「見よ。新しい事が起こる!」


2008.11.30(SUN)
新城教会牧師 滝元 順

旧約聖書 イザヤ書  43章14節〜19節
「あなたがたを贖われたイスラエルの聖なる方、主はこう仰せられる。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らの横木をみな突き落とし、カルデヤ人を喜び歌っている船から突き落とす。 わたしは主、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である。」 海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、 戦車と馬、強力な軍勢を連れ出した主はこう仰せられる。「彼らはみな倒れて起き上がれず、燈心のように消える。 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。」

 ハレルヤ!おはようございます。今日はこうして、メッセージを語らせて頂ける事を心から感謝しています。みなさんの祈りに支えられ、忙しい毎日のなかにありますが、守られていることを心から感謝します。

 韓国リバイバルミッションの働きも前進しておりまして、先週の日曜日、私はは韓国の教会で二回ほど集会を持たせて頂きました。また、金曜日には仁川において、それは来年ミッションを行う街ですが、特に大きな教会の先生方が集まって、牧師会がありました。私は都合で行くことができませんでしたが、上條先生、岡本信弘先生、平岡先生、父も行きまして、百七十人くらいの有力な先生方が集まって下さいました。来年の韓国リバイバルミッション本大会に向けて、決起することができて感謝します。

 主が色々な道を備えて下さり、日本の宣教団体として初めて、韓国において本格的に活動することになったわけです。今までは、韓国の宣教団体が日本に来て、一生懸命やってくださいましたけれど、日本の宣教団体が韓国のリバイバルのために働く道を、主は開いてくださいました。

 今日は、「見よ。新しい事が起こる!」というタイトルをつけさせていただきました。四十三章の十九節に、「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」とあります。

 このみことばは、直接的にはイスラエルのバビロン捕虜からの解放を意味しています。しかしそれだけではなく、この預言は、イエスさまの誕生と、終末に対しても目が向けられています。主が新しい事をなさる、という預言です。

 明日から十二月です。十二月になりますとクリスマスがやって来ます。本当に一年は早いですね。あっという間に一年たってしまった、という感じです。
 イエス様の誕生は、まさしく新しい出来事でした。イザヤの預言がそこで成就しました。神とは、天地宇宙を創造されたお方です。しかし天地宇宙を創造して、「これでお終い、バイバイ!」と、全ての創造のわざをやめて、人間に関わることを休止してしまったのではありません。もちろん天地創造のわざは完結したのですが、今でも主は、新しい創造のわざを行っておられます。

先週は、K夫妻に初めての赤ちゃんが誕生しました。赤ちゃんの誕生などを見ると“新しい創造”と言えるのではないかと思います。
今年はうちにも孫が生まれましたが、どこから来たのかしらないけれど、「これは神の新しい創造だ」と感じます。想像もつかなかった新しい命が、突然、生まれ出てくるわけです。
生まれて二、三か月はほんとうに大人しくて、「この子は大人しい子だ」と言われていたのですが、全くそれが間違っていた事がこの頃わかって来ました。「いやぁ、なかなか元気な子だ」と。

主は教会にまさしく“新しいこと”を行ってくださいます。今年主は私に、「わたしは人手によらず働きますよ」と語って下さいました。それで年頭のメッセージで、「今年、主は人手によらず働きをなさいます」と語ったんですが、まさしく、今年のテーマは、人手によらずに聖霊様が働いておられる、ということだと思います。そして新しい事が今起こっているのです。

まさしくこのみ言葉が、教会に、また、みなさんの上に実現しています。
十九節のみことばを、ご一緒に読んでみましょう。昔、イスラエルに神が語られた言葉ではありません。今日、現代に生きる私に対して語って下さっている言葉として、受け取りましょう。では、みなさんで十九節のみことばを、大きな声でお読みいたしましょう。

『見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。』

時々私達の人生が、荒野、荒地のように感じることがあります。途方にくれることがあります。クリスチャンになったら、すべてがうまくいくわけではありません。やはり人生は人生ですから、選択や周りの環境の変化等で、人生が荒野や荒地に入ることもあります。
しかし、荒野、荒地にも主は道を作って下さり、水を流して下さるのです。そのような素晴らしい方と生きる事ができるのは、本当に感謝です。

