『信仰の道』
李浩文牧師特別講演記録


2009.1.4(SUN)
韓国・仁川崇義教会 李浩文牧師

第二列王記 2章1節〜12節
エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから。」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。すると、ベテルの預言者のともがらがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください。」と答えた。それからエリヤは彼に、「エリシャ。ここにとどまっていなさい。主が私をエリコに遣わされたから。」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコに来た。エリコの預言者のともがらがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください。」と答えた。エリヤは彼に、「ここにとどまっていなさい。主が私をヨルダンへ遣わされたから。」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、ふたりは進んで行った。預言者のともがらのうち五十人が行って、遠く離れて立っていた。ふたりがヨルダン川のほとりに立ったとき、エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それでふたりはかわいた土の上を渡った。渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と言った。エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。

順牧師コメント

今日、李牧師を迎えて、新年最初の礼拝で奉仕して頂けることを、心から感謝しています。一九九二年の二月に、李先生が愛知県民の森で奉仕をして下さいました。その時ちょうど、甲子園ミッションの戦いの最中で、一番大変なときでした。しかし、李先生の集会は本当に燃えました。
私達はその時、スタッフとして、その集会のサポートのために働いていました。けれども、私達の心は本当に暗かったのです。なぜなら、甲子園ミッションにむけて、色々な問題が回りにあったからです。李先生の集会が終わると、私達は県民の森の奥に入って、皆で祈っていました。
聖会最終日、その晩の出来事でした。私達が愛知県民の森の小さな山小屋の中で祈っているときに、激しく聖霊様が訪れたのです。それが、九二年の二月一三日のことでした。それから、この教会が新しくされました。そして、霊的戦いが始まっていきました。

甲子園ミッションから一七年目になりますが、働きが進んで、今年は何と、韓国でリバイバルミッションを開かせて頂けることになりました。これは、神様の大きな計画であり、同時に、李先生が新城教会に来て下さったことは、大きな預言的意味合いがあることを信じています。

今日、先生から、御言葉を聞けることを心から感謝しています。韓国の先生方のメッセージを聞くときには、一つの法則があります。恵まれたら、「アーメン」と言って下さい。そして、「ハレルヤ!」と、コール&レスポンスです。それがないと、盛り上がっていきませんから、皆さん、是非とも心を開いて、重要な御言葉が語られますから、主に期待して頂きたいと思います。

今日は、通訳のために、名古屋純福音教会のキム先生がご夫妻で来て下さいました。本当に、新年礼拝に、自分の教会をキャンセルして、こちらに来て下さり、本当に感謝しています。

李先生は、リバイバルミッションが行われる、仁川の一番大きな教会から来て下さいました。教会員はなんと六万人おられるそうです。今、新しい会堂も建設中だそうです。仁川は二百万人以上の町ですが、三八パーセントがクリスチャンだそうです。日本もそうなりたいです。そこで、韓国リバイバルミッションがあります。それでは、李先生、キム先生を大きな拍手でお迎えしたいと思います。

ハレルヤ!ご紹介ありがとうございます。よく知っていらっしゃいますね。通訳の方にも拍手をいたしましょう。今日は皆さんにお会いできて嬉しいです。握手をしながら、お互いに挨拶をしましょう。賛美を導き、私達の心の扉を開いて下さった方々にも感謝します。聖歌隊の賛美も感謝します。彼等のためにも、また拍手を送りましょう。

二階にいらっしゃる方々もよく聞こえますか。聞こえていたら、手を挙げてみて下さい。あの方々は天に近いから、先に御国にいくような気もします。私達下にいる物達はゆっくり行きます。出会いというものは非常に重要です。私のおじいさんは、漢文を教える学者でした。そして、同時に、儒教を信仰していました。
ところがある日、アメリカから宣教師がやって来ました。彼はお医者さんでした。偶然、私のおじいさんはその宣教師に会い、イエス様を受け入れ、また、英語を勉強しはじめました。もし私のおじいさんがが、その宣教師に会っていなかったら、私のおじいさんは一生、儒教信者のままだったでしょう。おそらく、彼は漢文の先生ですので、英語なんて学んだことはなかったはずです。しかし、その宣教師に出会ったことによって、イエス様を受け入れ、英語も勉強できるようになったのです。これは、素晴らしいことです。
皆さん。私のおじいさんには息子が三人いました。彼は主のしもべとなり、その息子三人も主のしもべになりました。すごいことです。そして、娘が三人いました。娘二人が牧師になり、一人は長老さんになりました。私のお父さんには息子が一人居ました。それが私です。私はお父さんのおかげで、主を受け入れ、主のしもべになったのです。このように、出会いが重要なのです。

