「順境の日は喜び、逆境の日には反省せよ」


2008.12.14(SUN)
新城教会牧師 滝元 明

旧約聖書 伝道者の書7章14節
順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。

 ハレルヤ。今日はこうして、新城教会の礼拝で奉仕できることを感謝します。先週私は、東京バイブルチャーチで礼拝を守り、月曜日には、その教会のチャーチスクールでお話しをしました。

 先週は、この教会でロン・ブラウンさんたちのすばらしいコンサートがあり、五百人の方たちが来られたと聞いています。残念ながら私は出席できませんでしたが、水曜日の朝は、ロンさんご一行が私の家に朝食を食べに来られ、良い交わりのときを持つことができて感謝します。

 十日は大和カルバリーチャペルで奉仕をし、八六〇名の方たちがお集まり下さいました十一日のホープチャペルでは、四百名くらいの方々が来られました。そして、十二日には、徳島で集会をして、昨日無事帰りました。イエス様を信じる決心をする方が多く与えられ、どこも素晴らしい集会となりました。みなさんのお祈りを心から感謝します。

今日はみなさんと共に、伝道者の書の御言葉から学びたいと思います。

伝道者の書七章一四節
順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。

 ここでは、順境の日には喜び、逆境の日には考えよ、と述べられています。私たちの人生には、色々なことが起こります。御言葉は、順風で良いことばかりの時には喜びなさい、そして、逆境の時には反省しなさいと教えています。時々、人生には、良くないことが起こります。今まで商売がうまくいっていたのに、悪くなったり、元気だったのに病気になったり、身内が亡くなったり、人生には、色々な問題が起こります。このような場合について、聖書はどう教えているでしょうか。
 そういう時は、考え、反省しなさいと教えています。私たちが、色々なことに直面した時、神の前に出て反省するということが大切なのです。

 今の時代は、何かと不安な時代です。新聞を見ても、テレビを見ても、信じられないような世界情勢が報道されています。アメリカの自動車会社がつぶれそうだとか、日本の企業でも大勢リストラに合うなど、非常に不安な時代です。

 私は1974年に、初めてアメリカに行きました。そして、デトロイトにある、クライスラーの会社を見学しました。大きな自動車をつくっているところを見て感動したのを覚えています。
 しかし、今、かつての、あの立派な会社は、つぶれる危機に瀕し、アメリカ政府からお金を借りようとしています。もし公的資金が投入されなかった場合、破産するかもしれないとのことで、世界は大変な状況に陥っています。これらの影響は、日本や世界に及んでおり、この先、世界はどうなるかと不安になります。私たちクリスチャンは、このような状況下にあって、特に、神さまの祝福と守りを求め、祈っていく必要があります。

 昨日のニュースでは、現金輸送車が襲われて、六六〇〇万円くらいが盗まれたとの報道がなされました。私たちも、これらの泥棒に、注意を払う必要があります。
 先日は、向日かおりさんという方が来られて、すばらしいクリスマスコンサートが行われました。彼女と、色々な話をしましたが、一九九三年に行われた甲子園での集会を彼女は忘れることができないと話しておられました。
 なぜなら、あの時に、彼女は聖歌隊の奉仕をしていたのですが、その時に自分のかばんが盗まれてしまったからです。
 その翌日、献金の奉仕をしていると、ひとりのおじさんが自分のバックを持っているのを見つけたそうです。その後、しばらくは、そのおじさんの後ろで、ずっと様子を伺っていたのですが、いよいよメッセージの時間になると、向日さんはその泥棒が救われるようにと願い祈ったのだそうです。
 すると、私のメッセージの招きに応じて、その泥棒が手をあげたというのです。その日の私のメッセージは、「わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、イエス様は、お入り下さる」という話でした。メッセージが終わり、「今日イエス様を信じたい方は前に出てください」と招きをすると、あの日は5千人くらいの人たちが前に出てきましたが、それに答えて、その泥棒も立ち上がり、盗んだかばんを持って十字架の上にあがったというのです。
 次の日、集会が終わると、彼を捕まえて、かばんを返してもらったと言っていました。お金は取られていて、無かったそうなのですが、彼女が一番大切にしていた聖書はしっかり手元に返ってきたそうです。お互いに泥棒にあわないよう、気をつけましょう。