教会は生き物ですから、一年の間には色々なことがあります。天国に帰られた方もおられますし、新しく生まれた赤ちゃんもいます。病気になった人もいます。
特に今年、私達が心を砕いて祈った祈りは、M君のことでした。七月の終りに突然、脳炎という大変な病で倒れ、それっきり五十日間意識不明でした。医者から、「手の尽くしようがありません。どのように治療しましょうか。決めて下さい」と言われました。専門家でもないのに何を決められるのか、というかんじでした。
「どんな薬でも使います。試してみたい薬を言ってください。」と言うような口ぶりでした。私もそれを聞いてがっかりしました。M君は中学一年生で、将来があるのです。そんな子どもが倒れるなんてどうした事だろうか…。

人生には、ほんとうにわからないことが多くあります。どうしてそのようなことがおきるのか、わからないのです。しかし一つ言える事は、私達人間のいのちはいつかは無くなるという事です。いのちは有限のものですから、いつかは何かが起きるわけです。
また、この地球は悪魔の支配下にありますから、環境そのものが悪魔の手に渡っています。そのために、あるときには攻撃を受けるような事もあるかもしれないのです。文字通り、この世界は荒野、荒地のようなです。

M君がどうしてそんな病気になったのかは、わかりません。夏の暑いさなかに、彼は野球部員で厳しい訓練をしたり、風邪をひいたりと、それで病原菌に侵入されたのかもしれません。
ある人がM君の病について調べて、「彼の生存率は大体五%くらいですよ。また、生きたとしても、植物人間になるかもしれない・・・。」そう言っていました。
でも私たちは、彼のために教会をあげて祈りました。癒しを与えて下さる神だと信じて、真剣に祈りました。
「これはのるかそるかの戦いだ」と強く感じました。私はいつも、いやしの信仰を語っていますし、奇跡を語っています。また、戦いの勝利を語っているにも関わらず、これで敗北してしまったら、私達の敗北というよりも、神の栄光に関わると思いました。本気で戦わなくてはいけないと感じ、真剣に祈りました。

今日、彼は、完全に退院したわけではないのですが、今「仮出所」というか、刑務所ではありませんが、礼拝に出席しています!本当にすごいじゃないですか!
普通、五十日意識不明なら、回復するのには三倍かかるそうです。しかし彼は二ヶ月で出てきました。
今からM君にこちらに出てもらい、証してもらうというと、彼はかなり引いていますが…。でもやはり顔を見せなくちゃ。皆さん大きな拍手でMくんを迎えてやってください。

ハレルヤ!本当によかった…ウエルカム・バック!
「よかったね。みんなで祈ってたんだぞ。ちょっと、みんなに挨拶して…。挨拶考えてきた?」
彼はもともと恥ずかしがり屋の性格だったんですけど、性格も昔のままです。五十日間の事、覚えてる?

M君:「覚えてない」
「全然覚えてない…そうか、でもよかったね。今の気分はどうですか?彼は心が一杯なようです。本当に、神が彼を助けて下さいました。これは、キリストの体の勝利です。」
「昨日は何を食べましたか?」
M君「焼き肉!」

「ついに焼き肉が食べられました!よかった〜!!彼は病院で、焼き肉食べたくてしょうがなかったんです。この勝利が、Mくんだけでなく、皆さんの上にも置かれますように。最後に一言、お祈りしたいと思います。

 「ハレルヤ、主よ感謝します。今日は私達が長く祈ってまいりました、M君が皆のまえに、立っています。この地上で顔と顔とを合わせて会うことが出来、主よ。本当に感謝します。
 キリストの体に与えられた賜物が結集され、勝利となったことを心から感謝します。またこの勝利が、ただM君だけでなく、皆の勝利であることを心から感謝します。
 これからM君を祝福してください。二度と病に倒れることが無く、常に聖霊に満たし、誰よりも長生きしますように。そして、主のために働く勇士として下さい。
 全ての機能が元通りになりますように。主よ、完璧ないやしを与えて下さい。
 また、彼がいやされるのと共に、他の兄弟姉妹も、みないやされていきますように。感謝します。本当に主よ、あなたに栄光をお返しします。あなたの真実を心から賛美します。ほめたたえます。あなたが良い方であることを、心から感謝します。イエス様のみ名を通して祈ります。アーメン。ハレルヤ!」