ビリーグラハムはイエス様のことを知りませんでした。しかし、高校生の時、運動場で聖会があったのです。彼は、「何をしているのだろう…人が一杯居るから行ってみようかな」と思い、そこに入って行って、イエス様を受け入れたのです。出会いが重要なのです。一番重要なのは、良い親に出会うことです。クリスチャンホームに生まれたならば、それは祝福の中の祝福です。イエス様を信じない家族の中に生まれたと考えて見て下さい。イエス様を信じなくて、誰を信じたでしょうか。仏像ですか。それは、救いを与えません。イエス様を信じられたことに、感謝しなければなりません。出会いが重要なのです。同じように、友達も重要です。信頼するに値する友人が必要です。嘘つきな友人に会うと大変なことになります。

私には息子が四人います。二番目の息子が中学一年生の時に、私が家に帰ってみると、部屋に置いてあった小さな冷蔵庫から煙りが出ているのです。私は、漏電かなと不思議に思いました。よく見てみると、私の中学一年生の息子が、友達と一緒にたばこを吸っていたのです。
「コラッ!どこでタバコを吸ってるんだ!」と、思い切り怒りました。その時以来、彼はタバコをやめました。皆さんは、良い友達を作らなければなりません。良い親、良い友達、また良い師匠を持つことも重要です。皆さんは、皆さんの子供を教えている先生がどういう方が知っているでしょうか。私は、私の子供達を教えていた、教会学校の先生に会ってみました。ありがとうございますと電話をし、お祈りしてあげました。自分の子供を教えている先生に対して、関心を持たなくてはなりません。

そして、四番目に重要なのは、男は良い女に出会わなくてはいけません。よく祈ってくれる女性です。夫のために祈り続けてくれる女性です。女性は、顔が綺麗なだけではだめです。女性はまた、信頼するに値する男性であり、また信仰の強い男性が必要です。
また、もう一つ、重要な出会いがあります。私達は皆、良い神様に出会わなくてはなりません。韓国においては、一二三年前までは、仏教や儒教を始め、様々な雑多な宗教が蔓延していました。ところが、アッペンゼラーとアンダウトという牧師先生が福音を持ってやってきたのです。アンダウト先生は二七歳で、アッペンゼラー先生は二八歳でした。このように、若い方が福音を持ってやってきました。そして、現在、韓国は沢山の教会が建っています。その二人から始まったのです。

皆さんは、この教会が、ここに建っていることに感謝しなければなりません。ここは、寺になっていてもおかしくないのです。ひょっとしたら、病院が建っていたかもしれません。また、食堂だったかもしれません。また学校だったかもしれません。しかし、皆さん、ここに新城教会が建っていることに感謝しているでしょうか。

私は、今日、この礼拝に参加しながら、恵み深いことに感謝しました。賛美は、準備ではありません。賛美自体が礼拝なのです。時間前に来て、皆さん、真剣に賛美して下さい。出会いが重要です。皆さん、イエス様に出会ったことに感謝しているならば、アーメンと言いましょう。
良い夫に出会い、良い妻に出会い、良い親に出会ったことに感謝しているならば、アーメンと言いましょう。大きな拍手を主に送りましょう。そこに座っておられる女性の方は、なぜ拍手をしていないのですか。悪い夫に出会ったのですか。考え方を変えて下さいね。出会いが重要です。私は良いおじいさんに出会い、そして良いお父さんに出会い、私も牧師になり、私の息子も牧師になって私達の教会を継ぐようになっています。
私のおじいさんは長老派の牧師でした。そして、私のお父さんは、今、その教会で一五代目の牧師先生です。私は一六代目で、私の息子は一七代目になります。しかし、韓国でも、息子が教会を継いだとなると、世襲というイメージがあり、批判の眼差しを受けることがあります。皆さんはどうでしょうか。そういう目で見ているような気がしますが。私のお父さんも、私も、そして私の息子も三代続いて、一つの教会の牧師となっているのです。私の孫は、今高校生です。私は、その孫が五代目として、また牧師になってほしいと願っているわけではありません。医者になるか、教授になるか、事業家か、他の職業に就いたほうが良い、牧師は難しいから。私は孫にこう言っています。しかし、もし神様が用いて下されば、五代目の牧師となるかもしれません。出会いが重要なのです。お祈りします。