伝道者の書七章十三節にこんな言葉があります。

神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。

 これは、世界の色々な問題の背後には、神さまの御手がある、ということです。しかし、悪いことが起こった時には、神の御手が背後にあることを覚え、最初の御言葉であったように、よく考えなくてはいけません。

 今は、悪い面を見て泥棒の話をしましたが、今の世界を見ると、良いことも沢山あります。全ての中に、神さまの御手が大きく動いています。
 私は、日本はすばらしい国だと思います。イエス様がこの地上に来られたクリスマスを描いた箇所が、聖書のルカの福音書二章十三〜十四節にあります。

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

 これは、天の御使いが言った言葉です。この中に、「地の上に平和があるように」とあります。現在の日本は、物質的には、とても恵まれた国と言えると思います。
 一九四五年八月一五日に戦争が終わり、あれから今年で63年になります。63年の間、日本に戦争がないということは、素晴らしいことです。これは、奇跡に近いことだと私は思います。

 私が子供の頃は、日本は戦争ばかりしていました。小学校二2年生の時に、中国と支那事変が始まり、六年生の時に、太平洋戦争が始まりました。広島に原子爆弾が投下され、一発で二〇万人以上の人々が犠牲になったと言われています。
 一九四五年の三月十日に東京の深川で空襲があった時には、一晩で十万人が死にました。私の親戚も例外ではなく、三名亡くなりました。現代は、誰かが殺人をしたら大ニュースになりますが、しかし戦争では毎日多くの人が死んでいくのです。今、日本に平和憲法があり、戦争から守られているということを感謝しなければなりません。

 私は、世界中、色々な所に行きましたが、日本は、世界で最も良い国ではないかと思わされます。特に、日本のトイレは世界一綺麗だと感じます。シャワートイレがあり、日本の人々は、世界一お尻が綺麗な国民と言えるかもしれません。どちらの家庭も、自分は貧乏だと言うかもしれませんが、他国と比べ、全体的には日本は祝福されています。神様によって、この平和が与えられていることは、素晴らしいことです。感謝したいと思います。

 アメリカという国に目を向けたとき、アメリカの国にも神さまが働いておられるのを見ることができます。アメリカは、一七七六年の七月四日に独立宣言をして、一八六〇年には、有名なアブラハム・リンカーンが大統領になりました。一八六三年には、このアブラハム・リンカーンによって、奴隷解放宣言がなされました。それまで、黒人の人々は、アフリカから奴隷として買い取られ、奴隷の生活に苦しんでいました。そんな歴史を持つアメリカですが、今年は、オバマさんという黒人初の大統領が誕生しました。神様の御手が動いていることを感じます。奴隷解放宣言がなされてから、一四五年が経過しましたが、今は、神様による慰めの時が到来したと感じます。

 来年は、韓国でリバイバルミッションが行われますが、その為に神様から与えられた御言葉の中にも、慰めを見ることができます。イザヤ書五一章三節に、

「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」

 ロンさんやティム・ケプラーさんなど、この度コンサートに来られた方々も皆黒人ですが、喜んでおられました。アメリカは、民主主義でいろんな国の方々がおられますが、その中にあって、黒人であるオバマ氏が大統領に選ばれたというのは素晴らしいことです。それらの中に、神様の御手があると信じます。今は不況に陥っていますが、今後アメリカの上に、素晴らしいことが起こされることを期待します。

 世界の歴史を見るとき、多くの奇跡と呼ばれる事柄が起きていることに気付かされます。一九四八年には、イスラエルの国が独立しましたが、これは世界的な奇跡です。二〇〇〇年の間、世界中に散らされていたイスラエル人が故郷に帰り、一九四八年に国をつくりました。神様は今も生きておられます。
 また、一九一七年には有名な共産革命が起き、レーニンが神の居ない国をつくろうとしました。ソビエトは、ある意味では、平等な国づくりを目指したのですが、一九九一年にソビエト連邦は崩壊しました。七四年間も続いた共産主義が崩壊したということには、歴史の背後にある神様の御手を感じます。