 彼は挨拶すると言っていたけれど、どうも、みんなの前に出たら緊張してしまったようです。でも本当に、感謝します。

 第一コリント二章九節に、

「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

 主を信じるものにとっては、見たことも、聞いたことも、思いに浮かんだこともないような事を主は用意しておられるのです。
 M君の癒しもそうです。病院でも、「こんな事は見たことがない、思ってもみなかった」と、ICUのスタッフたちも言っていたそうです。「彼がまさか、ここから出ていくとは思ってもみなかった」と。ICUを出でてから、彼が挨拶に行った時、スタッフ達が大歓声でM君を迎えてくれたそうです。
 なぜ、そういうことが起きるのか?それは、主が共におられるからです。主は新しい事をなさるからです。ほんとうに主に従い、共に歩む人生は素晴らしいですね。

 これは私達にとって新しい事ですが、実は、神においては、すでに立てられていた計画が実行に移されているだけなのです。
 エレミヤ書二十九章十一節、これも皆さんがよく知っている言葉ですね。ご一緒に読んでみましょう。

「 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 神様が私達のために立てている計画は、災いではない、将来と希望を与えるためのものだと約束されています。しかし日本の神々は、「よく拝んだら神になるけど、放っておくと鬼になる、神にもなれば鬼にもなる」という存在です。
 ということは、もともと「鬼」なのです。でも、聖書の神様は、とことん良い方であって、私達に対しての計画は、「災いではない」、「将来と希望を与えるためのものだ」と語られています。
 たとえ目の前が悪く見えても、最終的着地は素晴らしい着地です。その計画がすでに立てられている、ということです。

 イザヤ書四十三章の十九節の前半に、「見よ、わたしは新しい事をする。今、それが起ころうとしている」とあります。この「起ころうとしている」という部分を別の訳し方をすると、「芽を出そうとしている」と訳すことができます。
 「芽が出る」という事は、すでに種が蒔かれているということです。故に芽を出すわけです。

 私達には、すでに、良い計画の種が蒔かれているのです。新しいことが起こります、といいますけれど、これはすでに神が蒔いて下さった良い種が、芽を出すときに起こるのです。

イスラエルに行ったことのある方はおわかりだと思いますが、イスラエルは荒野のなかにある国です。夏などに行きますと、気温が五十度近くにも上がります。私も夏にイスラエルに行ったことがありますけれど、「こんな季節に来るんじゃなかった…」と思いました。日本が暑いといっても、そんなのは問題ではないのです。ヘヤ―ドライヤーを近くから浴びせられるような体験でした。すごい暑さでした。荒野に行くなら、一時間に一杯は絶対に水を飲まなないと生きていけません。

しかし、そんな場所に突然川ができる時があります。それはエルサレム近辺に雨が降ったときです。そうするとやがて何が起きるかというと、全く命がなく見える荒野に草が生え、花が咲いて、春などは本当に綺麗な花畑になるのです。「何で、あんな命のないような荒野に花が咲いたの?」と言います。
実は、そんな灼熱の太陽の下にあっても、土の中にはすでに花の種があったからです。そこに川が流れ、水が来ると草花は芽を出すのです。
「見よ、私は新しいことをする。今、それが起ころうとしている」この“起ころうとしている”とは、”芽を出そうとしている”、すでに種がまかれているのです。

私達の人生の中に、新しく芽を出す要素がすでに蒔かれているのです。神様の計画というのは良いものですから、今の状況が荒野のようであったとしても、そこにはすでに良い種が蒔かれているのです。雨が降る時、芽を出すのです。

四十三章の十九節には、「確かに私は荒野に道を、荒地に川をもうける」と言われています。「確かに、必ず、わたしは荒野に道を作ります。荒地に川をもうけますよ」と告げています。

日本語は、単数と複数の区別がつきにくい言語です。英語などは単数と複数がすぐわかるので、話していても、「これは複数、これは単数だ」とわかります。日本語は「道」といっても、「何本の道があるのだろうか?」、「川」といっても「何本川があるのだろうか?」と、わかりません。へブル語にも単数形、複数形があります。
昨日、調べてみたら、「道」とは単数です。これは、「わたしが道であり、真理であり、命です」と語られた、イエス様をあらわしていると思いました。
救われる道は一つしかなく、イエス様の道しかないのです。日本には八百万の神々といって、八百万くらいの神々がいるそうですが、それらは神でなく、神のふりをした悪霊どもです。真理の道はただ一つです。荒野に道とは、ただひとつの道です。