神様の恵みを感謝いたします。今日、聖なる主日です。私達は、この世へと向かわず、教会に来ました。ここでイエス様に出会えますように。イエス様を受け入れることができますように。聖霊充満になりますように。恵みを受けますように。満たして下さい。満たして下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

「ハレルヤ」を賛美しましょう。両手を挙げて「ハレルヤ」を共に賛美しましょう。

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ アーメン
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ アーメン
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ アーメン

皆さん、イエス様をどのように信じればいいのか。私はひょっとして間違って信じているのではないだろうか、と思っておられる方がいるかもしれません。韓国には、こんな言葉があります。「石橋をたたいて渡れ」という言葉です。これは、直訳すれば、「知っている道でも、訪ねて行きなさい」という意味です。私は、本当に正しく信じているのか、不安に思っておられる方がいるでしょうか。異端といわれている人達も、自分たちは天国へ行けると信じています。しかし、異端には救いはありません。仏教も儒教もイスラム教も、皆救いがあると思っています。しかし、救いはありません。救いはただイエスにしか無いのです。「ただイエス」です。親指を立てて、「ただイエス」とやってみましょうか。皆さんは、このことを信じられますか。信じる人だけ手を下げて下さい。

先ほど、聖書をお読みしましたが、そこを見ると、二人の人が出てきます。一人はエリヤで、一人はエリシャです。エリヤは誰で、エリシャは誰でしょう。簡単です。エリヤはエリシャの先生です。エリシャはエリヤの弟子です。
霊的に解釈するならば、エリヤはイエス・キリストです、そしてエリシャは私達です。エリヤがエリシャに言いました。「エリシャよ、ここに居るか、それとも私と一緒に行くか」と。そして、エリシャは言いました。「一緒に行きます」と。エリヤがエリシャを連れて行きました。私達も一緒に行かなければなりません。イエス・キリストについていかなければなりません。「ギルガルには留まらないように」と言いました。
ギルガルとは何でしょうか。ヘブル語で「回転」という意味があります。「回転」とは何でしょうか。その場所をずっと回っていることです。何が回っているのでしょうか。地球は回っているでしょうか。その通りです。一日に何回くらい回るでしょうか。一回です。皆さん、大きな声出しても死なないですから、大きな声で答えてください。一日に何回ですか?では一年では?その通りです。韓国の人よりも賢いです。地球は回り続けています。じっとしているように見えても、太陽を中心にしながらずっと回っているのです。ギルガルから出てくるというのはどうゆうことでしょうか。この回り回っている世の中から出て行きなさいという意味です。その地に足をつけており、またそこに家を建てているかもしれません、そして職場があるかもしれない、そして、それを糧に食べているかもしれません。
しかし、そこはあなたがいつまでも住む場所ではありません。ギルガルから出てきなさいと神はおっしゃいます。つまり、これは教会に来なさいともいえます。今日は日曜日です。色々な所に行けるチャンスです。観光に、また旅行に、また親戚の家に訪問もできます。でも皆さんは神の教会に導かれたことを感謝しなければなりません。ギルガルから出てこさせられたのです。天国に行く道のまず第一歩が、ギルガルから出てくるということです。

