恐れるな。勇気を出して!


2009.1.18(SUN)
新城教会 滝元 順 牧師

ゼカリヤ8章9節〜13節
「万軍の主はこう仰せられる。「勇気を出せ。あなたがたは、万軍の主の家である神殿を建てるための礎が据えられた日以来、預言者たちの口から、これらのことばを日ごろ聞いているではないか。その日以前は、人がかせいでも報酬がなく、家畜がかせいでも報酬がなかった。出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安はなかった。わたしがすべての人を互いに争わせたからだ。しかし、今は、わたしはこの民の残りの者に対して、先の日のようではない。──万軍の主の御告げ──それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を降らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを継がせよう。ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。」

 ハレルヤ!おはようございます。今日はこうして、皆さんと共に礼拝が持てることを嬉しく思います。
 昨年の暮れ、十二月二六日から二九日まで韓国で奉仕しましたが、ポハンという場所にあるミッション系の韓東(ハンドン)大学で、世界宣教をテーマとした講義を持たせて頂きました。今朝は、そのハンドン大学から、六名の学生さん達と二人の先生方が礼拝に参加されています。
 昨年から主は、韓国との色々な形での協力関係を導いて下さっています。心から感謝します。今、その方々を紹介したいと思います。大きな拍手をもって迎えて下さい。よくいらっしゃいました!

 午後はセミナーを持ちたいと願っています。韓国リバイバルミッションの働きの中で、主は友好の輪を広げて下さっています。私は今年に入って、一月七日から十日間ほど、韓国に行って参りましたが、皆様の熱い祈りによって支えられ、大変よい集会が持てました。
 今回私は、青瓦台にも行くことができました。そして行政官の方と韓国リバイバルミッションについてお話しできました。

 二〇〇九年が始まり、私にとっては怒濤のような日々が続いていますが、やがて二月七日という“複雑な日”がやって参ります。嬉しいような寂しいような…、それは、私の娘の結婚式です。父親としては不思議な感覚です。皆さんもどうぞ私を見に来て下さい。「父親がどの位がっかりするかを見に行きたい」と言って結婚式に参加する人もいるそうです。しかし、家族も守られていることを心から感謝しています。

 皆さんは風邪をひいていませんか?インフルエンザの方もおられるかもしれません。先週は、家内と娘がインフルエンザになり、残るはただ私だけでした。私は絶対にインフルエンザにかかっている暇などありません。私は聖書のみことばを宣言しました。
 神が人を造られた時、「海の魚、空の鳥、地を這う全ての生き物を支配せよ」と仰せになりました。人類に全ての生物に対する支配権を与えて下さったのです。「地を這う生き物を支配せよ」という中に、バイ菌やウイルスも含まれているはずです。目には見えないけど、インフルエンザ・ウイルスがその辺りを這っていて人体にも入るわけです。
 でも、そんなものにやられてはいけません。“地を這う生き物”を支配すべきですから、「ウイルスよ、お前たちは私に絶対に触れることはできない!お前達を支配する」と宣言しました。それから数日が経ちましたが、元気ですからきっとウイルスに打ち勝っているのだと思います。「そんな事を言っても今週は危ないぞ。」と思われる方はどうかお祈り下さい。私達には支配権が与えられているのですから、バイ菌もウイルスも支配できるはずです。そして、悪魔や悪霊どもでさえ、支配する権威を与えられているのです。その権威をつい、忘れてしまっているのではないかと思います。神様は私達に、「恐れるな、勇気を出せ」と、いつも励まして下さっています。

この頃は不況で大変なご時勢です。二〇〇九年が始まりましたが、ある方は「これからどうなるのか…」と、会社の行く末を案じておられるかもしれません。
最近、私の友人の一人に、「あなたの会社は危なくない?」と聞いたら、「絶対に大丈夫」と断言していました。しかしなんと、彼はその二日後にクビになりました。
トヨタ自動車の昨年の業績は二兆円の黒字でした。二兆円というお金がどれくらいかわかりますか?私にはわかりません。相当なお金であることは確かだと思います。それは定額給付金の予算に匹敵します。
しかし、そんなに儲かっていたのが、今年は赤字だそうです。一年で二兆円なくす人も珍しいと思いますが、一瞬にして、バベルの塔が崩れている状況です。