 これらを考えてゆくと、全てにおいて、神様の御手は大きく動いていると言えます。先月、私は中国に行きましたが、中国を考えてみても、大きな奇跡だと思います。
 一九四九年に毛沢東が政権をとりました。彼は共産主義者でしたので、国の中の偶像を全て焼き、一九五〇年には、宣教師を皆、国から追放しました。
 かつて、この近くで宣教活動に励んでいた、私の知っているスウェーデン人宣教師達のほとんどは、中国から追い出された人達でした。当時、宣教師達は、中国宣教への望みを絶たれ、失望していました。そんな歴史を持つ中国ですが、先日、私は中国の地下教会に招かれ奉仕をし、驚きました。現在、中国には、公の教会は少ないにしても、地下教会、家の教会と呼ばれるような教会が水面下で激増している実態を知ったからです。今、中国の全国民の十パーセントがクリスチャンだとのことです。中国の人口は十三億なので、十パーセントということは、一億三千万人ということになります。これは、日本の全人口がクリスチャンであるのと同じです。共産主義の国にも関わらず、これほどまでにキリスト教が普及しているのは、神様の御手以外ありません。どんなに偉そうに、「神なんか・・・」と言ったとしても、神様に勝つことはできないのです。

 来年、韓国において、日本側のアプローチによって行われる「韓国リバイバルミッション」も奇跡だと言えます。日本は今まで、韓国に悪いものばかりを輸出してきました。しかし、この度は、歴史始まって以来、初めてと言える、日本から韓国へ、良い知らせである福音をもって奉仕できるのです。来年の五月、韓国インチョンの国際体育館において、集会が予定されています。この働きをしながら、神様の御手の大きさに圧倒されます。

 先日、韓国に行った時に、こんなことを聞きました。インチョンは、一八八六年に、メソジストと長老教会の二人の宣教師が同時に宣教を初めたそうですが、今では、韓国一クリスチャン人口の多い地域だとのことです。韓国全体の、平均クリスチャン人口は、二十五パーセントといわれますが、インチョンは、人口の三十パーセントがクリスチャンだと言われています。ということは、八十万人以上がクリスチャンということになります。インチョンの全人口は、二五〇万人ほどですが、これは丁度、名古屋と同じくらいの都市です。そこに、教会が四千あるというのです。私たちは先日、主だった牧師先生方を招待し、インチョンで説明会を行ったのですが、全部で一七〇名の牧師や長老達がご参加下さいました。インチョンの市長さんも来られ、挨拶して下さったのですが、来年のリバイバルミッションでは、市としても協力を惜しまないで助けたいとおっしゃって下さいました。

 現在の韓国の大統領もクリスチャンです。神様は世界中で、色々な事をなさっておられます。ですから、私たちは、神様がこれからも世界にどんなことをして下さるか、期待にていきたいと思います。

 今は不況ですが、これは、ある意味において、人間が神の前に「建て直される時」だと感じます。人間とは悲しいもので、調子が良いときには、神を必要としなくなります。世界が不況に陥ったり、また、病気になったりと、心配事が現れると、自分の力では生きていけないことが分かってくるのです。
 今回、韓国リバイバルミッションのテーマともなった御言葉は、エレミヤ書三一章三節〜四節です。

「主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。」

 この御言葉が、韓国リバイバルミッションに与えられていますが、このミッションが「建て直し」の時となることを信じます。日本は今まで、韓国に対して悪いことばかりをしてきました。しかし、この度は、福音をもって韓国において奉仕します。それによって、赦しと和解、そして韓国と日本の教会の「建て直し」が現されると信じます。それが、来年だと思います。今回のミッションも、経済的には、私たち全日本リバイバルミッションが、責任を持つことになっています。みなさん、覚えてお祈りください。そしてご協力くだされば感謝です。