韓国には、クリスチャン放送番組があります。ある人は、疲れているからという理由で、ベッドで礼拝する人も居ます。しかし、それでは駄目です、教会に来なくてはいけません。皆さんが今日来られたことを、心から歓迎します。お互いに「よくいらっしゃいました、歓迎します」とご挨拶なさって下さい。もう一つの挨拶をしましょう。「来週も是非会いましょう」と挨拶して下さい。そこの方、握手していないですが、大丈夫ですか。来週来ないのですか。皆さん、続けて教会に来て下さい。天国に行くためには、回り回る世の中にとどまっていては駄目なのです。教会に来なくてはなりません。教会に来て何をしますか。礼拝というのは、見るものではありません。韓国の人々は、礼拝を「見る」という風に表現します。しかし、それは見るものではありません。捧げるものです。時間を捧げ、体を捧げ、お金を捧げ、心を捧げ、賛美を捧げる、祈りを捧げる、そのように捧げるものなのです。皆さん、捧げて下さい。この教会は、いわば、天国へ行くための停留所と言うことができます。二日にあった聖会のために、仁川国際空港から出発する飛行機に乗ってやってきました。そして、今日、五時四十分の飛行機に乗って、名古屋を経ちます。空港に行って飛行機に乗れば、簡単に韓国に行けます。教会はまるで停留所、もしくは空港のようなものです。飛行場です。

皆さん天国に行きたいですか。そう願う方は、是非、教会に続けて来て下さい。私は今まで、神様の祝福の中で、沢山の恵みを受けました。皆さん、私に尋ねて下さい。「どうやって信仰生活を良く続けられたのですか」と。「日曜日をしっかり守ったからです」一度も私は休んだことがありません。体が痛くても来ました。試験があっても来ました。日曜日に誰かが私の家に訪問してきても、その人を連れて一緒に教会に来ました。今日は、一年三六五日の中の最初の主日です。旅行中だとしても、教会に行かなくてはなりません。皆さんが、たとえハワイに行ったとしても、アロハシャツを着てサングラスをかけていたとしても教会に行かなくてはなりません。ハワイにも神様がいらっしゃるからです。ここにも、また、中国にも、ロシアにもいらっしゃいます。旅行中でも、日曜日になったら教会を探して下さい。地方に行ったら、どうせ教会がないからと言って諦めて、ホテルのベッドで寝転がっていてはいけません。そこにも神様はいらっしゃるのです。立ち上がって教会に行かなくてはいけません。日本にいらっしゃるのならば、みなさんはこの新城教会に来るようにしてください。ここは、天国に行くための停留所なのです。ここで切符をもらって、天国に行きたいと願われる方は、アーメンと言いましょう。

もう一度質問です、天国に行きたいですか。教会は何をする所でしょうか。神の御言葉を学ぶ所です。聖書を持ってきて、賛美をしたら、天国への道が開かれるわけです。皆さんは、自動車に乗ってどこかに行こうとしたら、道が分からない場合、ナビを見ます。
この聖書は、ナビゲーションよりも、数十倍も素晴らしい力があります。何倍素晴らしいですか。何倍ですか。数十倍?数百倍?数千倍?…これは、数字で言うものではありません。
皆さんは、天国に行きたいですか。皆さんが教会に来て、きちんと信仰生活を送るなら、主がいつ呼ばれるか分かりませんが、ちゃんと天国へと上げられるのです。
教会に来たら、聖書を学ばなければなりません。皆さんが聖書を手に持っていることを感謝しましょう。聖書が入っていく国は、民主化されるわけです。聖書が入って行けば、そこから生活の道も開かれるのです。聖書は、命の本だからです。皆さんが聖書を持っていることを感謝できているのならば、アーメンと言いましょう。

アメリカの歴代大統領の中に、ジョ・ンF・ケネディがいました。彼は若い人でした。そして、カトリック信者でした。多くの者達はプロテスタントでしたが、彼は、カトリックでした。そして、彼は、大統領になってから言いました。「これから、公立学校では聖書を学ばないように」と。幼稚園でも、小学校でも、中学校でも、高校でも、全て聖書を無くしてしまう政策をしました。
いったい大統領はなぜ、聖書を学校の科目から無くそうとしたのでしょうか。神様はおそらく、怒られたと思います。
彼が大統領になってしばらくした頃、ダラスに行き、リムジンに乗っていました。横に奥さんが座り、三歳の子が居た時に、四階の方から、オズワルドという人物が、銃を構え、ジョン・F・ケネディを後ろから二回撃ったのです。そして、彼は亡くなりなました。そして、彼の奥さんは、後に他の人に売られて行くことになったのです。