まさに、今読んだ聖書の箇所のようです。先ほど読んだゼカリヤ書に、「その日以前は人が稼いでも報酬がなく、家畜が稼いでも報酬が無かった。出て行く者にも帰って来る者にも、敵がいるために平安はなかった。」とあります。
いくら稼いでも穴が空いた袋のように、手元には何も残らない現実があるわけです。しかし、今日皆さんと共に学びたい“みことば”は、そのような状況にあっても、「神は祝福を与えて下さる」というものです。
「恐れてはなりません」と、神は力強いことばを語っておられます。もう一度、主があなたに語っていることばとして読みましょう。

「万軍の主はこう仰せられる。「勇気を出せ。あなたがたは、万軍の主の家である神殿を建てるための礎が据えられた日以来、預言者たちの口から、これらのことばを日ごろ聞いているではないか。その日以前は、人がかせいでも報酬がなく、家畜がかせいでも報酬がなかった。出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安はなかった。わたしがすべての人を互いに争わせたからだ。しかし、今は、わたしはこの民の残りの者に対して、先の日のようではない。──万軍の主の御告げ──それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を降らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを継がせよう。ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。」

 「主を信じる者達」は、「霊的イスラエル」であり、主によって選ばれた民です。新約聖書の概念を重ね、ゼカリヤ書を理解するならば、このみことばは「イエス・キリストを信じる者たち」に語られていることばです。
 イエス・キリストを信じる者には、呪いではなく祝福を受け継がせて下さるのです。そして、どんな時でも、「あなたを祝福とします。恐れてはいけません。勇気を出して下さい」と語られているのです。

一昨年、ハワイで開催されたハワイ・リバイバルミッションのテーマ曲は、「勇気を出して」でした。まさしく、この時代に重要なテーマです。私達は神様から力を頂かなければなりません。
八章一〇節に、「その日以前は…」とありますが、「その日」とはどの日なのでしょうか?それはゼカリヤ書の前にある、ハガイ書を見るとわかります。ハガイ一章七節から一〇節

「万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。主は仰せられる。あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。──万軍の主の御告げ──それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。」

旧約聖書は、目に見える形で神が人々を教えた歴史です。神様を礼拝するための宮を作ったときに、神の栄光が宮に現われたのです。現代の私達にとっては、「神を第一にし、イエス・キリストを救い主として受け入れ歩む時、祝福が訪れる」ことを意味しています。
あなたも以前は自分の家、自分の人生のために走り回っておられた事でしょう。その時には祝福は無く、稼いだと思ってもすぐに無くしてしまったり、良いことはあまり無かったかもしれません。
しかし、「神の国とその義を第一にしなさい」とあるように、神を第一にして生活するときから、人生が回復した体験を持っておられると思います。
イスラエルが神の宮を建て始めた時、今までイスラエルを縛ってきた呪いから解放され、祝福に変えられたのです。それは、“神を第一にする生活”が最も大切だということを教えています。

先週の日曜日、私は韓国の東海岸のサムチョクという町の大きな教会で、朝九時と十一時の礼拝で奉仕させて頂きました。
その教会の牧師がある老夫婦を紹介して下さいました。そのお婆さんはかつて、自殺寸前で教会に来られたそうです。何故なら、子供達がみな事業に失敗して、大きな借金を作り、経済的危機に瀕していたからです。
その時牧師は、「元気を出して下さい。神を第一とする生活をしてみなさい。そうしたら人生が建て直されますよ」と話したそうです。現実を見たら大変な中にありましたが、お婆さんは教会に来るようになり、イエス様を信じたそうです。

ところで、お婆さんは町で小料理屋を営んでいたそうです。牧師はその店が祝福されるようにと、「恵み食堂」と名付けてあげたそうです。しばらくは依然として、大変な経済状態が続きました。しかしある日、奇跡が起きました。どんな奇跡かというと、かの有名な“ヨン様”がその町で映画を作ることになりました。“ヨン様”はお金持ちですから、毎日のようにご馳走ばかり食べていました。しかしご馳走に飽きてしまったそうです。私もそんな気持ちを一度ぐらい味わってみたいものですが、「ご馳走ばかりで飽きた、もう見たくもない」と、「質素なものが食べたい」と言って町を歩いたそうです。するとみすぼらしい小料理屋があったそうです。そこに立ち寄り、お婆さんが作った質素な郷土料理を食べ、「ここは隠れ家みたいでいいね」と言って寝ころんで、また映画を撮りに出かけて行ったそうです。