 現在、円高が進み一ドル八八円ほどにまで下がっています。韓国でも、日本円が強く、一万円を韓国ウォンに両替すると、以前は八万ウォン程だったのが、今ではなんと十三〜十四万ウォン程になります。韓国では、円高が社会問題になっています。つい最近のニュースでは、麻生総理大臣が韓国に対し、八〇〇万ドルの資金供与することが報じられましたが、このような時だからこそ、日本が韓国の手助けができるということは素晴らしいことです。今は世界的に経済危機が騒がれていますが、このようなときにこそ立ち上がり、世界を救うことができるのが、私たちクリスチャンです。クリスチャンには、世界を監視し祈る責任があると思います。
 第二歴代誌七章十三節には、

「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」

と書かれています。ここでは、神様が、天を閉ざし、雨をとどめられる時があることを語っています。日本を見るとき、韓国と比較して、クリスチャンが圧倒的に少ない現状にあります。霊的な領域で、天が閉ざされ、雨が降らないようなことが起こっているのではないでしょうか。
 また、「いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合」とありますが、今、トルコの鳥インフルエンザが流行する可能性がささやかれたり、色々な不安や問題があります。

 しかし、聖書は次のように約束しています。「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」

 世界的な不安や、悪いニュースが飛び交うこのような時代にこそ、クリスチャン達が、心から身を低くし、自分の罪を告白し、歴史を通じて国家が犯してきた罪を悔い改め、神を求める必要があります。私たちが、国家のために、身を低くしてとりなし、悔い改める時に、神様はその罪を赦し、この国を癒して下さるのです。百年に一度、起こるか起こらないかの世界的不況に陥っているのが現代だと言われていますが、私は、ある意味で、これが世界のリバイバルの発火点となるように感じています。このような時にあって、私たちの使命は、へりくだり、罪を悔い改め、祈りを捧げることです。

 一九九三年に全日本リバイバル甲子園ミッションを遂行した時には、日本の国の命運をかけて「日本を救わなければならない」という熱い思いの中で、必死に働きました。今回、導かれている、韓国リバイバルミッションにおいても、同じ思いを抱いています。これを通して、日本にリバイバルが起こることを信じ、祈っていきましょう。

マタイの福音書の六章三三〜三四節には、

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

と、このように書かれています。これからの時代、私たちが、安心して恵まれた人生を送るために必要なことは、まず、神の国とその義を第一に求めていくことです。とにかく、どんな時にも「イエス様を第一にしなさい」ということです。
 これから先、どんな世界的不況が訪れ、大きな不安の中に突き落とされることがあったとしても、あなたが神様に信頼し、また神を第一にしていくならば、必ずあなたは守られ、必要な物は全て満たされます。これが聖書の約束です。「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。」と述べています。明日を支配しておられる神様が、あなたのことを心配して下さるので、あなたは何も心配しなくて良いのです。心配する代わりに、とにかく何よりもまず、神の国と神の義を第一に求めましょう。
 ピリピ人への手紙四章四〜七節には、

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

と書かれています。これからどんな時代が到来したとしても、私たちは、主にあって喜びの中を進んでいきましょう。ここに「もう一度言います。喜びなさい。」とあります。どんな時代が来るのだろうかと、社会全体が恐れに苛まれたとしても、私たちクリスチャンは、主の御手の中にありますから心配はありません。

 私は、昨日まで、徳島県で奉仕をしていたのですが、帰り道、豊橋駅で空腹を覚えたので、売店であんパンを買いました。新城へ向かう飯田線の中で、美味しく食べていると、ある昔のことが思い出されました。
 終戦後、日本が非常に貧しかった時代、私が東京に勉強に出たときのことでした。ある時、私はパン屋さんへ、コッペパンを買いに行きました。イースト菌の芳しい香りと、美味しさがよみがえってきました。現代、日本は貧しくなった、不況だなどと叫んでいますが、まだまだ豊かです。食べ物も、回りに溢れています。ですから、よくよく考えてみると、不安を持つ必要はありません。聖書は、「あれこれ心配せずに、いつも喜んで主に仕えてください」と言っています。また、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」とも語っています。

 これから先、私たちの上に、どんな問題が降りかかってきたとしても、何でも願い事を神様の前に出して祈ってください。そうすれば、神様が素晴らしい平安を与えてくださいます。イザヤ書二六章三節には、

