イエス様を信じたら、千代に至る祝福をいただけると書いてあります。
あなたは今日、選ばれてここに来ているのですから、あなたの家族、子供達、孫達を救いに導く使命があります。子供が居る人は、子供を救いに導くこと、これは、親たちの責任です。恭三さんの奥さんはクリスチャン二世でしたが、子供を育てる際に、申命記六章と箴言二十九章をモットーにしたそうです。箴言二十九章十七節には、

『あなたの子を懲らせ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。』

また、二十一節には、
『自分のしもべを幼い時から甘やかすと、ついには彼は手におえない者になる。』

これは、子供を甘やかしすぎてはいけないということです。今は、子供にも自由意志が認められる時代ですが、しかし親の責任として、子供には、福音をしっかりと植えつけなければなりません。恭三さんの奥さんは、いくつかのしつけを心得て子育てをしたそうです。
一つ目に「どんなにむずかっても子供を騙してはなりません」というものです。クリスチャンの子育ては、どんなことがあっても、子供に嘘をついてはいけません。騙してはいけません。
二つ目に、「嘘によって、子供に一時の言い逃れをさせてはならない」ということです。
三つ目は、「いったん約束したことは、例えそれが少々都合が悪くなったとしても履行する」
四つ目には「どんなに小さくても、悪いことをしたときには叱る」
五つ目は、「子供のわがままを通してはならない」
六つ目は、「お詫びができた子には、さっと態度を変えて、忘れたようにあしらってあげること」
七つ目には「よその子供さんに対しても悪いことをした子には叱ったり、教えたりすること」
八つめには「子供は、主より託されたもので、自分のものではありません」

これらのことを心得て、子育てをしたようです。与えられた子供は、神様から与えられたもので、自分のものではないということを知らなければなりません。これらのことを心得て子育てをしたので、六人の子供たちを皆、立派に育て上げることができたと書いています。
また、この本を読むと、一つのことを知ることができます。祝福を受ける秘訣として、十分の一は必ず献金した、そして祝福を受け取ったということです。これは真実ですので、信じて、皆さんも是非十分の一を神様に捧げてみて下さい。

恭三さんは、軍人として中国に居た頃も、毎朝、早天祈祷会に出席したそうです。そして、集会には必ず出席しました。ある時、恭三さんが説教することになり、彼は「自分の職業は神に従うことである、軍務は副業です」と言いました。こう発言したことが、憲兵の耳に入り、今後、決して伝道してはならないという命令がなされました。
その時に、彼が言ったことは「信教の自由は、すなわち伝道の自由です。私は決して伝道をやめません」といいました。
すると、憲兵が早速、軍に訴えたそうです。当時、中尉だった恭三さんを、「中尉は、現役に適してないから、首にしてください」と言ったそうです。その後、通達が来て彼は大尉になりました。それから、少佐になり、中佐になり、大佐にまでなりました。

私たちは、迫害を恐れてはいけません。もしも、あなたの周りに、信仰を脅かすような迫害をしてくる人がいるとしたら、これは、相手が悪いのではなく、私たちの信仰が試されているのです。どんな迫害にあっても、イエス様についていくことを決心してください。そうすれば必ず祝福されます。あなたが祝福されるだけではなく、あなたの子孫も必ず祝福されます。ですから、あなたの後の世代のためにも、妥協しないで、いい加減のクリスチャンではなく、本物のクリスチャンにならなければなりません。

恭三さんの娘に、マスエさんという方がおられるのですが、なぜこの名前をつけたのかといえば、クリスマスに生まれたので、マスエとしたのです。マスエさんがご主人と結婚されるとき、一つの誓いを立てたそうです。
聖日は絶対に厳守しましょう、ということでした。礼拝は必ず出ましょう、ということを約束したそうです。名誉を求めず、地位を求めず、財を求めず、信仰を第一にしていきましょう。
また、キリストの証人として、実践的な信仰生活をしていきましょう。また、できるだけ、世の人のために生涯を尽くしましょう。これらの契約を結んだそうです。

私は、家内と結婚するとき、一つの協定を結びました。イエス様よりも家内を愛さないこと、家内も、イエス様よりも私を愛さないこと、とにかくイエス様を第一にしていくこと、これが、私たちが結婚したときに決めた協定でした。
心を決めて、生涯、私は神様に仕えていくんだと堅く決心してください。今は悪くても、必ず子供達が祝福されます。将来、すばらしい祝福をうけることが約束されています。
使徒の働き四章二十節に、

『私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。』

これから、リバイバルが来るために祈ること、霊的戦いも必要です。しかし、クリスチャンが黙っていたら、リバイバルはきません。ですから、一週間のうちに一度でもいいので、人に伝道しましょう。私たちは伝道することによって、祝福を受けることができます。聖霊を受け、力を受けて、私たちもイエス様の証人になりましょう。


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