ところが、その様子を追っかけ日本人が見つけて評判になりました。その後、その小料理店に日本からわんさと人々が訪れ、マスコミにも紹介されたそうです。それで「恵み食堂」の名前の通り、店はたいへん祝福されたそうです。お婆さんは、「ヨン様定食」なるものを売り出し、ヨン様が食べなかったものまでつけ足して、値段を少し高くして売り出したそうです。それが売れに売れて、借金も全て無くなり、家族全員がクリスチャンになったそうです。
私もそれを聞いて、「ヨン様も少しは神に用いられ、良いところもあるんだな」と思いました。

私はその教会で、「この町がヨン様ではなく、イエス様で有名になりますように」と語ったら、皆、「アーメン」と言っておられました。誰が恵みを与えたかというと、イエス様なのですから。お婆さんは、そんな奇跡が起きるとは、少しも思っていなかったのです。私はその老夫婦の祝福をお祈りをさせて頂きましたが、イエス様に従ったら祝福されるのです。

今、経済が段々と悪くなり、現代が最も大切にしている、「資本主義経済社会」が崩壊しつつあります。「経済」という言葉をしばしば使いますが、その定義は案外曖昧なのかもしれません。
先日私は、経済の定義を調べてみました。すると、「経済とは、物資の生産、流通、交換、分配とその消費、蓄積の全課程。及びその中で営まれる社会的諸関係の総体」となっていました。なかなか難しい言葉です。しかし、これを一口で言うと“物質中心主義”です。
現代社会は、“物質中心主義”を中心に据えたのです。私達も、「経済」のただ中で生活しています。会社で行っていることは、「物資の生産、流通、交換、分配…」そのような領域に常に関わって生きているのです。そして、物質を豊かにすること、流通を良くすることが人間の幸せにつながるという価値観に基づいて生活しています。このような社会に生きていますから、それが当然です。

しかし、私達クリスチャンは、自分がどのような価値観を中心として生きているのか、よく考えなければなりません。
現代人には驕り高ぶりがあり、「現代人が最も進化した存在である」と考えています。これは進化論に基づいた、気をつけなければならない価値観です。私たちは天地創造を信じていても、神が人を創造した時、あまり進歩していない人間を造り、時間を経ていく過程で段々と充実し、様々な歴史的経験を経て、現代人へと完成されていくと考えがちです。しかし、神は最初から人を「完成品」として創造されたのです。ということは、どの時代の人をとっても、「完成品」なのです。

「昔の人達は未発達で、今の人達が一番進んでいる」と考えるのですが、実はそれは間違った考え方であり、何が違うのかと言えば、価値観の中心が間違っているのです。現代人は物質を生活の中心において、「物資を生産し流通させることによって幸せになれる」という価値観を持っているわけです。
しかし古代人たちを見ると、良し悪しは別として、価値観が違ったのは確かです。昔の人達は、「目に見えない世界」を価値観の中心において生活していました。それで、人々の生活そのものが宗教的営みであったわけです。

けれども、現代は物質が中心となっています。聖書は私達に、“何を価値観の中心にしなければならないか”について教えています。第二コリント四章一八節に、

「私達は見える物ではなく、見えない物にこそ目をとめます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」

私達は、物質中心主義的な世界に住んでいますが、“見えるもの”ではなく“見えないもの”に目をとめなければならないのです。
今、現代人が最も大切にしてきた、「経済」がもろくも崩壊しつつあり、人々は物に一番重要な価値をつけてきたけれど、それは人をしあわせにしないことに目覚め始めているのです。今こそ私達は、目に見えない世界、永遠に続く世界に価値を置かなければいけないのです。

教会は何を価値観の中心としなければならないのか、それは「見える物」にではなく「見えない世界」であり、神ご自身であり、霊的世界でなければいけないのです。

先ほどの聖書箇所に、「神の宮を建て始めた時に祝福がもたらされた」とありました。旧約聖書では、目に見える世界を表していますが、結論は“神の宮”も、見える場所ではなく、「見えない世界に存在する」としているのです。エペソ人への手紙二章十九節から二十二節には

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、み霊によって神の御住まいとなるのです」

 「み霊による神の宮」という所に結論が述べられています。私達は教会に集っています。目に見える教会が「神の宮」と思われがちですが、神の宮の本質は目に見えない所にあり、私達一人一人が神の住まい、「神の宮」だというのです。
 それは、イエス・キリストを土台とし、その上に一人一人がパズルのように組み合わされ、神の宮は完成するのです。

イスラエルに行くと、神殿が建っていた場所が残っています。その横に、かつての神殿の模型が置かれているのですが、それを見ると様々な石が組み合わさり、一つの建物が作られているのがわかります。
同様に、目に見えない「神の宮」も、一人一人が神の宮を築き上げる石であって、組み合わされるときに、目には見えない「神の宮」が建てあげられるのです。それが重要であり、その時、呪いではなく祝福が訪れるのです。