その時、三歳だった子供は、三六歳になったとき、奥さんと一緒に飛行機に乗っていました。そして、その飛行機が落ちてしまったのです。また、彼の弟は、大統領選に出馬しましたが、彼もまた暗殺されました。神様を信じるアメリカがなぜ神様を信じずに聖書を無くそうとしたのか。聖書というのは、尊い神の御言葉です。ここに聖書があります。読んで下さい。命の御言葉であることを信じて下さい。

また、アメリカには、ジミー・カーター大統領がいました。彼はプロテスタントでした。彼は大統領に当選して、次の週に、日曜日に教会に行ったでしょうか、行かなかったでしょうか。行ったでしょうか、行かなかったでしょうか。何故、突然、言葉が少なくなるのですか。行ったでしょうか?行かなかったでしょうか?行かなかったですって。どこでそんな噂を聞いたのですか。彼は教会に行きました。
では、彼は何時に行ったでしょうか。誰か分かりますか。何時?ここは、手をあげて発表する習慣がないんですね。何時でしょうか。手を挙げて下さい。そこの二階の人。一時?一時?はい、間違いです。八時です。牧師先生はびっくりしました。
あなたは、大統領になったのに、どうして出てきたのですか。「牧師先生、私は主日学校の先生です、大統領になったからといって、でも、今日は子供達を教えなければなりません。だから来ました」と言いました。大統領になってもなお、忙しい合間を縫って、子供達を教えていたのです。

韓国の大統領もクリスチャンです。先週、教会に行っているという記事が載っていました。大統領が教会に行く国、日本もそうなることを願います。日本の首相は誰ですか。麻生さんが教会に来る、素晴らしいですね。信仰を保つためには、教会に行かなくてはいけません。教会は、礼拝を捧げるところであり、また聖書を学ぶ所、また神に栄光を返すところです。天国に行くことを望みますか。その人は教会に来て下さい。
日本で、若者に統計を取ったそうです。どこで結婚式をしたいですかという質問をしたそうです。すると、教会で、牧師先生の導きを受けたいと答えた人が圧倒的に多かったようです。私は、ホテルにチャペルがあったり、結婚式場を建てているのを見ました。そういった心が、どんどん増し加わって、まもなく教会に若者達がやってくるのを願いましょう。
私達、韓国の教会も、かつては小さかったです。しかし、年を重ねるごとに聖徒がどんどん来るようになり、リバイバルしました。教会に来てこそ、天国への扉が開かれるのです。

エリヤはエリシャに言いました。「エリシャよ、私はエリコに行かなくてはならない」と。エリコには、ヘブル語で、「香り」という意味があります。香りとは何でしょうか。お祈りです。皆さんが天国に行きたいと願うなら、お祈りの生活をしなければなりません。この教会は、聖霊充満な教会ですから、沢山祈りをされているのを見ました。天国に行きたければ祈りが必要です。神様と交わりを持つために祈りが必要です。教会は祈りの家とならなければなりません。一生懸命に祈る人だけが天国に行けると信じますか。
祈りは神様に叫ぶものです。皆さんが願うことを、主に告白して下さい。韓国では、お正月、東の海の方に行き、太陽から気をもらおうとして人々が集います。そこに行き、祝福を下さいと叫ぶのです。確かに太陽は素晴らしいです。しかし、それは、神様の創造物です。神の御前に出て、祈らなければなりません。祈る聖徒となって下さい。祈りに火がつきますように。隅々まで、祈りの声が出てきますように。