 イエス様の道を歩んでいくならば、そこには川が流れます。この川とは「複数形」です。いっぱい川が流れてきます。これは、聖霊様の「働き」と理解してもいいのかな、と思いました。
 荒野のただ中に、イエス様の道ができるならば、こんどは荒地にどんどん川が流れてくるわけです。

 実は私は先週の日曜日、韓国のソウルで奉仕をさせて頂いたのですが、先々週も、不思議な、不思議な、導きがあって、新しい事がありました。

 実は先々週、私はリバイバルミッションのほうで将来、「台湾リバイバルミッション」の計画があって、台湾の教会から、「来てください」と頼まれていました。私と平岡先生が台湾に行って、ミッションの説明をしたり、集会をすることが決まっていました。
 私は最近、韓国で活動しているので、「今ちょっと台湾モードじゃないな…」と思っていたのですが、台湾のほうから連絡があって、「牧師会の責任者が変わる時期だから、時期をずらしたほうがよい」と言われました。
 「これで韓国モードでやっていける」と思いました。台湾も行けば行ったで、祝福されると思うのですが、やはり今韓国のほうで盛り上がっているから、韓国のほうでやっていきたいと思っていたら、ちょうど、テグの教会から集会の申込があり、台湾のスケジュールを、韓国に置き換えました。
 「はい、韓国に行きますよ。丁度、スケジュールが空きましたから。韓国に行くことがみ心だと思います」と連絡しました。
 でも、そのように計画していたら、直前になって、私を呼んでくれた教会の先生が入院してしまいました。先生が教会にいないのに、集会をやるのもよくないから、これもまた「移動してくれませんか」と言われました。
 それで、「どうしようかな、三日間新城にいようかな」と思いました。

最近、日本と韓国の関係を色々と調べていて、「この場所に行ってとりなして祈らなきゃいけない」と示された場所があったんです。それがどこかというと、実は、「モンゴル」なのです。

 みなさん、モンゴルって知っていますか?モンゴルっていう国は、今はあんまり有名な国ではないのですが、有名なのは朝清龍くらいですが、私は、「モンゴルをとりなした方がいい」と思ったのです。
 なぜなら、モンゴルという国は、十三世紀から十七世紀近くまで続いた国で、特に、フビライが支配していた時期は、世界最大の国だったんです。世界人口の約半数はモンゴル帝国に属していたと言われます。モンゴル帝国によって、世界の歴史が大きく変わりました。日本も大きな影響を受けたのです。その事はご存じでしょうか?

モンゴル帝国がどのような影響を与えたのか、という図を作ってくれたので紹介します。モンゴルは中国にも、ヨーロッパ方面にも進出していきました。また、モンゴル帝国は、朝鮮半島も占領しました。そして、次にモンゴル帝国が狙ったのが日本でした。

日本では、「文永の役」と「弘安の役」と言われますが、第一回目の文永の役は、1274年、モンゴルが三万人の兵を引き連れ、日本に攻めてきたのです。
日本がちょっかいを出さない時に攻められたという歴史は、このときを除いて後にも先にもありません。ただ一回だけ日本は、当時の世界超大国、モンゴルに攻められたのです。もしも日本がモンゴル帝国の一部になっていたとしたら、歴史は大きく変わったはずです。でもどうして占領されなかったかと言うと、「神風が吹いた」というのです。その為、超大国モンゴルは撃退されたのです。

その「文永の役」の後、モンゴルは「絶対に日本を占領する」という意気込みで済州島に多くの馬を運んで増やし、今度は十四万人の兵を用意して、日本を攻めたのです。それが「弘安の役」です。

その時日本は鎌倉幕府の時代でしたが、真剣にとりなしの祈りをしたのです。「とりなしの祈り」とは、私達もやっています。しかし、そのとりなしというのは、イエス様に対してではなく、「神仏に対するとりなしの祈り」でした。真剣に神仏に向かい、「モンゴルが来ませんように!」と、寺社を真剣に拝んだのです。

当時、「恐ろしいもの」の代名詞が、「モンゴル」でした。津軽の子守歌を見ますと、「泣けば山からモッコ来る」という節があります。これはどういう意味かというと、子どもに「泣いては駄目だ。泣いたらモンゴルが来るぞ」と脅したのです。恐ろしいものの代名詞として、「モッコ(蒙古)」という言葉が使われました。