今日最初に読んだゼカリヤ書八章一〇節の箇所に、「その日以前には、人が稼いでも報酬が無く、家畜が稼いでも報酬がなかった。出て行く者にも帰って来る者にも、敵がいるために平安がなかった」と記されています。

イスラエルが七〇年間、バビロンに捕虜となっていたのですが、解放されて自分の国に帰って来ました。その時、彼らが何をしたかというと、他の何をもさておいて、荒れ果てた神の宮を再建し始めたのです。そこにはかつて、ソロモン王が建てた壮大な神の宮がありました。しかし、バビロンへ捕らえ移された時に崩壊し、荒れ果てた状態になっていました。けれども、バビロンから帰ってきた人々は、すぐにその宮の再建を始めたのです。そして、その宮を建てる課程の中で、神がご自分の栄光を回復して下さったのです。

さて、宮を建て始めた時、敵が川向こうからやってきました。そして、「工事をやめてしまえ!」と脅して、工事は中断されてしまった事も記されています。
私達も、神のために働きを始めると、「お前たちは何をやっているんだ、そんな仕事はやめてしまえ!」と妨害がされる事があります。
一九九三年に「全日本リバイバル甲子園ミッション」という大きなリバイバル集会が開かれました。その働きの中心を担ったのが、私たちの教会でした。その計画は、さかのぼること五年ほど前から準備が積み重ねられていました。九二年には全国的組織もでき、「さあ、これからだ」という時に、あちらこちらからいろんな妨害が起こったのです。「そんな集会はやめてしまえ!」と、色々な反対運動が起こり、非難・中傷があり、教会は大変な目に遭いました。また、妨害の先陣を切るような人物が、全国に多く現れたのです。
誰が反対したのでしょうか。仏教界、神道、オウム真理教、創価学会などという諸宗教は全く反対しませんでした。実は、反対したのは同士であるはずの、キリスト教会でした。何故、教会が反対するのでしょうか。今まで仲良くしていた先生方が、「そんなものは止めてしまえ」と、反対文章を各地に送ったりしました。

私達はものごとがうまく運ばないとき、「あの人さえいなければ、あの状況さえ無ければ、こんな目にあわないのに」と、見える敵に対して怒る時があります。
しかし、クリスチャンは、目に見える世界に惑わされてはいけないのです。見えない世界にこそ、本質があります。最も大切な事は見えない世界にあり、また、最も強い敵も目に見えない世界に存在しているのです。

ユダヤ人達がエルサレムにやっとの思いで帰ってきて、宮を建て始めた時、「そんな仕事はやめてしまえ」と、妨害を受けました。それは川向こうからやってきた、敵による妨害でした。
しかしその時、同時に、目に見えない世界で事件が起こっていたのです。それをゼカリヤ三章一節から五節に見つけることが出来ます。
これは見えない世界で起こっていた事柄です。見える世界には川向こうの敵が来て、「そんな仕事はやめてしまえ、仕事を続けるならば殺すぞ」と脅迫を続けていた最中、目に見えない世界では、一つの事件が起こっていました。

「主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。主はサタンに仰せられた。「サタンよ。主がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。」ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。「彼のよごれた服を脱がせよ。」そして彼はヨシュアに言った。「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」私は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、彼に服を着せた。そのとき、主の使いはそばに立っていた。」

宮を再建し始めた時、敵が来て、工事を中止させられました。しかし、彼らは勇気を振り絞り、工事を再開しました。すると同じように敵が来て、「やめてしまえ!」と脅しました。しかし、二度目は妨害を受けながらも、仕事は留まることなく進み、ついに神の宮は建てられました。

そのとき、目に見えない世界で何が起こっていたのでしょうか。それが今読んだ箇所です。現実世界においては、川向こうから来た敵がイスラエルの指導者である大祭司ヨシュアに、「お前は仕事をやめろ」と責め立てていた同時刻、目に見えない世界がゼカリヤが見た幻の中に表現されています。

「主は私に主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンを見せられた」というのです。

目に見えない真の敵によって、ヨシュアは訴えられていました。ここで、目に見えない世界で敗北を喫する時、見える世界でも敗北し、見えない世界で勝利したら、見える世界でも勝利するという原則を見いだすのです。