エリヤはエリシャに言いました。「エリシャよ、神が私にヨルダン川の方に行けとおっしゃる」と。そこで、エリヤがエリシャを連れて、ヨルダン川のほとりに行きました。川が流れていました。エリヤがそこを渡ろうとして、エリシャもまたついていったのです。
皆さんは、天国に行きたいですか。その人は、ヨルダン川を渡って下さい。ヨルダン川は何を意味するでしょうか。神の血潮です。ナアマン将軍が病気にかかりました。なんの病気でしたか。らい病です。そして、ナアマン将軍は死ぬのを待つしかありませんでした。しかし、そこに小娘が一人居ました。イスラエルから連れて来た子でした。その娘が言いました。
「私達の国、サマリヤに行ったら、エリシャという人が居ます。彼は、らいびょうを癒すことができます。」その時に、ナアマン将軍は、それを聞いて、自分の王様に言いました。「あのサマリヤに行ったら、エリシャという人が居るそうです。彼は、病気を癒せると言います。王様、私はいやされたいです。」王様は許可を下ろしました。服と銀を十タラント、また金を五千個、そして、彼は手紙を書きました。そして、それを持って将軍は出て行きました。そこに訪ねて行ったところ、そこで仕えるしもべが出てきました。

ナアマン将軍は「あなたの主人はいますか」すると、しもべは「はい、居ります」と答えました。将軍は、「すぐに出てきて私のらいびょうを癒しなさい」と願いました。すると、しもべがエリシャにこのことを伝えました。「先生、ナアマン将軍という人が来ました。らい病にかかっているそうです。すぐに癒さなければなりません。」
しかし、エリシャは言いました。「らい病?家の中に招き入れる必要はありません。ヨルダン川に送って、七回体を洗わせない」と。
しもべは、そのままを将軍に伝えました。この時、ナアマン将軍は何と言ったでしょうか。「何だと!私は一国の将軍なんだ!とっとと出てきて、私を迎え入れなさい。私は、ここに入浴しに来たんではない!私の国には、もっと良い川がある。大きな川がある、入浴をするなら、ここにわざわざ来るか!」と言いました。そして、彼は帰ろうとしました。
しかし、主のしもべに言われたことには従わなければなりません。ヨルダン川よりも素晴らしい川がもっと沢山あったとしても、そこに行って洗いなさいと言われれば、それに従わなくてはなりません。そしてナアマン将軍の部下が言いました。「将軍様、エリシャ先生がおっしゃったように、川に行って入浴して行きましょう」と。

教会に来て、自分の気にくわないという理由で教会から離れる人が沢山居ます。教会が小さいからとか、椅子も狭いし、寒いし、暑いし、そうした理由で帰る人がいます。らい病が癒されたいと思うなら、ヨルダン川に行って、体を洗わなければなりません。洗いましょう。その時、ナアマン将軍は、やってみることにしました。降りていって、頭の先から足のつま先まで、水に浸かったのです。七回それを続けたのです。
賛美も、献金もしっかりしましょう。献金するとき、千円を捧げる手が震えていませんか。一万円とか捧げて良いのですよ。何回水に浸かったのですか。七回です。従いましょう。ともに言いましょう。「従いましょう」と。七回と言われたら七回しなくてはなりません。信じますか。そして、上がって来たらどうなったでしょうか。日曜日をしっかり守りなさいと言われたら、守らなくてはいけません。七回と言われたら、七回しなくてはなりません。一ヶ月に一回では駄目です。最後まで、礼拝を捧げなければなりません。そして、上がってきたときには、血潮で洗われ綺麗になるのです。罪を洗うのはただイエスの血潮のみです。水では駄目です。石けんを使っても無駄です。血潮によって、洗われて下さい。どうぞ洗われて下さい。

エリヤがエリシャにまた言います。「エリシャよ、もう少しで神は私を連れ去られるであろう。あなたは何がほしいか。」と。
エリシャは答えました。「あなたの霊の二つの分け前が私の物となりますように」と。「二つの分け前を私に下さい」とお願いしたのです。このような聖会は、日曜日の礼拝よりも、二倍の祝福があることを信じます。つまり、昨日からも二十四時間ずっと続けて聖会がもたれていますが、その聖会に出られた方は、素晴らしい祝福を受けたことと思います。火の戦車と火の馬が現れて、エリヤは連れ去られました。そして、エリシャは着ていた服を二つに裂きました。
皆さん、私達が、この世の中を生きるときに、何か頼っていることがあると思います。信じる前に、私達は己の決断によって引き裂かなければなりません。もし、酒を飲んでいるなら、博打や、そういったものにはまっていたら、全て引き裂きましょう。
そして、連れ去られるエリヤを見ました。「先生、先生、先生、なぜそのまま行ってしまわれるのですか。くれると言ったではないですか」と叫んでいます。叫んでいるのです。