日本の歴史の中で、全国民的に恐怖を体験したのが、このモンゴルが攻めてきた時でした。第一回目は偶然風が吹いて、モンゴルは追い返されたけれど、いつ攻めてくるかわからない・・・。済州島では日本を攻める為の備えがなされている、それで日本は真剣に神仏に祈願したのです。これが“加持祈祷”と呼ばれるものです。

やがて弘安の役において、十四万人もの兵が攻めてきたのです。しかし何が起こったかというと、またしても神風が吹き、十四万ものモンゴル軍は全滅したのです。
その時の兵士達は日本に移住するつもりで、農機具なども持って攻めて来たそうです。しかしそれが、一晩のうちに滅びたのです。

その時日本は、「日本は神の国だ。特別な国だ。」という確信を持ったのです。そして、「日本の神々に真剣にとりなして祈れば、必ず、カミカゼを吹かせ、戦争に勝てる。私たちは特別な民族だ。」という、間違ったアイデンティティが生まれたのです。

実は、この考え方が最も大きく反映され、用いられたのがいつかというと、「太平洋戦争」でした。太平洋戦争の時代に生きた方々はよくおわかりでしょう。
カミカゼが吹くと言って、全国で、二十四時間体制の神社、仏閣に、とりなしの祈りがなされたわけです。しかし、その結果は惨憺たるものでした。
そのように、“モンゴルが攻めてきた”という歴史が、日本に大きな影響を与えていることがわかります。歴史的に見て、日韓関係がこじれ始めた最初の砦が、ここにあるのではないかと感じます。

なぜなら、元寇はどこの兵隊達が攻めてきたのかというと、それはもちろんモンゴル人たちなんですが、モンゴルの正規軍はほんのちょっとだけで、ほとんどが朝鮮半島に住む人々が兵士として日本に来たのです。
だから、日本はそのときから、朝鮮半島に対して憎しみを持ったはずです。「いつかは仕返しをしてやるぞ」と。
それがやがて、豊臣秀吉の朝鮮半島侵略や、二十世紀初頭からの日帝支配などにつながっていったと思われます。
となるとやはり、「モンゴルのために、とりなして祈らなくてはいけない」と思うのです。

私は、「主よ。もしも、そういう機会がありましたらモンゴルに私を送って下さい。モンゴルでとりなしの祈りをしたいのです」と、祈っていました。

それで、先ほど話が途中になってしまいましたが、私は台湾に行くのが取り止めになり、韓国へいくのも取り止めになったのです。
それで、ここに来られた金監督の机を借りて働いている、岡本泉さんにスカイプで電話をかけて予定について話し合っていました。
「順先生、三日間どうする?韓国来ないで三日間ゆっくりする?」
「そうだな、それもいいな」などと、雑談していました。
「韓国で三日間、集会とってもいいよ…」
「どうしようかな…」と。
その時、「モンゴルへ行きたいな」と話しました。そうしたら、金監督が通りかかって、「モンゴルへ行きたい?ちょっと待って」と、そこで電話をかけ始めました。
すぐにモンゴルの宣教師に電話して、「順先生がモンゴルへ行きたいと言っています。」と話しました。
すると、ちょうどモンゴルの宣教師が韓国に帰ってきているところで、それが金監督の親友で、「モンゴルに来たら、私が案内します。」と言われました。

なんと偶然が偶然を呼んだかのように、実は、十一月二十〜二十二日の三日間、私は韓国からモンゴルへ行って、また韓国に戻って集会をし、日本に帰って来たのです。
モンゴル行きが、あっという間に実現しました。それで、モンゴルでとりなし祈ることができましたし、集会もできました。

モンゴルに行くことになったので、どのくらい寒いのかを、インターネットで調べてみると、先々週は、「最低温度マイナス十九度」となっていました。また、「最高温度マイナス五度」とありました。「どういう寒さなのだろうか…」と心配しましたが、まあ、寒かったですけれども、本当によかったです。
モンゴルの人たちは、みんな日本人と同じ顔をしています。だから、日本みたいです。街も、日本で十年くらい前まで走っていて、今では消えた車が、今が盛りと堂々と走っています。なんとなく“十年前の日本”というかんじです。