ここには、神の前にヨシュアを訴えていた、サタンが退けられた様子が記されています。ヨシュアに天の軍勢が加勢して、訴えは退けられたのです。その結果、地上に何が起こったかというと、一度は中止された工事が再開され、宮は再建されたのです。見えない世界で勝利が勝ち取られた結果、見える世界でも勝利をとることができたのです。そして、神の宮が再建された後、「祝福が来る」のです。

私達は見えない世界を、中心的価値観として置かなければならない事がわかります。見えない世界で勝利を勝ち取らないと、なかなか見える世界で勝利をとることができないという原則を学ぶのです。

甲子園ミッションの時も、周りに多くの問題がありましたが、主は言われました。「見える世界に目をとめてはいけない。見えない世界で戦いなさい」と。その時から教会に霊的戦いが始まったのです。

ヨシュアは汚れた着物を着て、見えない世界に立っていたようです。その汚れは何かというと、イスラエルの犯した「罪」でした。きよくなかったら、見えない世界で悪魔に訴えられるのです。一人一人がきよくなることは、見えない世界で勝利をとる大変重要なポイントです。

神の宮とは、見えない世界にあり、一人一人が互いにつながっる時、ちょうど石と石とが組み合わさって神殿が完成したように、見えない世界においては一人一人が聖霊によって組み合わさるとき、見えない世界の神の宮が完成します。その結果、呪いではなく祝福へと変えられていくのです。

ゆえに私達は“見えない神の宮”を建てあげることを中心的に努力しなければなりません。
今日私を含めて、ここに居られるお一人一人は、神の宮を構成する者達です。一人一人に与えられた使命を果たしていくと、見えない世界でつながり、宮が建てあげられ、「あなた方を救って祝福とならせる。恐れるな、勇気をだせ」というみ言葉が実現するのです。

先ほどこのエペソ人への手紙を読みました。「目に見えない神の宮、神のみ住まい」ということについて読みましたが、二章一九節に

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」と書かれていました。

「こういうわけ」とはどういうわけなのでしょうか? その理由が、エペソ二章一三節〜一八節に記されています。

「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。」

 先週の上條先生のメッセージを読みましたら、エペソ二章のみことばを引用し、「隔ての壁をそのままにしていませんか?」というメッセージでした。
 人生には様々な隔ての壁が発生し、それを放置して生活している人が多い、という内容のメッセージでした。
 今日の週報にもその要約が記されていて、「悪魔が置いた夫婦、親子、同僚、教会間などの様々な壁を、イエス・キリストの名によって壊しましょう」とありました。私達の中に様々な壁があり、それが神の宮を建てあげるための障害となっているのです。
 もしも夫婦の間に壁があったとすると、目に見えない世界で敗北しているがゆえに、見える世界でも敗北があるのです。親子の間に壁があれば、人間的努力も勿論重要なことですが、なかなか勝利できないのです。
 “壁が打ち破られること”がやがて、目にみえない神の宮の建築と完成へつながるのです。ゆえに、「こういうわけで」という言葉が使われているのです。ここでは「異邦人とユダヤ人」という壁テーマで語られていますけれど、さらには私達のただ中にもある、様々な壁にも適用できると思います。

 「韓国リバイバルミッション」という働きを通して、歴史の中で、特に、朝鮮半島と日本との間にある壁を取り払おうとされていると思います。この壁を何とかしないと、日本は祝福を受けることができないのではないかと感じます。

最近、私は韓国で奉仕をさせて頂きながら、この働きは本当に自分の内側の壁を崩すことであり、日本のリバイバルのための重要な戦いだ、と教えられています。韓国において奉仕させていただけるのは、素晴らしい恵みであり、その結果として、目に見えない世界の壁が打ち破られ、新城教会に、個人に、ひいては日本にも結果が現れると私は固く信じています。
先週は、新城教会のとりなしチームの方々も韓国に行き、南北分断に関して日本が果たした悪い役割を悔い改め、統一のためにとりなしがなされました。

今日も韓国の兄弟姉妹が来て下さったことが、すでに一致のしるしですが、さらに、朝鮮半島が南北に分断されている現実に対して、日本がとりなし、祈らなければいけないと思います。今回、韓国を巡りながら、日本教会が祈らなければ、なかなか南北統一は実現しないのではないかと感じました。
なぜなら、日帝支配のなかで太平洋戦争が集結し、朝鮮半島にアメリカが入り、さらに平壌にはソ連が入ってきた為に分断され、独立運動と共に朝鮮動乱が起こり、多くの血が流され、現代まで続いているのです。韓国は現在、休戦状態なのです。いつ戦争が起こってもおかしくない状態です。三八度線で北と南の家族が分断されている状態です。その原因が、日本が朝鮮半島に支配を置いたことにあり、太平洋戦争によって南北分断へとつながたのです。日本は隔ての壁が築かれた原因を作った国として、真剣にとりなし祈らなければいけないことを教えられたのです。