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。

と書かれています。
 私は、一九五〇年六月十七日に、家内の清子と結婚しました。その時に司式をしてくださったアメリカの宣教師がお祝いの品と共に、この御言葉をプレゼントしてくださいました。実は、私の初孫が生まれたときに、私がこの言葉から「堅志」と名付けました。私たちが生きていく上で必要なことは、心を主に定め、動揺せずに、しっかりと主に望みを置くことです。しっかりと主による土台を据えなくてはなりません。ぐらぐらしていてはいけないのです。お父さん、お母さんがたにもお勧めします、一家の長として、しっかりと主に土台を据え、家族の代表として主に信頼していきましょう。

 今日は、私の席の隣に遣徒くんが座っていましたので、彼に聞きました。「けんちゃん、あなたは英語ができる?」と。すると彼は、「あまりできないです。」と答えました。彼の家には、とても良い習慣があります。それは、毎日、夕食の時に、家族3人で聖書を読むのだそうです。彼のお父さんは英語が堪能ですので、毎日、日本語と英語両方で読むのだそうです。私は英語が全くできませんので、彼らの習慣は大したものだと感心します。

 私は今週、「ロックフェラーが知っていた儲け方」という本を読みました。皆さんの中で、金儲けしたいと考えておられる方がおられたら、この本を読んだら良いと思います。ロックフェラーは世界中の石油を買い占めたと言われるほど、石油産業で成功を収めた事業家です。
 一九七四年に、私はニューヨークに行き、ロックフェラーセンターと名付けられた超高層ビルに登り、高い展望階から街を見下ろしたことがあります。この本によると、彼は農家のせがれでしたが、すばらしいお母さんに恵まれたことが書かれています。子どもたちの祝福には、お父さんによるものよりも、お母さんから受ける影響の比重が高いように思います。良いお母さんか、悪いお母さんかで家庭内の様子がまるで変わります。もちろんお父さんも同様ですが。
 アメリカ大統領だったアブラハム・リンカーンもこういっています。「私がもし成功したとすれば、それはただ、天使のような母のおかげである。」このお母さんが、自分が死ぬ時に息子に与えたものが、聖書だったと言われます。
 ロックフェラーの両親もクリスチャンでした。そして彼が幼少の時から、しっかりと御言葉を心に植え付けたそうです。この本で私が最も感動したのは、彼らは毎週教会へ通う敬虔なクリスチャンでした。両親は彼に、必ず一番前の席に座り、牧師先生の語られる話を良く聞き、実行しなさいというしつけをしたそうです。
 新城教会でも一番前の席には子どもたちが座っていますが、ロックフェラーも同じでした。

 もう一つ教えたのは、十分の一献金を徹底することでした。十分の一献金とは、神様が、皆さんからお金を集めたいがために定められたのではなく、皆さんの「心」を欲しておられるのです。神様は、全世界を造られ、全てを手にしておられます。私たちは、いわば神様の持ち物を借用して生活しているわけです。新城市に住んでいる住民が、自治体に対して市民税を治めなければならないのと同様に、収入の十分の一を、それらを与えてくださった神様に感謝し、お返しするのが献金です。
 マラキ書三章一〇節には、

十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

と書かれています。皆さんは十分の一献金を実行していますでしょうか。できていない人は、今後、ぜひ実行してください。ロックフェラーは六才になったとき、お母さんからこういわれました。「ジョン(ロックフェラーの名前)。おまえは六才になったから、今までは私と一緒に礼拝に行っていましたが、これからはひとりで行きなさい。」と。また、そのとき、彼にお小遣い二十セントを手渡したそうです。彼が喜んで受け取ると、お母さんは、「今渡した二十セントを出しなさい」と言い、その中から二セントを取って別の袋に入れ、「これは神様のために献金する分です」と言いながら再び彼に持たせたそうです。