お祈りには、静かな祈りもあります。瞑想もあります。しかし、叫ぶことが必要なときもあるわけです。右手を挙げて見て下さい。大きな声で、主よ!と言ってみましょう。そして、このように叫んでいたら、エリヤの外套があったというのです。そのエリヤの外套とは一体何でしょう。これは、聖霊の力をさしています。エリヤはこれを脱いで、これをエリシャにきっと投げたでしょう。それを拾った瞬間、聖霊の力が臨みました。みなさんに、聖霊の力が臨みますように。皆さん、聖霊の力を受けなくてはなりません。二倍のものです。

先週は、とても熱い聖会がありました。韓国には、二十四時間の聖会はなかなかありません。本当に熱い聖会でした。この人達狂っているのかな、と思うほどに熱い集会でした。しかし、それは神様が働いていらっしゃると思いました。マルコのアッパールムがここにあったのだと思いました。ここの教会の名前は何ですか。新城教会ですね。マルコのアッパールム教会に変えてください。誰でも来たら聖霊の力を受ける教会です。
私は、もう去ります。そして、今年の五月二十八日から行われるリバイバルミッションに、皆さんが来られることを願います。昨日の夕方、聞いたところ、皆さん、手を挙げられました。私が、ホテルも用意して、旅費も全て出してあげますと言いました。すると、皆が手をあげました。皆さん、お金全て出してあげると言ったら来ますか。答えがないですね。来ますか?来られる方はアーメンと言って下さい。右手を上げてアーメンと言いましょう。もちろん、お金は皆さんが払わなくてはなりませんが…。韓国に来て、皆さんと一緒に祈りで火をつけましょう。今、私達の教会は新しい建物を建てています。それは、体育館です。バスケットやバレーができるところです。そこで、私達は聖会をする予定です。他の教会の人は出られません。スンギ教会と、新城教会、二つの教会の人たちだけでやりましょう。他の方は入れてあげません。なぜなら、狭いから。皆さんと私達だけで一杯になってしまいます。

皆さん、天国に行きたいですか。ギルガルに居てはいけません。ギルガルは世の中のことです。そこに確かに、足を地につけていて、職場もあって、家もありますけれども、そこに永遠に住んでいるわけではありません。早くそこから出てきてください。教会に来て、礼拝を捧げて下さい。賛美して、祈りをして、感謝して、この教会は天国に行くための停車場です。教会において、信仰生活をよく送って下さい。そして私達の汚い罪は、血潮によって洗っていただきましょう。そして、神様に祈らなくてはなりません。毎日、手を挙げて、叫びながらお祈りしましょう。皆さんの汚い罪が全て洗われますように。そして、二倍を受けて下さい。聖会の時に、聖霊の力を二倍受けて下さい。そして、主によって天に挙げられたい方は、両手を挙げて、アーメンと言いましょう。「主は素晴らしい」をご一緒に歌いましょう。手をあげて賛美しましょう。

主は素晴らしい 主は素晴らしい
GOD IS SO GOOD
GOD IS SO GOOD
GOD IS SO GOOD
HE IS SO GOOD TO ME

胸に手を置いて祈りましょう。

父なる神様。世の中に捕らわれないようにしてください。この地に家もあり、また職場もありますけれども、いつまでも住む場所ではありません。私達は神様の教会に来なくてはなりません。ここは天国に行くための停車場です。ここで祈りの生活をして、聖霊によって、血潮によって洗われますように。二倍の力を受けますように。天国に向けて行けますように。主よ、ここにいる全ての者が天国に行けますように。皆、連れ去られますように。イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

両手を挙げて、主よ、主よ、主よ、と叫んで、皆さんでお祈りしましょう。


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