私は今回、コージンという北朝鮮に一番近い韓国側の町で奉仕することができました。それは東海岸の北端の町であり、しばらく行くと北朝鮮との休戦ラインがあります。そこは去年、韓国人の女性が北朝鮮の兵隊に射殺された場所です。それを機に南北関係が緊張し始めました。私は今回、その現場が見える場所に行き、とりなしの祈りをすることができました。そこで大勢の韓国の兄弟姉妹と共に祈ることができました。その場所には北朝鮮が見えるガラス張りのチャペルがあり、毎日のように韓国のクリスチャン達による熱い祈りが捧げられていました。私にメッセージを語るように言われたので、特に、日本に役割があるというお話しさせて頂き、一緒に祈ることが出来ました。

また新城教会の青年会のメンバーは、韓国の西側の国境近くに行って祈ってくれました。これらは韓国をとりなす上で、特に扱わなければならない、大きな壁ではないかと思います。その壁が打ち破られるとき、神の宮は建てあげられ、呪いではなく祝福が流れ出すのではないかと思います。

壁には、個人的な壁もありますが、一番取り扱わなければいけないのは、やはり押しても引いてもびくともしないような、国と国との間に建てられた壁です。それは世界に大きな悪影響を与えています。それを取り扱うことができるのは、実は、政治でも経済でもなく、教会です。教会が霊的世界で、霊的問題として取り扱わない限り、なかなか動かないのです。そしてその使命を果たすのが、神の宮に属するクリスチャンであることを、知らなければならないのです。

今回の韓国リバイバルミッションで、主は歴史的壁までも取り壊そうとされているのではないかと感じます。

皆さんに、韓国の南北統一のためにも祈って頂きたいと思います。私達の周りにある、目に見えない壁が倒され、神の宮が建てあげられるように祈って頂きたいと思います。
私達は案外、目に見える領域しか扱っていません。「神様、私達を守り祝福して下さい」と祈るのですが、教会にはもっともっと大きな領域が任されているのです。

今週の火曜日は、アメリカ大統領の就任式です。歴史上初めて、黒人大統領が就任するという歴史的な瞬間です。「白人のアメリカでもなく、黒人のアメリカでもなく、スパニッシュのアメリカでもなく、アジア人のアメリカでもなく、“一つのアメリカ”」を宣言し、オバマが大統領になりました。勿論、色々と悪い面もあるのでしょうが、歴史は神によって支配されていますから、あの大国アメリカさえ、人種間の壁が崩される動きがあるのは、神が大きな“壁”を壊そうと、世界的に動いておられる証拠だと思います。
このような時、私達は見えない世界で神が語っておられる言葉をキャッチし、その働きに合わせていかなければならないのです。その時、主の大いなる勝利が現されると思います。

アメリカの金融危機が全世界に広がっているこの頃ですが、現代は、田舎で起こったとか、都会で起こった事とは関係なく、世界に大きなインパクトを与える時代です。田舎の教会でも、主は全世界の為に用いて下さるのではないかと感じます。

最後に皆さんと共にお祈りをしたいと思います。「恐れるな、勇気を出せ」とありますが、主が大きな壁を砕いて、私達を祝福となるように計画して下さっています。二〇〇九年、私達は恐れることなく勇気を出し、主のために励んでいきたいと願っています。

  「ハレルヤ、天の父なる神様、み名をあがめます。今日、私達の間にある全ての壁が打ち破られ、一つとなるように導いて下さい。特に、歴史の中に悪魔が築いた大きな壁がありますが、それが打ち砕かれますように。韓国リバイバルミッションを計画して下さって感謝します。人手によらず壁を砕いて下さい。韓国から兄弟姉妹を迎えることが出来て心から感謝します。さらに、大きな壁に主が立ち向かわせて下さっていることを、有り難うございます。目に見えない世界で勝利を勝ち取ることができますように。一人一人に役割があり感謝します。一人一人の上に祝福を与え、教会の中の見えない壁が取り払らわれ、一つとなって神の宮を建てあげさせて下さい。そして、恐れるな、勇気を出せというみ言葉が実現しますように。主の御名によって祈ります。アーメン」


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