 このようにして、幼い彼は、毎週小遣いの中から、十分の一を神様に捧げることを身につけたのです。献金を自らしっかり捧げる人は必ず祝福されます。喜んで神様に捧げる人は、神様も喜んで祝福されます。全盛期のロックフェラーは、なんと一日ごとに百万ドル儲けたそうです。そうなってからも、彼は徹底して、十分の一献金にこだわり、社会事業などに捧げるため、専業のスタッフを四十人も雇っていたそうです。彼は世界一の金持ちになりましたが、彼を富ませたのは他でもない、神だと私は思います。創世記二十六章十二、十三節に、

イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。

と書かれています。今日ここにいる子どもたちにもお勧めします。これから十分の一献金をきちんとして、イエス様を愛していったら、この中からも将来、ロックフェラーのような成功を収める方が出るかもしれません。あの鉄鋼王と呼ばれたアンドレ・カーネギーも十分の一献金は欠かさなかったそうです。アメリカは世界で最も裕福な国ですが、儲けた分、他に施すという精神が息づいています。ロックフェラーは五十才になったとき、気管支炎になりました。一番働き盛りの時です。それから胃潰瘍にもなりました。また、腰も曲がってきました。医者にかかったところ、「あなたの命は、あと一年しかもたないでしょう」との宣告を受けました。そのニュースはたちまち世間にながれ、周囲から「あの巨億の財産は誰が手にするのか」ともてはやされた時、彼は悟りました。
 「金だけの人生は破滅に至るだけだ」金は、死に対してなんの効力も持っていません。死んだら全てを置いてこの世から出て行かなければなりません。その時彼は、もう一度全てを神様に明け渡して祈り、人生が新しく生まれ変わったそうです。それから病院で彼が神様から与えられたプレゼントは、「受けるよりも与える方が幸いである」という御言葉でした。彼はその言葉を繰り返し口ずさみました。そんな時、彼の耳に病院の中で言い争う声が届きました。それは、病気の娘を医者に診てほしいと必死にすがる母親と、その前に診察料を要求する事務員とのやり取りでした。
 「お願いです。娘を診てやってください」「その前に金を用意しなさい」それを見たロックフェラーは、すぐに秘書に命じて、匿名で医療費を施しました。その時に、彼は与えることの喜びをしみじみと味わったそうです。

 彼は神様の前に祈りました。「神様、私の病気を治してください。長生きするためにではなく、私がこれまでに稼いだものを、神と人のために、善を行うために用いさせていただきたいのです。」神様はこの祈りに応え、彼がこう祈ると、みるみるうちに回復し、その後九十八才まで生きました。

 「受けるよりも与える方が幸いである」とは、イエス様が語られた御言葉ですが、私たちも与える人生にしたいものです。私たちが喜び輝いて、人々に慰めを与えて励ますものとならなければなりません。神様は、良い方です。また、私たちの益になることを常に計画なさっています。今、皆さんの中で、問題があったり、病気があったり、苦しんでいる人は、反省して、ロックフェラーのように自分自身を神様に捧げたら祝福されます。また、あなたに与えられているものを、人の益のために用いられるよう、祈ってください。経済的に乏しい人も、「受けるよりも与える方が幸いである」という御言葉を実行することができるように祈ってください。
 また、日本のためにも重荷って過去の罪が赦され、清められるようにお祈りしたら、神様はこの国を祝福し、また、この教会も祝福されることを信じます。ご一緒にお祈りしましょう。

 愛する父なる神様、感謝します。今日本は、世界は、大企業が破綻し、リストラで多くの人が職を失い、様々な問題で苦しんでいます。しかし、今日はあなたの御言葉で学んだように、私たちが御言葉に従って生きることができるように導いてください。
 「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」と書いています。
 日本の地は閉ざされ、救われる人も多くありません。どうか、日本の罪を赦してください。多くの偶像礼拝を赦してください。この国が生ける真の神を知ることができますように。
 また、職を失ったりして苦しむ人がないように、どうか良い解決を与えてください。人々が身をかがめてあなたの元に来ることができるようにお願いいたします。
 主よ、この地をいやし、この教会を祝福し、大きなリバイバルが日本に起きますように。また、韓国にも祝福がありますように。来年の韓国ミッションも祝福されますように。今日ここに来られた、ひとりびとりの上に祝福がありますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


[バックナンバー]