そのご報告も兼ねながら、主が、新しい道を設けて下さった事をお分かちします。

今回私を世話してくださったのは、李博士です。彼は「モンゴル国際大学」の副学長で、韓国ではたいへん有名な方です。彼は、「捨てる時」という本を書いて、それが六十万部も売れ、ベストセラーとなりました。韓国では李博士の事を知らない人はいないのです。
「捨てる時」という本が、どのような内容かといいますと、彼はソウル大学で東洋史を専攻し、ハーバード大学に留学し、中東史で博士号を取りました。彼は将来を約束されていた歴史学者でした。
けれども彼は、神の声を聞いて、すべての名声を捨て、モンゴルへ宣教師として行ったのです。彼は自分を捨てる時、神は祝福して下さるという内容の本を書き、有名になったのです。
私はそれを聞いて、「捨てるものがある人はいいなぁ…」と思いました。私は「捨てる時」ではなくて、「拾う時」という本が書けるかもしれませんが。

今回私は、誰が私をモンゴルで受け取ってくれるのかよくわからず、モンゴルに行ったのですが、なんと、最も適した人物が私を案内してくれたのです。
李博士は今、モンゴルで何をしているかというと、モンゴル国際大学の副学長であり、「チンギス・ハーン研究所所長」でした。歴史のことを本当によく知っておられ、細かい説明をして下さいました。その上、集会も用意して下さり、彼の家にホームステイもさせてもらい、本当に良い友達となりました。

 この頃は、モンゴルはレア・メタルが産出するということで、世界が目をつけているそうです。彼らは遊牧民で、「ゲル」というテントに住んでいます。遊牧民のテントは、どこにでもあり、中はたいへん暖かいです。煙突が出ていて、中で練炭を炊きます。だから、ウランバートルの街は、夜にもなると練炭の煙で霞んで、気持ちが悪くなるくらいです。日本では練炭で自殺する人もいますが、標高が千数百メートルで空気が薄い上、練炭の煙でたいへんです。

 イザヤ書に、「戦車と馬、強力な軍勢を引き連れ出した主はこう仰せられる。彼らはみな、倒れて起き上がれず、燈心のようになって消える」とあります。
 これはエジプトから脱出した時、パロの軍隊を神が呼び出して、紅海に沈め滅ぼしたことを語っているのですが、モンゴル帝国は騎馬民族なのです。

 日本には、もともと馬はいませんでした。「魏志倭人伝」、これは中国の書物なのですが、「日本に牛馬おらず」と記されています。日本には馬がいなかったと。でも、今は馬がたくさんいます。これは、海外から入ってきた、特に騎馬民族が持ってきたというのです。玄界灘を馬が独自に泳いで渡ってきたということは考えにくいですから、兵器として持ち込まれたのです。

 日本は、騎馬民族に攻められたわけです。しかし、神風が吹いて侵入がとどめられたというのですが、そうではないです。
 日本を支えたのは、他でもなく、「一つの道、イエス様」です。あの時、モンゴルに征服されていたら、何もかも変っていて今私たちがここにいるかどうかもわかりません。日本が守られたのは、神仏ではなく、やがて本当の神に仕える国とするために、「主が守られた」のです。

 クリスマスの十二月二十五日というのは、もともとはゲルマン人の冬至の祭りです。なぜそのような日がクリスマスになったかというと、騎馬民族・フン族に追われたゲルマン人たちがローマに入ったからです。
 歴史的に見て、騎馬民族はもともと、すごい力を持った人たちでした。私もモンゴルに行ったら、騎馬民族関係をとりなさなければいけないと思いました。それで、馬に乗ってとりなそうと思い、遊牧民から馬を借りました。でも怖かったです。何のガイダンスもなく、どうやって馬を操縦したらいいのかもわからないのに、遊牧民は私を馬に乗せると、後ろから来ていきなり、「シュー!」と声を発して、馬の尻を叩いたのです。すると馬は急に走り出し止まらないのです。怖かった、本当に…。
 遊牧民は、「こいつは老いぼれて、弱っている馬だから大丈夫」などと言ってましたが、全然弱ってなんかないというか…怖かったです。

 でも私は馬に乗りながら、「馬に乗って日本まで来たなんて信じられない・・・」と思いました。馬は乗ったらクッションが良いように見えますが、全く、クッションなどありません。もう、大地の衝撃が、ばんばん来るんです。私は、先にトイレに行かずに乗ったものだから、馬が走り出すと、「おお〜、トイレ・トイレ!」と、本当に大変でした。

 一時間くらい馬に乗りましたが、だんだん慣れて楽しかったです。でも、李博士やモンゴルに住んでいる人達は乗馬が上手く、ついていくのがたいへんでした。
 私はモンゴルに三日間いたんですが、二日間集会をやりました。このモンゴル国際大学の先生方は六十人いて、全員クリスチャンです。韓国の先生方がほとんどですが、皆、宣教師としての意識で来ているのです。しかし皆大学の教授で、博士号を持っていたり、優秀な人たちばかりです。それは一般の大学です。
 「大学の先生達の前で、どういう話をしたらいいのか…」とちょっと心配しましたが、一日目は、特に、モンゴルと日本は大きな関わりがあって、ここでの宣教は意味がある、と話しました。今回私は、チェ先生という、日本語のできる韓国人牧師と共にモンゴルへ行ったのですが、本当によい集会となりました。
 一日目の集会がすごく祝福されたので、二日目はモンゴル人の教会にも呼びかけて、半分はモンゴル教会の人たちが来ました。集会の直前に、「今日はモンゴル語でも通訳しますので」と言われ、「どうぞ自由にしてください」と答えました。
 何とその意味は、三次元通訳でした。日本語から韓国語、そして最後に、モンゴル語、という、三つの言葉でのメッセージとなりました。しかし言葉を超えて、本当に素晴らしい集会となりました。二日目は強く聖霊様が働いて下さって、会場が揺り動くような集会となりました。

 皆さんのお祈りに支えられ、思わぬ、神様の導きがあり、「本当に主は、新しい事をされる」と感動した次第です。
 普通、モンゴル帝国に心を向けるとか、そのためにとりなし祈るという視点は、中々生まれてこないと思いますが、韓国リバイバルミッションを通して、主がそのような領域を開いて下さいました。
 突然、荒野に道を設けて下さったような感じでした。モンゴルでも、韓国リバイバルミッションの決起大会をすることができ、また、モンゴルの方々の集会もすることができて、思わぬ主からのプレゼントでした。
 まさしく、「見よ、私は新しい事をする。今もうそれが起ころうとしている。あなた方はそれを知らないのか。確かに私は、荒野に道を、荒地に川をもうける」と、このみ言葉を実感させられました。

 イザヤ書二十九章十七節、

「もうしばらくすれば、確かに、レバノンは果樹園に変わり、果樹園は森とみなされるようになる。」

 レバノン付近は、「荒野、荒地」だったのですが、そこに道が設けられ、水が引かれ、荒れ果てていた地が果樹園になる、と主が語られたのです。
 やがてバビロンに捕囚されていたイスラエルが、戻ってきて、何と荒地を開墾し、そこに果樹園ができました。今でもイスラエルに行きますと、「そのみ言葉が成就した果樹園ですよ」と、オレンジ園などを見せてもらうのですが、実はこれには霊的な意味があります。それがイザヤ書三十二章の十五節、十六節のところです。

「しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。」

 「荒野が果樹園になる」とは、「上から霊が注がれる時」とあります。これはリバイバルの預言です。
 日本は、荒野のような、荒地のような所かもしれません。そこにイエス・キリストの一つの道が出来るなら、今度は川が複数流れてくるのです。霊が注がれる時、それが起こるのです。そうすると、すでに、種が荒野、荒地には仕込んでありますから、芽が出て、果樹園になり、果樹園が森と見なされるようになるのです。

 「公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む」というのですが、この「公正」とは、“定め”“判決”“法廷”“正しさ”などの意味もあります。
 荒野とは、秩序が全くない所です。しかし、主の霊が注がれる時、荒野が秩序正しい場所になる、神の支配が訪れる場所になる、と教えているわけです。

 私達の心の中に荒野や荒地があったとしても、聖霊様が来て下さる時、混沌としたところが秩序正しくなり、果樹園となり、森のように強大な、祝福された場所が出現するのです。無秩序から、秩序正しい神の支配が訪れる人生に変えられるのです。

 私達は、今、リバイバルのための戦いをしていますが、主は、突然、荒野に道を作られるお方です。突然川が流れるのです。韓国リバイバルミッションに主が、新しい事をして下さっています。

今までアジアは悪魔が支配してきた、荒野のような場所であったかもしれません。しかし主はそこを果樹園に変えようと願っておられます。
主が行ってくださった偉大なみ業を心から感謝し、すべての栄光をお返しし、今朝のメッセージに代えさせて頂きます。最後に一言お祈りをさせて頂きます。


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